7 ユキナの世界
七 ユキナの世界
バードは街道脇の草むらに入り、木に凭れかけ、息を整えていた。
勢いと言えど、流石に無茶をしたものだ。まさか、キョウやリオの為に、一個中隊の十八人を配備しているとは考えも付かなかった。自分が生きているのが、信じられないほどだ。
先ほどの戦いは、先陣の特攻隊を五人捌くまでは良かったが、そこで冷静に成った残りを相手するまでには至らなかった。
相手の攻撃をいなしては後退し、人間一人がやっと通れる様な、狭い路地に逃げ込み、さらに三人にとどめを刺してからは、防戦一方だった。相手に軽い傷を与えては逃げるを繰り返し、何とか町を抜け出せた。
最初の五人を殺ったことにより、相手の注意はバードに向き、暴れまわる事により、こちらを先に仕留ようと、中隊ほとんどが集まっていたので、キョウ達を逃がす当初の目的は達成できたはずだ。
しかし、三対一以上に成ると流石に辛い。多くの相手に注意を向けられなく、勘だけで太刀筋を避けるしかない。
他人から見れば、一人で一個中隊を相手して、足止めをしたので、十分に凄く思うのだが、バードしてはまだ納得していなかった。
せめて後三人ぐらいを仕留めなくては、足止めには成らない。それでも、キョウ達が身を隠すには、十分に時間を稼げただろう。
キョウ達のおかげで、法国オスティマとの繋がりは無くなった。
いや、無くなったどころか、下手をすれば法国オスティマのお尋ね者だ。
全く、あの二人にはやられっぱなしだ。
剣で負け、意識で負け、覚悟で負けた。しかし、それでも構わないと言うのがバードの意見だった。
リオが言った言葉でバードは思い出した。
このまま、法国オスティマの後ろ楯をもらっていれば、いずれ、法国オスティマ領、ティーライに成っていたかも知れない。それは、バードの描く未来とは著しく違う。
最初は心の何処かでは、そう成っても仕方が無いと思っていた。
それでも、まずは、王を交代させるのが先決だと言う気持ちの方が強かったのだが、今は違う。
幼い他国の姫になだめられた。『国民が望んでいるなら必ず成功する』と。
バードは、国民の為だと言いながら、何時しか自分の為に成っていたのかも知れない。リオはそこを突いてきた。
だから、一からだとバードは思う。
バードはティーライ王国の二つ隣の国、ライマ共和国に王にするイフレインと二人して、行ってみることにした。そこでライマ共和国をモデルに、新しい国の在り方を学ぶつもりだ。
まったく、馬鹿げた話だ。幼い姫の発言で、バードが一ヶ月以上、頑張った事が全て無駄に成った。
しかし、バードは無駄に成って良かったとも思う。ただ、この計画のために集まった同志は、落胆するだろうが、大変な事だからこそ、自分逹の足で歩かなければ成らない。
他人に、他国に頼るのはもうやめよう。
王を交代させるだけでなく、国民が望む国を作ってやろうではないか。
バードは深くそう思う。
それは、自分たちがやってきた事よりも大変だが、望みが大きいならその大変さも我慢できる。いや、やってみたいと思う。
国民も入れた、新しい国の在り方。
バードは木陰から町を見張る。
今のところ追っ手は居ないが、いつ現れるとは限らない。それも、朝に成るまでの辛抱だ。
朝になればグウィネビア王国の人々も動き出す。そうなれば、幾ら法国オスティマと言えど、他国で兵隊達が暴れまわる事は出来ない。
早く朝になれ。
バードは痛む左肩を押さえながら、祈るように町を見つめていた。
バードとの対戦後、キョウとリオは、一度は港町はから逃げ出し、グウィネビア王国内の別の町で宿を取った。
キョウは以前、法国オスティマの宿で寝る前に、「霧を止めると言えば、邪魔される」と言ったが、まさか暗殺者まで飛ばされるとは、考えもしなかった。
バードとの対決以来、リオは何度もバードの安否をキョウに訪ねた。キョウは、自分達の後を着けてきたので、相手の実力が解るが、あの程度の相手にバードが殺れるとは思わなかった。
本気に成った父親に対して、今更ながらに寒気が走る。改めて騎士団長バードの鋭さが解った。
キョウの剣技を完全に把握していたし、その対処法も完璧だった。やはり、あの手合せは本気では無かったのだ。
あのまま長時間戦えば、キョウは小技ばかりに頼ることになり、バードに押し切られただろう。
決着に急いだ、バードが最後に放った剣にも、リオの存在に対して迷いが生じていて、体重が乗っていなかった。
あれが無ければ、キョウはこの場に居なかっただろう。
「オヤジは大丈夫だ、絶対に生き延びる!」
キョウは自分に対して言っているように、強くそう言う。
希望的な概念が入っているのは否めない。
幾ら強くても、三対一になれば相手に視覚を取られ、負ける事となるだろう。単純に手は二本しか無いからだ。しかし、今の自分が出来ることは、父親を助ける事ではなく、リオを守ることだ。
キョウの言葉と表情にリオは納得する。キョウも耐えているのが解った為だ。
二人は偽名で宿に入ると、ベッドに腰掛け息を殺して辺りを伺うが、今の所は変化はない。
こちらに追っ手かからなかったのは父親のおかげだろう。しかし、安心は出来ない。
キョウはその夜、暗殺者の襲撃に備へ、一睡もすること無く朝を迎えた。
セリオンだった時ですら、暗殺者を飛ばされた事はない。これは初めての経験だ。
王国ファスマまで、残り三国と成って、キョウは改めてこの旅の大変さを思い知った。
次の日は、昼過ぎまで宿から出ず、昼を過ぎてから宿を出る。
リオはパーカーのフードを深く被り、キョウは胸当てを外し、剣に巻く布を頭に巻き、ターバンを作る。変装に意味があるか解らないが、少しでも危険を避けるために、小さな努力も惜しめない。
キョウの手は、常に剣に置かれていた。
グウィネビア王国内で町を変えて、ご飯を食べてから、再び違う町で宿を取り、そこから外に出なかった。金銭的にきついが、今はそんな事を言ってられない。
バードの台詞は法国オスティマの兵士も聞いている。その日の内に出港すれば足が付くだろう。
だから相手を巻くために、陸路も考えたのだが、陸路で敵に出会えばリオを逃がす逃げ場がない。
それに比べて海路なら、次の国ウルファン王国への定期便の本数も多いし、そこ以外にも降りる国も多いので足が付きにくい。
二人が船を降りるのは、グウィネビア王国から一番近い、ウルファン王国の港の予定だが、王国ファスマは二つ向こうの国、フォエベ王国が一番近い。
キョウ達が王国ファスマを目指しているのを知って要るなら、相手はフォエベ王国まで向かったと考えるだろう。それに、本当にいざと成れば、リオを抱きかかえ、海に飛び込む覚悟である。
それで巻ければ儲け物だが、まだまだ注意は必要だ。
あれ以来、二人とも会話が少なかった。
「リオ、疲れてないか?」
キョウは心配そうに、疲れた声でリオに話し掛ける。
昨日は眠ってないので、流石に声にも疲れが出始めている。
「大丈夫だよ」
答えたリオも、言葉に力が無かった。
バードの「暗殺者が飛んでいる」と言う台詞は、二人に回避する機会を与えたと同時に、二人の精神的苦痛も与えた。
特に、護衛をしていりキョウは、気が抜ける時間はなく、精神的に参っていた。
町の中を歩いていれば、誰もが暗殺者に見える。
