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 リタストリア大陸北方にある、竜人国家のタルツーク王国とヨルムヘルイド連合王国が戦争を始めてから、すでに二十年の月日が流れていた。


 事の発端は、元々曖昧になっていた国境で見つかった鉱山。その領有権を巡っての争いが、いつしか領土拡張戦争へと変貌した。


 戦局は我が国、タルツーク王国軍が優位に進めていたが、補給線がかなり伸びている。それもあり、士気の割には疲弊が色濃い。上級幹部はそれを黙認し、最前線は日夜ぎりぎりの戦い。


 それでも戦線維持のため、王国は次々と兵士を前戦へと送り込んでいる。すでに国民の三分の一が、何らかの形で戦争に関与しており、王国の経済は戦争中心へと変貌している。本来なら、もっと必要な事があると思うのにだ。


 それでも国内の農業や工業は続けなければならない。男たちが戦場に赴く中、女たちが鉱山や工場に汗いそしんでいる。主な産物は麦で、鉱山では鉄がよく採れた。しかし、その多くは戦場に運ばれ、国内経済は破綻寸前。特に鉄は剣に加工され、国内で必要な農具などに使われる事は無い。誰もがそれを分かっているが、それを誰もが止める事が出来ない。


 そんななか、前戦の士気鼓舞のため、一人の白い鱗をした将官が最前線に赴く事となった。私こと、第一王子であるエルヤ・オル・セルバロード。軍団長として赴任。


 そもそも、我々は竜人族と呼称しているが、同じ竜人族でも見た目がかなり違う事がある。特徴的なのは鱗に覆われている事。それも全身が覆われているので、毛もない人族と比べれば、それだけでも防御力がある。このような事は竜人族と他の種族とを見分ける方法に過ぎない。鱗の色も様々だが、緑が多い。また、腹側は必ず白に近い。ただ、私は白い鱗なので、腹とそれ以外の区別はほとんど出来ない。そして、その腹が一番強度が弱い。


 見た事は無いが、希に翼を持つ竜人族が生まれる事もあると聞くし、その翼も羽毛で出来た翼と、薄い皮の膜で出来た翼の二種類あるらしい。ただ、なぜ翼の形状が異なるのかは知らない。


 顔は口と鼻だけが前に出ており、目は正面で鼻の後ろ上側になる。他の種族では目が顔の横に付いている者もいるらしいが、城からほとんど出ない私にとっては、正直興味がない。もう一つ特徴的なのは尻尾だろう。長い者だと、自分の身長と同じくらいの者もいるが、大半は自分の足の長さより少し長い程で一リールと少し程。身長が二リールを少し下回る者が殆どで、人族に比べれば少し高い。尻と尻尾の結合部は太く、先端になるほど細いのも特徴。


 鱗も堅いとは言われているが、その堅さは様々。岩のように堅い鱗を持つ者や、刃物で簡単に傷付く者もいる。そんな私の鱗は、どちらかと言えば柔らかい方。それでも、剣で突きを直撃しなければ、致命傷になる事はたぶん無いだろう。


 その他は、やはり髪と鬣だろう。しかし鬣がある者は少ない。髪の色は様々。黒や白はもとより、赤や黄色など。また、髪は頭頂部のみの場合がほとんど。私は、尻尾の先端まで黄色い鬣がある。この違いは分からない。一つ言えるのは、王族は全て鬣を持っている事だ。この理由も知らない。私は白の鱗に黄色の毛のコントラストが眩しいと言われる事がある。

 竜人族と他の種族で違うのは、股の作り。他の種族はそのほとんどが、胴体と股は真っ直ぐなのに対して、我々は股が少し横に出ている。学者によれば、進化の過程でこうなったらしいが、私はその辺の事が分からない。


 そんな私の率いる第二軍は、連合王国軍と側面から戦い、すでに敵の半数を損耗させた。今現在の彼我兵力差は四対一。このまま戦闘を行えば、誰の目にも勝利は確実。敵の正面を受け持った第一軍と違い、側面からの攻撃を受け持った我々の損耗は、比較的軽微。


 第一軍を囮にした作戦は功を奏した。しかし、第一軍の犠牲は大きい。だが、それをも上回る戦果だといえる。膠着状態の戦線を、ほぼ一ヶ月で王国軍有利に進めていた。まさか二十日程度で、これ程の戦果が上がるのは予想外だ。


