5 時代の狭間に吹く、新しい風
五 時代の狭間に吹く、新しい風
大きな窓から差し込む光は、陰りが見えだし、徐々に沈む夕日をうかがわせる。
城の長い廊下を、デルマンは不機嫌な顔のまま歩いていた。
二十代半ば、中肉中背、王族だから顔が知られているものの、一般人だったらすぐに忘れられるような、特徴の無い顔をしている。しかし、デルマンは正統な皇太子だ。現在は第三皇太子だが、父親のローランド第一皇太子が法王に成った暁には、デルマンは第一皇太子となり、次の法王は自分の物となる。
その為か、プライドが高く、自分が気に入らないと直ぐに癇癪を起こす。大臣達には扱い難い王族だ。
デルマンは本日、忙しい法王やローランド皇太子に替わり、法国オスティマ領、セントエレフィスの会合に出席したのだが、セントエレフィスの王は、霧の被害が減りつつある事を理由に、独立の提案をしてきた。
霧の為に滅んだ国は多くある中、今まで国が存在したのは、法国オスティマのおかげと言う事を忘れている。
いっそうの事、警備兵全て引き上げて遣ろうかとも思うが、デルマンにはそこまでの権限は無い。
そして何より気にいらないのは、デルマン一人の時にその話題が出て来たことだ。今まで法国オスティマ本国の、領王全てが集まる会合では、口に出しもしないのに。
甘く見られた。こんなことなら、断らずに大臣を同行さすべきだった。
確かにデルマンは国政にはまだまだ疎い。法王や、ローランド皇太子に比べると、情勢も解っていない。しかし本人は、父親のローランド皇太子と自分を同等に考えていて、現在の法王が何時までも、王の座に居座る事に良い思いをしていなかった。
法王は早く引退をして、父親に代を譲らないと、何時まで経っても俺は皇太子だ。だから今のような事態が起こる。今の法王は甘いのだ。いい加減、領土国は離れていき、いずれ法国本国は威厳を無くすぞ。
自分勝手な解釈をして、デルマンは報告のため、父親の元に向かう。
「デルマン皇太子」
その時、後ろから声を掛けられる。声の主が解ったので、足を止め振り向いたが、他の者なら無視をしていた。
「バーカードか」
バーカード・カッター。法国の摂政を務めている内の一人で、デルマンが最も苦手とする一人だ。
今年七十歳と、どの大臣より老けており、そしてどの大臣より勢力的で、どの大臣よりも国政に詳しい。
五十代の大臣に向かって「まだまだケツの青い!」と言う発言から解るように、大変厳しい感性の持ち主だ。
しかし、法国オスティマが五カ国を統一したのも、この老人があっての事。法王からの信頼も厚い。
「はっ。で、どうでしたか?」
老人とは思えぬ張りのある声をしている。デルマンは少し言葉に詰まった。
「いっ、いや何、セントエレフィスの奴ら、独立をほのめかせて来よってな。一度本国に持ち帰り、法王に報告すると言った次第ある」
「ほう、独立ですか」
バーカードの目が細む。
デルマンには解らないが、多分快く思って居ないのであろう。
「でっ、ではこれで」
早々とデルマンが去ろうとしたところ、もう一人の大臣が声を掛けてきた。
「デルマン皇太子と、バーカード殿。どうかなさいましたか?」
「おぉ、エドワードお主が着いて来ないので大変だったぞ。今度から俺が会合に行く時はお供せい」
自分から断っておきながら、好き勝手言っている。明らかに、バーカードの時と態度が違った。
エドワードは大臣の中でも四十歳ともっとも若く、バーカードにケツの青いと言われた内の一人だ。デルマンとエドワードは、バーカードが苦手な所から意気投合した。今ではデルマン皇太子の片腕だ。
「どうかなさいましたか?」
「あぁ、詳しい話はローランド皇太子に会ってからだ。エドワード、お主も着いて参れ」
エドワードは短い挨拶をすると、逃げるようにその場を離れるデルマンを追いかける。
「デルマン皇太子待たれよ。私もお供しよう」
バーカードの声にデルマンは顔をしかめた。
老人は口出しせず、若い者に任せておいて、とっとと世代を譲れば良いのだ。
「いやいや、こっちは報告だけだ。それに、エドワードも付いておる。バーカードに来てもらっても仕方がない」
バーカードは端からデルマンの返答を期待していなかったのだろう。我先に歩いて行く。歩くスピードは速く、背筋も伸びている、とても老人とは思えない。
デルマンとエドワードはため息交じりに、老人について行った。
レナ姫の後を付いてきて、キョウ達は城の前で言葉を失った。
食事を取ろうと誘われたので、何処か良い食堂かと思っていたのだが、流石に城に連れてくるとは、キョウも護衛兵も予測していなかった。
リオは解っているのか、いないのか、城を見上げると興奮の声を上げる。
「キョウ、見てすっごい大きいよ。これ建設するの大変だよ。最初に足場組むだけで一月はかかるよ」
妙な所を感心しているリオだが、キョウは心配で仕方がなかった。
キョウは周りの聞こえないよう、小声でリオに耳打ちする。
「リオ、大丈夫か?」
「大丈夫でしょ」
リオはのんきに答える。
「だけど、俺、所属国無いって宣言しちゃったんだぞ」
「まだ国と呼べるほど、大きく無い国としておくよ。それに、食事だけなら、問題でないはずだよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
キョウは不安でたまらない。普通の食堂ならそれで問題は無いが、城で食事するとなると問題にならないだろうか。護衛兵の方も同じだろう。さきほどから良からぬコソコソ話が耳に付く。
「レナ姫、流石に不味いのでは?」
カインの問い掛けにレナ姫は眉間に皺をよせる。
「だから尋ねたじゃろ。かまわん、リオ姫は私の大切な友達じゃ」
「しかし、」
「黙っておれ、共に食事するだけじゃ。お主は少し細かいのじゃ」
キョウとカインは目線を交わし溜め息を吐いた。能天気に強情。お互い大変な主君に仕えたな。
リオとレナ姫は護衛を引き連れ、法国オスティマ本国の巨大な城の城門をくぐった。城門の警備兵がレナ姫に対して敬礼を行う。カイン達も敬礼に返し城に立ち入った。
ここまでは未だ一般人も入れる。問題はここからだ。
二つの扉を抜けると、警備兵が扉の前で待機している。ここからは一般人立ち入り禁止、国の業務を行って居るものしか入れない。
レナ姫は簡単な挨拶をすませ、キョウ達を中に導いた。リオは珍しそうに周りを見渡している。
確かに城の中でここまで深く入るのは、キョウ達一般人には無理だろう。しかも世界一大きな国の城の中だ、色々見て回りたいとも思う。しかしリオのように、綺麗なシャンデリアや広い廊下、所々に置かれている花瓶や彫刻など見る余裕はない。
キョウは心配で変な汗が止まらない。いつでも体を動かせる準備をしているが、何か有った時にここからリオを連れて、無事に逃げ出す自信は無かった。セリオンですら不可能だろう。
レナ姫は廊下ですれ違った給仕女を呼び止め、食事の準備をするよう命じる。それから、長い城の廊下を何度か曲がり、一つの部屋にたどり着いた。
部屋は広く作られ、長机に、広い間隔で椅子が並んでいる。部屋の上座に当たる壁には、法国オスティマの初代法王の肖像画が飾られており、壁際に飾られた装飾品は高価な物ばかりだ。
「この部屋は、普段は会議室に使われておる。今の時間からは使われる予定はないし、邪魔も入らぬ。お主らもゆっくり出来るじゃろ」
レナ姫の台詞にキョウは少しだけ胸を撫で下ろす。レナ姫も流石に他の王族とリオを会わせるつもりは無いらしい。
レナ姫は上座の椅子に腰を下ろした。
