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2  リオの騎士

二  リオの騎士



 一人の道のりは、やはり大変だった。

 あまりにも体力の無い自分の体を不便だと思う。記憶通りなら、二山ほど休まず歩けたはずだが、仕方が無いかと彼女は思う。

 何度か、霧に取り付かれた小動物との戦闘もこなしたが、数が少なかったから良かったものの、流石に多く集まられるとまずい。体力が持たないだろう。

 彼女は一人で行くと決めたのだが、本格的に誰かに頼ることを考え始める。

 一番良いのは、護衛として傭兵を(やと)うのが妥当(だとう)だが、数日分の宿代を考えれば、資金も余裕があるわけではない。さすがに危険な世の中だ、そう何度も野宿に頼るわけには行かない。

 しかしと彼女は思う。

 野宿すれば、資金に余裕も出る、その分に美味しい食事も取れる。霧ぐらいなら意識を強く持てばたいした物ではない。ハンモックを使えば大丈夫だろう。ただ、傭兵が嫌がらなければの話だが。

 彼女は決めたと、水筒のキャップを閉め、道端の石から腰をあげ、立ち寄るつもりの無かった、ティーライ王国に立ち寄る決意をする。どうせなら、セリオン並みの者が良いのだが、無理な話だろう。

 彼女はティーライ王国の、国境付近の領地に足を入れた。

 一ヶ月前、かなりの被害をこうむったと聞いていたが、流石は王国、回復は早い。国境に有るため、優先的にこちらを回復させたのか、人々は活気も取り戻し生活している。

 ティーライ王国の領地は形式上、村と呼ばれているが、規模的(きぼてき)に言えば町と言っても間違いが無いほどである。

 監視の役目も含めているのだろう、低地から高台にかけて町は出来ており、坂や階段の多い町だ。

 彼女は国境の門で、パスポートを取り出し、簡単な書類に記入してから、町に入っていった。

 まずは露店でリンゴを売っているおじさんに、傭兵を雇える場所を聞いてみた。おじさんはおかしな顔をしていたが、理由が解っているので無視する。

「あぁ、それなら飲み屋のマストロに相談すればいいが、君が雇うのか? 代理人とかでなく?」

「そうよ。それより、その傭兵は使えるの?」

「あぁ、この前の霧を止めたのも、マストロ達だ。騎士なんぞ、クソ役にもたたん」

 これは意外だと彼女は感心した。

 ティーライ王国と言えば伝統ある騎士の王国だ。なのに、その騎士よりも信頼がある傭兵とはたいしたものだ。

 彼女は飲み屋の場所を聞き、リンゴを一つ手に取ると代金を渡し、リンゴをかじりながら、町の中の地図を便りにその場所にやって来た。

 木製の年期の入った建物に、これまた、年期の入った店の看板が掛かっている。先程のリンゴ屋に聞いた名前と同じだ。

 飲み屋と言うなら、昼の二時にまだ客は来ていないと思っていたが、店中からは話し声が聞こえる。

 傭兵どうしの会話だろうか。彼女は店先に屈み、窓からこっそり中を盗み見する。

 依頼の内容を、多くの人に聞かれたくなかった為だ。

 中には二人の人物。

 一人は四十代の男。カウンターの中で料理でもしているのか、大きな寸胴をおたまで混ぜている。もう一人はカウンターに座っており、背中をこちらに向けているので顔が見えない。その人はカウンター内の男に、ブツブツと文句を言っている様子である。

 文句を言っていた人物は、カウンター内の男に何かを言われ、不貞腐(ふてくさ)れた様に横を向く。その時、顔が見えた。

 若い。

 まだ十代の少年のようだ。

 その横顔を見た瞬間に、彼女は目を見開き息を飲み込んだ。鼓動(こどう)が高鳴り、胸が張り裂けそうになる。頬をつたう、涙が止まらない。

 解る、それはきっと嬉し涙だ。

 彼女は立ち上がると、店を背にして、逃げるように町の中へ駆け出した。

 逃げ出す必要はないが、彼を見た瞬間に、後悔や、口に表せない複雑な感情が心に現れ、どうしてもあの場には居られなかった。全くもってむしゃくしゃする。こんな気持ちに成りたくない。

