(一)傀儡廻し
廃村を出て西へ、やがて古河の城下に至る。
市はハレの場らしい猥雑な活気に満ちて、軒を連ねる店先の至る所では物売達が得意の口上を競っている。どんな物が売っているかといえば、米、麦、野菜といった農作物や鳥獣魚肉はもとより、塩、薬、肥料、反物、工芸品に鋳物と多種多用で枚挙の暇もないほどだ。また行き交う人々も、武士に農民、僧侶に商人、職人、芸人……と様々だが、いずれも出自や身分の別なく大いに交換と交歓を楽しんでいた。
そして源九朗の隣にも、明らかに浮かれた娘がいたりする。
「うおおおおぅ! なっ、なんて賑やかなのだ。これが市というやつなのかっ?」
「賑やかなのはお前さんだろ」
まったく、あんな出来事の後にしては尋常ではない立ち直りの早さである。もっとも、これが彼女なりの鎮魂の姿勢なのだろうか。
廃村を発つ直前、こんなやり取りがあったのだ。
「千早振る 神よりいでし 人の子の 罷るは神に 帰るなりけり」
仲間の墓前に手を合わせながら、八重は古い歌を口ずさんだ。
「古来――人の霊魂は神の分霊であり、死とは神の御許に帰ることとされる。つまり死とは全ての終わりではなく、その在り方が変わるということ。決して悲痛なだけのものではない。だが、死して間もない魂は穢れた状態にある。そのまま幽世へはゆけず現世をさまよい、時として悪霊と化す。ひとえに現世への執着の為だ。それゆえ生者は死者の魂を清め、神の御許へ送らねばならぬ。その為にはまず自らを清めねば。いつまでも悲嘆にくれるなど論外だ。それは死者を現世に縛るに等しきこと。けじめをつけたら後に引き摺らず、安らかな心持ちであれ。それが死者と生者いずれにとっても幸いだ。鎮魂とは、そうして初めて達成されるものなのだ」
自らに言い聞かせるように、彼女は鎮魂の意義を説いたものだが……。
正直、よく分からないし分かりたくもない。確かなことはその信念が、こんな小娘にも平静を保させているという不気味な事実だけである。
そんな源九郎の胸の内をつゆ知らず、八重は店の一軒一軒を食い入るように眺めている。
「そんなに珍しいか? 市なんて鹿島にもあっただろう」
そう声をかけると、彼女は目をぱちくりさせて、
「そうなのか? 初耳だ」
どうやらこの娘は行動に、よほどの制限を受けていたらしい。
「ひょっとして、世間を見るのはこれが丸っきり初めてとか?」
「修行を始めて以来だな。いや、それにしても俗世には変わった物ばかりで――」
その時、二人の背後で犬が吠えた。
おそらく、どこぞの誰かが不注意で尻尾でも踏んだのだろうが、ともかく八重は大層驚いて、
「はわわっ!」
と慌てて逃げ出した結果、ごちっと立柱に頭をぶつけてしまう。
まったくとんだ災難だが、傍から見れば中々お間抜けな場面だった。少なからず失笑を漏らす者もいて、八重は苦痛と恥辱のあまり頭を抱えうずくまってしまう。
「おいおい、大丈夫か?」
「うるさい……放っておけ」
仕方なくそのまま待っていると、ぱたぱたと足音を立てて女が小走りでやって来た。
「あーあー、ごめんなさいねえ」
唐輪髷に派手な小袖と帯。艶やかな妙齢の遊女である。
「うちの仔が悪かったねえ。ほらぁ、あんたもとっとと謝んな」
頭を小突かれた犬が不服そうに悲鳴を上げる。八重は謝罪こそ受け入れたものの、ぶつけた箇所が痛むのか、頭を抱えうずくまったままだ。立ち直るには、もう少しかかるだろうか。
せっかくなので待つ間、源九朗は女と歓談を楽しむことにした。
「――さて、そろそろ行こうか?」
女が雑踏へ戻り、足元へ手を差し伸べた。だが、八重はなぜか恨みがましい目付きで、ふんと鼻を鳴らし自力で立ち上がろうとする。
「あっ!」
が、結局ふらついて源九郎に支えられることになり、情けなさそうな声でぼやく。
「うう……放せぇ」
ひょっとすると打ち所が悪かったのかもしれない。源九郎は八重の頭に触れてみた。
「こっ、こらっ! 何をするか」
「別にこぶはできていないな。でも、少し頬が赤いか?」
それで今度は額に手を当ててみることに、
「ふあっ!」
八重は弾かれたように後退り、ぺたりと尻餅を付いてしまう。丁度よい格好なので、源九朗はそのまま脚を揉んでみた。パンパンに張った筋肉は衣の上からでも分かるほどだ。
「や、止めっ! こそばゆい」
声が裏返るのに構わず、今度は草履を脱がし足裏を確認。柔肌にぽつぽつと豆ができていた。
