33 許されぬ生
空き瓶が五つ、粗末な机に並べられている。
グレスの町、大通りに面した飲食店の屋外に設置された椅子に座る半人のヴァンパイアであるフィジャックは、ダンジョンで精製された貴重な高濃度のエーテルを摂取することで魔力の補充を行っていた。
遠征の際にダンジョンの主であり、王のグルンから上位種であるフィジャックと、同じくヴァンパイであるゾンヌへと持参する事が許された貴重なマジッックアイテムの内の一つが、今しがた彼が飲み干した高濃度のエーテルであった。
オークの中で唯一、名を持つシュミットや初期にダンジョンに召還された比較的レベルの高いオークが一日に一本しか精製出来ない高濃度のエーテルは、ダンジョンに設置されている魔力泉よりも魔力の回復量が高く、それだけに大量に精製する事も困難であり貴重なマジックアイテムである。
そのエーテルを6本分摂取したフィジャックではあったが、それでも彼の総魔力量の一割程度の補填であり、ヴァンパイアの持つ再生能力を維持し、数回の魔法を放つ程度の魔力しか回復出来ていなかった。
このエーテルの品質が低いわけでは無い。ヴァンパイア種の持つ総魔力が膨大であり、またこのような魔力の枯渇状態となった原因である【解放】と組み合わせて行った【反転】による消費魔力が常軌を逸したものであったからである。
「ふー……ぐっ……処女の血が恋しくなりますねぇ」
「……」
血を欲する欲求が湧き上がりつつあるフィジャックは、机の上の空き瓶で遊ぶ黒猫に話しかけるも、返事が返ってくる事は無く、自嘲気味に口元を緩める。
手に持った6本目の空き瓶を机に並べられた五つの空き瓶の近くにチェスの駒に見立てて置き、フィジャックは席を立つ。
「……これでチェックメイトですね」
6本目の瓶は大通りにて待機する第9中隊であり、黒猫がじゃれて遊ぶ5本の空き瓶は今も砦に張り付き攻略中の5個中隊にフィジャックは見立てていた。
しかし、空き瓶で遊ぶ黒猫によって1本の空き瓶が倒され、机の上に置かれた全ての空き瓶が連鎖的に倒れ、幾本かが地面へと落下する。
「とは行かないかもしれませんねぇ……」
フィジャックは席を立つとすぐに【念話】によって第9中隊の中隊長へと指示を出し、自らも中隊と共に砦へと足を向かわせる。
第9中隊の魔物達は魔と人との戦闘を前に待機させられていた事を発散させるかのように、怒号を上げてやや陣形は乱しつつ進む中、縦に伸びる陣形を維持すべく各小隊長が怒号に負けぬよう、野太いミノタウロスの声を張り上げ何とか形を留めていた。
石材を身に装着しているにも関わらず、彼ら第9中隊の魔物達の足取りに鈍さは無く、力強く地面を踏みしめる。
無秩序に地を踏みしめ、力任せに躍動しているかに見える第9中隊の魔物達の中に、各小隊長の10名だけは陣形を維持しつつも、冷静にマジックアイテムによって結界を展開させるタイミングを見計らってもいた。
しかし、正面から砦へと向かう彼らに結界は無用であり、戦線を維持している第1、2、3中隊の奮戦によって砦、防衛戦の高所からの弓矢や遠隔魔法による攻撃は皆無であった。
フィジャックは第9中隊への指示の他に【念話】によって正面を受け持っている第1、2、3中隊に第9中隊の進軍する為の進路を空けるよう指示を出していた。
第1、2、3中隊所属の小隊長クラスのミノタウロスが負傷、もしくは死亡していた小隊などが若干の混乱を見せ、第9中隊の進路上にて戦闘を継続していた為に進軍速度はやや落ちたが、第9中隊は縦長の陣形を維持したまま砦の周囲に築かれた防壁の崩落部分へと雪崩れ込む。
崩落部分の幅は10m弱であった為、第9中隊の陣形は縦長に3列となっていたが、先頭に立ち崩落部分へと突入したミノタウロスの3体は人間の騎士達が持つ騎乗時用の長大なランスを突きつけられ、肉体を貫かれる。
第1、2、3中隊が維持していた崩落部分付近の戦線が一時的に第9中隊の進軍の為に人間側の手中へと帰した事により、人間側の騎士達に一息入れる事を許し、手痛い反撃を被る格好となってしまった。
長大な人間の背丈以上あるランスを持つ騎士達はミノタウロスの持つ盾を貫き、肉体をも貫き続ける。
フィジャックの【反転】の影響が彼ら魔物と比べて非力な人間には利点となって現れていた。
