25 要求
「マリア、戻ったのか」
「お兄様、少しお話を伺っても宜しいですか?」
王宮へと戻り旅の疲れを癒さぬまま、王族が住まう区画へと足を運んだマリアは兄である、第一王子コンラートに声を掛けられる。
マリア、コンラート兄妹の仲は良好であり、王宮にて国内情勢などを聞こうと探していた一人でもあった。
「良いけど、今からシャムドの外交官との会談があってね。その後でも良ければ時間を作るよ?」
「ええ、構いません。では後ほど」
第一王子コンラートとは王宮内の廊下ですぐに別れ、マリアはそのまま王の私室であり、王族の者しか入室する事が許されない区画へと歩を進める。
華美な飾りなど無い大理石の床が続く廊下を進み、いくつかの重厚な扉と近衛の衛士を横目に王の私室へと到着する。
「入れ」
「お父様、只今戻りました」
「無事か?」
「はい。ギルバートは生きておりますわよ」
グランバス王は私室にある執務机の上に広げられた地図を見下げながら、マリアに問う。
マリアも自身の無事を聞かれていない事を承知しており、すぐに王の意を汲んでギルバートの無事を報せ、ギルバートに同行しシャムドで知り得た情報を手短に王に話す。
王もマリアからの報せの大部分は知っていたが、確証がなかった案件や一部初耳であった事もマリアによってもたらされた。
「ギルバートは現在、王都にて情報を集めていますので、今晩にでもお父様との謁見を許可して頂けませんか? 私よりも有益な情報を整理した上で報告を持ってくると思いますよ」
「うむ。使いの者にギルバートを王宮へ招くよう手配しておく。それとシャムドの方から外交使節がグランバスに訪れておるのは知っておるか? 事前会談はコンラートに任せておるが、おそらく……」
「謝罪と賠償の正式な要求。断れば交易の停止をちらつかせる」
「マリアもやはりそう考えるか。コンラートもそうであろうと、昨日言っておったな」
地図を見ていた目線をマリアに向かわせ、グランバス王はやや疲れた表情で娘であるマリアと言葉を交わす。
「交易の停止後、シャムドは国境に軍を近づけるであろうな。我らの軍が魔物から武具や消耗品を採取出来ないで疲弊するのを待つ間に、シャムドは軍備をより一層強化するであろう。その行為自体が既に戦争を意味するのだが」
「では、私とギルバートで軍を率いて多重広域範囲魔法の実験、いえ、最悪の事態が起きた場合の備えとしてシャムド側の国境に向かわせて頂けますか?」
「……まだ実際にシャムド側が謝罪と賠償を求めてきたわけではない、それに我らが断わらぬとも限らぬ。マリアの実験は無論許さぬ、というか止めて欲しい」
王と王女の上下関係が完全に入れ替わり、王の存在が小さく、それに反して王女の存在が大きくなる。
マリアの瞳には既に狂気の色が差し、亜麻色の髪の毛が留め置けない魔力の漏れにより揺らいでいる。
久しぶりに悪魔が顔を覗かせる。
第一王子コンラートが会談室へと入室し、室内に不備がないのを自身で確認し要人であるシャムドの外交官を招き入れるよう、部下に指示する。
外交官はすぐに会談室に現れコンラートに礼をして挨拶の口上を一通り述べる、外交官の供の者である従者は会談室の入り口でコンラートの直属の部下と睨みあう様に立ち並ぶ。
「コンラート殿下に直接お会いして頂けるとは、身に余る光栄で御座います。国家主席に代わりましてお礼申し上げます」
「我らの友であるシャムドの方々に、王族が礼を以って接するのは当然です」
角ばった顔に細い目の外交官の男が挨拶が終わり、お互いがイスに座るとまず話し始める。
言葉だけでは問題ない内容であっても、この外交官の口調にコンラートは早くも棘を感じる。
「ピラト殿、早速ですが此度の案件はどのようなものでしょう」
「これは事前会談という形ですが、我々に交渉するつもりも必要も無いという事を、まず申し上げておきましょう。国家主席スロン並びに副国家主席キアンの命をお伝えします。大戦下でのグランバスの非道を、現グランバス王がシャムドの首都ソンポで正式に謝罪し、大戦で不当に被害を被った戦災者への賠償金の支払いを求めます」
「何度も申し上げていますが、正式な謝罪と賠償金の支払いは既に30年前に両国の承認の上、条約が締結され謝罪も賠償金の支払いも条約に則り履行されましたが? あの条約をシャムドはお認めにならないという事で宜しいでしょうか」
外交官のピラトはにこやかな表情を浮かべてはいる。
コンラートとピラトの間で過去に何十回、何百回と行われてきた会話。外交官同士であれば数万回と交わされた内容。
ただ今回はピラトの口からは30年前の条約は無効であったという論理破綻した主張はされなかった。
「殿下、我々は今まで本当の意味での要求は行っていませんでした……。国力に差がありすぎましたからね、弱者が言葉を飾り虚勢を張ろうと、要求など本来行えないことは当たり前でしょう。しかし今や両国の情勢は変わりつつあります。今回シャムドは正式にグランバスに謝罪と賠償を《要求》します」