「ええいケガラワシイ! 気安く触れるでないわっ」
八重は身をよじって逃れると、涙目で睨みつけてきた。
「だったら、言うべき事をちゃんと言ってくれ。体調が悪ければ早目に言うよう、出立の時に注意したろう?」
「急がねば、呪具を取り逃がすかも知れぬのだ。弱音を吐いている場合ではあるまい?」
そういう事か、と源九郎はこめかみに手を当てた。この娘は使命を果たすべく虚勢を張っていたわけだ。鎮魂がどうとか言っていたのも、きっと自分を鼓舞する為なのだろう。
「弱音がどうこうの問題じゃないんだ。急いては事をし損じる。旅に無理は禁物だ。不調を押して怪我や病気にでもなったら、それこそ厄介だろう」
「むぅ……確かに一理あるが」
「だから具合が悪いとか気になる事は、遠慮せず何でも言うんだ。重要かどうかの取捨選択はこっちでするからさ」
「その方が、より早く呪具に辿り着くか?」
もちろん、と源九郎が頷くと、
「ならば――さっそく言わせてもらおう。疲れた。暑い。喉が渇いた。足腰と足の裏が痛い。服の丈が合わないし、変な臭いがする。ついでにそなたも臭い」
「……あのな」
というわけで、ひとまず茶屋で休息をとることになった。
縁台に腰掛け人馬の行き交う様を眺めつつ、淹れたての茶を一服。
熱々の茶が五臓六腑に染み渡り、つかの間の至福に浸る源九朗。その隣では、八重が口につけた茶碗をしずしずと傾け、
「うあっちっ!」
何だかんだで、案外とはしたない娘である。
「こほん――で、どうなのだ? 呪具は見付かりそうか」
「少なくとも、市の出物にはないみたいだな」
「困るぞ! 一刻も早く見付けねばならぬというのに、そんな調子で大丈夫なのか?」
「大丈夫、ちゃんとアテはあるよ。それより、お前さんに丁度よさそうな服を買っておいたから、店の奥で着替えてくるといい」
と、源九朗は脇に置いてあった着物を八重へ押し付ける。新たに服が必要だったのは、彼女の白衣や被衣を売却したからだ。これから二人で旅をするには、路銀不足は否めなかった。
「おおっ、いつの間に!」
ようやくまともな服を着れる、と大仰に喜ぶ野良着娘。だが、すぐに顔をしかめ、
「これは……男子の装束ではないか?」
「そうだね」
服は藍色の小袖に軽杉袴。おおむね源九郎と同様の格好になる。
「たわけ! そんな物を私に丁度よさそうとは何だ。しかもこれは古着だな。どうしてまっさらな物を買わなかった?」
「贅沢だなぁ」
その言葉に、八重はきっと源九郎を睨み、
「贅沢で言っているわけではない! 私は巫女だ。穢れはできるだけ避けねばならぬ」
「子供みたいなわがまま言いなさんな」
「なっ、誰が子供だ! それにわがままだと? おのれっ、人の気も知らぬくせに!」
源九郎はずずっと茶を飲み干し、落ち着くようにと諌めにかかる。
「いやね……初めは旅の娘らしく壺装束にしようとしたんだ。けど、ああいう服は動きにくいし、何よりお前さん相当に危なっかしいからな。一目で娘と分かる格好じゃ、あっという間にかどわかされかねない。なら、いっそ男装がいいかなと」
ぐぬぬ、と下唇を噛んで、八重はがっくりと肩を落とす。迂闊さを自認するだけに反論のしようがないのだろう。への字口で押し黙る様子に、やれやれと源九郎は付け足した。
「仕方ないさ。なにせこれだけ美しい娘は、都にだってそうはいない」
「――えう?」
唐突に褒められて、八重は目をぱちくりさせる。
「周りを見てみなよ。お前さんみたいに、肌が真っ白で、髪が艶々で、手足の細い娘なんて、他にいるかい?」
「そ……そうか?」
彼女は思わず身を乗り出して、オロオロと首を左右に振った。もちろん周囲には日焼けした肌、傷んだ髪、太ましい手脚の連中しかいない。
「今は埃塗れだし、そんな格好だから目立たないけど。これで装いを整えた日には人目を引いて仕方がないよ。まったく、時として美しさは厄介の種だ」
「な、何ということだ。ううむ、それは困ったなぁ」
なんてことを言う割に、八重の目尻と口元は寄っていく。
「だからまぁ、そんな中身を目立たせない為にも、服は地味にまとめざるをえなかったのさ」
「ふ……そういう事か。分かった、ならば我慢しよう」
あっさりと褒め殺された八重は、さっそく店の奥へと着替えに向かう。
その様子を見送りながら、本当に単純なやつだ、と源九郎は呆れていた。別に嘘は言っていないが、あんな口車に乗せられるようでは、命が幾つあっても足りなかろうに。