自重の半減は防壁を脆弱にさせる点、深く掘られた壕がほぼ無力化している事の他に、非力な人間が近接戦闘に置いて、技術を有している者であれば個としての力を増大させていた。
この事に現象の持続時間や、範囲は不正確にしか掴めていなかったものの、いち早く利点を見出し騎士や兵から技術に長ける者を選りすぐり、配置の変更を行っていたのは駐屯部隊の隊長である老騎士のキューの戦場を数多く経験した老練な手腕に拠る所であった。
「ガラント、前衛には深追いはさせるな、軽症であっても治癒を受けさせる為に下がらせろ! ルークス、2番砦に治癒の終わった弓兵を送れ! 射線は下げるように徹底させろ!」
「隊長、聖騎士の魔力消耗が激しく、エーテルの残りが僅かです」
「……魔導騎士にも初歩的な治癒をさせろ! 3番、4番の砦に配置している兵を左右の防衛線上に移動させよ! この攻勢を耐え抜けば勝機はある!」
砦内へと侵入し続けるミノタウロスやスケルトンを時折その剣線で切り伏せながらも、老騎士のキューは指示を次々と飛ばし続ける。
白い甲冑は魔物の返り血によって全身が緑色に染まり、剣は既に所々が欠けており、鎧の胸部にも亀裂が走っていた。
自らも戦い続け、最前線には出ないものの新兵や近接戦闘を苦手とする者達を庇うように戦い続けるキューの姿は、駐屯する部隊全ての士気を高め、彼が唱える勝機を信じていた。
遂に剣が折れ、その折れた剣をミノタウロスの首へと強引に突き刺したキューは、限界を超える疲労から膝を地に付くが、すぐに呼吸の乱れを正して立ち上がり、指揮系統が乱れ始めている正面方向へ重く感じつつある足を運ぶ。
休む事無く戦い続けるキューに油断など無かったが、背後からスケルトンによって放たれた矢が老騎士の頭部へと飛来する。
血塗られた兜に命中し、甲高い金属音が短く鳴り響く。
衝撃によって血塗られた兜に亀裂が生じ、キューの頭部から離れ地面へと落ちる。
振り返り、スケルトンが既に付近に居た騎士の手で業火に晒されている事を確認したキューは亀裂の入る兜を拾い上げ砦の正面へと向かう。
「イートン! 後背にまだ魔物の姿は見えぬか?」
「は! 依然として……」
「……そうか」
キューは正面、左右は陽動でしか無く、時が来れば後背からの砦への攻撃が来る事を想定していた。
後背に築かれた防衛線上には騎士などはほぼ配置していなかったが弓兵の多くが配置されており、備蓄されていた大半のマジックアイテムや壕、原始的な射出装置といったものを組み合わせた大規模な罠を仕掛けていた。
陣営地を築き、人間の軍隊のような行動を取る魔物達であれば、後背を突く事は当然行ってくるだろうと考え、キューは後背へと魔物を誘導し一気に形勢を逆転させる事を考えていた。
しかし、そんなキューの考えをフィジャックは読み取っていた。
定期的に偵察部隊へと【念話】を繋ぎ、人間の兵に配置移動があれば全て指揮官であるフィジャックは知る事が出来、ほぼ無人と成りつつある砦の後背には罠があると考えていた。
フィジャックは自身の予想に絶対の自信がある訳では無いが、仮に後背に罠などが一切無かったとしても、正面から攻め続ける事に不都合は無いとも考えていた。
それはフィジャックにとっては被害を最小に抑える事に越したことは無いが、各中隊の主要構成員であるミノタウロスの死は兵の減少には成らい事も理由となっていた。
ヴァンパイア種以外が指揮官であれば、この考えに行き着かなかった可能性はあるが、死霊を扱う事に長ける墓場の管理者には、精鋭であってもミノタウロス兵の死は被害とは考えなかった。
「【爆縮】」
ランスを縦横無尽に振り回していた騎士の一人の甲冑事、一瞬にして肉片と鋼鉄の破片が周囲に四散する。
「【爆縮】」
魔物、人間双方が不意に起きた現象に数瞬の間、体を硬直させる中、半人のヴァンパイアは砦の正面、崩落している防壁の前に現れ、続けざまに【爆縮】を発動させる。
左右の掌に紫色の光を放つ魔法陣を交互に浮かび上がらせ、3回、4回、5回とまるで初級魔法を連続して放つかのように詠唱するだけで長く時間を要する上級魔法を連続で放ち、白い甲冑を着る騎士を中心に肉片と鋼鉄の破片へと変えてゆく。
士気が高く、規律を乱す事無く戦い続ける駐屯部隊の騎士や兵に、その半人のヴァンパイアは正に異常な存在であり、人間側の兵の心を折る者を多く発生させた。