 傭兵を雇って、直ぐにティーライ王国を後にする予定が、完全に狂った。

 その日の日中(にっちゅう)は何も手につかず、考えもまとまらないまま、ボーっと町の中やぶどう畑を見て回った。

 それでも時間が余り、感情を誤魔化(ごまか)せようと、町の中の人々と色々な話をした。ほとんどが一ヶ月前の霧が攻めてきた内容だった。

 夕方近くに安そうな宿を取り、軽い食事をとってから、冷静になるために眠ろうとしたが、眠れるはずもない。

 頭の中には、色々な場面が現れては消えた。

 情けない。もっとしっかりしなければ、目的を遂行(すいこう)できない。しかし心の中にある、記憶の本音が溢れ出す。

 出来ることなら、一緒に着いてきてほしい。どう言って切り出せば良いのか。やはり二人は、そういう運命なのか。

 そんなことばかりが頭に浮かぶ。

 違うと彼女は何度も頭をふる。これは古い記憶のせいだ。私は違う。

 結局、自分の答えが出たのは明け方で、少しだけは眠れた。



 次の日は朝一番に、マストロの飲み屋に向かった。

 元から覚悟は決まっていたし、大体、あの時は自分らしくない。一度決めた道だ。

 よしと、彼女は両頬を叩く。

 店に着くと、今度は窓から覗くこともなく扉を開けた。中に誰が居ようと自分は自分だ。

 有り難いことに、店の中には昨日の四十代の男が居るだけだった。

「すいません。マストロさんをお願いしたいのですが」

 少し眠くて声が小さかったが、ハッキリと言えた。

「マストロは私だ。どうかしたのか? 村民会(そんみんかい)の回覧板なら、そこのテーブルに置いていてくれ」

 マストロは、チラッと彼女を見ただけで、直ぐに顔を戻し作業に没頭した。夜に向けて、料理の仕込みでもしているのか、魚を(さば)いている。

「回覧板ではないです。傭兵を頼みたいのです。護衛として」

 マストロは、言われた言葉が理解出来ない顔で、今度はしっかりと彼女を見る。またしても理由は解る。

「君がか?」

「町の中であなたの噂は聞きました。騎士よりも信頼があると」

 彼女は服装や口調からして、王族の者や、権力者の子族(しぞく)では無いだろう。それに、領地の事を町と呼ぶ時点で、この王国の人間ではない。

「あぁ、有り難よ」

 そう、一応礼を言ってから、マストロは首をかしげる。

「護衛といったら、命を狙われているとかか? それとも、この国以外の、どこかの国までと言うことか?」

「この国以外の方です。出来れば腕の立つ傭兵がいいんだけど、高いかな?」

 彼女は昨日の感情は捨て、ともかく前に進もうと考えた。護衛なら誰でも良い、記憶に振り回されたくない。

 マストロは少し顔を曇らせる。冗談の様にも聞こえるし、本当でも少し厄介だ。

「確かに場所にもよるが、他国までと言うと通常料金より上乗せさせてもらわないかん。それに、腕が立つと言われれば、やはり騎士に相談した方が良いかもな。村人が何を言ったか解らんが、ただの買いかぶりすぎだよ。傭兵は訓練している騎士になんぞ(かな)わん」

 他国となると、傭兵でも本格的にやっている奴しか無理だ。かなりの金を積めば行きたがる奴はいるかも知れないが、彼女は普通の町人に見える。そこまで金を持って居ないだろう。それどころか、傭兵を雇う金も怪しい。

「騎士に相談しても、私の護衛をやってくれると思わないし、それに、他国まで着いて来てくれます?」

 マストロは自分で言ったが、それは無理な話だと思った。騎士は王族や国政に通じない、一般人の護衛はしてくれない。

「そりゃ、確かに無理だが、こっちにも居たかな?」

 マストロは頭を働かせる。たしかに色々なタイプの傭兵がいるが、騎士ほど腕が立ち、安くて、他国まで護衛に付き合うほど時間の空いている奴などほとんどいない。

 そこで、フッと一人の人物が頭に浮かんだ。

「あぁ、それなら、あいつが良いかもな。腕は現役の騎士並だし、いや、それ以上か。それに確か、最近学園も辞めたがって居るみたいだしな。あいつならピッタリだ。ただし、他国となると、本人に聞いてみないと解らんがな」

「その人は、料金が高いですか?」

 彼女はそこを一番心配そうに聞く。やはり、あまり金を持っていないのだろう。

「それも本人に聞かなきゃ解らん。料金の目安は私が決めているが、基本的には傭兵をまとめているだけなんだ。だから、料金も内容も本人次第にしている。契約したら紹介料は貰うがな」

 話を聞き、望みに近付いたのだろう。彼女の顔は明るくなった。

「だったら、その人物を丸め込めば、紹介料だけで済むのですね」

 笑顔のまま答える彼女に少し恐怖を感じるが、悪い人物には見えない。

「まー、そう言うこったな、上手く丸め込め。それから、そいつは学園生だ。学園が終わるまでしばらく待たなくては成らないが、構わないか? なんならこの店で待ってもらっても良い」

「本当ですか、助かります」

 彼女は笑顔をこぼすと頭を下げ、マストロの指示したカウンターのストゥールに座った。

「時間が有るだろ、(まかな)いで良いなら飯でも(おご)るよ。それに、どうして傭兵が必要で、何処に行くのか興味もあるしな」

「有り難う。ただし、話すとなると変な話に成るよ。それに、誰にも言わないで下さいね」

 マストロは「もちろん」と笑顔で答えるが、彼女が語りだした内容に、笑顔がゆっくりと消えていった。



 キョウは授業をさぼり、イライラしたまま、マストロの店の開閉の悪いドアを押し開けた。

 伝統ばかり気にして何もしない騎士達や、伝統の無いのに騎士団長をしている者の息子を、目の敵にしている講師たちにうんざりしていた。

 昨日もマストロに愚痴(ぐち)を聞いてもらった所でイライラは収まらす、いっそうの事、退学してくるので傭兵業をメインでやらせてくれと言うと、マストロに怒られた。剣の腕は買ってくれているものの、傭兵に登録していてもマストロは絶対に仕事を回してくれないのは解っている。それはキョウがまだ学園生だからだ。

 キョウは挨拶もそこそこに、店に足を踏み入れると、この時間には珍しく客がいた。

 相変わらず陽当たりが悪いので、影になってよく見えないが、カウンターのストゥールに誰かが座っている。

 その影の人物は、入り口の方を向いており、キョウを真正面から見ている。

 そして、その影は小さかった。

 他の傭兵の子供かと、気にせず入っていくが、中に進むに連れて次第(しだい)に顔がハッキリと見えてくる。

 そこで何かに気付いた様にキョウは目を見開いた。

 二人は対峙するように見つめ会う。

 キョウは手の力が抜け、肩に担いでいた、教材など入った袋と、愛刀を床に落とす。

 そんな(わけ)がない。ある(はず)がない。

 自分の頭の中で否定しても、目から流れる涙は止まることがなかった。

 違う、確かに違うのだ。

 顔立ち、背、格好。何を取ってもまるで違う。

 なのに重なる。

 無いはずの記憶と全てが重なる。

 思わず、キョウの口から言葉が漏れた。

「――――イップ姫」

 あまりの小声で誰にも届かなかっただろう。しかし隠れるように、入り口付近の壁にもたれ掛かっていたマストロは、納得したように部屋を横切り、カウンターの奥へと引っ込んだ。

