1 滅んだ国
目を閉じると、何度も思い出す風景。
この地で、一番大きいと称されていた大国だ。
城から北にかけて広大な山々がそびえ立ち、東の地には木々が生えていない、見晴らしのよい丘がある。
城下町を守る外壁はないが、代わりに重要な領土を囲うように、広大な外壁が成されている。
高く、門付近は二重構造の、堅陣な外壁に関わらず、門はいつも閉まることが無く、他国との交流の多さを物語っていた。
城下町はレンガ作りの町並みに、石畳で舗装された道路。
多くの人波が町中を行きかわし、露店で足を止める。町の中は活気に溢れていた。
メインロードの半ば程にある、口うるさいオバサンが開いている、パン屋のタマゴサンドは絶品で、彼女もお気に入りだった。
東の丘には春先にかけて、ブルーの野花が一斉に花を咲かせ、ラズベリーブルーの草原として、人々に安らぎを与えた。
いつまでも頭に残り、消えることのない、俺の中の記憶の風景だ。
それは、世界で一番大きかった国。
人々が憧れていた国。
十八年前に滅んだ国。
事の発端の国。
全ては、俺の生まれる前の話だ。
一 滅んだ国
目の前に剣を握った少年がいる。
木製のロングソードを正眼にかかげる、最も合理的な構えだ。しかし、なんとも滑稽に見えるのは、腰が引けているためかも知れない。
対峙しているのも少年。
こちらは右手の木製のロングソードを肩に担ぎ、左手を前に差し出した変則的な構え。ただし、全体から力が抜けており、構えに余裕が見える。
「始め」の合図で仕掛けたのは、正眼の少年からだった。上段に剣を降り上げ、降り下ろす。
一閃だった。
カランと乾いた音がして、彼の木製の剣が跳ね上がり、地面に転がった。
つまらなそうに、変則的な構えだった少年が、トントンと己が剣で肩を叩く。
誰もが想像した結果がそこにはあった。しかし、まだ「辞め」の合図は掛からない。
「どうしたキョウ、まだ終わっていないぞ」
キョウと呼ばれた少年は、不服そうに講師を眺める。
「もう、勝敗は付いている」
確かに、誰の目から見ても勝敗は付いていた。しかし、とどめを刺すまで、勝敗を決めるべきではないのなら、キョウも納得ができる理由である。
講師は甲高い声でキョウを睨み付けた。
「いい気になるなよニグスベール! 勝敗を決めるのは私だ。お前ではない!」
講師は、あえてキョウが嫌うファミリーネームの方で呼ぶ。
講師の言い分はいつも同じだ。講師いわく「伝統のある騎士が、たかが剣を落とされたぐらいで、負けはしない」
酷いときなど「伝統のある騎士が、たかが斬られたぐらいで負けはしない」
その騎士も領土の大きな騎士ほどそうらしい。キョウは木製の剣を投げて、講師に従うことにした。
「俺の負けでいい」
「いい加減にしろニグスベール。親が騎士団長だからと言っていい気になるな! 学園では騎士団長より、講師の方が上だ」
講師に嫌われるのは、それなりに理由がある。そして、キョウ自身がなげやりに成るのも、それなりに理由があった。
ティーライ王国は、大戦時代に他国から恐れられるほどの、力と伝統のある騎士団で編成された王国だ。
しかし二十五年前に、人々は徐々に変わり始めた。
大きな代償を払うかわりには利益の薄い、人間同士の争いを辞め、奪うよりも自国を豊かにすることに力を入れ始めたのだ。農作物に力を入れる国、観光に力を入れる国、技術に力を入れる国。様々な国があるなかで、ティーライ王国は農作物と観光に力を入れ、騎士達は次第に力を失って行った。
剣を振るより、国から与えられた領地の名産を造る方が金になる。金を持っているほど他人より一目置かれる。
元々、ティーライ王国は暖かな気候に恵まれ、作物が良く育つ環境だった。中でもブドウの出来がいいので、そのブドウでブドウ酒を作ったところ、他国でも評判になり高値で取引される。
騎士達は競って、己が土地を耕し、ブドウ酒造りに没頭した。
七年という時間は、剣を忘れるのに十分な時間であった。そして、大戦終戦の七年後の、今から十八年前にそれが起こった。
