10 霧を止める者の騎士 2
セリオンはキョウの前で立ち止まった。
バスターソードよりも、一回りも大きな大剣を振り回すわりには細身で、身長も百七十センチほどだろう。
腕はキョウより太いが、ずば抜けて太い訳でもない。標準より少し太いくらいだ。しかし、その体でここまでの大剣を振り回すなら、筋肉でなく技術で振り回しているのだろうか。そうとすれば、恐ろしいほどの剣技だ。
後ろにはイップ王女が、数人の騎士とマグナに囲まれ、守られながらやってくる。
キョウはその光景を見つめたまま動けなかった。
二百名の兵士に囲まれるよりも、命の覚悟を迫られている。
その者が目の前にいるだけなのに、喉が乾く。
セリオンはキョウに頷いた。
キョウは、ただ睨んだまま動けない。
兵士達はその光景を見守り続けた。
「イップ王女から話は聞いた。しかし、お前とは剣を交わしたくない。退いてくれ」
キョウは何度も唾を飲み込み、やっとのことで声が出せた。
みっとも無いことに、キョウの声は震えている。
「こっ、断る! 今、俺の姫が空間輸送システムを止めている。悪いが、誰であろうとここを通す訳には行かない!」
キョウの腰の引けた声に、兵士達は誰一人として笑わなかった。
鎧ごと人間を飛ばす者だ。それと対峙すれば、そう成るのが正常な反応だ。それでも道を譲らない分、若い騎士はまだ度胸がある。
セリオンはキョウの言葉を聞き、微かに唇を上げた。
本来、セリオンが望んだ通りに事が進んでいる。イップ王女には悪いが、このままの方がセリオンにとっては有難い。しかし、イップ王女は護衛の騎士の間から抜けると、キョウの前にやって来た。
「キョウ、リオは中に入ったのか? 何と無謀な!」
責めるようにイップ王女はキョウを睨んだ。
「直ぐにリオを呼び戻せ! 霧も少ない今なら間に合う。あれを壊すのはセリオンしか無理だ。リオには………」
そこで要約、イップ王女は何かに気付いた。
イップ王女は不審に片目を目を細める。
「………何故、キョウはここにいる?」
今までと声のトーンが違う。
イップ王女は自分達と同じく、リオはキョウにシステムを壊してもらうと考えていたのだろう。
「俺は行かない、することが有る」
キョウの台詞で、イップ王女は、やっとリオの言っていた意味を理解したようだった。
「壊さなくとも、本当に止まるのか?」
震えながら問い掛けるイップ王女に、キョウは頷くことで返事を返した。そこで、イップ王女とセリオンの表情が変わった。
厳しく、睨むような表情。
法国の兵士は、数人が霧に乗っ取られ、それを倒すために辺りは騒がしく成り始める。マグナと護衛の騎士は、そちらに意識を取られている。
イップ王女の護衛の騎士達は、霧に乗っ取られた者を近づかせないため一歩前に出た。マグナは魔法の矢を出し、狙いを定める。しかし、マグナの魔法は、霧に乗っ取られた者だけを上手く狙えないので、マグナも前に出た。
周りが騒がしくなる中、三人だけは霧を無視して、そのまま会話を続ける。
「お前、これの事を、空間輸送システムと呼んだな?」
「あぁ、それが正式な名前だ」
「正式だと? なぜ知っている?」
鋭さを増したセリオンの問い掛けに、キョウは答えず、ただ、睨むだけであった。
どう答えていいか解らないし、どこまで話していいかも解らない。
そこで、イップ王女はキョウの後ろの、穴の中から制御盤に繋がる、何本ものケーブルに目を向けた。
イップ王女はこれが制御盤とは知らないし、制御盤の中に何が入っているかも知らない。しかし、キョウ達はそれを利用しているのを見て、やっと理解した。
リオとキョウのほかに、もう一人の女性が居たはずだ。
「あの時いた女性は、そうなのか?」
震えながら問い掛けるイップ王女に、キョウは再び頷いた。
「そうだ。ユキナは向こうの人間だ。しかし、リオはユキナと会う前から、空間輸送システムを理解していた。だから、これはリオのアイディアだ、リオは霧を止められる!」
確かにユキナにより、リオは空間輸送システムの全てを把握した。しかし、リオが居なくては止まらなかったことを、どうしても伝えておきたかった。
イップ王女は理由が解っていても、なぜ自分に伝えてくれなかったのかと、心のなかでキョウやリオを責めた。
「だからイップ姫、リオに任せてくれ!」
キョウの台詞にイップ王女は眉間にシワを寄せた。
「いや、それだけは譲れない。キョウ、その方法を教えよ。リオに代わり妾が行う!」
「無理だ!」
「何故だ!」
「イップ姫――――貴女がもし、二万七千の言葉を知らないとして、それを直ぐに覚えられるか? 今、リオがやっているのは、それ以上の内容だ。いいか、リオは二万七千の言葉の意味も理解しているんだぞ」
その言葉に、イップ王女の顔が驚きゆがむ。
確かに、二万七千の言葉をすぐに覚えるのは無理だ。しかも、二万七千の言葉に意味があったとは知らなかった。
リオがそこまでの者とは思っていなかった。対峙したときは、度胸の有る、しっかりとした子供と思っていたが、しょせんは子供という考えが大きかった。
リオは自分の記憶があるから、この装置の事を詳しいと思っていたが、自分より詳しくは知らないと思い込んでいた。なのに、キョウの話す内容は、逆にイップ王女が知らない内容ばかりだ。
ここに来て、立場が全く逆に成ってしまった。
キョウがあのときに言った、「リオにそう言った誰もが無理なんだ」の台詞、それはこう言う意味だったのだ。
「イップ姫、後悔してももう遅い。リオに記憶を植え付けたのは貴女だ。リオを侮るな!」
確かに、セリオンに壊してもらうより、向こう側の人間のユキナが付いているなら、子供のリオがどこまで出来るか解らないが、その方法で止める方が確かだろう。
このまま、何も出来ず、任すしかないのか。
「………そうか、壊さなくても止まるのか」
どこか寂しそうに、イップ王女は呟いた。
その表情に、キョウの胸が痛む。イップ王女の気持ちが痛いほどわかる。
国民の発展を望み、人々を助けようと奮闘した、今まで生きてきた全てが無駄で、イップ王女には何も出来ない。
彼女は見ている事しか無いのだ。
しかし、キョウには掛ける言葉が見つからない。それはセリオンの役目だから。だが、セリオンは何も言わなかった。
