(二)潜入
その晩、二人の姿は結城の村にほど近い、小高い丘の上にあった。
村に到着した折に、一夜の宿を借りたいと方々に申し出たのだが、今はよそ者を受け入れる余裕がないと断られてしまったのだ。村で唯一の寺に至っては、門を固く閉ざした状態で立ち入りすら禁じられる始末。
だが、お陰でおおよその事情は掴めた。件の客人とやらは寺を宿所としている。そして村内には寺の土蔵の他に倉庫に適した建物も無いので、戦利品もまた寺の中というわけだ。
そうと分かれば話は早い――土蔵破りを働くのみだ。
隠密行動は源九郎の得意とするところ。慎重に行動すれば、さしたる危険は無いと思われる。つまり二人は村を望めるこの場所で、人家の灯が落ちるのを今や遅しと待っていたのだ。
そして、そろそろ頃合のようだ。
わずかに欠けた月が中天に昇り、満天の星空から冴え冴えとした光を放っている。
しかし、それを見つめる源九朗の顔は冴えなかった。夜陰に紛れにくくなる月など、忌まわしいものでしかないからだ。二人が身に付けている物は、いずれも闇に溶け込み易いよう注意を払ったものばかりで、細かいところでは刀身に墨まで塗布している。だが、そうした工夫もこう明るくては大分効果が薄れてしまう。
もっとも目下の懸念は別にある。源九朗は八重に視線を移した。
小狐丸を確実に見付ける為には、実物を見知る彼女を連れて行かぬわけにはいかない。当人もまた同行を望みはしたが、じっと月を眺めたまま微動だにしない様子からは、明らかに緊張が見て取れた。ここは一つ心を解きほぐしてやらねばなるまい。
源九郎は八重の肩を軽く叩き、
「お前さんは気楽に構えていればいいのさ。なーに、あっさり片は付くって。だって見事な月夜じゃないか」
「…………?」
怪訝な顔で振り返る八重を前に、月を指差しにこりと笑う。
「凄いツキがある、だろ」
「そなた……気は確かか?」
とても冷ややかな反応が返ってきた。
「いや、その、月にツキをかけてみたり……したんだけどね。どうやら通じなかったのかな」
外した駄洒落の解説をするほど虚しい瞬間はない。源九朗はそっと視線を逸らして答えた。
「そなたは……全くしょうもない男だな」
八重は呆れながらも、もっとも、と言葉を接いだ。
「実のところ、そう馬鹿にしたものでもない。言葉遊びとは純然たる、呪術の作法であるがゆえに」
「へぇ、そうなのか?」
「読みが同じことを利用して、別の意味と結び付けるのは呪術の基本だ。たとえば、そなたも武士なら合戦前には三献の儀をするであろう?」
「いや……どうだったかな」
武士を騙っているだけの源九郎には、返答に窮する質問だった。
「知らぬか? 合戦前の出陣式には酒席があると聞いたがな。そして、その際に振舞われる酒の肴は『打ち鮑、勝栗、昆布』の順らしい。というのも、それが『打ち、勝って、喜ぶ』という言葉遊びであるからだ。つまり、三献の儀を利用した戦勝祈願の呪術というわけだ」
ちなみに一献とは一膳毎に杯を三度重ねることである。よって三献ともなれば、三三九度の杯を意味する。
「なるほどな。単に縁起を担いでいるだけって気もするが」
「縁起を担ぐということが、呪術でなくて何だというのだ。そもそも三献の儀に、どんな意味があるか分かっているのか?」
「いや……」
すると八重は胸を張り、自信たっぷりに語り出す。
「よいか、三という数は重要なものだ。老子の言葉に『道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず』というものがある。陰陽道では太極から両儀が生じ、両儀から三才が生じ、天地人の三才によって万物が生じると説明されるが、これは神道における造化の三神に通じるものだ。そして、この三というありがたい数を三度繰り返し極まったものが九。つまり三献の儀とは、こうした信仰に基づき成立している儀式であり――」
せっかくの説明も、源九郎には何が何やら分かりはしない。だが、八重がいつもの調子に戻りつつあるのは明らかなので、そろそろ話を切り上げにかかることにした。