 日が暮れてだいぶ経つ。草原にはいくつもの煙がなびいている。煙の下には、我々が野営している。周囲のテントでは、食事が行われているだろう。馬の息づかいも聞こえている。目前に迫った最後の決戦に備え、おそらく最後の夕食。前方にあるのは、もはや敵の拠点のみ。この攻略で、戦いは大きな局面を迎えるはずだ。

 テントの一つに、赤い生地で金の竜が刺繍された、将官旗がなびく。将官旗は幅三リール、高さ二リール半はある大きなもので、明らかに周囲から目立っていた。私と副官とで、今後の方針を話し合っている最中だ。


「王子、少し敵に甘すぎませんか?」


 胸の金の竜の横顔を模った階級章が騎士長を示す、赤い鱗の男が副官のイグリア・フェグ。少ししわがれた声だ。金の階級章は幅三エクス。指よりも少し短い長さだ。緑の戦闘服に赤い鱗が眩しい。さすがにそれなりの年配者。声も若い時と比べれば、幾分低くなっている。


「部下が外で聞いてかもしれないのだぞ。王子は止めてくれ。それでなくても、私はお坊ちゃまと言われているんだ。分かったな、フェグ騎士長」


 食事の手を止め、王室から持ってきた、儀礼用の槍に触れる。私の五本の指のうち、人差し指が槍の柄をなぞる。この戦闘が終わったら、この槍を持って凱旋する予定。長さ三リールはある大きなこの槍。昇り竜の装飾の槍は、以前から王室に代々伝わる品の一つで、私が生まれた時に受け継いだ物の一つ。王室の長子の男子が受け継ぐと決まっている。しかし武器にはあまり興味が無い。


 いい加減、軍用食には飽きてきた。その殆どが携帯食。米を加工して焼いた物で、四角く平べったい。栄養はあるらしいが、喉が渇くのが難点。その他にも肉が少々。これは全て燻製になっている。城での食事が懐かしい。それでも、愛用の金食器は持ってきている。さすがに一般兵は鉄製の食器だが、私とフェグは金食器で食事の最中。携帯食とはいえ、お湯で戻せば一応温かい食事にはなる。


 他の兵士たちとは違い、私だけ黒い軍服を着ていた。携帯食なので、服が汚れる事はない。黒の軍服に白の鱗は目立つが、司令官という役職上、野営地では着用する必要がある。ただ、それも司令部にいる時だけの話。戦場では緑の軍服。戦闘中に一人違う軍服を着れば、狙われるからに他ならない。


 昔は指揮官というと一般兵と違う服装だったが、弓が発達し指揮官を狙われる事が多くなった為、戦闘中は同じ服を着る事になった。いくら弓矢でも、飛距離の長いものでは相当な距離を飛翔する。目の良い者で弓の名手なら、命中も可能だろう。そんな中で目立つ格好は出来ない。事実、それで命を落とす者も多かった。


 本当は、戦いは嫌いだ。それでもいずれ国王になる身。自身のセルバロードという名がとても重い。王家に生まれなければと嘆いた事も、一度ではない。王子と呼ばれた方が、気が楽なのは分かっているが、それを状況が許さない事を呪うしかない。


 若干二十八歳にして軍団長など、本来無理がありすぎる。王族なだけで軍団長の地位にいる事を、疎ましく思う兵もいる。身に余るといつも思う。宰相連中が『前戦の士気鼓舞のために王子の派遣を』など、余計な事を言わなければこんな事に放っていなかった。それに王子は、私以外にもいるではないかと、何度も思った程だ。少なくとも、私よりも戦場向きな王子は他にもいる。


 目の前のフェグは四十五歳になる。私よりも少し身長は高い。職業軍人の彼は、この戦いで勝利すれば騎士団長に推薦するつもりだ。優秀な軍人を優遇すべきだと、いつも思う。


「失礼しました、軍団長殿。しかし相手に甘くすると、足下をすくわれかねません」


「王子さえ付けなければ、名前で呼んでくれて構わない。その方が楽だろう? 君は昔、私の付き人でもあった。あの恩を忘れるほど馬鹿でもない」


 敵に甘い事は、指摘されずとも分かっている。しかし、私は無用な殺生は好きではない。可能ならこれで戦闘を終わりにしたい。そう思うと、好戦的な味方がどこか忌まわしく感じる。しかし、それを口には出来ない。

 槍に触れていた指をフォークに戻す。それにしても、食器類まで持ってきた意味はあるのだろうか?