事の発端は王国ファスマ。
世界で一番大きく、もっとも技術の進んだ国が、突如、意味不明な霧に包まれた。
霧の大きさは人間大。それが無数に現れた。しかし、それだけでは大した問題で無い、問題はその先だ。
霧は動物、時には人間に接触すると、その者を異物へと変化させる。
細長く成る者。真っ平らに成る者。体の内側からめくれ、内臓が外皮なる者。各々は別の単体で有るにも関わらず、一つの生命でしばられる者。
悪魔の様な外見に成るならまだしも、命のある生命体として見る事は考えにくい変化をとげる。変化した者は、まともな考えを持ち合わせている様には見えない。ただ生きるために、他の者を食べる。もちろん人間すらも。中には吸収すると言った方が正確な者までいる。
人間が霧に乗っ取られる事を、回避しようとするなら、恐怖を感じず、自分は自分だと、ただ意識を強く持つことのみ。
王国ファスマは、人々の憧れの国から、一気に絶望と恐怖の国へと変わった。
王国ファスマの人々は死力をつくし、堅陣な門を閉じることで、霧をある程度減らせる事に成功した。霧は風になびく事もなく、空を飛ぶ事も出来ないことから、それは有効打となったのだ。しかし、それも全てではない。隙間から漏れ出したり、突如、壁の向こうからこちらに現れたりする物は拒めない。それでも、外壁はある程度の役にはたった。今から思えば、その為の外壁にも思える。しかし、そこには多くの犠牲も払った。
外に出られた人々は、ほんのわずかだった。
そして、外に出た王国ファスマ人にとっても、絶望はまだまだ続いた。自分の出身地を知られれば、不必要なまでの虐げが待っている。王国ファスマ人々は、逃げるように身を隠して生活をしていくしか無かった。
だが最悪なのは、生き残った王国ファスマ人だけではない。世界各地に散らばった霧は、人々に恐怖を与える。
森には変化した小動物や、大型動物達が溢れ、霧に乗っ取られた隣人に、突如、襲われる事も当たり前となる。
相手は霧なので、剣で切る事も出来なく対処方法がない。さらに魔法によっての討伐ですら不可能であった。
出来る事と言えば、小動物を篭に入れ、霧に乗っ取られた後に倒すのが、唯一の方法であった。
直ぐに討伐隊が形成され、各地で霧狩りが始まるが、数の多いことや、恐怖心から、あまり上手く行っているとは言いがたかった。
ティーライ王国も、騎士達による討伐隊が形成される。しかし、一度剣から離れた騎士達にとって、少しばかり荷の重いものとなった。
国は騎士養成学園を作り、新しい戦力の開発に力を注いだ。そして、功をそうして王国周りの討伐に成功を納め、ある程度の安全を手にしたのだが、最近になり事件が起こったのである。
それは今から一カ月前の話だ。
霧や、乗り取られた者が連携を組んだように、ティーライ王国を襲ったのである。
現在の王は慌てた。
それもそのはず、前王が亡くなり、膨大な葬式を済ませ、王を即位して七日目の事であった。
遅くに生まれた皇太子は、甘やかされて育った。大戦を知らない、国政も家庭教師に教わっただけの、現場を知らない人物だ。
国政を牛耳る摂政達は、元々は形だけの王で有ることを望んだのだろう。指示どおりに動く王でよい。しかし皇太子は、王になってからは、国政に口をはさむようになる。
特に摂政達を悩ませたのは、その発言がただのわがままだからだ。
霧が攻めて来た時も、全ての騎士を統括する騎士団長の言葉を、まるで聞こうとはしなかった。
ティーライ王国の騎士団長、バード・ニグスベールは作戦会議室で、副騎士団長、師団長たちと霧の討伐の軍議を開いていた。そこに伝令の者がやってくる。
「何っ? 王が騎士に招集をかけた?」
突然の王の命令に、バードは自分の耳を疑った。
「はっ! 騎士団長も速やかに来るようにと、仰せられております」
伝令の男は敬礼の姿勢のまま、的確に用件のみ伝えた。
「今からか?」
理解できない話を聞いたように、バードは再度たずねる。
作戦会議室では、今まで霧を壊滅してきたとおり、小動物の準備や、隊列をまとめあげ、いざ向かう手だてが整った矢先である。