つねに警戒は切れないし、いつでも剣を振る状態を維持しなければ成らない。しかし、この程度で諦める訳には行かなかった。
出来る事なら、早く暗殺者を倒して、ゆっくり旅がしたい。敵は霧相手だけで十分だ。
しばらくお互いに黙ったまま、身動きも取れなかった。リオはベッドの上で膝を抱かえたまま腰掛け、その膝に顎を乗せていた。
「ねっ、キョウ、楽しい話して」
痺れを切らせたのか、リオはキョウにそう話し掛けてくる。
愛刀を抱え、ベッドに凭れる様に、床に座っていたキョウは、意味が解らずリオを見た。
「楽しい話?」
警戒心から自然とキョウの声が小声に成る。リオはキョウを見ると、優しい笑顔で頷いた。
「そう、楽しい話。もっと、旅を楽しもう」
こんな時に無茶を言うリオは、わざと空元気に話し掛けてくる。その様子からして、リオも精神的に参っているのだろう。
しかし、楽しい話と言われても、急にはキョウも思い付かない。
不謹慎だか、キョウにしてみれば、この旅こそ楽しい出来事だった。
たしかに現在は辛いが、リオと旅をしていて色々な事を知った。
魔法や、科学。国政は、霧は被害をもたらすだけでなく、霧によって利益を産む国があるとは、頭では解っていたが、しこまで詳しくは知らなかった。
色々とリオの我が儘にも振り回されたが、彼女以上に未来を見ている人間が居ないのも解った。
リオはイップ王女と同じく、誰よりも未来を見ている。
あのままティーライ王国で暮らしていれば、キョウは知らない事の方が多かっただろう。しかし、それは恥ずかしくて、とてもでないが口に出来ない。
キョウは散々悩んだ挙げ句に、十四歳の頃に行方不明に成ったことを話し出した。
最後の使用人の考えた、ニグスベールの奇跡と言うタイトルを聞いて、大袈裟だと笑ってくれれば良いと思ってだ。しかし、話し出したのは良いが、なぜかキョウは、その時の記憶があいまいだ。セリオンの記憶の方が確かなぐらいである。それでも薄い記憶を辿り、話を進めていく。
時には飛ばし、時にはしろどもどろ成りながら、キョウは屋敷に戻った所まで話をした。そして、最後の台詞を言おうとしてリオを見ると、リオは膝を抱かえたまま、ベッドに寝転び寝息を立てていた。
ラストを聞いて欲しかったキョウは、つまらなそうに唇を尖らせたが、仕方がないと諦める。
リオが昨日、眠りに付いたのは明け方だった。
無理もない、キョウですら緊張の連続で疲れている。リオはまだ小さい、体の事を考えるとキョウよりも疲れが出たのだろう。それに、命を狙われているのはリオの方だ。
そんなリオに対して、キョウは思った。
命を掛けてリオを護ろう。
リオの前世がイップ王女だからでなく、自分がセリオンだったからでもない。
キョウは、自分が出来るからと言って危険な旅をしている、彼女をただ守りたかった。その気持ちを胸に、キョウもリオの寝息を聞き、寝顔を見つめていたら、いつの間にか眠りに堕ちていく。
戦闘以上に疲れが溜まり、もう限界だった。
リオは眠りに付く前の、微かしか動かない頭を使い、やっと見つけた答えに、納得をしていた。
キョウと出会うのは二度目だったのだ。
キョウとリオは、次の日の昼近くに、グウィネビア王国からウルファン王国を目指して出港した。
朝よりも多くなった人ごみに紛れて出港する。
船は丸一日かけてウルファン王国の港町に着いた。着いた港町ではご飯と買い物を済ませ、直ぐにウルファン王国を後にした。
船上では狙われる事もなく、これで上手く暗殺者を巻いていれば良いのが、まだまだ安心は出来ない。どの道、こちらの目的地が解っているので、いずれは出会えことになるだろう。
ここから、王国ファスマまでは、あと二国だ。一時も気は抜けない。
次のアイストラ王国、そして最後の国、故ストラ。それより王国ファスマに近い国は廃国している。両国共に癖のある国で、本来なら、今出国したウルファン王国が、王国ファスマまでの、唯一心をゆるせる国だったが、欲を言えばきりが無い。
ここからは、イップ王女とセリオンの記憶のおかげで、残りの国の情勢や、道のりも詳しく解る。それに、王国ファスマに近付くにつれて、霧との戦闘も激しくなるだろう。
そして、それを予感させるように、野良犬らしきもの十数匹の群れが現れた。いずれも、霧に乗っ取られた後だ。
形はバラバラだが、中型の霧に乗っ取られた物だ。キョウの剣の大きさなら、両断も出来る大きさだが、数が多いので手こずるだろう。
しかし、何故かキョウは安堵のため息を吐いた。
暗殺者に狙われるより、敵が見えている分、剣で斬れるなら遥かにましだ。それに、あの時に比べて、数も少ないし、折れない丈夫な剣もある。
キョウは何時もの担ぎ構えをとった。
現在のキョウにとっては、敵がどんな形態かも、幾らいるかも関係がない。
二の腕の筋肉を盛り上がらせ、闘気を引き連れながら、キョウは袈裟斬りに剣を振り下ろした。
キョウの戦う姿を見て、リオは別の物を想像する。
まるで竜巻だ。
今までのストレスを吐き捨てる様に、身体を大きく動かせ、剣を振り抜くキョウには、魔法による援護射撃は必要でなかった。いや、それどころか霧に乗っ取られた野良犬が、攻撃する時間すらも与えない。
バスターソードにまでいかない大剣が、いく筋も軌道を変え、霧に乗っ取られた野良犬達を切り裂いていく。
霧に乗っ取られた野良犬達は、両断され、吹っ飛ばされ、みるみる数を減らし、またたぐ間に決着が着く。
改めて、キョウの凄さか解った戦いだった。
全てを斬り終えるとキョウは、愛刀を地面に突き刺し、それを杖代わりにしながら息を整えている。しかし、その口元は少し緩んでおり、戦闘を楽しんだようだ。
最近は、霧に乗っ取られた大型動物はリオに止めを刺してもらい、暗殺者と言う見えない敵に怯え、不本意なバードとの戦闘では、本気とは言いながらも、心のどこかで、制御しながら剣を振っていた。
頭を真っ白にして、何も考えずに、ただ、敵を倒すために剣を振るのは久しぶりにすら思う。
息を整えながらキョウは尋ねた。
「リオ、大丈夫か?」
「うん。………私は大丈夫だよ」
リオには今のキョウの心理状態が解り、心配に成る。
彼女はバードの言った、暗殺者が飛んでいるの言葉に対しての不安はあるが、キョウが守ってくれるから大丈夫だと言う安心もあった。
しかし、キョウにはリオを守ると言う使命がある。一時も警戒を切らせられない。精神は擦り切れ、眠っている時ですら休むことは許されない。
早く休みたい。早くキョウを休ませてあげたい。
そんな想いを胸に秘め、リオはあえて笑顔をキョウに見せる。せめて自分の事で心配は掛けたくは無かった。
しかし、リオの想いは虚しく、ここからはそんなに甘くは無かった。
五十対もの霧。
意識を強く持とうとしても、二人とも精神的に追い詰められている。状況は一向に良くならない。
イップ王女の時は、王国ファスマ人で在ったために邪魔をされた。しかし、リオやキョウは王国ファスマ人では無い、それなのに暗殺者が飛んでいる。
リオは声を大にして叫びたかった。
何故、人々は協力して、霧を止めようとしないの? そうすれば明るい未来が約束されるはずなのに。でも、それは装置を理解できないから仕方が無いよ。
ならば、せめて、――――私の騎士の邪魔はするな!!