「今日はくたびれた。リオ姫も座るがよい」
そう言って自分の右手の椅子を勧める。リオは壁際に行き装飾品を眺めていた。
「うん、ありがと。ねー、キョウ、これ金だよ。メッキかな? これを一つ貰ったら、宿に何泊出来るかな?」
「止めてくれ。ただでさえ危うい橋を渡っているのに、これ以上危なくするな」
キョウの訴えに、リオは「冗談よ」と答えるが、まだ丹念に装飾品を調べている。キョウは装飾品を持ち上げたりするリオを必死に止めていた。
「リオ姫、壊すなよ。しかし、全くお主は元気じゃな。キョウも疲れたじゃろ、先に座わって待っておればよいぞ」
レナ姫の声に、キョウは慌てて首を横に振る。
「滅相もございません。私は構いませんので、どうか二人で召し上がって下さい」
「かまわぬ。今日はお主達二人に馳走するつもりで食事を頼んでおる。………しかし、それだとお主が気を使うか」
レナ姫は両腕を組んで、少し悩んでから「よし」と頷いき、手招きしてカインを呼ぶ。
カインは、レナ姫の指示に従いたく無い様に顔をしかめた。また何やら良からぬことを考えているに違いない。
カインはレナ姫の元に着くまでに、考えが変わってほしくて、ゆっくりと歩いていく。
「キョウが気を使う。本日は護衛の者も共に食事せよ」
そう来たかとカインは困った顔をする。しかし、これ以上は譲れない。
「レナ姫、どうかお許しを。我々が姫と食事を共にするなど知れては、我々の首が危なく存じ上げます。どうか、お考え直しを」
「お主等は考えが古いのじゃ。食事は皆で食べた方が美味いに決まっておる。それに、招待客に何も出すことが出来ぬなど、私に恥をかかすなよ」
カインは「くっ」と息を飲み込みキョウを睨んだ。その目は、お前のせいで、こっちまでとばっちりを受けたと語っていたので、キョウは目線を外した。
「よし、一人給仕室まで行き、食事をあと四人前追加するようお願いするのじゃ」
カインはため息を吐いた。
レナ姫は一度言い出すと、余程のことが無い限り考えを変えない。長い付き合いだ、カインにはそれが解っている。しかしそれは、法律に違反したり理不尽な事を言っている訳でない。はっきり言えば正しいことばかりだ。
護衛兵と共に食事をすることは、他の王族はしない。だから皆が常識のように思っているだけで、護衛兵に罰則する法律は無い。もちろん、皆で食事をした方がおいしいのも当たり前な事だ。
ただ、もう少し護衛兵の気持ちも解ってほしいだけだ。
カインはレナ姫に解るように、わざと重い溜息を吐くと、入り口の護衛兵に近寄り、二、三付け加え部屋を出ていかせた。レナ姫は満足げに頷くと、皆に座るよう催促する。鼻歌混じりでその顔はうれしそうだ。
レナ姫を上座に置いて、リオは右手の椅子、その隣にキョウ、左手の椅子にはカインから順番に三人座る。給仕室に行った一人はまだ帰って来ていない。
しばらくして給仕女達が現れ、食事の用意を始める。机の上には食べきれないほどの食材が運び込まれた。全てが出来立てで、良いにおいと湯気が漂う。
リオとレナ姫には、量が少ないが高価な食材がふんだんに使われ、キョウや護衛兵にはボリュームが有るが、一般的な食材と分かれている。
これはカインの入り知恵だろう。リオは別として、他の者が王族と同じ食材で、もてなわされる訳には行かない。
リオは料理を見て、純粋に歓喜の声を上げた。
「これ、すごいね。キョウ見て、黒いブツブツこれ何だろう?」
「それは鮫の卵の塩漬けじゃ。パンに乗せて食べると旨いぞ」
「聞いたことある。これがそうなんだ」
リオはレナ姫に他の食材の説明も聞く。レナ姫も面倒くさいがらず丁寧に説明していた。そして、給仕がグラスに水を注いたとき、扉が勢い良く開いた。
「これはこれは、レナではないか。どうした、このような所で食事とは?」
いきなりデルマンが現れて、しかめっ面になったのはレナ姫よりカインの方が早かった。食事の追加に行かせた護衛兵は、デルマンの息が掛かった者だったのだ。あきらかにカインのミスだ。レナ姫の我が儘と、リオとキョウの存在感の大きさから注意を怠っていた。
レナ姫以外は椅子から立ち上がり敬礼をする。
今入って来た人物が誰か解らないが、周りの反応を見れば王族クラスなのは解る。キョウも皆に習い立ち上がった。それから、ポカンと口を開けているリオを、他から見えないように背中をつついて立ち上がらせ、お辞儀させる。自分は騎士の敬礼をとった。
デルマンはその様子を頷きながら眺め、目を細めながらレナ姫に話しかけた。
「それにしても、護衛の者と食事とは変った趣味よのう」
レナ姫はふくれたまま答える。
「別に良いでわないか。それより何をしに来られた?」
「つれない返事だな。いやなに、俺も今さっきセントエレフィスの会合から戻って、ローランド皇太子に報告した所でな、ちょうど食事に向かう所だった」
デルマンは態とらしく、肩をすくめて台詞を述べる。
「そこで、給仕女達が食事を運んでいるのを見て、ついでに肖ろうと遣って来たしだいだ」
カインはデルマンの得意気な顔を見ながら、彼が何を企んでいるのかを考えた。
図書館でレナ姫達が何をしていたか解らないが、霧について何か調べていたと思う。他の護衛兵もそう思ったからデルマンに報告したのだろう。そう成ると、一番はやはり霧を止めることを諦めさすためか。
レナ姫はあきらかに不服な顔のまま、一切目線を合わせない。前を見たままデルマンに答えた。
「すまぬが、今は接待の最中じゃ。出ていって頂けぬか」
「接待か、ならば第七姫より、第三皇太子の方が良かろう。レナ、微力ながら手助けいたすぞ。エドワード、お主も入ってこい。レナ姫を手助けし、食事に肖ろうではないか」
デルマンの声にエドワードは開いたままの扉から中に入る。給仕女のうち数人は、慌ててデルマン達の食事を用意するため、部屋を飛び出した。
「止めよ、リオ姫は私の大切な友達じゃ。構わぬでくれ」
「レナの友達なら尚更恥はかかせられん。心配無用だ」
レナ姫は必死に抵抗するが、まるで聞いてくれない。位はデルマンの方が上であるので、お願いは出来るが強制は無理だ。
けっきょく、レナ姫を元々リオが座っていた場所に追いやり、デルマンは上座を牛耳る。左手にはエドワードを座らし、他の者は一つずつ席をずれて行った。
デルマンとエドワードの料理が出来るのを待ち、やっとの事で食事が始まる。
リオとキョウは警戒のため口を閉じ、レナ姫とカインは不機嫌な顔のまま食事が進む。
何とも重い空気の食事だ。
辺りは静まり返るが、デルマンはそんな空気も気にしていないのか、口元に笑みを浮かべたままリオに話し掛ける。
「ところで、リオ姫は何処の国の出身なのだ?」
いきなり触れて欲しく無い所からの会話だ。慌ててレナ姫が口を挟んだ。
「何処でもよいじゃろ。私の大切な友達に代わり無い」
「レナ、俺は今、リオ姫に聞いておるのだ。邪魔をするでない」
デルマンに文句を言われ、レナ姫は口を尖らせ黙る。
カインはそんなレナ姫に頷いた。仕方がないが、良い判断だ。あまり庇いすぎると怪しまれるだろう。
話しかけられたリオは、スープを飲んでいる手を止めて、フキンで口元を拭う。久し忘れていたとはいえ、元々はイップ王女の記憶がある、その動作は優雅なものだった。
「これは失礼を。しかし、法国オスティマ本国に比べなくとも、我が国は恥ずかしく成る程小さな国。レナ姫様はそれでも私を友と呼んで下さったが、私は自国の小ささを恥じております。ここは自国の名を伏せる事をお許し願いたい」
キョウとレナ姫は、デルマンが「それでも言え」と言って来ないか、心配しながら見ていた。
