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残りの希望をあの花に

掲載日:2026/02/18

残りの希望をあの花に (著:紅野レプリカ)


[死にたいのに死ぬことができない人。生きたいのに生きることができなかった人。世の中はそんな人ばかりで溢れている。できることなら自分が代わりに死んであげたい。]

そんなことを書き込んでパソコンを閉じた。


 次の朝あるメッセージが届いていた。

[そんなに死にたいなら死ぬ前の仕事をしてから死んでみない?]

 よくある迷惑メッセージのようなものだった。

 今までであれば無視をしていたが興味本位で返してみることにした。

[死ぬ前の仕事ってどういうことですか?]

 返信はすぐにきた。

[具体的に話すと長くなるから、興味があるなら実際に会って話さない?]

 少し怖さもあった。しかし聞くところによると俺よりも一つ年上で家も割と近いということがわかった。死ぬ前の仕事に興味があったわけではなく単に暇つぶしになりそうだと思ったため会ってみようと思った。時間と日にちを決めて俺の家で会うことにした。


 インターホンが鳴った。予定通りの時刻だったので瞬時にそれが彼女だと分かった。本当に来たことに驚いたためか応答のボタンを押すということを忘れてドアに向かった。いつもより少し冷たいドアノブを握り、ドアを開けた。外の冷たい空気が全身を覆いつくすのと同時に目に一人の女性の姿が映り込んだ。視界に映り込んだ彼女の見た目は肩につきそうな黒髪に右腕に腕時計がつけられていた。

「初めまして蒼華そうかです、咲紅さくくんで合ってるよね?」

 彼女は首を傾げ、俺の顔を笑顔で下から覗き込んだ。馴れ馴れしいその姿に俺は目を見て言葉を返すことができなかった。

「はい。そうです」

 初対面で緊張していたせいで固い返事となってしまった。

「まぁ、緊張するな少年」

 そんな俺の緊張をほぐすかのように彼女は笑いながら肩に手を置き部屋の中へ入っていった。もともと部屋に入っていいということは事前に伝えておいたが、こうも躊躇いもなく入られるとはと思い驚いた。しかしその躊躇いのなさが今の緊張を和らげてくれた。

「どこに座ればいい?」

「テレビの前にある小さい机。そこに適当に座ってください」

「はーい。以外と部屋綺麗にしてるんだね」

「以外とってなんですか。普通は汚いみたいな」

「ごめんごめん。なんか今すぐ死にたいって言ってたからきっと部屋は汚いんだろうって思ってて。でも一人暮らしでも部屋を綺麗にしてる人って素敵だよ」

 素直に言われたその言葉はストレートに心に刺さった。

「ちょっと顔赤くなってない」

「やめてくださいよ」

 すぐ顔が赤くなる癖をおちょくってきた彼女の言葉を止め、本題の話へと変えようとした。彼女が座っている机に向かい、正座をしている彼女を見習って向かい側に正座をして座った。

「ところで、なんですか死ぬ前の仕事って」

「待ってその前に君本当に死にたいの?」

 急に質問されて驚いたが、この質問はされるだろうと頭の片隅に置いていたおかげで難なく返せた。

「生きたいけど生きたくないってのが正直な言葉です。俺には友達もいないし恋人もいない、将来の夢もなければ希望もない、大学受験にも失敗して親との関係も良くはない、そんな感じの今を送ってます。生きててもつまらないから死のうとしたこともありますが、死の恐怖を目の前にすると苦しいとか痛いとかそんなことを考えてしまい、引き下がってしまいました。死の恐怖に抗うことなく死ぬ方法がないかと考えていた時に蒼華さんに出会ったって感じです」

 そう俯きながら言った後、顔を上げた。

 彼女の顔が一瞬無になった感じがしたが一瞬だったため見間違いだと思った。

「まさかそんなことがあったのね。でも大丈夫。あなたは三日後にその考えがなくなるわ」

 そう口調だけはポジティブに言って話を続けた。

「それで仕事ってのはね、希望を売ること。厳密に言うと分け与えるって言う方が合ってるかもしれないね」

 シンプルに説明したつもりだろうが意味が全く分からなかった。

「希望を売るってどういうことですか?」

 俺も負けじとシンプルに質問を返した。

「あぁまずそこからか。まず希望って知ってる?」

「絶望の逆とか、この先の人生の楽しみ的なものですかね」

「まぁそれもそうだけどね、希望って言い換えれば寿命みたいなものなの。人は無意識の上で希望をすり減らして生きているの。そして希望を使い終わることは死を意味する。車を動かすガソリンみたいなものだと思ってくれたらいいかな」

 彼女の顔はさっきまでの晴れた顔とは一変して曇り気味となっていた。

「人って生まれた時点で何歳まで生きることができるか決まってるの。例えば百歳まで生きることが決まってる人には百歳まで生きる希望の量が与られる。それぞれ生きるべき年までの希望が与えられて生まれてくるの。そしてその希望を消費しながらみんな生きてるんだけど、数人に一人は生きるべき年と希望の量が合わずに生まれてくる人がいる。そういう人は一定の期間希望を使えなくなったり全体的に薄い希望で生きていかないといけないの。そういう人たちが自分から死を選んだりするんだけどね」

