10 霧を止める者の騎士 1
最終話 霧を止める者の騎士
今から六日前。
キョウ達が故ストラを出発したあと、イップ王女とセリオンは、キョウの読み通りに合流していた。
ただ、読みが外れたのは、イップ王女の周りには、セリオンとマグナしか居ないと踏んだことだ。
イップ王女は故ストラの、大きめの空き家の屋敷を利用して行動していた。
周りの護衛をしている、王国ファスマの騎士を名乗る者、二十名。
故ストラで活動している者、四十名。
故ストラ以外の国で情報活動や、金銭を集めている者、百八十名。
計二百四十名が、現在の王国ファスマの騎士である。使用人を含めるとさらに多くなる。
その明細は、霧の現れる前からの、王国ファスマの騎士で有った者や、霧を止めると言う、イップ王女に賛同して集まった者と色々といる。
その為に、皆は色々な格好で統一性はない。
鎧に盾で装備を固めている者。鎧は着ずに、ガントレットのみの者。中にはボロボロのロングソード一本を腰に下げただけの者もいる。
唯一統一されているのは、腕に着けた、王国ファスマのシンボルマークの、花の形が入った、ラズベリーブルーの色の腕章だけだ。
その中で、イップ王女の騎士と名乗れる者は、現在はセリオンのみ。
本日はその全ての者が、ここ故ストラに集結していた。
霧の信者が多く集まる、異様な故ストラでも、その様子はさらに異様だ。
屋敷の窓から、イップ王女は演説している。
「皆の者、今まで妾に賛同してくれ、心より感謝を述べる。しかし、それは今日をもって終わりとしたい!」
辺りからは驚きと、不満の声が上がる。
イップ王女はその者達を前にして、深々と頭を下げた。
その様子を見て、皆は黙り込む。
最近になり、イップ王女は何か考えがあるのか、謝ってばかりだ。
「皆の不満は解る。妾と共に王国ファスマ再建国を願う気持は、妾も同じだ。しかし、妾にはどうしても遣らなくてはいけない事が在る!」
イップ王女は真っ直ぐに、王国ファスマの方向を見つめた。
セリオンはイップ王女の傍らに立ち、その台詞に顔をしかめたまま聞いていた。
イップ王女は目を閉じると、ゆっくりと開け、今度は目の下に見える、随分と少なくなった王国ファスマの騎士達を見た。
「その事を述べる前に、嬉しい情報が入った。………エリス・ファディスマが見つかった。現在はここに至る迄には行かなかったが、近々皆の前に現れるだろう」
再び皆がざわめき出す。
現在、イップ王女の妹であるエリスは、王国ファスマの騎士により、他の王国で身分を隠し生活していた。
見付けた騎士は、イップ王女に伝えたが、他国は危険と判断したセリオンが、エリスに会いに行っていたのだ。
セリオンはエリスの説得に、二ヶ月掛かった。しかし、今まで暮らした町に別れを言いたいと言われ、先に戻ってきたのだ。
結局はエリスに、遅れるとイップ王女とは、二度と会えないとは伝えきれなかった。しかし、エリスは王国ファスマ再建国に賛同はしてくれ、自分の騎士と共にこちらに戻る約束をしてくれた。これで、イップ王女の肩の荷は降り、ようやく霧を止めに行く決意が出来たのだ。
これで良かったのかと、セリオンは自分の行動に問いかけるが、イップ王女十八年間の想いだ。どうしても、それを断ることは出来なかった。
共に行こう。
それしかこの世界を守る術はない。それに、霧を止めること無しには、王国ファスマ再建国も無い。
セリオンは覚悟を決めていた。
「本来なら、正式な王位継承式が必要だ。だが、今は国と呼べるものもない。妾も同じく、王女とすら呼ぶに相応しくない」
イップ王女は開闢の儀式の時に語った。
『妾はその時の希望で在りたいと願う』
それは、王国ファスマが滅んだ今も同じ願いだ。
だからセリオンも、あの時の約束を果たそうと思う。
何処にいるかと問われ、答えたが届かなかった、セリオンの台詞。
『王国ファスマに。私はいつの時も、貴女の剣と成り、盾と成りましょう』
あの想いは上部や、励ましではない。
ラズベリーブルーの草原で、寝むった振りをしていた時から決まっていた。
「だが、今度はエリスを筆頭に、王国ファスマ再建国をめざして欲しい。妾の拙な願いだ」
さぁ、動きだそう。
あの悪夢を終わらすのは、変えるのは自分達しかいない。