 古来より竜人族は、好戦的と言われているが、全ての竜人族が好戦的なはずもない。過去には無血開城させた文献を見た。今回もチャンスがあれば、何とかここで終わりにしたいが、実際はそんな事はとても言えたものではない。


「分かっている。しかし勝利は目前だ。そんなに血が見たいのか?」


「いえ、ただ兵の士気にも関わります。強く出るところは心得ていただかないと、後々響く事になるかと」


 フェグの四本の指が、剣を強く握っていた。少し苛ついているのだろう。私が見ていないと思っている。


 彼の言う事も分かってはいるが、やはり最低限の力で、最大限の効果を得る事が、戦いの基本だと言い返したいくらいだ。そもそも、その事を私に教えた張本人が、目の前にいる。


「私はこの第二軍の指揮官だが、君のような軍人とはほど遠い。ほとんど城でしか過ごしていないのは、君も知っているはずだ」


 事実、月一度の狩りを除いて、城の外に出る事はほとんど無い。その狩りも、嫌々行く事が多い。私自身が最後に狩りで収穫したのは、もう三年以上前になる。それも、狙った獲物を外れ、その奥にいた獲物を偶然仕留めたに過ぎない。あの時の側近たちの顔ときたら、驚いているのか馬鹿にしているのか、つくづく嫌になる。


 あの時、私のお供としてフェグもいたが、乾いた笑いをしていたのを今も覚えている。彼は当時私直属の武官。戦場の事で分からない事は、全て彼に聞いていた。まあ、聞いても実際は分からない事が多かったが。


「誤解しないで欲しいが、君らを否定するつもりはない。ただ、私には戦いは向いていない。だから戦闘は君に任せているんだ」


 まさか部下の前で、今すぐ戦争を終わりにさせたいと言えない。口出しは最低限にしているつもりだ。


「私が直接指揮しても、現場が混乱する事くらい分かっている。明日の戦いも、君がしっかり指揮をしてくれ。その為に君がいる」


 フェグが何も言い返さないのは、それが一番だからだろう。


「明日は私も前に出る。士気の低下が心配なら、兵に活を入れよう」


 とは言いつつ、今日の戦闘を見た限り、士気が落ちているとは思えない。圧勝ではないが、敵は敗走を繰り返している。おかげでこちらの損害は、さほど出ていない。


 気がかりなのは、伸びきった補給線。最近は補給が滞り始め、食料の備蓄が減っている。ここ数日に関しては、食料どころか武器の補給すら受けていない。そちらの方が問題だ。連日の戦闘で弓矢の在庫は乏しい。次の戦闘で間違いなく底をつくはずだ。弓無しで味方を突撃させるのは、損害を増やす事になる。


 いくら我々竜人族の皮膚が、他の種族より堅い鱗とはいえ、無敵の装甲ではない。最近は対竜人族用の弓矢も開発されたと噂で聞いた。胸や腹の部分であれば、普通の弓で致命傷になる事もある。もちろん鋼鉄の鎧は着ているが、万能ではない。だからこそ、後方支援は必要なのだ。


「分かりました。しかし前に出るのは程々に願います。お怪我でもされたら一大事です」


 そんなに前に出る事などしないと思いながらも、素直に頷いた。


 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


「敵の様子はどうか?」


 風下から単眼鏡を覗く部下に聞く。この前入手した、前後の筒をずらすだけで、遠くの相手を見やすくする事の出来る単眼鏡だ。敵に匂いが届くとは思えないが、用心はしなければ。俺たち犬族よりも竜人族の鼻が良いとは思えない。しかし安心は出来ない。


 そもそも、なぜ俺たちが今度の作戦に選ばれたのか謎が多い。前回の戦闘からまだ十日と経っておらず、補給もギリギリ間に合った程だ。他にも作戦遂行が出来る部隊はあったはず。それとも、俺たち犬族でなければならない、特殊な理由があるのだろうか?