セリオンもキョウの気持ちと同じだが、心の片隅ではキョウ達に感謝していた。
イップ王女の気持ちは解るが、それでも、行かせたくはない気持ちの方が大きい。
自分が付いていようが、向こう側の世界に対しての不安もあったし、壊す過程で、霧によって命を落とす可能性が大きいかったからだ。それほど穴の中の霧は多い。
だから、これはセリオンの拙い作戦が成功した結果なのだ。
マグナもキョウの相手をしていないのには訳がある。
マグナは霧に乗っ取られた者を相手しながら、セリオンやイップ王女の同行を探っていた。
セリオンやイップ王女の気持ちは解るが、それでも悪いが、キョウ達が失敗すれば、マグナの魔法で地下の施設を破壊するつもりだった。
そだけの大きな魔法に、彼の枯れた身体は持たないとおもうが、彼自身の死に場所はそこだと決めていた。 この二人に恨まれるだろうが、年寄より若者を先に行かせるわけにはいかない。
セリオンとマグナは、イップ王女をこの世界に留まらす為に、王女を欺いている。
しかし、イップ王女はいまだに食い下がる。
「キョウ、それなら頼む。妾には無理でも手伝わせてくれ、このままでは、リオは一人で行って………」
イップ王女はそこで言葉を切り、不思議そうにキョウを眺める。
キョウは、イップ王女に記憶の話を聞いた時に、空間を閉じればリオが戻って来られないと解って、他人から見ても解るほど動揺していたのだ。それなのに、リオとイップ王女が話していた時や、現在リオが空間を閉じていると言うのに、余りにも普通過ぎる。
キョウはまだ隠している。何が有るのだな、帰れる方法が。
イップ王女は少しだけ目を細めた。
「キョウ、先ほどお主が口にした、する事とはなんだ?」
その台詞で、今度はキョウが顔をしかめた。思わぬところで失言した、イップ王女には隠し通さなくてはいけなかった。
キョウは、リオをこちらに帰すことばかりに頭が行き、思わず口にしてしまったのだ。
「帰るための準備か? それなら、その方法は一つしかないな。キョウ――――もう一度開けるのか?」
キョウは答えない。いや、答えられないでいた。ただ、二人を睨んだまま佇んでいた。しかし、それが答えだと解ったのだろう。場の空気が一気に変わる。
今まで二人は、こちらに気を使い、友好的であったのだが、もう変わっていた。
イップ王女の敵を見る眼。
セリオンの膨れ上がった殺気。
キョウはここまで反応するとは思っていなかった。やはり、リオの判断は正しかったのだ。そして、イップ王女の判断も早くて正確だった。
「セリオン、あれを壊せ!」
イップ王女は制御盤を指差す。
「はっ!」
しかし、セリオンが動くよりも、キョウの行動は早かった。
剣先をセリオンに向けた。
今までの、セリオンに対しての恐怖は薄れていく。
制御盤を壊されれば、リオはこちらの世界に帰ってこられない。それだけは避けなければならない。
そして何より、リオの邪魔をするものは、誰であろうと許さない。
「動くな!! 制御盤は何があっても壊させない! イップ姫の気持ちは痛いほど解るが、それでも、リオの邪魔をするものは許さない!!」
「退け! お前ごと切り伏せるぞ!」
セリオンも殺気を放つ。
セリオンやイップ王女に対して、開けると言う行動は、何を置いても阻止すべき内容なのだ。
目の前で見てきた人々の惨事。
手を差し伸べても助からない人々。
イップ王女にしては、国民の為を想っての行動が、国民の死に値した後悔。
セリオンにしては、人々を自らの剣で救えなかった事実。
何を置いても止めるべき行動。
二人は、空間輸送システムの内容が解らないので、なおさらだろう。
しかし、キョウにしてもリオを守る為の唯一の方法。
お互いに譲れない想い。
「キョウ、お主にもその記憶は在るだろう。其でも尚、開けると成れば話は別だ。そこを退かなくては、お主に未来はないぞ!」
イップ王女の台詞に、キョウは心の中で謝った。
植え付けられた記憶だが、その生き様や容姿に、ずっと憧れていた女性。
セリオンと同じく、鳶色の瞳に恋い焦がれていた。
しかし、今は違う。
この二人からすれば僅かに思うかも知れないが、それでも、ほんの僅かでも、キョウは見ていたのだ。
この旅の間に作ったのだろうか。
いつの間に傷を負ったのか解らない、細かい傷跡が一杯ある小さな手で、多くの悲しみを必死に受け止めようとして、短い指を大きく開けた、青い瞳の小さな者。
キョウは一番近くで見ていた。
その彼女を誰よりも守りたかった。
キョウは真っ直ぐにイップ王女を見つめた。
「イップ姫、リオのする事を理解できない貴女に、未来を語る資格はない!」
イップ王女はキョウを睨む。
キョウはその憎しみを真正面から受け止めた。
「お前にとっては、ただの記憶か。しかし、あの惨劇は目の前に有った現実だ。それでも開けると言うなら、覚悟を決めろ!」
セリオンの台詞にキョウは頷いた。
「俺にはなセリオン、あんたの記憶がある。――――俺の想いはあんたと同じだ!」
「どこが同じだ! 俺と同じなら、あれを閉めれば二度と開けられない!」
「セリオン、それでもだ! 亡くなった者には悪いが、それでも俺は我が姫の為に開ける!」
キョウは開けると言い切った。
不思議な感覚だ。閉めに来たのに開けるとは。
王国ファスマの前王、ナイル・ファディスマは技術の発展により、大戦を回避しようとした。
奪うより作る事で、人々の目を反らせようとしたのだ。だから、空間輸送システムを開けるために建設した。
そして、イップ王女は、豊かな国を目指すため、技術を上げ、他国の追撃を許さない程の技術を手に入れようとした。だから、空間輸送システムを開けようとした。
どちらも自分の為にではない、他人のためにだ。それは素晴らしい考えの元に、空間輸送システムを利用しようとした。
しかし、キョウは自分の為だけに開ける。
離れたくない。
その想いの為に。
それは愚かな行動だと、自分でも解っている。
「だけど、それでもあんたの姫より、俺の姫の方が未来を見ている。閉めて終るのでない。リオはこれを終わりとして見ていない。リオの物語はここから始まるんだ!」
二人は互いに睨み合った。
セリオンはバスターソードより、一回り大きい剣を、右手に構えたまま、キョウに剣先を向けた。