だから行くことにしただろう。
「妾は王国ファスマの再建国には携われん。しかし、代わりに霧を止める! 皆の者が安心して住める地を約束する!」
セリオンは顔を上げた。
イップ王女には、リオの言った「あなたのするべき事は霧を止めることじゃない」の意味など、とうの昔に解っていた。
それでも、イップ王女は皆の希望であるため、それを選んだ。
ただ、キョウに言われた台詞の答えだけが出なかった。
「セリオン、最小な人員を集め向う。王国ファスマへ!」
イップ王女は振り向いて、セリオンにそう声を掛けた。
「………かしこまりました」
セリオンは静かにそう述べると、真っ直ぐにイップ王女を見つめてから頭を下げた。
その真っ直ぐな瞳が痛い。
覚悟を決めてから、初めて雑音が耳に残る。
『俺はセリオンの記憶が有る。………イップ姫、その台詞をセリオンに対して言えるのか?』
後悔など無いはずだった。
キョウ達は現在、王国ファスマの城下町を走っていた。
ラズベリーブルーの草原から見て解っていたが、王国ファスマの城下町は、見る影も無かった。
建物は崩壊し、傾き、燃えつき、草木に侵食されている。
石畳は砂が覆い隠し、石畳の間からは草が生え、その影響で歪んでいる。
あの素晴らしく繁栄した影すら、もう残っていない。
霧は常に城の方から向かってくるが、キョウが切り裂いていき、彼の通った後には、半分になった霧の道が出来ていく。
キョウを先頭に、息を切らしながら、三人とも駆け足だ。
キョウは走りながら、目の片隅にメインロードの半ばほどにある、口うるさいパン屋のおばさんの店が有った辺りをとらえた。
当たり前だが、店はもうない。
店の有った辺りは煉瓦の土台が残っているだけで、家屋は焼け切り跡形しかない。今から考えると、こんなにも小さな店だったのかと思う。
結局、キョウは記憶に美味しいと知っているだけで、一度も口にすることは出来なかった。
本当に残念に思う。
さらに走り抜け、しばらくすると、目の前に王国ファスマ城が近付いてきた。
城までは後わずかの場所で、突然ユキナは足を止めた。そこは、まだ辛うじて原型を保っている、一軒の家屋の前だ。
「キョウ、リオ、悪いが五分だけ時間をくれ」
珍しく、ユキナからの相談だ。二人も立ち止まり息を整える。霧の流れは一段落ついたのか、城の方からはしばらくはやって来ない。
それを確認してからキョウは頷いた。
「構わないが、何かあるのか?」
キョウは建物を見上げる。
一見したところ、これと言って変わり無い建物だ。記憶を探っても、重要な建築物ではない。本当にただの朽ち果てた家だ。
キョウの無粋な台詞に、リオは袖を引っ張り、首を振った。
ユキナはその様子を見て、無言のまま家屋に足を向け、中に入っていく。
キョウは解らない顔をしていたので、ユキナの姿が見えなくなってから、リオは説明した。
「キョウ、多分ここは、一週間ユキナが隠れていた場所と思うよ」
「………あっ、」
そこで要約キョウは気が付いた。
そこは、ユキナが不安な心のまま暮らしていた家だ。
キョウとリオが、ラズベリーブルーの草原に想いを寄せていたのと同じく、ユキナにとって、この世界で唯一想いを寄せている場所がここなのだ。
不安をまとい、幾度と無く窓から城の入り口を覗き、助けを待っていた、ユキナのこの世界の家。
ユキナはその場所に別れを告げに行ったのだ。
解ってから思えば、無神経な台詞を口にしたのだと思う。この何て事もない場所が、ユキナがこの世界に来た証人なのだ。それは、他人には解らない想いが有るのだろう。
キョウは理解してから後悔しているようなので、リオは色々と気になる物を見付けては、それを目で追っていた。
キョウは水筒の水を飲み、頭を冷やす。
ここまで来て解ったが、この旅はもう二人だけの旅ではなくなっていた。色々な人々の想いも一緒に旅をしている。
本人は五分と言っていたが、五分経たずしてユキナは戻ってきた。
「もう良いのか? もう少しぐらい待つぞ」
「いや、いい」
先ほどは無神経で悪かったとばかりに、気を使うキョウに、ユキナは短く答えた。
べつに別れを惜しんだ訳でない。ただ、もう一度だけ、ここからこの風景を覗いてみたかった。
