第二章 思い出の品
僕たちは、ニルス村から徒歩で三日目の所まで来ていた。
まだ僕という言葉遣いに慣れないが、少しでも私と言うと、すぐに殴られる。時には蹴られたり、尻尾を踏まれたりもする。殴られないためにも、常に僕という言葉を思い浮かべるようにしていた。
しかしそれも、次第に慣れてくる。懐柔されているのだろう。だからといって、それから逃れる方法はない。そして、悔し涙を出す余裕もない。
村には駅馬車はなく、駅馬車が立ち寄る町までは、あと二日ほどの距離があった。当然移動は徒歩となり、普段歩き慣れていなかった私……僕にとっては、苦痛ともいえる旅だ。
幸い途中天候が崩れる事もなく、同じダル王国の中なので、検問もなくスムーズに進んでいた。ただし、疲労は想像以上。
僕にとっては野宿も初めての経験で、最初の晩などはあまり眠る事が出来なかった始末だ。
おけげで二日目の距離は、目標の半分にやっと達したという始末。
見かねた二人は、途中で見つけた軽食屋に立ち寄り、休憩をしている最中だ。
町などを結ぶ道には、所々このような軽食屋があり、街道ともなれば宿屋がある事も珍しくないらしい。しかし、町と村を結ぶ程度の店では、宿屋は期待できるはずもなかった。
「そりゃ、馬に乗り慣れていたんだろうからな。早く慣れる事だな」
左足を庇いながら、椅子に座る姿をみて、ペルは興味深げだ。
とにかく足が痛くてたまらない。疲れて尻尾も動かせない程だ。返す言葉もない。
当の本人は異国の食べ物……しっとりとした生地に肉などが包まれ、蒸した食べ物を食べていた。
なんでもこの地方では、ウルトと呼ばれる食べ物らしい。持ちやすいように、大きな葉でくるまれている。僕の目の前にも同じ物が用意されていた。何の肉かは、見た目では分からない。
「ええ、移動は馬や馬車が中心でしたし、一日中歩くような事はありませんでしたから」
初めて食べたが、中から肉汁があふれ出てくるようで、とても美味しかった。鶏肉にも似ているように思う。
ペルがかぶりついて食べる物だと言ったので、その通りにしていた。
「それはそうですよ。私も色々見てきましたからね。彼がどんな生活をしてきたのか、想像に難しくないですよ」
彼は小さくちぎりながら、口に運んでいる。この食べ方の方が上品に思えて仕方がない。しかし、ペルに殴られる方が怖いので、ペルと同じ食べ方をする。
「ところで、なぜ逃げない? 逃げようと思えばすぐに逃げられるはずだ。それともトカゲには、そんな知恵もないか?」
ペルは、口にまだ食べ物を残しながら言う。正直真似はしたくない。あまりに下品だ。
本当は、トカゲという蔑称を使われた事に怒りたかったが、その気力もなかった。
「それは……何度も考えました。でもここが正確にどこなのか分からないし、分かったところで母国に戻れる保証もない」
もう一つ、嫌な事を思い出す。
「そして、母国に戻ったところで、処刑されるだけかもしれません」
一口食べてから話を続ける。言い方が悪かったのか、ペルが睨んでいる。
「そんな状態で逃げても、わ……僕には何の得もありません。もちろん武器になるような物もありませんしね。それに、逃げたところで、すぐあなた方に捕まるでしょう」
私と言いかけて殴られると思ったが、今回は殴られなかった。しかし、ペルがわざと尻尾を捻るように踏む。痛かったが我慢した。慣れていくものだとつくづく思う。
今まで人に対しては、命じてばかりいたのに、今ではお願いをするばかりの立場。悔しさばかりだ。
ペルは顎に手を当てて、何かを考えている。彼は、考え事をするときは顎に手を当てるようだ。
「まあ、確かにその考えは正しいな。しかし、自由になりたいと思わないのか?」
「それは何度も思いましたが、僕にとって自由とは何か、分からなくなりました」
ここ最近、自由の意味が本当に分からなくなっていた。逃げる事も自由かもしれないが、その場合、今は生きていけないと思う。
「ロルベルト、どう思う?」
急にペルから話を振られたが、ロルベルトは焦る様子もない。
「私たちが思っているよりも、彼が利口だという事ですよ。一部で竜人は知能が劣っていると言われていますが、私はそんな事は思いません。それからペル、そろそろ彼にトカゲと言うのは、いい加減やめませんか?」
珍しく彼が僕の事を庇った。いつもは態度で馬鹿にしているのに。
「彼らとは文化が違うだけでしょうからね。それに獣人差別を持ち出したら、私はペルの事も差別しなくては。そんな事をしても無意味です」
一般に人族なら、獣人差別を行っている者も多いが、王家の裏の世界を見てきた彼には、関心が無いようだ。ペルも頷いている。
「確かにそうだな。そういう事だ。理解のある奴がいて良かったな」
何がどう良かったのかはよく分からなかったが、とりあえずは頷いて、残りのウルトを食べる。
「お前が逃げない、反抗しないと約束するのであれば、次の町で武器くらいは買ってもいい。やはりお前だけ何も持たないのは不釣り合いに思う」
ロルベルトの手が止まる。
「それはいささか早すぎるかと」
「それはないな。この数日間、わざと逃げられるような時間は作ってきた。その気になれば、俺の剣を奪う機会も与えてきた。しかしこいつはそれをしなかった」
自分の武器に触れながら、得意げだ。
「それに、武器を持ったところで、こいつの力じゃ俺たちには到底及ばない」
反論できない事ばかり。
確かに逃げ出せる機会も、武器を奪える機会があった事も十分に知っている。別に縛られているわけでもないし、当然枷もない。周囲から見れば、ただの三人組だろう。
しかし、そうしたところで、今の状況が良くなる事はないと思っていたからだ。
もちろん、彼らに力で勝てるとは思っていない。だからこそ、何もせずにいた。いや、むしろ何も出来なかったという方が、正しいのかもしれない。
「まあ、ペルがそう言うなら、私は構いませんよ。それに、夜盗に襲われたときに戦力が増えるのは、嬉しいですからね」
嘘をつけとばかりに、ロルベルトを見ている。
「五人に襲われたって、あんたなら一人で対処出来るだろうよ」
ロルベルトは不敵な微笑みを浮かべながらも、ウルトの最後の一口を食べていた。
「そうそう、お前が食べたウルトだが、中の肉が何か分かったか?」