 にわかには信じられない話だが、彼女の言った通りの結果がそこにあった。二人してマストロを騙す必要はない。

 キョウはマストロの行動を気にせず、ただ目の前を見詰めている。彼女は、少し照れたように微笑んだ。

「初めまして、キョウ。私はリオと言います。少しばかり話を聞いてもらえないかな?」

 リオは真っ直ぐな青い瞳でキョウを見据(みす)える。

 胸が苦しい、まるで声がでない。身動きすら出来ない。それをすればこの現実を壊すようで怖い。リオの顔から目をそらすことが出来ない。瞬きすら出来ない。

 リオも目元に涙を浮かべているが、厳しい表情のまま、キョウを見つめている。

 やはり、あなたが来た。これは偶然なのか、必然な運命なのか。

 最初は期待していなかったが、彼とわかり純粋に嬉しく思う。全く、この記憶は困ったものだ。

「今から()る所に向かうの。キョウを私の護衛として雇いたい。お願い出来ないかな?」

 キョウのあの記憶が確かなものなら、何処(どこ)へ、何をしに行くのか解る。リオと名乗る彼女が誰なのかも。しかしキョウには、リオに彼女の記憶が有るかは解らない。

 キョウは何度も唾を飲み込み、やっと声を出すことが出来た。

「………どっ、何処へ行く?」

「王国ファスマ」

 何の躊躇(ちゅうちょ)もなく、リオはその王国の名を呼ぶ。

「………何の為に?」

 キョウの胸騒ぎが止まない。

「決まっているでしょ、あれを閉める為よ」

 キョウは自分の記憶が間違って無いことを確信した。

 あれだけハッキリとした記憶だ。現実としてもおかしくない。ただ、生まれる前という曖昧(あいまい)さが無ければだが。

「ちょっと待ってくれ、もう一つ質問するぞ。変な話だが、その、なんだ、リオで良いか?」

 再びリオは頷いた。

 キョウは焦る。何と言っていいか解らない。しばらくブツブツと考えて、やっと言葉が思い浮かんだ。

「そうだ、前世。リオは前世が在ると思うか?」

「無いと思う」

 リオはあっさりと否定した。その様子にキョウは混乱する。リオが、彼女と思い込んでいたが記憶違いだろうか。

 リオは少し得意気に話し出した。

「科学的に見て、前世が在るなんて有り得ない話よ。だけど、記憶が有るのはしかた無いよ。それはどう足掻(あが)いても、認めざる()ないわ」

「えっ、科学? 前世は無い? でも、記憶は有るのか?」

忌々(いまいま)しいけどね。私はイップ・ファディスマ王女の記憶が有る」

 そうだった、彼女は王位を継承(けいしょう)している。やはり、リオは彼女なのだ。

「やっぱりか。俺は、何故か解らないが、一目見て君がイップ姫…王女だと解ったよ。俺にも記憶が有るからだ」

「そうみたいだね。私も理由が解らないけど、解かったわ。キョウはセリオン、イップ王女の騎士ね」

「そうだ。セリオン。それが俺の記憶の名だ」

 やはり、キョウの思った通りだった。しかし疑問が残る。どうして二人とも解ったのだろうか。

 目の前にはストゥールに腰掛け、地面に着かない足をブラブラさせた少女。十二歳位でなかろうか。

 青い瞳に、金色のストレートな長い髪。イップ王女は鳶色(とびいろ)の瞳に黒い髪。ストレートのロングだけは同じだが。

 服装もTシャツに、薄目のパァーカーを羽織り、旅には(てき)していない短いスカートに、腰にはベルトタイプの鞄を後ろ向きにつけ、足元には大きめの肩掛け鞄を置いてある。イップ王女なら絶対しない服装だ。

 育った環境の違いからかも知れないが、口調もイップ王女はもっと、王族の話し方だった。

 リオとイップ王女とは余りにもかけ離れている。なのになぜ解ったのか。

 きっと、前世の記憶がお互いに共鳴したのかも知れない。

「それで、王国ファスマまで着いてきてくれる? お金は余り無いけど」

 リオは心配そうに、キョウの顔色を(うかが)う。そこで有ることに気付いた。

「待ってくれ。本当に行くのか? 俺はいいが、君はまだ小さいだろ」

「これでも我慢したのよ。十二歳になるまで」

 小さいと言われるのが嫌なのだろうか、リオは少し(ほほ)を膨れさす。

「待て、後悔しているのは解るが、まだ十二歳だ。知っていると思うが、危険だぞ」

 話して居る間に、段々と冷静に成ってきた。

 王国ファスマまでは、リオみたいな子供が行くには、余りにも険しい道のりだ。

「解ってる。でも年だけを言うなら、私は今三十五歳だよ」

 記憶の年齢が確かなら、イップ王女が十七歳の時に、王国ファスマは霧に包まれた。あれから十八年経っている。

「記憶を入れた年齢だろ。今はまだ十二歳だ」

「でも、記憶が有るなら、回避出来る事も多くあるよ」

 確かにキョウも、剣の腕が良いのは、セリオンの記憶が有るからだ。

 ただ、記憶が有るからっと言って、それだけでは剣の腕は上がらない。キョウは今度こそは、人々を、イップ王女を守りたく思い、他人より必死に剣を握ったのだ。それは血のにじむ思いだった。多分、リオとしても同じだろう。彼女も色々調べて、勉強してここに居ると思うが、それでも思った。

 剣の腕が上がっても限界がある。

 前回の霧が(せま)って来たとき、嫌っと言うほど思い知らされた。

 今のキョウは十六歳の騎士養成学園生で、救えた人々は余りにも少ない。同じ思いなのは解るが、リオにはまだ早すぎると思った。

「悪いが、考え直せないか? 現実には、リオも俺もまだ子供だ。やれる事には限界がある。過去の知識は在って、色々知っていると思うが体は違う」

 知識は三十五歳だろうが、身体は十二歳の少女だ。王国ファスマはそれなりに遠い。

「私は大丈夫よ。それに、私が行けば多くの人が助かるでしょ」

 それも解っている。

 確かに人々を救う事は出来る。しかし、成功すればの話である。

 本当にリオを王国ファスマまで届けるなら、ティーライ王国で表すと、騎士団の大隊クラスが、彼女を霧や、霧に取り付かれた者や、他国の情報を欲しがる者を、蹴散(けち)らせながら行くのか一番合理的だし、確実だ。

