15 撤退
3mを超える筋肉の塊がぶつかり合う。側頭部から伸びる禍々しい角を交錯させ互いに譲らない。そのような光景が辺り一面で無数に起きる。肉と肉、武器や防具のぶつかり合う衝撃音。魔石が破壊され魔力が四散していく光。模擬戦は開始早々に激しい様相を呈していた。
まず始めに起きた衝突は西側のフィジャック率いる横一列に陣形を取った歩兵3個半中隊の右翼部隊と左翼部隊に、ゾンヌ率いる東側のV字型に展開された陣形の両端部分の右翼部隊と左翼部隊が激しくぶつかり合った。
しかし東側の右翼部隊は弓兵の構成比率が高く、じりじりと西側の左翼側に押し込まれていく。最初の衝突で既に東側の右翼部隊の多くのミノタウロスの胸の魔石が破壊され戦線を離脱しはじめていた。
フィジャックは【念話】にて自軍の中隊長に左翼方面が最初の衝突での勝機と見て指示を出す。
『相手の右翼部隊はをこちらの左翼部隊の1個中隊全てで粉砕してください。多少陣形が崩れても構いません』
『リョウカイ』
このフィジャックの指示により中隊長のミノタウロスから各小隊長へ指示が出る。やはりフィジャックもゾンヌが右翼部隊に弓兵であるスケルトンを集めていることが最大の懸念事項であった為、陣形が崩れても構わず左翼部隊の1個中隊で相手の右翼部隊を力でねじ伏せる事にした。
西側の左翼部隊が東側の右翼部隊を猛追するあまり、東側の右翼部隊への損害は著しいものとはなるが、西側の横一列に布陣されている横陣の中央1個半中隊と左翼部隊との間にに大きな隙間が出来てしまう。
ゾンヌはそれを待っていたかのように【念話】で中央に配した2個中隊に指示を出す。
『中央2個中隊は相手の中央部隊への突撃を開始。そのまま陣形を突破し左回りに旋回、相手の右翼部隊の後背へと回り込みなさい』
『ハ!』
『ギョイ』
Vの字の陣形であった東側は右翼部隊が壊滅寸前ではあったがじりじりと後退しつつ、相手の左翼部隊を孤立させていた。そこへVの字の中央底部分に配していた2個中隊が一気に西側の中央部隊へと突撃を開始した。相手の中央部隊は1個中隊と半個中隊のみであり、数的にかなり優位。
しかもゾンヌは中央の2個中隊にはスケルトンを右翼部隊に回した分、ミノタウロスの歩兵をこちらへ通用より多く配置していた。
東側の中央2個中隊は全てがミノタウロスであり、接近戦に持ち込めば圧倒的に有利となる。
「面白い。ゾンヌは右翼部隊を最初から囮にしていたんだな」
「そのようです。中央2個中隊全てにミノタウロスを配していたのも、中央突破を見越しての事でしょう」
「さて、ここからフィジャックがどれだけ踏ん張れるかだが……」
展望台から刻々と変化する戦況を見守るグルンがオリビアと戦況について話している。
そこにはゼルダ、ヒルダも時折混ざりながらも、皆真剣に次の展開を予想し、陣形の不備について話していた。しかしシュミットだけは先程のオリビアの魔法により未だ眠っていた。
東西の中央部隊の激突。西側フィジャック率いる中央1個半中隊は東側ゾンヌの2個中隊のミノタウロスのみで編成された部隊の突破力を押し返すことが叶わず、数分足らずで胸に付けられた魔石を破壊される者を半数以上出し、半壊状態に陥る。ゾンヌはその様子を確認し、そのまま西側の右翼部隊の後背へと自軍の中央部隊を旋回させて突撃させる。
フィジャックも虎の子である予備兵力の半個中隊を右翼部隊の支援へと向かわせるも、ゾンヌの的確な指示によって西側フィジャックの右翼部隊も範囲殲滅されていく。
「やはり西側の右翼部隊もこのままでは磨り減らされるか」
「はい、西側の中央部隊は小隊長、中隊長のほとんどが離脱している為、半滅とは云え機能しておりませんね」
「でも西側の左翼部隊は東側のゾンヌ様の右翼部隊を粗方殲滅したようですわよ? 今から主戦場へ合流すれば数的には互角になりませんか?」
「西側の左翼部隊とて無傷ではない、既に数の上でも東側のゾンヌが圧倒している」
展望台から模擬戦を眺めるグルンの言葉は、既に勝敗が決していると皆が納得するものであった。
フィジャックは指揮している場所で静かに眼を閉じ【念話】で各中隊長、小隊長に指示を出す。
『全部隊撤退を開始せよ。敵に背を向けず、被害を最小限に抑えるよう行動せよ』
フィジャックにとっては既に初手の段階で勝敗は決していたのを理解していた。虎の子の半個中隊の投入も撤退を最小限の被害で抑えるための処置であって勝機を見つけ出す為ではなかった。
西側フィジャック率いる左翼、右翼、中央の各残存する部隊が規律を保ちながらの堂々たる撤退行動が開始される。
東側のゾンヌも無理に範囲している陣形を固辞せずに、各中隊で攻撃可能な範囲のみへの追撃を指示し、深追いをきつく禁じた。東側の各部隊も損害の大小はあれど離脱した兵も多く、敵の撤退にあわせて小隊単位で欠員が多いため再編成しつつ陣形を整えていた。
「見事だ。ゼルダ、ヒルダよく覚えておけ。フィジャックのあの撤退の判断は素晴らしい。そしてゾンヌも深追いはせずすぐに部隊の再編をさせている」