分からないので首を振る。結局最後まで何の肉か分からなかった。
「この辺特産の、トカゲの肉だ」
そう言いながら、嫌な微笑みを浮かべている。
「嫌がらせのつもりだったと……いう事ですか」
そう呟くしかなかった。
「まあ、これくらいで済まされたんだ。本来なら殺されても文句言えないんだぞ、お前は。感謝しろ」
何も反論出来ず、ただ俯くしかなかった。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
あれから三日後、予定よりも一日遅れてイヌスラムダと呼ばれる町に入った。
ダル王国でも三番目に大きい町なだけあり、人通りは多く、当然賑やかだ。
「なかなか良さそうな町じゃないか。以前この町に来たときは、軍関係者として来たから、はやり自由が利くと違うな」
ペルさんの言葉に思わず頷く。町に入るときに検問はあったが、形式化した質問で、特にトラブルもなかった。
持ち物のチェックもないので、持ち込もうと思えば何でも持ち込めるかもしれない。
そこで町の中央部に向かい、宿の位置と武器防具屋の位置をロルベルトが聞いてくる。
イヌスラムダは、どの種族も特に区別無く接しており、獣人差別がない事だけはすぐに分かった。
自分が竜人だからだろうか、時々珍しい目で見られる事はあったが、それは仕方ないと思う。タルツーク王国以外では、竜人の数はあまり多くはないのだから。この町でも竜人はほとんど見かけていない。
それに、竜人のほとんどの鱗の色は緑だ。白い僕の鱗は、タルツークでも珍しい方に該当する。
「とりあえずは宿を探そう。後はそれからだな」
そう言うペルさんに、僕らは後ろからついて行く。
初めて見る異国の町に、僕は少し興奮していた。建物もそうだが、売られているもの、多様な人種、行き交う人々はどれを見ても新鮮に見える。
タルツークでは、一般的な建物の多くは木造だ。一つには、比較的木材が簡単に手に入る事もある。
もちろん石造りの建物もあるが、そのような建物は中心街の繁華街などに限られている。
しかしここイヌスラムダでは、どの建物も石造りみたい。少なくとも、通った道には木造の建物はなかった。所々増設したような所に木造の部分はあるけども、それも希なくらい。
またタルツークでは野菜類が多いが、ここでは肉類が多いように思う。もちろん僕は比較的肉食には慣れているけども、城下町を何度か視察したときに、こんなに肉類を見た事がないくらい肉が売られていた。
タルツークでは主食の米粉をこねた、チェムと呼ばれるその生地を竈で焼いて、それに野菜類を挟んで食べる事が多いのだけども、ここでは様々な食べ方があるみたい。チェムに似た物も売られているけども、香りが違うので元の素材は違うと思う。
その他に多いのが果物類。色とりどりの果物はどれも美味しそう。タルツークでは果物と言えばペリンという黄色い果物が主流で、他の果物はあまりない。
皮の薄いペリンは、そのまま食べる事も出来る果物で、大きさは握り拳くらい。もちろんペリンはそのまま食べても美味しいし、色々と調理しても美味しい。
だけどもここイヌスラムダで見る果物は、それこそ人の顔くらいの大きさがある物もあれば、粒一つが指先くらいの物まで様々。もちろんどんな果物か分からないし、味も分からない。
それまで竜人国家しか見た事もなく、しかも王族という立場では、町に出て買い物という事はほとんど無い。あったとしても護衛付きで、決められた商店だけ。
むしろ、城に商人が売りに来る事の方が多いくらいだ。それに比べれば、今目にする光景は、何もかもが新しかった。
「ぼーっとしていないで下さい」
ロルベルトさんの声に我に返ると、急ぎ二人の後を追う。
「今まで何不自由ない生活だったのでしょう。すべてが珍しいですか? でも、あなたはこれから、ここにいる人たちと、何ら変わりない暮らしを行うかもしれないのですよ?」
ロルベルトに言われて再度周囲を見渡した。自分は本当にこんなところでやっていけるのかという不安が次第に増してくる。
「最初は誰だって怖いものさ」
まるで見ていたかのように、ペルさんが言う。
「そこの宿にしよう」
ペルが大通りに面した、少し洒落た煉瓦作りの建物に消えてゆく。赤煉瓦の建物が綺麗だ。慌てて僕も後を追った。
中に入ると、猫人系の女性がカウンター越しに立っている。そのすぐ後ろに、大陸の共通語で受付と書かれある。
「ああ、もうこんな時間でしたか」
ロルベルトが時計を見ずに時間を気にしていた。何故時間が分かるのだろう。
「早めに用事を済ませた方がいいな。受付済ませとくから、少し待っててくれ」
ペルさんの言葉に、ロルベルトさんは近くの椅子に腰掛ける。椅子はまだあったけども、座らずにそのままでいる事にした。
「別にこの様なときには座っても良いのですよ。まあ、嫌がるのを無理にとは言いませんので、好きにして構いませんが」
本当のところは、宿に用意されていた立派な椅子に一度腰掛けてしまうと、あまりの疲れから二度と立ち上がれないのではないかという不安があったからだ。
それに、竜人というのは時に不便な物で、椅子によっては長くて太い尻尾が邪魔になる。
置かれていた大半の椅子は、僕にとって座り心地が良さそうな物ではなかった。そして、座り心地が良さそうな椅子はロルベルトさんが座った椅子。
「ところで、何故先ほど時間が分かったのですか? 時計を見ていなかったと思うのですが」
すると、ロルベルトさんが首を振ってカウンターをさした。
「彼女ですよ。猫族は大抵夜に強いので、店番を夜行う事が多いんです。まだ交代して間もないと思いますが、少なくとも早めに今日済ませる用事は済ませた方が良いですね」
なるほど、夜行性という事なのかと思う。
タルツークでは、夜は店などほとんど閉まっているし、こういった都市では種族ごとに得意な分野で仕事をしているのかもしれない。
すぐペルさんが戻ってくると、手にしていた鍵は一つだけ。
「四人部屋が取れたぞ。三人部屋が良かったが、満室だった」
ロルベルトが仕方ないと言うと、荷物を持って立ち上がる。
「四階だ。部屋についたら少し休もう」
ペルの提案はとても嬉しい。
部屋についてまもなく、まだ日が高い事もあって、しばらく椅子やベッドでそれぞれが休んでいる。
僕は我慢できなくベッドに横になると、そのまま眠気が襲ってきて……