 王国ファスマから、イップ王女とセリオンは一度去った。だが、何とか霧を止めようとして、二人で戻ったことがある。

 困難だった。

 霧だけでなく、王国ファスマの人間だと解れば人々も敵だった。後方からの支援もなく、銀路も尽きる。一番知っている。その大変さを。

「だけど、もう少し大きく成ってから行くのは駄目か? その時なら、俺は何を投げ出しても君を守り、必ず届けてやる。だけど今は失敗する可能性が高い」

 経緯(けいい)はどうであれ、自分を投げ出しても人々を守るイップ王女を、キョウは(あこが)れもしたし、尊敬もしたし、愛もしていた。人間として、女性としても。

 そこだけを見ると、やはりイップ王女とリオの二人は同じかもしれない。だからこそ、次は失いたくない想いが溢れ、どうしても行かせたく無かった。

 例え五年経ち、キョウが騎士たち仲間を動かし、リオが成功するまで百万の死人が出ようが、キョウはそれの方が良かった。

 リオは溜め息を吐くと、少し悩んでから頷いた。

「……………解った」

 リオはストゥールから飛び降ると、足元の鞄をたすき掛けにかついだ。

 キョウは安堵の溜息をつく。

 良かった。解ってくれた。それならあと数年後に、世界は確実に救われるだろう。

「あぁ、それなら他に話したい事もあるし、連絡先を教えてくれないか。それに、数年後には王国ファスマに行くなら、本格的に作戦を練らなきゃいけないしな」

「練らない。交渉は決裂。マストロさん、交渉が駄目なら紹介料は要らないよね?」

 裏に引っ込んだはずのマストロは、慌ててカウンター内に飛び出してきた。その様子から、後ろで話を聞いていたのだろう。

「あぁ、そうだが、ちょっと待ってやれ。キョウが言っていた事は間違ってないぞ」

「何が間違ってないの? 上手いご(たく)を並べることが? 一年間で、霧のせいで死ぬ人数を解ってる?」

 目を細め睨んでくる、リオの顔には怒りがあった。

 何故かキョウは厳しい表情のまま答えない。マストロはしろどもどろしながら答えた。

「二万、いや………五万人位か?」

「二十万人。もっとも、それも統計の取れる地域だけだから、本当はもっと行くでしょうし、その数は年々増えていってるわ」

 マストロは押し黙る。考えれば、この前の霧の犠牲者も二百人近かった。世界ではあれ以上の悲劇が有るのは当たり前だ。

 キョウは答えた。

「……………知っている」

 記憶が有るから、霧の事は調べた。特に自分の大切な人が関わった事だ。結果は知るべきものと思い。

「それなら、五年経てばいくら死ぬか解るよね。そして、それを誰が引き起こしたのも、知っているよね?」

 キョウは再び押し黙った。知っていても口に出したく無かった。

 話の流れから、マストロは驚きのまま答えた。先程のリオの話では、そこまで語られていない。

「霧は突然現れたわけじゃないのか? まさか、誰かがやった事なのか?」

 二人の話は怪しいが、驚愕(きょうがく)の内容ばかりだ、とてもじゃないが信じられない。

 世間一般に言われているのは、あくまでも天災だ。

 マストロも霧によって自分の周りにも被害が出ているから、王国ファスマの人を良くは思えない。余り変わらなかったかも知れないが、もう少し門を早く閉めてくれればとも思う。だが、同時に天災により滅んだ王国に同情もした。

 逃げ延びた、王国ファスマの人々に対しての(しいた)げも、少し遣り過ぎだと思った。

 しかし天災でなく、人災で有るなら話は変わる。

「やったのはイップ王女よ」

 マストロは驚き、何度もリオを見た。

 霧を発生させることが個人に出来るとは思わない。しかも、イップ王女がやったとすると、リオの前世がしたということだろうか?

 キョウはその言葉を(さえぎ)ろうと、急いで口を出しした。

「確かにイップ姫が開けたが、それは国民の為だ! それにイップ姫は人々の為に何度も閉めようとした。しかし、閉まらなかった!」

 マストロはカウンターを出て、言い争う二人の間に手を差し出し止める。

「二人とも落ち着け。そう、喧嘩腰では話は進まん」

 確かに、マストロの言う通りだ。キョウは深く息を吐き、息を落ち着かせ、リオを見た。

 リオは覚悟を決めた様に目を瞑り、歯を噛み締めている。

「リオ?」

「殴らないのですか?」

 それはキョウに対して言った台詞では無かった。恐々目を開けたリオの目は、マストロを向いていた。

「何故私が、君を殴らなきゃいかん?」

 マストロがカウンターから出てきたのは、リオを殴るためだと思ったのだろう。キョウは悲しく思う。彼女はそんな気持ちでずっと暮らしてきたのか。

「この世界に、霧を充満(じゅうまん)させた、張本人が目の前にいるのですよ。マストロさんも、少なくとも辛い思いはしたでしょ」

 確かに色々有った。守りたくても、守りきれず亡くなった者も多い。

 マストロ出来るだけ優しい声を使った。

「しかし君がした訳じゃないだろ。それに、君の話は信じられない内容だが、その話が本当なら、それをしたのは前世の王女だ。そんな事を言えば私だって、前世では大量に殺人を犯した暴君(ぼうくん)かも知れん。だからと言って殴られるのはごめんだ。キョウも、リオも、色々あったかも知れないが、誰かに頼べばすむ話しだろう」

 マストロの言っている事は合っていた。前世の記憶が有ったとしても、わざわざ、子供達が危険な場所に行く必要はない。

「駄目なんだ。閉めるにはパスワードがいる。それを知っているのは王族だけだ」

 キョウの答えにリオも頷く。

「でも、リオの前世が王女だったら知っているだろ。だったら、そのパスワードと言うやつを、誰かに教えれば良い」

 リオはゆっくりと首を振った。

「魔法みたいに、言葉が必要なの。意味の解らない、二万七千の言葉。多分、この世界で使われている、どの言語(げんご)とも違う。幾つもの滅びた古い言語でもない。近いものも在るけど少し違う。発音も、練習しなければ出せない言葉もある。それに、書き方が解らないから、文字に起こせない」

