34 始祖
ダンジョンの主である王のグルンは白く透き通る髪を魔力の発露によって所々黒く変色させ、苛立ちを覚え腕組みをしたまま玉座に腰を下ろしていた。
その苛立ちの根源は目の前に跪く魔物であり、玉座の傍に控えるオリビアや、跪く魔物を挟むように立つサキュバスであるゼルダとヒルダは久しく感じる事が無かった王から放たれ続ける禍々しい漆黒の霧に戦慄していた。
召還されて間も無くの頃、一度だけこの禍々しい漆黒の霧が王の間を包み込んだ時には、オリビアやサキュバスの二人はレベルが低く、王と自身との絶対的な差を感じ恐怖していたが、今、王から放たれ続ける殺気を伴った禍々しい漆黒の霧は王のレベルが上昇したが故なのか、以前とは比べ物にならない程の濃度があった。
オリビア達のレベルは召還された頃に比べかなり上昇しているとは故、王との絶対的な差は、差というには馬鹿馬鹿しく思える程に開き、次元が違っていた。
王が何故、玉座の前で跪く魔物に苛立ち、滅多に見せない感情の起伏を露にしているのか。
それをオリビアやゼルダ、ヒルダは理解していたが、王の苛立ちを諌める術を見出せなかった。
跪く魔物とは、グルンが1個師団と輜重部隊及び工兵部隊を含めた1200を超える魔物の配下が不在であり、ダンジョンを維持する為に必要な魔力の余剰分が発生した事によって召還した魔物であった。
限りある魔力によってグルンが召還したはずの魔物は、ヴァンパイアでありフィジャックから届けられた戦死したミノタウロスの死体を埋葬し、高レベルのミノタウロスをリッチに生成する為にグルンは墓場の管理者を託す予定であった。
しかし、王の間に現れたのはどこからどう見ても、ヴァンパイアにしては小さく、また人型でも無かった。
跪く体躯は小さく、フィジャックやゾンヌのように気品のある青いローブは纏っているが、ローブから覗く小さな手は黒い体毛で覆われ、頭部からは覗くその顔は猫であった。
「……半人、女と続いて予が召還するヴァンパイアは何故こうもおかしな結果となるのだ」
「……」
禍々しい漆黒の霧を撒き散らし、王の間を殺気で包み込んでいたグルンは言葉を発すると同時に、霧を全て消し去り組んでいた腕を解く。
「予はヴァンパイアを召還したはずだが、おまえは予の言葉を理解出来るのか。申してみよ」
「にゃっ! 私は純粋たるヴァンパイアではごにゃいませんが、王に報いる事に何ら不都合はごにゃいません!」
「……その体躯、この際大きさなど問題ではないな、おまえは魔物であるのか?」
「お答えしにゃす! 私の肉体は魔物ではにゃく地上に多数存在する猫でごにゃいますが、魂はヴァンパイア、いえ、ヴァンパイアロードでごにゃいます」
「ヴァンパイアロードというのはヴァンパイアの始祖。予のこの認識と、おまえが言うヴァンパイアロードとは同じものであるのか?」
「にゃい」
玉座に座るグルンと小さな体躯に青いローブを纏い跪く自称ヴァンパイアロードの猫が言葉を交わし続ける。
オリビア、ゼルダとヒルダもこの王と小さな自称ヴァンパイアロードとのやり取りを、困惑を顔に浮かべ見守り続ける。
「オリビア、近衛から小隊長のミノタウロスを一人呼べ」
「直ちに」
オリビアはグルンに命じられ、すぐに【念話】によって王の間の周囲の区画にて歩哨中であった近衛部隊所属の小隊長を王の間へ参上するよう命じる。
数十秒後、王の間に魔力付与された金属製の甲冑に身を包んだ完全武装のミノタウロスが入室し、跪き頭を垂れる。
「ヴァンパイアとして予の力と成り得るのか、示してみよ」
「にゃい」
「……」
「そこのミノタウロス、この者を葬れ」
「ハ!」
王の間、紋様に魔力が大量に流れ込む重厚な扉の前にて跪いていたミノタウロスの小隊長が、王の命によって同じく跪く青いローブを纏う小さな対象へと太く逞しい両脚の筋肉を躍動させ、襲い掛かる。
自称ヴァンパイアロードの黒猫は立ち上がり、迫り来るミノタウロスの方を振り返る事無く自身の足元に紫色に光る魔法陣を浮かび上がらせる。
魔法陣は黒猫の体躯に合わせたかのように小さく、魔力の発露による輝きもほとんど見せていなかった。