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
宿を出て、俺は手紙にあった近くの食事処に行く。
夕方だが、まだ時間は大丈夫だろう。手紙には、その店の左奥の個室で待っていると書かれていた。
「ここか……」
引き戸を静かに開ける。
中のテーブル席では二人組が待っていた。向かい合って座っており、手前に犬族、奥に人族がいる。テーブルは四人掛け用だ。
「オットー・ペルだ。待たせたか?」
犬族は茶色の毛並みで、毛は短い。人族の方は、少し色濃い肌色だ。座っているので身長は分からない。武器は見当たらなかった。
「待ったといえば待ったな。一日遅れだ。まあ、予想はしていたが。それで、問題のアレはどんな様子だ?」
聞いてきたのは犬族の方。
「まあ、今のところはおとなしい」
「申し遅れた。私はダル王国親衛隊のカリア・ドッペル。こちらはヨルムド王国親衛隊、ヤーチェ・エルマン氏。まあ、座ってくれ。何か食べるか?」
「親衛隊の方でしたか。失礼しました」
ダル王国は俺を意識して同じ種族の親衛隊を送ってきたのかもしれない。
「余計な挨拶は省略しようじゃないか。我々は真実が知りたい」
エルマンは手帳を胸元から取り出すと、俺が言う事をメモできる準備をする。
「報告と言われても、こちらからはたいして無いですが。最初は反抗的でしたが、今はすっかりおとなしいですし、少なくとも逃げる素振りはありません。指示通り、この町で武器を与えるつもりです。でも、本当によろしいのですか?」
そう言い終わるや否や、ドッペルが金貨を十枚テーブルに置いた。思わず唾を飲む。
「当面の資金だ。武器は一番良い物を買い与えてやるといい。君ら二人も同じ物を購入するんだ。どうせ、もう刃こぼれも酷いのだろう?」
ドッペルの置いた金貨を、懐にしまう。しかし、こんなに必要なのか?
「悪いが、ここから先接触できる保証がないのだ。一番の理由は、エルバ王国。どうも何か企んでいる。まだ確証はないが、我々の行動が敵に知られている可能性がある」
「我々ダル王国でも情報収集を行っているが、エルバ王国が連合から抜けるつもりのようだ。今のところ、その理由は分からない」
エルマンが通行証一式と、封筒を机に置いた。
それにしても、ドッペルの言っている事が本当なら、ダル王国は大丈夫なのだろうか?
「君の家族の事は大丈夫だ。今回の作戦が成功すれば、君の家族もヨルムドに行ってもらうつもりでいる。家族とは離れたくないだろう? それに、あの王子は中々良い代わりも用意してくれた」
ダル王国側のドッペルが言っているのだから、一応信頼は出来るだろう。
しかし、今置かれた手紙と、彼の言う代わりというのも気になる。
「この手紙は、もう一人の同行者に見せたら燃やせ。証拠を残すな。中には今後の予定が入っている。目的地は忘れるな。しかし、途中で妨害が入ったら、ルートは適時変更して欲しい」
エルマンの言い方から推測するに、俺たちが襲われる可能性があるという事か。
「君ら二人の使命は、可能な限り彼をヨルムドに連れてくる事だ。それも生きて。場所は王子の別荘だ。その為なら、多少手荒な事をしても構わない。本来なら、我々ヨルムド側から護衛をもっと付けたい所だが、我々も動きが取れずにいる。済まない」
「いえ。おっしゃりたい事は分かりました。しかし、もし奴が敵の手に落ちそうなときは?」
「その時は、どんな方法でも良いから殺せ。特にエルバ王国に渡るのは何としても避けてもらいたい。先ほどの資金も、その為の装備購入費だと思って欲しい」
「分かりました。では、これまでの経過を報告します」
私は、二人相手にメルサの詳細を話し始めた。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「それで、接触の方はありましたか?」
しばらくして、二人の会話が聞こえる。
起き上がる事も考えたが、しばらく寝たふりをして、何を話しているのか観察する事にした。
「さっき接触してきた。一応あいつを、このままラーベスに連れて行く。その後、王子の別荘へと連れてゆけとの事だ」
「別荘ですか。つまり彼の事は、あくまで非公式で扱うという事ですね。まあ予想はしていましたが。私たちの身分については、何か言っていましたか?」
「この手紙の中にある。読んでみろ。公表はしないらしいが、一時的に王子の世話役という事になるらしい。あくまで形式状の話だが。実際は何か別の意図があるらしいが、今の段階ではどれも推測の域を出ない。あの王子は、一癖も二癖もありそうだ」
ペルは、何か不満げな言い方をしていると思う。
「王子は、今の体制を変えようとしていますからね。彼もそのための道具として使うのでしょう。まあ、我々も同じでしょうけど」
道具という言葉には抵抗がある。
人を物のように扱うのは、いい気がしない。
そういえば、前にも同じような事を言われたと思ったが、何時だったか忘れてしまった。
しばらく間が空く。微かに何かが燃える臭いがした。
いったい何の事だかよく分からなかったが、少なくともラーベスに到着しても、手放しで歓迎でない事だけは何となく想像がついた。
「あと、ヨルムドの反王制派がこのところ勢力を伸ばしているらしい。すでに大きな組織が出来つつあるらしい事も耳にした。どこまで本当だかは分からないが、一応注意した方がいいと思う。陰で糸を引いているのは、どうもエルバ王国らしい」
どこの国でも、反王制派というのは出来るものなのかと、あたらめて思う。
「では、私たちも慎重に行動しなければなりませんね。亡国の王子を連れているなら、なおさらでしょう」
亡国と言われて、目に涙が浮かぶ。思わず枕に顔を沈めた。
「もしかしたら俺たちは、何か重要な事をやらされている一端かもしれないな。とにかく目立つような事だけは避けた方が良さそうだ」
「そうですね。行動には注意をした方がよいでしょう」
それを最後に二人の会話は終わったようだった。
行動といっても、竜人を連れて旅をしているだけで目立つのではないかとも言いたくなったが、さすがに寝たふりをしている以上それは言えない。白い鱗の竜人ならなおさら。
何か少し焦げ臭い臭いが一瞬したが、何を燃やしたのだろうか?