 マストロは困った様に頭をかいた。

 リオの言っている意味がよく解らなかったのだ。唯一理解出来たのは、直ぐに覚えるのは無理と言う内容だけだ。先ほどからややこしい内容で頭が混乱する。

「リオの前世がイップ王女なら、他に生き残った王族が居るとか解らないのか?」

「イップ王女の妹が居たはずよ。でも、彼女は二万七千の言葉を覚えようとしなかったし、何より、はぐれてから何処に行ったか解らない」

 マストロは、その真実に恐怖を覚える。

 前世の記憶が確かなら、二人は霧が現れる何かを閉じること無く死んだ。つまり、この二人が前世の記憶を持って生まれて来なければ、霧は止まること無く、永遠に人々を苦しめただろう。

 しかし、こうとも(とら)えられる。この二人以外にも、記憶を持って生まれ変わった王族が居ても不思議でない。

 この話が本当ならだが。

「リオ、だったらなおさら、キョウの言っている事が正しくないか? お前たちの言っている事が事実なら」

 キョウもゆっくりと頷いた。

 リオが死んで、次にまたイップ王女の記憶を持った者が現れるとは考えにくい。ならばリオは最後の希望だ。そんな彼女を、十二歳の若さで危険な旅に出すのは、どう考えてもおかしい。

 リオは頭を振った。

「その為に四、五年待って、百万の犠牲は大きく過ぎるよ。特に自分の為ならなおさらね」

 自分の為に他のものが死んでいく。それは本人に取っては、いたたまれ無いだろう。

 キョウはその時、一ヶ月前の霧の時を思い出した。

 結果が解っているのに動かない騎士達。その時に、騎士団長が自分の身を犠牲にしてでも、騎士に「行け!」と命じれば、幾らかの人々が助かった。それがほんの(わず)かでも。

 下の者の解らない作戦が有ったとしても、正当な理由とは思わない。

 今のキョウの理由も、これから助けられる人を犠牲にする、父親と同じ様に思えた。例え五年経ち、リオが大きく成って成功しても、自分の為に死んだ人々を目の前にして、霧を止めたとリオは笑えないだろう。

「たしかに記憶が有るなら、前世のやらかした事で、自分で責めるのも無理も無いが、さっきも言った通り、リオがした訳では無いのだから、考え過ぎて自分を責めるのはやめた方が良い」

「そうだ、それに対してなら、イップ姫を止めれなかった俺にも責任はある。リオ一人が背負子(しょいこ)む荷物でない」

 どうやら、マストロとキョウの二人は誤解している様である。

 再びリオは頭を振った。

「違うよ。私は前世なんて信じてないから、前世の責任なんて感じてない」

 キョウとマストロは、驚いた顔でリオを見る。

 マストロに(いた)っては、話しを信じようとしているのに、そう言われては話が合わない。

「言ったでしょう、前世なんて、科学的にあり得ないって」

「だけど、記憶が有るとも言ってたよな」

 キョウは慌てて問いただす。前世が有るから記憶が有るでないとおかしい。

 リオは少しだけ、得意気に口元を(ゆる)ませてから説明しだした。どうもこの子は、人に説明するのが好きらしい。

「良い? 宗教的概念しゅうきょうてきがいねんは外してね。それと私の個人的解釈(こじんてきかいしゃく)も入っているから」

 リオは肩にたすき掛けしていた、鞄を下に置いた。それから偉そうに「おっほん!」と咳払いをすると、右手の人差し指を立て、説明を始める。

「難しい解釈(かいしゃく)は飛ばすよ。科学的に考えて魂は、分子だと思うの。だけど記憶は、電気のやり取りで構成される。要するにこの二つはまるで別物よ。だから二つを合わせて考えても意味がないて訳よ。それに、分子は自然界に多くあって、その人を構成(こうせい)していた、まったく同じ分子で次も構成(こうせい)される事は有り得ないわけ。だから前世と言うのは無いの」

 リオの説明が終わり、三人の間には先程のピリピリとした空気が変わり、何とも不思議な空気となった。マストロもキョウも頭を抱え込んでいる。

 「あれ?」っとリオは首をかしげる。解りやすく説明したはずだが。

 何とか、リオの言いたい事を理解出来たのはキョウの方だ。

「だけどリオはさっき、『霧を充満させた張本人』とも言わなかったか?」

 その説明でマストロも解ったのか頷いた。

「あぁ、言ってたな。それに、私に殴られる覚悟もしていたろ」

「えぇ。あれは私が違うと言っても、マストロさんには言い訳にしか聞こえないと思って。それに、色々と検証してみたけど、記憶の方は確かだから」

「だったらなおさら、俺の行かせたくない気持も理解出来るだろ。それに、前世を信じてないなら、リオは自分のせいだとは思って無いだろ? なら、そこまで無理して行く必要はないじゃないか」

 リオはこれから話す事が、恥ずかしいのか下を向いた。

「必要はあるの。私は昨日、町の人と色々話をしたよ。ほとんどが一ヶ月前のこの国を襲った霧の話だった。城から討伐隊の騎士が来ないこと。傭兵達がその役割を(おぎな)った事。………それに、数人はキョウの名前を出してたよ。騎士の見習いなのに、危険をかえりみず、傭兵と共に戦った騎士団長の次男坊」

 キョウは慌ててマストロを見る。

 騎士団長の息子だと、今までマストロに伝えていなかったが、彼は別に驚いている様子は無かった。多分知っていたのだろう。

 リオの話は続く。

「騎士達が来ないのは、理由は解らないけど上が止めたからだと思う。それに、いくら学園生でも、あれほどの国の危機に、上から命令が来てないとは思えない。見習いなら安全な城や城下町の警備に付くはず。なのに、キョウは最前線のこの町に居た」

