17 ガンブラット(GUNBRAT)
「メモリマがムカシノジブンに出くわしたとしたら、やばいぞ。あいつ今、チョコビルの屋上にいるんだろ?」
ムカシノジブンに出会ったという天津甕の生徒が、ミナギヤの屋上から飛び降りた事実を思い出しつつ、純一は竜巻に問いかける。
「ああ、今……確かめる」
ポケットから取り出した双眼鏡で、竜巻はチョコビルの屋上を調べる。焦りのせいで、嫌な脂汗が顔の表面だけでなく、双眼鏡を掴む手にも吹き出て、滑る。
双眼鏡の中、丸く切り取られて拡大された、チョコビルの屋上の光景が、竜巻の目に映る。フェンスに手をかけ、よじ登り始めている和美の姿を、竜巻は視認する。
「いた! フェンス上り始めてる!」
竜巻の言葉が意味するのは、幼馴染に迫る死。昨日、天津甕の生徒が飛び降りた様に、和美がチョコビルから飛び降りようとしているだろう事は、既に明らかだった。
三人は焦りの表情を浮かべている。いや、既に純一と音音の表情は、絶望に切り替わっているというべきだろう。二人には、既に和美を救う手立てが無いのだから、絶望するのも当然といえる。
この場からチョコビルまでの直線距離は、五百メートル以上。実際の道のりは、それを遙かに上回るので、この場にいる二人には、チョコビルから飛び降り自殺しようとしている和美を止める手立ては、既に無いのだ。
だが、この段階に至っても、絶望していない者もいた。竜巻は焦ってはいたが、絶望はしていない。何故なら、和美を助け得る手立てに、竜巻は心当たりがあったからである。
双眼鏡をポケットに仕舞うと、左手で後ろのポケットから迷彩柄の財布を取り出す。そして素早く一枚の黒いカードを取り出すと、財布を仕舞いつつ、右手でポケットからジェットファイアを引き抜く。
「そのカード……ハジキン、お前は何で、まだそのカードを持ってるんだ? 或魔さんに返した筈だろ!」
不可思議な文様が描かれた黒いカードを目にした純一は、瞬時に何のカードか判別し、驚きの声を上げる。
「後で話す!」
説明している暇は無いとばかりに言い放ちつつ、竜巻はカードを放り投げる。そして、枯葉の様にヒラヒラと舞い下りて来るカードに、ジェットファイアの銃口を突き付ける。
すると、カードは竜巻の倍程の大きさに巨大化し、竜巻の前に垂直に立つ。壁の無い場所に、扉だけが立っている様な感じで。
「開け! ヴリルの扉!」
叫びながら、竜巻はジェットファイアの引き金を引く。すると、巨大化したカードは本物の扉となり、中央から割れて開き始める。
扉が……ヴリルの扉が開いたのだ。ヴリルとは、何時か究極の進歩を遂げた人類が、得るだろうと古来より伝えられている、究極の力。魔術師達が魔力と呼ぶ力と、基本的には同質の、超常的な力。
高度な魔術を用いる者は、そのヴリルの力を現代でも使用出来る。魔術によりヴリルが満ちた世界との扉を作り出し、ヴリルを引き寄せ、我が身に浴びるのである。
ヴリルの扉から流れ込んで来る、黄金色の光の粒子……ヴリルを身に浴びた者は、その者の心に似合う、戦う為の力と姿を得る。俗な表現をすれば、戦闘形態に変身するのだ。
本来なら、魔術師や錬金術師、陰陽師や巫女などの、高度な魔的……霊的な技術に通じた者しか、ヴリルの扉を独力では開けない。だが、様々な魔術の流派が集まり組織された魔術結社、インコグニート(匿名者を意味する言葉)の魔術師達は、ヴリルの扉を開く高度な魔術を、魔術札……ヴリルカードとする事に成功した。
ヴリルカードを使えば、魔術を使えない者でもヴリルの力を使い、強力な戦闘能力を持つ超人となれるのだ。そのヴリルカードを、竜巻は所有していた。