あの時は恐怖に震える風景が、希望を持った今なら、どういう風に見えるか確かめたかった。
崩壊し、自然が飲み込もうとしている町並みは、あの時と少しも変わりは無かったが――――少しだけ懐かしく思えた。
リオは何も言わず、王国ファスマ城を見続けた。
「さぁ、行こう!」
ユキナの言葉で、キョウ達は再び足を進める。
霧が止まっているので、今度はゆっくりと、城に向かって歩いていく。
夕焼けが迫り、壁に光が当たって、オレンジ色をした王国ファスマ城が目の前にある。
法国オスティマの城よりは小さいが、それでも大きいことに変わりはない。
キョウやリオは記憶によって、ユキナはここから出てきたことにより、三人は城の内部を手に取るように解った。
キョウは以前に、セリオンがよく足を運んだ、城の裏手にある、騎士の練習施設にも行ってみたくなるが、今はそんな時間がないので、気持ちを押さえ込む。しかし、いまだ霧は止まっているようなので、落ち着いて城の現状は見られた。
リオと二人並んで、近くから王国ファスマ城を見上げる。
さすがに頑丈な造りだけにあって、崩れているところは少ないが、蜘蛛の巣や、蔦が所々巻き付いており、廃虚の雰囲気が漂っている。
三人は前を向くと、揃って城の中に足を踏み入れていった。
以前は城内の警備の騎士や、人が多く行き交いしていた城内は静かで、ガランとしていて、以前よりも広く感じた。
霧の流れは止まったが、城内には多く漂っているので、再び走り出し、キョウは霧を切り裂きながら、記憶に残る地下までの道を急いだ。
空間輸送システムのある、地下までの道は遠い。
一度、城の最奥部の、王族の居住区まで行ってから、階段で空間輸送システムの最下層まで降りる。
キョウ達は霧を相手しながら、一気にその階段まで遣ってきた。
今までの広い廊下は、陽射しが差し込み夕暮れでも明るかったが、階段は陽が差し込まず、暗く、奈落へと通じるように口を開けている。
しかも、暗闇から突如霧が現れるので、危険極まりない。
階段の壁には、古びた松明がそのままに成っているので、リオが魔法で火を灯し、ユキナは懐中電灯なるもので辺りを照らす。
松明は近場しか見えないが、ユキナの持つ懐中電灯は遠くまで光が届く。それを見る限りでは、科学の発展は便利なものとキョウは感心した。
ユキナの世界にある、意味の無いようなものは要らないが、その懐中電灯は便利で欲しく思う。
階段の幅は広く、そして長い。
一度だけ息切れの多い、リオの為に休憩を取り、さらに奥に進んでいく。
辺りの温度は次第に下がり、長い階段の終わりが、ユキナの懐中電灯により見えた。
辺りは霧がいるだけで、人の気配はない。
どうやら、キョウ達が一番乗りで、ここまでは予定通りだ。
三人は互いに頷きあい、廊下を進み扉の前で立ち止まった。
確かに扉は閉じられている。
キョウは鉄の棒を握り締めて、二人を自分の後ろに遣ると、ゆっくりと扉を開けた。
十八年前にセリオンが閉め、その後しばらくは開けられなかった、後悔ばかりが記憶に残る、その扉が、今キョウの手により開いた。
円形のドーム状の部屋が、姿を現せた。
中心には七メートルも超える、音叉のような形状の建設物。記憶にはあるが、改めて自分の目で見てみると、その巨大さに圧倒される。
これが、空間輸送システムの本体。
イップ王女の宿敵だ。
周りには白骨した遺体が、幾つも横たわる。その遺体の中には、セリオンの部下のものもあるだろう。そして霧だが、扉の中に霧は、キョウの予想より遥かに少なかった。キョウは先ず、周りの霧を斬り裂いていく。
ここからは、王国ファスマにたどり着くまでに、何度も練り直した作業を進めるだけだ。
キョウとリオは、入り口付近に荷物を放り投げ、中心部に急いだ。ユキナはそのまま帰るので、荷物は持ったまま走る。
「リオ、ここからが本番だ!」
「うん。キョウは準備お願いね。私が帰れるかどうかは、キョウに掛かっているからね」
「解っている!」
「リオ、間違いは起こすなよ。全てはお前に掛かっている!」
「任せて。ユキナも作戦通りにね」
「了解した!」
三人は空間輸送システムの前に遣ってくると、次第にそれが見えてきた。
空間輸送システムの真後ろにある、大穴。