 俺たち犬族が得意とするのは、その嗅覚と聴覚を用いた奇襲攻撃。特に闇夜に紛れての作戦は、他の種族の追随が全く及ばない。そして、今回もそんな夜の奇襲作戦。まあ、俺たち犬族は夜が得意だからこの作戦を任されたのだと思いたい。だが本来なら、やはり昼間の方が行動は楽だ。俺たちは夜行性じゃない。


 それでも今回の作戦が成功すれば、従騎士から二階級特進は間違いないと知らされているだけに、余計に気合いが入る。


 騎士長となれば、一族の誇りだ。だからこそ今回ばかりは失敗できない。一族の中で騎士になった者はいない。一族どころか、同じ犬族で騎士になるのは本当に希だ。そんな俺に転がり込んできたチャンス。否応なしに気合いも入る。


 いつも人族に顎で使われるが、自分が逆に使えるようになると思うだけで胸が躍る。絶対数の問題もあるが、人族を使う犬族は非常に希だ。


 大体、嗅覚も聴覚も劣る人族に使われるのは、正直嫌気が走る。顔も平べったくて特徴が無く、我々のような体毛もほとんど無い。アレでよく寒い所でも平気だと思う。


 俺は体毛は短い方で、指の長さの半分もないが、長い者だと指の長さの倍はある。当然、寒さには強い。


 人族の着ている服は俺たちの物と変わりは無いし、違う事は俺たちみたいに尻尾がない事。しかも皆そろって同じような肌色だ。アレじゃあ特徴なんてありゃしない。まあ、一般的に俺たちよりも身長が少しだけ高いが、それは別に気にするような事じゃない。さすがに二リールある人族は希だが、俺たちの中にだってそんな奴は滅多にいない。体つきだって同じ感じだし、むしろ力比べをしたら俺たちの方が上。大体人族は魔法だってろくに使えない事の方が多い。とはいえ、俺は魔法は得意じゃないが。それでも、松明に火を点ける事くらいは出来る。


 それにしても、今回は偶然犬族のみの部隊を指揮しているが、いわゆる俺たちのような獣人族を、人族は指揮したがらない。よって、自然に獣人族の部隊は獣人族が指揮する事が多くなる。


 普通は用兵上、単一の種族で部隊を構成する事はないが、今回は作戦までに時間が限られていたため、偶然招集出来た俺たち犬族だけの部隊になった。それに、混成部隊になったとしても、実際に戦うのは俺たちのような現場組。


 人族の多くは指揮官と言いつつ、戦場の後方から出てこない。何のためにいるんだか。特にエルバ王国の連中は戦場にすら顔を出さない。一番むかつく連中だ。


 獣人と自分で考えて、つくづく俺は馬鹿だと思う。人族だって元々は猿から進化したと言われている。その意味では同じでないか。


 全体的な能力的では人族が一番劣る。唯一勝っているのはその数だけだ。数さえ十分なら、人族は驚異にすらならない。それだけに、普段人族に従っているのが情けない。大体、獣人と呼ぶのは人族だけで、俺たちの間では種族に関係なく人は人だ。


 ただ、今回の作戦に限って言えば、同じ種族で部隊を構成した事で、皆の息が合っていた。その方が作戦の成功率も高いと、過去の経験から学んでいる。小規模な作戦ならなおさら。ただし、今回の作戦は必ずしも小規模ではない。どこまでそれが通用するか心配ではある。いくら奇襲とはいえ、敵の数は圧倒的に相手が上だ。


「油断していますね、ペル様。所詮トカゲですよ。もう我々に勝った気でいいますね。見張りの数は少数。今でも襲えますが?」


 部下のテム・シルヴィ小姓の言葉に、思わす笑みが漏れる。透き通った彼の声は正直好きだ。


 犬族の声は全体的に透き通っていると言われているが、彼は特にその特徴が高い。


 全身黒い毛並みの彼は、緑の大地に溶け込むように背を低くしながら様子を窺う。竜人族の蔑称であるトカゲも、俺は好きだ。


「二人だけの時は、オットーでも良いと言っているだろうに。まあ、お前が呼びやすければどちらでも構わないが」


 少し苦笑しながら、前方を確認する。


 シルヴィは特に俺が目にかけている兵。普段の生活でも行動を共にする事が多い。それだけに、俺の気持ちも分かるのだろう。


「敵の補給は完全に絶ちました。敵の本隊も陽動で壊滅状態と報告があります。我々がこれから何をするかは、察知されていないはずです。まさか、陽動に引っかかっているとは思ってもいませんよ」