「なるほど分かったぞ。三献の儀の意味が」
「――む? では申してみよ」
「三三九度だけに散々苦労する、とか?」
「なぬっ……このっ、大たわけ!」
たわけ者の腹部に、八重は頭突きを喰らわした。
「滅多な事を言うものではない! そんなつまらぬことが元で、どんな凶事を招くやも知れぬのだぞ」
などと喚きつつ、両手でぺちぺちと源九朗の胸を叩く。
いずれも源九朗には撫でられたに等しいが、八重にとってはかなりの運動となったらしい。ぜいぜいと肩を上下に揺らす様子に、源九朗は諸手を上げてなだめにかかる。
「分かった悪かった……今のはほんの冗談さ」
「……本当に分かったのか?」
「ああ。よーく分かったよ。言葉遊びは重要なんだろう。だから、そろそろ寺に向かおうじゃないか」
源九郎は口の端を上げて言った。
「決行には結構な頃合い、だしね」
「本当に……そなたはしょうもない男だな」
呆れ顔の八重であったが、強張っていた表情はとっくに緩んだものだった。
その寺は、田舎には不釣合いな程に大きかった。
ぐるりと巡らせた土塀は高く、各所の門も城門並に壮大なものだ。実際、戦時には砦としての役割を期待されているのだろう。門扉には矢玉の痕らしき穴がそこかしこに穿たれ、建物の本質を密かに誇示していた。もっとも、城と違って見張りはおらず、境内への潜入を見咎められることはないが。
その堅く閉ざされた扉の前で、八重は荷物を抱えて立っている。
と、不意に音も無く通用口が開いた。中から出てきた源九朗が、手にしている鉤縄で土塀を乗り越えたのだ。
二人して境内に侵入。八重を物陰に潜ませ、源九郎は単身で捜索へ。
目当てはすぐに見つかった。漆喰で塗り固められた土蔵の前に、村人と思しき男二人が退屈そうに喋っている。
「まったくよぉ、わざわざ寝ずの番たぁーなぁ」
「ああ、あいつら本当に用心深いな。ここまでして一体、何を守ってるんだか」
「んーな事はどうでもいいって。俺らも娘の捜索に廻してくれりゃよかったのに、って言ってんだよ」
ややあって、見張りの一人が席を外した。千鳥足で向かう先は厠であろう。
源九郎は先回りして、引き戸の傍に身を潜めると、手拭いを細く巻いて紐状にしておく。
やがて男がやって来て、後ろ手に引き戸を閉めた。
その瞬間、男の首も絞まっていた。
男は手足を振り回し抵抗するが、背後の源九朗には届かない。次いで喉を掻き毟るようにして布紐に手をかけるが、これも無駄な足掻きだった。狭い室内に異様な熱気が充満。やがて、じょろじょろと尿の漏れる音がして……遂に男は動きを止めた。
死体は縁下に隠蔽し、急ぎ蔵へ取って返す。残る一人をさっさと始末するのだ。
一連の行動を、源九郎は淡々とこなしていった。
一旦、八重を迎えに戻ってから、源九朗は再び蔵へとやってきた。
見張りがいなくなっている事は、まだ誰にも気付かれていないようだ。だが念の為、蔵の周囲を用心深く確認する。その間に、八重はさっさと観音開きの蔵の扉と格闘を始めていた。取っ手を掴み、両足を踏ん張って、渾身の力で引っ張るが――びくともしない。
「うあっ!」
とうとう手がすっぽ抜けたところを、源九朗が受けとめてやる。
「困ったな、どうやら鍵がかかっているようだぞ?」
どれ、と源九朗が代わってみると、漆喰の分厚い扉は鈍い音を立てて開いた。
「おかしいな……こんなハズでは」
「こいつは防火用で重いんだ。蝶番も錆びてるしな……お前さんの細腕じゃ仕方ない」
そのまま扉を全開にすると、新たに木製の引き戸が現れた。戸の下には鍵穴が空いている。
「今度こそ鍵がかかっているな……どうする?」
「といっても、ごく普通の落とし錠さ。まぁ任せろ」
落とし錠または枢錠とは、古くから伝わる自動式の施錠装置である。
仕組みは単純で、戸に〝落とし〟と呼ばれる棒を仕込み、閉め切った位置に窪みを作っておくと、戸を閉じた際に〝落とし〟が窪みにはまって戸を固定するというもの。よって解錠するには、鍵穴から直角に曲がった棒、つまり鉤を差し込み〝落とし〟を持ち上げてやればいい。