リオの願いが叶ったのか、端から相手にしていないのか、デルマンは薄ら笑いを浮かべたまま話を進めた。
「我が法国に比べれば何処とも同じだが、まぁ、ゆるそう」
「有り難き幸せ」
リオは丁寧に頭をさげる。レナ姫は謝るようにリオを見て来るので、笑顔でそれに返す。
誘ったことを後悔しているのだろう。しかし、レナ姫がこの状況を作った訳ではない。デルマンが居なくなるまでの我慢だ。
その様子を隣で見ながらキョウも微笑んだ。リオが心配だったが、これなら何とかバレずに乗り越えられるだろう。
「それよりレナ、お主はまだ霧が止まるなど戯れを言っておるらしいな」
ここからがデルマンの本題なのだろう。リオの方を向いていたレナ姫は、ギリッと歯を噛み締める音をさせて、肩を震わせる。それまでデルマンと話している時は、一度も目線も合せていなかったレナ姫が、始めてデルマンを真っ正面から見て睨んだ。
「戯れではない! 理論的に見て霧は止まるのじゃ。私は確信しておる!」
怒りに震えるレナ姫を見て、デルマンは鼻で笑い言葉を続けた。
「確信か。お主の確信はどっちでもいいが、いい加減あきらめよ。万が一にも信じた民に迷いが出る」
「信じて何が悪のじゃ! 私は真実を言っておるだけじゃ!」
「だが、もし違ったらどうする? 民にそう言っておいて、勘違いでは済まされんぞ。それを信じた民は絶望するだろう」
確かにデルマンの言っている事はあっていた。希望が大きければ大きいほど、絶望もまた比例するように大きい。
レナ姫はスカートを握りしめ、唇を噛んだ。自分が正しいと思うが反論出来ない。
口を噤むレナ姫に対して、デルマンは鼻息を荒くして腕をくみ、椅子の背もたれに寄りかかた。
「我々王族はな、簡単に希望を口にしてはならん。事が重大なら尚更だ」
「どうしてでしょうか?」
不思議そうな問いかけに、その場にいた全ての人がリオを見つめる。
リオは海老を切っていたナイフをそのまま止め、真っ直ぐな瞳でデルマンを見つめていた。
「希望を口にする事が、そんなに悪いとは思いませんが」
キョウはリオの台詞に焦る。さっきまで大丈夫に見えたがこれはまずい。しかし何も出来ず、キョウは必死に歯を喰いしばる。
リオの声を聞き、デルマンは浅く笑った。
やはり子供か、王がどう言うものかまるで解っていない。
「我々王族は民に安らぎを与えねばならん。偽りで民を空喜ばせさせるわけにはいかぬ。それが王族が生まれ持った債務であり業務だ」
デルマンは覚えたての台詞の様に得意気に語る。リオはナイフを置くとプキンで口元を拭った。
この状況から見て、リオは必ず言い返すと解り、キョウはさらに焦る。しかし、今ここでリオを注意することは出来ない。何とか成らないものかと、レナ姫を見て、目で助けを求めるが、何かを考えているようでキョウに気付いてくれない。
キョウには青い顔のままリオを見つめた。
「あぁ、言われてみればたしかにそうですね」
ニッコリと笑顔で同意してから、リオは首を横に振る。
「しかし、前提がま………」
「じゃが違う!」
重なる様にレナ姫が声をあげた。
声を上げたのはリオが下手打ちして、霧を止めに行くと言わせない為だったが、そこでふっと思った。
リオの記憶を聞き、イップ姫の時に一度王位を継承しているのは知っている。もちろんだが王に成った時、イップ王女は自分に対して、かなりの責務を背負子こんだはずだ。そう考えたとき、リオがデルマンを、王族を恐れない意味が解った気がした。
リオはすでに王を経験しているからである。
いくら世界一と言えど、デルマンはまだ皇太子だ、王ではない。
レナ姫はリオを見て頷く。言いたいことは解っている。リオとは友達でありライバルで在りたかった。だからこそ、その台詞は言わせて欲しかった。
今までのレナ姫とは違う。リオと同じく、真っ直ぐな瞳には気迫が籠り、その瞳が確実にデルマンを否定していた。
「王とは――――人々に希望を与えるものじゃ! 民に希望をもたらせぬ王など、王とは呼べぬ!」
それはリオが経験したイップ王女の在り方だ。レナ姫はキッパリと言い切った。
レナ姫は再びリオに対して頷く。リオは戸惑いながらもレナ姫に対して頷いた。
実はこの時、リオの言いたいことはレナ姫とは異なっていたが、デルマンに言い返したレナ姫を見て、納得したのである。
カインは驚いたようにレナ姫を見ていた。長年護衛をして来たがここまで考えを持っているとは思いもよらなかった。
正直、ただの我が儘な子供だと思っていたのだが、違う。
彼女もまた王族。
これは早々に考えを改め、準備しないといけない。他の王族からして厄介な存在と確認されてしまう。
レナ姫の放った言葉が立場を逆にした。「ただの理想」と言い返せば終わりな台詞に、デルマンは黙り込み二人を睨んだ。若い証拠だ。彼には言い返す台詞が思い付かない。
「しかし、希望ばかり語る王が、良い王とは思いませんがね」
何も語れぬデルマンの代わりに、エドワードが発言した。援護射撃を得たデルマンは、大きく頷き得意気に語る。
「そうだ、その通りだ。希望ばかり語っても所詮は駄目だ。もっと現実をみよ!」
息を吹き返したデルマンに、エドワードは少し呆れたが、話を続ける。
「国政を任された者として言わせて頂けば、レナ姫にしても、リオ姫にしても、国政はそんなに甘くはないです」
エドワードの言葉にレナ姫は口を塞いだ。
確かにまだまだ国政は勉強しきれていない。それに対してエドワードは国政のプロだ。反論したところで、こちらの知識は穴だらけ。言い負かされるだけだろう。
レナ姫が諦め、下を向いたところでリオが話し出した。
「では、あなたの考える未来とは?」
簡単な問い掛け。ただの苦し紛れの反論に聞こえるが、なぜか重みが違った。
「これからも起こるで有ろう、霧に対して法国オスティマ全土の安心を守る。デルマン第三皇太子にはそれが出来ます。こちらの方が確かな現実」
エドワードは当たり前のように答える。
リオは首を横に振った。
もういい加減腹が立ってきた。
リオの顔を見て、不味いとキョウは慌ててリオのスカートを引っ張る。
リオは気付いて無い振りをした。
「だから、さっきからそこが違うの!」
リオは何時もの口調に戻っていた。全ての者は驚きリオを見る。
「違っておりません。他国の姫様に詳しくは語れませんが、今まで通りに国民に安心を与えつつ、領土を守って行き、利益を上げて行くのが理想的だと思いますがね」
エドワードは口元を上げ、他人が見れば腹立たしい笑顔で答えた。デルマンも満足そうに頷く。
「じゃ、聞くけど、あなたの考えている十年後は?」
「さぁ、成ってみないと解りません。状況に合わせて変わります」
「では、直ぐに状況が変わった、霧は消えた。あなたはそこからどうやって利益を産み出すの?」
「レナ姫に何を吹き込まれたか知れませんが、霧は消えません。そもそも十年先を考えるなど、国政を支える人間からして、もっと現実をみよと語りたいですがね」
「リオ、これ以上は止めろ、不味いぞ」
キョウはリオにだけ聞こえるように耳打ちする。なのにリオは大声を上げた。
「うるさい! キョウは黙ってて!」
キョウは諦め天井を仰いだ。リオは完全に切れている。
仕方がない。覚悟は決まった。いや、初めから決まっていた。
帯刀を許されたのが救いだ。相手が世界一大きな国だけで、守ると言う言葉に何の違いもない。
こいつは不味いなとカインは感じる。キョウの殺気が上がったためだ。恐らく覚悟を決めたのだろう。しかし、ここで暴れられたとして、先程の手合せを考えると、カインに止めることが出来るか解らない。
