36 黄昏の街、出現
(確かに、手詰まり気味の今、綺麗な空気吸った方が、いい手を考え付き易いかもな)
心の中で呟きながら、竜巻は風が流れて来る西側の窓に目を遣る。そして、大きく深呼吸して、脳に新鮮な酸素を送り込む。夕焼け空を眺めながら。
夕焼け空を眺める竜巻の目に、淡いオレンジ色の浮遊物が映る。夕焼け空を、風に流されているのだろう、南から北に向かって飛んでいる、風船である。
(オレンジ色に見えるのは、夕日のせいだろう。ありゃ本当は、白い風船だな)
白い風船という言葉を心の中で呟いた瞬間、竜巻は思い出す。その風船と良く似た存在を。そして、その存在……巨大な風船の如きラジオゾンデの所有者が、自分が魔術師だと確信している、春永である事も、竜巻は思い出す。
(――閏間先生は魔術師で、尚且つ部屋の中には魔術式は無い。でも、屋上から空に飛ばしているラジオゾンデは、閏間先生の所有物で、当然の様に部屋の中には無い……)
判明している事実を、竜巻は頭の中で列挙する。すると、それらの事実が自然に結び付き合い、一つの答えとなって、竜巻の頭の中に閃く。パズルが解けた様な、喜びや興奮と共に。
「分かったよ、閏間先生! あんたが隠蔽魔術の魔術式を記した場所が!」
不敵な笑みを浮かべ、竜巻は春永に宣言すると、開け放たれた窓に向かって歩き始め、窓の外に飛び出す。そこは三階でベランダやテラスは無いのだが、空を飛べる竜巻は落下せず、窓の外で宙に浮いたまま、真上を見上げる。
空を見上げる竜巻を目にして、春永の表情が凍り付く。
「証拠を出せと言ったよな? 出してやるよ、あんたが魔術師だって証拠をさぁ!」
右手に握る拳銃の銃口を、夕焼け空に向ける。無論、空を撃とうとしている訳では無い。竜巻が照準に捉えているのは、淡いオレンジ色に見えるが、本当は白い風船の様な球体……ラジオゾンデである。
ラジオゾンデに狙いを定めた竜巻を見て、焦りの表情を浮かべた春永が、いきなり素早い動きを見せる。右手の人差し指の指先を舐め、一瞬で左掌に黒い魔術式……攻撃魔術に使用される魔術式を書き込むと、短い呪文を唱える。
直後、春永の左腕が火炎放射器にでも化したかの様に、左掌から勢い良く紅蓮の炎が噴出する。窓の外にいる竜巻に向かって、炎の蛇が襲い掛かる。
(炎撃魔術の……炎の蛇!! やっぱり、こいつ魔術師じゃねーか!)
春永が魔術式と呪文で発動した、蛇の如き細長い炎を放って攻撃する魔術は、炎で攻撃を行う炎撃魔術に分類される、炎の蛇と呼ばれる魔術だった。至近距離の上、射撃のモーションに入っていた竜巻は、回避が間に合いそうにない奇襲攻撃を受け、焦る。
炎の蛇が竜巻に迫り、ガンブラットと化した身体に、舌を這わせようとした瞬間、炎は壁に衝突した為、竜巻の身には届かない。炎は突如、黄色い光と共に出現した煉瓦の壁により、防がれたのだ。
竜巻は安堵の表情を浮かべつつ、純一をヒーローとしての名で呼び、礼を言う。
「危ねー! 助かったぜ、タロッティア!」
純一は竜巻の礼に、手を挙げて応えてから、一瞬で引き抜いたタロットカード……塔のカードを、束に戻す。すると、煉瓦の壁は現れた時と同様、黄色い光と共に、瞬時に姿を消してしまう。
春永が炎撃魔術を発動させた事に気付いた純一は、即座に塔のカードを発動させた。異空間に存在する煉瓦造りの塔を、自分の周囲に自在に出現させる塔のカードは、塔の中で身を休めたり、塔の中に入って身を守ったりする用途に利用出来る。
塔全体だけでなく、一部だけを瞬時に呼び出し、防御用の盾にしたりも出来る。つまり、竜巻は塔の一部である煉瓦の壁を、竜巻の前に出現させ、竜巻を守ったのである。
無論、攻撃魔術を防げるのだから、ただの煉瓦の壁では無い。ヴリルによって作り出された煉瓦の壁は、戦車砲の直撃すら、平然と防御し切れてしまう、強固な防御能力を誇る。
攻撃主体の能力を持つ者が多い、放課後ヴィジランテスのメンバーにおいて、純一が変身するタロッティアは、最高の防御能力を誇る。ロールプレイングゲームのパーティで言えば、僧侶や白魔術士などとに相当する、防御やバックアップなどを得意とする存在が、タロッティアなのだ。
純一のお陰で春永による攻撃を受けずに済んだ竜巻は、ラジオゾンデに向けた拳銃の引き金を引く。銃声を空と室内に反響させつつ、空に向かって吹き出るマズルファイア(銃口から噴出す炎の事)。