相当数の人間の心を圧し折ったフィジャックは、崩落した砦正面の防壁の一帯を完全に掌握し、ミノタウロスの多くの兵がフィジャックの後を追うように野太い怒号を上げ侵入する。
30を超えるミノタウロスが砦内へと入り、教会前にて聖騎士を中心に密集陣形を取る騎士の一団へと突撃する。
フィジャックはその場で【爆縮】を唱えることを止め、【結界】を展開した後は魔物と人間との命のやり取りを、一人涼しい顔で眺めていた。
絶対的な強者の余裕を見せるかのようなフィジャックは既に魔力の枯渇を感じており、【爆縮】を放つ事が不可能な状況であったが、人間の兵や騎士にはその事実を知る術は無かった。
『負傷者の回復は終えましたか?』
『ハイ、サイヘンモ、カンリョウシテイマス』
『宜しい、では高所の制圧を優先し、第1、2、3中隊は再度侵攻を開始しなさい』
『ハ!』
『タダチニ!』
【念話】にてフィジャックは第9中隊と入れ替わるように戦線から一時後退し、配給されているポーションによって戦闘による負傷を癒した第1、2、3中隊の各中隊長へと連絡をする。
死亡した兵が多く、負傷者も多かった正面を攻撃し続けていた第1、2、3中隊の残存兵力は150を切っていたがフィジャックは最終局面に近づきつつあると判断し、高所を中心に制圧を命じる。
防壁の崩落部分の周囲をフィジャックただ一人で制圧し、人間側に彼を仕留めようと動く騎士は存在せず、高所から弓矢で射ようとする兵も少なからず居たが、マジックアイテムにて展開した結界とは違い、強力な魔力が流れるフィジャックの結界によって全ての矢が阻まれていた。
絶対的な強者の登場によって戦況が一気に傾き始め、その傾きを逃す事無く、フィジャックの指示を受け第1、2、3中隊の魔物達が砦内の高所を一気に制圧してゆく。
傾き始めた戦況はこれで更に加速し、教会前を中心に形成していた騎士を中心とした人間達は第9中隊の無傷であるミノタウロスを中心とした魔物達に包囲されていく。
包囲の輪は長く、そして時間の経過と共に厚くなり、人間側はその圧力を受け密集陣形の大きさを徐々に小さくしていく。
ミノタウロスの多くは魔法耐性が低く、初級魔法であっても体に大きなダメージを受けるが、既に教会前にて布陣する騎士達の中に魔法を放てる者は存在しなくなっていた。
包囲する第9中隊のミノタウロスにも既に死傷者は20を超える損害を出していたが、それ以上に人間側の死傷者の数は増え続け、遂には左右のマジックアイテムによって出現した防壁もが破壊され第5、6中隊の魔物達が砦内へと再侵入を果たし、第1、2、3中隊と連携し砦内の高所に立つ兵を挟撃、撃滅する手を強めていた。
フィジャックは強力な結界を展開させながらも包囲する第9中隊の魔物に教会前へと続く進路を空けさせ、絶叫と悲鳴、怒号が飛び交う戦場を涼しい顔をして歩く。
包囲する魔物の群れを抜け、教会前に姿を現したフィジャックは密集する騎士の中に一際威厳を携えて立ち、瞳から戦う意思を今も宿らせている老騎士に着目する。
「あなたが指揮官とお見受けしますが、違いありませんか?」
「……そうだ、貴殿が魔物達を指揮する者か?」
「ええ……降伏する意思は有りますか?」
「魔物を相手に我々が撤退も降伏も許されぬ事、貴殿にわからぬはずはあるまい!」
「生存者への危害を加えぬ事を私の権限に置いてお約束します。勿論、武装の解除はして頂きますが。どうですか?」
「……一つ聞く、お前達の目的とは何だ」
老騎士のキューが目の前に悠然と現れた青いローブに身を包み、病的な肌をした半人のヴァンパイアの指揮官と言葉を交わす。
降伏せよと申し出る魔物側の指揮官であるヴァンパイアに、老騎士は降伏出来ない事を即答するが、尚も降伏を薦める半人のヴァンパイアに対して芽生えた疑問を口にした。
「我が主、王のご意思を私などの口から発する事など許されません。仮に出来たとしてもお答えする必要も認めませんが……。ご覧なさい、勝敗は既に決しています。目的がどうあれ、私も無為に兵を亡き者にする事を、あなたと同様に望みません」
その後、二者の間に交わされた言葉は無かった。
老騎士は降伏する事を受け入れず、グランバスの軍人であり騎士としてその命が尽きるまで剣を振るい続け、地に倒れ伏す。
老騎士と同じく、人間達の兵に降伏する者は無く、全ての兵が倒れ伏した頃には既に朝焼けが砦を照らしていた。