法国中の兵士を相手にするつもりか。キョウ、まだ妙な気を起こすなよと、カインは祈るようにキョウを見つめた。
心配そうにレナ姫もリオの顔を覗き込んでいる。
リオはさっきから、言いたい台詞が言えずにムシャクシャしていた。だが、段階を踏まなくてはいけない。
先ずはこれからだ。
リオは短い指を一本立て、口を開いた。
「間違いの一つ目! 十年先を読まずして、摂政は勤まらない!」
リオの台詞に、エドワードは手の平で机を叩き、怒りで体を震わせる。
「何をぬかすか! 私を屈辱するとは、ガキが調子に乗りおって!」
キョウは座ったまま、剣の握りに手を掛けた。
「面白そうな話だな。私も交えてくれないか?」
その時、再び開いた扉から、今度は一人の老人が姿を表した。
「バーカード、殿」
エドワードは焦りながら答える。バーカードはエドワードを一睨みして、背筋を伸ばし歩いてくる。
先程から扉の前で話を聞いていたが、エドワードの無知さや、他国の姫に食い付くなど摂政に在るまじき行為に、いい加減しびれが切れたのである。
それに対し、レナ姫もリオ姫も中々良いことを言う。青臭いが嫌いでは無い。
「デルマン皇太子にレナ姫、私も同席してもよろしいかな?」
「あぁ、かまわぬ」
レナ姫は頷くが、デルマンは不機嫌な顔のまま返事もしない。
レナ姫の返答に、先程まで険悪なムードで固まっていた給仕女達が慌た。料理はもちろん無い。バーカードはそんな給仕女達に首を横に振った。
「かまわん、食事は別の者と予定を組んでいる。紅茶があれば頂こうか」
カインは慌てて、席を譲ろうとするが、バーカードはそれを手で制して、カインの後ろを通りすぎる。バーカードは一番末席の前にやって来ると、リオとキョウに目をやった。
リオはまたしても言いたい台詞を逃し、苛々した顔をしているし、キョウは再び現れた来訪者に困惑している。
その様子にバーカードは頭を下げた。
その姿は優雅とは言い難い。しかし、一言いうなら凄いだ。
身体を九十度曲げる最高礼。しかも動きもスムーズで早い。とても老人の動きとは思えない。
「せっかくレナ姫と楽しく食事をとっている所に、何人もの空気の読めない者が現れ、誠に申し訳ない」
その姿に見とれていたリオとキョウは慌てて立ち上がり、リオは頭をさげ、キョウは騎士の敬礼をして、お礼を口にする。
「いえ、こちらこそ、素晴らしい食事をご馳走して頂き感謝しています」
バーカードは首を横に振り、手でキョウ達に座るよう催促する。そして、キョウ達が座るのを見てから、自らも椅子に腰を下ろした。
「それに、我が国の摂政たるものが、国政も知らず恥ずかしく思います。煩わしい気分にさせてしまったことを、先ずはお詫び申し上げたい」
バーカードは座ったまま深く頭を下げた。
「バーカード殿!」
バーカードの台詞にエドワードは怒りを露にする。バーカードがそこで謝れば、自分が悪いように聞こえる。
バーカードは端の席から再びエドワードを睨んだ。
エドワードはバーカードの怒っている意味が解らないので有ろう。バーカードの視線から逃れるように深く座り直す。デルマンはエドワードが責められているにも関わらず、知らぬふりをしていた。
「いえ、大丈夫です」
リオは両手を振って何度も頷く。隣ではレナ姫が良かったとばかりに胸を撫で下ろしていた。
「所でバーカード、どうかしたのか?」
リオに対して、余りにも下手に出るのが気に入らないデルマンは問いかける。何とか隙を見付けて帰らせたい。
デルマンの声は聞こえたので有ろうが、バーカードは相手にせずにリオに話し掛けた。
「時にリオ姫様、逆にこちらから聞きたいのですが、リオ姫様なら、霧が消えて十年後はどうしたら良いと思いますかな? レナ姫も思っている事があれば言って下さい」
バーカードの問い掛けにレナ姫は焦る。摂政中の摂政からの問い掛けだ。レナ姫の言った事など鼻で笑われて終わりになる。
リオはバーカードを見て少し口元を緩めた。
「流通」
リオが発した一言目でバーカードは目を見開き頷いた。
「霧が無くなり、先ず発展するのはそこからだよ。船も速いけど、内陸部の所に運ぶとなれば、今は馬車しか無いけど、もっと多く積めて、早いものが出てくればコストも下がる。ティーライ王国の葡萄酒や、この国の飴玉、安くなればそれだけ買う人も増える。そうしたら大量生産して、もっとコストが下がり買う人も増える。しかし、流通には投資がかかる。だから国が管理するの」
たしかに、今は霧の為に馬を使う者が少ない。しかし、霧が無くなれば馬を使うものも増え、流通はスムーズに行くだろう。
バーカードは頷き、リオの次の言葉を奪った。
「その次は産業ですね?」
「うん」
「先程の、もっと速い物の検討は有りますか?」
リオは「あっ」と声を上げた。バーカードは少しの言葉も聞き漏らしていない。それから悩んだ仕草をしたが諦めた様に口を開く。
「まだ考えの段階だから内緒にしてね」
バーカードは笑顔で頷く。
「内緒にしましょう」
「例えば、空を使う」
「空ですか?」
「うん。大きい風船を作るの」
完全に子供の発想だと、リオの言葉に周りから失笑が聞こえる。その中でレナ姫とキョウとバーカードの三人だけが真剣にそれを想像していた。
解ったとレナ姫は手を叩く。
「そうか! ガスを入れるのじゃな。ガスは空気より比重が軽いから浮く」
「ですが、ガスだと爆発の可能が有ります」
バーカードの指摘に、リオとレナ姫は首を横に振った。リオが再び得意気に話す前に、先にレナ姫が口を開く。
「燃えないガスが有るぞ。ヘリウムじゃ。世界に多く有るし生産も………」
「そう! 生産も簡単に出来るよ!」
リオの様子に、隣のキョウが背筋を真っ直ぐ伸ばし、緊張の汗を流しながら震えていた。
リオはレナ姫の頭を押さえ込んでいる。
「リオ、姫。て、手、手を離して」
キョウは前を向いたまま、小声でリオに話し掛ける。
リオは知らない顔をしていた。
レナ姫は短い腕をバタバタ振って必死に頭を上げる。
「止めよリオ姫、良い所でまたしてもお主は………」
「だって、レナ姫が悪いんだよ。私の発想なのに!」
キョウがとうとう痺れを切らし止めようとするが、周りは微笑ましく見ていた。バーカードは一人腕を組、しばらく固まっている。それから、一つ頷くと次はレナ姫に目をやった。
「レナ姫は何か有りますか?」
「私? 私は別に………」
リオに押さえ付けられ、乱れた髪型を直していたレナ姫は、急に話を振られたので、焦って口ごもった。
こんな緊張する場所では何も考え付かないし、リオの案の後だ。下手なことは言いたくない。
その様子をリオは見て頷いた。
「レナ姫、レナ姫、あれ」
「あれ?………あっ、しかしじゃ」
レナ姫は顔を真っ赤にする。
「だって、レナ姫が図書館で言っていたことだよ」
バーカードは二人を真剣に見ている。レナ姫が再び口ごもろうとするのを、リオが急かしていた。
「どんな事でも良いです。聞かせて下さい」
「それじゃ、言うぞ。………その、何じゃ、学校と言う物が欲しいのじゃ」
「学校ですか?」
「そうじゃ、学校じゃ。皆で集まって学問を習う場所じゃ。………私は行きたい」
最後の台詞は小声で誰にも聞こえなかった。
再びバーカードは目を見開き何度も頷く。法国オスティマには、学校に良く似た塾が存在するが、権力者の子供が行くものや、国政を学ぶものしか存在しない。
「成る程、教育ですか」
バーカードは興奮のするのが押さえ切れずにいた。
幼い二人の姫が示した道。
流通の新しい経路と産業。