霧に乗っ取られた者は、対処さえ間違わなければ、さほど脅威でない。問題は霧自体だ。意識の弱い人々は、霧に乗っ取られる。それは子供や老人により多くだ。霧は進行が早く、早期解決が望ましい中、今手を止められるのは痛手であった。
バードは自分の片腕に値する男に目をやり、皆に指示をする。
「くっ、では、皆の者、私の代わりに、副騎士団長に指示を仰ぎ…………」
「副騎士団長も、招集がかかっております。師団長達にもです」
「――――こんな時に幹部全員にかかっているのか!」
「はっ!」
「何を考えている! 現状が解っていないのか!」
バードは怒りの余り顔を歪ませたまま伝令に吠えたが、彼にあたっても仕方がない。バードは荒々しくドアを開けて出ていく。皆もそれに続いた。
広い城の中を、騎士達が一気に駆け抜けていく。周りの者はただならぬ雰囲気の騎士たちを心配そうに眺めていた。
バードは王の接見の間に着くと、すぐさま王に駆け寄った。王は摂政達と護衛の騎士に周りを固めさせ、大きな椅子の上で小さくなっている。
「王! どうなされたのです。早く霧の討伐にいかなければ、取り返しのつかないことに成りますぞ」
「あぁ、バード、霧だ。霧がここに来るぞ」
「で、あるからして、速やかに騎士団達を討伐に出させて頂きたい!」
「あぁ、解っておる」
「では、まいります」
バードは敬礼もそこそこに、騎士達と共に戻ろうとする。今は何より時間が惜しかった。
「待て、待て、お前達はここにいろ!」
王は慌ててバード達を呼び戻す。
「指揮を取らなくてはなりません。どうか行かせて下さい」
ここで初めて、バードは王が震えている事に気が付いた。
それもそのはず、皇太子時代は先代の王に守ってもらい、無能な次の王は自分達の言いなりと、摂政達からも軽視さる。時代の流れから、王族権力者達の減少によって、王族特有の血生臭い権力争いから逃れた。今まで命を狙われることは皆無に等しい。その事から、命の危機に面するのは、今回が始めてだろう。
それは恥じる事ではないとバードは思う。しかし、自らは堅陣な城に守られているのだ。今は国民の安全を心配するのか先決だろう。
「指揮なら、伝令の者を使えばよい」
離れた場所では指揮は取れない。戦場は生き物で、常に変化している。
バードは摂政達を見た。
年老いた摂政達にも、自分の周りを囲ませているぐらいだ。二、三人師団長を置いて行っても、納得はしないだろう。
「では、私が残りましょう。後の者は戻します」
バードはそれなりに、腕には自信があった。彼は昔からの伝統ある騎士でなく、領土すら持っていない。しかし、バード一代で騎士から団長まで上り詰めた、いわゆる叩き上げだ。
剣の腕や頭脳がないと、何も後ろ楯のないバードは、騎士団長まで昇れなかっただろう。その事は皆が知っているし、自覚もしている。
「ならん、王の危機だ。全員残れ!」
「しかし王、指揮を取るものがいないと騎士を動かせません、被害も多く出ます。せめて副騎士団長だけでも………」
「ならん、それならば指揮は私がとる」
何故、摂政達は王を止めないのだと、バードは彼らを睨む。
解っている。今ヘソを曲げられると、自分の思い通りに王を動かせないし、自分達の家族は、比較的安全な城下町にいるからだ。領地なら後で人員を何処からでも調達すればいい。
王は伝令を呼び寄せた。
「騎士団長から師団長達は、王を守る。騎士達の半数は城内を警備。半数は城下町を守れ。それと城の門と城壁の門は今すぐ閉じよと、伝令を総動員し指示せよ」
「王! それでは外の者が! せめて半数は討伐に命じて下さい!」
バードや騎士達は、慌て王に詰め寄る。
「貴様らは、何のための騎士だ! 王の為の騎士であろう! 今は王を護るのが任務だ。これ以上私に逆らうなら、反逆罪で家族共々打ち首にしてくれる!」
違う、違うのだ。騎士とは王国の為の騎士だ。国民がいなければ、王も騎士も無い。何故、誰も今までその事を教えてあげなかったのだ?
