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ペネトレイト・ダーク  作者: 月島 真昼
エンゼル・ダスト
9/13

故意

「とう、ったった、せいっ!」

 なんとかの一歩っていうボクシング漫画の真似をして、空中に拳を突き出す南くんを横目に歩く。声を掛けると調子に乗るので話し掛けてはいけない。小学生は多感なので否定されると傷つくのだ。

 公園にある大きな時計を横目に見ると五時を少し回っていた。空が赤く染まり始めてる。その光に照らされたオレンジ色の横顔をなんだかかわいいなと思ったけど、私は私よりかわいい存在なんて認めていなかったので口に出さない。そのうちちょっと疲れた様子で手を止めた。終わったみたいなので声を掛けてみることにした。

「ねえ、みなみん」

「その呼び方やめろよ」

 南くんは唇を尖らせて怒る。不満みたいだ。かわいいのに。私はそう呼ばれたいなと思った。私の名前は中園四季。平仮名に直すと「しき」。死期、とも書けるから私は自分の名前がとても嫌いだ。パーフェクトな私でもここだけかわいくない。

「で、何?」

「みなみんの家あっちだよね?」

 私は右手側を指した。一つ前の角を曲がらないといけなかったはずだと記憶してる。

「こっちからでも帰れるんだ」

 南くんは乱暴に言い、空中に拳を突き出す作業に戻った。

 もう少し歩いていくと私の住んでるマンションが見えていきた。南くんとお別れだと思うとなんだか寂しかったけど、涙を堪えて見送るのがいい女なんだって、こないだのドラマで言っていたので私は泣かなかった。

「みなみん」

「なんだ?」

「バイバイ」

「うん。また明日!」

 私はウィーンと鳴る自動ドアを潜ってマンションに入った。ガラス越しに南くんを見る。南くんは来た道を引き返していく。ほんとはわかってた。こっちからでも帰れるなんて嘘だ。家の前まで送ってくれたんだ。

 もう、私が好きなら好きって言えばいいのにー。

 軽い足取りで私は階段に向かった。エレベーターもあったけど歩きたい気分だったのだ。

「あ……」

 南くんはまた明日って言ったけど明日が土曜日で学校がお休みなことに気づいて悲しいやら嬉しいやら複雑な気分になった。



「ただいまー」

 誰もいない部屋に向けて殊更明るく声に出してみた。お母さんがいれば「疲れてるから大きな声ださないで」って言うだろうから、できるのは誰もいないときだけだ。ふむ、虚しいっていうのかな? こういうときは。

 お母さんは三ヶ月くらい前に離婚ってやつをしてから、毎日疲れて帰ってくるようになった。お父さんが養育費を振り込んでくれないんだ、ってよく愚痴を溢してる。「ヨーイクヒって何?」って電話でお父さんに言ってみたことがある。お父さんは「四季のために父さんが母さんに渡してるお金だよ」のあと、毎月ちゃんと振り込んでるどうたらこうたらって言ってた。

 お父さんは「四季に会いたいけど母さんが会わせてくれないんだ」って愚痴を溢す。母さんにそのことを訊いてみたら「あいつ、四季に会いたいなんて一回も言ってきてないわよ」ってすごく恐い顔で言った。幼い私にはどっちが本当のことを言ってるのかわからなくて人間不信に陥っている。つまり私は二人に仲良くして欲しいのだけどそれは夢のまた夢みたいだった。

「……本でも読もうかな」

 私の部屋にはどうやら玩具がないらしい。昔はあった。着せ替え人形とかお絵描きセットとか、それらで遊んだ記憶が確かにある。捨てられたのがいつのことだったか、何がきっかけだったか私はよく覚えてない。とりあえず私には同級生達が遊んでる玩具や男子がたまに学校に持ってきているゲームボーイとやらがとても羨ましいのだった。

 本を読むことを楽しいと思ったことは実はあまりない。どんな物語も文字だけで読むとなんだかご都合主義に見えた。漫画は好きだ。登場人物の顔がわかるから感情移入できるんだと思う。けど南くんが貸してくれるやつくらいしか知らない。

 小説はつまんない。

 私ってかなり想像力に欠けてる人間なのかもしれない。

 でもそれと勉強くらいしか時間を潰す方法がなかったから読書は私の日課になっている。

「みなみん、新しい漫画貸してくれないかなぁ……」

 お母さんにはたまに漫画を借りてるのは内緒だ。親に秘密が欲しいくらいのお年頃なのだ。

 つまんない小説をお母さんの部屋にある本棚から引っ張り出す。ページに書かれた文字をなんとなく頭に入れながら私は南くんのことを考える。

 南くんは幼馴染だ。

 誕生日が近くて生まれた病院が一緒だった。

 親同士も顔見知り。

 幼稚園が同じ。

 小学校も三学年までと五年の時は同じクラスだった。

 会うときは私が南くんのうちに遊びに行く。

 六年生になってクラスが変わってちょっと残念。

 ちょっとおバカだ。

 でも多分私の好きな人。

 お母さんはなんだか南くんと遊ぶことをよく思ってないみたいだ。だから私は南くんと遊びに行くとき素直には答えずに適当な女の子の名前をでっち上げることにしている。そんな友達は私にはいないのだけどいまのところばれてない、と思う。お母さんはあんまり私のことに興味がないのだ。興味ないくせに先生には噛み付くし南くんのことは気に食わないし、よくわかんない。お母さんは私のことをどうしたいんだろ。

 私はお母さんよりも南くんや新里先生のほうが好きな気がしてきた。お母さんはお母さんなのにそんなこと考えちゃダメだと思う。でもお母さんはお父さんのことをお父さんなのに嫌いみたい。悪い子なのは私なのかお母さんなのか。きっと私のほうなんだろうな。

 自己嫌悪をかき消すためにページを捲る。計算ドリルの方がましだったかもしれない。無理矢理脳みそに文字を詰め込み続けた。

 二時間くらいしてドアノブが回った。お母さんだ。私は控えめに「お帰りなさい」と言う。「ただいま」お母さんは私の目を見ずに言った。リビングに行く。テーブルの上にお弁当を広げる。私はお母さんがいつも買ってくるこの味の濃いお弁当があんまり好きじゃない。そもそも私は魚のほうが好きだ。なのにお母さんはお肉の入ったお弁当ばっかり買ってくる。お父さんがいた頃みたいにお母さんの作った料理が食べたかった。食べ物に文句をつけるのはいけないことらしい。言ってもどうせ「お母さん疲れてるの」って返ってくるのがわかってるから口にはしない。うん。私って賢い。

 そうして私は今日も味の濃いお弁当を食べるのだった。




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