「解った。なら、もう何も語らん。お前はお前の為に足掻け。俺は俺の信念を貫き通す! 空間を閉じるのはくれてやる、しかし、開けさせはしない!」
キョウは、バスターソードに満たない、大振りの剣をいつものように担ぎ、左手を前に出す。
「俺はな、セリオン、あんたの様に逃げたくない。自分の守る者を守る騎士で在りたい。それだけだ! 制御盤を壊してみろ、俺はその隙にイップ姫の首を狙うぞ!」
キョウとセリオン、互いに守るものの為、二人の戦いが始まった。
剣の横には、互いに同じアルドネル・エマのブランド名。互いに片刃で、大振りの大剣。
まるで何かに導かれたように同じ形の剣。
ただ、違うのはその剣の大きさのみ。
キョウのロングソードより一回り大きい、ハーフバスターソードに比べて、セリオンのバスターソードは、それよりも二回りも大きい。しかし、それこそが絶望的な問題だった。
セリオンは先ほど兵士を、刃の付いていない峰で飛ばしていたのだ。それが刃の有る方なら、あの大剣だ。鎧を着ていようが、関係なくそれごと切り裂かれる。
しかも、キョウのハーフバスターソードでは、軽い一撃なら、正式な騎士の鎧は切り裂けない。鎧の隙間を狙うか、必殺の一撃を狙うしか傷を与えられない。
そして、一番の問題は剣技。
キョウの剣技はセリオンの型を真似をしている。
本来はバスターソードで行う剣技。キョウのハーフバスターソードでは軽く、本家にどこまで通じるかわからない。
この時点で、どこを取っても、キョウが有利な点が見えてこない。キョウが勝てないと思った点はそこである。
しかし、だからと言って譲れない。この戦いにはリオの生還がかかっている。
だからキョウは、剣を担いだまま、片手で器用に胸当てを取り外した。それから剣を腰につける為の、金具の着いたベルトも外す。
イップ王女は不思議に思い、眉毛を下げていたが、セリオンにはキョウの企みが解った。
鎧を着ていても、セリオンには関係なく斬り裂かれるだろう。それならば、鎧を着ていようが、いまいが関係ない。
だからせめて、身体を軽くして機動力を生かせたのだ。
少しでも勝利に近づくために。
これでキョウがセリオンに勝っているのは、速さがある。
小さいことだが、今は自分の速さを信じるしかない。
全くもって不利な戦い。セリオンの一撃が当たれば、終わりなのは目に見えている。そして、キョウの速さを生かした攻撃も、軽い攻撃なら鎧にはばかれるだろう。
セリオンは片手で、重いバスターソードをキョウに向けた。
肩に剣を担ぐ、いつもの構えではない。
いくら速さを得ても、キョウ相手に本気になれないのだろうか?
「王国ファスマ、イップ・ファディスマ王女の騎士、セリオン・ランディバー!」
記憶の中で、幾度となく自分が語った台詞だ。
相手から聞くとは夢にでも思わなかった。
しかし、今のキョウも誇れる名がある。
リオ、絶対守るからな。
キョウは心の中で呟いた。
キョウは、それほどの敵を前にして、危険なことに一度目を閉じ、そして見開いた。
その瞳には力がある。
「所属国は無い、霧を止めるリオ・ステンバーグ姫の騎士、キョウ・ニグスベール!」
キョウは、セリオンの得意な担ぎ構えのまま駆けだした。
鎧で身を固めた者と、鎧を着けない軽い者。
初速は勝はずだ。
セリオンはその場から動いていない。
キョウは得意にしている、袈裟斬りからの競り上げで、相手の剣を飛ばす方法を思い描いた。
重い剣ではね飛ばせ無くても、相手に隙が出来るはずだ。
キョウは剣に左手も添え、切りかかろうとした。
セリオンは右手の剣を振る。セリオンとキョウの距離は遠い。キョウより大きい剣でも、まだまだ届く範囲ではない。
しかし、急に背筋に寒さを感じ、自分の剣を盾代りにして左側を守る。
それは勘としか言いようが無かった。
突如、横殴りにキョウは叩き付けられる。
キョウは自分の剣で受け止めてから、右に跳びのき衝撃を殺してから、驚きの表情でセリオンを見た。
心臓の鼓動が早い。完全に不意を突かれ、自分でもよく避けたと感心する。
だが、何をされたのか解らない。完全にセリオンの攻撃範囲外のはずだ。
剣がもし届くなら、方法は投げるしかない。しかし投げたなら、横から来るはずもなく、正面から向かって来るはずだ。
それに、投げていないことは、セリオンの手元に有る、大剣が語っていた。
今の感覚からすれば、剣か腕が延びたように感じる。
それは、技と呼べるものでないのは確かだ。しかし、キョウが動きを止めたのは一瞬だった。
セリオンの目線が制御盤を捉えた瞬間、キョウは再び駆けだす。
考えろ、何か理由があるはずだ。
キョウは走りながら自問した。
リオと出会う前のキョウなら、理由が解らないだけのことで、戸惑い、近寄ることさえ出来なかっただろう。
しかし、キョウはリオに出会って、難しく理解できない話を何度も聞かされて、成長したのだ。
――――物事には必ず、理由がある。
それは、リオの科学的な考えだ。
しかし、考えも、距離も残したまま、セリオンの次の攻撃が始まった。
セリオンは右手を振り、直ぐに大振りの剣がキョウに襲い掛かる。
キョウはそこで見た。
セリオンは剣を握っていなかったのだ。
セリオンのバスターソードは、紐に繋がれたように、離れたキョウを襲って来たのだ。
ワイヤーか、紐か。
理由が解れば簡単だ。
キョウは足を止め、自分の剣でバスターソードを弾く。
しかし、紐で振り回しているだけなら、簡単に弾ける剣が、ズシッと重い。
キョウは渾身の力で跳ね返した。
セリオンの剣は、緩やかな弧を描きながらセリオンの手元に戻る。
ワイヤーや紐ではない。それも、ただの技術ではない。
魔法か、もしくはユキナの世界の技術か。
「止めておけ。いくら身体を軽くしたところで、俺に近付けなくては無意味だ。――――キョウ、お前では勝てない!」
「セリオン、あんたに俺の何が解る? 俺の記憶でも持っているのか?」
キョウは皮肉に返す。
セリオンはキョウの台詞には反応せず、制御盤に向かって歩き出す。
キョウはそれを阻止するために、イップ王女の首を取ると言った。だが、今の技術があれば、離れた場所からでもキョウを狙えるだろう。
考えろ、この状況を見て、リオならどう答える?