 シルヴィはそう言いながら、敵の陣地のある一点を指した。


「将官旗です。捕らえれば勲章ものですね。是非ペル様に、第一級戦闘功労賞を受勲してもらいたいですよ。それにしても、こんな前戦で将官旗を掲げるだなんて、襲ってくれって言っているんですかね? 今時あんな事する連中珍しいですよ。それとも罠ですかね?」


 確かに、将官旗が僅かな風でなびいているのが、月の光の下でも分かった。


「それは無いと思うが、一応注意しておけ」


 第一級戦闘功労賞……並大抵の事で受勲できる勲章ではない。私の知り合いでは、持っている者はいない。戦闘で受勲出来る勲章では、最大級の栄誉となる勲章。


「真夜中までもう少し待とう。下手に動いて失敗したくない。ここからでも見張りが少ない事は分かるが、事を焦る必要もない」


 シルヴィが黙って頷く。


 わざわざ敵が起きている時間に襲うのは馬鹿らしい。確かに今襲っても、成功する可能性は充分あるが、寝静まってから襲えば奇襲の成功率もさらに高まるだろう。


 腰に下げた長剣を確認する。我々犬族が持ちやすくなっている剣で、親指が短い俺たちでも扱いやすいように、持ち手の親指のところが少しへこんでいる。今までこれで何度戦場を駆けてきた事か。そして、今度もこの剣が役に立つだろう。


「後は任せた。このまま監視を続けてくれ。作戦は予定通りに」

 そう言い残して俺はその場を静かに離れた。


 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


「敵襲!」


 大声で誰かが叫ぶのが聞こえる。何事かと思い、ベッドから飛び起きる。傍にあった愛用の槍を取ると、外に駆け出す。陣で構えている際の槍だが、個人的には剣より槍の方が好み。接近戦用の剣はあるが、一番近かったのがその槍でもある。


 外は明かりが消えつつも、明らかに劣勢なのは感覚で分かる。


 自軍の陣地内には、犬族と思われる一団が侵攻しており、手当たり次第に近くの味方を切り倒してゆく。何名かは応戦しているようだが、明らかに敵が優位だ。こうして見ている間にも、仲間が次々と倒れてゆくのか、悲鳴が暗闇に響く。


「敵は犬族のみだ、応戦しろ!」


 誰かの声が聞こえたが、誰なのかは分からない。


 連戦連勝で警戒心が緩んでいたのか、ほとんどの者が武器も持たずにテントから飛び出し、まともな抵抗も出来ずに倒れるのが、薄明かりでも分かる。


 見張りがどうなったかを探したが、すでにその姿はなく、陣地の明かりが次々と消えてる。陣地は次第に暗闇に包まれてゆく。


 一体何が起きているのか分からずに呆然としていると、突然目の前に犬族の男が現れる。闇に紛れるよう、黒い服を着たその男は、私に向かって何かを振り上げているのが見えた。


「お前が総大将だな!」


 その言葉と共に、腹に強烈な一撃を受けた。あまりの苦しさに、一瞬意識が飛んだ気がする。さらにもう一撃が加わり、意識が確実に遠のいてゆくのが自分でも分かった。一体何で攻撃を受けたのかと見たが、目眩でそれすら見えない。