「リオ、意識だぞ、意識を強く持てよ!」
「うん、解ってる」
リオの声には何時もの張りがない。
キョウも同じだが、こんなに心が弱っている時に、この数の霧は不味い。意識をしっかり持ちたいが、あの数を見ればどうしても恐怖を感じてしまう。
少しでも弱気に成ればおしまいだ。
キョウは、とにかくリオを担いで、一旦この場を離れようと考えた。その時だ、後ろから声が掛かけられる。
「大丈夫か! 私も手伝おう」
キョウはその声で咄嗟に振り向く。
声を掛けてきたのは二十代の女性で、手に八十センチほどの鉄の棒を持ち立っていた。
その女性は何とも妙な格好で、緑と黄緑と深緑を散りばめた服を着ている。帽子も同じ色で、背中には大きな深緑のリックを背負い、腰には真新しいロングソード一本ぶら下げている。
そして、彼女の左の腋。
そこには黒い鉄製品があるが、何に使う道具かキョウは見たことがなかった。
しかし彼女は妙な事を言う。霧を相手に手伝うことは何もない。倒すことが出来ないからだ。
キョウはその女性に「あんたも逃げろ」と口を開き掛けたその時、女性は手に持っている鉄の棒で、霧を切る動作をした。
その動作からして、女性は剣に慣れていない素人だとキョウには解った。霧相手に剣を向けるのも、素人以前に馬鹿馬鹿しい者だ。
しかし、その次に起こった状態がまるで解らなかった。
女性に鉄の棒で斬られた霧は、二つに分かれ、地面に横たわると動きを止めたのだ。
「………えっ?」
キョウは思わず、口を開けたまま、彼女を見つめていた。
今起こった状態の、意味が解らなかった。
いち早く気付いたのはリオの方だ。
「どうしてそんな物が存在するの!!」
驚きながら女性を見る。
二つに分かれた霧は動かない。その様子からして、彼女は霧を斬ったのだ。
「なっ、何で………」
キョウも信じられない光景を見るように、ただ、目を見開き女性から目が離せないでいた。
女性は同じ動作を続けている。動きは素人臭いが、関係がない。霧はただ漂うだけなので、女性は簡単に霧を捉えることが出来た。
キョウは呆然と立ち尽くしていた。動いている霧はドンドンと減っていく。
散々人々を苦しめ、対策を取らないと倒せなかった霧が、キョウの目の前で、いとも簡単に倒されていく。今の今まで脅威に感じていた霧が、まるで、ただの動く練習用の巻き藁だ。
こんなにも簡単に、こんなにも単純に、霧達が倒れていく。
今までの苦しい思いが、キョウにとっては最も斬りたくて、斬れなかった相手が倒されていく。
それは、物語の一節を見ているようだった。
霧の何体かはスウーっとその場を離れ、森の中に消えていくが、女性は霧を追い掛けもしない。彼女にとっては敵ですら無いのだろう。
「よし、もう大丈夫だな」
女性はキョウ達にそれだけを言い残し、この場から去ろうと振り向いた。慌ててリオが声を掛ける。
「待って!」
女性は振り向くと、照れたように笑った。
「礼ならいいよ、困った時はお互い様だ」
違うとリオは首を横に振ると、要約キョウの金縛りが解けた。
「あんた、――――霧を斬れるのか?」
女性は少しだけ困った顔をして、頬を掻いた。
「まぁな、霧は多くなければ、たいしたこと無いが、乗っ取られた物は厄介だ」
五十体もの霧を、多くないとは中々言えない。意識をしっかり持てば大丈夫と解っているキョウ達も、さっき恐怖を感じた数だ。
リオは女性に駆け寄ると、頭を下げた。
「すいません、それ、見せてください!」
リオは女性が腰に下げている、さきほどの鉄の棒を指差した。女性は再び困った顔をしたが、相手が子供なので断われ無かったのだろう、渋々と言ったぐあいに渡す。
「悪いが見せるだけだぞ、あげないからな」
断りを入れてから、女性は鉄の棒をリオに渡す。
理由の解らない武器だ。触って良い物かキョウは不安を感じるが、リオはすんなりと受け取った。
リオは女性の言葉に何度も頷きながら、渡された鉄の棒を繁々と見つめる。それから、表面の手触りを調べたり、叩いて音を聞いたりしている。
その様子に、キョウもリオの隣に並ぶと、珍しいそうに横から覗き込み、同じく鉄の棒を見る。
一見、何処にでもあるただの鉄の棒だ。円柱で八十センチほど。握りに使うためか布が巻かれているだけで、これと言って変なところはない。
しかし、これは霧を切り裂いた。
キョウは信じられない様に呟いた。
「こんな物で………こんな単純な物で、霧が切れるのか?」
キョウは悔しそうに呟く。
試した事がないが、もっと早く鉄の棒で霧が斬れると解っていれば、霧の被害はもっと少なかっただろう。
そんなキョウに対して、リオは誤解を解く。
「キョウ、ここを見て。溶接してるでしょ?」
リオに指差された鉄の棒の先端を見る。
確かにその部分だけは、鉄を溶かしたような後があった。
しかし、細かくて綺麗で、よく見ないと直ぐには解らない溶接のあとだ。かなりの腕を持った者が加工したのだろう。
手先の器用なライマ共和国の人々でも、これ程の優れた技術は持ち合わせていないだろう。
「これは多分ね、六次元の物質を、この次元の鉄でコーキングしているの。六次元の物質を加工出来ないから包んだのね。でも、ただの鉄なら六次元の物質はすり抜けてしまう。どういう技術だろ?」
キョウはリオの回答に頭をひねった。
リオの言っている意味が解らない。しかし、キョウにしてみれば、そんな理由はどっちでもよく思えた。
何がどうあれ、霧を斬る武器がある。それだけで十分だ。
一刻も早く、この武器を量産してほしかった。これさえあれば、世界中で何万の人が助かる。
しかし、女性はリオの答えに驚きの目を見せた。
「お前、………分かるのか?」
「理屈だけならね。だけど、どうやって六次元の物質を、鉄に閉じ込めるか解らない」
女性は「すごいな」と呟き、鉄の棒の説明をしだした。
「これは鉄じゃない、正確にはネオジュウムと言うレアアースで、希少価値の高い鉱石だ。まっ、簡単に言えば磁石だな」
彼女の説明を聞いたリオは、鉄の棒を眺めたまま、黙り込み考えている。彼女はその行動に、無駄なことだとリオを眺めた。
磁石と言っても磁場だけでない。電気の電場も一緒に考えないと答えは出ない。しかしそれは、素粒子レベルで考えないと、理屈は解らない答えだ。
