第五章 ベルタアーク
ガーランと共に生活するようになって、少なくとも二十日程が過ぎた。
その間に王家の血筋の事や、伝統的な儀式の正式な方法、竜人族や巨竜族の伝説などを、もっと詳しく学ぶ事が出来た。
あと、いくつかの魔法も教えてくれた。実戦で役に立つだろうという話だったけど、正直戦いがあまり好きではないので、それと同時に習った治癒魔法の方が有益に思える。
それらは僕にとって、城では教わらなかった新しい事ばかりであり、とても興奮する事ばかり。そして何よりも、それを教えてくれるガーランに僕は感謝するしかない。
ガーランが、実はもう千年以上生きている事もはじめて知ったし、巨竜族は普通の竜人族の何倍も生きる事も教えてくれた。だからこそ、儀式に立ち会ってきた事も。
食事もガーランが用意してくれる。近くで捕まえてきたらしい動物を丸焼きにして食べる日々が続いた。
もちろん焼くのはガーランの役目。ガーランが軽く火を吐くだけで、動物など簡単に丸焼きになってしまう。
前に聞いたけど、巨竜族は誰でも炎を吐く事は出来るみたい。なぜかは知らないと言っていた。
昔は城に、巨竜族の部屋が用意されていて、そこで六人の巨竜族が生活していたらしい。
でも僕は、そんな大きな部屋は知らない。それが六個となると余計だ。城下町にもなかった気がする。ガーランが、時代と共に忘れられ、必要なくなった巨大な部屋も、違う物へと変わったのだろうと教えてくれた。
今では、他の巨竜族とも連絡が取れないらしく、どうしているのかも分からないらしい。
何もかも教えられるばかりで、僕の方からガーランに教える事などほとんど無かった。だからこそガーランへの感謝は日に日に増していた。
今は無理でも、いずれ王国を再建できたなら、ガーランを迎え入れてあげたいと、いつの間にか心から思っていた。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「メルサ、メルサはいるか!?」
微かに遠くの方で、ペルさんの声が聞こえた。
しばらく前に魔法結界は消してくれていたけど、僕はガーランの元を離れたくなかったので、洞窟で一緒に生活していた。それに、今は行く所もない。
洞窟の入り口にいた僕は立ち上がると、声のする方角を確かめる。谷の下の方に二人が微かに見える。
出来る限りの声で、彼らの名前を叫ぶ。それに気がついたのか、ペルさんが僕の方を指さしているのが見えた。
「もう来たか。思ったよりも早かったな」
いつの間にか、ガーランが後ろにいる。
「お別れみたいだ、ガーラン」
本当は分かれたくないけど、彼らとの約束もある。一緒にいる事が今は出来ない事は、知っているつもり。でもガーランを見ると、険しい顔をしていた。
「事はそう簡単にはいかない。私が望まなくとも、彼らは私を攻撃する。たとえ君の意志に反しても」
二人を見てから、再度ガーランを見る。
どうしてもガーランが必要に思えてならない。今は離れ離れになっても、いずれガーランが必要なときが来るはず。
「なら、彼らと戦うだけです」
「やめておけ。力では彼らが上だ。彼らは竜封じの宝玉を持っている。世界に数個しかない宝玉だが、それがあれば私や君の力を封じる事が出来るんだ。彼らが近づけば近づく程、我々は不利になる」
「なら、今すぐ逃げれば!」
ガーランは首を横に小さく振った。
「すでに遅いのだよ。竜封じの宝玉の力はすでに及んでいる。私はもう飛ぶ事も出来ない」
それを聞いて愕然とするしかなかった。まだ二人の姿は小さくしか見えないのに、もうその効果が現れているなんて思えない。
「君にもその影響は現れてくるはずだ。だから、無駄な事は考えないで欲しい。私は運命に従うよ。君の儀式に立ち会えて本当によかった」
ガーランはすでに諦めているようにしか見えないけど、僕は諦めるわけにはいかない。新しい王国を再建した暁には、彼を迎え入れると決心したのだから。
「君の王国をひと目見てみたかった。それだけが心残りだ」
ガーランは静かに目を閉じる。それと同時に二人が走って姿を現した。
「メルサ、無事だったんだな!」
ペルさんは叫びながら、剣先をガーランに向けて突進してくる。
「メルサ、そのドラゴンから離れて!」
ロルベルトさんは左手に、何か大きな宝石のような物を持ちながら、ガーランに剣を構えている。白っぽい物で、手のひらくらいの大きさがある球体状の物。
「止めて!」
とっさにガーランと二人の間に入った。だけどペルさんの突進してくる勢いが止まらず、僕の目の前に剣がくる。もう避けられない!