 槍を振り回そうとしたが、すでにその力はなく、深い闇が……


 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


 俺は予想以上の戦果に、驚きを隠せなかった。


 味方の損失は戦死無しの負傷者十四。それも軽傷のみ。そして相手は総崩れ。しかも敵の指揮官を捕らえる事にすら成功。これ以上ない戦果だ。


「捕虜にはたっぷり縄をくれてやれ。恨みもあるだろうからな。ただし殺すなよ」


 すでに捕虜の大半が縄で縛られている。一部では死なない程度の拷問も始まっており、悲鳴もあちらこちらで聞こえた。


 竜人族に町を襲われた時に、仲間や非戦闘員が惨殺や虐待された仕返しだ。竜人族に捕まった味方はほとんどが戻らず、戦死扱いになっている。だからこそ恨みは大きい。


 命令で、捕虜は殺さず連れ帰れと言われた。そのため渋々殺していないだけだ。そうでなければ、今頃血の海と化しているはずだった。忌々しい。


 俺の親戚も竜人族に捕まり、行方知れずとなっている者もいる。それだけに、目の前にいる竜人族の指揮官を殺してやりたい。しかし、命令を受けている以上殺す事は出来ない。しかも敵の指揮官が王族だと分かって、どう対処すればよいのか分からない。仕方なく縛り上げているが、普通よりは強く縛り上げた。


「ペル様、どうなさるおつもりですか?」


 シルヴィが、縛り上げたセルバロードという王族を見ながら言う。


「俺だって困ってるんだ。恨みはあるが、殺すわけにもいかない。それに相手は王族だ。本国に移送しろと言ってくるだろう。まったく忌々しい」


 本当なら部下たち一緒に拷問でもしたいが、指揮官たる立場ではそれも難しい。いや、やっても良いのかもしれないが、後で問題になりたくない。せめて一発蹴りでも入れてやりたい気分だ。


「本国ならまだしも、ヨルムドに引き渡せと言われたら最悪ですよ」


 ヨルムド王国。ヨルムヘルイド連合王国の中心的な国家で、領土も人口も一番多い。それだけ周辺国への影響も大きい。


 領土拡張を積極に行っているのはヨルムドだ。しかし、噂ではエルバ王国も領土拡大を狙っていると聞いた事がある。どっちが本当かは、俺のような下級の者には分からない。


「ダル本国だって同じだ。今の国王は人族。俺たちのような下級の人間では口出しはできない」


 諦め顔で言うしかなかった。


 これがウェルペクド王国なら違うのではと、つくづく思う。ウェルペクド王国は現在犬族の国王で、連合の中で数少ない獣人国王。何度か行った事もあるが、やはり扱いが段違いだ。


「しかしペル様、これで昇進確実ですね」


 シルヴィが、その思いを断ち切らせてくれる。


 確かに人族の言う事を聞くばかりなのは面白くないが、正式な騎士になれば少しは違うと思いたい。


「まあ、どちらにしてもいいさ。俺たちは俺たちの仕事をする」


 色々と納得いかないながらも、どこか諦めている自分に腹を立てるしかなかった。


 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


 戦闘から二日後、エルバ王国北部のクアナルト村にある宿に、一人の男が滞在していた。


 すっきりとした体型の人族で、身なりはきっちりとしてる。黒髪は手入れが良く、少し短め。移動が多いのか、日焼けの跡が所々に見えるが、白い長袖の隙間からのぞく皮膚の色は白に近い。長身ではないが、すっきりした体型から背が高いように見える。それでも身長は一リール六十エスク。どちらかと言えば小柄な部類。むしろ、女性に多い身長。


 荷物は比較的綺麗にまとめられており、宿に備え付けのクローゼットの前には、普通の旅人が着る服よりは、少し高価そうな服がかけられている。しかし、旅人が買えないといった程度の物ではない。


 白い上着と紺のズボンは丁寧にハンガーに掛けられている。


 その横のテーブルには剣が立てかけてあり、こちらは明らかに立派な剣だ。長さは全長一リール四十エクスくらい。握り手は真っ直ぐで、剣の柄は青で緑の葉の模様が装飾されている。白い柄の部分には、何かの木をあしらったかのような緑の装飾がされており、柄と鞘で一本の木に見えるような見事な細工になっていた。剣は細身のようで、柄も細い。


 他にも大きな荷物が二つほど。どちらもバッグに入っている。膨らみから見て服の類がほとんどのようだ。


 普通ではあまり目にしないような荷物などを持っているにもかかわらず、彼は宿の部屋を中クラスの部屋にしている。


 実際、一番上質な部屋に泊まるだけの現金も持っているが、普段取り出す財布には最低限の路銀しか入れていない。もちろんその真意は、あまり周囲から必要以上に目立たないようにするため。