イップ王女が、成功したと解った理由の元がこれだ。
直径二十メートルの穴が、床にポッカリと口を開けていた。
これがすべての元凶だ。
今のところ、穴から霧は出てきていない。霧には周期があるのだろうか。
「キョウ、先にこれを斬って」
作戦通り、空間輸送システムの横に立っている制御版に、リオは近寄った。
キョウも走り寄ると制御版を見る。
見る限りは、二メートルを超える黒曜石の石碑に見えるが、色々な機械の上に鉄を張り、その上に黒曜石を張り合わせているらしい。両角の端を斬り、隙間からテコの原理で広げれば、手前の鉄板は取れるだろう。
「角の、繋ぎ目だな!」
「そう。注意して、中には重要な基盤も有るから傷付けないようにね」
ここに来てもリオは無茶を言う。
黒曜石を合わせて、鉄板の厚さは二センチ足らず。横から二センチだけの、その場所を正確に斬り裂く。
キョウは鉄の棒をユキナに返すと、自分の愛刀を持ち、何時もの左手を前に出す担ぎ構えを取った。
しばらく息を整え、瞳を閉じる。
厚さ二センチの繋ぎ目の、溶接のあとを狙うのだ。少しでも狙いが反れて空振りすれば、間違いなく腕の筋は何本も持っていかれるだろう。かといって、少しでも力を抜けば、溶接あととは言えど、鉄は斬り裂けない。
それに、こんな初っぱなから失敗は許されない。
重要なのは刃筋を通すことだ。
キョウは目を開けると、頭の中でイメージした通りに、剣を真っ直ぐに振り下ろした。
ガンと鋭い音をたて、溶接あとに隙間が出来る。
キョウは心の中で歓喜を上げた。
その隙間に剣を潜り込ませ、テコの原理で隙間を広げていく。もう一方の角を斬り裂き、手前側の鉄板を取りのぞく作業は後回しにする。今はコードを繋ぎ、充電することが先決だ。
「ユキナ、これぐらいでいいか?」
ちょうど手が入るほどの隙間ができ、リオとユキナは隙間を覗いて、自分達の想像が合っていたことを確信する。
「あれが電気プラグだ」
ユキナの言葉に、リオとキョウは頷き形状を覚えた。
「次は繋ぐのね?」
「そうだ。それだけで充電は開始される。せめて十分は時間が欲しい。そうしたら開く時間くらいは持つはずだ。キョウ、まずは電力の確保が第一だ」
「解った。一番先に繋げばいいんだな」
ユキナの答えにキョウは頷く。
ここまで来たらキョウにもわかる。こちらの空間輸送システムに電気を貯めるのだ。
「あとは、キョウが繋ぐのはここと、ここだ」
ユキナの説明に、キョウは穴の中から出すケーブルを差し込む順番と、差し込み方を教わる。穴の中からシステムを打ち変えるので、キョウはケーブルを間違えることなく差し込めば良いのだ。
「じゃ、私達は穴に入るから、キョウはケーブル類を繋いだら、鉄板を取り払って準備しておいて!」
「解った。………リオ、」
「うん?」
「絶対に成功させような!」
「もちろんよ。………キョウ、私を必ず戻してね」
本当に空間輸送システムは止まるのか。
霧が止まるのか。
空間輸送システムが作動するのか。
リオの理論に間違いはないのか。
色々な不安があるが、今は成功を信じたい。
「どうかご安心を。キョウ・ニグスベールは、リオ・ステンバーグ姫を、何に置いても守りますから」
キョウの騎士らしい台詞にリオは頬を染める。しかし、嬉しいのか口元が緩んでいた。
「――――私の命、我が騎士に預けます」
それから、二人はお互いの顔を見合い笑った。
もうすでに穴の近くに行っているユキナも、二人の声を聞き笑っている。
どこまでも子供のような奴等だ。観ているこっちが恥ずかしくなる。
「じゃ、行ってくるね」
「あぁ、気を付けろ」
リオはユキナに追い付くと、ユキナと共に穴の中を見た。
高さ二メートル程で、上から覗くとなお高く見える。
キョウも遅れながら二人に追い付き、同じ様に穴の中を見下ろす。
中は広いが物が多いため、狭く感じる。キョウには理解できない、色々な機材がところ狭しと置かれ、五個の固定式のテーブルが扇状に並んでおり、そのテーブルにモニターが埋め込まれ、机の上にはボタンの付いた板が備えついている。
これが、ユキナの世界。
現在、穴の中の霧は少ない。作業するなら今の内だ。