不安そうに見守る八重をよそに、源九郎はおもむろに鉤状の道具を鍵穴へ差し込むと、柄を捻って左右に回した。だが、長さが足りないらしく〝落とし〟には引っ掛からなかった。そこで鉤を一旦手元に戻し、ぐっと力を加えると――曲部が柔軟な素材でできているらしく――変形し長さが伸びた。これを再び挿し込み回す。
そんな作業を二三度繰り返すと、ついに解錠に成功する。
喜び勇んだ八重はさっそく戸を開けようとするが、
「よし、これで――って、まだあるのか?」
ぬか喜び。新たな格子戸を前に地団駄を踏むことに。
蔵戸は多重構造が基本。それを知る源九朗は、さっさと格子戸を調べにかかっていた。
またも錠。今度は引き手部分に、海老錠という原始的な南京錠だ。
海老錠とは二つの部品――牝金具という胴体部分と牡金具というコの字型の金属棒――を組み合わせ、できた輪っかで施錠する道具。これまた仕組みは単純で、バネ仕込みのコの字の下半分を牝金具の接合部に差し込むと、胴体の中でバネが広がり両者を固定するというもの。よって解錠にはバネをすぼめることが必要だ。
源九朗は腰袋から鍵を取り出した。
もちろん、この錠前用にあつらえたものではないが、当世の錠前は構造の単純さゆえに高確率で合鍵が存在する。こんな時のために、一通りの鍵は持ち歩いているのだ。
そして彼の選んだ鍵は、錠前をあっけなく床へと落としたのだった。
「随分……手慣れているのだな?」
訝しげに八重が呟く。極短時間の内に二つもの錠を突破してみせたことで、さすがに奇妙に思い始めたのだろう。彼女は蔵に入れることも忘れ、じっと源九朗を見つめたまま動かない。
さて、どう答えたものか。
「大きな声では言えないが、一頃こいつで糊口を凌いでいたのさ」
そう言って、人差し指を鉤型に曲げた。盗賊の暗喩である。
「ふむ?」
八重はしばし目を瞑って思案すると、天啓を得たかの如くかっと目を見開いた。
「そうか、そなた鍵師だったのだなっ!」
源九朗は「そうそう」と相槌をうつと、そのまま人差し指で頭を掻いた。
蔵の中は完全な暗闇で、ひんやりと埃っぽい空気が漂っていた。
源九朗は懐から竹筒を取り出し、中の火種で掌松明に火を灯した。ほのかな明かりをかざす度、闇の中から浮かび上がるのは――書物に巻物、甕に長持ち、といった雑多な道具の折り重なった光景である。目当ての木箱を求め手分けして荷物を漁る。舞い上がる埃に八重が苦しそう咳き込むが、容赦なく荷物をひっくり返し、片っ端から調べ尽くす。
だが――それらしき物は見付からなかった。
「呪具と一緒に盗まれた物はないか?」
問い掛けに八重はかぶりを振ると、じっとりとした眼で睨んできた。
「ひょっとすると、そなた騙されたのではないか?」
「いや、そんなはずはないさ。見張りまで付けた蔵に、何も無いってことはないだろ」
「見張り? そんな者がどこに居たのだ」
質問を意図的に無視して、源九朗は話を続ける。
「蔵の中だからといって、普通に置いてあるとは限らない。隠し物は埋めるのが常套手段だったりするしな……きっとどこかに見落としがあるはずだ」
「見落としだと?」
苛立ちを隠さない八重。
「ちっ!」
源九郎は舌打ちした。音が蔵中に反響し、八重はぶたれたかのごとくに怯む。
「おっと、別に怒ったわけじゃないよ。前に言っただろ、ちょっとした癖なんだ」
源九郎は弁解すると、灯明を頭上へとかざす。屋根の下に架かった太い梁が、怪しい影を作り出した。
「ひょっとすると……あそこか」
鉤縄を梁に引っ掛けよじ登り、横から覗きこんでみる。はたしてそこには、紫色の袱紗に包まれた箱があった。
「――当たりだ」
降りてさっそく覆いを捲ると、美しい桐の箱が姿を現した。
なるほど。呪具を納めるだけあって、幾枚もの神符が白木を覆うように貼り着けられ、いかにもな雰囲気を醸し出している。これが目当ての物なのだろうか?