まだまだ案を練り込まなくてはいけないが、こちらは製造から始めると大事業に発展するだろう。雇用が産まれ、生産すれば、購買力が上がる。金が回れば国は豊かに成る。
そして教育。
人々の知性や技術を育てる知識が有れば、国は良くなり潤う。
二つとも直ぐには発展しないが、確かに十年先を見た道だ。
イライラしていたエドワードは、反論しないバーカードを見てさらにイラつく。子供の意見を、何をバカ正直に聞いているのか。
「いい加減にしろ! どこが十年先だ。そんな事ぐらいは誰でも思い付く。もっと現実をみて見なくては、今にセントエレフィス領の様に、全ての領土が独立を口にするぞ!」
思わず、国外に出してはいけない禁止事項を口にするエドワードに、バーカードは腹の底から大声を上げた。
「だからお前は、まだケツが青いと言ったのだ!!」
老人とは思えない迫力と大声。
エドワードで無くとも、皆が息を飲み込み姿勢を正す。
「良いかエドワード、国政とは十年先を見よ! そして、それに至るように進めていくものだ! この二人が語った内容が解らぬとは、摂政として恥ずかしいぞ!」
バーカードに怒られ、エドワードは首をすくめて、身を小さくした。デルマンは面白く無さそうに、リオとレナ姫の二人を見る。
法国オスティマ本国の王はいずれ自分の物だ。なのに、こんなガキ共相手に、何故こんな気持ちにならなくてはいけない。
「お前達が好きに言うのは勝手だが、どうやって霧を止める? 俺の法国は霧の討伐で利益を上げてきた。民は皆が困るぞ。そんな勝手な事は俺が許さん!」
デルマンのイラついた言葉に、臆すること無くレナ姫は反論した。
「だから、今話しておる。霧が無くなった後のことを」
レナ姫達とデルマン達では、最初から論点が違う。
「だから、先程からエドワードが何度も言っておっただろ! 霧は消えないと!」
リオはそこで、やっとさっきから言えない台詞が言えた。
「そもそも、そこがの間違いなの」
リオは椅子から立ち上がり、短い指を二本立てた。
「間違いの二つ目! 霧はもうすぐ止まる。私が霧を止めるから!」
リオの高らかな宣言に人々は驚きリオを見た。
レナ姫もよく霧は止まると口にするが、それ以上の事は口にしない。レナ姫が子供の戯れと言われる原因の一つはそこである。聞いて欲しいだけだと、誰もが思っていた。しかし、リオは違う。言い切ったのである。
霧を止めると。
止まると、止めるの差は大きい。
「リオ!」
「リオ姫!」
キョウとレナ姫は二人してリオを止める。それは言わない約束だ。
しかしリオは止まらない。再び口を開いた。
「確かに霧が止まっても、直ぐに霧が無くなる訳じゃないよ。完全に消えるまで十年は掛かるでしょうね。たしかに霧で利益を得たのはわかるよ。だけど、法国の皆が霧を望んでいるとは思わない。それに、他に国益の作るの道があるなら、国民も困らないよね?」
リオの台詞に、バーカードは口を開けたままに成った。
全くもってその通りだった。
年甲斐もなく、幼い他国の姫に心を奪われた。産まれて来るのが早すぎた。
自分はもう年だ、長くてもう十数年だろうが、もう少し彼女が作って行くであろう、未来が見たかった。
それはまるで、未来に希望をもたらす王。レナ姫が先程語った、それではないだろうか。
「もう良い! 子供の戯れを聞くのは飽きた。行くぞエドワード、食事が不味くてかなわん!」
「はっ、はい」
デルマンが不機嫌に立ち去る後ろを、エドワードは追っていく。
二人が扉を出ていってしばらくすると、レナ姫は慌てて立ち上がりバーカードを見た。
「すまぬバーカード、今の発言は聞かなかった事にしてくれ! 皆の者もだ。良いか、リオ姫は錯乱しておっただけじゃ」
「ひどいよ、レナ姫」
リオは困った様に眉をしかめる。レナ姫とキョウはリオに詰め寄った。
「ひどいのはお主じゃ!」
「そうだ! あれほど言うなと言っただろう!」
真剣に怒る二人に、リオは「えーっ、だって」と言い訳を始める。
護衛兵達も給仕女達も、まだ固まったまま身動きが取れない。薄々感付いていたカインですら、驚きを隠せずにいた。
「わ――――ははははっ!」
豪快に笑い出したバーカードの声に、やっと周りの者は正気に戻る。
「これは、何とも言えないですな。その言葉を言うだけの為に、国益の話まで出して納得させようとするとは、恐れ要りましたリオ姫様」
バーカードは素直に頭を下げた。
意味が解らないレナ姫とキョウは、バーカードを見続ける。リオは慌てるが、そんな二人にバーカードは解説してあげた。
その声は大きく豪快だ。
「先程、デルマン皇太子が言われた通り、法国オスティマは霧の討伐により国益が増えました。その中で霧を止めると言えば不味いですな、国益を削ぐわぬ可能性が出てくるからです。だから、別に国益を得る話してから言えば、お互い損はない。中々上手い外交ですな」
この方法はバーカードも、外交で良くやる方法だ。しかし、それを言われれば、リオにとっては目の前で手品の種明かしをされた様で恥ずかしい。
「バーカードさん止めて下さい」
バーカードは再び笑う。
「なら、リオ姫様の風船の案は頂きます。本来なら、すでに頭の中にある、その物の形状やルートの案も頂きたいですが、こちらもレナ姫がいます。直ぐにリオ姫様以上の案が出ますでしょう」
楽しそうに語るバーカードに対して、なぜ自分に話が振られたか分からず、レナ姫は何度も瞬きをした。
「では、私もそろそろ参ります。有意義な時間でした。後はごゆるりと食事を楽しんで下さい」
そう言うと、バーカードは椅子から立ち上がり、給仕女達に、最大のおもてなしをするように言い付け、部屋を後にした。
未だに訳が解らないレナ姫とキョウは、お互いに顔を見合わせてからリオを見る。
リオは真っ赤に成っていた。
「と、まぁ、こんな事が有りましてな」
バーカードは話終えると、話ながら切っておいた、春キャベツのソテーを口に入れた。
テーブルには豪華な食器類の上に、その豪華さに負けない料理が並ぶ。三人で食事を取る、それほど大きく無い部屋には、十人もの給仕女達が、飲み物を注いだり料理を変えたりと忙しく働いていた。
そもそも本日は、セントエレフィス領の独立の話をするために集まったが、未だにその話は一切出てこない。
「成る程、中々面白い話ではあるが、採算は合うのか?」
バーカードよりも少し若い、六十代半ばのライディア法王は、顎髭を触りながら感想を言う。長い付き合いでバーカードには解っていた。
それは法王が本気で考える時に見せる癖だ。
「さぁてな、どんふり勘定で良いのなら答えますが、何せ子供の考え、ここから原案の骨子を作るのであれば………」
態と焦らしたようにそう言ってから、バーカードはしばし考え口を閉じる。しかし、楽しそうに口元は緩めたままだ。
「………大いに。他国より早めればより大きく」
「そこまでか?」
この中で一番若いローランド皇太子は、自分の考えとは違った答えに驚愕の表情を作る。こちらも一番若いと言えど、四十後半とソコソコの年齢だ。
まぁ、この二人の中に入れば、ある程度の年齢でもみな若手だ。
「ローランド皇太子よ、遣り方にもよりますし、初期投資は莫大な物になるはずですが、逆に初期投資が大きく成れば成るほど、他国は手が出ません。まぁ、希望的勘定も入っているのは否めませんがね」
バーカードはそれでも構わないと言ったようにニヤつく。
「いったいどうする?」
ローランドは興味津々で尋ねた。法王も身をのりだし耳を澄ませている。