「まずは私が飛び降りる。ある程度の霧を倒したら、キョウはリオの手をもって、降ろしてやってくれ。下で受け止める」
「解った」
キョウが頷くのを見て、ユキナは穴に飛び降りる。
穴の中の壁には梯子が掛かっているが、降りるには難しいし、飛び降りるのは正解だ。
ユキナが先に飛び降り、言った通りに霧を鉄の棒で倒す。穴の中の霧はすぐに居なくなった。
これで、まとまって霧が現れない限り、大丈夫であろう。
ユキナはある一点を目を細めて見ている。そっちがこの部屋の出入り口、即ち空間の境界面に当たるのだろう。ようするにハイゾーンだ。
実はこの穴は空間の境界面ではない。
ユキナの世界が空間に押され、キョウ達の世界に来たときに、地下に突然ユキナの世界が現れたために崩れたのだ。
だから、穴の中には、所々こちらの床の破片が落ちている。
どうやら霧が見当たらないのか、顔を戻すとキョウに頷いた。
「よし良いぞ、リオを降ろしてくれ!」
キョウはリオの手を持つと、ぶら下げるように下に降ろす。ユキナはリオの腰を持ち、無事に降ろせた。
リオは、先ほどユキナが見ていた一点を、目を凝らし見つめる。
ユキナが頷いた。
「あぁ、あそこが伸びた空間だ。――――ようするにハイゾーンだな」
「確かによく見えないわね。目が疲れる」
リオはしばらく見ていたが、顔を戻すと椅子に座る。
その行動に、ユキナも動き出した。
「よし、リオは直ぐに始めてくれ。キョウ、これが電源コードだ。引っ張ってくれ!」
穴の中からは電源コードが投げ出される。
キョウはそれを、さきほど指示のあった場所に差し込んだ。
空間輸送システムの制御盤の隙間から見える、内部の一ヶ所で、赤いランプが点灯した。
「よし、いけたぞ!」
キョウが叫び、さらにユキナが何本かのケーブルを投げ渡している間に、リオは機械の電源を立ち上げ、マウスを動かし、リズム良くキーボードを叩いていく。
ここではパスワードは、まだ要らないようである。パソコンは無事に動いている。ここまでは順調だ。
リオはまず、キョウの側に有る、空間輸送システムのプログラムの改正をはじめた。
こちら側のケーブルは繋ぎ終ったユキナは、突入隊が持ち込んだノートパソコンを繋げ、立ち上げると、隣の席に座りキーボードを叩き出す。
「リオ、間違えるな。プランクの長さだぞ!」
「解ってる。十のマイナス三十三乗、空間の維持できる最小の値ね!」
「そうだ。それ以上でもそれ以下でも駄目だ。正確に合わせろ」
「解ったわ」
作業は順調に進み、誰もが成功を確信したが、しかし、現実は甘くはない。
まず起こったのはユキナ側からだった。
突如、ハイゾーンから現れる霧の群れ。それも十や二十じゃきかない、塊で数が読めない。
ユキナは作業を中断すると、再び鉄の棒を片手にもち、霧に叩きつけた。
「くそっ! ここに来てこれか。リオ、落ち着いて意識をしっかりな、脅えたらダメだぞ」
普通なら、この状況で、脅えるなと言う方が無理な話なのだが、リオはあっさり答えた。
「大丈夫よ」
ユキナは感心してリオをみる。
端から、霧など相手にして無いのか、モニターから目をそらさずキーボードの指は止まることがない。しかも正確で早い。
これは負けていられないと、ユキナの霧を切る手にも力が籠る。
キョウはケーブルを全て繋ぎ終え、穴の中に向かって大声を上げた。
「よし、こっちは全て繋いだ!」
「解った。こっちも順調よ! キョウ準備しておいて!」
リオは手を止めず、モニターを見たまま叫んだ。
その声で、キョウはもう片方を斬り裂き、制御盤の鉄板をとり払うために構える。
開けるために必要な操作は、制御盤の中心近くにあるボタンを使うためだ。ユキナ側とは違い、こちらに難しい操作道具はついていない。
キョウは集中するために目を閉じた。
先ほどと同じように刃筋を通せばいい。イメージは出来ている。しかし、そこで不審な足音を耳にする。建物内なので足音は響きすぐに解かった。
正確な人数までは解らないが、十人や二十人の足音ではない。とにかくキョウ達の望んでいない誰かが来たのだ。
キョウは構えた姿のまま躊躇した。
このまま振り抜いた所で、どうしてもそちらに意識が行き、集中出来ないので、失敗する可能性が大きい。