 そんな彼の部屋を、誰かがノックする。まだ朝も明けたばかりで、来客があったにしてもかなり早い時間だ。


「レッカス様。お客様にお会いしたいという方がお見えになっていますが。急用との事です」


 声の主は人族の宿の主人。少し年配者のくぐもった声。商売柄声を使う事が多いのか、声帯を酷使しているようにも聞こえる。


 レッカスと呼ばれた者は、腰掛けていた椅子から立ち上がると、夜から着用していたローブのままドアを開ける。


「朝早くから本当に申し訳ございません。どうしても今お会いしたいという事でして。しばらくお待ち頂くようお願いしたのですが……」


 宿の主人の隣に立っているのは、かなり服の汚れた人族の旅人。


 ズボンの裾の汚れを見ると、馬を速く走らせたかのような汚れが、いたる所に付いていた。上着に着ている白い長袖のシャツには、汗染みも多く見られる。レッカスよりも身長は少し高く、体格もよい。


「こんな朝早く、人違いだったら怒るよ?」


 レッカスは少し苦笑しながら低い声で言う。宿の主人は申し訳なさそう。


「こちらをご覧になって下さい。私が急いで来た訳が分かります」


 男は緊張が隠せないのか、少しくぐもった声でそう言うと、懐から油紙に包まれた手紙のような物を差し出す。


 レッカスは素直に受け取ると、油紙の包みを破り、中の手紙を読み出した。するとレッカスの顔色が急に変わるのが分かる。どこか興奮しているようだ。


「主人、申し訳ないが少し外してくれないかな。あと、しばらく人払いをしてもらうと嬉しいが」


 レッカスは同時に、主人へ銀貨一枚を渡す。


 その言葉に宿の主人は一つ返事で返すと、そそくさとその場を離れる。宿の主人が階段の奥に消えた事を確認してから、この珍客を部屋に迎え入れた。


 人払いとして銀貨一枚は高額だが、手紙の内容は銀貨一枚よりも価値がある。


「ドアは閉めてくれ。言いたい事は分かった。説明して欲しい」


 レッカスは興奮したように手紙を見入る。


「相手の名前はエルヤ・オル・セルバロード。タルツーク王国の第一王子で二十八歳。枢機卿とも呼ばれている人物です。ただ、どちらかというと担ぎ上げられた感じがしますね。王子、どうなさるおつもりですか?」


 レッカスは、王子と呼ばれると相手の顔を見て眉間にしわを寄せる。


「ここでは、私はイル・レッカスだ。誰かに聞かれたら困る」


「失礼しました。しかし、このセルバロードなる人物の処遇に、現場の指揮官は困っているようです。すでにダル王国から引き渡すようにとの使者が出ているとの噂も聞きます。また、エルバ王国にも動きがあるようです」


「それは当たり前だろう。相手は敵国の王子だ。現場で対処できるような事ではない。しかしここは先手必勝だ。私の名前を使ってくれ。彼を近くの町か村に捕らえる手筈をしろ。出来れば地下牢がいい。目立たないようにな。その他の捕虜は、ダルに引き渡せ。どう扱おうと我々には興味はない」


「分かりました。仰せのままに。それともう一つ……」


「なんだ?」


「手紙にはありませんが、どうもタルツーク王国で反乱があった模様です。首謀者はまだ不明ですが、国王が暗殺されたと噂が流れています。未確認ですが、側近が反乱を指揮したとの噂もあります」


 レッカスの手が止まる。


「状況は分からないのか?」


「残念ながら。ただ、どうも王の親族が粛正されているとの噂もあります。事の次第は不明です。エルバ王国が一枚噛んでいるとの噂も途中聞きました。とにかく噂ばかりが先行しています。場合によっては、タルツーク王国の崩壊もあるかと……」


 レッカスは手紙に視線を戻してから、再び相手の顔を見る。


「なら、余計急ぐのだ。残り時間は少ないのかもしれない。手遅れになる前に、手を打ってくれ」


「分かりました。急ぎ手筈を整えます。それではこれで失礼させていただきます」


「ご苦労様。また何かあればすぐに知らせて欲しい」


 レッカスは、そのまま部屋に備え付けの椅子に腰掛ける。そして手紙に視線を戻した。


「予定外だが、これで時代が動くかもしれない……」


 レッカスは窓の外の景色を見た。外には先ほどのやりとりが嘘のように、のどかな景色が広がっていた。

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