表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ペネトレイト・ダーク  作者: 月島 真昼
ペネトレイト・ダーク
1/13

禍害

 これはミステリでもなければホラーでもない。ましてや文学なんかではあるはずがない僕の一人語りだ。

 猫が殺されていた。

 生まれて間もないまだ人見知りもしないような小さな猫が数匹、しゃがみこんだ誰かの足元に寄りそうにして死んでいた。嘔吐物に似た色をしたそれは夕方の公園にまるで違和感なく溶け込んでいる。人影は一つしかない。近頃の公園には子供が寄り付かないというが、本当らしい。入り口から一番遠い場所で背中越しなので僕の視力が2、0でなければ気がつかなかったに違いない。

 なんとなく間近で見てみたくて僕は公園に足を踏み入れた。

 猫を殺している頭のおかしなやつがおそらくは僕に気づく。

 ふと殺されるだろうかと思った。だが現実感がなかった。そもそも僕の命なんてのはきっと夏になったらうざいほど潰す蚊と同じくらいしかない。人の命だけを特別重く考えて他人の自殺を止めたりするやつの気持ちが僕にはわからない。むしろ殺されてもいい気がする。

 足音や気配を消すことなんてできないから、無造作に近づいた。誰かはその場で蹲ったままだ。首だけがぐるりと回って僕を見た。

「……誰?」

 思っていたより高い声だ。女の子みたいだ。ズボンを穿いているので少年かと思ったがどうやら同級生くらいらしい。自己紹介をするべきか迷った。やってみることにした。何事も挑戦だ。猫を殺していた女の子と分かり合うこともきっと例外ではない。

「坂北カオル。中学三年。この近くに住んでる。君は? ここで何をしてるの?」

 女の子は少し戸惑った表情を浮かべる。本当に自己紹介が返ってくると思っていなかったのかもしれない。困った顔をしていた。どことなく嗜虐心をそそられる顔つきだ。学校では目立つほうではないのだろう。

「私は……、」

 躊躇ったあとに言う。

「相原希。猫を殺してた」

「何のために?」

 彼女は口端を吊り上げる。

「この子達ってこのまま引き取ってくれる人がいなかったら野良になるわけでしょ。野良猫なんてみんながみんな生きれるわけじゃない。車に跳ねられたり餓死したり、そんな風に兄弟が死んでいく中で自分だけが生き残る。それってすごく寂しいことじゃない? だからいまの内にみんな一緒に死ねたら幸せなんじゃないかなと思って、殺してみたの」

 彼女の瞳はキラキラと輝いていてすごく明るい顔で楽しそうだ。だけど本当に愉快そうな人間の顔って結構醜い。話した内容は彼女的には本心なのかもしれない。でも多分自分が楽しいからやっているだけだ。だいたいそんな悲しい理由で猫を殺した人間があんないい笑顔を浮かべることがどうしてできるだろう。

「へえ。そうなんだ」

 僕は相槌だけ打っておく。

 彼女は愛おしそうに死んだ子猫の毛を撫でている。反応を一切示さなくなったそれに僕は愛らしさだとかを感じることはできそうにない。それでも何か思うことはあった。そしてそれは哀悼とかではなかった。

 僕が黙って彼女を見ていると彼女は「君も殺る?」と透明な液体の入った小瓶を差し出してきた。僕は首を横に振った。もう猫はみんな死んでいていない。この場で殺せるような存在は彼女と僕自身しかいなかった。

「それ、中身は何が入ってるんだ?」

「毒。作り方は本に書いてあった」

「このために作ったのか?」

 彼女は首を横に振った。

「好きな人ができたら一緒に死んで貰おうと思って」

 それから一転して今度は眩しいくらい魅力的な笑みになる。

 彼女の容姿は決して美人やかわいいと言えるような特別秀でたものではなかったし、僕はグラビア雑誌に出てくるような胸の大きな大人の女性が好きだった。

 なのに、僕はその瞬間から彼女のことを好きになっていた。

 電気が走る、なんて恋愛小説なんかではいうけどあれって本当なんだなと妙に冷静な部分で思う。

「君は私が恐くないの?」

 彼女が言った。死骸を撫でる手は止めない。

「恐い? ……ああ、恐いかもしれない。ていうか恐い。すごく恐い」

 恐いものみたさだ。

 多分僕は遊園地のお化け屋敷に入るのと同じ感覚で彼女に近づいた。

「そうは見えないけど……」

 彼女は指先で猫の瞼を持ち上げて眼球を弄る。

「君より恐いものが他にあるからじゃないかな」

 例えば「普通」とか、同じような毎日を何の疑問も抱かずに繰り返すこと。

 僕にはそれが狂気の沙汰だと思う。

「君は暗い目をしてるね」

 猫の瞼を閉じる。猫に言ったのか僕に言ったのか計りかねた。

「あ、門限やばいんだった」

 彼女が立ち上がる。立ちくらみがしたのか少しよろけて子猫の死骸の一つを踏む潰す。ぐりゅりと熟れた果実が潰れたような嫌な音がする。汁が滲む。彼女はまったく気にする素振りを見せずにそのまま歩く。

「あ、あのさ」

 立ち止まってくれた。

「連絡先を教えて欲しい」

 彼女は少し迷ったあとに「ダメ」と言って逃げるように去って行った。

 ちょっとショックだった。


 取り残された僕は死骸をすべて一緒にあったダンボールに納めた。彼女に踏み潰されたモノも掴んで放り込んだ。照明の下を通るとき割れた頭蓋骨から透明な液体がこぼれているのが見えた。鉄臭さと獣臭さが混じっている。普段の僕なら吐き気を催すに違いない。

 猫は多分みんなこのダンボールに入れられて捨てられていたんだろう。大方去勢もせずに部屋の外で飼っていた猫が別の猫と交尾して子供を産んでしまったが、自分達ではとても飼いきれないので捨てるしかなかった、と言ったところか。飼い主は無責任かもしれないが猫にとってどちらが幸せなのか。去勢された猫は人間にとって都合がいいかもしれない。だけど一生異性の味を知らずに終わり、さらに体に負担のかかる手術を受けさせられる。一方去勢しない猫はやりたい放題だ。僕は童貞だからセックスの味は知らないがきっと気持ちいいのだろう。

 ダンボールを抱えて僕は川沿いの道に出た。もう少し行けば大きな橋があってその下には誰も近づかない僕の秘密の日陰がある。そこに置いておけばきっと誰も子猫の行方を知らずに済むはずだ。死んだ子猫と彼女が簡単に結びつくとは思えなかったが、それでも野ざらしにするのはあまりよくない気がした。

 僕は川の汚い水で自分の両手についた表面上の汚れを落として帰路についた。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