ややあって、声をかけられる。どうやら着替えが済んだらしい。
振り向けばそこにいたのは、なんとも眉目秀麗な少年だった。もちろん小袖袴に総髪の八重だが、予想外に化けたものだ。
「へえ、よく似合ってるね――」
おっと、しくじった。ついさっきまでの勢いで誉めてしまったが、さすがに「似合っている」はない。いくら気を良くしていようと、八重が男装に不満なことは変わらないのだから。
だが、彼女は依然御機嫌のままで、
「ふふん。そうであろう、そうであろう」
と、平たい胸を張りさえしている。どうやら自分が何を褒められ何を認めたのかに、意識が及んでいないらしい。
「ぷっ――ははっ」
呆れを通り越し、源九郎は思わず声に出して笑った。
「うん? 何か面白い事があったのか」
「いやいや――愉快な娘だよ、お前さんは」
「?」
八重は今ひとつ腑に落ちない表情で、曖昧な笑みを浮かべるのだった。
茶屋を出た二人は、とある寺へとやってきた。
喧騒に包まれた境内には大きな人だかりができており、中から鼓笛の音が聴こえてくる。一体何の騒ぎかと八重が興味を示すので、人混みを掻き分け前へと進む。
「すまんな通してくれ。この子の背丈じゃ何も見えないんだ」
「たわけ! 子供扱いするでない」
ようやく切れた人垣の先には舞台があった。小振りだが立派な作りで、両隅には青竹と鉾を立て、その間に幕と注連縄が張り渡されている。
と、やんやの喝采。幕下から人形が鳴り物入りで登場、軽快な囃子に乗せて舞い踊る。
どうやら今日の出し物は、傀儡子による人形劇らしい。八重は蘭々と目を輝かせすっかり劇に魅入っていたが、幕間になって我に返ると、
「はっ――私は物見遊山に来たのではないぞ! どうしてこんな所に連れてきた?」
「ここで興行を張ってる芸人に用があるんだ」
「ひょっとすると、そなたが言っていたアテとはこれか?」
「道端で会った女がいたろう? 彼女はここの座員でね。訊きたいことがあると言ったら、快諾してくれたのさ」
「話は商人に訊くのではなかったのか? さては……そなた、単にあの女が気に入っただけであろう」
源九郎はかぶりを振ると、人垣を抜けたところで事情を説明する。
「そもそも、市で物の出どころを詮索するのは御法度だ。盗品の売買なんてざらだしね。露骨に話を訊こうとしても揉めるだけ。それも盗人共と結び付きの深い商人となると、背後には面倒な連中も付いている。力づくで訊き出してもいいが、こいつは最後の手段だ。まずは宿場に集まる噂を調べておきたいのさ」
「ふむ、なるほど」
「噂の供給源は色々だけど、特に旅芸人なんかが望ましい。連中は各地の情報に精通している上、しがらみもあまり無いからね。何かと融通がきくのさ」
腑に落ちた様子の八重は、再び人だかりの方を見やる。
「それにしても奇妙だな。この見世物には、どことなく親しみを覚えるような……」
「お前さんと根っこが同じだからじゃないのか? ああいった公界の連中は、元を辿れば祭祀者の端くれが多い」
「公界?」
「公界ってのは世俗と縁が切れる場所――無縁の場さ。山、川、海のように、世俗権力の及ばない場所ってのがあるだろ。そういう場所が公界だ」
「つまり神座す場か」
「そう。だから、寺社の境内であるこの場はまさに公界。この市の賑わいにしたって公界あってのものさ。世俗と縁が切れるからこそ、卑賤な商売も許されるってわけ」
「ふむ、何となく言いたい事は分かった」
うら若き巫女は、どこかうっとりした口調で続ける。
「公界を旅して回るなど、まるで天をたゆたう浮雲のような生き方だ。それは、さぞかし素晴らしきものであろうな」
「浮雲か。でも、公界に生きるってのは楽じゃないぞ」
源九郎は苦々しい思いで応えた。この娘は何も分かっていないのだ。世俗と縁が切れるというのは、法や人倫の埒外に置かれることだということを。
「腕一つで世を渡る――と言えば格好いいが、根無し草の実状なんて過酷なものさ。あえてそうした生き方を選ぶ連中もいるけど、大半はやむなくそうしているだけじゃないかな。基本的に公界ってのは、拠り所を失った者達が最後に行き着く場所なんだ」
「……ほう?」
「それで公界は苦しみの世界、〝苦界〟なんて揶揄されるのさ」
「苦界に生きる、祭祀者の末裔……か」