そのまま会話に加わるわけにもいかず、寝たふりを続けていると突然肩を揺さぶられる。
まさか聞いていたのが分かっていたのかと思った。
「おい、約束の武器でも買いに行くぞ」
ほっと胸をなで下ろすと、何事もなかったかのようにベッドから起き上がり、大きく一つ欠伸をする。少し眠れたおかげで疲れがだいぶ取れた気がした。
「さて、買い物ついでに飯にするか!」
ペルさんは夕食にありつける事の方が嬉しいらしく、いち早く部屋から出て行く。
僕とロルベルトさんも、その後を追うように階段へと向かった。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
日もだいぶ落ちてきて、通りは次第に暗くなり始めている。
とはいえ、商店がひしめく中央通りは、あちこちにランプが備えられており明るい。
色々な種族も交差している。当然、特定の種族専門店というものも中にはあったが、ほとんどは万屋的な商店だ。竜人族専門店は、一軒もなかった。
そもそも竜人族は、タルツーク地方以外にはあまりいない。当然竜人族専門の店など構えても、商売にならないのだろう。
しかし、尻尾の部分がどうしても普通の服では都合が悪いので、時折見る竜人族はどこで服を手に入れているのか分からない。
奇妙に思えたのは、豚の丸焼きや子牛の姿焼き、トカゲの姿煮といった物。
直接の血縁がないにしても、似たような種族が食用として売りに出されるのは、見ていて気持ちが悪い。
今まで竜人族の中にしかいなかったから、分からなかったのだろう。やはり猪族や牛頭族が見たら、嫌な顔をするのだろうか。
「うーん、メルサ、どんな武器がいい?」
ペルがそんな事をよそに聞いてくる。
ロルベルトさんは、僕が気になっていた事に気がついたようで、こっそり『慣れるしかないね』と言ってくれた。ペルはどうも、そういった所に無頓着だ。
これといって気に入った武器も見つからず、しばらく進むと路上に布を広げただけの、いかにも怪しげな店がある。
狐人系の店の主人もどこか怪しげだ。本来狐人系の人は黄色い毛並みが綺麗なはずなのに、どこかくすんでいる。
大体、武器など詳しくない。それで選べと言われても無理がある。
目の前に置いてある物は、宝石類から武器まで様々で、おそらく盗品かそれに類ずるものだろうという事は、容易に想像できた。
ただ、そこに置いてあった一本の棒に目がとまる。
見た事は無いはずなのに、どこかで見た事のあるようなそれは、柄の長さが三十エスクほど。先には長さ二十エスクはあろうか、不釣り合いなほど長い両刃がついていた。
ナイフにしては長いし、かといって槍というわけでもない。僕の腕より少し短い位の長さがある。
刃そのものはよく手入れがされているようで、盗品とは思えない美しさを放っている。
柄の部分は白い素材で出来ており、昇り竜と思えるような模様が浮き彫りされている。
「それは何ですか?」
思わず口にしてから、二人の顔色を伺う。もっとましな物があるだろうにという顔だったけど、値段も安く、別に駄目というわけでもなさそうだ。
「出所は俺も知らねえんだ。何でもどこかの戦場で拾った物らしいが、見ての通り使い勝手が悪そうだろ? 並べてはいるが、全く売れねえ。欲しけりゃ安くしとくぜ?」
確かに値段は、武器にしては格安だった。そもそも武器なのかも怪しい。
置いてあるほかの武器と比べると、値段は四分の一程度。で銅貨五枚。二人とも好きにしろといった顔だったので、思わずそれを手に取り、ペルさんが代金を渡す。
手に持った瞬間何かを感じたけれど、それが一体何か表現出来ずにいると、店主が後ろから革製の鞘のような物を取り出した。
「別にその鞘って訳じゃないんだが、これも売れ残りだし、よかったらタダでくれてやるよ」
その言葉に甘えて受け取る。早速それを鞘に入れてみると、刃の部分がちょうどすべて覆われ、腰に下げる留め金もついていたので、持ち運びには便利そうだ。
店主に深々と頭を下げ、次の店に行く事にする。
「それじゃあ戦いには向かないね。まあ、ナイフの代わりにはなるだろうけど。ナイフ一つ使えないみたいだから、この機会に覚えるのがいいかな。そこの武器屋で何か手頃な武器を探そうか」
ロルベルトさんは、僕が先ほど購入したナイフのようなものを腰に下げるのを確認して、一番近い武器屋を指す。僕らは吸い込まれるように、その中へと入っていった。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
さすがに武器屋には、多種多様な武器が揃っていた。
大金槌や鉄球、ナイフや剣、鎖や槍など色々あったけども、具体的にどう使うのか分からない武器もある。単なる鎖としか思えないのもあるのだけど、これも武器なのかと疑いたくなる。
「主人、こいつに手頃な武器はないかな」
ペルさんが店の中にあるカウンター越しに聞いてくれた。
ナイフや剣を見ていたけども、これといって気に入った武器は見つからない。
城で与えられた武器は、どれも立派な物だった。それと比べると見劣りしてしまう。とはいえ、高級品を要求できる立場でない事も分かっている。
「旅の方ですか? それだと、あまりかさばる物はお勧めできませんね。中程度の長さの剣が、取り回しも良く一番お勧めですが、それ以外となると、初心者用の槍でしょうか。短い物でしたら、背丈ほどの長さのもありますし。もちろんナイフなどもお勧めですよ」
全身真っ黒な、熊人族の店主がいくつかカウンターに武器を並べた。
低い声でちょっと最初は怖かったけど、思ったよりも気さくな人かもしれない。
置かれた武器は、ほとんどが柄が二十から三十エスクくらい、刃渡り六十エクスから一リールの中程度の長さの剣だ。
握り手は、指を通すタイプの物もあれば、直接握るだけの単純な物まで。種族によって持ち方が異なる事があるのかもしれない。
熊人族の体格が良いためか、どれも小さく最初は見えたけど、よく見るとそれなりの大きさだ。実際熊人族を見るのは初めてだけども、体つきだけでも僕より背が高く、さらに横幅もある。真っ黒な毛並みはどこか恐怖を覚える。力では簡単に負けそう。声が優しくなかったら、逃げ出していたかも。