「ならば王、せめて小動物を届ける手配だけは………」
「後、小動物を百匹ほど用意し、城内の入口付近に集めよ。五分以内でだ。急げ!」
小動物を百匹と言うと、これからの作戦に使う全てだ。
「王っ!」
バードの叫びは虚しく、王は伝令を下がらせると、やっと落ち着いた様子で、椅子に深々と座り直した。それから、バードが何を言っても王の耳には届かなかった。
騎士養成学園でも、霧の情報は入っていた。
学園生達は神妙な面持ちで、講師長の話を聞いている。中には今回が初戦の者もいるのだろう。
「我々学園生は城内を守る。各自武装して、各講師の指示にあたれ」
たしかにそうだろう。騎士養成学園とは言え、まだまだ経験の浅いもの達を危険な前線に送ることは出来ない。
しかし、キョウは直ぐ様、討伐に参加したい気持ちに駆り立てられていた。
親が騎士団長だからでなく、剣技に自信があったからでもない。
絶望としか表せない、記憶が頭をよぎるからだ。
前世の記憶とでも呼ぶのだろうか。まったく可笑しな話だ、自分が生まれる前に滅んだ国の、逃げまとう人々の姿が脳裏から離れない。
空は夜にもかかわらず真っ赤に染まっていた。誰かが魔法を使ったのだろう。所々で炎が燃え盛り、空を赤く染めているのである。霧に乗っ取られた人々は姿を変え襲ってくる。恐怖の余り、まだ霧に乗っ取られていない者を切りつける者まで居た。
そして、姿を変えた者に剣を振るい、人々を守れずいた自分を呪う。
隣を走るのは、少し左ほほを腫らし、悔しそうな顔の、最も護るべき者。
解っている。
彼女がそれを開けたからだ。
彼女を思い出すと、胸が張り裂けそうだ。
キョウは頭をふり、記憶を払いのけた。
どうかしている。生まれる前の記憶などあるはずもない。ただの幻想だ。
キョウは素直に講師に従い付いていく。しかし、学園から城下町に出たとき、城壁の門が閉じられるのを目の辺りにした。まだ、外から人がなだれ込んでいるにもかかわらずだ。
キョウは思わず門に向かって走っていた。有るはずの無い記憶の、滅んだ国が閉める門と記憶が重なった。まだ町の中に取り残された人々の叫びは、未だ頭から離れない。
後ろでは講師が何かを叫んでいたが、耳に入らなかった。
霧の対処法として、城下町の民家に掛かっている、小鳥の鳥籠を三つ掴み取り走る。
門前に着くと、人々がなんとか門を閉じさせまいと、門番に詰めよっているところだった。確かに閉めるにしても、まだ早すぎる。
「お願いです。まだ娘が帰って来ていない。もう少しだけ、もう少しだけ待ってください」
「駄目だ! 直ぐに閉めろと上からの命令だ!」
門番の騎士が、上からの命令とするなら、命令したのは騎士団長バード・ニグスベール。すなわち父親。
何と浅はかな。
キョウ初めてニグスベールと言う名を恥じた。
悲願する人々と、門番の騎士との会話にキョウは割り込む。
「今、門を閉めれば霧に乗っ取られる者が出る! 討伐に行けば問題ないはずだ!」
周りの人々もキョウの叫びに、「そうだ! そうだ!」と捲り立てる。
門番はキョウの制服を見て、騎士養成学園生と解ったのだろう。門番は騎士がいかなる者かを語った。
「騎士は規律を重んじる。命令は絶対だ! 勿論、私とて間違っていることは解る。しかし、作戦の一環と言う可能性もあり、一騎士の我が儘で、作戦を変更することは許されない!」
確かに門番の言っていることは正しい。キョウにも理解できる。しかし、その話を聞いても、周りの人々は門を閉じないでほしいと嘆く。それなら、間違っているのは他でもない、騎士団長のほうだ。
父親は会話こそあまり無いが、嫌いではなかった。
一代で騎士団長まで上がり、騎士を指揮する難しさは、キョウも解っているつもりだ。しかし、周りの人々の悲願を見て、そんな作戦を出す、父親が正しいとは思えなかった。
「解った、なら通してくれ。俺が何とかする。俺ならまだ騎士と呼べない、上からの命令を聞かなくてもいい」