「この法国を拠点とする流通を作るのです。もちろん、国益が上がれば他国も真似するでしょうが、一度ルートを完成させておくと、人々は自然とそれに沿いながら動く物です。だから早い方が有利な訳です。それに、それだけではございません。広い場所に保管場所を設けたり、他国の物を買い取って売ったりと、考え出せば切りがありません」
バーカードは嬉しそうに、手まで使い話をする。そんな姿は暫く見ていない。いや、初めてかも知れない。
法王はそんなバーカードに対し、いたずらっ子のように鼻で笑った。
「まるで惚れた女の様に話するよな」
「法王、おたわむれを」
焦るバーカードは、一度は否定するが「いや」と笑い頷いた。
「確かに、孫よりも幼い二人の姫に、年甲斐もなく熱くなりました。この案はそこまで楽しい」
バーカードは年老いても、若い者に負けない活力がある。しかし、何度も「楽しい」と口にする今は、まるで若い頃に戻っているようですらある。
その様子に給仕女達も驚いている。
最近集まれば、難しい議題ばかりで誰もが目を血眼になり語り合う。しかし、こんなにも笑いある会食は珍しい。
まるで大臣に成ることを志し、夢を語る若者達に給仕している、そんな錯覚にさえ捕らわれる。
「では、戦争をしなくとも、他国の利益が入って来ると申すか?」
ローランドも、最近は王としての自覚も経験も出来てきて、一早く話の裏を理解する。
法王は嬉しそうに目を細めた。
王位を受け渡すのは、時間の問題かも知れない。後は、自分にとってのバーカードの様に、右腕が出来れば良いが、そこだけが心配だ。
「はい、しかも始めのうちは独占です。どうでしょう?」
バーカードは前のめりになる。
「そうだな、後はその風船が本当に実用向きかか」
法王はそこが一番気がかりだ。ローランドも両腕を組み頷く。
「その事なんですが、原案はレナ姫に任してみてはどうかと」
「レナにか。少し気か乗らんがな………」
バーカードの案に法王は渋る。
確かに頭が良く、法王自体も可愛がってはいるものの、年齢的に早いと思うし、何より他の皇太子達や大臣達が納得しないだろう。レナ姫に皇太子番号を付ける時ですら、かなり荒れた。その時は無理矢理こぎつけたが、これ程大きくなるなら躊躇われる。
大体、年老いた法王よりも若いくせに、みんな頭が固すぎるのだ。しかし、ローランドは否定的では無かった。
「レナか。面白いかも知れませぬな」
「そうでしょう、レナ姫は話を聞いただけで、中に入れるガスを当てとりました。もっとも良い形状も直ぐに考え付くと思います」
二人共、少しレナ姫を過大評価をしているとは思うが、確かに今から原案を練る段階なら、失敗しても惜しくはない。
法王は渋々に了解した。
「あぁ、ただし内密に進める事を約束せよ」
「それはもう」
二人して頷く。
リオの発言によってレナ姫は、本人が知らぬ間に重要ポストに成ってしまった。
「それと、後はレナ姫のお願いですかね」
意地悪くバーカードは笑う。流石とも言うべきか、話の流れを支配するのは上手い。
「解っておる。我々に対し、外交の様な妙な駆け引きを使うな。レナを使わなくとも良い案には変わり無い」
法王は不貞腐れたように言った。
要するに、バーカードはレナ姫に仕事させるなら、ご褒美をあげろと言ったのである。バーカードは教育案も成熟させたいため、そう言って法王に学校を作らせようとしたのだ。まぁ、法王には見抜かられたが。
苦笑いのバーカードは再度口を開く。
「後、もう一つ。エドワードを私の下に付けることをお許し願いたい」
「エドワードをか?」
法王やローランドは驚く。
色々な大臣と幾度と無く仕事をしたのだ。エドワードが力不足なのは、この二人は良く知っている。もちろん、バーカードを煙たがっているのも。
バーカードはそんな二人に、真顔になり顎を引き、冗談で無いことを示した。
「あ奴はもう一度、教育し直さなくては成りません」
成る程と二人は納得する。
バーカードの言葉は未だ続いた。
「それに、私ももう年です。いつ何が有ってもおかしくない。多分、人を育てるのは最後に成りましょうぞ」
バーカードの台詞に、法王は寂しそうに目を細めた。
その言葉は聞きたくは無かった。しかし、お互い年老いた。いずれの覚悟は必要だ。
ローランドは問いかける。それこそ先程の驚きの場所と同じだからだ。
「何故、エドワードだ? もっと他におるだろ」
バーカードは皮肉のように笑う。
自分を笑ったのだ。
「若いからですよ。これから、ローランド皇太子は法国を背負って立つわけです。その時、年寄り達がのさばっていても、良いことは何も有りません。………今日は新しい風が二つも吹きました。若々しくて荒々しい風が。私はその風が何処に行くか知りたいのですが、年老いた私の体では追い付けません。だから、追い付くものを育てたいのです」
バーカードは遠くを見つめるように目を細めた。
リオの案を聞いたとき、それが突然胸に沸き上がってきた。自分では、そんな一か八かのギャンブルの様な案は出てこなかっただろう。しかし、未来を想像するとリオの風船は当たり前のように在ると思う。先程の話で上がったように、早いか遅いかなら、早いほど良いに決まっている。
法王とローランドの二人は黙り込んだ。バーカードが言わんとしている事は解る。
そんな二人にバーカードは話し掛ける。その口調は、何時ものハキハキとしたものに戻っていた。
「しかし、だからと言って、まだまだ若い者に負けませんぞ。もっと口うるさく行きます!」
その台詞に二人は逆に困った。
「あまり張り切るなよ。若い者が倒れてはかなわん」
法王の心配した言葉で皆が笑う。
「よし、それならローランド、バーカードとエドワードと共に人選を集め、直ぐに学校と言うものの原案をまとめろ」
「はっ!」
それだけ伝えると、法王は黙り込んだ。
バーカードとローランドは、今度は学校についての議論を進める。その姿に、法王は時代の変わる狭間を見た気がした。
大戦が終わる時、霧が発生した時。その二つの時も国は揺れたし、議題は多くあがった。時代に着いていく大臣達の、一番大変な時でもあっただろう。バーカードもそうなのだろう。だからこそ、若い者に自分の知識を譲ろうとする。
「そろそろ霧が無くなった後のことを考えねば成らぬな」
法王の小さな呟きに、給仕女達が驚きの表情を浮かべていた。
デルマンは怒りに任せて早足で歩いていく。エドワードに何とか彼に追い付いた。
「デルマン皇太子」
エドワードの問い掛けにデルマンは振り向きもせず足を止めた。
「少し落ち着かれて………」
エドワードもバーカードに怒られた後で、内心は煮えたぎっていたがデルマン程ではない。
逆に、デルマンが怒りに打ち震えるのを見て、自分が落ち着か無くてはならないと自身を戒める。
デルマンは怒りに肩を震わしながら、絞り出す様に声を上げた。
「………サツとゴードンを呼べ」
あまりにも小声で聞こえなかったエドワードは、「えっ?」と戸惑う。そんなエドワードに対して、デルマンはもう一度言った。
「ガキが舐めよって! サツとゴードンを呼ぶんのだ! 今すぐ俺の部屋に来るよう伝えよ!」
デルマンはそれだけを叫ぶと、一度もエドワードを見ずに去っていく。エドワードは驚きの顔のまま、デルマンの後ろ姿を見送った。
ゴードンは未だしも、サツは不味い。
サツとは、法国オスティマの中でも、確実性の高い暗殺者だ。法国オスティマの中で、最も暗部にいる者である。
リオが何処かの国の姫で無いことは、報告を受けて知っている。だから、リオをどうしようが、外交には問題は無いが、それだからこそ、王族でもない一般人に向ける者でも無かった。
正気か?