立ち上がりやや興奮気味にグルンはゼルダとヒルダに話しかける。いつもは感情の波がまったくと言っていいほど見られない王の姿に二人のサキュバスは目を丸くしている。
興奮冷めやらぬグルンは展望台から駆け下り、フィジャックとゾンヌの方へと歩を進める。その行動に気付いたオリビア達も慌てて同行する。
フィジャックもゾンヌもお互い勝敗が決している事、互いにこれ以上戦闘は無いという事を理解している為、【念話】によって確認するような無粋な事もせずに、怪我人の搬送などを中隊長、小隊長に指示していた。そこへグルン一向が演習場の戦闘が行われた付近へと姿を現した。
満身創痍の者や怪我によって立てなくなった者はすぐに搬送されてはいたが、打撲や切り傷など軽症者がほとんどでもあるが、全ての兵がグルンの姿を確認し跪く。
それと同時にフィジャックとゾンヌもグルンの目前へと出向き跪き礼をする。
「此度の模擬戦、西側に布陣した大隊の敗因は、私の指揮能力の低さに拠る所が全てで御座います。中隊長以下全ての兵は指示通り行動し奮戦致しました故、何卒お許しを……」
「確かにフィジャックはゾンヌの指揮する東側の右翼部隊の囮を見抜けなかったのが敗因であろう。しかし兵の損失を最小限に押し止め、限界点を見定めた撤退は見事であったと予は考える。西側の将兵の奮戦も認めよう、西側の兵全員に魔酒を振舞ってやれ。それと明日は訓練も免除だ」
「勿体無きお言葉で御座います……兵への寛大なる処遇感謝致します」
フィジャックはまだ何か言い足りないような顔をしてはいたが、すぐに頭を下げ言葉を呑んだ。
「ゾンヌ。フィジャックの指揮する兵を打ち破ったこと重畳である。フィジャックの指揮する西側の兵の撤退への闇雲な追撃を行わず自軍の限界を知り即座に再編し布陣しなおしたのは見事であった。勝利も勿論だが、その後の戦後処理を予は高く評価している」
「……有難う御座います。追撃は訓練において無益であり、兵の増長を招く恐れがありますので、行わなかっただけの事で御座います」
「東側の兵にも魔酒を振舞い明日の訓練も免除だ。勝利の褒美に全員に魔力チップ100枚も配布してやれ」
ゾンヌはフィジャックとは違い、王に褒められた所で口数の少なさは相変わらずであった。フィジャックの指揮する兵を打ち負かしたからといって、彼女自身に増長した態度や言葉もまったく出なかった事は、フィジャックをやや困惑させていた。
自分などより彼女こそが王から預かる兵の指揮官に相応しいのではと考えるようになっていた。
「グルン様」
「何だフィジャック、まだ何かあるのか?」
「本日のゾンヌの素晴らしい指揮を、グルン様もお認めになる所であるように、私も同じ考えで御座います。私の指揮官としての権限をゾンヌに与えて頂けないでしょうか?」
フィジャックはやや逡巡しながらも言葉を紡いでグルンに提案する。自分に才が無い事を認めるのは誇り高きヴァンパイアである彼にとっては耐え難い恥辱であるが、他者の才を認めぬ愚はそれ以上に耐え難い行為でもあった。
「予はこの模擬戦を見て改めてフィジャックこそ指揮官に相応しいと思うのだが?」
「い、いえ、しかし私はゾンヌの指揮する兵に……」
「撤退する兵を指揮する者が指揮官に相応しく無く、勝利した者が指揮官に相応しいのであれば、撤退は絶対に出来ぬ行為にならぬか? 確かに勝機を逃し撤退を繰り返す指揮官は無能であろうが、予はフィジャックがその無能な指揮官だとは考えぬ。ゾンヌの才はある部分ではフィジャックより優れているのも確かではあるが、ゾンヌの才を遺憾なく発揮させられるようフィジャックが指揮官として器量を示せば良い」
「勿体無きお言葉、私の考えが愚かで御座いました」
フィジャックは憑き物が落ちたように納得し、ゾンヌの才を最大限活かす事が自身の務めであると得心した。
フィジャックと王のやり取りを見ていたオリビアやゼルダ、ヒルダも王がゾンヌの才を認めている事を少々複雑な思いではあったが、認めざるを得ないという気持ちも確かにあった。
そんな中、当の本人であるゾンヌだけが我関せずといった顔で跪いたままの姿勢で頭を下げ続けていた。
模擬戦が終了し、フィジャック、ゾンヌは負傷者や中隊長、小隊長を集め部隊事の模擬戦での行動の報告、分析、反省点と改善点などが話し合われた。この会議には、当初ゾンヌは墓場の管理があるとフィジャックに伝え欠席する構えであったが、フィジャックから参加して貰わないと困ると懇願されて渋々ながらと云った態度で参加していた。
日頃こういった場に現れないゾンヌが会議室に着席していた事により、中隊長以下のミノタウロスは模擬戦後の肉体疲労に加え、精神的にも追い詰めらていた。
しかしゾンヌの的確な分析、改善点の提案は素晴らしく、フィジャックも全面的にゾンヌの案を取り入れ、非常に有益な会議となった。
その会議に参加予定であった武具開発担当のシュミットは会議が終了する頃にようやく目を覚ましていた。
■グルン Lv6 (next200/1000)
■残り時間[24(d):02(h):06(m):31(s)]