 リオは真っ直ぐな瞳でキョウを見つめる。今度はキョウの方が何とも恥ずかしくなり目を()せる。

 リオの言っている事は、見ていた様に全てあっていた。

「それは何故か。――――キョウにはセリオンの記憶があり、剣の腕も有るなら霧の対処が出来るからよ。キョウは逃げずに自分の出来る事をした。それは前世の責任から?」

 そこまで話しを聞いて、やっとリオの言いたい事が解った。

 キョウはゆっくりと首を振る。リオは解っていると頷いた。

 確かに門が閉まるとき、過去の記憶で走ったが、その後は、ただ出来る事をしようと閉まる門から飛び出した。

「私はね、イップ王女が大嫌い。何が起こるか正しく理解せずに開けて、閉め方だって解っているつもりなだけ。システムを全く理解していない。だから失敗した。私は一杯勉強して、色んな事を理解してここに居る。前世とか関係ない。私が出来るから行くの。前世がイップ王女だから行く訳でない。リオが閉めに行くの!」

 キョウはリオの話を悔しそうに聞いた。

 自分は何処かで、王族しか閉められないと決め込み諦めていた。

「だから、私は一人でも行く。あの時のキョウの様に、自分に出来る事をしに行くの」

 間違っている?と言う様に、リオは首をかしげキョウを見る。キョウは何も言えなかった。

「まっ、それでもキョウに会えたのは良かったよ。ティーライ王国によった意味もあったかな」

 そう言うと、リオは再び鞄をかけ、マストロに頭を下げた。

「ご迷惑を掛けました。もうしばらく一人で頑張ってみます。どうか話の内容は忘れて下さい」

 そんな話、誰に言っても信じて貰えないし、そもそも、リオにとっては前世など関係なく霧を止めに行くのだろう。

「あぁ、そりゃそうするが、本気で一人で行くのか?」

 マストロは少し考えた。流石に話を聞いてからは、自分も護衛に付いて行くのが正しく思える。

 子供に王国ファスマまでの距離は過酷(かこく)だ。しかし、マストロにも生活があり家族もいる。確かに、傭兵をやっているのだから覚悟はあるが、妻や子供をさし置いて、世界を守るとは流石に言えない。

 キョウは先ほどから、何とも情けない気持ちになっていた。記憶も剣の腕も有るのに、全て他人任せ、王族任せ。なぜ自分で閉める方法を考え無かった。キョウがしたのは、剣を振り、死人の数を数えただけ。考え、思いつき、実行していれば、リオが危険な旅に出る必要も無かったのだ。

 俺は姫の横でただ剣を振っていたバカだ。

 キョウは強くこぶしを握り締め顔を上げた。

「本当に行くのか?」

「えぇ、止めないでね」

「本当にあれを閉めれるのか?」

「私なら」

 キョウは歯を食いしばる。バカはバカなりに出来ることがある。

「俺の考えが甘かった、すまない。俺も行く。いや、行かせてくれ。何があっても必ずリオを守る!」

「えっ? いいの? 本当に着いて来てくれるの?」

「あぁ」

「やった!」

 リオは急に態度を変え、明るく笑顔になる。本当は不安だったのかも知れない。

「たけど、宿代も厳しいし、直ぐに出発するよ?」

「あぁ、直ぐに準備してくる。二時間くれ」

 キョウの家は城下町に有る。先程のレンタルした馬で走っても往復一時間はかかる。

「解った。じゃ、国境の門で昼の三時まで待つよ。その時間に来なかったら、一人で行くから」

 キョウは頭の中で計算をして、よしと頷いた。

「国境の門だな。解った、必ずいく!」

 直ぐ様キョウは床に落としたままの、教材の入った袋と愛刀を拾い、ドアが壊れそうな勢いで飛び出して行った。

 マストロは余りの決断の早さに驚き、目を白黒させている。

「おい、本当に良いのか? 命を粗末にしたらいかんよ」

 リオは笑った。

「だから行くのよ」

 一年で二十万の命を守りに行くのだ。

 解っている。先程、嫌と言うほど説得した。だからこそ行くのを邪魔できない。

 マストロは苦虫を磨り潰したように、何とも歯切れの悪い言葉を発した。

「一日待てないか? もしそうなら、なんとか家族を説得して私も向かう。これでも騎士(くだ)りだ、そこそこ剣の腕も有る」

 リオは首を横にふった。

「マストロさんは、霧から守る者があるでしょ。それに、キョウと対峙して、勝てると思う?」

 マストロは口をふさいだ。

 キョウの剣の腕を目の前で見て、その凄さを十分理解している。それに今の話から、何故そこまで凄くなったのかも。

 剣を持つ人間が四十年近く掛けて、間合(まあ)いや駆け引きの技術を覚え、十六歳の疲れを知らぬ肉体を得た。並みの人間では歯が立たないだろう。

 しかし、何ともいやらしい言い方だろうか。遠回しに、足手まといと言っているのである。

 建前上は。

 短期間でも一緒に居たから解る。マストロが出来る事は、他に有ると言いたいのだろう。

 マストロが黙ったまま考えて居ると、リオは口を開いた。

「ところでマストロさん、これって紹介料いる?」

 そこでマストロはもう一つ驚いた。リオは宣言通りに、丸め込んだのである。

「こいつは驚きっぱなしだ。本人から行きたいって言うなら、傭兵の仕事で無いな。それなら紹介料は取れんよ」

 マストロは驚きの連続に、思わず豪快に大声で笑った。



 キョウは城下町に着くと急いで馬を返し、また借りにくることを伝えてから、城下町の中に走り込んだ。

 走りながら旅に必要な物を頭の中に(えが)き、それが何処に仕舞(しま)ってあるかを思い出す作業を繰り返した。

 幾つかのかどを曲がり、城の西側に位置する、大型の屋敷が立ち並ぶ場所にやってくる。

 そこは摂政や伝統のある騎士達が多く住まう場所で、ニグスベールの屋敷もその中にある。

 キョウは屋敷に飛び込むと、使用人の挨拶も無視して、迷わず自分の部屋に入っていった。

 この辺りの屋敷は必ず使用人がいる。皆が仕事に忙しいこともあり、屋敷の大きさから掃除が困難なためでもあった。

 キョウはベッド上に騎士養成学園の制服を放り投げ、動きやすい服装を身に付ける。人間相手でなく霧との戦闘が増えるので、ガッチリとした鎧でなく素早さを重視して、左腕のガントレットと胸当て程度の方が良いだろう。

