19 或魔
夕方から夜に切り替わる時間帯……黄昏時。風街の東端にある森……風森に辿り着いた竜巻達は、蟋蟀の輪唱を耳にする。風森の中は、もう秋を迎えつつあるのだ。
木々のせいで夕日が届かない風森の中は、夜に限り無く近い程に、暗い。竜巻達は携帯電話のモニターの頼りない光をライト代わりにして、風森の中を徘徊する。
「こんな所に、店開くかな? 子供とか……来ないと思うけど」
二十分近く探し続けた頃合、純一が疑問を呈する。高校生である自分達ですら探し難い場所に、子供が来るのを望む或魔が、ダマシヤを開く可能性は低いという考えが、純一の中で膨らんだのだ。
「メモリマがムカシノジブンに出会ってまでも、伝えてくれた情報なんだ、有るに決まってるさ! この辺りの森全体、探すまで諦められないって!」
「そうだな……」
竜巻の言葉に、純一は気合を入れ直し、ダマシヤ探しを続行する。踏み付けた足元から立ち上って来る鮮烈な土の匂いに、自分が自然の中にいる事を意識させられながら。
「土って結構、匂い強いんだね」
「普段は気付かないけど、感覚が普段より鋭くなってるんだろうさ。今なら俺やノロイチでも、音音並に鼻が利くかもしれないぜ」
そんな事は無いだろうと思いながらの、二人の軽口である。それ程、音音の嗅覚は群を抜いている。無論、犬や猫などの、動物レベルという訳では無いのだが。
「ニャーコなんか、俺達より色んな匂い、嗅ぎ取ってるんだろうさ」
十メートル程離れた所を探し歩く、和美を背負っている音音を眺めながら、そう呟いた竜巻の頭に、ある考えが閃く。
(色んな匂いを嗅ぎ取れる? そうだ、それなら……)
閃いた考えを、竜巻は音音に向けて、口にしてみる。
「ニャーコ! 何か変わった臭いとかしないか? 森の中では、違和感のある臭い!」
「変な……違和感のある臭い?」
くんくんと、音音は鼻を鳴らして、辺りの匂いを嗅ぎ始める。そして、南西……竜巻達から見て右斜め前方向を指差す。
「あっちの方から吹いてる風に、火薬みたいな匂いが混ざってる」
「火薬か……よし、そっち行ってみよう!」
竜巻は音音が指差した方向に、早足で歩き出す。
「おい、どういう事だよ?」
「人が住んでる場所なら、色んな匂いがするだろ。森の中の匂いとしては、違和感がある匂いがする方に、人……正確には魔女が住んでるダマシヤがある可能性、高いと思わないか?」
「成る程」
筋が通っている竜巻の主張に、純一は納得する。
「それにしても、森の中で火薬の匂いというのは、少し物騒なのだ」
音音の言葉に相槌を打ちながら、竜巻は木々の間を、進んで行く。緩いとは言えない坂を、疲れを無視して上り続ける。
程無く、光が見え始める。家の窓から漏れる様な、安定した強い光では無い。何処か儚げでありながら華のある、不思議な光である。
「あっちだよ! 火薬の匂いがしてくるの!」
光が見える方向を指差しながら、音音が興奮気味の口調で、竜巻に話しかける。
(あそこに、あるのか?)