キョウは急いで、セリオンと制御盤の対角線上に戻り、頭を働かせた。
少し警戒したために、さきほどより距離が開いている。
セリオンは再び右手を振る。
キョウは両手を、クロスさせた構えをとり、セリオンの剣をいなす。
その時、あることと、ほんのわずかな違和感に気付いた。
微かにだが、セリオンの剣が軽かったのだ。
そして、右手。
攻撃の時には、必ず右手は振っている。
キョウは少しだけ笑った。
キョウに科学を理解する頭はない。だが、離れて力が弱くなるなら、何らかの力がセリオンから出ているはず。
だから、その力が重力で有ろうが、電磁力で有ろうかは解らなくてもいい。
要はセリオンの持っている、何かを壊せば良い話だ。
右手を振るなら、右手近くに有るはず。多分、手首に。
キョウは大きく息を吸い込んだ。
セリオンが攻撃を仕掛けようが、剣が離れているなら、キョウでも弾けるのは解った。
キョウは速さを生かし、一気に懐まで潜る為に走った。
セリオンの剣がキョウを阻むが、一度は身体を反らし、一度は剣の握りの下で斜めに叩き、軌道をずらした。
止めることが出来ず、目の前にやって来るキョウに対して、セリオンは初めて自分の大きなバスターソードを握り、構えた。
セリオンにはキョウの思惑が解った。
この技の正体がバレたのだ。キョウはセリオンの手首の制御装置を狙ってくるだろう。しかし、それだけの事。使い勝手が良いから今まで役に立っていたが、本来はこんな物を必要としない。
セリオンは両手で、正眼に構えた。
剣を構えたセリオンに対し、キョウは、とにかくこちらの剣の届く範囲に入らないと話にならない。攻撃範囲は向こうの方が大きい。
駆けて来るキョウに対し、セリオンはバスターソードを振り下ろす。
その一撃は速い。
しかし、キョウは剣を担いだまま、低い姿勢でセリオンの懐まで潜り込んだ。
キョウの肩に担いだ剣が、セリオンの一撃を受け流す。
キョウは受け流した後、両手で握りしめ、右側から薙いだが、セリオンは後ろに跳び、キョウの一撃をかわした。
キョウはさらに追撃する。
コンパクトで早い連撃。
以前、バードに遣られた戦略を、キョウが使っているのだ。
あれにはキョウも手を焼いた。
セリオンも負けじと応戦するが、手数ではキョウが勝り、セリオンの剣はギリギリでかわされ、何度も空を斬る。
キョウの読み通り、速さなら勝っていたのだ。
しかし、このままでは致命傷は与えられない。
さらに、空を斬るセリオンの剣は速く、ギリギリでしか避けられず、何度も身体をかすり、キョウの身体を傷つける。気を抜けばその場で終りだ。
キョウに不利なのは変わりなかった。
しかし、キョウは攻撃の手を緩めない。
セリオンの本気の一刀は、キョウにはいなせない。だから、大振りの一撃を出させない攻撃だ。
二人の攻防は、どちらも退かぬまま、激しく続いた。
キョウとセリオンが戦っている周りでは、霧に乗っ取られた者との戦闘が続いていた。
イップ王女の騎士達は、近付く霧に乗っ取られ者を倒すが、マグナは法国の兵士達に手を貸している。
それは優しさからではない。
法国の兵士は連係が取れず、徐々に混乱が大きくなっている。混乱が大きいと、これだけの人数だ、イップ王女の身の危険に関わる。
その時、再びこの部屋に来訪者が現れた。
ローランド率いる、親衛隊合わせて百八十名の兵士。
ローランドは部屋に入るやいなや大声を上げた。
「法国の兵士達よ何をしておる! 霧に乗っ取られ者ていどの相手に翻弄されるな! 二人ペアで、互いの背中を守りながら、冷静に状況を読み取り、意識を強く持って事に当たれ!」
現れたローランドは、直ぐに現状を読み取り激を飛ばす。下火に成っていた、デルマンの引き連れた兵士達は、それだけで士気を取り戻した。
「我が部隊は、先に怪我人を確保、安全な場所まで連れていけ! 残りの者は討伐を手伝え。ヘラルド、あとの指揮を頼む」
ローランドは、自分の親衛隊の隊長に指揮を任せると、キョウとセリオンの方に目を向け、対決している二人と、後ろに広がる大穴を見て、今霧を止めるために何かが起こっていると理解した。
しかし、ローランドにはレナ姫との約束がある。まずはそれからだ。
「デルマン第三皇太子! 何処におる!」
ローランドが声を上げたその時だった。
キョウとセリオンは剣で押し合い、互いを押し飛ばす形で、一旦距離を置いた。
セリオンは侮っていた。いくら自分の記憶が有っても、少年にここまで追い付かれているとは思いもよらなかった。
キョウの剣は、鎧を脱いだから程度の速さではない。
速いし、重い。
刃筋が通っているからだ。
しかしそれは、剣の腕が天才的に上手いからで無いと、キョウの太刀筋からうかがえる。
キョウは何一つ、天や神からタダで受け取ったものはない。
そして、セリオンから受け取ったものだけでもない。
それは、血の滲む鍛錬の表れだろう。
――――仕留める!