 そして、走っていた時に頭の中で考えたいた、旅に必要な物を袋に詰め込めると、机の引き出しから貯めていた現金を全て取り出した。

 後は食料を貰って行こうと、部屋を出て使用人に声をかけ、台所で日持ちの良い物を(あさ)っていると、後ろから声をかけらる。

「キョウ、どうした、そんな格好をして?」

「オヤジ!」

 声を掛けてきたのは父親のバード・ニグスベールである。

 まさか父親が台所に来るはずが無いという思い込みから、キョウは驚き大声を上げた。いや、台所だけで無く、一ヶ月前の出来事から忙しくて、最近はずっと家にすら居なかったのに。

 一ヶ月前の出来事から、バードは大きく変わった。

 今まで付き合いの薄かった、要心(ようじん)達とも最近は交流しているみたいだし、隣国に出掛けることも多くなった。

 父親が一体、何を考えているか、キョウにはさっぱり解らなかった。

「何処か向かうのか?」

 その問いに、今気付いたようにキョウは慌てた。

 よく考えれば、リオに付いて行くと言うことは、騎士養成学園を休まなくてはいけない。もちろん学費は父親が出しているので、顔向けすることが出来ない。

 「いやっ」とキョウは首を振る。

 一ヶ月前の溝は、まだ塞ぐことが出来ない。キョウは目の前で、人々の悲劇を見ている。

 キョウはバードを睨み付けた。

下々(しもじも)の騎士に、何も命令の説明をせずにいる上官に、たかだか、騎士見習いの俺が報告する義務はない!」

 キョウの台詞に、バードは浅く息を吐いた。

「たしかに、キョウ・ニグスベールの言う通りだ。私は騎士団長としての、義務を(おこた)った。部下にそう言われても、仕方ないことだ」

 キョウに合わせてか、バードはいかにも騎士団長らしく発言する。芝居がかったやり取りでは有るが、その瞳は笑っておらず、キョウに対して敬礼までした。キョウも慌てて敬礼に合わせる。

 そこで、やっとバードは笑った。

「キョウお前は、兄のニーズと違い、騎士に対して真っ直ぐな思いを持っている。騎士団長としては複雑だが、父親としては嬉しい」

「止めろ、何の話だ。俺はあの時の作戦に納得出来ない。これからも、ずっとしないつもりだ。そうしなければ、あの人々は浮かばれない」

 キョウは苦しそうに訴える。あれ以来忙しくて、会うのはわずか三回目だが、顔を見れば言いたい事が解る。

 バードはキョウを避けていた。

 あの時、キョウがどこに居たかも知っているし、何を見たのかも報告を受けている。自分もあの場に駆けつけたかったと言いたいが、言ったところで変わりはない。

 しかし、バードはキョウの衣装を見て、すぐに何かを感じ取った。だからあえて声を掛けたのだ。

「言いたい事は解るし、言い訳はしない。ただ、まぁ、少しばかり聞いてくれ。お前は昔から活発で、在る時など、二週間ほど遭難して帰って来ない日もあったぐらいだ」

 キョウは余り覚えていないが、そんなことも有ったらしい。

 ニグスベールの人々は慌て、協力を頼み、捜索して、霧にやられたかと諦めた時、ひょっこりとキョウは帰って来たらしい。

 使用人(いわ)く、ニグスベールの奇跡と題名すら付いている。

「それからは剣の鍛練(たんれん)に明け暮れ、騎士団長の俺が肩身が狭く思うほどの、しっかりとした騎士像を持っている」

「だから何だよ。昔話なら、母親か使用人とでもしてくれ」

「いや、昔話でない、今の話だよ。何時(いつ)までもそうあってくれ。もし、私達が違う土台に立っても、自分の守る者を守る騎士でいてくれ。私が目指した騎士だ」

 バードはそう言って再び敬礼をした。

 キョウの話をしていたはずが、いつの間にか自分の話になってしまった。

 あっけに取られているキョウを残し、バードは台所を出ていく。

 思えば騎士の事や、親子の思い出話など、そうやって話すことも元々少なかった。

 台所を去り行くバードは懐かしい風景に浸っていた。

 長男、長女が生まれ、しばらくして、次男のキョウが産まれた時、世界は霧に(おお)われていた。バードとしては有り難い時代だった。

 大戦から幾分(いくぶん)経ち、騎士を必要としない時代では、剣の腕が良い、一騎士のバードには上にあがる(きざ)しは無かった。しかし皮肉にも、皆が恨んでいる霧のお陰でバードは一躍脚光(いちやくきゃっこう)を浴びた。衰退(すいたい)していた歴代の騎士達を尻目に、バードは霧に変化した者を切り裂いていった。

 騎士団長バード・ニグスベールは、霧と共に現れた騎士なのだ。

 そしてキョウは霧しか知らない世代。平和な時を知らず剣の腕がを磨いた。

 剣技については、いつかはキョウに追い越されると思っていたが、一年前にアッサリと抜かれた。

 一度手合わせをしようと誘ったのはバードの方だ。

 日頃からキョウの剣の腕前は目を見張るものがあった。どうしても実力を知りたかったバードは、木製の剣でなく、お互いに愛用の剣で対峙した。

 バードは(さや)のまま、剣に(さや)のないキョウは剣に布を巻いて。

 一般的な、正眼の構えのバードに対し、キョウの変則的な構え。最初は妙な構えを覚えてきたなと思った程度だ。

 右手の剣を担いでいるなら、そこからのパターンは袈裟斬りか、バードから見て右からの胴狙い。

 そう思い、始めの合図した瞬間に背筋が凍った。

 剣に長く携わっていたから解る。キョウからは幾つもの剣の軌道が見えた。

 上からや右に注意は勿論(もちろん)だが、左からの軌道も色濃く見える。左からの軌道は、担いでいるかぎり頭部が邪魔で、無理矢理に左の方へ剣の軌道を変えても、体の(しん)がぶれ大した一撃に成らない。なのに関わらず色濃い軌道。

