29 処断
『グルン様、侵攻部隊からの定時連絡の他に、フィジャックがグルン様に裁定して頂きたいとの事が書かれた文書を伝令兵が所持しておりました。すぐにお届けに参ります』
『わかった。ゲートでの歩哨はヒルダに交代しておけ』
『は!』
フィジャック率いる侵攻部隊からの伝令により、ようやくダンジョンへとオークの一部の要望が届けられた。
グルンは玉座に座りフィジャックの直筆による文書に目を通す。
「オリビア、この文書にはこう書かれている。一部工兵部隊所属のオークが人間の町の侵攻に成功した場合、人間のメスを与えて欲しいとの事だ」
「……」
「オリビアが指揮官であれば、どう対処する? 参考までに申してみよ」
「はい。グルン様の裁定を仰ぐ事が叶うのであれば、フィジャックと同様グルン様にご裁定して頂きますが、私の判断が必要な状況下であれば、要望するオーク全てを処分致します」
「ほう。処分する必要はどこにある」
「二つ御座います。まずは戦果を上げぬ時点での報償の要求など規律を乱す元凶で御座います。これは芽の内に摘むべきでしょう。そしてもう一つ、侵攻し制圧後の人間の管理の効率化で御座います」
オリビアが玉座の前にて跪き、王の問いに答え続ける。
「一つ目の理由はよくわかった。しかし二つ目の人間の管理については少々言葉が足りぬな、具体的に申してみよ」
「はい、説明不足で御座いました。人間の管理と致しましては、此度の侵攻目標であるグレスという町の位置が関係しております。先日入手致しました地図が正確であれば、ダンジョンからの距離が近く、南はラーゼ公国の国境、関所、要塞までの距離もわずかしか御座いません。尚且つ、グランバスの王都と街道で繋がっております故、グレスを我々の生活圏の拠点及び防衛上の要衝として機能させるべきかと。そこで問題となるのが我々魔物だけでは町を機能させるには数的に不可能である事。町を有機的に機能させ、要衝として防衛能力を持続的に維持するには人間を一定数家畜として活動させる必要があると考えます」
「ふむ、オークの要望を予が許可すれば、対象となったメス以外の人間が従順ではなくなる。短期的にも長期的に見ても損失は大きいか」
「はい。グルン様がグレスを要衝として機能させるべきとお考えであればという前提では御座いますが」
「オリビアの考えはオークの士気と人間の反感とを比べてのものか。予とは根本が違うようだ……」
「……恐れながら、グルン様のお考えをお聞きしても宜しいでしょうか?」
オリビアは跪いた姿勢のまま、グルンによってダンジョンへ呼び戻されて以来、初めて自身にあるグルンの考えを知りたいという思いを発露させた。
グルンはこのオリビアの発言に虚を突かれたが、諌める事無く答える。
「予の意をオリビアにも伝えておくのも良いか……。まずグレスを要衝の地として侵攻後に制圧し防衛拠点として機能させるという考えは、予にはない。侵攻目標はあくまでも他のダンジョンであるしな」
「では、グレスへは侵攻後、制圧はせず町そのものを破壊するのでしょうか?」
「それはすぐにはせぬ。占拠した町の人間の反応を確かめ、統治しているグランバスという王国の反応も合わせて見る。その前提として人間がするように魔物を家畜として扱う行為を、我々も人間に対して行えば反応は予測可能であろうが、我々が人間に寛容であると示した場合の反応を予は見てみたいのだ」
「我々が人間に寛容……確かに人間がどのような反応を示すのか、予想出来ません」
「うむ。予もそれが知りたい」
グルンは人間の反応を見定める事を優先する為、配下であるオークの要望を却下する。
一見そう考えられる決断ではあるが、グルンもオリビアの考えと同じく戦果を上げずに要望を唱えるオークなど処分対象でしかなかった。
王とオリビアの話し合いの内容がそのままフィジャックに届けられる事はなかったが、グルンから伝令兵へと渡された文書には要約された内容が書かれ、フィジャックの率いる侵攻部隊の下へと届けられた。
「シュミット、陛下からの裁定が届きました」
「は!」
「陛下からの命令は要望を唱えたオーク全てを処分せよとの事です……」
「な! それは……」
「従えませんか?」
「ゾンヌ様、そ、そのような事は……」
フィジャックはシュミットの心痛を思いやりつつ王からの指示を伝えるが、横に控えて立っているゾンヌは王の指示に恭順の意を示さないオークのシュミットに、言葉で詰め寄る。
「シュミット、処分対象のオークの代わりとなるオークはすぐに配属出来そうですか?」
「中隊長、小隊長の配置転換を実施すれば何とか……」
「わかりました。では要望を唱えている者を全てここへ連れて来なさい。私が全て処分します」
「は!」
王からの裁定がシュミットの思っていたものよりも苛烈で厳しいものであり、彼は体を強張らせ工兵部隊が駐屯している陣営地内の区画に戻っていく。
指揮官区画にある一室にてフィジャックとゾンヌだけが残る。
「フィジャック、処分は私がしましょうか?」
「……これは私の責務でしょう。文書にはオークの処分以外にもいくつかの指示が追記されていましたが、グレスの町での我々の軍事行動に伴う人間への無意味な殺戮や奪略行為は厳禁との事です」