セリオンの殺気が極限まで上がった。
今までの様に、小手先の技は使わない。最大の力をもってキョウを両断する。
セリオンは、大振りのバスターソードを、肩に担ぎ、左手を差し出す、いつもの構えをとった。
キョウにも解っていた。次がセリオンの本気の一撃だと。
キョウもバスターソードに満たない、大振りの大剣を肩に担ぎ、左手を差し出す、いつもの構えをとった。
左右逆だが、互いに鏡に写したように同じ構え。同じ剣の形。
両方とも、相手の呼吸を読んだ。
そして、ついにその時がやって来た。
音もなく、何の前兆もなく、突然に、床にあった大穴が消えた。ユキナの世界が元に戻ったので、こちらも元に戻ったのだ。
それは、十八年間苦しんだ、人々を悲劇の底に追いやった、事の発端が閉じたのだ。
それは、これからは、霧の無い時代が来ることを示していた。
キョウとセリオンの攻防を見ていたイップ王女は、目を見開きその場に座り込む。
彼女の望んでいた事が、リオの手により、今、現実の物となった。
「終わったのか? これで、霧が現れないのか?」
イップ王女は複雑な感情のまま、穴のあった床を見つめ続けた。
望んでいた筈なのに、悔やまれる。せめて、自分の手で決着を着けたかった。
イップ王女が何も出来ないまま、宿敵は消え失せた。
しかし、心のどこかに安堵感が現れた。
イップ王女の言葉に、マグナも、王女の騎士達も、ローランドも足を止め、その現状を見わたした。
そして、ローランドが現れることにより、収束しだした周りの兵士達の剣が、しだいに下がっていく。
この場で、剣を構えているのは二人のみ。
誰もが、その光景を見守った。
セリオンは内心の嬉しさを隠していた。
これで、イップ王女を失うことはない。後は、あれを壊せば完璧となる。
二度と、霧による崩壊はなく、世界の安全は守られる。
「キョウ、お前達は良くやった。しかし、もう諦めろ! ここからは誰も望まん!」
嬉しいのはキョウも同じだ。
無理だと何度言われても、リオはやり切った。
初めて会った時は、子供には無理だと心のどこかに有った。
だが、日を重ねていく度に、リオを知っていく度に、本当に閉まるとキョウは信じた。
そして、現に、リオはその言葉通り、霧を止めた。
キョウが信じた様に、リオもキョウを信じたから、迷いなく空間の穴の中に入っていった。
あとはキョウが約束を守るだけ。
姫の命令を守るだけだ。
「セリオン、俺にはあんたの記憶があるが、あんたとは違う。リオは宣言通り、霧を止めた。次は俺の番だ!――――俺は諦めない! 俺はリオを、我が姫を助ける!」
キョウは目を見開き、セリオンを見る。
お互いに譲れないもの。
息が合った。互いに息を吸い込むと、二人は相手に向いて駆け出した。
先に剣を放ったのはキョウだ。
まだセリオンの間合いですら無いのに、袈裟斬りに振り下ろす。
セリオンは自分の間合いに来てから、袈裟斬りにキョウを狙った。
キョウが選んだのは、速さではなかった。一番不利な、力で相手をねじ伏せる方法だ。
キョウは剣を下から競り上げる。
キョウとセリオンの剣が重なった。
互いに力任せに、互いに相手の剣を弾こうとする。互いに、刃筋は通っていた。
ここから起こったことは、流石はアルドネル・エマ、流石はセリオンとしか言えない。
ガキンと鈍い音がなり、キョウの剣先が、真ん中辺りから宙に浮く。
信じられないことに、セリオンはキョウのハーフバスターソードを斬ったのである。
回転しながら飛んでいる、キョウの愛刀の刃先。
終わったと、観ていた誰もが思った。
しかし、セリオン相手に、若い騎士は良くやったと、誰もがキョウの功績を讃えた。
勝った。
セリオンはそこで、初めて気を抜いた。
キョウの瞳には、剣を折られてなお、諦めの光は宿らない。
まだ力がある。
これで、また少し軽くなった。
キョウの次の行動は、さらに速かった。
キョウは折れた剣をそのままセリオンの首筋に当て、目で追っていた愛刀の剣先を取るために、セリオンに抱き着いた。
とっさにセリオンは慌てるが、もう遅かった
回転しながら宙を舞う、自分の愛刀の剣先を左手で受け取ると、そのままセリオンの背中にある、鎧の隙間めがけて突き刺す。
セリオンは思わぬ反撃に、背中を反らせ、キョウに抱き着かれたまま、膝を折った。
「グッ!」
「終りだ、セリオン!!!」
キョウはセリオンの首の血管を狙い、折れた剣を振り抜こうとする。
「待て! 待ってくれキョウ!!」
その声に、キョウは思わず手を止めた。
イップ王女は、屈んだ姿勢のまま、キョウを見つめている。
「頼む! 都合が良いのは解るが、これ以上、これ以上は妾から誰も奪わないでくれ!」
涙ながらに訴える、イップ王女に対して、キョウは剣を振り抜けなかった。
甘いとは解っている。父親にも指摘された所だ。
だが、それでもキョウにはそれ以上、剣を振ることは出来なかった。
それほどイップ王女は多くを失いすぎていた。これ以上は、記憶があるキョウに、奪うことは出来なかった。
「お主が妾に聞いた台詞。その答えは解っておる! ………空間を閉まった時、妾は悔しいことに喜んだ! 解っておるのだ。それは皆のためではない………セリオンが行かなくて、無事で良かったと安心したのだ! 皆のため、国民のためとは口で言いながら、妾はこの地で、セリオンと共に生きられる未来に、安心したのだ! キョウ、頼む! 跳ねるなら妾の首にしてくれ!」
涙を流しながら、イップ王女は床に伏せる。
誰も、何も言えなかった。
キョウはセリオンから離れて、上から見下ろした。
セリオンからは、今までの闘志は消え、床を見下ろしたままだった。
自分の仕えている、イップ王女からの言葉だ。認めないわけにはいかない。
「――――キョウ、俺の負けだ、好きにしろ」
キョウは何も答えなかった。
剣技ならセリオンは勝っていた。キョウが幾ら速さを得ようとも、敗ける戦いではなかった。
勝てなかったのは意識の違い。
