不意
夜に電話が掛かってきた。私が先に取ろうとしたけどお母さんが先に取ってしまった。「ご飯食べてなさい」と言われて私はしぶしぶお弁当に戻る。「教師としてあなたは」「他の先生さんのほうが」「他のクラスに」「せめて問題の対処ができる先生を」途切れ途切れにそんな声が聞こえてくる。あーあ。面倒くさい。明日学校に行ったら先生にどんな顔しよう。ランドセルに砂が詰められるなんてどうせ多少悔しいだけなのだ。どうせ他の組に行っても私みたいなやつは同じような目に遭う。電話が切れる。お母さんが私を見る。
「ランドセル見せて」
自分の部屋から持っていく時にまだ残っていた砂をゴミ箱に落とした。お母さんに見せる。「……」お母さんは中身をしげしげ見つめる。細部まで見渡してるけどそのへんは私もチェック済みだ。返ってきたランドセルを受け止める。お母さんは「次から直ぐに言いなさい。それから朝一番に職員室に行きなさい」って言って自分の部屋に引っ込んだ。前に言ったのに「お母さん疲れてるの」で済まされて聴いて貰えなかったのだけど、覚えてないみたいだだった。ううむ、私悪くないのになんだか叱られた気分だ。
お弁当の容器を捨てて歯磨きをする。私は大人なので歯磨き粉をちゃんと使う。ちょっと苦いけど我慢だ。口の中を濯いで、ベッドに入った。今日も一日お疲れ様、私。眠った。
南くんにも会えずに学校がお休みの土曜日はとてもつまらない。やることがないので洗い物と洗濯物が終わったあとは本を読んで過ごす。それだけ。お母さんは家にいない。いてもだいたい寝てる。あとは時々にお父さんから電話がかかってくる。今日はその「時々」の日だった。電話が鳴って私が取る。「四季かい?」お父さんの優しい声が聞こえた。「うん!」元気一杯を装って答えてみる。お父さんは「明日会えるかな?」って言ったけど私は南くんと約束があるから断らざるを得なかった。お父さんとは会いたかったけど、約束は守らないといけないって何かの小説で言っていた。
……ということを日曜になって南くんに言うと「バカ! いまから帰って父ちゃんに電話しろ!」と言われたけど、電話をかけてももう繋がらなかった。南くんとも遊べなくてすごく損した気分になった。
目が覚めると七時半で遅刻ギリギリだった。寝ているお母さんを起こさないように足音は小さめに。冷蔵庫を開けて食べ物を探したけどなかったので牛乳だけ飲むことにした。口をつけてラッパ飲みとかやってみたかったけどばれたら怒られるのでちゃんとコップに注ぐ。うん、まずい。牛乳嫌いだ。でも背が高くなるにはカルシウムその他諸々の栄養素が必須らしい。背が高い人はかっこいいってえろい人が言ってた。
今日の授業分の教科書は机の中に入ってるのでノートだけ詰めたら忘れ物はないはず。よし。出発進行。玄関を開ける。「四季……」お母さんが部屋から顔を出した。「いってらっしゃい」ちょっと目を細めてやわらかい顔を作る。「いってきます!」それだけでなんだか嬉しくなった。
ノリノリなテンションで学校に行っていると南くんがいつもの場所で待っていた。昨日と同じく何もないとこにパンチを繰り出している。もう怒ってないみたいなのでそこだけ安心。
「おはよう!」
「おう、おはよう」
定番の挨拶をかわす。「コークスクリューブローがすごいんだ!」と南くんは異次元の言語を話す。「ふーん」話半分に頷いておいた。下手箱で靴を履き替えて教室の前までは一緒に行く。南くんはそこでちょっと心配そうな目をして私も「大丈夫だよ」とは言えなかった。私って大丈夫じゃないのだ。多分。
「あ」
南くんと別れてすぐに職員室に呼ばれていたことを思い出した。ランドセルを置いていこうか悩んで背負ったままいくことにした。砂が詰められてたらまた先生が泣くしお母さんが不機嫌になる。登ってきたばかりの階段を降りて職員室のドアを開けた。いろんな先生が忙しそうに授業の準備をしている。
「新里先生!」
他の先生とお話していた新里先生が遠くから振り向いた。既にちょっと涙目なのは気のせいだろうか? 新里先生を泣かしていたのはもう一人の先生? なんでそんなことしたんだろ。ううむ。わかんない。
「田代くんのお母さんと電話でお話したの」
先生は言った。……田代くんだって気づいてたんだ。
「なんて言ってました?」
うちのお母さんが同じように疑われたらきっと「四季がそんなことするはずないです。その子が嘘ついてるんだわ!」だろうなと思う。
「忍くんがそんなことするなんて信じられない」
田代くんとこも同じかと思ったけど先生の言葉には続きがあった。
「けど、一度きちんと話し合ってみるって」
……えらいなぁ。
子供心にそれなりの感動があった。無条件で信じていい事と悪い事がきっとある。きっと愛とか信頼が前者で風の噂が後者だ。田代くんは実は私のことが好きとかは間違っても信じちゃいけない類である。
「負けないでね」
先生は言った。ちょっと無責任な気がしたけど元気がでなかったといえば嘘になる。始業のチャイムが鳴って先生と一緒に教室に向かった。
席についてランドセルを下ろす。一応机の中を調べたりしたけど異常なし。本日快晴なり。母親からの説得は流石に堪えたのか田代くんは大人しい。何事もなく授業は進んだ。
お昼休み。クラスの半分と先生が給食を取りに行くために教室から消える。ターニングポイントはここかなぁと思ったけどここも何事もなく通過した。給食を取りに並んで席に座りなおす。みんなで手を合わせていただきますと言う。田代くんが私のほうにきたのはその少しあとだった。
「お前さ、先生にチクッたろ」
田代くんはポケットから土だらけのミミズを取り出してシチューの入った陶器製のお碗に落とした。私は賢いのでこういう時の対処法をよく知っていた。こないだ読んだ小説に載ってたのだ。そのお碗を掴んで中身を顔にぶっかけてやった。やりすぎたかなと思った瞬間に頭にがつんと衝撃が走った。「田代くん!」先生の声。視界がぐるんと一回転したときには真横に床があった。椅子ごとこけたんだと気づく。お腹の辺りに田代忍の踵が、一回二回三回四回五回六回降ってきたあたりで先生が田代くんを羽交い絞めにしたけど七回目が。お腹の中で何かが破裂したみたいな感じがした。死ぬと思った。次にせめて父さんと母さんが仲良くなって先生を泣かないようにしてえろい人とチューくらい済ませて死にたかったなと思った。