リオは唸りながら、独り言のように答えた。
「磁石だったら、方向性の問題かな。縦、横だけでない、力の場の方向性が三本あったと仮定したら答えが出そうだけど………駄目、解らないや」
女性は驚き目を見開いた。
高次元による第三の輪の想定。少しぐらい物理に詳しくても、今の解答は出ることはない。
キョウは慌てて二人の会話の間に入る。
「リオ、原理はいい。それより、これは何処で手に入れた? それとも、自分で打ったのか? これが有れば人々はもっと助かる。頼む、教えてくれ!」
焦るキョウをリオは止める。
「キョウ違うよ。これはこの世界の技術で無いの。私達の今の技術ではこれは作れないよ。それに、ネオジュウムと言う鉱石は聞いた事もない」
リオの説明に、キョウは信じられない顔をしていた。
作れないと言っても、現に目の前にある。有るものが作れないはずがない。作り方を聞きもっと世界に広めれば………。
そこまで考えて、やっと前のリオの話を思い出した。
霧は同じ次元の物質なら斬る事が出来る。しかし、今の世界の技術では、その物質を加工することは、出来ないはずだ。ならばどういう事だ? 世界の技術が、その次元の物質を、加工出来るまで一気に伸びたとしか考えられない。
キョウは技術に関しても理解が足りないのでそう考えた。しかし、リオには解る。技術は理論なしではすぐには伸びない。その技術は後何十年経たないと、この世界には追い着けない技術だ。
すなわち、オーバーテクノロジー、そして、そこからうかがえる真実。
「あなたは、向こうから来たのね」
リオの問い掛けに、キョウは驚いた様に女性を見る。女性はあっさりと認めた。
「あぁ、そうだ」
肌の色や、髪の毛の色、体の特徴にもキョウ達と変わりは無い。一目で見たところで、何処の国の人間か、何処の世界の人間か解らないはずだ。それを、リオは鉄の棒一本から読み取った。
リオは当然の様に頷くと、真顔に戻って彼女を見た。
「そう、なら、――――あれを閉じるために来たの?」
リオの問い掛けの意味が、キョウには解らない。閉じるのは自分達で、他に閉められる者が居るとは思わない。
「………っ」
彼女はバツの悪そうに顔を背ける。
きっちり話せば長く掛かるし、真実を語って、自分の命の危険が無いのか考える。
さらに、リオの追及は続いた。
「教えてくれませんか。私達はあの装置を止めたくてここ来たの。あなたの話を聞かせてください」
キョウは厳しい瞳のまま女性を見る。
内容が解らないので、今はリオに任せておいた方がいいと踏んだのだろう。
女性は真剣な瞳で、しばらくリオを見ていたが、直ぐに諦めたように溜め息を吐いた。
リオの言葉は、射抜く様に正確に答えを射していた。
「お前の言う通りだ。私はあれを閉めるために来た。だが、それはお前には無理だ」
簡単に答える女性に対して、リオは大声を上げた。
「どうしてですか! 私は理解しています。重力をシステムとした装置ですよね? あれはあなた達の方から開いた。なのに、あなた達は閉めない! だから私が閉めます!」
リオの台詞に、キョウは驚きの表情を浮かべる。
そんな話は初耳だし、セリオンの記憶にも無い。確かにあの時、イップ王女が開けたはずだ、セリオンもあの場所にいた。
「あなた達が開けた? リオ、あれはイップ姫が開けたわけでないのか?」
俄かに信じがたいその事実は、キョウの胸に激しく食い込んだ。
リオは女性を見たままキョウに頷く。
「キョウ、そうなの。黙っててごめんなさい。………でも、あれを開けたのは、向こうからよ。イップ王女は気付いてなかったけど」
リオの台詞にキョウは力が抜けていくのが解る。
瞬間的にキョウの頭の中に二つの感情がよぎった。
一つは良かったと言える安堵感だ。
イップ王女は、自分自身が考えていたような罪は無く、彼女がそれを開けて、世界が霧に包まれたのでは無いと言う喜び。
もう一つは、あそこまで国を想い、国民の事を考えたのに対して、失敗していたと言う残念な思い。結果として、開けなくて良かったが、これでは何の為にイップ王女が頑張っていたのか解らない。
しかし、それでも、今は良かったと思いたい。せめて、イップ王女が生きている時に、知りたかった内容だが、リオが気付いているなら同じことで、これで良かったのだ。
キョウは、悩んでいるように眉間に皺を寄せ、喜んでいるように口元を緩ませた、複雑な表情をしている。それを横目に、リオと女性の二人の会話は続いていった。
「あぁ、それも合っているがもっと単純なことだ。………お前、パソコンが使えないだろ?」
「パソコン?」
「だろ、だから無理なんだ」
女性に言われた意味が解らず、リオは黙り込む。
内容的には、彼女が言っているのは、多分だが閉めるための動作だろう。しかし、それならレナ姫が言った通り、二万七千の言葉は要らなかったのだろうか。
「教えて下さい。そのパソコンとは何ですか?」
「教えてくれと簡単に言うが………」
彼女は困ったように言葉を濁す。今ここで、パソコンがどういった原理の物か説明しても意味がないし、かと言って、操作を教えるにしても、現物が無いと教えにくい。
しかしと、彼女は考える。
今の自分の現状は、このまま行っても好転はしないだろう。
ならば、簡単に鉄の棒の内容を当てたリオなら、何とか成るかも知れない。心境としては藁をもすがる思いで、現実的ではないのだが。
「解った。ただし、お互いの解っている所まで話してからだ。そっちが、私のしたいことと著しく違ったら、教えない。それでも良いか?」
解ったと頷き、リオは彼女に鉄の棒を返した。
キョウ達はお昼ご飯を取るために、開けた場所に出る。
この場所なら遠くまで見渡せるし、霧が来ても、暗殺者が来ても対処はしやすい。
キョウは森から、乾いた薪を拾ってきて、リオが魔法で火を付ける。ユキナは珍しそうに魔法を見ていた。
ユキナ・カミザキが彼女の名前だった。
年齢は、二十七歳。本人は「日系だがアメリカ人」と言っていたが、リオやキョウには解らない。アメリカとは聞いたことの無い国だ。考古学で博士号という称号を持っていて、ほかにも簡単な物理知識も、この作戦には必要不可欠なので持ち合わせているみたいだ。
ユキナはリオから、焼きしめたパンを受け取り、礼を言ってから口にする。