結界魔法を唱える間もなく、僕は切られたと思った瞬間、目の前を青白い物が覆う。
直後にガーランの物と思える叫びが聞こえた。ガーランが自ら右手を出し、僕の盾になってくれていた。
「ガーラン!」
思わず叫ぶ。だけどガーランは、何も言わずに口元だけ笑っていた。
剣は僅かにガーランの手を貫通している。僕の目の前にある剣の先からは、だんだんと血が滲み出してきて、その青白い手のひらを赤くしてゆく。
そして、剣の先が見えなくなった。ペルさんが剣を抜いたみたいだ。そのとたん、血がどんどん噴き出してくる。ガーランはそれを抑えようとすらしない。
「出血を止めないと!」
「いいのだ。いいのだよ、これで。だから言ったろ、運命だと。全て私の責任だ」
怒りに震えてペルさんを見る。いつの間にか手にはあの槍が握られていた。
「悪いのはガーランだけじゃなかったはずだ! それをなぜ!」
二人を許せなかった。抵抗していないガーランに向け、剣を振るった二人を。
「メルサ、こいつは何百人も殺してるんだ。これは俺たち三人だけの問題じゃない!」
ペルさんが後ずさりして、体制を整えている。剣はガーランの血で染まっていた。その血が、地面に落ちる。
「君までそう言うなら、俺はお前も殺さなければならない。そこを退いてくれ、メルサ!」
槍先をペルさんに向ける事で、それに返答した。
「仕方がない。お前なら世界が変えられると王子は言っていたのに、残念だ」
ペルさんは剣を構え直して、同じようにロルベルトさんは、右手だけで剣を逆さに持つ。初めて見た剣の握り方。でも、慣れた感じで持っている。それだけに、手慣れている事が分かる。二人は本当に僕らを殺すつもりだ。
僕は怒りに震え、彼らを心の底から殺したいと願う。初めて、人を本気で殺したいと思った。
その時、槍が突然強く輝きだし、手が勝手に動いて、槍は自然と天を指すように垂直に立つ。すると槍先が数リール伸び、さらにその先から光が発せられる。そして槍先に肩にある青い竜の紋章が描かれた。
「まずい、まさかベルタアークなのか! シェルスプの槍を持っていたとは!」
そう言ったのはガーランだ。
怒りに震えながら、その光が二人に当たる事を願うと、空から巨大な光の柱が落ちてくる。二人は、何事が起きたのか理解できずに立ち尽くしていた。
そして大地を轟音が襲い、砂埃が辺りを覆う。僕は目が開けられなくなってしまった。
直後に大きな悲鳴か、叫び声なのか分からない、声のようなものが聞こえた。
何か大きな物が倒れるような轟音がする。砂埃が消えると、二人の上にガーランが覆い被さっていた。そしてガーランの背中の上半分が消滅していた。
あの槍は、いつの間にかナイフに戻っている。手の震えが止まらない。
「まさか、シェルスプの槍まで持っていたとは……」
ガーランが喘ぐように言った。その間も、背中から大量の血が噴き出す。
「だから君は、あの宝玉が近くにあっても、力を失わなかったのか……もっと早くに気づくべきだった……」
ガーランが大きく血を吐く。
辺りはすでに血の海と化していた。血は、辺り一面に広がりつつある。そしてガーランが大きな音を立てて、その血の海の中に崩れるように倒れた。
「人族と犬族の者よ。確かに私は許し難い事をした。私はその報いを受けなければならなかった」
かすれた声で言葉をつなぐガーランに、僕は何もしてあげる事が出来ない。僕がこんなに無力だなんて、何のためにガーランが色々教えてくれたのか……
「私に免じて、彼を許してやってくれ。彼は正当な王位継承者だ。我々竜族は、彼を失うわけにはいかないのだ……」
ガーランの傷口は深く、肋骨が何本も露出しており、内臓が露出し、翼は跡形もなく消えていた。いや、内臓も一部無くなっているのかもしれない。
とても僕の治癒魔法で治療できる傷でない事は、すぐに分かった。それだけに、余計に悔しさがにじむ。思わず手に力が入るけど、それ以上何も考えられない。
「必要最低限の事は、彼に教えたつもりだ。彼を導いて欲しい。約束してくれるか?」
その言葉に、二人は頷いている。僕はただ、立ち尽くして見ている事しか出来なかった。
「メルサ、君に会えて本当によかった。済まないが私は先に逝かせてもらうよ」