「荷物になるような長さの槍は困るな。ナイフは別のところで買ったから結構だ。あと、軽い物があればそれがいい。荷物は軽い方がいいからな」
店主がさらに数本カウンターに剣を並べた。大きさは先ほどと大して変わらないように見える。握り手部分は普通のまっすぐなタイプのみ。
「見た目はそう変わりませんが、マーライト鋼で出来た品々です。軽くて切れ味抜群。鋼鉄の剣と比較しても遜色はありませんが、その分値段は張りますよ」
いくつか手に取り、確かに軽くて扱い良さそうな剣だと思う。
竜人族は力が強い者が多いので、鋼鉄の剣が主流だけども、この様な剣もあるのかと正直驚いてしまった。
「でも、竜人族の方が使うのであれば、鋼鉄でも問題はないと思いますがね。後はデザインや、持った感触で決めていただく以外には……」
店主は正直勿体ないといった感じで、僕を見ている。仕方がないのかもしれない。
「彼だけが使うとは限りませんので、一応色々探しています。お金の面は気になさらずに」
店主は黙って店の奥から、一本の剣を取り出してきた。少し細身の剣だけども、明らかに刃の輝きが今までの物と違う。
「それなら、こんなのはどうですか? 値は張りますが一級品です。リンムナイトの合金で出来た剣ですが、性能は保証します。こいつなら、鋼鉄の鎧ですら貫きます。当店で扱っている中でも、特に良い品です。おそらく町中探しても、これよりも良い物は少ないと思いますよ」
持たせてもらったところ、確かに他の剣と比べて格段に軽く、なのに重心が取りやすい。とても扱いやすそうだ。それに、柄の装飾もなかなか良くできており、赤と紫の装飾がされている。
「そこで試し振りなら出来ますよ」
少し奥にある、広いスペースを指して教えてくれる。移動して一度振ってみる。軽いのに、きちんと手応えもあり、良い品だという事はすぐに分かった。
「気に入ったなら、それでもいいんだぜ?」
少し戸惑ってしまう。初めて買い与えられる物が高級品だと、正直遠慮してしまう。
「今なら専用の鞘もお付けします。あと、握り手は多少の変更は出来ます。どうなさいますか?」
結局その剣を手に取り、ペルさんが代金を支払った。
さらに二人も、今持っている剣を下取りにして、新しい剣を新調する。
握り手の所も、それぞれ持ちやすいように少し変更してもらう事にした。とはいっても、僕とロルベルトさんはほとんど変更はなし。
ペルさんだけ、親指が引っかけやすいようにしてもらう。
確かに二人の使っていた剣は、だいぶ使い古されており、所々刃こぼれもあった。以前から使っていた剣なのかも。
気をよくして、店主は通常よりも何割か安く品物を売ってくれたようだった。
今購入した剣を左腰に、先ほど購入したナイフのような物を右腰に下げると、一応それらしく冒険者のような格好になる。
といっても、防具は旅人がよく着るような服なので、武器は良くても防御がまるでおろそかな事は否めなかった。
しかし普通の旅人を装うからには、これ以上の装備は出来ないだろう。
最近は戦時中という事もあり、武器を携帯する事自体は珍しくないそうだ。
混乱に紛れて、一部では盗賊も出ているらしいと、以前ロルベルトからも聞いた。義勇軍を名乗って、村や町を襲う連中もいるとの事なので、用心に超した事はない。
武器屋を出ると、今度は夕食の店を探す。こちらはすぐに見つかった。
先ほどの店からそう離れていない場所が、飲食店街になっており、様々な料理屋が並んでいた。
そのなかで、一番手頃そうな店をロルベルトさんが選ぶと、早速テーブルについてメニューを見る。
どの種族でも食べる事が出来るようにという配慮なのか、比較的無難な品々がメニューには並んでいた。
「この、タオスのパーニャ風味って何ですか? いくつかは知っている食材も載っていますが、正直何が何だか……」
「それは川魚の料理ですね。パーニャとは、この地方の果物で味付けしてあるのだと思いますよ。魚料理は食べた事がありませんか?」
タルツークで、いくつかの魚が捕れる事は知っていたけど、この魚の名前は知らない。
「あれだ、分からないなら食ってみろ。別に魚料理が駄目ってわけじゃないんだろ?」
すぐにペルが店の人を呼んだ。
「これと、これ。あと、この酒を二つな。あと水一つ。その他はまた後で頼む」
メニューを見ながら、慣れた感じでペルさんが注文した。お酒と聞いて、ちょっと楽しみになる。そういえばだいぶ飲んでいない。
「おい、勘違いするなよ。お前は酒は禁止だ。理由は分かるよな」
「はい……」
そうペルさんに返すしかないのが、とても悔しいけども、どうしようもない。
すると、今度はロルベルトさんが腰のポケットから、何かを取り出す。よく見ると煙草のようだ。
「やっぱり、食事の前に一服が私は好きなんですよね」
「俺は吸わねぇからわからねえな。そういやメルサは吸うのか?」
「たまに吸っていました。たまにですが……」
「分かってるよな?」
「はい……」
つまり、煙草も禁止だという事。まあ、元々今は持ってないし、吸いたい気分でもないから構わない。
よく見ると、ロルベルトさんが取り出したのは表面を白っぽい紙で巻いた煙草。表面を紙で巻いたタイプは吸った事がない。
「初めて見る煙草ですね。僕が吸っていたのとは、違うみたいです」
「お前、どんなのを吸っていたんだ?」
「タバコの葉を何十にも巻いて、そのまま火を点けて吸っていました。タルツークでは、紙で巻いた煙草を見た事がありません」
とたん、足を強く踏まれる。
「場所考えて地名を言え。まあいい。お前、そんな高級品吸っていたのか?」
「え、高級品なんですか?」
「ペル、可愛そうですよ。彼は多分知らないのです」
「ああ、そういう事か。普通な、お前が言った煙草というのは、葉巻って言うんだ。ロルベルトが吸っているのとは全く比較にならないほど、高級品だ」
高級品と聞いて正直驚く。タルツークでは、確かに紙で巻いた煙草なんて見た事がない。
「葉巻一本で、この煙草が何本買えると思ってるんだ?」
「でも、本当に僕は今まで見た事がないんです。戦場にいたときも、みんなその葉巻ですか?それを吸っていました。多分国には紙で巻いたのは無いと思います」
