32 黄昏時の逢瀬
まだ太陽が出ている時間なのに、厚いカーテンで陽光を遮っている為、本だらけの部屋の中は暗い。暗い方が、プロジェクターの様にスクリーンに映し出される、監視用の魔術式が投影する映像が見易い為、部屋の主である細身の男は、カーテンで窓を覆っているのだ。
暗い部屋の中で、監視用の魔術式が送って来る映像を眺めながら、男は悩んでいた。映像に映し出されている、竜巻や純一、そして音音の三人は、次々と天津甕高校の校舎外に仕掛けられていた、隠蔽魔術の魔術式を探し出し、解除し続けていた。
既に敷地内に仕掛けた、隠蔽魔術の魔術式の殆どを、三人は探し出し、解除する事に成功していた。そのペースと手際の良さは、男の予想を遙かに上回っていたのだ。
「予想以上に、見事なお手並み……拝見させて貰いました。幾らダミーとして記した奴ばかりとはいえ、百以上仕掛けておいた、隠蔽魔術の殆どを、解除してしまうとは……」
活動を再開した放課後ヴィジランテスの三人の正体が、竜巻達だと、男は既に見抜いていた。竜巻達が終わり無き黄昏に通じる通路を隠す、隠蔽魔術の魔術式を探し出し、解除しようとしている事も、同様に。
だが、魔術師である男は、自分が通路を隠した隠蔽魔術の魔術式が、絶対に見付からない自信があったのだ。通路自体が魔術式を仕掛けるのが困難な空間に開いた為、結構苦労して隠蔽の魔術式を仕掛けたのだが、苦労しただけの事はあり、そこに魔術式が仕掛けられているとは、魔術師ですら気付かないだろう所に、仕掛けられたからである。
「本物を見付けられる筈は無いんでしょうが、念には念を入れておいた方が、良いかも知れませんね。一応、戦闘の準備も整えておくべきですか」
男は立ち上がり、部屋の隅の何も置いてない、フローリングの床が露になっている辺りに移動する。そして、両手の指先を舐めると、しゃがみ込んで床に指先で何かを書き込み始める。
ピアノでも弾いているかの様に、見事に指先を動かしつつ、男は床に魔術式を書き込んだのだ。直径一メートル程の、魔術式を見る能力を持つ者には、赤く光って見える魔術式を。
同時に、男は早口で呪文を唱える。すると、魔術式と呪文が反応し、男が持つ魔力を源泉とした魔術が発動し、魔術式の上に黒いスーツケースが出現する。
男は召還魔術を使い、異空間に保管している黒いスーツケースを、自分の元に召還したのだ。召還魔術には様々な種類の魔術が存在するのだが、男が用いたのは、自分が魔術式を記した物を、特定の場所から取り寄せたり、送り込んだりする種類のものである。
黒いスーツケースを、男は開く。スーツケースの中には、ピンポン玉程のサイズの白い球体が二百個程、ぎっしりと詰まっている。
球体の表面には、黒い魔術式が描かれている。魔術式の中央には、満月の絵柄らしき黄色い模様が描かれている。球体全てに、満月の絵柄が描かれているかどうか、男は確認する。
「月の卵が二百個、ヴリルカードの使い手五人程度を相手にするなら、十分な数の兵隊になるでしょう。何せこいつらは……不死身に近い兵隊達なのですから」
現時点では三人しか、放課後ヴィジランテスのメンバーの復活は確認されていない。しかし、男は念の為に、最大の数である五人を相手にする事態を、想定しているのだ。
男は更に、召還魔術の呪文を唱える。すると、古めかしい装飾が施された銀色の槍や、テーブルトークのロールプレイングゲームの駒に出来そうな感じの、金属で出来た人形が六体、そして複雑怪奇な魔術式が全体に書き込まれた、ソフトボール程の大きさがある、何処となくエンジンに似た感じの古臭い機械が、魔術式の上に召還される。
「城破りの槍に鋼鉄の巨人、そして伝説のエンジン……。これだけの魔術武器や魔術機械が揃っていれば、退けられぬ敵などいる筈が無い。それが例え、ヴリルカードの使い手だとしても」
沈む直前の夕陽の様な、輝く球体がはめ込まれている、エンジン風の機械を、男は手に取る。
「これを武器として使う事だけは、出来れば今回は避けたいんですが……」
そう呟いてから、男は機械を魔術式の上に戻す。そして、壁にかけられた時計に、男は目をやる。時間は午後五時半を、迎えようとしていた。
「そろそろ、彼女が来る時間ですね」
男が呟いた直後、部屋の呼び鈴が鳴り響き、男の部屋を何者かが訪れた事を告げる。男は嬉しそうに顔を綻ばせながら、玄関に向かって歩いて行く。
来た者が誰だか分かっているのだろう、男は誰なのか確認しないで、解錠してドアを開ける。すると、長い黒髪が印象的な、二十歳前後に見える端整な顔立ちの女性が、姿を現す。
白いブラウスに黒のパンツという、地味なファッションが、良く似合う女である。
「――智香」
男は嬉しげに、女性……杉沢智香の名を呼ぶ。
「夕焼け空が綺麗だよ、今日も……屋上に行く?」
智香の問いに、男は首を横に振る。
「今日は面倒な連中が、学校の敷地内を徘徊しているから、屋上には出ない方がいい」
「――それは、残念」
「部屋でのデートも、悪くは無いだろ」
「それは、部屋をちゃんと片付けてる人以外は、言っちゃ駄目な台詞よ」
得体の知れない道具や、大量の本が散らばり放題の室内を指差し、智香は笑う。
「忙しいんだよ。仕事だけでなく、魔術の研究も続けているんだから」
気まずそうに、男は頭を掻きつつ、言い訳を口にする。
「嘘ばっかり。部屋片付けるの、昔から苦手だったじゃない」
「――上がれよ。時間……無いんだから」
話を切り替える為の、男の言葉ではあるのだが、時間が無いのは事実。智香は頷いて玄関に入ると、靴を脱いで部屋に上がる。
智香を、男は抱き締める。優しげに……そして愛しげに智香の両手を身体に回し、男は唇を重ねる。二人の吐息と衣擦れの音が、部屋の中に響く。
恋人である男に身を預けた女の足が、何かにぶつかる。女が足元を確認すると、それは満月が描かれた白い球体の詰まった、スーツケース。
「これは……ピンポン玉? それとも、卵? 魔術道具みたいだけど、見た事無いな」
甘い気分を害した邪魔物が何なのか、智香は少し不機嫌そうに、男に問いかける。
「どちらかと言えば、卵かな。余り嫌わないであげてくれ。こいつは武器なんだから。僕達の大事な時間を、守る為の」
スーツケースを閉めつつ返事をしてから、男は呪文を唱える。すると、召還魔術の魔術式が黄色に輝き出し、スーツケースなどの先程召還された様々な物が、跡形も無く姿をけす。召還魔術が発動し、召還した様々な物を、元の場所に戻したのだ。
諭す様な男の返答を聞いて、智香の表情や口調から、棘が消える。
「そうなんだ、私達の大事な時間を守る為の……」
そう囁きながら、智香は男にしな垂れかかる。大事な恋人との短い時間を、より深く甘く楽しみたいと、智香は身体で男に伝える。
想いは男に、伝わった。男は智香の身体を抱いたまま、近くにあったソファーの前に移動すると、倒れ込む様にソファーに座る。無論、智香を抱き締めたまま。
ソファーの上で抱き合いながら、身体に手を這わせ合う。許された短い逢瀬の時間を、無駄にしたくないとばかりに。