複雑そうに呟く八重の視線の先では、傀儡子の仲間達が愛想を振りまき客引きに勤しんでいる。そして件の遊女もその中にいた。
「あら、やっぱり来たんだね」
こちらに気付き、妖艶な笑みを浮かべる女。源九郎は挨拶もそこそこにさっそく本題に入る。
「この近辺で昨日今日と派手に遊んでいる輩がいないか? それもいつもは素寒貧のくせに、突然の大儲けに浮かれているような連中だ」
質問の意図は単純。略奪行為に関わった連中に、馬鹿騒ぎをする者がいると踏んでのものだ。あの手の連中は、とかく今を楽しむことしか頭に無い。遊興に通じる者達の情報網に引っ掛かる可能性は高いだろう。
「はて、昨日今日ねぇ……」
しばし考え込んだ女は、ひょっとして、と話を始める。
「結城の方から買い出しに来たって男がいたね。なんでも、村に逗留してる客人が、色々と仕事をくれるとかで随分稼いだらしいよ」
「へえ、どんな物を買いに来たんだ?」
「酒とか食べ物だけど、一番の目的は鎖や錠前だったらしいよ。それも至急で。なんだろうねぇ、怪しいよねぇ」
源九朗は息を呑んだ。廃村で遺体の後始末をした連中は北へ去ったという話だった。そして結城が位置するのは、まさに襲撃のあった廃村の北方である。
「色々な仕事ってのは、どんな内容か分かるか?」
「とにかく楽なものばかりみたいだね。客人の世話はもちろん、早朝の片付け作業とか、あと人探しもするとか言ってたかな」
怪しげな逗留客。早朝の片付け。人探し。これはまさかの大当たりではないか?
鹿島一行を襲った野盗がその村を拠点にしたとする。村人と友好関係にある以上、略奪はしないわけだから、酒や食料は買い取るし、不足すれば外で買って来させるだろう。
鎖や錠前は、戦利品を収納する倉庫に使うのだろう。急ぎで必要になるような、希少な物を手に入れたからだ。人探しは獲物の捜索といったところか。
「その結城の村ってのはどこにある?」
すると女はにっこり笑みを浮かべ、親指と人差し指で輪っかを作り礼金を要求する。
「幾らだ?」
「そうねぇ……五十文!」
少々高値だが、源九朗は無言で要求額を握らせた。何をさて置きこの村は、最優先で確認しに行かなければならない。女は一瞬驚いていたが、すぐに喜々として銭の確認を始めると、
「ところで旦那……あの女の子はどうしたの?」
「うん? あの子ならもう帰ったさ」
ちなみに八重は「ついさっき会ったばかりの人間に男装を晒せるか!」との理由で、離れた場所で聞き耳を立てている。
「だったら――どうだい、今夜は私と遊んでいかないかい? 五十文なんて適当に言ったのに、幾らなんでも貰い過ぎで悪いからねぇ」
そう言って女はしなを作る。金払いが良かったこともあり、営業に熱が入ったのだろう。
「まぁ考えておくよ」
源九郎は村の場所を教えてもらうと、さっさとその場を後にした。金食い虫は嫌いなのだ。
「大和殿!」
境内を出るや否や、背後から怒気のこもった声がした。振り返れば八重が冷やかな目付きで睨んでいる。
「大和殿。そなた、こんな時に遊ぶつもりか?」
どうやらさっきの話を誤解しているらしい。単に話を合わせただけなのだが、またぞろケガラワシイの連呼が始まるのだろう――と思いきや、
「それなら後で私がいくらでも付き合おう。だから今は呪具の探索を優先してくれ」
とんでもない事を言い出すのだった。
「は?」
思いがけない提案に、間抜けな声を出す源九郎。一方、彼女は頬を赤らめ、もじもじしながらのたまった。
「もっとも、私はかくれんぼや鬼ごっこ位しか知らぬがな。ま、そなたが教えてくれるなら、新たな遊びを試みるのもやぶさかではないが」
そういう事か、と源九郎は脱力する。
「遊ぶってのは、そういう意味じゃないんだけどな」
「うん? ならばどんな意味なのだ」
「ちょっと待てよ。お前さん、赤ン坊がどうやって産まれるかは知ってるか?」
「何だ唐突に? 赤子は神々が相談の上、縁ある夫婦に授けるものだが」
八重は、何を当たり前の事を、といった口調で言ってのけた。
「ああ……うん。なるほどね」
良家の姫君などは結婚が決まると、夜の営みのあれこれについて春画で教育を受けるというが、むべなるかな。
「何だ、その哀れむような目付きは。私が何か間違ったことを言ったか?」
「何でも無いよ」
「何なのだ? 気になるではないか」
食い下がる八重の頭に、源九郎はぽんと手を載せた。
「大人になれば分かるさ」
「だから、子供扱いするでないっ!」