「カンパンみたいだな。………とにかくだ、私から言えるのはここまでだ。まずはそっちから話せ」
ユキナは淡い期待を胸に、リオに話を振る。科学も未々劣るこの地で、しかも、子供に頼るとは情けないが、この三ヶ月を考えるとなりふり構っていられない。
リオは、キョウから塩味の薄いスープを受け取り、熱そうにふっーふっーと冷ましてから話をしていく。
キョウとリオには、王国ファスマの姫と騎士の記憶が有り、その記憶では、その装置を使い空間に穴を開けた事。現段階では開けたつもりで話していく。
そこで、空間に空けた穴と、六次元が繋がることで霧が現れ、人々を苦しめ、何度も閉じようとしたが閉じなかった事。そして、その当時の記憶を持ったリオが、その穴を今から閉じに向かっている事。
信じがたい内容だが、ユキナにはリオの頭がいい理由が解り、納得をした。
これなら期待は持てる。
スプーンを振りながら話をしている、リオの言葉を聞きながら、パンをスープに浸けて食べているキョウは不思議に思った。
リオは二万七千の言葉に、まるで触れていない。隠しておきたいのだろうか。
たぶん、何か考えがあるのだろうと、勝手に納得して口を挟まず食事を続けるが、それは正解だった。
リオにしてみれば、二万七千の言葉は、気安く話せる内容ではない。駆け引きの最大の場所でもあり、同じく最大の地雷でもあったからだ。
ある程度の予測はつているのだが、二万七千の言葉の確実な用途が解らないためだ。
「だから、私達はここまで来たわけ。まぁ、私達は何を言われようが、このまま王国ファスマまで行くけどね」
力強いリオの言葉に、キョウは口元を緩め浅く笑った。
リオの話を聞いたユキナはしばし黙り込み、顎の下に手を置いて考えていた。
リオ達の話は解った。例えユキナが居なかった所で、リオ達は王国ファスマに行き、あれを閉めようとしただろう。閉まる閉まらないは別として。
しかも、リオもキョウも、一時は自分達があれを開けたと思い込んでいたことから、ユキナを責めてこない。そこがユキナの一番の心配所だった。
どこの世界でも居るものだ、自分は何もしないくせに、他人ばかりを責める者が。しかし、この二人は大丈夫だと考え、ユキナは自分の話をすることにした。
「解った、こっちも話すよ。ただし、難しい話しは飛ばして、簡単に話すからな」
ユキナはまずは断りを入れる。
リオは頷くと、ユキナは水筒の水を飲んでから話し出した。
それは、この世界でない、別の世界の物語。
「あの装置の名前は、空間輸送システムだ。リオの言った通り、重力を使う装置になる。私達はその装置を使い、時空に穴を開けることに成功した」
ユキナの世界が、空間輸送システムを使うのは、宇宙開発の為であった。
世紀が進んでも、アルバート・アインシュタインの相対性理論をくつがえす理論は出来なく、そのため、光速での移動は不可能な技術と結論された。
しかし、太陽系を離れようとした時、それはどうしても大きな足枷となる。
そこで目を付けられたのが、ブラックホール、ホワイトホールに並ぶ、ワームホールの存在である。
この辺りの話しはユキナは詳しくなく、システムに関しても原案は遺跡から発掘した装置らしいが、秘密事項の為、ユキナは詳しく教わっていなかった。
ここまでが経緯で、ユキナは一度言葉を止めて、重い溜め息を吐いた。
もともと物理は専門外だ、詳しい話をする時は思い出しながらなので頭を使う。
そんなユキナの話を聞いて、キョウはげんなりした顔をしていた。
まずは何から何まで解らない。昔イップ王女が好きだった物語みたいに、現実には有り得ない出来事にも思える。
今のユキナの話でキョウが理解できたのは、技術の進んだ違う世界からユキナが来た事だけだ。宇宙など想像もつかない。
しかし、リオはもっと理解したのだろう。瞳を輝かせ、鼻息を荒くして、身を乗り出して話を聞いている。その様子からして、今までの疲れは取れ、元気が戻って来たのだろう。
キョウはそこだけは嬉しかった。
「ねっ、ねっ、ユキナ、相対性理論って何? 光がどうのこうのって、もう少し詳しく!」
「長くなるから後だ。それに、今は関係無い」
リオの提案を、アッサリとユキナは切り捨てる。
ここからは現代進行形の話になっていく。話はそれでも古く、五十年前からだった。
五十年前にあの装置、空間輸送システムは完成していて、何度も実験を繰り返していたらしい。そして、その星を見つけた。
そう、知的生命体の住む星。
キョウ達の星だ。
ここでもリオの読みは当たっていた。ユキナの世界の人々は、何度かこの世界と繋げては、この世界の事を調べていた。ユキナがこの世界の言葉を話せるのも、そう言う理由らしい。
しかし、繋がったのはいいが、エネルギーの問題から、長く繋がることは無かった。
最初は数分で、研究が進むたびに、どんどんとその時間を延ばしていったが、最高でも三ヶ月だったらしい。
しかも、困ったことに、細かい座標が特定できず、毎回違う場所に出る。
ユキナの世界の人々は考えた。その座標を安定させるには、キョウ達の世界の方にも、同じシステムを作らなくてはならない。その為に彼等は、当時の王国ファスマの人々に、機材や知識を渡したのだ。
しかし、王国ファスマの人々は、ユキナの世界の人々が、こちらの世界に攻め込む作戦と考え、なかなか建設しなかったのである。
そのため、ここからはしばらく計画が進まないまま、三十年ほどの時間が費やされてしまう。
そう、今から十八年前までだ。
その間にユキナの世界の人は、エネルギーを安定させるために、核融合炉をこのシステムを建設していた。
原子炉よりも燃料がいらず、安定した核融合炉。これが間違いの元だった。
起こってはならないことが、起きてしまった。
空いた空間の穴と、六次元が繋がり、霧が発生した。
しかも、今回繋がったのは、核融合炉が存在するので、エネルギーは十分にあり止まることはない。ユキナの世界の人々は、止める事を考えて、建設して居なかった。
予定通り、空間輸送システムは、王国ファスマに建設されたシステムと共鳴して、王国ファスマの地下で開いた。共鳴なので、王国ファスマ側にエネルギーは必要としない。
このとき、有り得ない偶然が起こった。