「あった、これだ!」
確認する間もなく、八重が箱に飛びつくが、
「わっわわわ!」
予想外の重さに危うく取り落としかけ、源九郎が慌てて支える。
「えっへへ、ありがとう」
彼女はぺろりと舌を出し照れ笑い。すっかり御機嫌の様子である。
やれやれと源九郎は溜息をつくと、
「この箱で間違いないんだな?」
「ふふん、この紋所が目に入らぬか?」
と、得意げに箱の錠前を指し示す。錠前の飾り金具には細工が施されていた。
左三巴――鹿島の神紋である。もっとも、紋自体は多くの神社で見られるものであり、確たる証拠というわけではない。だが、この八重の喜びようは確信があってのものだろう。
「それにしても、開かずの箱なんてどんな御大層な封印かと思えば、ごく普通の錠前だな」
言いつつ、源九郎は錠前を撫でるように右手の指で触れた。
「あっ、こら!」
八重がたしなめるのと同時、
――バリバリッ! 閃光とともに、源九朗の指先から紫電が迸る。
八重が悲鳴を上げ、灯火が消えた。
「ぜえっ……、はぁっ……、ぜえっ……、はぁっ……」
再び闇へと戻った室内からは、荒い息遣いのみが聴こえた。
(一体――何がどうなった?)
源九郎は今の出来事を振り返る。
鍵穴に触れた途端、指先から肩にかけ激痛と衝撃が走ったのだ。歯を食いしばって、何とか悲鳴は飲み込んだがたまらず膝をついた。今迄に感じた事のない種類の痛みだった。そう、あたかも体内に太い針を打ち込まれでもしたかのような。おかげで右腕の感覚が麻痺してしまい、まともに動かせない。今もしきりに痙攣を繰り返しており、左手で押さえつけている有様だ。
ドッ、ドッ、ドッ――心臓が早鐘を打つ。
まるで命の危機を告げる警鐘のようだ。思った途端、全身にぶわっと嫌な汗が浮いた。
「大丈夫か?」
源九郎の異常に気付いた八重が、不安そうに訊ねてくる。
「分からない」
そう答えるしかなかった。
幸いなことに――痙攣が収まるにつれ右腕は機能を回復していった。麻痺していた触覚も徐々に回復し、源九郎はようやく気が付いた。小さくも温かな八重の手が、腕をさすってくれていたことに。
「……どうやら、大丈夫のようだね」
心なしか上ずった源九郎の声に、八重は「ほうーっ」と大きく息を吐いた。
「まったく……うかつな真似をするなっ! そなたは今、雷に撃たれたのだぞっ!」
「雷だって?」
驚いて訊き返すと、八重は居住まいを正して言った。
「うむ。なにせ呪具の封印は、鹿島大明神の名の下になされたものだからな。罰当たり者には雷ぐらい落ちるだろう」
鹿島大明神ことタケミカヅチは、武神や刀剣の神として知られるが、その本来の神性は雷神である。それゆえ神罰が雷、との理屈は源九郎にも理解できるが、
(そもそも罰が当たる、なんてことがあり得ない)
馬鹿馬鹿しいと切り捨てたいところだが、実際に体験してしまった事実は否定のしようもない。そしてすぐに、まぁいいか、と考えを改める。
この箱に施された封印とやらには何らかの力がある。ただ、それだけのことだ。
要するに火薬のようなものだろう。あれも爆発の理屈は分からずとも、製法と扱い方さえ知っていれば、それで十分事足りるのだ。だからこそ、この箱をどう取り扱えばいいのかは、今すぐ把握しておかなければ。
「とにかく、このままじゃ危なくっておちおち運べやしない。確認するけど、罰が当たったのは鍵穴に触れたからでいいんだな?」
