32 初手
黒い体毛で覆われた小動物を引き連れて、半人のヴァンパイアであるフィジャックはグレスの制圧が完了した南側にある住居を解体する工兵部隊の作業を眺めていた。
人間が築いた砦と防衛線はグレスの町中央部にあり、フィジャックに指揮されたミノタウロスを中心に構成された第1、第2、第3中隊及び町の外縁部にて布陣していたゾンヌ指揮の第5、第6中隊が合流し、更に工兵部隊の進軍に併せて進軍した陣営地を守る為に駐屯していた守備部隊である第9中隊が合流していた。
合わせて6個中隊の軍勢が砦の前に走る大通りに布陣していた。
工兵部隊を指揮するオークのシュミットは浅黒い肌に滝のような汗を流し、部下のオークに指示を飛ばしていたが、先日の王への人間の雌を褒美として与えて欲しいという要望を出すという蛮行によって処断された中隊長や小隊長の穴埋めは不可能であり、本来の工兵部隊の能力を発揮する事は叶わなかった。
フィジャックもこの工兵の働きの鈍さには僅かに苛立ちを覚えたものの、オークである彼らの規律を引き締める事を怠っていた自身の浅はかさを反省していた。
魔物としては同列であり、自身の半人という汚らわしい血が無い純血種であるヴァンパイアのゾンヌが総指揮を執っていたならば、そんな思いもフィジャックの脳裏には浮かんでいた。
「おまえは悩む事はなさそうですね」
「……」
「……よく見るとあなたの目は魔物に似ていますねぇ」
フィジャックは青く気品のあるローブの裾にじゃれつく黒い小動物を抱き上げ、顔を近づけ瞳を観察しながら独り言とも言える言葉を漏らす。
「にゃー」
「それは肯定ですか?」
「にゃー」
抱え上げられた黒い小動物は短い手足を上下左右に振り回し、フィジャックの顔に触れようとする。
工兵達が住居を解体し、石材を中心に抽出、運搬し終えた頃には既に日が陰り始めていた。
夕暮れに照らされ、休むこと無く石材をミノタウロスの兵に縛り付けるために、ダンジョンから持ち運んできていた皮製のロープを石材に穴を穿ち通していく作業も工兵達によって簡易の工房とされた場所で行われていた。
第1、2、3の主にミノタウロス約250体の屈強な体には既に石材が取り付けられ、残りの第5、6、9中隊のミノタウロス用の石材も大半が作成済みであり、運搬と装着だけを残すのみとなっていた。
作業にかなりの時間を掛けたものの、終わりが見えた工兵部隊を指揮するオークのシュミットは体を強張らせつつも半人のフィジャックの前へと姿を現した。
「フィジャック様、石材の抽出、加工は全て完了致しました。現在、第5、6、9中隊の方々の下へと運搬、装着作業を残すのみで御座います」
「わかりました。あなた方は作業が終わり次第安全な区画にて待機。略奪行為などを行う部下を発見した場合は、ゾンヌにすぐ報せ、その場で処分するように」
「は!」
「ああ、シュミット待ちなさい」
「…は、はっ!」
一礼して残す作業をするため、静かにその場を去ろうとしたオークのシュミットをフィジャックは呼び止める。
「シュミット、この動物の名称を知っていますか?」
「…え、それは確か猫という生き物であると思いますが……」
「ふむ、そう言われると…そのような名称だった気がしますね、もう行って良いですよ」
唐突に問われた内容に困惑したシュミットであったが、それにも増して小さな黒猫を片手で持ち上げ話す魔物として上位種となるヴァンパイアの姿には驚かされていた。
魔物が野生の動物を使役する事は極稀にあるが、あのような小動物に興味を示すヴァンパイアなどシュミットには想像出来なかった。
シュミットが去った後もフィジャックは黒猫の体の細部を顔を近づけ観察し続けるが、拘束され続ける事を嫌う黒猫の小さな手がフィジャックの顔に押し付けられるが、意に介さないフィジャックは各中隊と工作部隊の作業が終わるまで黒猫の小さな抵抗を無視し、観察を続けていた。
夕陽が地平線に沈んだ頃、全中隊のミノタウロス、スケルトンに石材が装着され、フィジャックによって各中隊長、小隊事に砦への攻撃について詳細に指示が出された。
指示された内容はやや複雑であり、第1、2、3中隊は正面からフィジャックの広域範囲魔法後に力押しで防衛線を破壊、もしくは破壊が叶わないと判断した場合は損害を最小限にしつつ敵の攻勢を受け持つ。