「おいおい、マジかよ……」
「どうやら本当なのかもしれませんね。メルサ、葉巻をこの辺で買おうと思うと、この煙草の値段の何十倍もします。物によっては、何百倍という事もあるんですよ」
「そ、そうなんですか。勉強になりました……」
本当の事なのか疑問に思う。
別にタルツークでは紙が不足しているといった事はない。でも、確かに町の視察をしたときも、普通の農民が葉巻?というものを皆吸っていたはず。高級品で無い事は確か。国や地方によって、こんなに違う物なのか、正直分からない。
そんな事を考えていると、テーブルに飲み物が運ばれてきた。二人には指の長さほどのガラスのコップに三分の二ほど透明なお酒が入っているようだ。
僕にはその代わり、細長いガラス製の物が置かれた。中に入っているのは水のようだ。
「この辺の酒っていうと、透明なんだな。それとも、高いからか?」
「この地域では、米を使った酒を造っているそうですからね。私も詳しくはないですが、高い物だと透明と聞いた事があります」
「どれどれ……うっ、結構きついぞ。俺がいつもこの町で飲んでいたのは、安酒だったからなぁ」
「そうですか? では私も……うん、美味しいです。確かにちょっと酒の濃度が高いみたいですね」
そんな会話を聞くと、なんだか余計に寂しい。
「顔に悔しいって書いてあるぞ」
急にペルがそんな事を言ってきた。
「からかったら可愛そうですよ。どうせペルの事です、そのうち飲ませてあげるのでしょう?」
「まあ、いつかはな。しかし、今日でない事は確かだ」
いつかは分からないが、少なくともずっと禁止ではないらしい。
「お前ってさ、口は確かに俺の言った通りにしているけどよ、まだ考えている時は、昔の癖が直ってないよな。雰囲気で分かる。内心呼び捨てにしているよな?」
「え、何のことですか?」
僕を見ながら、ペルさんがよく分からない事を言う。
「それだよ、それ。口ではペルさんとか言っているが、どうも内心は昔のままな感じがする。時々態度に少し出るんだよ。口で説明出来ないけどな」
「そ、そんな事ないと思います」
図星だった。でも、それを言うわけにはいかない。気にしないふりをして、水を一気に飲む。そばに置いてあった水差しで、コップに水をつぎ足した。
「まあいいさ。ラーベスまではまだ長い。しっかりとその辺も直してやらないとな。一応俺たちは、教育係でもあるからよ」
「ペル。お酒が入って、少し人が変わっていませんか?」
「口が悪いのは元々だ。否定はしないさ。久しぶりの酒だしな。誰かさんを捕まえるので、ここのところ酒どころじゃなかった」
また嫌な過去を思い出す。仲間はあの後どうなったのだろう……
「料理お待たせしました。こちらに置きますね」
会話に割って入ってきたのは、お店の人。
綺麗な黄金色の毛が眩しい狐人。尻尾が太くて、なんだかフサフサして気持ちよさそう。あまり他の種族の事は分からないけど、たぶん女性だとは思う。声がとても透き通っていて、ちょっと印象的な声。ピンクの制服が綺麗に見える。狐人族は、みんなこういった声なのかと思ってしまう。
「早いね。この料理はそんなに簡単な物なのかな?」
そういえばロルベルトが言うとおり、確かに料理が来るのが早い。
「今日のお勧めですからね。どんどん作っているんですよ。注文聞いてから作ったのでは、間に合わないくらいです」
ニコリとしながらお辞儀をして、テーブルから去っていった。
「まあ、いいんじゃねえの? 他の客の料理って訳じゃないみたいだしよ。それよりも、早く食うぞ」
真っ先にペルさんが、魚の乗った大皿にフォークとナイフを突き出して、素早く自分の分を取ってゆく。
よく見ると、ここのフォークは歯が四本。タルツークでは二本の歯だったので、国や地方によって違うのかもしれない。
「ほら、メルサも自分のを取りなさい」
ロルベルトさんに言われ、自分の小皿に魚を取り分けた。
魚自体は結構大きくて、肘の長さはある。蒸した魚料理みたいだけど、手のひらを広げたくらい大きいから、三人でもちょっと多いと思えるくらい。その上に付け合わせの何かの葉と、黄色い果物か何かが輪切りになって並べてある。
もう一つの皿も魚で、こっちはもうちょっと小さい。それでも一人分以上は軽くある焼き魚。魚の周囲には蒸した緑や黄色の野菜が並べてある。
「結構旨いな。川魚だから泥臭いかと思ったが、そんな事はない」
「お店の裏にある生け簀で、十日ほど泥吐きさせていますから」
先ほどの人が、別の料理を持ちながら僕らのそばを通り過ぎるときに教えてくれた。
「結構手間がかかっているみたいですね。値段もさほど高くないし、量も多いので好都合です」
ロルベルトが自分の分を取り分けながら言う。一口食べてみたら、確かに美味しい。
魚本来の柔らかい身に、一緒に蒸した葉や果物の香りがついて、余計に美味しくさせているようだ。淡泊で食べやすいのも良いかも。あまり脂っこいと、後で胸焼けしてしまう。
「お口に合ったようで良かったです。お好みで、そこにある緑のソースを少しかけると、また味が変わって美味しいですよ」
また店員さんが、通過しながら教えてくれた。
結局食事は魚料理の味や、この地方のお酒の話などをしながら完食。結構量があったと思うけど、実際美味しく食べる事が出来た。
三人で食事を済ませると、ロルベルトさんが話を切り出す。
「ここから先は馬車での旅になると思いますが、メルサの身分証は大丈夫なのですか?」
そう言われると、身分証を持っていなかった。
途中の検問所でも二人は身分証を見せていたけども、僕は見せていない。
どこの国でも、最低限出身地や性別、名前などが記載された物を持つのが通例らしい。とはいえ、僕はそのような物には正直無縁だったけども。
ペルが薄笑いを浮かべながら、テーブルの上に薄い木の板のプレートを置く。僕の名前であるメルサの名前などが書かれている。
「さすがに渡しておくか。俺が毎回出すのも面倒だ。無くすなよ」
手に取りその板を見つめる。手のひらにのる程度のそれは、僕がもはやエルヤ・オル・セルバロードでは無い事を証明していた。