ガーランは、大きくまた血を吐いた後に、静かに目を閉じた。
慌ててガーランの口元に近寄り、彼の名前を何度も呼んだ。彼の頭を何度も叩いた。目の前が涙でよく見えない。だけど返答は来ない。
「メルサ、彼は自分で罪を償ったんだ」
ペルさんが、その後に祈りの言葉を捧げている。僕はそれがどうしても理解出来ない。ガーランが死んだなんて、思いたくない。
「なぜ彼が、なぜガーランが倒れなければならなかったんだ!」
僕は呆然と、血だまりの中に崩れ落ちる。血はまだ暖かかった。僕が殺してしまった。大切な人を殺してしまった。
「メルサ、出来れば君を失いたくない。ついてきてくれるね?」
ロルベルトさんが、いつの間にか後ろにいる。ただ頷くし事しか出来なかった。
「せめて、せめて彼をきちんと葬ってから……」
背中の翼をイメージする。直後に違和感なく翼が現れる。
今は、ガーランをきちんと葬ってあげないと……それが僕に出来るせめてもの償い。
涙を拭いて、ガーランを再び見る。僕はとんでもない事をしてしまった。
「メルサ、それは一体!」
ペルさんを無視して、ガーランの胸に手を当てた。なぜか力を使うことなく彼を持ち上げ、僕は大きく飛翔する。そのまま山頂に向かう事にした。そこ以外に思いつかない。
彼を埋葬には、世界を見渡せる所でないと駄目だと思う。
下の方で二人の声がしたけど、僕はそれを無視して一気に山頂に行く。山頂まではさほど時間はかからなかった。
山頂にガーランを降ろすと、再びナイフから槍のイメージを思い浮かべる。なぜそれが出来るかも知らぬまま、僕は槍にガーランを土で覆うように命じた。程なくしてガーランは土の下に見えなくなる。そこは大きな塚になった。同時に、槍は再びナイフへと戻る。
ここならきっと、誰もガーランの邪魔は出来ない。もう、ガーランに誰も触れさせたくない。再び涙が目の前を覆った。
「ガーラン、本当にごめん。僕がもっとうまくやっていれば……」
近くにあった太めの枯れ枝を見つけると、ガーランが埋まっている土の上に、その枝を垂直に立てる。
「せめてここから世界を見守って欲しい。きっと、いや必ず再建してみせるよ。僕らの竜族の国を」
僕はそう言い残して、ガーランの元を去った。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「アレは何だったんだ……」
ペルが信じられないという感じで、飛び去ってゆくメルサを見ていた。それは私も同じだ。
「私だって聞きたいですよ。それに、あれはメルサが放った魔法ですよね? いつの間にあんな魔法を……」
「だな。それに、あんな大きなドラゴンを、あいつはどうやって持ち上げたんだ? 不可能じゃないか」
「分からない事だらけです。ただ一つ、はっきりしている事があります」
ペルが私を見る。
「エルバ王国は、この宝玉の効果を確認したかった。そして、彼らは確認できた。尾行、気がついていますよね?」
「おいおい、俺が誰だと思っている? 奴らあれでも隠れたつもりらしいが、ここまで奴らの血の臭いがするぞ。しかし、これをどう説明するつもりだ? どうせ俺は、また外で待たされるんだろう?」
エルバ王国の首都で、私たちが国王と謁見しようとすると、ペルは城に入れてもらう事は出来なかった。その事だと思う。
以前に聞いた事はあるが、エルバ王国は特に獣人差別が酷いらしい。それを見せつけられた思いがする。
「メルサの事は隠しておきますよ。何より、直接メルサの事は見ていないですからね。あの位置からは見えない。それが救いです」
追跡者は、山陰から見ているようだった。それが幸いしてか、メルサは死角になって見えていないはず。それに、単眼鏡を使っていたとしても、見るには遠すぎる距離。
「ドラゴンを退治したとだけ言っておきます。魔法はあなたが使ったとでも言っておけば、連中は疑わないでしょう」
「本当に大丈夫なんだろうな?」
「私が誰だと思っています? まあいいです。それよりも、メルサはちゃんと戻ってくるのでしょうか?」
「戻ってくるさ。俺はそう信じている……」