ミノタウロスが振り上げたハルバードが黒猫へと振り下ろされる。
小細工など一切無い強靭な肉体の力を使用したその一振りは、単純な動作故に人間には出せぬ強大な運動エネルギーを生み出していた。
「【反転】」
振り下ろされるハルバードが【反転】の範囲内へと入ると急速に増した自重により、黒猫に届く事無く刃の部分全てが床に敷かれた石材を貫き、沈み込む。
ミノタウロスはすぐにハルバードを床から引き抜こうとするも、黒猫は青いローブから覗く小さな手の肉球に魔法陣を既に作り出していた。
「【深淵】」
肉球に浮かび上がる魔法陣が消えるのと同時に、ミノタウロスの肉体と装着していた武装全てが瞬時に消え去る。
床に深く突き刺さったままのハルバードだけを残し、ミノタウロスの肉体と魂双方を消し去った黒猫は一度も振り返る事無く二つの魔法を連続で行使し終え、再び跪く。
「見事だ。臣下の列に並び立つ事を認めよう」
「にゃい! 有り難きお言葉でごにゃいます」
「ヴァンパイアであれば名も持っていよう、申してみよ」
「ディケムでごにゃいます」
「やはりあったか。ディケムよ、おまえにある記憶は猫としてなのか? おまえが言うヴァンパイアロードとしての魂の記憶であるのか。どちらだ。それと記憶はどの程度有しておる」
「にゃ! この身は仮初の肉体でごにゃいます。よって魂としての記憶が主でごにゃいますが……混沌での事象はかなり希薄でごにゃいます」
ディケムと名乗った黒猫のヴァンパイアロードは王の問いに、小さな眉間に皺を寄せ、自身の記憶を辿り答える。
グルンは僅かではあったがディケムには記憶の喪失が無かったのではと期待して問い掛けたが、期待した返答は得られなかった。
グレスの町、中央部に築かれていた砦を制圧したフィジャックが率いる魔物の軍勢は、秩序を維持したまま教会内にて避難していたグレスに住む住民の人間に危害を加える事無く捕虜としていた。
フィジャックは町の完全制圧が完了した後すぐに、陣営地を解体させ第10中隊及び輜重部隊に戦死したミノタウロスの死体をダンジョンへと運搬するよう手配する。
『ソイ、ミノタウロスの死体はおそらく200体前後となるでしょう。輜重部隊の半数を死体の運搬の為にダンジョンへと早急に向かわせるように』
『ハ! スグニ ムカイマス』
『第10中隊も同行させますが、あなたはこの町に残るように』
輜重部隊の指揮をするゴブリンで唯一の名を持つ者であるソイは、フィジャックから【念話】によって命じられ、すぐに多くのゴブリン達の部下へと指示を出し、フィジャックの期待していた以上に短時間で砦の残骸の中から死体を掘り起こし、台車へと乗せ、ダンジョンからグレスの町へと続く途上を切り開き、舗装した道路へと続々と出発させていた。
ダンジョン内で培った彼らの土木作業の技術は地上に置いても健在であり、ミノタウロスへの恐怖心が顕著に現れ始めていたゴブリン達はフィジャックやゾンヌの勧告と規律を乱す者へは厳罰が下されるという事がミノタウロスの兵へと浸透していた為、彼らゴブリンの作業効率を向上させていた。
「お待たせしました。こちらが町に残っていた食料品、衣類、生活用品です。医薬品に付随するマジックアイテムに関してはお渡しする事は出来ませんが、病に倒れた者などが現れた場合は、こちらへ申し出てください。こちらの管轄で治療致します。何か不明な点はありますか?」
「……本当に我々に危害を加えるつもりは、そ、その無いのか?」
「ありませんよ」
「で、では目的は?」
「答える必要を認めません」
「……」
フィジャックは部下の魔物に、捕虜である人間達が必要であろう物資を運搬させ、グレスの町長である男に運搬された荷について説明していた。
非戦闘員である住民はすぐに恭順の意を示し、教会内及び砦となっていた範囲での自由は保障され、衣食住の最低限の提供も受けているグレスの町に住む人間達は500名を数え、不満や不安の前に魔物に対しての絶対的な恐怖が皮肉にも神の住まう教会の中を支配していた。
フィジャックは極力、教会を含む砦内に魔物の兵は配置する事をせず、偵察部隊として師団に随行している高レベルのスケルトンによる監視だけに留めていたが、捕虜である人間達の恐怖を和らげる効果はあまりなかったと考えていた。