セリオンは空間を閉めたことで、キョウやリオに感謝の気持ちが出来てしまった。そして、心のどこかでは、閉めることの出来る、彼等なら開けても大丈夫だという、考えが生じた。
それに対して、キョウは一つも後がない。自分の守るべき者を守る方法は、勝つしか無かった。
現在、空間輸送システムの開け方を知っているのは、キョウのみだ。
だから、勝利を掴み生き残るしか、リオを帰すことは出来ない。
この勝利は当然な結果なのだ。
キョウは自分の愛刀を見る。
制御盤を開けるための、リオに祝福を受けた、キョウの絆が折れてしまった。
でも、まだ終わりじゃない!
辺りには剣を携わった者が多くいる。しかし、鉄を斬り裂くほどの大振りなものは一つしかない。さすがにそれを振り抜けるか解らなかったが、選択肢もなかった。
「――――貸してくれ」
キョウはセリオンに手を差し出す。
剣を貸せば、キョウが何をするのか解っていたが、セリオンは握りをキョウに差し出した。
キョウはセリオンの、バスターソードよりも大きな大剣を携え、制御盤に向かう。
そして、いつもの構えを取るために、剣を担いだ。
ズシッと、いつものでない重みが肩にのしかかる。
初めて使う大きさや、長さで、感覚は掴めない。しかし、試し振りも出来なかった。
セリオンとの戦闘で、身体の至る場所が痛み、愛刀を折られた最後の一撃で、腕の筋肉が悲鳴を上げ、元々の愛刀を振るのですら厳しい状態だ。
「イップ王女、セリオン。頼む、リオを信じてくれ。――――霧は現れない! 必ず成功する!」
キョウは一度だけ目を閉じると、覚悟を決め、左手を剣に添え、真っ直ぐに振り下ろした。
少し前だ。
リオはパソコンに集中していた。
空間の開ける隙間を無くすプログラムはうち終わり、キョウ側の空間輸送システムにデータを送る。
画面には送信中に変わり、ひとまず帰る準備は整った。
次は閉める作業だ。
リオは席を離れ、ユキナが先ほど使っていたノートパソコンの画面を覗き込む。
止めるためのプログラムを、デスクトップの方に送信しようとして、途中で作業が止まっていた。
「ユキナ! このままデータを送って大丈夫?」
ユキナは霧を相手しながら大声で答える。
「あぁ、閉めるのに必要なはずだ、そのまま送ってくれ」
「解った。………っと、これは電源を完全に絶つものね。やはりこちらの空間輸送システムは、再起動できないか」
リオはリズム良く、キーボードを叩き続ける。そこで、ユキナの逃した霧がリオに近付いた。
「マズイ! リオ! 意し………」
「邪魔っ! これはあなたたちの為でもあるの!」
ユキナが注意を促す前に、リオは霧に話し掛けながら、霧を手で払った。もちろん霧には変化はないが、霧はリオの横を通り抜ける。
「リオ、お前………」
ユキナは「そこまで考えていたのか?」と言う台詞を飲み込んだ。
リオに聞いて、霧が六次元の生物だと、ユキナにも理解できた。しかし、霧によって、どちらの世界にも多くの被害が出ているので、誰もが霧は敵と見なすが、開けたのはこちらの世界だ。
言わば霧も被害者に当たる。
リオは勢い良くエンターを叩いた。
「ユキナ、終わった! 後五分ぐらい持ちそう?」
「あぁ、後五分なら時間は持つ。充電も三割り行けるだろう」
三割あればギリギリ開く。
「よし、じゃ、今から閉める準備を行う!」
リオは宣言してから作業に入る。作業とは言っても、ここからは待ち時間が多い。
ノートパソコンの送信を終わるのを待ち、キョウ側の空間輸送システムに、データを送るのを待つ。
そこからはパスワードが必要となる。
さきほどより、上から、人々のなだれ込む音や、キョウと誰かの話し声が聞こえる。
あまりよろしくない状況なのはわかっている。気持ちが焦るが、焦ってミスすることの方が怖い。
リオは歯を食いしばっていた。
万が一があり、リオが帰れなくなっても仕方がない。その覚悟は元々あった。しかし、上はキョウ一人だ。大人数に攻めてこられれば、彼の命は無い。
「早く! お願い、早く送って!」
リオは祈るようにディスプレイを見つめた。
上では激しい音と声が起こり出す。
「まだかリオ!」
「後95%! 96、97、98、………来た! 止めるためのデータは送信完了。後はキョウ側のデータだけ。そちらも、えっと、………88% 行ける、もうすぐ! 今から閉める為のプログラムを立ち上げる準備をするわ!」
リオは何度もモニターを見に走りながら、キーボードを再び叩いていく。
キョウもう少しだから頑張って。
リオは心の中で祈るしかできない。
キョウはどの道、危なくなっても逃げないだろう。それが心配で、近くにいたくて、それでもやらなくてはいけなくて。
リオは涙で霞む視界を、何度も指でぬぐい、モニターを見続ける。
95、96、97、98………。
「ユキナ、来た。送信終わった! 次、いよいよ閉じるよ!」
「頼む、こちらもそろそろ辛い!」
霧の溢れ出すペースに、徐々にユキナもついて行かなくなる。
「うん! パスワード行くよ!」
リオは最後だと、涙を拭い去ると、覚悟を決めた。
手の指を、ワキワキと動かしてから、キーボードを打ち込む。
「ウサギの穴」
エンター。
エラー。
「違う! ユキナ後は何がある?」
「題名はどうだ?」
「不思議の国のアリス」
エンター。
エラー。
「ダメ! ほか!」
「ちっ、後、何か有名なものは、………クソっ、思いつかない!」
霧を相手しながらなので、ユキナの思考力が下がっている。リオはあごの下に手を置き、少しだけ悩んで頷いた。
「止めるだから、最後の結末かな? だったら――――ゆめ」
「あぁ、夢か!」
「ゆめ、っと………………、ユキナ行くよ!!」
「いっ、良いのか、キョウに声を掛けなくて?」
ユキナは息を切らしながら答える。
リオは目を瞑り頷いた。
本当は不安で、今すぐ会いたい。
怒った顔や、真剣な顔。私を見ていてくれていた、あの笑顔をもう一度見たい!