ペルはそう言って、空を再び見上げた。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
僕は山を降り、二人の元に戻った。
空から舞い降りるのを見て、驚きの顔をしている。当然だと思う。僕だってまだ信じられない。
「驚かしてごめんなさい。あれから色々あったんです……」
翼を消すと、近くにあった石に腰掛けた。座った瞬間、体の力が抜けた気がして、思わずふらついてしまった。
連れ去られてからの経緯を二人に話す。興味深げに最後まで黙って聞き、話し終わったとき、ペルさんが僕の右肩を軽くたたいた。
「色々あったんだな。俺たちもあの後、お前を必死で追った。そうしたところ、この山にドラゴンがいると聞いて、急いで来たんだ」
「私たちはエルバ王国から、先ほどのドラゴン退治を依頼されました。メルサに事情があっても、彼をそのままには出来なかったのです」
ロルベルトさんの話が正しいとは、頭では分かっているつもり。でも、どうしてもまだ納得出来ない。
「きっと何か他に方法があったはずなのに。それを探す時間さえあれば……」
周囲には、まだガーランの血があちこちに残っている。思わず目を背けてしまった。まだ、あの血の温もりを心に感じる。
「それにしてもメルサ、先ほどのあれは何だったのですか? 魔法の爆発のようでしたが?」
ただ首を横に振るしかなかった。実際、何が起きたのか僕も分からない。
「知らないんです。怒りに任せていたら、なぜかあのような事に……」
頬を涙が伝っているのを感じた。悔しいのか、悲しいのかも分からない。
周囲を見渡すと、あらためて先ほどの魔法の威力の凄さが分かった。
直撃を避けた中心部をのぞいて、周囲は草木がなぎ倒されており、その範囲は数十リールにも及んでいる。中心に近づく程、草木が無くなって、地面が剥き出しになっているのも分かった。
「という事は、メルサの感情に左右されて、魔法が発動されるかもしれないのですね」
ロルベルトさんは困った顔をしていたけど、僕にはどうする事も出来ない。何より、僕自身が何をしたのか、まだよく分かっていない。
「まあいいさ。確かにそれは問題だが、メルサが戻ったんだ。俺は今はそれで十分だ」
ペルさんは純粋に喜んでくれているようで、僕も思わず笑みがこぼれた。同時に、なんだか嬉しくて目が潤む。こんな僕でも、ペルさんは受け入れてくれている。
「ドラゴンを一撃で葬る魔法……私はそれほど喜べないのですが」
ロルベルトさんは、相変わらず難しい顔をしている。でも、無理はないと思う。
「きっと他にも魔法があると思いますよ。しかも、別に特別な魔方陣を描くわけでもなく、魔法を発動出来るのですから、それこそ驚異です」
確かにロルベルトさんの言うとおりだった。僕は魔方陣を描いてないはずだ。
魔方陣を描かずに強力な魔法が使えるとすれば、正確な魔方陣を描いた魔法を放てば、もっと強大な力が発動される事を意味するはずだからだ。こんな事くらい、僕だって分かる。
「もし先ほどの魔法を、正確な魔方陣を描いて発動する事が出来るならば、町一つが消滅するかもしれません。通常では考えられませんが……」
ロルベルトさんの顔は、一層険しくなる。
「なら、急いでラーベスに向かう必要があるわけだ。少なくともここでは何も分からない。それに、ここに来てお前、何か変わったな。少なくとも、素直になったと思う。前みたいな時々見せる反抗心のような物を感じない。辛い事もあったが、全てが悪い事じゃないはずだ」
それは、確かにペルさんの言うとおりだと思う。でも、それを教えてくれた大事な人は、もういない……
「一番よいのは、タルツーク王国の首都、ペムズに行く事かもしれませんが。竜人族の武器なら、ラーベスよりもペムズの方が情報があるはずです。しかし、今行く事は出来ないですし、困りました」
ペムズには町中にある王立図書館と、城の大図書館があった。そこになら確かに、魔法の文献があるかもしれないけど、今はとても行ける状態ではないのは、僕自身が一番知っている。
「まあ、こんなところで話していても埒があかないだけだ。早くラーベスに向かおう」
ペルさんの言葉に、一路ラーベスへ急ぐ事にした。