第5、6中隊は左右に分かれ砦の防御に立つ兵の少ない線上を見つけ出し攻撃を仕掛ける。
残る第9中隊は予備兵力として大通りにて待機し、勝利を決定付ける場面での投入というものであった。
この作戦内容は各中隊の判断、特に第5、6中隊の指揮官である中隊長に拠る所が大きく、フィジャックからの指示も出されるが、現場での判断も考慮せよという事が含まれていた。
人間側の行動が完全に読めぬ大規模戦闘に置いて、フィジャックが即座に戦場全てを把握する事は不可能であり、現場の中隊長、小隊長に託された権限と責任は大きなものとなっていた。
大通りの正面、砦から200メートル程の地面に半人のヴァンパイアと足元に黒猫だけが立ち、後方に6個中隊が控える。
フィジャックは目を瞑り、自身の体内に内包される魔力を意識的に凝縮し始める。
【反転】の行使が砦攻略開始の第一段階であり、フィジャックが考える攻略の要であるが、この広域範囲魔法である【反転】を行使するには現段階でのフィジャックのレベルでは魔力総量のほぼ全てを必要とするため、体への負担が大きく、発動する前段階として体内の魔力を凝縮する必要を有していた。
しばらくして、フィジャックの周囲を青白い粒状の光が飛び交い始め、次第にフィジャックの体内へと全ての青白い粒が吸収されていく。
前方の砦からはにわかにざわめきが聞こえ始め、警戒を強める合図が鳴り響き、人々が怒号と共に動き出す気配をフィジャックは感じていた。
フィジャックの後方にて待機する魔物である兵達も、目の前の魔力の凝縮に目を奪われつつも、戦いがすぐそこに迫っていることを理解し怒号を発し始める。
周囲を彩る青白い粒状の光が全て消え、フィジャックは右手を掲げる。
掲げられた右手が振り下ろされると同時に、後方にて控えていた第1、2、3中隊及び第5、6中隊が一斉に前方の砦へと石材を腰に提げ、盾とハンドアックスを構えて地面を蹴り上げ突撃を開始する。
砦へと向けて突撃するミノタウロスを中心に構成された各中隊の兵は自重の半分程もある石材を装着している為、足取りは重く、人間達の目にも明らかに動きの鈍さが見て取れた。
「【解放】」
緩慢な動きを見せる中隊の後方に立つ半人のヴァンパイアの足元に、直径100メートルを超える緑色の巨大な魔法陣が浮かび上がる。
砦の防衛線上にて弓を構えた人間の兵達はその異常な大きさの魔法陣を目にして、敵である魔物達が人智を超えた化け物だという事を本能的に理解した。
巨大な魔法陣は緑色に光続け、徐々に砦の方へと移動し始める。
鈍い動きではあるが既に弓矢による攻撃範囲へと突入していた第1、2、3中隊も含め巨大な魔法陣は砦の地面全てを包み込む。
砦へと到達した魔法陣はその輝きを一際増し、膨大な光量を放つ。
フィジャックは、ヴァンイアパの持つ再生能力をも超える劣化によって体の至る箇所を切り裂き青い血を流していた。
満身創痍、既に限界を超えているフィジャックは【解放】によって自身の体の劣化によるダメージを意に介さぬ事で、巨大な魔法陣を現出させ移動させていた。
巨大な魔法陣を正確に移動させたフィジャックは、膨大な魔力を消耗して紡ぎ合わせつつ、力無く呟くように言葉を発した。
「【反転】」
巨大な魔法陣全てが一瞬にして青白い粒状の光点へと変化し、数万を超える粒が炸裂する。
魔法陣の範囲内にある全ての物質の重力が反転し、自重に変化が起きる。
およそ半分程度となった質量は人間、魔物、防衛線を構築する石材やコンクリート、手に持った武装など例外無く適用される。
砦を守る人間の兵達は不可思議な現象を理解出来ず、規律は乱さぬものの眼前に迫る魔物の軍勢から数瞬の間、目を逸らす事と成った。
人間とは違い魔物達に混乱など一切無く、事前に知り得ていた事であり、指示されていた通り自重が軽くなった体を躍動させ防衛線へと殺到する。
不可思議な現象に目を奪われる事無く冷静に敵を捉えていた人間の兵は、素早く力強い動きをし始めた魔物達を弓矢によって撃ち抜こうとしたが質量の変化によって射線が狂い、思うように命中させる事が叶わなくなっていた。