「正直なところを言えば、何が禁則に当たるかはよく分からぬ。ただ……以前も言ったように、錠や箱の破壊行為は許されない。おそらく、封印に対する脅威一切が厳罰の対象となるのだろう」
「つまり、鍵穴に触れるという行為が脅威とみなされたわけか」
うむ、と八重は重々しげに頷き、
「とにかく、うかつに触れぬが無難だな」
「やれやれ、とんだ危険物だ」
くわばらくわばらとおどけつつ、源九朗は手がまともに動くかどうか結んで開いて確認。
多少の痺れは残っているが、まぁ何とかなるだろう。パキパキと指の関節を鳴らし完調ということにした。
「呪具はそれだけ厳重に管理されるべきものなのだ。なにせ封印を解くにも、神前にて式を挙げて臨まねばならぬしな」
それが本当なら、すり替えには相当手間取る事になりそうだ。
「お堅い事だ。婚前交渉は禁止ときたか」
嘆息交じりに皮肉を言うと、八重が生真面目な声で問うてくる。
「婚前に何の交渉があるのだ?」
「まぁ……色々あるのさ。大人には」
「むぅ。また私を子供扱いしおって!」
八重はぷりぷり憤慨するが、そんな話をしている場合でもない。すぐに撤収の準備に入る。呪具の箱は八重が持つというので、風呂敷に包んで背中に括ってやった。重荷ではあるだろうが、しっかりと重心を固定したのでふらついたりはしないだろう。
「じゃあ行くぞ」
扉を開け、蔵から足を一歩踏み出して――咄嗟に蔵の中へ身を翻す。
直後、パァンと何かの破砕音が蔵中に響き渡り、八重が甲高い悲鳴を上げた。
「そこまでだ! 大人しく出てこい」
表からは威嚇するような大音声。
半開きにした扉からそっと様子を伺うと、弓を構えた五人の男達が正面に陣取っていた。
再び矢が飛び込んできた。八重の悲鳴が蔵中に反響する。一部の矢が刺さらずに、室内を跳ね爆ぜるがごとくに四散したのだ。
頭を抱え震える娘を横目に源九朗は思案する。
突入がないところをみると、敵はあくまで間合いを保ったまま、こちらの投降を待つ腹のようだ。
(腰が引けていやがるな。そういうつもりなら……丁度いい)
腰に提げた革の袋をゴソゴソと弄った。
蔵の外ではずらりと居並んだ男達が矢を射続けていた。
それも威嚇のつもりなのか規則正しく一斉射撃だ。それを傍で眺めている連中は、投降は時間の問題とばかりに退屈そうなものである。
「奴ら中々出てこないな。どうだ、いっそ突入するか?」
「よせよせ、怪我でもしたらつまらん」
「だったら煙で燻し出すってのはどうだ?」
そんな会話の最中、蔵の中から赤い光点が飛来した。ゆっくりと弧を描き落ちてくるそれに、あれは何だと一同の視線が集中する。よくよく目を凝らせば、それは丸い玉からちろちろと伸びる真っ赤な舌のようであり……。
「逃げろ!」「焙烙玉だぁ――」
時、既に遅し。爆音とともに大量の鉄片が辺り一面に突き刺ささる。直撃を食らった射手達は、激痛のあまり地面をのたうち回っている。
混乱に乗じ、蔵からは源九郎と八重が飛び出てきた。
「おのれっ、追え!」
無傷の者達が慌てて後を追う。そこへ源九郎は振り向きもせずに、火縄の付いた物体を放った。すわ再び焙烙玉か、と足を止め身構える追手達。
だが、今度の爆発は殺傷力を伴わない煙玉。気付けば辺りは大量の黒煙に覆われ、追手は視界を喪失。二人の行方を完全に見失うのであった。