33 カンナがハジキンを嫌っていた理由
焦っていた。熟した果実の様な色合いに染まる天津甕高校で、竜巻は焦っていた。午後五時半を過ぎている顕幽市は、黄昏時を迎えている。
既に終わり無き黄昏への通路は、開いている筈。黄昏時が来る前に通路を探し出し、黄昏の街が姿を現したら即座に破壊するという、竜巻の目論見は、頓挫してしまったのだ。
このままでは、今日もムカシノジブンの犠牲者が、出てしまう可能性がある。故に、竜巻は焦りながら、天津甕高校の敷地内を駆け回っていた。
だが、見付からない。青く光る魔術式が、見付からない。既に目に付いた青く光る魔術式は、全て解除し尽くしてしまっていた現状、隠蔽魔術の魔術式自体が見付からない状況なのだ。
(何処だ? 何処にある?)
部活動の締め括りに入りつつある、運動部の生徒達がいる校庭を駆け抜け、体育倉庫の内外は当然、跳び箱の中から屋根の上に至るまで、まだ探していない所を必死で思い浮かべながら、竜巻は青く光る魔術式を探し続ける。
無論、音音と純一も天津甕高校の敷地内を、竜巻同様に焦りながら、駆け回っていた。それでも見付からない。通路を隠蔽する為の魔術式が、見付からない。
そして、隠蔽魔術の魔術式が作り出す魔術的結界により、存在を完全に隠蔽している、終わり無き黄昏に通じる通路から、ムカシノジブンは黄昏時の顕幽市に、現れていたのだ。誰もいなかった場所に、蜃気楼の様に揺らめきながら姿を現したムカシノジブン達は、自分を捨てたオリジナルの人間を求め、顕幽市の街中に、姿を消して行く。
その中の一体が、自分に関わる人間に迫りつつあるのを、竜巻は知る由も無い。
茜色に染まる空の下、剣道部の練習を終えた神流は、仙流と共に家路についていた。朱に染まる街中を歩く神流のペースは、焦っているかの様に、何時もより速い。
(魔術式、見付かって無いみたいだから、今日もムカシノジブンが現れるかもしれない……)
燃える様な色の空を睨みながら、神流は心の中で呟く。練習が終わる直前に武道場を訪れ、魔術式探しをしていた、スパイメガネをかけていた音音の姿を、神流は見ていたのだ。
既にムカシノジブンが出現する時間帯に入っても、音音が探し続けていたという事実は、黄昏時を迎える前に、発生源である通路を探し出すという、竜巻の目論見が崩れた事を示している。つまり今現在、顕幽市にはムカシノジブンが出現する、可能性が高い。
そんな街中を歩いているからこそ、神流は焦っているかの様に、家に急いでいるのだ。ムカシノジブンという都市伝説が、既に現実だと知っているからこその、焦りである。
実は、風紀委員長としての立場で、神流は学校側に、ムカシノジブンに関する問題が片付いたと、放課後ヴィジランテスが公表するまで、部活動や委員会活動の終了時間を、五時前に早めるべきだと要求していた。だが、記録に残らない為に、今回も大人達には表向き、集団ヒステリー扱いされてしまった、放課後ヴィジランテスのスピーチや、都市伝説などを理由とした神流の要求を、学校側は受け入れる筈も無かったのだ。
有る程度の生徒達は、ムカシノジブンに出会う可能性を恐れ、今日の部活動や委員会活動をサボっていた。だが、サボれないタイプである神流は、部活動が時間通りである以上、参加せざるを得ないのである、性格的に。
姉にべったりで、シスコン扱いされる仙流も、神流がサボらない以上、部活動をサボりはしない。それ故、黄昏時の街中を、二人は今……家路に急いでいる。
「お腹減ったな……今日の晩御飯、何だろうね?」
濡れた着衣の様に、貼り付いている不安感を払い、気を紛らわす為に、神流は右隣を歩く仙流に、語りかける。
「筑前煮にするって言ってたよ。今朝、母さんとお婆ちゃんが台所で……え?」
仙流の返事の言葉が、途切れる。話している途中、関心が全て別の事柄に移ってしまった感じの、不自然過ぎる形で。
心が、ざわつく。普段なら仙流の言葉が途切れても、特に何も感じないだろう。だが、ムカシノジブンという不安要素が頭にある神流は、不自然に途切れた妹の言葉に、言い様の無い不安を感じ、夜風に吹かれる森の様に、心がざわついてしまうのだ。
ごくりと唾を飲み込み、平静であれと心に命じながら、神流は右を向く。妹の仙流が歩いている筈の、右隣に目をやる。
仙流は、そこにいた。ただし、二人。
「ね、ねえさん……」
一人の仙流が、必死で声を振り絞る。二人の内、天津甕高校の制服姿の仙流が、必死で神流に何かを訴えようと、搾り出した声である。
仙流は後ろを向いていた。誰かに後ろから左手を掴まれ、その掴んだのが誰かを確認する為、後ろを振り向いたといった感じで。
そんな仙流の右手を掴んでいるのは、もう一人の仙流。ただし、百合の花の様に真っ白なワンピースに身を包んだ、小学生にしか見えない仙流である。
理解した。神流は妹の仙流に何が起こったのか、自分の目の前で、何が起こっているのか。
(仙流が、ムカシノジブンに!)