そして、ヴリルの扉を開いた竜巻は、ヴリルの扉から溢れ出てくる、黄金色に輝く光の粒子群……ヴリルを、シャワーの様に身に浴びる。竜巻が黄金色の光に包まれた直後、ヴリルの扉にはヒビが入り、粉々に砕け散る。
ヴリルの扉が一度に引き寄せられるヴリルの量は、一定量に決まっている。限界を超えた時点で、ヴリルの扉は砕け散って、白い灰の様な粒子群となる。
白い粒子群は竜巻の前に集まり、一枚の白いカードとなる。再び、ヴリルカードに戻ったのだ。変身を解いてから一時間程過ぎると色は黒に戻るのだが、黒に戻らない限り、ヴリルカードではヴリルの扉は開けない。
ヴリルの扉がカードに戻るのと同時に、竜巻を包んでいた黄金色の粒子群が、爆発音を響かせながら炸裂し、周囲に飛び散りながら消え失せる。あたかも、夜空に花を咲かせる、打ち上げ花火の如く。
すると、当然の様に竜巻が姿を現すのだが、竜巻の姿は先程までのアーミーファッションでは無い。竜巻はハリウッドのB級ギャング映画に出て来る、マフィアのメンバーが着ている感じの、ダブルのダークスーツを着込み、赤いドミノマスク(顔の上半分だけを隠すマスク)で顔の上半分を隠した格好で、姿を現したのだ。
「電光石火のガンブラット、只今参上!」
名乗りを上げながら、ヴリルの力を得て超人……正義のヒーローとしての姿、ガンブラットに変身した竜巻は、ベルトに固定されてるヒップホルスタータイプのホルスターから、二挺の拳銃を引き抜き、ガンスピンを両手で披露してから、ファイティングポーズを取る。
ちなみに、ガンブラットと化した竜巻が持つのは、コルト・ガバメントに似ているが、実銃が存在しないオリジナルであり、赤い「A」のマークが、シンボルとして刻まれている。
「――って、悠長に名乗り上げたり、ポーズ決めてる場合じゃねぇ!」
竜巻は慌てて拳銃をホルスターに戻すと、見晴台の様になっている磐座公園の端のフェンスに右足をかけ、踏み台にしてジャンプする。宙に待った竜巻の眼下……十メートル程下には、磐座山の麓の森が、広がっている。
本来なら地球の重力に引き寄せられ、竜巻は木々の上に落下する筈。だが、ガンブラットに変身した竜巻は、そうはならない。
山頂から風街に吹き降ろす風に乗る鳥の様に、竜巻は風街に向かって飛び始める。ガンブラットに変身した竜巻は、空を飛べるのだ。
名乗る際に口にした、電光石火という言葉に嘘は無い。まさに電光石火の速さで、竜巻は夕日に染まる風街の上空を駆け抜け、チョコビルの屋上に向かって飛んで行く。
だが、そんな竜巻の目に映る和美は、既にフェンスを乗り越え終えている。屋上での異変に気付き、チョコビルの下や周囲のビルの窓では、人々が和美を指差し、騒ぎ始めている。
人々の視線集まる中、和美は何の躊躇いも無く、身を躍らせる。熟した林檎の実が枝から落ちる様に、和美の身体は地球の重力に引かれ、落下する。次第に速度を上げながら。
チョコビルの周囲から、悲鳴が上がる。既に和美がアスファルトに叩き付けられ、血と肉片を飛び散らせながら死ぬのは確実だろうと、誰もが思ったからである。
だが、まだ正義のヒーローと化した竜巻だけは、諦めてはいない。ヒーローは簡単に諦めたりしないからこそ、ヒーロー足り得るのだ。
(まだ、アスファルトに叩き付けられる前に空中で受け止めれば、助けられる!)
竜巻は和美が落下する速度とコースを瞬時に計算し、和美が落下して来るだろう、チョコビルの二階辺りの空中を目指し、飛び続ける。落下して来る和美とアスファルトの道、そして飛来する竜巻の黒い影が、急速に距離を縮めて行く。
高まる緊張感と焦り、全身から吹き出る汗。竜巻は全ての感覚を研ぎ澄ませながら、ただ和美だけを見詰め続ける。落下して来る、和美を。
(届け!)