「なるほど。お断りすれば相応の行動をお取りになるつもりですね」
二人の間に長い沈黙が落ちる。
以前までに事前会談では双方が国家の利益を守る立場ではあるが、これはあくまでも事前会談であり、お互いが歩み寄れる接点を探る話し合いでもあり、落とし所を見つける作業であった。
しかし今回の事前会談は交渉ではなく一方的な正に要求そのものの色が濃い。
「ええ……交易の全面的な停止処置を行わざるを得ないでしょう」
「わかりました。それがシャムドの主張というわけですね。王にお伝えしておきます。今回の事前会談での私からの回答は申し訳御座いませんが致しかねます」
「そうでしょう……殿下の一存でお答出来る事ではないでしょうからね」
にこやかに返答したピラトの笑みにはコンラートへの嘲笑が混ざっていた。
外交官であればそのような不敬な態度は恥ずべき行動であるが、ピラトにそのような行動を隠そうとする素振りは一切なかった。
その後、王が近日中に正式にシャムド側の要求に対する回答を行う事がコンラートから告げられ、事前会談は終了する。
会談を終えたコンラートは事前に内容を想定しており、表情一つ変えずに会談室を後にし、妹であるマリアの私室へと向かった。
ギルバートは王都の中にある酒場を転々と移動し、ある集団を捜し求めていた。
先程冒険者ギルドマスターのアンジェと別れてから、かなりの時間をその集団捜しに費やしていたが八軒目の酒場でようやく見つけることが出来た。
「やっと見つけた」
「あん? ギルバートか。何の用だ」
「一人足りないな、ミックスはまた寝てるのか?」
「やっほー、ギルバート久しぶりだね」
「……」
「ああ、ミックスは明日まで寝てると思うぞ。俺達を捜してたって事は仕事の依頼か?」
酒場の二階席にてギルバートに最初に返事をした者は昼間から酒をあおり、筋肉の鎧を纏った白髪混じりの壮年の戦士風の男。
その隣で細身の刀という武器を膝に抱えて黙ったまま目を瞑り、長細い野菜のような顔をした黒髪の青年。
軽い口調でギルバートに挨拶し、一人だけ場違いと思わせるような胸の谷間を強調した薄手の服装を着た赤い髪の女性。
ギルバートが捜し求めていた集団と会話をはじめる。
「いつもの依頼じゃないんだけどな。カノープスが一月程前から深淵の森に出立したきり戻ってないのは、おまえ達も知ってるだろ」
「ああ、ガウェインの小僧が戻らないのは喜ばしい事だな。パイクスはちと心配だな、変なガキを連れて回ってたしな」
「そーそー、なんだっけー。クロ?シロ?とかいうあのボウヤ。色々と狙われてたみたいだしねー」
「カノープス以外でも一月程前から魔物不足が酷くなって、街道沿いでしか活動してなかった連中まで深淵の森の奥まで魔物を探しに行ってるな」
「だねー、カノープスに負けてられない! とか鼻息を荒くした男が一杯居たわねー。どいつもこいつも戻って来られないだろうねー」
彼らはカノープスの名を聞いて、以前深淵の森の奥地へと魔物を探しに出立していた事を思い出し、口々に話し始める。
「レックス達で深淵の森の調査を行って貰えないか? カノープスの連中が取った進路をわかる範囲で良いから辿ってな」
「ん? やっぱあいつら死んだのか? パイクス以外素人のようなもんだったが……遺跡まで行くとしてもパイクスが居れば大丈夫じゃねーか?」
「まだ確定情報じゃないが、ババアも俺もダンジョンの出現が起きたと考えてる」
「おい!!!」
「……」
「まじで!!!」
ギルバートの落とした爆弾に三人の男女がそれぞれ反応する。
「確定じゃないからな。あくまでも情報を統合して考えた上での推測だ。だがいつまでも推測のまま放置しておく訳には行かない問題だ。軍が動くには時間が掛かりすぎる、お前達でまずカノープスが行方を途絶えさせた場所、もしくは彼らの死体、出来ればゲートの存在を確認して来て欲しいんだ」
「ダンジョンが絡んでるんなら高いぞ。それに今は魔物が消えちまって武具はおろかマジックアイテムすら手に入らねぇ。そっちの準備も含めてギルバートが手配してくれるのか?」
「ああ、それは問題ない。金はババアに出させる」
壮年の男がギルバートを睨みつけるように黙って見続ける。
野菜のような男と赤い髪の女は、黙ったままの壮年の男を見続ける。
「わかった。報酬は全額前払いで金貨800枚に各種消耗品は最高級品で四人分全てそっちで用意する事。これなら受ける」
「アイテムの方は最高級品はたぶん無理だ。その代わり報酬を金貨1000枚にする、これでどうだ」
「ああ、それで手を打ってやるよ」
「じゃあ金は明日の夜にババアのとこに受け取りに行ってくれ。アイテムの方は中級くらいなら出来るだけ用意して、ギルドに届けておく。報告はいつも通りババアに頼む」
「ああ、わかった」
依頼はこれで纏まり、ギルバートは席に座る事無く早々に酒場から立ち去っていく。
残された男女三人は早速各々がやるべき事が決まっているのか、酒場から出て別々の方向へと迷い無く歩き始める。