神流が理解した通り、仙流は神流と話している途中、後ろから……天津甕高校の方から現れたムカシノジブンに右手を掴まれ、それが誰だか確認する為に振り返るという形で、ムカシノジブンに出会ってしまったのだ。
「思い出させてあげるよ、自分がどれだけ嫌な人間なのか、生きている資格が無い、罪深い人間なのかって事を……私は全部、知ってるんだから」
脅す様な口調で言った後、仙流のムカシノジブンは口元を歪め、嫌な笑みを浮かべる。人の死を望む者が見せる、残忍な笑みである。
そして、仙流のムカシノジブンは、本物の仙流に抱き付く。幼い少女の身体が、女子高生の身体の中に、溶け込んで行き……姿を消す。
悲鳴が上がる。苦しみに顔を歪め、バッグと竹刀を放り出して頭を抱え込み、その場にへたり込みながら、仙流は夕焼け空に悲鳴を響き渡らせる。
過去に負った心の傷に関わる全ての記憶が、一気に心の中に甦って来る。傷つけた記憶に傷付けられた記憶、犯した罪に関する記憶など、心の傷に関する記憶と感情の急流が、仙流の心をズタズタに傷付ける。
そして、犯した罪に関する記憶の中には、神流に関する物があった。神流に対して犯した罪の記憶に苛まれた仙流は、視界に入った神流に、許しを請い始める。
「ごめん……許して、姉さん! あれ……私なの!」
「――あれって?」
突如、懺悔し始めた仙流に戸惑いながら、問いかける神流。
「ハジキンが引っ越す少し前の、悪戯のラブレター……あれは、私が書いて出したの! 待ち合わせの場所に置いてあった手紙も、あたしが……」
震える仙流の声を聞き、神流は思い出す。竜巻に絶交を言い渡す原因となった、神流にとっての心の傷といえる、三年前の三月の記憶を。
忘れもしない三月三日、神流の元に封書が届いた。差出人の欄に竜巻の名が書かれた、封書の中の手紙は、ラブレターであった。
前から神流の事を好きだったけど、このまま好きだと伝えないで引っ越すのは嫌なので、手紙を出す事にした。もし、神流が俺の事を好きなら、歪台公園の桜の前にあるベンチに、午後五時丁度に来て欲しい……といった内容の。
恋愛感情……とまでは、明確では無かったのだが、仲の良い幼馴染から、好ましい異性だと意識しつつあった竜巻から、ラブレターを貰ったのは、当時の神流にとっては嬉しい事だった。それ故、竜巻が或魔を好きだと知りながら、それは大人の女性に対する憧れ的なものだろうと思い込み、つい神流は午後五時、団地の近くにあった歪台公園の、まだ咲く様子を見せない桜の木の前にあるベンチに、行ってしまったのだ。
だが、そこに竜巻はおらず、待ち続けても、現れもしなかった。代わりにベンチの上には、竜巻の名が記された封書が、置いてあったのである。
「マジメガのバーカ! あんな手紙なんかホンキにして、こんなとこまで来やがって! だまされてやんの! 俺がオマエみたいな女、好きになるわけねーだろ!」
封書の中の手紙には、そう汚い字で書かれていたのだ。悪戯好きの竜巻に騙されたと、その時の神流は思い込み、尚且つ酷いショックを受けたのである。
直後、神流は団地に戻って竜巻を呼び出し、絶交を言い渡した。それ以降、絶交の理由を問い質す為の竜巻からの接触を、全て断り続け、そのまま三月末に竜巻が引っ越すまで、神流は一切、竜巻とまともに話もしなかったのである。
この経験は、神流自身も意識してはいないが、かなり深い心の傷となっていた。初恋の相手だったかもしれない相手に、恋愛絡みで酷い目に遭わされたと思い込んでいた為、恋愛自体に酷く否定的な人間になってしまったのだ。
その為、結構異性にも人気があったにも関わらず、神流は交際を求められても全て断り、自分から誰かを好きになったりも、しなかったのだ。中学一年生の三月から、高校二年生の今に至るまで。
「あれ……ハジキンじゃなくて、あんたがやったの? 何で?」
何で妹が、そんな悪質な悪戯をしたのか、理由が想像すら出来ない神流は、呆然とした顔で、仙流に問いかける。
「姉さん、ハジキンを好きだったじゃない! ハジキンが引っ越すの知った時、ショック受けてたり、ハジキンの事を、寂しそうに見詰めてたり……」
気付いていた。仙流は姉である神流の、まだ明確に意識すらしていない感情を、仙流は気付いていたのだ。本人である神流よりも、明確に。
「姉さんが他の人を好きになるのが、嫌だったの! 私……姉さんの事大好きだったから、姉さんが他の人好きになったら、その人に姉さん、取られちゃう気がして!」
仙流は幼き日の、激しい嫉妬の感情を吐露する。
「だから、姉さんが好きなハジキンを、姉さんが嫌うように仕向けようと思って……」
「あんな悪戯したのか、ハジキンの名前を騙って」
涙を流しながら、仙流は頷く。
「御免なさい、姉さん。私が嫉妬深くて卑怯な人間だったせいで、姉さんにも心の傷を負わせたりして」
生気が失せた虚ろな表情の仙流は、弱々しい口調で、うわ言の様に呟く。
「私みたいな嫌な人間、死んだ方がいいんだ……もう、生きているのに耐えられない。私、死んで姉さんとハジキンに、お詫びするよ」
(――ムカシノジブンに出会うと、自殺に追い込まれるんだ!)