「名前が恋しいですか? 忘れる事です。あなたはメルサですから」
ロルベルトにそう言われて、思わず手が止まる。何かを言いたかったが、それが何か分からず、静かに板を胸のポケットにしまった。
ついでに二人の身分証を見せてもらう。二人は紙製の身分証だ。書かれている内容は、名前以外は全て嘘らしい。
「俺の本物の身分証は、軍で保管されているからな。軍というか、騎士団か。一応これでも、部隊に戻れば騎士長だぞ。階級は上がったばかりで、部下なんかいないけどな。それに、今は本物を持ち歩けないが」
ペルさんは小声で笑う。騎士長というと、あのフェグも騎士長だった。
「それなら私だって、近衛第三隊騎士長ですよ。もちろん本物は城にありますし、私自身、身分証は一度しか見た事がありませんが」
ロルベルトも小声で笑っている。
「ちなみに第三隊が、闇の仕事専門の部隊ですけどね。階級が上がっても、口頭で伝えられるだけです」
ロルベルトさんの顔に、どこか寂しげな表情が浮かぶ。
何度か任官式に立ち会った事が、口頭でしか伝えられないロルベルトの思いが、いまいち分からない。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
食事が終わった後、他の店を物色する。旅に必要な物を揃えてゆく。
ロルベルトも、もしもの時のためにと魔法防御のアクセサリー数点を購入し、ペルは主に食料品の買いだめをしていた。
僕はこれといって買いたい物もない。ロルベルトさんの購入している物を見ながら、何か良い物がないか探す。すると、道角の犬人露店商のところにある腕輪が気になった。灰色の毛並みが汚れた彼は、いかにも怪しそう。
幅は指三本分程度の銀色の腕輪で、両腕につけるタイプになっており、値段は高くない。自分が竜人族だからだろうか、竜の模様が描かれているのがとても印象的に見える。
ほかにも数点、魔法効果のあるイヤリングや御札の類、ペンダントなども置かれていた。
「メルサ、何か気になった物でもありましたか?」
品物を注視していたようで、ロルベルトさんに言われて我に返る。
「その腕輪が気になっていたんじゃないですか? そう顔に書いてありますよ」
思わず見つめ返してしまう。冗談とすぐに分かり微笑みで返した。
「あれに何か感じる物があるんです」
「感じる物ですか……主人、その腕輪はどんな物ですか?」
ロルベルトさんが、代わりに店の主人に聞いてくれる。
「あー、えーと、確か自分の魔力を増幅する腕輪だな。ただ、竜人族にしか効果が無いらしい。欲しいなら格安で売るよ。どうせ竜人族なんて滅多に来ないしね」
金額を聞き、想像以上に格安な事に驚く。その腕輪をお願いして、ついでに竜人族のお守りと説明があったペンダントもお願いした。
それぞれの品を袋に詰めてもらい、一通り買い物も終えると、宿に戻る事にした。
早速部屋に入って、先ほど購入した剣とナイフのような物、アクセサリー数点を取り出してみる。
そして、腕輪をよく観察していると、あまりのショックに驚きの声を上げてしまった。
腕輪の裏には小さな文字で『イグリア・フェグ ペンシルダ タルツーク』と彫られていたからだ。
イグリア・フェグ……僕の部下だった男。そしてそれに続くのは出身地。まさか彼の品を見つけるとは、思ってもいなかった。
「どうかしましたか?」
驚きの声を聞きつけて、ロルベルトさんが寄ってくる。ペルさんも何事かというような顔でこちらを見ていた。腕輪をロルベルトさんに見せる。
「なるほど……昔の仲間ですね?」
「はい……」
「忘れろ」
ペルさんの一言だけの反応に、どう答えて良いのか分からず戸惑ってしまう。
「おそらくこの腕輪の持ち主だった方は死んでいます。戦利品として調達したのが、闇ルートで流れてきていたのでしょう」
「全く余計な事を……いいか、お前はもうメルサなんだ。昔の事なんかきっぱり忘れちまえ。思い出じゃ食っていけないぞ」
明らかにペルさんは苛立っている。理由は分かるけど、返す言葉がない。
「そんなにそいつの事が大切だったなら、肌身離さず持ってろ。それがお前に出来る罪滅ぼしだ」
思わず涙が溢れる。
どのような経緯かは分からないけど、フェグがもうこの世にいないかと思うと悲しくて仕方ない。
僕は取り返しのつかない事をしてしまった。彼にも家族があったのに……
「負けるって事はそういう事だ。探せばお前がつけていた装備だって見つかるかもしれないが、それがどうした? そんな物を見つけても何も変わりはしないんだ」
ただ俯いてしまうのが情けない。
「まあまあ、二人とも。メルサ、彼のためにもこれを身に付けていたらどうですか? 彼はもういないかもしれませんが、あなたの心の中にはいる。あなたが忘れなければよいのです」
思わず嗚咽を漏らして泣き崩れてしまった。
あの時もっと注意をしていればと、今になっても悔やみきれない。だけどどんなに泣いたところで、部下たちは戻ってこない。
「町に文字を消してくれるお店があるはずです。消してもらいますか?」
ロルベルトさんの提案に、首を横に振る。二つの腕輪を腕にはめた。
「僕はもうメルサかもしれない。でも過去をそう簡単に忘れられるほど、人は便利に出来てはいない。彼の形見として受け継ぐ」
きっぱり言うと、ペルさんはやれやれという顔をして、購入してきた荷物の整理に戻った。
「そういう所が、昔の癖が直ってない証拠だ。どちらにしろ、後で購入した物に名前を彫りに行くぞ」
少し怒ったようなペルの声。何の事かと思っていると、ペルさんが購入した品物をいくつか見せた。
「盗まれても後で盗品と分かるように、最近じゃ名前を彫るんだよ。竜人族の国じゃなかったのか? まあ、ちょっとした保険みたいな物だ。だからといって、盗まれた物が出てくる事は希だがな。少なくとも、俺は出てきたという話は知らない」
もう一つのペンダントを見る。こちらはお守りと聞いたけど、何から守ってくれるのかは分からなかった。ただ、今は何かに守ってもらいたい気持ちでいっぱいで、すぐに身につけた。たったそれだけで、なんだか心が落ち着いた気がした。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
