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16 メモリマとムカシノジブン

 心臓と肺を直に握り締められた様な圧迫感のせいで、声が出せない。驚愕に恐怖、絶望に混乱……様々な感情と思考が脳内を駆け巡り、思考能力が極端に低下する。

 それでも、自分の身に何が起こったのか、大雑把には理解出来ている。和美は理解していた、肩を叩かれ振り返った自分の前に現れたのが、小学二年生の頃の自分と、全く同じ姿をしている事と、それが恐怖の都市伝説として語られる、ムカシノジブンである事を。

 携帯電話は、切った覚えが無いのに切れている。無意識の内に切った訳では無い。何故なら、ボタンを押してかけ直そうとしても、携帯電話は動こうとすらしないからだ。

(ムカシノジブンに伴う超常現象で、ケータイが動作しなくなってるんだ)

 和美は、そう理解する。それが正しいのかどうかは分からないが、携帯電話で竜巻達に助けを求められないのは、既に確実である。

(どうしよう? ムカシノジブンに会っちゃった! どうすればいいんんだろう? ハジキン、助けて!)

 心の中で、和美は竜巻に助けを求める。だが、心の声は竜巻には届かず、代わりに別の者が、和美に語りかけてくる。

「あんたの事なんて、だれも助けてくれないよ。だって、あんたは生きてる資格が無い、死んだ方がいいような人間なんだから。いわゆる、人間のクズって奴」

 和美の口癖と同じ言い回しを、和美のムカシノジブンは口にしつつ、嫌な笑みを浮かべる。

「ハジキンに会うまでは、トロくてクラスメートとかにもいじめられてた、いじめられっ子の気持ちが分かる人間の筈なのに、あんた……四年生の時、マリちゃんがいじめられてたの、止めたりしなかったじゃない。止めたら自分が、いじめられるかも知れないって思って」

 クラスメートのマリ……円城寺真里(えんじょうじまり)が、クラスで苛めの対象になっていた時、苛める側にこそ回らなかったものの、苛めを見て見ぬ振りをした際の記憶が、和美の頭に甦る。ずっと、記憶の奥底に封じて、忘れたつもりになっていた、嫌な記憶である。

「ハジキンは正義感強いから、いじめる人間だけでなく、それを見ないフリする人間とかも、大っ嫌いだよ! そんな……あんたみたいな人間のクズを、ハジキンが助けるかな? 助けないよね? だって、あんたハジキンが嫌うタイプの人間だし!」

 和美のムカシノジブンは、和美本人に手を伸ばしながら、続ける。

「あたしはあんた……あんたはあたし。だから、あたしはあんたが忘れようとした……捨て去ろうとした記憶を、全部知ってるよ。あんたが人を傷付けた事も、あんたが傷付けられた事も、人を嫌った事も、嫌われた事も、隠してる悪事も……みんな知ってる」

 伸ばされた手が、和美の肩に触れる。

「だから、あんたが生きる資格が無い、嫌な人間……駄目な人間だって、誰よりも知ってるよ」

「違う、あたしは……」

 目を泳がせながら、和美は否定の言葉を口にするが、震える言葉に力は無い。ムカシノジブンが口にした内容に、覚えがあるからだ。

「だったら、もっと見せて上げるよ。忘れたフリしてる、あんたの罪を……心の傷を全部!」

 口元を歪めて、そう言い放った和美のムカシノジブンの身体が、触れた手の先から、和美の身体に溶け込んでくる。まるで、熱々のトーストの上に乗せられたバターの様に、ムカシノジブンが和美の中に、溶け込んで行く。 

 同時に、様々なイメージと感覚が、和美の中に流れ込んで来る。溶け込んで来たムカシノジブンに蓄えられていた、ネガティブな記憶……心の傷に関わる様々な記憶が、和美の中に雪崩れ込んで来る。

 若い故に短いとはいえ、人生で経験して来た、全ての心の傷に関わる記憶、罪や苦痛に嫌悪や憎悪など、ネガティブな感情の量は、膨大である。それが一気に幼い和美の心に襲い掛かり、責め苛み、傷だらけにする。

 裏切った記憶、裏切られた記憶、憎んだ記憶、憎まれた記憶、恨んだ記憶、恨まれた記憶、妬んだ記憶、妬まれた記憶……。罪を犯した記憶と罪悪感、拒絶された疎外感……ネガティブな記憶と感情の奔流に、和美の心は翻弄される。

 屋上に悲鳴が、絶叫が響き渡る。耐え切れぬ精神的苦痛に、和美の心が上げた悲鳴が、身体の外にも噴出したかの様に。

 ズタズタに引き裂かれた和美の心に、再びムカシノジブンの声が……心の声が、響いて来る。

(辛いだろ? でも、全部あんた自身のせいなんだ。いわゆる、自業自得って奴)

 乾いた嘲笑を挟み、和美のムカシノジブンは、心の声で話を続ける。

(救われたい? この苦しみから、逃れたい?)

 苦痛に顔を歪めながら、和美は頷く。

(だったら、その苦しみから逃れる方法を教えてあげるよ。簡単な事さ)

 一呼吸置いて、言い聞かせる様な口調で、ムカシノジブンは和美に教える。苦しみから逃れる方法を。

(死ねばいいの。死ねば、あんたの罪も傷も、全部消え去るんだから、死ねば……もう苦しむ事は無くなるんだ)

 死のイメージが……暗く陰鬱ではあるが、全てが停滞した荒涼たる世界……死のイメージが、和美の心の中に流れ込んで来る。本来なら避けるべき、暗く陰鬱なイメージの筈なのだが、心を責め苛まれ続けている今の和美には、死のイメージは静かで、好ましく思えた。

「そっか、死ねばいいんだ……」

 苦痛に歪んでいた表情が、呟き声と共に、落ち着いた表情へと変わる。生気に欠ける、何かに憑かれたかの様な、虚ろな表情に。

 そんな和美の視界に、屋上を取り囲むフェンスが映る。人が屋上から落下するのを防止する為の、金網状のフェンスを。

(あれを上って飛び降りれば、楽になれるんだな……)

 虚ろな目でフェンスを見つつ、心の中で呟きながら、和美はフェンスに歩み寄って行く。昨日、ミナギヤの屋上から飛び降りた、麻友という名の少女の様に……。



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