仙流が口にした、自殺を仄めかしているとしか思えない言葉を耳にして、神流は思い出す。ムカシノジブンに出会った人間の末路を。そして、更に思い出す。そうなった場合、近くに居る人間は、どうするべきなのかという、竜巻が昨夜、ガンブラットとして行ったアドバイスを。
(とりあえず意識を失わせれば、自殺は防げるんだったな!)
神流は背負っていた竹刀を、素早く袋から出すと、バッグを放り投げて、構える。剣道の構えではなく、祖父から習っている剣術の、抜刀術の構えである。
「自分から死ぬだなんて、言い出すな! 悪いと思ってるなら、ちゃんと謝れば、私は許してやる! それに……後で私が一緒に、ハジキンには謝ってやるから!」
そう言うと、鞘に収めて腰に差した刀を侍が抜刀するかの様に、神流は左手で腰に固定していた竹刀を、右手で抜刀する。気合を込めた、鋭い掛け声と共に。
直後、竹刀の先端は仙流の顎を弾くと、また一瞬で元の位置に戻り、左手で腰に固定される。神流は抜刀術を応用し、竹刀で仙流の顎に、強い衝撃を与えたのだ。
すると、仙流は白目を剥いて意識を失い、その場に崩れ落ちる。まるで強力なアッパーカットを顎にくらい、リングに崩れ落ちるボクサーの様に。
チンとも呼ばれる人体の弱点……顎を強く打たれると、その振動で脳が揺れ、脳震盪を起こしてしまう場合がある。その現象を応用した技が、神流の習う剣術にあるので、神流はその技を仙流に使ったのだ。
「大丈夫、仙流!」
仕損じる様な技では無いのだが、仙流の身を案じた神流は、ぐったりとしている妹の身体を抱き起こすと、状態を調べる。仙流が意識を失っているだけで、大事無いのを確認し、神流は安堵の溜息を漏らす。
(とりあえずの危機は去ったけど、これからどうしたら?)
神流は自問する。幾ら手馴れた技とはいえ、仙流を目覚める度に脳震盪に追い込むのは、仙流の身体の事を考えれば、避けた方がいい。だからと言って、病院に担ぎ込んで睡眠薬で眠らせ続けるのも、原因がムカシノジブンという都市伝説である為、難しいかもしれないと、神流は思う。
(こういう困った時は、昔ならダマシヤに行けば、何とかなったんだけど……)
ダマシヤの存在を思い出し、神流は気付く。竜巻と絶交するに至った原因が、既に竜巻のせいで無い事が判明した以上、神流にとって竜巻との同一行動を……つまり、放課後ヴィジランテスの一員として、ダマシヤに出入りするのを避ける理由が、自分に無くなった事に。
「ダマシヤに、連れて行けばいいんだ!」
既に家は近い。家まで運べば、後は家族の誰かに車を出して貰い、仙流をダマシヤの近くまで送って貰えば、神流はすぐにでも、仙流をダマシヤに送り届けられるのだ。神流は音音から、ダマシヤの場所を聞いていたのだから。
今の自分が何を為すべきか、神流には既に分かっていた。手際良く仙流を背負いつつ、仙流と自分の荷物を拾い上げると、夕日に染まる住宅街を、神流は自宅に向かって駆け出した。
妹が起きぬ様に、或魔の睡眠魔術で完全に眠らせて貰う為に。そして、或魔からヴリルカードを受け取り、放課後ヴィジランテスのメンバーに戻って、竜巻達を助ける為に。