「そうですか。では禁を破った者は誰であろうと、その場で処分するよう徹底しておきましょう」
フィジャックの王の苛烈な指示に困惑する様子をよそに、ゾンヌは人間への寛容過ぎる王の命令に内心首を傾げていた。
魔物よりも人間の生命を優先する愚かな王であるのか、以前人間を蹂躙し糧とするとした王の宣言は偽りであったのか。
この人間の町への侵攻後に真意を確かめなくてはという思いを、ゾンヌは密かに抱いていた。
そんな二人の上位種の下へと要望を唱えたオークの中隊長、小隊長計5体がシュミットによって連れてこられ、フィジャックの重力魔法によって有無を唱える前に素早く処分された。
処分されたオークには何らの説明も無く、一瞬の出来事であり、遺体は一切残されず、フィジャックの表情にも一切の変化は無かった。
処分された事はすぐに工兵部隊、その他侵攻部隊全てに知れ渡る事となるが、兵の多くに変化の兆しは見られなかった。
そして、その日の内にフィジャックの号令によりグレス近郊、北側にある丘への進軍が開始される。
前日夜間の内に偵察が完了している丘への進軍は、滞りなく行われたが、人間の生活圏が至近である為、グレスの町では魔物の大群が突如現れる光景を目撃する人間が多数現れ、町一帯が恐慌状態に陥っていた。
慌てふためいたグレスの町長や、駐屯していた王国軍が急使を王都へ放ち援軍の要請をする。
未だグレスからの急の報せが届かぬ王都グランバス。
玉座があり謁見の間としても使用される光の間にてシャムドより来た外交官ピラトとグランバス王との会談が行われた。
会談はシャムド側のピラトが一方的に要求を通達し、グランバス王は終始会談中発言する事は無かった。
光の間で行われた会談は通常の会談よりも非常に早く終了したが、グランバス王の顔には疲れの色が色濃く出ていた。
「事前会談通り、シャムド首都ソンポへワシが出向いての謝罪と賠償の要求。受け入れられない場合は交易の即時停止。商人及び冒険者の出入国の停止まで通達してきおったな……」
「ええ、商人と冒険者の出入国まで通達してくるとは……。事前会談の段階では隠していたのか、本国からの指示が届いたのか……キアンからの指示の可能性が高いですね」
「お兄様、シャムド側は軍を動かすと仄めかして来たんですか?」
「直接的な言葉は無かったよ。ただ商人だけではなく冒険者の出入国まで停止するという事は、軍が動く可能性が高いだろうね」
「そうですか……ではトゥラマの出兵準備をさせておかねば成りませんわね……実験を」
「トゥラマにシャムド国境へ行って貰う必要はないよ」
トゥラマ、王女マリアが兄に向けて出した兵の名前。
トゥラマは彼女の直属の兵であり、王の命令であろうと承服する義務を持たない完全なる王女マリアの私兵部隊である。
王族であっても王の軍権外となる私兵を持つことなど、前例すら無いがマリアはそれを認められている。
公爵や大貴族であっても建前上はグランバス王の一家臣であり、彼らの私的財産によって維持されている私兵の軍権も同様にグランバス王にある。
兄であるコンラート王子は、いつも通りの妹へ接する軽い口調でトゥラマの軍事行動を制止する。
「王国軍を動かすのではありませんわよ?」
「うん。それでもトゥラマが動けば色々と目立ちすぎる。現時点ではシャムド側国境付近、関所、街道沿いの要塞には相応の警戒態勢を取らせれて置けばば良いよ」
「ではそれ以上に懸念すべき事がありますの?」
コンラートの言動はマリアの軍権を犯すものであり、これには兄妹であれどマリアは些か棘のある口調で問い返す。
「ある。ギルバートから確定情報ではないとの前置き付きだけどダンジョンの出現というものを聞かされた」
「な! ギルバートはどこに居るのでしょう……」
「彼もダンジョンの出現に関しては王都に戻り、冒険者ギルドマスターのアンジェから告げられたそうだからね。マリアにはすぐに伝える事が出来なかったようだよ」
驚きと喜びよりも、ギルバートが自身に最初に教えなかった理由が一番気に触った王女マリアは、兄であるコンラートに説明を促すように睨み付ける。
そんな空気を瞬時に察し、コンラートもマリアが怒らぬよう説明する。
「そうですか……それなら仕方が無いですわね。それにしましても、ダンジョンですか…」
「うん。アンジェは50年前にダンジョンへ潜った生き証人だからね。彼女がダンジョンの出現を予想したとなれば王国はその言葉を重く受け止めなければならないだろうね」
コンラートの言葉を最後に光の間を静寂が支配する。
「……先代、先々代の王は彼女には大恩がある。しかし彼女に此度も全てを背負わせるわけにはいかぬ。もしダンジョンが出現した事が誠であれば……コンラート、マリア、此度はワシを含め全ての王族が命を掛けて事に当たらなければならぬ」
グランバス王が沈黙を打ち破り、威厳に満ちた声を光の間に居る、二人の我が子に向けて発する。
その言葉を聞いた第1王子コンラート、第3王女マリアが光の間、玉座の前に跪き頭を垂れる。