だからだ、必ずキョウは私を助けてくれる。私は自分の騎士を信じる!
リオは目を見開いた。
「キョウは私の騎士よ、なめないで! 必ず私を戻してくれるわ!」
リオは迷いなくエンターを押した。
何の音もなく、突然今まで大穴が空いていた場所に天井が現れた。
入り口付近で霧を相手していたユキナも、驚き目を見開く。
「………閉じたのか?」
リオはキーボードから手を離し、椅子から立ち上がった。
「成功よ、ユキナ。――――私達の勝利よ!」
「やったな! リオ、お前、凄いぞ! 凄いぞ!」
ユキナは歓喜を上げながら、残りの霧を斬り裂いていく。
目の前には、自分の世界の扉。
三ヶ月前に出てきた扉だ。
そして、空間が戻ったことにより、途中の道のりで亡くなった者も扉の前に集められた。
数は十人だけで、他の者は空間から投げ出されたのだろう。死体も残らなかった。
寂しく思うが、それでも帰ってきたことがうれしい。
リオは力が抜けたように、再び椅子に座りこんだ。
「――――キョウ、お願いね。私をあなたの元に戻してね」
ユキナに聞こえないように、小声でつぶやく。
すべての霧は倒し終え、ユキナはリオの元にやってくる。
「リオ、もし、もしだぞ、キョウがダメだったら、私が何とかするからな」
リオは椅子から立ち上がった。
「もしは無いの。それよりユキナ、色々と貰って行くね」
わざと元気な声を上げ、リオは辺りを物色を始める。
ユキナは感心したようにリオを眺めた。
さすがだ。この状態で次に頭が行っている。戻ることは当たり前の前提で、その次の事の準備だ。
「好きな物を持って行け。だが、十秒だぞ、あまり欲張るな」
「解っている。ユキナ、このパソコン持って帰れない?」
「あぁ、固定式は無理だな。ノートパソコンならいくつかあるから持って行け。それに、これ。キョウの奴よろこぶぞ」
二人はリオが持って帰るものを集めて、部屋の一番前で開く時を待った。
リオの計算した設定なら、空間が開くのはこの壁際で、今いる目の前のはずだ。
しかし、短い時間が長く感じ、いつまで経っても開く気配がない。
――――大丈夫。
リオは心の中で何度もつぶやく。
ユキナにしては、もうあきらめが入っている。
「リオ………そのな、もうキョウは………」
「ユキナ信じて、キョウは大丈夫、――――ほらっ」
空間を裂く、甲高い耳障りな音を立て、目の前にリオの世界が現れた。
「ねっ、言った通りでしょ?」
得意げにしているリオをユキナは急がせた。
「なに悠長な事を言っている。ほら、早く! 荷物は渡すからとにかく出ろ! ――――境界面には触るなよ!」
リオはユキナに急かされ、境界面をぴょんと飛び越えた。
キョウ達の方ではざわめきが起こる。
キョウが鉄板をはがし、スイッチを押した瞬間に、リオが現れた。それも子供だ。
見ている者は誰も意味が解らない。
閉じて、また開けたのだから。
「ユキナ早く! 早く!」
「解っている。――――ほらこれ」
キョウはセリオンの剣を携えたまま、リオの元にやってくる。
その姿を見て、リオは少しだけ怒った顔をしてから、うれし涙を流した。
「もぅ、」
どうせ、無茶をしたのだろう。キョウは傷だらけ、おまけに剣まで変わっている。
「リオ! いちゃつくのは後! 先に荷物だ!」
「いちゃついてない!」
ユキナの急がす声に、リオは文句を言いながら荷物を受け取る。
こちらを眺め、固まっていている人々と、あまりにも温度差が違う。
「ほら、キョウ。お前にだ」
ユキナがキョウに、鉄の棒を五本渡す。空間が閉じたことにより、死体が戻ってきて、何本か手に入ったのである。
「これ、良いのか?」
「あぁ、こちらにもまだある。それぐらい良いだろう」
荷物の受け渡しが終わり、キョウとリオはユキナを見る。時間は残りわずか。
「ユキナ、ありがとね」
リオの挨拶は簡単だった。
「それは、こっちのセリフだ」
「ユキナ、これで多くの人が助かる。ありがとう」
「私のじゃ無いから礼はいい」
三人は目線を交わす。
もう時間だ。
「じゃ、ユキナまたね」
「あぁ、またな、リオ。キョウ」
お互いに手を振り、再び空間の穴は、音もなく消え失せた。
周りの人々はまだ固まったままだ。
そして、リオはその人々を見た。
人々は佇んだまま動けない。
キョウは、リオの後ろで胸を張る。
リオは息を吸い込んだ。
「――――霧は止まりました。もう、二度と現れることは無いでしょう」
法国の兵士や、イップ王女の護衛の者。全ての者が信じられないように、お互いの顔を見合わせ、再びリオを見た。
この中でリオを知っている者は数名だろう。子供の言う事が信じられない。その事を感じたイップ王女は、リオの前へ出ると、片膝を付き頭を垂れた。
イップ王女は、どこかすっきりしていた。キョウに告白した時、自分の気持ちが解った。少し遅いが、イップ王女はセリオンと共に居たかった。その気持ちが大きかった。それは、素直な気持ちだった。
だから、リオの凄さも素直に認めようとしたのだ。