行く手を阻む草を掻き分けながら、突き進む竜巻の胸の鼓動が、高鳴る。すぐそこにダマシヤが在り、或魔がいるかもしれないと思うと、自然とそうなってしまうのだ。
次第に木々の間隔が広がり始め、突如……目の前に空間が開ける。木々の枝葉の天蓋が消え去り、濃紺のシーツにぶちまけられた砂金の様に、星々が煌く夜空が、竜巻の視界に入る。まだ西の空の端は夕焼け空なのだが、木々に隠されているので、夜の部分しか見えない。
先程の光源は、星々では無い。星空の下……体育館程の広さがある草原で、キャンプ用の折り畳み式の椅子に座っている大人の女性が、手にしている花火こそが光源であった。
ノースリーブの黒いワンピースに身を包んだ、長い黒髪が印象的な女性は、竜巻達の存在に気付いたのだろう。女性は驚きの目線を、竜巻達に送っている。
竜巻の中で、こみ上げて来る熱い感情……懐かしさと再会の喜び。思わず綻びそうになる表情を必死で引き締め、平静を装いながら、竜巻は草原を歩き出す。
「一人で花火とは、随分と寂しい遊び方してるじゃないか」
張りのある竜巻の声が、草原に響く。竜巻が花火をしている女性に、話しかけたのだ。
「その様子だと、相変わらず寂しい生活してるみたいだな、或魔」
或魔とは、竜巻が声をかけた女性の名である。苗字は無い……只の或魔。本当の名ではなく、ダマシヤの主人を務める様になった際、「或る魔女」という言葉を略して、適当に付けた名前なのだと、竜巻は以前或魔自身に、聞いた事がある。
そんな話を聞いた頃と、今……竜巻の目に映る或魔の姿は、何一つ変わっていない。歳を取った様子も無ければ、服や髪型の趣味が変わった訳でも無い。まるで時間が止まっているかの様に、昔のままの姿。
海で揺らめく海草の様に、自然なウエーブがかかった艶のある長い黒髪。他の色の服を着ている姿は一度も見た覚えが無い、黒ずくめのファッションに包まれた、女性らしいラインを描いた、伸びやかな肢体。
白磁の様に滑らかで白い肌に、派手に整った目鼻立ち。見詰め合うと、魂が吸い込まれてしまうかの様な、物憂げで深い瞳。
誰よりも人目を惹くだろう容姿の持ち主なのだが、殆どの人間……特に大人は目にする事すら出来ない。それ故、孤独を宿命付けられている、呪われた女。
そして、竜巻にとっての初恋の相手であり、初失恋の相手でもある魔女……それが或魔。
「――さっき風街の空を飛ぶ、お前を見た気がしたんだ。錯覚だとばかり思ってたんだが……」
何処か雨の音に似ている花火の音が消えた刹那、或魔は竜巻に語りかける。
「お前が此処に現れたって事は、錯覚じゃなかったみたいだな、ハジキン」
表情から寂しげな陰が消え失せ、或魔は笑みを浮かべている。再会の喜びだけでなく、微妙な気まずさなど、様々な感情が入り混じった笑みを。
「大きくなった……という程でもないか。まだあたしより十センチくらい低いね」
離れ離れになる前の姿……まだ小学六年生だった頃の竜巻の姿を思い出し、近寄って来て、目の前で立ち止まった竜巻の姿と比べる、或魔の表情は楽しげである。
「せいぜい五センチってとこだろ、あと二年もすりゃ抜いてる」
実際は十センチ程の身長差が、今でもあるのだが、竜巻は悔しいので認めない。
「でも……まだ、あたしが見えるのか。お前はスケベだったしマセてたから、もっと早く見えなくなるとばかり思ってたんだけど、意外だねぇ」
「俺の何処がスケベなんだよ? 自分で言うのもなんだけど、俺って真面目さに偏差値があるなら、余裕で六十五を越えてるくらいには、真面目なんだぜ!」
「昔……何度も覗いただろ、あたしが風呂入ってるとこや、着替えてるとこ」
事実を指摘され、竜巻は少しだけ狼狽する。
「あれは、偶然に俺が見てしまった方向に、或魔が入ってる風呂があったり、着替えてる部屋があったりしただけだって! 無論、窓や戸が開いてたのも、偶然って奴だし!」
「――その言い訳は、流石に苦し過ぎるのだ」
少し遅れて、或魔の元に辿り着いた音音が、竜巻に突っ込みを入れる。
「その喋り方と癖毛……ニャーコか」
或魔は「なのだ」を語尾に多用する、ニャーコの微妙に癖の有る喋り方や、猫耳の様な癖毛を覚えていたのだ。
「お久し振りなのだ、或魔さん」
音音はぺこりと、大きな身体には不似合いな、子供っぽい頭の下げ方で挨拶をする。
「あんたは、でかくなったねぇ。あたしと大して変わらないくらいだ。まぁ、昔からハジキンよりは大きかったけど」
「一応言っとくけど、こいつがアホみたいにでかいんで、俺の身長は昔も今も普通だから」
「いや、俺と同じで普通より少し低いでしょ、今も昔も」
そう言ったのは、音音より少し遅れて来た純一。
「ハジキンやニャーコとつるんでる、メガネの男の子といえば、ノロイチか」
「酷いな或魔さん、俺の個性はメガネだけかよ」