キョウには、機械のどこが重要な場所か検討がつかない。万が一狙いがずれ、重要な場所を壊せば、取り返しがつかない事になってしまう。
結局キョウは構えを解いた。
「くそっ!」
苛立ちを露にしたとき、兵士が部屋になだれ込んでくる。キョウは空間輸送システムの前に走り、立ちはだかった。
兵士は次から次へと、止まることなく部屋に現れる。
キョウは絶望を感じた様に、眉毛をしかめ片目を閉じた。
足音から感じたが、予想をはるかに超える二百もの兵隊。
ここに来るまでに、霧により大半を失ったのだろう、それでもその数の兵隊だ。キョウ一人ではどうすることも出来ない。
兵士は全て重装備に、ロングソードや槍で武装している。
一体何が起こっているのか、キョウには検討がつかない。
現れるなら、イップ王女達か暗殺者だと思ったが、ここまでの兵士が来るとは、頭の片隅にもなかった。
キョウはいつもの構えは取らず、その光景をただただ眺めていた。
兵士達は、半円を描くようにキョウを囲う。その様子からして、味方と言うことは無いだろう。しかし、絶対に一人ではかなわない敵の数を見ても、恐怖はない。
心に有るのはリオとの約束が守れないという焦り。
この数の兵士を相手するなら、キョウが出来ることは、少しでも時間を稼ぐことだけになる。何としてでもリオが帰ってくる方法を考えないといけない。
兵士達は部屋に入りきると、半円の真ん中が割れていき、その間を通りデルマンが前にやって来た。
護衛兵を盾がわりに自分の前に二名置き、キョウを見るや否や、大袈裟に驚いた顔を作った。
「これはこれは、いつぞやの騎士ではないか」
キョウは芝居がかったデルマンの台詞に、嫌けがさした。
グウィネビア王国の襲撃も、その時の父親、バードとの対決も、暗殺者を飛ばした相手も、全てデルマンと考えれば筋が通る。リオに言い負かされ、プライドを傷付けたか。
キョウはギリッと歯を噛み締めた。
まったく、どいつもこいつも自分の事ばかりで、いい加減腹がたつ。もっと、皆が考えれば、リオがここまで来る必要はないし、命の危険も無かった。
なのに、誰もリオを助けようとはせず、邪魔ばかりする。
「騎士よ、まずは誉めてやろう。我が法国の兵士を止め、暗殺者さえ止めをさすとは、その年で立派だ。………しかし、その悪運もここまで、法国にたてついた事、存分に後悔せよ!」
キョウは大振りの剣を、ガンと床に突き刺し、その上に両手を乗せた。
誰であろうと、この先を行かせるわけにはいかない。
「俺は法国オスティマ本国に、たてついてなどいない!」
デルマンは大袈裟に笑う。
この兵士の数を見て、やっと相手が自分の愚かさを解り、訂正して来たと思ったのだろう。
「今さら後悔しても遅い。我が法国を欺いた罪は、その命を持って償うがいい!」
キョウは焦る。しかし、デルマンはやる気だ、戦闘は避けられない。
デルマンが右手を上げ、「かかれ!」と合図する前に、キョウは右手を差し出し、デルマンに問い掛けた。
「その前に教えてくれ。俺達は何をした? 俺達は霧を止めるためにここにいる。それは、法国の考えに反するのか?」
何とか戦闘は避けたいと願う、キョウの問い掛けに、今まで沈黙を守っていた、周りの兵士からはざわめきが起こる。
キョウに少しだけ希望が湧いてきた。
兵士達は内容を聞かされて居なかったのだ。
兵隊とは本来その様なところだ。情報は上部のみで、与えられた任務をこなすだけ。今回は、敵の人数すら聞いていない。しかし、倒すべき相手が王国ファスマに居ることは不思議に思っていた。
敵は若い騎士、それも単独。
たった一人に対して、最初は五百名もの兵。
内容を知った兵士は、あきれを通り越し、信じられない者を見る目でデルマンを眺めた。
「そうだ! 法国の国益をそぐ愚かものめ、我が法国を相手にして要約気付いたか!」
兵士達はデルマンの言葉に、お互いの顔を見合い、もう一度キョウを見た。
キョウの表情は変わらない。依然として厳しい表情のままだ。
「そうか。………今、俺の姫が霧を止めるために、霧の多い場所で命を掛けて、必死に闘争している。後わずかで霧は止まるだろう」
この台詞に、兵士達には動揺が広がっていく。
キョウは覚悟を決めると、ゆっくりと片刃の大剣を担いでいく。