リコイル(射撃の際の反動)がかかったせいで、微妙に沈んだ身体の位置を調整しつつ、自分が放った銃弾を、竜巻は目で追う。ヴリルを原料として作り出す、本物の銃弾より遙かに硬い銃弾を。
ぶら下げた箱ごと、銃弾はラジオゾンデの気球を貫く。破裂音を響かせつつ、割れた風船の様に弾け飛び、気球部分の上面が、下からも見える様になる。
上面には光を失いつつあるが、青い魔術式の跡が残っているのを、竜巻は視認する。
「やっぱり、隠蔽魔術の魔術式は、ラジオゾンデに書き込んであったんだな! あんたが作ったラジオゾンデに!」
竜巻は勝ち誇った様な口調で、春永に語り掛ける。春永が魔術師であるのは間違い無いが、部屋の中には魔術式が無いのも確実。つまり、隠蔽魔術の魔術式自体は、部屋では無い何処かに仕掛けられている。
だが、天津甕高校中を探したが、目当ての魔術式は見付からなかった。探し出そうにも、既に探すべき場所すら思いつかない……そんな状態の竜巻は、偶然にも空を飛ぶ風船を目にして、風船に似たラジオゾンデの存在を思い出したのだ。
高校の敷地内は全て探したが、竜巻達は空までは探していなかった。空に魔術式が仕掛けてあるなどと、竜巻達は思い付きもしなかったのである。
そんな空に、春永が作ったというラジオゾンデがある事を思い出した竜巻は、気付いたのだ。春永がラジオゾンデに、隠蔽魔術の魔術式を仕掛けたかも知れない可能性に。
竜巻の読みは、正鵠を射ていた。竜巻の狙撃により、ラジオゾンデに書き込まれていた、仄かな青い光を放つ魔術式は破壊され、隠蔽魔術は解除されたのである。
「証拠出してやったぞ! 魔術師だって事実を、素直に認めろよ!」
勝ち誇る竜巻に、音音が冷静な突込みを入れる。
「炎撃魔術使ってる時点で、もう閏間先生は自分が魔術師だって事を、隠す気無いと思うのだ」
「それは、確かに」
音音の言葉に、竜巻が同意の言葉を口にした直後、雲一つ無い朱に染まる空を、数条の稲妻が走る。晴れ渡る夕焼け空に雷鳴を轟かせながら、稲妻のスパークが蜘蛛の巣に似た模様を描く光景は、見る者に奇異な印象を抱かせる。
雷が発生する様な天気では無い上、稲妻が蜘蛛の巣に似た模様を描くのは、ちょうど天津甕高校の上空だけである事も、通常の雷とは相当に様子が異なる。それも当然だろう、発生したのは自然現象の稲妻では無く、魔術的結界が消滅する際に発生する、魔術的現象の稲妻なのだから。
「結界が消え始めたんだ……」
驚きの余り大きく開いた目で、空に広がる稲妻を見上げながら、竜巻は唾を飲み込む。
「――にしても、何てでかい結界だよ。天津甕高校を敷地ごと覆い隠せるくらいの、サイズじゃん」
稲妻が広がる範囲が、消滅する結界のサイズを示している。見ただけでは高さが把握出来ないので、大よそのサイズしか分からないのだが、桁外れに大きな結界なのは、明白であった。
「高さは五百メートル、大きさは……直径一キロくらいなのだ」
窓の外に飛び出して来た音音が、大雑把な高さとサイズを見切る。音音は鼻も良いのだが、距離感などを捉える野生的な感覚も、優れている。
程無く稲妻が収まると、稲妻がスパークしていた辺りに、徐々に何かが姿を現す。結界が至る所で消滅を開始し、結界に覆い隠されていた物が、姿を現し始めたのだ。
夕焼けの海に浮かぶ小島の上にある、中世ヨーロッパ風の石造りの街並を、空から眺めた鳥瞰図……そう表現するのが相応しい光景。実際は海に浮かんでる訳では無い、夕日に照らされたオレンジ色の海に似た黄昏色の空間に、小島……ではなく、地面ごと切り取られた街が、そのまま浮かんでいるのである。
蜃気楼の様に逆さまになり、顕幽市の真上に現れた街こそが黄昏の街なのだと、竜巻達は即座に悟る。黄昏の街の周囲にある空間が、終わり無き黄昏である事も。
顕幽市の空も夕焼け空である為、黄昏色である終わり無き黄昏と、色合いは似ている。だが、夜に近付く東空が暗いせいで、夕焼け空の方はグラデーションになっている為、巨大な円を描く終わり無き黄昏と顕幽市の空の境界は、それなりに明確になっている。
「落ちて来ないのが、不思議だな」
裏返しになったまま、空に浮いている様に見える黄昏の街を見上げつつ、純一は呟く。その巨大な存在感に、純一は威圧されてしまう。
「何をボーっと見物してんのよ、お前ら? さっさと壊すぞ、黄昏の街!」
黄昏の街の存在感に、気圧されていた純一と音音を口で急かしながら、竜巻は空に向かって急上昇を開始する。既に右手だけでなく左手にも、拳銃が握られている。