目的の空間に辿り着いた竜巻は、両手を限界まで伸ばす。それでも、届かない。和美の落下してくるコースが、少しだけ竜巻の読みより、遠くだったのだ。磐座山からの風に、少しだけ和美は身体を流されたのである。
和美の身体が、落ちて行く。竜巻の手が届かぬまま、アスファルトに向かって落ちて行く。
(まだだッ!)
それでも、ヒーローは諦めない。強引に自分の飛行する向きを、竜巻は下に捻じ曲げる。急激に飛行方向を変えた為、全身に酷い負荷がかかり、骨が軋んで悲鳴を上げる。
激痛に耐えながら、落下する和美の全身をチェックし、手が届く可能性がある部分を探す。
(右足の先五センチ……届く!)
そう判断した竜巻は、右手を限界まで和美の右足先に伸ばす。迷彩柄のスニーカーの先端、ゴムに覆われた部分に、竜巻の右手の指先が触れる。
(ここだッ!)
掴む。全力で掴む。決して離してはならないという気合を込めて、竜巻は右手の指先で、和美の右足先を掴む。指先をゴムや生地に食い込ませて、掴む。
だが、逆さ吊りの形で、ぶら下がる形になっている和美の手の先は、アスファルトに触れそうな状態。あと少し下降すれば、和美の手の先は大根おろしの様に、アスファルトに削り取られるのは、確実。
それを避けるには、一度は下げた飛行方向を、逆に上げなければならない。上昇しないと、手で和美の身体を掴んでいても、和美の身体はアスファルトに叩き付けられ、引き摺ってしまう羽目になる。掴んだまま上昇しないと、和美は救えない。
竜巻は再び、全身に強烈な負荷をかけながらも、急激に進路を上に向ける。激痛に顔を歪ませ、呻き声を上げながらも、竜巻は上昇し始める。
和美の身体はアスファルトに叩き付けられる事なく、竜巻と共に上昇を始める。ゆっくりとではあるが確実に、和美の手の先……そして身体は、アスファルトから離れて行く。
救われたのだ、和美の命は、救われたのだ。断崖絶壁の前で、小鳥に襲い掛かる隼の様に、飛来した竜巻によって空中で拾い上げられ、和美は死を免れたのである。
(やった!)
和美の命を助けたと確信した竜巻は、心の中で喝采する。死を免れないだろうと、誰もが思った命を、竜巻は救ったのだ。
だが、喝采したのは竜巻だけではない。屋上から身を翻した和美が……死ぬ筈であった和美が、空を飛んで駆け付けた、ダークスーツの少年に助けられた光景を目にした、チョコビルの周囲にいた人々も、拍手喝采したのである。
そして、喜びの声が湧き上がる中、人々の中にいた一人の青年が、夕焼け空に向かって上昇して行く竜巻を指差しながら、叫ぶ。
「あれ、ガンブラットじゃないか?」
「そうだよ、赤いドミノマスクにダークスーツ姿で、空飛ぶ奴なんて……ガンブラットくらいだからな!」
「戻って来たんだ、ガンブラットが!」
人々の間に、波の様に声が広がって行く。
「何だよ、ガンブラットって?」
「この街のスーパーヒーローだよ。三年くらい前まで、この街でヴィラン(悪党や悪漢といった意味)退治したりして活躍してた、ローカルなスーパーヒーロー」
「ガン(GUN)を使う悪ガキ……ブラット(BRAT)だから、ガンブラットっていうんだ」
「そのガンブラットっての、何で空飛んでるんだよ?」
「そりゃ、正義のスーパーヒーローなんだから、空くらい飛ぶだろ!」
次々と、様々な声が人々の間から上がる。ガンブラットの事を知っている、覚えている者達は、知らぬ者達に、ガンブラットが顕幽市にとって、どんな存在なのかを伝える。
「ガンブラットが戻って来たなら、他の連中も戻って来たのかな?」
「他の連中は、どうしたんだ? 放課後ヴィジランテスが、復活するのか?」
かって顕幽市で活躍していたが、暫く姿を消していたヒーローが復活し、少女の命を救った話題について、目撃者となったチョコビル周辺の人々は、興奮しながら話の花を咲かせる。