エドワードはデルマンの背中に不安を感じる。今まで大臣として、上にあがるためにデルマンに粉を掛けてきたが、そろそろ離れた方が良いかも知れない。しかし、皇太子の命令だ。背く訳にもいかなかった。
エドワードは身を翻すと命令に従った。
バーカードが去った後に、食事を続けようとするリオをのぞき、他の者は焦っていた。
カインはレナ姫に耳打ちして、レナ姫はそれに対して頷き席を立つと、皇太子の権限を使い、カイン以外の護衛兵は全て帰させた。それと同時に、二人の給仕女だけを残し、全ての者を帰す。そこからキョウとカインは二人で集まり、何か相談をしていた。
リオの隣の席に戻ったレナ姫は、リオを見て呆れた顔をした。
「この様な状況で、良く食事がとれるな」
「だって、せっかくレナ姫がご馳走してくれたのに、食べないと失礼でしょ。それに美味しいし」
リオはせわしく口に料理を運んでいる。レナ姫は少し微笑んだ。
全くおかしな状況だ。あれほど自分の考えを解って欲しいと、レナ姫は皆に霧は止まると訴え続けたのに、リオがその台詞を口にしたとたん、なぜ言ったのかとリオを責めた。本来なら逆だし、喜ばしい結果なはずだが、リオは無防備すぎると思う。
リオは、以前のレナ姫の様に、「正しい事を言って何が悪いよ」と、もっともな意見を言う。それ以上、責められるはずも無かった。
「………リオ姫、すまぬな」
レナ姫の少し湿った声にリオは反応する。
「良いよ。こんな高級料理食べたこと無いし、それに、楽しかったよ」
「じゃが、私が城に連れてこなかったら、こんな煩わしい事にも成っておらなかった。………せっかく友達と楽しい食事がしたかったのに」
レナ姫は何かを我慢するように下を向いた。
「レナ姫は楽しく無かったの?」
リオのあっけらかんとした言葉に、レナ姫は顔を上げてリオを見る。リオは最後に取っておいた、大物の海老の切り身にフォークを突き刺した。
「さっきも言ったけど、私は楽しかったよ。一般人には見れない城の中も見れたし、こんなに美味しいご飯も食べれたし」
リオは海老を口の中にほり込んでから、幸せそうにゆっくりと噛みしめた。
「ただ、一つ誤算なのはあの風船の件ね、いまだ隠し玉だったのに喋っちゃったよ。絶対、大きくなったら実現したかったのに、先に越されると、もう狙い通りに行かないよ」
悔しそうに話すリオに、レナ姫は驚いた顔をした。
「………大きくなったら?」
台詞を繰り返すレナ姫に、リオは慌てて人差し指を口に当てる。それはレナ姫とリオの秘密の内容に関することだ。
リオはキョウの方を見て、二人がまだ話しているのを確認してから小声で話す。
「だから、私にも考えが有るって言ったでしょ」
そうは言うが、リオの考えは解らないし、今はまだ理論が成立していない。しかし、リオの事だ。彼女が大丈夫と言えば、大丈夫なのだろう。
「ごちそうさまでした」
リオは手を合わせてそう述べる。
それを見越したように、キョウがやって来た。
「リオ、話がまとまった。疲れているところ悪いが、やっぱり今日中に法国オスティマを離れよう」
「やっぱりそうよね」
リオは溜め息混じりにうなだれる。
本日は大変で、ゆっくり眠りたかったが、自分が捲いた種だ仕方がない。
レナ姫はリオの姿を寂しそうに見ていたが、あんな事の有った後だ、無理を言って引き留める訳には行かない。
解っていると何度も自分に言い聞かす。
レナ姫は自分の気持ちを誤魔化すために、別の事を考えた。そう言えば、自分は何度もリオに怒ったが、キョウは一度しか怒らないのを、レナ姫は不思議に思った。キョウがリオに注意したのは、霧を止めると言った時だけだ。
「なぁ、キョウ。キョウはリオ姫に、少し甘くないか?」
レナ姫の問い掛けに、キョウは苦笑いをする。たしかに周りからはそう見えても仕方がない。
「実は、俺はリオに無理矢理ついてきている。言わばこれはリオの旅なんだ。だから、俺は俺の出来ることで、何者からもリオを守ろうと思う。それは、どんな状況でも変わりはないから」
そう言い切り、笑顔を見せるキョウに対して、リオもレナ姫も真っ赤になった。
「もう、恥ずかしいから、他人の前でまともに答えないで」
焦るリオの横でレナ姫がポツリと呟いた。
「………うらやましい」
「レナ姫?」
リオに顔を覗き込まれ、レナ姫は慌てて頭を振った。
「なっ、何でも無い、それより今後の予定はどうするのじゃ?」
「あぁ、カインが知り合いの給仕女に頼んで、俺達の荷物を取って来てくれるらしい。俺達はそのまま船に乗り、法国の領地から離れ、王国セロンに向かう」
その台詞にリオは、あからさまに顔をしかめた。
「船かーっ」
船にはあまり良い思い出は無いが、王国セロンなら王国ファスマに近付くので不満は無い。
「ねー、キョウ、王国セロンまでどれ位かかるかな?」
うーんとキョウは悩む。正直行った事がないので解らない。
「王国セロンなら、夜行便で出て朝には着く。結構長いぞ」
カインの言葉にリオは青ざめた。前回は一時間であれだ。一晩など考えられない。
キョウもリオが苦手なのを解っていて、法国オスティマ領を離れた次の港の、王国セロンに決めたのだ。本来ならもう少し船で進んだ方が王国ファスマに早く着く。
「とにかく、荷物が届くまでの間は、ゆっくりしておけ」
カインはキョウにそう言うと、レナ姫を向いた。
「ここにはキョウも居ますので少し離れます。今後はこんな事が起こらないように、法王にご相談し、レナ姫の護衛兵を、私の息の掛かった者だけで揃えます」
解ったとレナ姫は頷く。
「キョウ、俺が戻るまでレナ姫をお願いする。早目に戻るから、俺が居ない間に勝手に旅立つなよ」
「あぁ、解ったが良いのか?」
キョウは不安にたずねる。他国の騎士に、法国の姫を守る事を頼むなど、そんな勝手な事をさせて大丈夫だろうか。
「あぁ、今は大丈夫だ。しかし、これからの事を考えると早い方が良いのでな」
カインの考えが今一つ解らないが、キョウは頷く。ただ、何かあったときに、剣を抜いて問題に成らないか心配だ。
キョウやリオは全く気付いていない。この二人が来たことにより、法国がどれほど変わろうとしているのかを。
カインが部屋を後にして、法王の元に行った時、間が悪い事に法王は食事中だった。扉前の護衛兵に、「また来る」と伝え戻ろうとしたが、部屋の中まで声が聞こえたのだろう。給仕女が出てきて、部屋に入るよう伝えられる。カインは素直に従った。
部屋の中には法王の他に、ローランド第一皇太子やバーカードがいたので少しすくみ上がる。法王だけでも緊張するのに、国のトップが三人もいる。
バーカードが言っていた食事の予定とは、これの事かと気付いたがもう遅い。しかし、その場の明るさから、今なら伝えても、意見が通りやすいと判断した。
カインの緊張した言葉に、法王は二つ返事で返す。しかも、カインは護衛兵長に任命され、近々昇級式を行う事と、幾つかの権限を与える事を約束され、部屋を後にした。
喜ばしい思う結果だが、突然すぎて、まるで狐に摘ままれた様にかんじ、何とも素直に喜べない。権限に関しても計画段階で何も言えないが、それでも大臣クラスの権限を約束された。
一体何が始まっている?