 別の切り方があるのか。

 そして下。

 下から競り上がる軌道。

 担いでいるにも関わらず下から。それは不可能では無いかと思われる。なのに軌道が見える。

 結局はキョウの放った袈裟斬りに、バードは一歩も動く事なく、アッサリと勝敗が着いた。

 まさかそんな域に達しているとは思わなかった。慢心(まんしん)していたにしても(ひど)すぎる結果だ。

 しかし、キョウは天狗になることなく、父親は本気で無かったと言い、まだ自分では本気にさせられる実力が無いと、以前に増して幾度となく剣を振るう。

 そこまでして強く成ろうとする、キョウが目指している場所がバードには解らなかった。

 だが、今なら理解できる。

 同じなのだ。

 一騎士だったバードと同じく、それしか無いのだ。

 権力を使い人々を守る事も、頭脳を駆使(くし)して人々を守る事も出来ない。

 キョウは剣でしか、人々を守る事が出来ないのだ。

 それには幾ら技術があっても足りなく思うのは仕方がない。

 その剣で、誰を守るのか。

 バードはキョウにしばらく会えない気がしていた。



 再び馬をレンタルして、やっとの思いで国境の領地に着いた。

 今まであまり会話の無い父親が、こんな時にかぎって話しかけてくる。しかも、前もって伝えておいた馬のレンタルも、手違いを起こし、替わりの馬が来るまでさんざん待たされた。おかげで、馬を急がせようと何度も鞭を打ち付け、馬には悪いことをした。

 キョウは馬を返し、国境の門に向かって走る。

 全力疾走で人々の間を抜けると、国境の門が見えるのと同時に、リオの小さな姿が目に飛び込んできた。

 間に合ったと、息を切らせてリオの前にやってくるが、リオは怒ったように、目をつり上げたままキョウを見ていた。

 キョウは荒い息のまま恐々聞く。

「はぁ、はぁ、遅れたか?」

「いえ、まだ五分あるわ」

 良かったとキョウは荷物を下ろすと、地面に座り込み息を整えた。荷物を持ったまま全力で走ったので、春先と言うのにもう汗だくだ。

 少し離れた場所には、見送りに来たのだろう、マストロが民家の壁にもたれ掛けていた。キョウは片手を挙げて挨拶する。

 しかし、時間に遅れてはいないのなら、リオは何を怒っているのだと、キョウは顔を上げリオを見た。

「キョウ、剣を貸して」

 キョウには意味が解らなかったが、言われたとおり、握りをリオに向けて差し出す。

 リオは剣を持上げようとして、「重っ!」とよろめく。

 当たり前だろう。バスターソードまでいかないが、大振りな剣だ。リオには(あつか)いにくい。

 それでもリオは、腕を震わせながら、剣先をキョウに向けた。

 思わず身構えそうになるのを、なんとか押し(とど)める。

 リオは剣の重さに、歯を食い縛りながら話し出したので声が震えていた。

「キョ、キョウはこれから、本格的に危なく成っても、私に帰れって言わないと、やっ、約束できる?」

 そこで、リオが何をしたいのかが解った。

 キョウは(かが)んだ姿勢のまま片膝を付き、右手を胸に置き(こうべ)()れた。

 それは、騎士の行う最高礼。

「――――誓います」

 恐ろしいほどに()んだ自分の声に内心驚く。

 周りは騎士ごっこを観ているつもりなのか、皆が足を止め観客は増えていったが、全く気にならなかった。

「私はイップ王女でなく、リオとしてまっ、(まい)りますが、着いてきますか?」

「――――お供します」

「それは、セリオンとしてでなく、キョウとしてですか?」

「キョウ・ニグスベールが、リオをお守り(いた)します!」

 リオが再びよろめく。そろそろ限界だ。

「でっ、では、私に(したが)い、私の為だけに剣を振り、何処(どこ)までも、つっ、着いてくると誓いなさい!」

(おお)せのままに!」

 キョウのその台詞で、リオは剣先を地面に付け、今度は剣の横腹を持上げキョウの方に返す。

 キョウは剣を両手で受け取った。

 周りからは拍手が起こる。ちょっとした出し物感覚だろう。

 それを観ていたマストロは、凄い瞬間に立ち合ったと、壁から背を離し、一人体を震わせた。

 今、この場に居る誰もが気付いていない。多分、あの二人さえも。

 これは歴史に残る瞬間かも知れないのだ。

 王宮でもなく、王の接見(せっけん)の間でもない。ただの国境の村の、村はずれなのだが………。

 ――――――霧を止める姫と、その騎士――――――

 前世など関係なく、この二人はそれに成るかも知れない。だから、彼女は騎士の儀式を今したのだ。

 前世のイップ王女の騎士でなく、リオの騎士として着いてきてもらうために。

 騎士の儀式を受けたのは二度目だが、あの時より嬉しかった。リオはセリオンとしてで無く、キョウを選んでくれたから。

 キョウは立ち上がると剣を腰に下げ、騎士のとる敬礼をリオに向けた。

「――――ここに、リオ・ステンバーグの騎士が誕生したことを宣言する!」

 リオの高らかな宣言に、キョウは清々しく胸を張った。

 「わーっ」と沿道がわき、二人は人だかりの真ん中を通って門に向かう。

 空は出発にはもってこいの晴天(せいてん)だ。

 リオは一度だけ振り返り、マストロに大きく手を振った。マストロも小さく振り返す。

 確かに、あの二人の間に自分は相応しくなく思った。

 マストロには歴史を背負う力はない。しかし、家族をだかえてこの村を守るのが自分の出来る事だと思う。

 出来る事をしないと、自分より一回りも二回りも若い者に笑われる。

「毒されたか」

 マストロの胸には、しばらく忘れていた、熱いものが込み上げてきた。

 騎士に成ると決めた、あの時の様に()れやかで、誰にも誇れた自分。

 しばらくして、マストロは傭兵の名を自衛団と変え、村を守って行く事を決める。

やっと序章が終わった感じです。キョウとリオの記憶も少し解って来ました。次は魔法についてリオは語ります。

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