「悪い悪い、あんたの占いの才は、見た目じゃ分からないから、見た目の個性だけだと、メガネになっちゃうのよ」
或魔は辺りを見回し、他に誰もいないか探す。
「三人だけか。マジメガとバクチカはいないんだね。メモリマはいるみたいだけど」
神流と志摩夫の不在、そして音音が背負う和美の存在に、或魔は気付く。
「カンナちゃんは高校で風紀委員やってて、仕事が忙しいから、来れないのだ」
「バクチカは……俺らより一足先に大人になって、或魔やダマシヤが見えなくなったから、卒業って事で来てない」
音音と竜巻が、かっての五人組の内、二人が不在である理由を説明する。ちなみに、性的な経験がある者は、ヴリルカード自体の使用は可能なのだが、或魔からヴリルカードを借りる事が出来ない。
性的な経験がある者は、ダマシヤや或魔を見る事だけでなく、ダマシヤに入る事も出来ない。そして、組織の掟に従い、自分がヴリルの力を与えて良いと認めた相手に、或魔はダマシヤの中で直接、ヴリルカードを手渡さなければならない。故に、性的な経験がある者は、或魔からヴリルカードを得られないのである。
ちなみに小学生時代の竜巻は、或魔がダマシヤに出入り出来る事実から、或魔が性的な意味では子供である事に、気付いたりもしていた。
「それで、二人の代わりにメモリマを連れて来たのかい? 眠ってるみたいだが」
「いや、メモリマはムカシノジブンに出会って、自殺すると言って暴れ続けるんで、俺が眠らせたんだ」
「ムカシノジブンに出会ったって?」
驚きの声を上げて立ち上がると、或魔は和美の元に駆け寄り、右掌で和美の額に触れる。和美の状態を確認した、或魔の表情が強張る。
「――本当だ、この異常な体内エーテルの濃さは、黄昏人と融合してる人間特有の状態。ニャーコは黄昏人に、憑依されている」
「何だよ、その黄昏人って?」
聞き覚えの無い言葉を口にした或魔に、竜巻は問いかける。
「ムカシノジブンって呼ばれてる存在の、魔術上の名称の一つさ。まぁ、今の日本ではムカシノジブンの方が通りが良いから、どちらで呼ぶかはケースバイケースだが」
或魔は心配そうに和美の顔を覗き込みながら、話を続ける。
「あたしは今回、このムカシノジブンって呼ばれてる黄昏人や、黄昏の街がもたらす被害から、人々を守ろうとする連中を手助けする為に、顕幽市に来たんだ」
人々に被害をもたらす超常現象から、人々を守ろうとする者達に、魔術の道具を貸し与えて助けるのが、ダマシヤの主人である或魔の使命。竜巻達の推測通り、ムカシノジブンという危険な超常現象が発生した為、或魔は顕幽市を訪れていたのだ。
ただ、あくまで手助けするだけで、或魔自身が主体となって、超常現象の解決に乗り出す事は、或魔が所属する組織の掟で、固く禁じられている。
「だったら、教えてくれ! メモリマを助ける方法を! ムカシノジブンっていう傍迷惑な超常現象を、終わらせる方法を! その為に、俺達はここに来たんだ!」
熱っぽい感情の込められた竜巻の願いの言葉に、或魔は頷く。
「説明すると長くなる、店の中で話そう。あたしも少しばかり、訊きたい事があるしな」
竜巻を見詰めながらの、或魔の言葉。
「俺か? 訊きたい事って何だ? 彼女だったらいないぞ」
「馬鹿! 何でお前がヴリルカードを、今でも持っているかって事についてだ!」
少しだけ気色ばんで、或魔は続ける。
「お前に貸したヴリルカードは、あたしが以前……顕幽市を去った時に、返却させた筈! それなのに、何で今でも持っていて、ガンブラットに変身出来るんだ?」
「あ、それは俺達も訊く予定だったんだ。ゴタゴタしてたから、訊き忘れてたけど」
純一の言葉に、音音も頷く。
「実は、ゲーセンで買ったカードゲームのパックの中に、紛れ込んでたのよ。レアカード中のレアカードって奴で」
おどけた口調で答えをはぐらかす竜巻に、或魔は突っ込みを入れる。
「魔術業界のお宝が、ガキから金を巻き上げる為のオモチャのカードゲームなんかに、紛れ込んでる訳が無いだろ! 値が付けられない程に貴重な代物なんだぞ、ヴリルカードは! それをお前は、何処で手に入れた?」
「興奮するなって、中でちゃんと話すよ」
或魔を宥めながら、竜巻は草原の中央に建っている、昭和の雰囲気を漂わせている、二階建ての小さな建物に向かって、或魔と共に歩いて行く。その建物の一階部分は、いわゆる駄菓子屋の様になっていて、「ダマシヤ」という看板が掲げられている。
店名の由来は、「魔術師が商う駄菓子屋風の店」といったところで、今でも看板の隅には、「駄魔士屋」という漢字の表記もある。だが、基本が子供向けの店である為、カタカナの「ダマシヤ」が何時しか正式な店名となり、店の看板もカタカナ表記となったのだ。
或魔に続く竜巻は、和美を背負う音音……そして純一と共に、久し振りにダマシヤの店内に入る。外見も店内も、古臭い駄菓子屋にしか見えない、懐かしいダマシヤの店内に……。