確かに、霧の数も分からない、鳥も六羽しかいない状況だが、記憶が確かなら誰よりも対処は見えている。
後は何人が犠牲になってしまうかだけだ。
覚悟の決まったキョウは、闘志をみなぎらせる。ただの騎士養成学園生だと思っていた門番は、キョウの闘志に押されてか、一歩後退した。
「あっ、有り難いが、止めてくれ。まだ見習いに行かすのは気が引ける。それに、討伐用の小動物もこちらに届いていない。一人行った所で現状は何も変わらん」
門番の言った通り、小動物の数が問題だ。森に今現在、そこまでの動物達がいるか。しかし、誰かがやらねばならない。
「俺が行った所で、助けられる数はたかだか知れている。せめて時間を稼ぐから、騎士を集めるか、小動物を集めるかしてほしい」
そう言い残し、キョウは閉まる門とギリギリに、外へと飛び出した。
門の外には、人々が溢れかえり、その中をすり抜けて先を急ぐ。豊かなぶどう畑の風景が広がり、ここから最も近い領地に差し掛かるとき、ユラッと動く者と対峙した。
正直に早すぎると思う。情報がどこかで止まっていたのだろうか。
キョウは二つの篭をそばに置き、一羽しか鳥の入っていない篭を霧に向かって投げ付けた。本来なら、小鳥と霧が接触すると、霧は小鳥の中に吸い込まれ、小鳥の変形が始まるが、今回は篭が霧を突き抜け、ガシャンと音を立てただけだった。
キョウは目を見開き驚く。
生まれる前の記憶で、キョウは幾つもの霧と対峙してきたのだ。余り知られていないが、中にはこういうタイプの霧が存在する。大きさの問題からか、小動物や小鳥では変形が見られない。大型の動物や人間のみ変化する。しかし対処法は同じだ。
意識を強く持つこと。
ただ、今はどう足掻いても倒すことは出来ない。無理だと解っていても、思わず構えを取ってしまう。
キョウはいつもの、右手の剣を肩に担ぎ、左手を前に差し出す担ぎ構えをとった。
肩に担いでいる剣は愛刀で、バスターソードまでいかないが、大振りの片刃の剣である。
霧は引き返すように、スッーと後ろに向かい遠ざかっていく。その移動は早い。
今の行動は解らない。何度も対峙している記憶にも無い。ただの気まぐれに見えるし、まるで斥候の様にも見える。
城に向かわないなら構わないと、キョウは剣を腰に戻し、篭を拾い走り出す。
途中の村で無断に馬をかり、三十分ほど走って近付いた国境の領地では、今まさに攻防が展開していた。キョウは馬を降りると、馬を城の方に向かせ尻を叩く。馬に取り付かれると大きくて厄介だ。
そこからは自分の足で走り、村の中に入ると階段を駆け上がる。この村は坂が多い。
建物の角を回り、さらに階段を上ると、すぐに霧が現れた。キョウは霧に篭を投げつける。今度は篭の中で、ビキビキと音をたて、小鳥は球体に変化していく。
「すまん」
キョウは一言謝ると、いつもの構えから袈裟斬りに篭ごと斬りつける。あっさりと小鳥だったものは真っ二つになった。
霧に取り付かれた物は、その姿によってもそれぞれ対処法が違う。
キョウは人々が逃げて来る方向に逆らい、攻防の元に駆け寄った。
「領地主の屋敷の方へ走れ! あそこなら壁が高いし、屋敷も丈夫だ。出来るだけ人々を収容したら、騎士団がくるまで鍵を閉めてたえろ」
指示しているのは傭兵たちだ。騎士では動かない事態を金で解決する。騎士が足りないときも、金で国に雇われる、騎士にはなれなかった者たちだ。今回は金で雇われたとは考えにくいが。
「手伝う!」
キョウは四体目の変化した小鳥を斬りつけ、傭兵に声をかけた。残りの小鳥は後二つ。
「助かる。しかし、村の中に小動物はもうない。近くの村に行けば軒先にまだいると思うが」
キョウは間近の二つ霧に篭を投げつけ、キョウと傭兵がそれぞれを斬りつける。
「こっちも今ので最後だ」
「数人で取りに行かせよう。ここは意識の強い者だけが残り、すでに取り付かれたものだけを相手しよう」
「国境警備の騎士はどうした?」
「数人は城に報告に行ったまま、まだ戻らない。他ははぐれて解らないが、まだ村の中で戦っていると思う」