太陽や他の惑星の動きから、空間輸送システムを動かせたのか、暦による相性で、空間輸送システムを動かせたのか解らない。
理由が解らないので、ただの偶然としか言い表せない。
ちょうど、ユキナの世界の人々が、空間輸送システムを使うのと、イップ王女の開闢の儀式が重なったのだ。
ここから、イップ王女の悲劇が始まった。
ユキナはここまで話してから、キョウがくれた味気ないスープに口を付け、口に合わなかったのか顔をしかめた。少しだけキョウはムッとする。
リオは黙って話を聞いていたが、肝心の場所をユキナは話してくれないことから、ようやく口をはさんだ。
「どうして失敗したの? 今までは成功してたのでしょ?」
リオの問い掛けに、ユキナは頷く。
「私は、その時期は加わっていないから、聞いた話だぞ。………これは人為的ミスなんだ」
「人為的ミス………」
「あぁ、本来なら、空間に隙間なく、私達の世界とこちらの世界は繋がる筈だった。しかし、プログラムの打ち込みミスにより、僅かに隙間が出来てしまった。本当に在ってはならない、間抜けなミスだ」
リオはパンを持つ手を止めて、ユキナの話を真剣に聞いている。キョウはすでに話に着いていけず、詳しい内容は二人に任せ、周りに警戒を向けていた。
リオは神妙な面持ちで聞いた。
「隙間って、どれ位開いたの?」
「十のマイナス二十五乗」
「十のマイナス二十五乗ってどれ位?」
「そうだな、大体、電子が十のマイナス十七乗だから、電子より小さい」
「電子って?」
「素粒子の一種だ。分子、原子の元で、それ以上、分解できないのが素粒子。素粒子を形作っているのが超ひもだ。………話が逸れたから戻すぞ」
リオにしては、その話は自分の考えている理論の完成形で、もっと詳しく教えてほしいのだが、渋々と口をふさいだ。たしかに話からは、大きく逸れてしまう。
「しかし、空間を裂いているので、僅かな隙間でも関係無い。電子より小さくても、開いたと言う事実が現れる」
ユキナは元より物理学者で無いので、説明は上手くないのだが、リオは自分の解釈に直し、想像していく。
ようするに、空間を割いているので、その間が、一センチで有ろうが、十メートルで有ろうが関係無い。ようは無限かゼロのみだ。
ゼロはぴったりくっついた成功した開き方。それに対して無限は隙間が出来た開き方。無限の隙間は空間の距離に関係無く開いている。簡単に言えば、最初の隙間は一センチで、直ぐに長くなった。
「隙間の正確な長さが解らないが、体感距離で感じたのは、二キロぐらいだ。――――その隙間の空間を、私達はハイゾーンと呼んでいる」
「ハイゾーン、ようするに六次元の空間のことね。そこで六次元の物質を採取したって訳か」
リオの解釈で合っているのだろう、ユキナは頷いた。
「しかし、一番最悪なのは、そのズレが私達の世界の方でズレてしまった事だ」
ユキナの台詞に、リオは目を大きく広げ驚く。
「じゃ、操作する場所が、私達の方に来ているの?」
リオの台詞にユキナは頷く。
「それだけでない。エネルギーを作る核融合炉も共に来ている」
それでは、ユキナの世界の方から、空間輸送システムを止めることが出来なく、空間は空いたままだ。しかも、その話からすれば、ユキナの世界の空間の穴はかなり大きい筈だ。こっちの世界より被害は大きいだろう。
「私達は空間の穴を止めたかったが、操作室もエネルギー施設もハイゾーンの向こう側だ。だから、霧を斬れる武器を作り、三ヶ月前に、操作室までの突入隊が結成された」
リオは次のユキナの台詞が解った。
「――――失敗したのね」
ユキナは苦しそうに頷いた。
彼女は三ヶ月前に、その惨劇にあっている。いまだに鮮明に記憶が残り、思い出すだけでも辛いのだろう。
「学者、技術者合わせて五名。軍人四十五名………私を残して全滅だ」
ユキナは唇を噛む。
キョウは今までの話は解らなかったが、そこだけはハッキリと解った。
ユキナが見てきた所は、本当に地獄だったろう。ちょうどイップ王女とセリオンが居た、あの王国ファスマの地下と同じだ。キョウにしても未だに脳裏に焼き付いている。
リオは厳しい顔をしてから、不思議そうに聞いた。どうしても好奇心のほうが先走ってしまう。
「ハイゾーンの空間には何が在ったの?」
ユキナは重く首を横に振った。
「何も。………歩けるから、床らしき物は有ったと思うが、上手く言い表せない。………暗くて明るいとしか、私たちには理解出来なかった。ただ、霧は多く、とてもじゃないが対処できなかった」
リオは納得をしたように頷いた。
この世界で生きている者は、時間は見えないので、三次元を見る目しか持っていない。だから、ハイゾーンの六次元は見ることが出来ないのだ。しかし、現実にはたしかに物質は在るはず。だから、そこからユキナの世界の人達は、ハイゾーンから物質を持ち帰り、十八年掛けて、霧に抵抗する武器を作りあげたのだろう。
「私は一人生き残り、帰る事も出来ずに、とにかくハイゾーンから逃げるため、こちらの世界に出てきた。第二部隊が来てくれるかもしれないと、穴の近くで待っていたが、一週間経っても表れなかった。だから、もう、どうして良いのか解らなくて、色々な場所を回っているのだが………」
ここまで気丈に話していたユキナの瞳に、不意に涙が溜まっていく。
当たり前だろう。霧の群がるハイゾーンを、人々が変化して行くのを見てきて、恐怖に震えながらハイゾーンを抜け出し、たった一人で別の世界に遣ってきた。第一陣が失敗したので、次の第二陣が来るかどうかも解らない状況だ。
一人で不安に耐えてきたのだろう。そして、自分の話をすることにより、心の枷が取れてしまった。
ユキナは指先で、何度も何度も涙を拭いていたが、もう限界だった。「帰りたい」と呟きながら、子供の様に泣き続ける。キョウには掛ける言葉が見つからなかった。
「――――帰れるよ」
その言葉にユキナは顔を上げる。
リオの真剣な、自信に満ち溢れた瞳がユキナに向いていた。
「私達はあれを閉める。それなら空間が元に戻るから、ユキナは帰れるでしょ?」
全く違う世界で、自分達よりも科学力の劣る、自分よりも幼い少女が、あたかも当たり前のように簡単に答える。それは慰めでない。
少女の瞳がそれを語っていた。
ユキナは、涙を溜めたまま、大きく目を見開いてリオを見つめていた。
