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ペネトレイト・ダーク  作者: 月島 真昼
ペネトレイト・ダーク
7/13

無害

 受験の日。なんだか中学生活に区切りがつくような気がして僕は試験会場に行きたくなかった。エンドレス・フィフティーン。それは普通の学生にとっては延々に八月が続くなんかより凄まじい地獄なのだろうけど、僕は確かにこの十五歳を繰り返したいと感じていた。それでもなんとかベッドを這い出して外へ出る。彼女と待ち合わせてバスに乗り、高等学校に向かう。僕は特別緊張はしていなかったけれど彼女は歯を鳴らしそうなほどにガチガチだった。もしかしたら僕だけが通り彼女が試験に落ちてしまうのではないかと思うと堪らなく不安になる。

 僕と彼女はクラスが違う。当然のように試験会場も別室だった。

 テストが始まったが僕は思った通り楽に空欄を埋めることができた。三十分もある残り時間がひどく退屈でずっと時計を見る。時針とシャープペンシルの音だけが延々と繰り返される。耳障りだった。僕らの日常の音かもしれなかった。

 それが五回繰り返されたあとようやく自由になった。しかし発狂しそうなくらいやることがなかったな。学校の授業では携帯アプリの麻雀とか漫画とかまだいろいろできることがあるのに。

 別室で試験を受けていたはずの彼女を探して外に出た。校門辺りで僕を待ってくれてるんじゃないかと思ってそこまで来たがいない。メールを打ってしばらく待つ。が、返信はない。教室を見に行こうとして校舎に戻ろうとした時、中庭に彼女を見つけた。男と一緒にいる。見覚えがある気がしたが思い出せなかった。僕は人の顔と名前を覚えるのがひどく苦手だ。

「じゃあ、返事待ってるから」

 僕に気づいた男のほうがそう言い残して離れていく。彼女は頬を薄赤く染めて固まっている。悪い予感しかしなかった。僕はとりあえず試験はどうだったか尋ねた。しどろもどろな彼女は満足な答えを返さない。何かに動転している。おそらくは試験以外の。

「どうしよう……、カオル」

 真っ先に思いついたのは彼女が動物を殺していることをばれたことだったがそれが逃避だと気づいている。

「彼に告白されちゃった」

 緊張の余りになんだかよくわからないことを喚いて一週間後のバレンタインに返事をすると言ったことを僕に話した。

 僕は彼女が思い人と付き合うことになるなんて思ってもみなかった。彼女の容姿は整ったほうではない。背は高くないし胸も大きくない。口下手で性格は少し歪だ。家庭と友人関係に少々の不和を抱えているのが原因だろう。つまりおおよその異性としての魅力に欠けていた。

「僕じゃダメなのか……?」

 反射的に口を出していた。彼女は悲しそうに微笑んで「カオルくんは普通の私のことは好きじゃないでしょう」と言った。


 気がついたら僕は一人で暗い橋の下にいた。僕は幼いころからずっとこの場所が好きだった。昔飼っていた金魚が死んでしまった時も、死んだ兄を探すのに疲れた時もたしかここに来た。三角座りで一人いろいろ考えたものだ。ふとシュトレガーだったかシュデンガーだったかの猫の話を思い出す。この場所で兄がしてくれた話だ。兄はこの手の難しい話が好きだった。というか難しい話を幼い僕が首を傾げながら聴いているのが好きな人だった。

 ああ、思い出した。「シュレディンガーの猫」だ。

 猫を箱に閉じ込めたあと、その中に致死率50%の毒ガスを噴射する。その時、猫が生きているか死んでいるかは「わからない」。蓋を開けて認識されることで初めて猫は「生きている」か「死んでいる」か確定する、とかいう悪趣味な思想実験だったはずだ。

 まったく関係のない話だが猫の入った箱という物がどうしても僕には脳を連想されるものとしか思えなかった。人間は毒を詰め込んで生きている。ただしそれは行動として発露しなければ毒として確定しない。冬の冷たい夜風が僕の身を切る。いまの僕には丁度いい痛みだった。


 彼女はその日からチョコレート作りに精を出すようになった。

 僕は気がついたらナイフを見つめている日が増えた。

 彼女は次の日曜日の「狩り」に僕を誘った。

 僕は初めて彼女の誘いを断った。


 日曜日がやってくる。その日は雨だった。彼女は狩りをやめるかもしれないと思ったが、前は雨でもやめなかったので楽観視した。僕はレインコートを着て家を出た。

 昼前からニンテンドーDSを持ち込んで地下駐車場の車の陰に座る。一番奥の一番隅にあるその車がもうずっとその場所から動いていないことを僕は知っていた。兄が死んだときからこの車はここにある。音量をゼロにしたゲームをしながら僕は彼女が帰ってくるのをじっと待った。そのうち電池が切れたが充電できる場所もなかったので何かを考えることで時間を潰そうとした。「あいつ」のことしか浮かんでこなかった。彼女は「あいつ」と一緒に心中する気だ。チョコレートの中に毒を仕込むかもしれない。僕は「あいつ」に嫉妬していた。僕はやはり彼女に殺されたかったのだ。

 八時間くらいここで過ごしただろうか? 彼女の門限の七時半がギリギリまで迫っていた。今日はもう来ないかもしれない。一人で山に入って遭難した可能性もある。諦めて帰ろうか……、僕がそう考え始めたとき、雨がアスファルトを打つ音に混じって地下駐車場に足音が高く響いてきた。彼女だ。門限ギリギリだからかなり焦っているようだ。彼女が毒の入った小瓶を忍ばせていることにも気づかないのに妙な部分だけ締め上げる親もいたものだ。

 否、子供の本当の姿を知っている人間なんてどれだけの数がいるだろうか。

 否、人間の本当の姿を知っている人間なんてどれだけの数がいるだろうか。

 車の陰から出る。門限の迫っている彼女には僕を気にする余裕なんてなかったみたいだ。存在にこそ気づいていたが注意は払っていなかった。

 特別感慨はなかった。彼女を刺した。喉の辺りを刃が突き抜ける。人間の肉は野犬のそれよりも幾分裂き応えがある気がした。

「どうして」

 唇だけが動き言葉は血泡となって消える。いつかの夢の光景に少し似ていた。僕は返り血を浴びてしまったのでレインコートを脱いだ。そんなつもりで着てきたわけではなかったのだが思わぬところで役に立った。死体をどうしようか少し考えて放置しておくことに決めた。橋の下で保管して腐るまではせめて一緒に居たいと思わなくもなかったが、彼女に両親に失踪ではなく死という現実を見て欲しかった。失踪という50%の死ではなく確定した100%の死を。

 僕は悪いと思いながら彼女のバッグを開けた。探し物は例の毒だ。単純に欲しかったのも間違いではないがあれだけは彼女の死後の名誉のために回収しておこうと思っていた。だが瓶の中は空だった。

 すでに彼女には「あいつ」を殺す意思はなかったのかもしれない。山へは毒を使い切りにいったのか。

それを裏付けるように、翌週になって山に入ると幾つかの死骸が転がっていた。彼女の死を報せるニュースはとりあえず録画しておいた。報道される彼女の死を見ているうちになんだか僕は本当の彼女を理解していなかったようだと思い始める。

 だけどそれならそれで構わない。

 シュレディンガーの猫。

 僕の脳という箱の中に彼女は閉じ込められた。


 ああ、ちなみに僕が彼女のことを彼女と呼ぶのは単純に名前を覚えていないからだ。

 つまり僕の彼女への執着はその程度だったということだろう。


 そんな強がりを口にしてみた。


                         終


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