「惑わされるな! 目の前の魔物を排除せよ! 魔導士達は結界を展開しろ!」
「目の前の敵に集中しろ! この現象に惑わされるな!」
「右翼、左翼から魔物の一団が来ます!」
「ケスト! ガース! それぞれに左右の防衛の指揮を任せる! 騎士を何名か連れて行け」
「了解!」
「は!」
人間達に混乱はあったものの、すぐに騎士達により規律が維持され、左右から接近しつつある第5、6中隊の魔物への対応を隊長である老騎士のキューによって出された若き騎士であるケスト、カースによって防衛戦を執り行っていた。
攻城兵器などを魔物達が運用する可能性をキューは考え、対応する策も用意していたが、魔物達のほとんどが盾と斧を手に、力押しのみで防衛線の防壁の破壊を行っているようであった。
これならば高所から矢によって射殺するだけで防衛は容易かと思えたが、盾を掲げ規律正しく動き続ける魔物達の群れを排除する事は困難を極めた。
重力の反転によって起きた現象も弓矢を手にした兵の手元を狂わせていたが、問題は排除出来ない事に加えて、防壁の自重の低下によって想定した強度が著しく減少しており魔物達の打ち込む斧による斬撃によって破壊されつつある事の方であった。
キューはすぐに教会前に密集隊形で布陣する騎士を中心とした精鋭を集め、一部崩落しつつある防壁へと向かわせ魔物達の侵入を防ぎ続けていた。
騎士達はそれぞれが若く経験は浅いとも言えるが、個々の能力は通常の兵とは違い高く、幼き頃より騎士となる為だけに血と汗を流し続けてきたグランバス騎士は、他国の熟練した騎士と比べ高い戦闘能力を有している。
また、聖騎士と総称される治癒魔法に特化した騎士によって死に至る傷を負った騎士や兵を癒し、戦線へと帰す彼らの支えも魔物達の侵入を容易にはさせずにいた要因の一つであった。
教会前の正面の防衛は、防壁が一部崩壊しつつあるが何とか戦線を維持し、確実に魔物側へと被害を与え続けていた。
しかし、砦を囲う防衛線は左右の側面、防壁の数箇所が同時に崩落し多くの魔物の砦内への侵入を許す格好となっていた。
侵入した魔物達、主にミノタウロスの軍勢は教会前の広場の制圧を優先せず、砦や防衛線となる防壁上へと駆け上がり高所の制圧を優先して行いつつあった。
左右側面の弓矢で武装していた兵や、グレスの町に駐屯していた新兵の多くがミノタウロスの巨大な斧の一振りによって肉塊にされていた。
彼ら肉魂にされた兵も決して弱くは無かったが、左右の防壁を突破し砦へと侵入した魔物は普通とは言えなかった。目の前のミノタウロス達には規律があり、互いに連携し、傷を負ったミノタウロスを後方へと運搬する行動を見せるほどに訓練された強者であった。
「ケスト! ガース! くっ…」
若き二人の騎士の名を呼ぶキューはスケルトンによって放たれた矢を左肩に受ける。
すぐに隊長を守るように立ち並ぶ魔導騎士によって矢を放ったスケルトンに向け、火系の初級魔法が同時に複数放たれ、排除する。
「左右は突破されつつあるか……ガラント、ルークスは左右の防衛線に設置してあるマジックアイテムを起動させよ。イートン、正面に兵を集めろ」
「は!」
「直ちに!」
キューの指示を受け、若き騎士3名が地獄と化した戦場を駆ける。
数秒後、警報のラッパ音が鳴り響く。
無数の赤い光点が浮かび上がり、防衛線に築かれていた石材、コンクリート、魔物を巻き込むように爆裂が発生する。
退避する事が叶わなかった人間側の兵も少なからず居たが、爆裂に巻き込まれた大半は魔物達であった。
崩れ落ちた石材やコンクリートに埋もれたマジックアイテムが再び警報の音が鳴り響いた後に起動する。
起動したマジックアイテムからは硬質な石の壁が現出し、再び防衛線を構築する。
高濃度のエーテルが入った瓶から魔力を補給しながらも、フィジャックは戦況を確認する為に【念話】を使用する。
『はぁはぁ……グッ…人間も中々やりますねぇ。第5、6中隊の被害はどうですか?』
『第五中隊、二十二死亡、十一負傷』
『第六中隊、二十八死亡、五負傷』
【念話】によって偵察部隊として戦況を監視している高レベルのスケルトンからの報告を聞き、再生されぬ体に疲労を感じつつフィジャックは次の一手を打つタイミングを考えていた。