その様子に、セリオンも従う。
王女がしているのだ、護衛の騎士も、マグナも一度だけ眉をひそめたが、それにならう。
周りからはざわめきが起こった。その中をローランドが前にやってくる。
「そなたがリオ姫様か、レナに聞いておる。霧を本当に止めたのか?」
リオはローランド第一皇太子を知らない。次期法王だと言うことも。
だから、簡単に答えた。
「そう。私が止めたから大丈夫!!」
ローランドは「おぉ!」と歓喜を上げた。
レナ姫の言っていたことは本当だったのだ。
ローランドは兵士達を振り向くと、大声を上げた。
「これから、二度とこの霧を止めし者、リオ姫に剣を向けることは、法国オスティマ本国、第一皇太子ローランド・オティアニアが許さん! 如何なる時でも、王国ファスマのリオ姫に手を出すものは、法国の敵と見なす! 者共、肝に銘じておけ!」
そのセリフに皆の者は「はっ!」と声を合わせる。
その様子に頷いたローランドは、顔を戻し、リオを見ると、イップ王女と同じく、片膝を付き頭を垂れる。
法国の次期法王が頭を下げているのだ、他の者は従わなければ成らない。
四百人以上の人々が、一斉に片膝を付き頭を垂れた。
リオとキョウは少し焦っていた。
本人たちは、霧を止めた報告するため話しているだけで、どうやら相手は法国の偉いさんらしい。しかも、なぜかリオは王国ファスマの姫になっている。
リオは間違いを正した方がいいのか、キョウを見て確認する。キョウはこのまま行けと頷いた。
リオは「おっほん」と偉そうに咳払いをしてから、話を進める。
「だから、国に帰ったら、みんなに伝えて。もう、霧の無い時代が来たと!」
誰からか解らないが、「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」と歓喜が上がり、周りも一斉に騒ぎ出す。
リオはイップ王女の前に座り込んだ。
「イップ王女、これからが大変よ。王国ファスマ再建国してね」
それはリオが遣りたい内の一つだ。しかし、再建国となると、リオには不可能になる。それには、膨大なお金や、カリスマ的存在は必要だからだ。
だから、これはイップ王女にしか出来ないこと。
イップ王女は、真剣にリオの瞳を見つめた。
リオはその様子に、なんだか嫌な予感がした。
「リオ、妾にも限界はある。妾だけでは、それはかなわん。助けが要る」
イップ王女の次のセリフが解ったのか、やっぱりかとリオは顔をしかめた。
「手伝え、――――王国ファスマのリオ姫」
「待って、誤解よ! 私は王国ファスマの姫とは言っていない! 多分、法国のレナ姫が勝手に言っているだけ」
「だが、その法国がお主を、王国ファスマのリオ姫を認めておる。申し分ないであろう」
確かにこれから、リオの遣りたいことには、そちらの方が都合はいい。リオは勝手にこの城に居座ろうと考えていたから。
「うっ、うん。ただし、姫はなし。私はそんなのじゃ無いから」
「いかん! 法国のローランド皇太子の言葉が偽りになる。それは今後の外交問題に発展する」
「うっ、」とリオは言葉に詰まり考えた。
ローランドが先ほど述べた身分は、次期法王という事だろう。そんな者に片膝を付かせたのだ、いまさら違うとも言いにくい。
「………わかった。ただし、肩書だけね。期待はしないで」
「かまわん」と頷くイップ王女に、護衛の騎士たちは戸惑い、意味の解ったセリオンとマグナはかすかに笑った。
キョウにもイップ王女の考えが読めた。
霧を止めたことをここまでの人数が知ったのだ。世間にすぐに知れ渡るだろう。だから、リオを旗にして再建国を目指すのである。
この国には霧を止めた者が居ると言えば、それだけで人が集まる。
まったく、イップ王女も侮れない。
リオは溜息を吐き、立ち上がると、やっとキョウの前にやってきた。
キョウは少しさびしく思う。
こうやって、リオはどこまでも成長していく。そして、今みたいにキョウに気遣う時間は、最後になるだろう。
それでも構わない。
俺は、騎士だから。
自分の姫を守るのは当たり前の事だから。
キョウは片膝を付き、右腕を胸に当てて、頭を垂れる、騎士の取る最高礼を取った。
「キョウ、ありがとう!」
「リオ姫、頑張ったな。――――リオは俺の自慢の姫だ」
キョウのセリフに、リオは突然抱きつき泣き出す。
本当は不安だった。キョウがいたから無茶が出来た。
だからこれはご褒美だ。
キョウが始めて貰ったご褒美は、幼い姫からのキスだった。
この話は3っつの要素で出来ています。
一つは科学雑誌ニュートン。一つはブランキー・ジェット・シティ、ダンデライオン。
そして、残りの一つは、今まで付いてきてくださった、これを読んでいる皆様。
感謝でいっぱいです。色々な人に読んでいただき、何とか一作品を終えました。
一応、これで終わりですが、エピローグもあるので載せます。
それで、本当の終わり。
今まで、キョウやリオに付いてきてくださった皆様、ありがとうございました。