「国民が命の危険を感じず、暮らせる時代が後をわずかで来る! それでも、霧を止めることを、気に入らない奴が居れば、かかってこい! 全力で相手する!」
いつもの構えを取った、キョウの殺気が一気に上がる。
例え、敵わなくても、キョウは最後まで足掻くつもりだ。それが、リオを守ると言う自分の信念だし、それしかリオが帰る術がない。
傷だらけでもいい、何としてでも生き延び、這ってでも空間輸送システムを開ける。
兵士達は、もう片方の、信じられない者を見るように、キョウを眺めた。
こちらは二百名の兵士だ、彼は数秒と持たないだろう。そんな事は目の前の若い騎士にだって解っているはず。なのに、彼は退かない、逃げ出さない。
敵ながらに、何が彼をそこまでさせているのか理解できないが、デルマンよりは正しく思えた。
キョウとしても、二百名の兵隊を相手すれば、先はないと解っている。だが、ここは譲れない。
キョウの言葉に、兵士達の動揺が広がっていくが、それでも王族には逆らえない者は掛かってくるだろう。そしてそれは、キョウの死を意味して、同時に、リオがこちらの世界に帰れないことを意味するが、この状況で帰ってきて、リオが殺されるぐらいなら、本当はユキナと共に行ったほうが良いかもしれない。
だけど諦めたくない。
リオともう一度会いたい。
「お主は、何をぬかしておる! お主は法国の、全世界の敵なのだぞ。者共、かかれ!」
デルマンの合図に、数人が前に出ようとして、隣の者が動かないのを見て、足を止める。
兵士達も誰もが躊躇していた。
国民が安心して暮らせる時代と、自国の利益のために、霧を止めることを阻止しようとする王族。どちらが全世界の敵なのか、兵士の足並みを見ればわかった。
法国の兵士と言えど、霧を望んでいるわけではない。霧により、大切な者を失った者も多いし、そう言った者を見てきた。
霧を止めるとは、一概には信じられないが、万が一にも成功すれば、あんな思いは今後しなくて済む。それに、それを信じられたのは、目の前の、単独の騎士の覚悟の言葉と、目の前に不思議な穴が在るからだ。
あれを閉じれば霧が現れない。
自然とそう思う。
それを予感させるように、穴のふちに、ユキナの取りこぼした霧がいくつも現れる。
キョウは横目でそれを見ながら、城壁を越えるように、三次元では解らない飛びかたをしたのだと理解した。
ハンモックなど安全ではなかった、霧には高さなど関係なかったのだ。しかし、今さら霧になど恐怖を感じない。意識をしっかり持とうとしなくても、十分にしっかりしている。
ただ、目の前の兵士達はどうだか解らない。
初めてかもしれない。助けられた気がする。
今まで、憎み苦しんだ霧にたいして、キョウは感謝した。
これで時間が稼げる。
霧は一つ、また一つと現れ、キョウの横をすり抜けていく。
それだけのことで、デルマンは後退りして兵士の中に逃げ込み、数人の兵士が乱れた。
一つの霧が気まぐれを起こしたのか、キョウに近付いてくるが、キョウは瞳だけを向け、一睨みすると霧は止まり方向を変えた。
「ここでは意識をしっかり持てよ」
キョウは敵に対してアドバイスを送る。
「か、かまわん! 霧など捨てておいて、早くあやつの首を………」
デルマンが騒ぎ立てるにも関わらず、キョウは大声を上げた。
「聞け! 今、俺の姫が、本当にこの霧を止めるために、あの穴を閉めようとしている! 見ろ!」
キョウは近場の霧に斬りかかる。当たり前だが、剣は霧をすり抜け、霧は何事も無かったかのように、兵士達に向かっていく。
誰もが知っていることを目の前でして、兵士達はキョウが何をしたいのか解らない。
「霧を倒すのは、対策が必要なのは誰もが知っているだろ! しかし、王国ファスマの周りには、もう、生物は少なく、霧が漂っていた!」
兵士達もここに来るまで見てきて、知っているのだろう。やっとキョウの言いたいことが解った。
「世界はいずれ、そうなるかも知れないぞ! それでも、俺達を止めるのか? 本当に安全な未来はいらないのか?」
キョウの問い掛けに、誰もが目線を外した。
兵士達の耳にはデリマンの言葉より、単独で大軍を相手する、キョウの言葉の方が理解できた。
どちらに命を預けるのか?