カインは頭を捻が、その考えは今は保留にする。とにかくキョウ達を逃がすのが先決である。
カインが部屋に戻ると、キョウ達の荷物も届き準備万端だった。
「よし、届いたか。じゃ、今から行くが忘れ物は無いな」
カインの言葉にキョウは頷く。
キョウ達とカインと、見送りをすると断固として聞かないレナ姫は、城の給仕女達が使う出入り口から外に向かう。自分から志願したのに、あれ以来レナ姫は下を向き、唇を噛みしめたまま一言も喋らない。
そして、外に出たキョウ達は振り向き二人を見た。
見送りはここまでだ。
キョウはカインに手を差し出した。
「すまなかった、何から何まで。パスポートの記入や、船の手配までしてくれて感謝している」
「気を使うな、俺達が出来るのはその程度だ」
カインは割りとあっさり別れを伝えて手を握るが、キョウは握手の強さに顔をしかめる。
「頑張ってくれ。法国だけじゃない。全世界が待ち望んだ事だ」
その台詞にカインが思わず力が入ったのだと解り、キョウは力強く頷いた。それから、カインはリオを向くと、膝を付き頭を垂れた。
「リオ姫様、どうかご無事で。必ずやその意志を貫いて下さいませ。そして、必ずや戻るときは、この法国にお寄りください、その時は歓迎致します」
カインはリオが姫で無いことを知っている。しかし、イップ王女の記憶があることを知らない。だからカインは、本当に一般人のリオに対して、最大の礼をしたのである。
慌ててリオは両手を振った。
「止めて下さいカインさん、私はそんなのじゃないから!」
カインはゆっくり首を振った。
姫だろうが一般人だろうが関係無かった。彼等はそれほど凄い事をやりに行く。
カインの行動と言葉を聞き、それまで黙って下を向いていたレナ姫は限界だった。突然スカートを握り締め肩を震わし出した。
「――――嫌じゃ、」
余りにも小さく、震えた声だった。
リオは真剣な顔でレナ姫を見る。
顔を上げたレナ姫は大粒の涙を流していた。
「嫌じゃ! 嫌じゃ! 嫌じゃ! リオ姫行くな、友達じゃろ! 行ったら駄目じゃ!」
レナ姫はリオを行かせない様にと、抱きつき止める。リオは優しく語り掛けた。
「レナ姫、大丈夫だよ」
「嘘じゃ!………そうじゃ! もっと一緒に考えて、理論を的確な物にしてから行けば良いではないか! なっ? なっ? そうせよ。頼む、行かないでくれ!」
レナ姫のこじつけの様な案に、リオはレナ姫の頭を優しく撫でた。
「そうだね。私もそうしたかったよ。………でもね、レナ姫、私は行かなきゃ。それが出来るのは、今は私だけだから」
泣き止まないレナ姫は顔を上げて、すがるようにリオの顔を見る。
「なら、私も行く! 連れて行ってくれ」
リオはゆっくり首を横に振った。
レナ姫は鼻を啜り、再びリオにしがみつく。
「何故じゃ! 足手まといにはならんはず。魔法も使える、私もリオ姫の様に出来るぞ!」
「………だからだよ」
リオは覚悟をレナ姫に語った。
「私が駄目だったら次はお願いね。二万七千の言葉、覚えたでしょ?」
レナ姫は大きく目を見開いた。
リオはカインが席を外している間にレナ姫に、二万七千の言葉を教えていた。キョウも一緒になって覚えようとしたが、二人の頭には着いていけない。発音すら上手く出来なかった。
渋々レナ姫はリオから離れ、必死に涙を止めようと再びスカートを強く握る。あれには、そう言うと意味が含まれているのは、レナ姫も解っていた。
「じゃ、じゃあ約束じゃ! 必ず、………必ず戻ると約束せよ!」
「うん、戻るから。その時は手助けしてね」
意味不明の言葉にキョウは戸惑うが、二人は何か約束したのだろう。
「レナ姫様、リオは必ず俺が守ります。そして、必ず法国オスティマにまた来ます!」
レナ姫はその台詞で、キョウにすがり付く様に頭を下げた。
「お願いじゃ、リオ姫を………私の友達を守ってくれ。頼む、頼むから!」
よく言い争いしていたのに、二人はこれ程までに友達と成っていたのだ。もう自分の意志だけでない。リオを守りたいものが他にも居るのだ。
レナ姫の涙ながらの訴えに、キョウは騎士の敬礼で返した。
二人は港に向かい歩き出し、見えなくなるまで佇むレナ姫に、何度もふり返り手を振った。
法国オスティマでは色々あったが、立ち寄って良かったと思う。イップ王女とセリオンの時も、ここまで頑張ってくれと言われれば、状況も違った形で幕を下ろしていただろう。
キョウは隣を歩くリオをチラッと見た。
黙ったまま歩いているので、寂しがっているかと思ったが、どうやら違うらしい。リオは眉間にシワを寄せて、小さく呟いた。
「………あぁ、船かーっ」
キョウが笑うとリオは怒ったように振り向いた。それから恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「悪い?」
キョウは首を横に振る。
「いや、寂しがっているかと思ってな」
「レナ姫には、また会えるから良いの。それより問題は船よ」
「眠ってたら気にならないだろ」
「キョウは、どれ位しんどいか解らないから簡単に言えるの!」
リオはさらに頬を膨らませた。彼女にしては死活問題らしい。
二人はカインに教わった通りに、来た時とは別の港に三十分掛けてやって来た。こちらの港は水深が深く、大型船が多く停泊しているので、来た港より大きい。物資を運搬する船も多く、倉庫が港の周りを囲っている。
キョウ達の向かう先には、一隻の大型船が停まっており、船員か大声で出航時間を叫んでいた。どうやらそれが目的の船だろう。
リオは大きい船を見て、深く溜め息を吐いた。そんなに嫌なのだろうか。
周りにはキョウ達と同じく、どこかの国に向かう人達が集まり、我先にと船に乗り込んでいる。
キョウ達も船乗り場に着くと、チケットを取り出し船員に渡した。チケットを回収する船員は、チケットをみてあきらかに驚いた顔で、キョウとリオを見比べ、もう一度チケットを見る。
二人は解らず、不思議に思い首を傾けた。
チケットを回収する船員は別の船員を呼び、その船員がキョウ達の前にやって来ると頭を下げた。
「では、こちらの来てください」
船員の案内に従いキョウ達は着いていく。船員はどんどん他の乗客の方から離れ、キョウは不安にかられた。
何か問題があったのか? チケットはカインから貰ったから、又もやカインの引っ掛けか?
キョウは腰の剣を確かめる。船員に連れられてやって来たのは、船の上の方にある、個室の客室だった。船に慣れていないキョウ達だって、これが船において上室だと解る。
その部屋に誰がいるのか。
船員は頭を下げて戻っていった。キョウはリオを後ろに下げ、剣に手を掛けたままノックをしてから、恐々と扉を開け部屋を覗き込む。
部屋は高級な作りで、小さなテーブルに、大きくゆったりとしたソファーが二つ、細工の細かく良く磨かれた化粧台に、二つの大きなベットが備わり、そして、誰もが居なかった。
慌ててキョウは船員を呼び止める。
「あの、誰もが居ないのですが、間違っていませんか?」
船員は頭を傾げた。
「そりゃ、誰も居ませんよ。あなた様方のお部屋ですから」
船員はもう一度頭を下げると戻っていく。キョウは驚き、もう一度部屋を覗き込んだ。その横をリオがすり抜けていく。
「すごーい! キョウ見て見て、化粧台まであるよ」
先程まで船を嫌がっていたのに、部屋の豪華さにリオはハシャイでいる。現金なものだ。
カインかレナ姫の考慮なのだろう。ただの一般人に対してその恩恵は有り難すぎる。しかし、それこそが、これからの旅の困難さを物語っているような気がした。
絶対リオを守り、辿り着いてやる。
キョウは再び、この旅の誓いを噛み締めた。
リオは早くもベットに寝っ転がる。
「キョウ、サラサラのフカフカだよ。気持ち良い」
「あぁ、それより、歯磨きして身体を拭いてから眠れよ」
「うん、解ってる………」
キョウの台詞にリオはゆっくりと答えるが、しばらくすると、そのまま寝息が聞え出した。
今日はそれほど疲れたのだろう。
キョウは溜め息を吐き、リオの体にシーツを被せてあげた。
「お疲れ様、リオ姫。よく頑張ったな、偉かったぞ」
眠っていて聞こえない筈の、キョウの労いの台詞に、リオはまんべんな笑顔で答えた。
すいません。前回予告で、キョウが活躍すると書いて居ましたが、しませんでした。アワアワ言いながら、オタオタしていただけです。
予定では出てこない筈の、バーカードが出てきて、話をややこしくしました。このキャラクターは原案にもないのに、書いていて突然出てきて驚きです。
今回はあまり面白くもない、政治の話になりました。どうしてもここを通らなくては次に行けないので、こう成りましたが、もっとキョウが活躍しないと、面白く無いですね。
次こそはキョウが活躍します。
しなかったらごめんね。