それはフィジャックの目の前で怯え、人間側の代表者である男の猜疑心を露にする態度に見て取れていた。
500名を超える住民の中には、魔物の支配下である事に恐怖し従い続ける者以外に、逃走を試みる者も一部おり、隠蔽魔法を行使して砦から逃走し町の外へと辿りついたがゾンヌただ一人の手によって処分されていた。
スケルトンによる監視は逃走者の捕縛は含まれておらず、追撃と処分に関しては全てゾンヌが行いつつ、彼女の指揮に置いてグレスの町外緑部には工兵や被害の比較的軽微であった第9中隊の兵が二重の壕を敷設し、町全てを陣営地を解体した資材を使用して防柵を壕の内側に設置していた。
ディケムは王から命じられ、ダンジョン内に敷設された広大な墓場にて続々と運び込まれるミノタウロスの死体を埋葬し、魂へ干渉する事でスケルトン及びリッチとなる素体の選別を行っていた。
運び込まれる死体はグレスの町の制圧の際に出た比較的レベルの高いミノタウロスばかりであり、その数はディケムが墓場に赴任して以来200体を超えていた。
召還されたばかりとは故、ディケムの死霊を司る能力と知識は自称ヴァンパイアロードの名に恥じぬ技量であり、スケルトン化は5割を超え、リッチとなった数は12体となっていた。
「ディケム、調子はどうです?」
「にゃ! オリビア様! 予想以上に魂の純度が高いですにゃ」
「そうですか」
「……」
「…」
「オリビア様、一つ宜しいですかにゃ」
「ええ、何です?」
「その、抱き上げられたままですと作業を行えにゃいです」
「……」
墓場に姿を現した死の妖精であるオリビアはディケムに話し掛けつつも、彼の小さな体を抱き上げ拘束していた。
自由を奪われながらも問われた事に答えたディケムも、抱き上げられたまま無言となったオリビアに恐る恐る不満の弁を述べていた。
「オリビア、降ろしてやれ」
「グルン様!」
「にゃ!?」
ディケムの抗議にも無言のまま彼の小さな体を拘束し続けていたオリビアは、不意に墓場へと現れたグルンに掛けられた言葉に慌て、ディケムを解放する。
「ディケムよ、リッチを各小隊の仕官として教育し、スケルトンを中心に部隊を編成せよ。編成した後、部隊をダンジョンの周囲に展開させ、常時警戒させよ。オリビアはディケムの編成及び教育が完了するまでは引き続きゼルダ、ヒルダと交代でダンジョンの周囲の警戒を実施するようにな」
「は!」
「にゃ!」
「それに加えて予が新たに召還したミノタウロスの侵攻部隊への補充要員の武装が整い次第、グレスへと向かわせる」
「畏まりました」
「その出兵に際して予も同行する」
「……グルン様、そ、それではダンジョンの主が不在となりますが……」
「構わぬ、予が不在であればオリビアがダンジョンを守り、維持すれば良い。その為に予はオリビアを召還したのだからな」
「……そのような重責、私に務まりますでしょうか」
「オリビアに出来ぬのであれば予が判断を見誤ったまでの事、出立は明日には行う」
補充要員であるミノタウロスと共にダンジョン外、グレスへと向かうと告げたグルンの言葉に、オリビアは自身の耳を疑ったが、目の前で口を開いた王は続けてダンジョンの維持をオリビアに任せると告げていた。
グルンはダンジョンの機能として王である自身が不在である事の損失よりも、グレスの町にて人間達の反応を自らの目で確かめる事の利益を優先した。
魔物による侵略と制圧は蛮行と人間達は考えるであろうが、制圧後に寛容な姿勢を魔物が見せればどのような反応を示すかによっては、グルンの、そしてグルンの支配下にある魔物達の進むべき道が決する。
グルンの目指す短期的な目標である他のダンジョンの制圧に置いて、広大な版図を支配し、無尽蔵に湧き出す人間達の数は無視出来ない勢力であり、この時点ではまだ萌芽でしかなかった考えではあるが、グルンは人間との共闘も視野に入れていた。
■フィジャック Lv8→Lv12 (next480/3000)
■ゾンヌ Lv4→Lv8 (next300/300)