何故ゆえに、彼女の言葉にはこれ程の力が在るのか。ユキナには解らないがこう思った。
リオは未来を信じているから。
その表情で、リオはやっとユキナが隠している内容が解った。
「そっか、ユキナは止める為のパスワードを知らないのね」
その言葉に、ユキナは悔しそうに頷いた。
「………その通りだ。私は元々、こちらの世界の言葉が上手いことから、こちらの人間とトラブルが起こった時の、交渉役に選ばれた。だから、システムの内容は上辺しか知らないし、肝心の止めるためのパスワードは教わっていない」
暗くユキナは言葉を返した。
パスワードを知らない、止め方も解らないユキナは、帰る事も出来ず、一人この世界にやって来たのだ。
リオは笑顔で、ユキナに頷いた。ユキナも泣き顔のまま頷き返す。
――――怖かった。
誰かに頼りたかった。しかし、誰も居ずに独りで不安と戦い続けた。こんな幼い少女にですら、しがみつきたかった。
リオの隣でキョウも頷いていた。
「ユキナ、一緒に行こう。私達で閉めようよ。それで、ユキナは私に閉めるための知識を教えて」
ユキナは声には出さなかったが、何度も何度も頷いた。
ユキナには断る理由は見つからなかった。
三人はかたづけを済ませ、立ち上がると、次の国アイストラ王国を目指して歩き出す。再び霧や、霧に乗っ取られた物と出くわすが、今の三人には敵ではなかった。
霧に乗っ取られた物は、キョウが切り裂き、リオが魔法を使い倒していく。そして、霧に対しては、ユキナが直接に霧を斬り捨てていく。
ユキナが一緒に旅をしてくれているおかげで、霧に対しての恐怖心が無くなった。
キョウは暗殺者に対して、警戒も切らして居なかったが、先程の疲れはもう無かった。
残りは一つだけ。
「リオ、行くのはいいが、パスワードはどうするんだ? 私は知らないんだぞ」
「うん。少し思い当たることがあって、――――ユキナは二万七千の言葉って聞いた事が無い? 私はこれがパスワードと関係あると思うの」
リオはやっとその言葉を口にした。
意味が解らない、二万七千の言葉。
リオはゆっくりと二万七千の言葉を語っていく。
リオの考えが正しければ、それこそユキナの世界の言葉で、パスワードかも知れない。しかし、ユキナは首を横に振った。
「それは、確かに私達の世界の言葉だが、パスワードではないはずだ。一般的に使われるパスワードとはそんなに長くない。長くても十から十八ぐらいだ」
「あれ?」っとリオは頭をひねる。
これこそが意味がある言葉と思っていたが、確かに言われてみれば不自然だ。
誰もパスワードに、こんなに長い文章は使わ無いだろう。では、やはりレナ姫の言った通り、意味がなかったのだろうか?
「それは、有名な物語の、ただのあらすじだ」
イップ王女やリオは、今の今まで物語のあらすじを、意味在る言葉として覚えていたのだろうか。
「あらすじ………ユキナ、その物語の題名は解る?」
「あぁ、不思議の国のアリスだが………」
そこで、ユキナはしばらく足を止めた。何かがユキナの琴線に触れたのだろう。
ユキナは再び何度も口の中で「不思議の国のアリス、不思議の国のアリス」と何度も題名を呟く。リオは物語の内容が知りたくてウズウズしながら待っていたが、その前に、ユキナがいきなりリオの方を向いた。
「ウサギの穴か!!」
「?」
物語を知らないリオは何の事か解らず、目を白黒させる。ユキナは一人、納得するように何度も頷いた。
「それだよ、それ。リオ、正解かもしれないぞ。その物語で重要なキーワードを、パスワードを知っている奴が何度も口にしていた。その時は意味が解らなかったが、そう言うことか。関連のある単語を使ってみれば、何とかなるかもしれない」
一人興奮しているユキナに、リオとキョウは驚きお互いの顔を見合わせた。今やっと、閉める為の全てのピースが揃ったのだ。
閉められる。あれは、閉められるのだ。
「断然やる気が出てきたわね」
「あぁ、閉められる。もう直ぐ、あれを閉められるぞ」
三人して喜び、アイストラ王国への道を急いだ。
その最中にリオは誰にも聞こえないように呟く。
「後はレナ姫との約束だけね」
それからリオの訓練が始まった。
五日掛けて、次の国アイストラ王国に着くまで、ユキナの世界の言葉の読み書きを練習した。
霧に乗っ取られた者と対峙しながら、夜に高い木に結んだハンモックの中で。
休むこと無く、文字や言葉を覚える。
最初は一緒に練習していたキョウは、一時間で取り残された。
そして、五日後のアイストラ王国に入る前に、ユキナは信じられない生物を見るような顔をしていた。
たった、五日。
確かに、まだまだ発音は乏しく、覚えきれていない単語は多いが、リオは確かにユキナの世界の言葉で話していた。
信じられない。
ユキナは呆然とリオを見る。
今のリオには二万七千の言葉の意味も理解できる。それは、努力でどうこう出来るレベルではないが、努力無しでは出来ない事だ。
そこから宿をとり、パソコンの操作を覚える。
「最低でも、ブラインドタッチまで出来る様になってもらう」
ユキナの言葉と共に、リオは眠る時間を惜しみ、紙に書かれたボタンを押していく。
間違えても何度も繰り返し、目は紙を見ず、ただ前だけを向け、ボタンの位置を身体に覚えさしていく。空いた時間や食事の時間は、ユキナの世界の科学の理論を、徹底的に覚えていく。
それは、キョウが剣の練習している時と似ているが、少しだけ違った。
疲れているはずのリオの瞳には輝きがあり、どこか楽しんでいるようだった。
リオの意識は、もうすでに暗殺者や霧などに向いていない。
有るのはただ閉めることのみ。
いや、現段階ではそれも怪しい。
リオは、新しい事を覚える楽しみに没頭していた。
リオの覚える速度は凄まじいが、それでもキョウは心配ごとがあった。
金銭を持っていないユキナが増えたこともあり、宿代や食事代を考えたら、金銭的に一週間以上の滞在は難しい。
それに、セリオンの時にアイストラ王国に来たから解るが、アイストラ王国は、王国ファスマ人に酷い虐げをした国で、現在は王国ファスマ人ではないキョウでも、どこか居心地は悪い。王国ファスマから近い国だから、仕方はないとは思うが、あの残虐は思い出したくは無い。