その返答にキョウが口を開きかけた時、村の中の階段の下から、一人の人間が歩いてきた。
頭の左側から、体が真っ二つに捲れ、腹の中から目玉だけがこちらを覗かせている。だが、血は一滴も出ていない。人間なら確実に死んでいるだろう。口からはヒューヒューと空気が漏れる音がする。
傭兵はあからさまに顔をしかめた。
「……………妊婦か」
いくら心が強くても、心が折れる時がある。これも霧の被害の多い点である。
キョウは一歩踏み込み、袈裟斬りに剣を振り下ろした。
「後悔なら後で死ぬほどしてやる! 今は生きている者が大切だ!」
まるで自分に言い聞かせる様に叫ぶ。隣で傭兵が頷いていた。
「確かにそうだ。俺はマストロ。お前は?」
「キョウ」
現在恥じている、ファミリーネームの方は伏せ、キョウは短く名乗る。
「よし、キョウ、ドンドン行くぞ、皆も恐れるな! 意識をしっかり持て! 直ぐに騎士が来るぞ、それまで持たすぞ!」
マストロ叫んでからしばらく経ち、霧たちは徐々に城の方に流れていく。他の村から持ってきた小動物で、国境の村は終息に向かった。
キョウとマストロ達は霧を追いかけ、同じような手立てで、幾らか残っていた騎士達と共に霧の討伐を進めていった。
そして、四時間後。
城の最も近い領地に着いたとき、多くの犠牲と共に、やっと本当の終息が見えてきた。皮肉な事に、何人もの傭兵や騎士達が、心を折られ変化するのも一役かっている。後は五十を下回るだろう。
しかし未だに門は閉じ、城下町の騎士達は現れなかった。
キョウ達残されたものは小動物待ちで、霧と対峙しているが、双方手出し出来ぬまま、時間だけが過ぎて行く。このままでは、外壁の近くの城に入れぬ者が多く死ぬ。少なくても五十人近くだ。
しかし、小動物は未だに集まらない。キョウ達はブドウ畑を右手に、手出し出来ない霧たちと対峙したまま進む。
霧はとにかく早い。走って追いかけなくてはならない。そして、ついに目の片隅に外壁が見え始める。
そこにやっと一人の傭兵が、他の村から戻って来たが、届いた小動物は二匹だった。
キョウは痺れを切らし、近道をして先回りし、門を開けるよう悲願するが、先程から閉まった門は、霧たちが近くにいる恐怖心から、さらに重く成ったのは言うまでもない。開かない門の前の人々に逃げるように指示するが、中に入れば助かると思い込んでいる人々は、思う様に逃げてくれない。
キョウは覚悟を決めて、霧に向かい構えを取った。
「みんな頼むから、意識をしっかり持て!」
キョウの願いに似た叫びが、夕焼け空に虚しく響いた。
結局は、門が開いたのは、全ての悲劇が終わり、一時間以上もたった後だった。
城内の騎士は一人として命令を破らなかった。
少なくなった傭兵たちとキョウは、霧に変化した者に傷つけられた人々の、応急処置を続けたが、ひどすぎて手の施しの無い者もいた。
「もう霧がいないので、治療を手助けしてほしい」と、門に向って何度も叫ぶが一向に返答もなく、城下町に入って治療を受ければ助かる者を諦めた後に、やっと門が開いた。「大丈夫か」の遅すぎる声と、完全武装の騎士たち。
もう助けは要らなかった。
一週間前にそんな事があり、そして現在。
キョウはニグスベールのファミリーネームを嫌い、ティーライ王国の騎士にたいして疑問を持ちはじめていた。彼は木製の剣をほり投げた後に、残りの訓練そのままにして、城下町を出て馬をレンタルすると傭兵の集まるマストロの場所へ向かった。
あれ以来、マストロとは気が合い、何度も顔を会わせている。マストロは建前上と、頻繁にない傭兵業のため、飲み屋をやっており、キョウも傭兵に登録している。未だに傭兵の仕事をしたことはないが。
キョウは挨拶もそこそこに、マストロの傭兵を派遣する飲み屋に足を踏み入れた。
そこに彼女が居た。
前置きがやっと終えました。次から要約ヒロインを書けます。
よく語る者ですが、くじけず聞いてあげてください。