音音と純一も、竜巻の後を追い始める。三人が飛び立ったので、窓の外には既に誰もいない。
「悪いが、君達の好きにさせるつもりは無いよ!」
既に去った三人への言葉を口にしてから、春永はソファーの前にしゃがみ込む。両手の指先を舐めて唾液を付着させると、春永は唾液をインクとして、両手の指先で魔術式を床に書き込む。
黄色い光を放って見える召還魔術式を書き終えた春永は、早口で呪文を唱え、召還魔術を発動する。魔術式が強烈な閃光を放った直後、黒いスーツケースが召還される。
スーツケースを手に取った春永は、窓際に駆け寄ると、スーツケースを床に置いて開き、先程とは別の呪文を唱え始める。すると、中に詰められていた白い球体……月の卵に記された黒い魔術式に、ヒビが入り始める。
鳥の卵が孵るかの様に、月の卵が孵り始めたのだ。鳥の卵から生まれるのが、鳥の子供の雛である様に、月の卵から生まれたのは、月の子供……ムーンチャイルド。
卵から孵ったばかりのムーンチャイルドは、満月の様に黄色く光る、食玩のオマケに付いているフィギュア程の大きさの小人に見える。
「僕の忠実なる下僕として生まれ出でた、月の子供達……ムーンチャイルド達よ!」
魔術師の下僕……使い魔である黄色い小人達に、春永は呼びかける。ちなみに、チャイルド(子供)の複数形はチルドレン(子供達)だが、ムーンチャイルドは複数であっても、ムーンチルドレンとは呼ばない。理由は、ムーンチルドレンは魔術業界において、別の意味を持つ言葉である為、便宜上ムーンチルドレンという言葉は、ムーンチャイルドの複数形としては、用いないのが慣習なのである。
「僕の敵と戦い、倒せ! 敵を、跡形も無く消し去れ!」
春永は窓から上半身を乗り出し、急上昇して行く竜巻達を探し出す。そして右手で竜巻達を指し示す、春永の後を子供の様について来て、窓から空を見上げたムーンチャイルド達に。
「敵の名は放課後ヴィジランテス! ガンブラットにタロッティア、そして猫姫の三人!」
ムーンチャイルド達は春永の呼びかけに応じる様に、両手を高々と掲げる。そして、次々と窓の外に飛び出して行く。ムーンチャイルド達は飛行能力を持っているのだ。
急上昇するムーンチャイルド達のサイズが、次第に大きくなり始める。猫程の大きさから犬程の大きさになり、思春期の少年少女程のサイズに達するまで、大きくなり続けた。
金髪金眼に黄色いスーツという出で立ちの、整い過ぎた顔立ちの西洋人の少年少女達というのが、その外見の印象である。肌の色はアンティークの西洋人形の様に白く、額と両手の甲に、月の卵に記されていたのと同じ、黒い魔術式が記されている。
この少年少女達の姿が、ムーンチャイルドの正式な姿である。二百体のムーンチャイルド達は、竜巻達に向かって竜巻と同等の速度で飛んで行く。
飛び去る下僕達……ムーンチャイルド達を見上げていた春永は、傍らまで歩いて近付いて来た女に目線を移す。そして、女を抱き寄せて、深く唇を重ねる。
「僕も戦いに行く、僕達の時間を守る為に」
「春永……」
恋人の身を案じているのだろう、切なげに細めた目で、女は春永を見詰める。
「安心しなよ、智香。僕は強いから、負けやしない。彼等を殺して、すぐに戻って来るから、ここで待っていてくれ」
春永は強い口調で、智香に訴え続ける。
「君に戦いは似合わないし、君に人殺しなどさせたくない。だから、絶対に戦おうなどと、考えないでくれ。戦うのは……人を殺めて汚れるのは、僕だけでいいんだ」
「殺せるの、本当に? 貴方の生徒達なんでしょ、あの子達」
不安げに問いかける女……智香に、春永は言い切る。
「殺せるさ。僕達の時間を守る為なら、命を奪う人間の数が何人増えようが、僕の心は痛みはしないんだから」
春永は部屋の中の本棚を一瞥し、露悪的な口調で、話を続ける。
「あの子達三人を殺して抱く感情など、私にとっては、本で埋め尽くされている書斎に、また本が三冊増えた程度のものでしかないのさ」
そして、春永は目線を智香に戻すと、もう一度……深くて甘いキスを交わす。互いの存在を、刻み付け合うかの様なキスを終え、二人は身体を離す。
「悪い人……」
夕陽のせいで目立たないが、頬を染めている智香は呟いた後、首を横に振ってから、言い直す。
「いいえ、哀しい人ね……貴方は」
切なげな目で見詰める智香に、春永は背を向けると、窓枠に足をかける。
「――君程じゃない」
そう言い残し、窓枠を蹴って宙に舞った春永の目もまた、智香同様に切なげであった。




