阻害
テストが終わり夏休みが始まった。
彼女と会えることは少なくなり僕は退屈を持て余す。宿題も特に難しいものはなく、すぐに終わってしまってあとは日記だけだ。しかし僕の書いた夏休みの日記はどうして毎年「最終日にまとめて書いたでしょう?」と疑われるのだろうか。
クラスメイトと遊びに行ったりもしたがどこに行ってもつまらなく感じてしまう。僕は基本的にクラスメイトに興味がないようだ。いまだに名前と顔を覚えていないやつが多数を占めている。記憶力に欠陥があるのかもしれない。限りなくどうでもいいけど。
プールに行こう、と突然彼女からメールが届いたのは二週間ほどしてからだ。僕はその日、予定があったのだがどうしようか少し悩む。彼女は大切な存在だが僕は友達付き合いも適度にこなす必要性を感じている。
僕は彼女の水着姿を想像してみた。彼女はそう胸の大きいほうではなく、背も高くない。二の腕や腰、お尻のラインを想像できるほど彼女をじっくりと眺めたことはなかったが普通の男性の抱く理想の女性像からはかけ離れた水着姿がイメージされる。だけど気づいたら別の友達から三日ほど前に届いた「カラオケに行こう」という誘いに断りのメールを打っていた。心よりも自分の指のほうが正直なようだ。
僕はすぐさまタンスを引っ掻き回して去年買った水着を探し、一応ゴーグルを持った。カメラを持参しようか迷ったが流石にまずいだろうか。ともかく準備終え、自転車に乗って待ち合わせ場所に指定された学校に向かった。数駅離れたところにある山と違い、市営のプールは自転車でいける範囲にある。彼女も自転車でやってきた。自転車の色は赤だ。なんとなく彼女らしいと僕は思う。
「待った?」
僕は首を横に振った。特に言う必要のないことだった。
誘ったのは彼女にも関わらず彼女は市営プールの位置を知らなかった。僕が先導して何度か行った事のあるうろ覚えの道を辿る。あっているのか自信はなかったが二、三度間違えただけで着くことができた。そして立てかけられた看板を見て僕は愕然とした。
『本日は水泳大会につき一般への解放はされていません』
炎天下の中彼女の水着姿見たさだけにやってきた僕の希望を粉々に打ち砕くものだった。神様はあまりにも無慈悲だ。こんな仕打ちってないと思う。
「ねえ」
彼女が言う。
「せっかくきたんだから水泳大会って見ていかない?」
僕は心の底から興味がなかったが彼女が見たいなら反対する理由もなかった。半目で新聞を読んでいる警備員さんの死角をすり抜けるのは思ったよりも簡単だった。職務怠慢だと思う。応援席的なものが上にあるようで僕らは階段を上がる。サンダルの裏にコケのようなぬめりのある感触を感じて彼女は不快そうにしていた。途中にトイレがあったがアンモニアの嫌な匂いが外まで漂っていた。ここでは絶対したくない。
階段を登りきると先ず青空。雲一つない。それからこの辺りの中学校から集まってきている水泳部員がたくさん。女の子はだいたいタオルで水着を隠していたのでそちらには目を向けない。斜め下を見下ろすといまから泳ぐらしい人間が飛び込み台に立っている。女の子だった。ガン見した。運動会でしか聞かない火薬の破裂音、次にざぶんと水に飛び込む。水に入ってしまえばよく見えないのでそこから興味を失って、彼女を見る。彼女は双眼鏡を当てて応援席のあちこちを見ていた。なんで双眼鏡なんか持ってるんだ?
彼女が双眼鏡を離す。何か話し掛けようかと思ったが彼女の目がなんだか泣き出しそうに見えたのでやめた。
泳いでいた選手達がゴールしプールから上がってくる。競泳用の水着って結構ギリギリだよなと思う。
彼女を眺めたりしながらボーっとしていると不意にうちの中学の名前が呼ばれた。なんとかみなみってやつが泳ぐらしい。名前からして女の子かと思ったが覗いてみると男のようだった。興味がない。彼女を見る。双眼鏡の奥の視線が下の誰かで固定されている。僕はふと気づいた。双眼鏡を持ってきていたということは彼女は今日が水泳の大会の日であるということを知っていたのではないだろうか? そういえば彼女が好きだと言っていた「あいつ」は水泳部だった気がする。いまさら気づいた僕って相当鈍いかもしれない。つまり彼女は僕ではなくおそらくはあいつを見るためにここに来たのではないか。あまりにも深淵の命題を前に僕は立ち竦んだ。
僕は彼女の視線の先にいる男を睨んだ。僕の視力は2、0だ。ここからでもしっかりと顔が確認できた。なんていうか特徴のない顔つきをしている。人間の顔の平均を集めると美男美女が出来上がるというがそんな感じのきれいに映る顔だ。僕のように目が濁っていないのがなんだか羨ましく感じる。向こうから見えていないのだから睨んでも意味がないことに気づいたのと火薬の破裂音に一瞬遅れてあいつが水中に消えたのはほぼ同時だ。
しばらくしてあいつが水から上がってくる。一着から少し差を開けられながらも二着だった。結構早いらしい。プールから上がり、帰っていく。彼女が「帰ろうか」と言った。僕はなんだか悔しかった。
彼女と並んでの帰り道もいつもと違って幸福な感じはしない。ズキズキと心臓のあたりが痛んだ。「付き合ってくれてありがとうじゃあね」と言い微笑みながら玄関に消えて行く彼女を初めて憎いと感じた。自分がどんな顔をしていたのかわからないが少なくとも笑えてはいなかったと思う。始まりから終わっている恋。そんなことはわかっているはずだった。近くにいればただ幸せだと思っていたのに。心臓の痛みが止まらない。
家に帰ってご飯を食べても収まらなかった。
その日、僕は眠れない夜を過ごした。