荷物の整理もあらかた終わり、宿の近くにあった彫り師の所に出向くと、持ち物に名前を彫ってもらう。もちろん名前は『アーツ・メルサ』。
先ほどの腕輪の裏側にも、元々あった名前の下に『君を知る者より 君を忘れない メルサ』と掘ってもう。
二人は何も言わなかったけど、そう彫ってもらった事で、二度とあのような事にならないと、心に静かに誓う。もう仲間を失うのは嫌だ。
名前を彫り終えると、それぞれを宿に戻る。こころなしか心は安らぎを得る事が出来たのは、腕輪の影響があるのかも。
せめて彼が生きていてくればと思うが、今は考えない事にした。
宿で明日からの馬車旅のための準備を再度確認すると、それぞれのベッドで横になる。
さすがに武器はベッドの横に立てかけたけど、腕輪とペンダントだけは身につけて寝る事にする。
ベッドに座ると、明るいうちに購入したあのナイフのような物が、腰に付いたままになっていた事に気がついた。さすがに付けたまま寝るのは変だと思い、ベルトから外す。
外したところで鞘から出し、それをよく観察してみる。
それは見れば見る程、おかしなナイフ。まず、ナイフにしては全長が長すぎる。全長で腕の長さ近くある物をナイフと呼べるのか。むしろ、小型の槍。何度か持ち直してみて、色々感触を試す。ナイフの持ち方をすると、刃の位置が遠すぎる。
「どうかしましたか?」
いつの間にかロルベルトさんが後ろにいる。何をしているのか気になっていたようだ。
「買ってはみましたが、ナイフにしては使いづらそうで、元々何に使う物か調べていました」
「確かに不思議な形のナイフですね。もしかしたらナイフではないのかもしれません。でも、メルサが好きなように使えばよいと思いますよ」
再度ナイフを見つめる。
そういえば、刃の部分が両刃で、槍に似ている気がする。試しに柄を槍のように握って振ってみた。
「え!」
突然ナイフが発光すると、僕の身長よりも長い槍になる。
偶然伸びた方向がよく、壁や窓を壊さずに済んだけど、もし壊していれば面倒な事になるところだった。
それにはロルベルトも驚いたようで、言葉を失っている。
ペルも慌てて来て、何と言ってよいのか分からない。
槍は白い槍で、柄の部分には昇り竜の模様がいくつもある。伸びたのは柄の部分だけのようで、刃の大きさは同じみたいだ。ただ、どこかで見た事がある気がする。
「こんなの初めて見たぞ。それは一体何だ? 一体何をした?」
ペルの慌てた立て続けの質問に、柄を握って振っただけと伝えると、黙ってしまう。微妙な空気が流れる。嫌な空気だ。
「とにかく誰も怪我もせずに良かったです。それにしても一体これはどういう事でしょうか?」
理由が分からず、ただ黙っているしかなかった。
「ちょっと貸してみろ」
ペルさんがそう言うので、その槍のような物を手渡ししてみると、再び変化が起きる。
突然槍が強烈な光を発し、ペルの手に渡った時には元の変わった形のナイフに戻っていた。
「じょ、冗談だろ。これは間違いなく魔法がかけられた品だぞ。こんなのは滅多にお目にかかる事はない……」
そう言われてハッとした。以前父から譲り受けた品のうち、魔法の槍があったと思ったからだ。
ただ、それは普段槍の形をしていたと思う。たしか戦場に持ってきていた槍の筈だった。ただ、どんな物か思い出す事が出来ない。
目の前にあるのは変わった形のナイフ。この様なナイフは記憶に全くない。戦場にナイフは持ち込んでいないはず。
「と、とりあえずこれは返す。俺はこういう品は嫌いだ。何が起きるか分からないからな」
確かにペルの言うとおり。ちょっと振ったりしただけでナイフが槍になるのであれば、危なくて持っていられない。
「困りましたね。下手に処分もできないでしょうし、せめて、何がきっかけでこれが変化するのか分かればよいのですが」
返してもらったが、今度は何も起きなかった。
再度色々な角度から見てみたけど、仕掛けのような物はどこにもない。
「ちょっと外に出て、いろいろやってみろ。何か分かるかもしれない」
慌てて外に出た。辺りは暗い。おかげで人影はないので、面倒は避けられそう。
「とにかく何かやってみろ。このままじゃ危なくて中に置けないぞ」
でも、何をすればよいのか分からず、とにかく振ってみる。今度は何の変化もなかった。
「魔法の品なら、ただ振るだけでは駄目なのかもしれませんね。何か鍵になるような事をしなければならないのかもしれません。闇雲にやっても解決しないでしょう」
確かにそのとおりだ。でも鍵になるような事など思いつかない。
「槍の状態に変化した時に、何か考えたりしませんでしたか? 見たところ、おかしな所は見あたりませんし、使用者の心を読むのかもしれませんね。特に魔法がかけられた物なら」
槍をイメージして振ると、再びナイフが発光し、槍に変化する。
「何をしたんだ?」
「以前持っていた槍の事を想像したんです。刃の部分が似ていたので……」
ロルベルトが何かを考えながら見つめている。
「なるほど。それは槍の形をイメージすると、元の形に戻る武器ですね。試しに槍のイメージからナイフのイメージに戻してもらえますか」
ナイフのイメージを思い浮かべると、ナイフの状態に戻った。
「間違いなさそうですね。なかなか面白い物です」
ロルベルトの言葉に、ペルが嫌な顔をしていた。
「俺は面白くない。基本的に魔法は嫌いだし、他にも秘密がある可能性もある」
確かにペルさんの言う事は、尤もだと思う。
「他の武器のイメージをしてみてください。剣や斧、弓など」
剣をイメージしてみた。何の変化もない。斧や弓も同様。
「だめですか? という事は、槍以外は受け付けないのでしょう」
ロルベルトさんはさらに悩んだ顔をしていた。
「魔法院で調べれば、もっと色々分かるかもしれませんが、今はラーベスに向かわなければなりませんし、ペル、どうしますか?」
ペルさんもどうするか分からないようで、困った顔。
「どうもこうも、ラーベスで調べる以外にないだろう。メルサ、必要なとき以外そいつには触るな。何が起きるか分からないからな」
ただ頷くしか出来なかった。