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ペネトレイト・ダーク  作者: 月島 真昼
ペネトレイト・ダーク
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危害


 中学三年といえば本来高校受験に忙しい時期だが、僕にはあまり関係のないことだった。僕は早々に毎年定員割れすることで有名な地元の市立高校に通うことを決めていたからだ。僕はこれまでと比べて特別真面目に勉強することなく去年と同じくらい時間を余らせることができていた。親が僕に対して勉強のことで口を出すことは少ない。それは受験ノイローゼで自殺した僕の兄の影響が多少あるのかもしれなかった。

 僕はあれからずっと彼女のことを考えている。彼女ともう一度会って話がしたかった。ああも簡単に命を奪うことができる人間に僕はいままで会ったことがなかったから。

 暗いものは僕を魅了する。

 このクラスを見る。全員が退屈で何も際立ったところのない平凡な学級だ。それでも臭いだのキモいだの言われている同級生が存在する。当然だが僕は彼からなんの匂いも感じたことはないし、二次元と呼ばれるジャンルに対する彼の執着には畏敬すら覚える。僕は全員で何かをするのはきっと楽しいことなんだろうなといい加減に自分を納得させる。それが無視や嫌がらせでも。

 僕はお喋り好きな同級生にも、やたら偉そうな教師にも、他の誰かと同じ程度にうんざりしていた。ほんの少しだけ殺したいと思う。だが人間を殺すことにはデメリットが付きまとう。刑務所だ。僕はそこで何十年も過ごさなければいけないデメリットを上回るほどの怒りや絶望を感じている訳ではなかった。僕らが蚊を殺すのはきっと蚊を殺してもデメリットがないからだ。蚊は血を吸う。鬱陶しい。だから殺す。猫を殺すのにも人間ほどでないにしろデメリットはある。彼女もまた魅了されたのだろうか? 僕は何が彼女をそこへ駆り立てたのか知ってみたいと思う。

 あの公園にはこの頃毎日行っているが彼女と出くわすことはなかった。付近の住民はいつも公園に一人でいる僕を不審がるだろうなと想像がついたから一週間でやめた。もう会えないのだろうか……。諦めてしまいたくなかったが現実に探す手段を失ってしまっている。

それがある日、あっさりと僕の手にそれが転がりこんできた。

 木曜日、学校で、授業の合間の休み時間のことだった。

 僕はトイレに行こうとしていた。

 女子トイレから彼女が出てきた。

「……」

「……」

 顔を見合わせて呆然とする。というか気まずい。タイミングが悪い。廊下でばったりとかならともかくなんでトイレなんだ。

 お互い固まっていたのは三十秒くらいだろうか。本当はもっと短かったはずだがそれくらいに思えた。彼女が教室に帰ろうとする。

「待って」

 僕は思わず彼女の手を掴んでいた。細い手首が小さく震える。けれど拒絶的な震えではない気がした。この時はまったく気にならなかったけど通行人が僕たちをどんな目で見ていたか想像するとなんだか残念な気分になる。天下の往来で女の子の手を掴むなんて中学生にとってはひどいタブーだ。お互いに知り合いが通りかからなかったことは幸運だとしか言いようがない。

 始業のチャイムが鳴る。階段の下から先生の靴音。僕は手を離さない。彼女も積極的に僕を振り払う努力はしなかった。彼女は溜め息を吐いたあと「屋上、行かない?」と諦めたような笑みを見せて言った。


 うちの学校の屋上に続く扉は鍵を壊されている。まだ噂になったりはしていないから壊されたのは多分ごく最近のことだ。どこかに自殺したいやつがいるのかもしれない。扉を開くと熱を孕んだ夏の風が僕らを撫でる。今朝気づかなかったけれど今日は雲一つない快晴だった。一点の染みもない青々とした空がどこまでも広がっている。先を歩いていた彼女が僕を振り返る。似合わないなと僕は思った。彼女には青空よりも曇天か雨空の方が似合う。

「で、何?」

 何、と改めて言われれば話したいことがありすぎて困ってしまった。なんだかうまく言葉が出てこない。冷静になれ、僕。

「あの、」

 同じ学校だったんだね。僕は三年二組だけどそっちは何年何組? 休み時間とか何してる? 今度そっちのクラスに遊びに行っていい? 好きです。

「あれから何か殺した?」

 いろいろ話そうとしたことは思い浮かんだのに口をついて出た言葉はこれだった。僕ってすごく空気読めないんじゃないだろうか。自己嫌悪に陥る。

「うん。主に虫ね。殺虫剤ってすぐに死なないじゃない? ゆっくりもがきながら死んでるのを見るの。子猫みたいなのには滅多に会えないから。本当は何駅が離れたとこにある山のほうに行きたいんだけど、あの毒を作るのにお小遣いほとんど使っちゃったし。あ、虫はね。あんま醜い姿でいつまでも生きてないでさっさと死んで生まれ変わりたいんじゃないかって思うの」

「仏教徒なんだね」

「違うけど?」

 輪廻転生を信じてる訳でもないのに「さっさと生まれ変わりたい」か。理由付けの適当さに僕はつっこまなかった。

「坂北くんはなんなの?」

 妙な言い方だった。

「私と関わったって一つもいいことないよ。むしろ気分悪くなるだけ。だから帰っていまからでも授業を受けてきたら」

 そんな寂しいことを言わないで欲しかった。言いながら自分でちょっと泣きそうになってるのを隠そうとしてるのが悲しい。

「どうしてそう思う?」

「みんながそう思ってるから」

 そうかもしれなかった。中学生も三年になれば人付き合いの距離をある程度覚える。人の内面に踏み込まないくらいの距離をとったほうが楽だ。友達だけどお互いのことを何もしらないくらいの仲。付き合いにメリットしか求めない友達。僕は彼女とそんな関係になりたい訳ではない。

「いいことなんて一つもいらないよ」

 僕は言った。意味が通じたかはわからなった。

「……坂北くんは変わった人だね」

 表情を緩めたのが少し嬉しい。なんか、いい雰囲気じゃないか?

「こ、今度の日曜どこかいきませんか」

女の子をデートに誘ったのは生まれて初めてだった。

 敬語になったのは緊張を誤魔化すためだ。

「いいね。行こう」





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