数人は剣を下した。
それでもやはり、キョウの思った通り、法国に命を預けているものもが中にはいた。
その者達は、陣営の後ろの方にいた。
キョウは何かに気付いた様に、突如口を閉じ、目を見開いた。
来た!
心の中で一言だけ呟く。
この者達に構っている時間は無かったのだ。そこまでやって来ていた、早く準備を整えなくてはならない。
陣営の後ろでは、弓で狙いを定め、魔法を使うために集中する。
五人の暗殺者達だ。部隊の名をサツと言う。
デルマンの話は、あまりにも馬鹿げた内容なので、部隊の二人に任務を任せた。
たかだか子供二人に対して、暗殺部隊全員が動く訳がない。しかし、彼等は帰ってこなかった。
子供二人に、高い成功率を誇る、法国きっての暗殺部隊が失敗したのだ。
それは有ってはならないこと。
サツ達は、王族に絶対の信頼を得ている。
帰ってこなかった二人も、けして能力が劣っていたものではない。即ち、目の前の騎士が、いかに凄いかが解った。
セリオンにより、暗殺者の二名が倒された事を知らないサツ達は、自分達の間違いを素直に認め、全力でキョウを殺害するために、この部隊に参加したのだ。
今までの信頼を無くすわけにはいかない。こんな状況で悪いが、それでも目の前の若い騎士を殺さなくては、自分達に未来はない。
息を整え、標的に狙いを定める。
その時だった。横殴りの斬激が彼等を襲った。
若い騎士にばかり集中していたので、全く対処できなかった。
目に写るのは流れる風景で、自分が飛んでいると解るのにしばらくかかった。
キョウはその光景を、じっと見ていた。
キョウが感じ取ったのは、暗殺者達ではない。それ以上に厄介な存在だ。
記憶でもその凄さを知っていたが、その者は、それ以上の存在と化していた。
二百名の兵隊の後ろでは、突然の竜巻が起こったように、人が宙を舞っていく。
右へ、左へ。
キョウは、目の前の光景が信じられなかった。
どこまで腕を上げれば、そこまでの者になれるのか検討も付かない。
完全武装の、鎧をきた人間が撥ね飛ばされているのだ。
それも、一度に五人単位で。
魔法と言った方が、まだ理解できるだろう。しかし、それは魔法によって行われているのでない。
一本の剣により行われている。
大振りのバスターソードで。
あまりの出来事に、兵隊達は慌てふためき、左右に別れ道ができていく。デルマンは慌て、さらに兵隊達の奥に身を隠した。
兵隊達は、もうキョウを見ていなかった。
後ろを向き、その男を見ている。しかし、現状が解っていても、誰一人として挑もうとしなかった。
その者は、数人の騎士を引き連れて、その中をゆっくり歩いてくる。
正式な騎士の鎧に、大振りのバスターソードを右手に掲げ。
アイストラ王国で出会った男。
出会ってはいけない男。
その者がキョウの前に、再び姿を現せたのだ。
キョウは一言だけ呟いた。
「――――セリオン!」
すいません。あまりに長くなってしまい、分けます。
次の話で完結。