アイストラ王国に着いてからは、リオはユキナと共に宿から出ないし、他人と接触しないので、下手なことを口走る心配は無いが、キョウには別の心配が有った。
この国に着いてから、誰かに見られている感じがする。
それが解ってから、キョウはわざと一人で町の中を歩き回っていた。
宿に引きこもるリオの身も心配だが、ユキナのもう一つの武器、コルトガバメントがあれば大丈夫と読んだ。
ユキナの世界の武器はそこまで凄かった。暗殺者相手に何処まで通じるか解らないが、剣を振り回す者になら、相手にならないだろう。
それに、相手は先ずは護衛を始末するつもりなのか、上手い具合にキョウに着いてきている。
キョウは飛び道具や、魔法に注意しながら、旅に必要な物を揃えるふりをして、襲われやすい町の外れまでやってくる。町の外れには都合の良いことに、開けた場所が有ったので、そこで動きを止めた。
ここなら、相手が身を隠す場所も少なく、直接出てくるしか仕留められない。
キョウは剣にも手をかけずに、道端の石に腰掛け、のんびりしている様子を装い、相手を誘った。
ユキナが現れてから、運が向上したのか、誰かが町とは逆方向から歩いてくる。
キョウは少しだけ目を細めた。
暗殺者と言われているので、これ程に堂々と現れるとは思わない。関係のない旅人だろうか。
キョウは荷物を置き立ち上がると、念のため剣を手に掛けたまま、その人物が近付くのを待った。
男。
四十歳ほど。
このあたりの旅人には珍しい、騎士の正装のような鎧………。
そこまで見て、急に背中に寒気が走る。
キョウは一歩、後ずさりした。
何か解らないがヤバイ。
心臓の脈打ちが早くなる。
その男を見た瞬間から、頭の中の自分が逃げろと叫ぶ。
キョウは奥歯を咬みしめた。
男がもし暗殺者なら、ここで決着を着けなければ、リオに危険がおよぶのは解っている。しかし、こちらからの一歩が踏み出せない。
初めての経験だった。
脚の震えが止まらない。
頭の中では直ぐに剣を構えろと命令するが、頭の片隅では、剣を取れば敵と見なされ、殺られるかも知れないと言う恐怖で、筋肉か強張り、身体が言うことを聞いてくれない。
男は、汗をかきながらただ立ち竦む、キョウの横を通り過ぎようとした。
暗殺者でないのなら、このまま通り過ぎてくれ!
キョウは祈るように願い、身動き出来ないまま男の声を聞いた。
「林の中に誰かいる。――――お前、狙われているぞ」
男はキョウの真横で立ち止まっていた。
キョウを気遣い、狙われている事への助言。しかしその時、キョウは思った。
誰に狙われている? お前に?
キョウは二、三歩後退りすると、町に向かって走り出した。男の言葉で我に帰ったのだ。
敵わない。
必ず負ける。
出会ってはいけない存在だ。
初めて出会った男の筈だ。なのに、鮮明に現れる答え。
今、逃げなくては殺される。
突然、走り出したキョウに対して、男は驚いたような表情を向けていたが、溜め息を一つ吐いた。
若い男を狙っているのは暗殺者だろう。
今の少年は暗殺者を誘き出そうとしていたが、暗殺者はそんな簡単なものでない。簡単な相手なら、物陰に隠れて、飛び道具や、魔法で直ぐにしとめるだろう。しかし、それでは仕留められないと判断すれば、僅な隙をつくためずっと張り付いている。
しかし、あの年で暗殺者が、ロングアレンジで仕留められなく思うとはたいした玉だ。彼は何者なのだろうか。
男はそこでキョウの顔を思い出した。
「――――あいつか!!」
男は再び、溜め息を吐くと剣を取った。仕方がない。これもいずれかの詫びだ。
男は、キョウを追い掛ける、僅な殺気に向けて剣を投げた。
サツは、今まで感じた中で、一番の信じられない物を見た。
自分の腹に熱を感じ、目を下ろせば自分の腹に、一本の大剣が生えている。確かにリオを狙い、護衛に付いているキョウの剣技や、周りへの警戒の強さから、遠くからの暗殺を断念した。そして、護衛を先に倒すためキョウに張り付き隙をうかがっていた矢先である。
どこから攻撃されたのか解らない。しかし、自分の死は暗殺を始めたころから覚悟していたが、これ程あっさり殺られるとは思っても見なかった。
後から剣が抜かれ、口からは人間が出す血液とは、信じられないほどの量の血を吐いた。せめて、自分を殺った相手を知っておこうと、薄れる意識で後ろを向いた。
そこにはただ、木々の枝が風を受けているだけで、誰もいなかった。
サツは混乱したが、今までの罪が戻って来ただけだと、勝手な想像をして、前のめりに倒れ込んだ。
息を切らせたキョウが、宿の扉を力任せに開ける。
ドンっと大きな音に、紙に書いたパソコンを練習していた、リオとユキナは驚いている。しかし、ユキナはキョウと解ると溜め息を吐いた。
「驚かすな。何が起きたかとびっくりしたぞ」
ユキナはそう言ってから、再びパソコンの操作を教えるために、リオに顔を戻したが、リオは顔をまだ戻さない。彼女は心配そうにキョウを見つめ続けた。
「キョウ、何があったの?」
リオの言葉で、ユキナは再びキョウを見る。
キョウは洗い息のまま、顔を真っ青にして震えていた。
「解らない、――――解らないが、リオ、ユキナ、悪いが直ぐにこの国を立とう」
キョウから何かを感じ取ったリオは、椅子から立ち上がると片づけを始める。キョウも部屋に入ると、荷物をまとめだした。ユキナはそこで、話に聞いていた暗殺者の事を思い出し、二人にならった。
出発は早かった。
荷物をまとめ上げた三人は、直ぐ様アイストラ王国を後にして、最後の国、故ストラを目指した。
キョウは一秒でも、あんな者のいる国に居たくは無かった。あれを相手するなら、霧と対峙した方が遥かにましだ。
キョウの中の全ての記憶が、あの男を否定していた。
リオはキョウを心配そうに見つめていたので、安心させる為に、頑張って笑顔を作る。
余り上手く出来ているとは思えなかった。
遅くなり、すいません。かなり悩んだ章でした。
ユキナの話を書きすぎて、辞めて、物理を書きすぎて、辞めてしていました。
ごめんなさい。内容は解りにくく成ったかも知れません。
ですが、何とか霧の発生原因が出ました。
あとは、リオの安否のみ。
物語は残すところ、最後の地、王国ファスマのみです。
たどり着けるのでしょうか。
次はいよいよあの人が出ます。
実は、後書きも伏せんでした。