 彼女の少し悲しそうだった。そんな顔を見ると何も言葉が出なかった。

 数秒の間の後、彼女は感情のない目で俺の目を覗いて話してきた。

「咲紅くんがもし自分から死を選ぶなら本来の死までの希望が余るでしょ。だからそれをさっき言ったもともと希望が少ない人に売ってみないかってこと。あなたは希望を売ることによって希望の量が減って望み通り死ねるし、希望をもらった人は燃料をもらったことになって元気になる。どう?悪い話じゃないと思うけど」

 出会ったばかりの時とは違い真剣な表情だった。しかし俺は一つ疑問に思った。

「『希望を売る』ってどうやって売るのですか?形がないものを」

 その質問来ると思ってましたと言わんばかりに彼女の表情は少し企んだような笑みに変わった。

「話すだけだよ。たったそれだけ」

「話すだけって、ただ話すだけですか?」

「そう。でも話す前に私と契約しないといけないけどね。まぁ契約って言ってもここに名前を書いてもらうだけだよ」

 そう言うとポケットの中から小さなメモ帳とボールペンを取り出し、机の上に並べた。ペン先とメモ帳がこちら側に向いているあたり契約というものをせざるを得なく思ってしまう。

「ここに名前を書くだけで契約完了ですか?」

「さっきからそう言ってるでしょ。別にそんなに考えるようなことはないと思うけどね。名前書くだけだから」

 確かに契約方法としては名前を書くだけでハードルも高くはなかった。しかし何故だか少し躊躇ってしまった。その理由はわからなかった。

「これで契約完了ね」

 結局、書かざるを得ないであろうこの状態と自分が元から抱いていた気持ちを正しいと言い聞かすように名前を書いた。

「これって、希望がなくなった瞬間すぐに死んでしまうのですか?」

「すぐにってわけじゃないよ。今日から三日間にかけて希望を売ってもらって、気づいたらって感じかな。まぁ安心して痛みとかはないから」

 まるで夢が叶った人を見るかのような顔で俺を見てきた。確かに俺の夢は叶う。ただその事実だけが心を駆け巡った。

「ちなみに言い忘れてたけど任務完了するまでに勝手に自殺とかしたらあなたの今から会う人たちまで死ぬことになるから。くれぐれも自ら死なないように」

「わかりましたよ」

 少し脅されるように返事をした。

「それでその仕事はいつからですか?」

 不自然と揺らぐ心を感じながら質問した。

 すると彼女から「今からだよ。今から行こう」と思ってもいなかった答えが返ってきた。

 彼女の目には焦っている俺の姿が映っているはずだが、そんな俺を気にかけることなく彼女は立ち上がった。

「今からですか?」

「なんで?何か用事でもあるの?」

「いや。別にないですけど、急すぎるというか」

「今さっき契約したばかりでしょ。まさか本当は怖がってたり」

 少し躊躇っている俺を見て、呆れたような顔でそう言ってきた。契約をした以上行かないという選択肢はないだろうと思い、言われるがまま彼女についていくことにした。

 先に外に出ていった蒼華さん。俺はアウターを一枚羽織って後を追った。最初よりも温かさを感じるドアノブを捻って外に出た。

 外は冬の終わりにしては暖かいと感じたが肌寒さは健在だった。

 今の気持ちを代弁してくれているかのような曇り空を見ている俺に彼女は言ってきた。

「そういえば。一つ言いたいことがある」

「なんですか?」

「咲紅君の一人称の“俺“ってこれから使うの禁止ね」

「どうしてですか?」

「今から小さい子に会うんだよ。“俺“って言ってたら怖がられちゃうよ」

 確かに、大人で俺っていう人に対し自分も少し怖く感じるかもと思った。一人称を変えることは嫌ではあったが、彼女の提案に反論点がなかったため、仕方なく従うことにして「わかりました」と返事をした。

「ところで今からどこに行くんですか?」

 僕は自分の三歩前を歩く蒼華さんに質問した。

「さっき家で説明した『もともと希望の少ない人』のところだよ」

「言葉の意味はわかりますが、いまいちピンとこないというか」

「とりあえず私について来て、ちゃんとした説明はその後にするから」

 そのままあまり人通りの少ない住宅街を抜けて、お店や学校、塾などといった大きな建物が建ち並ぶ場所に出た。そしてさらに数分歩くと蒼華さんが立ち止まった。

「着いたよ」

 そこに自分の住んでいる地域で一番大きな病院の前だった。

「ここですか?その『もともと希望の少ない人』がいるところって?」

「ここというよりはその後ろかな」

 それと同時に振り向いた蒼華さんに続いて僕も振り返った。

 しかしそこにあったのは小学生くらいの子供たちが元気よく遊んでいる公園だった。気温も肌寒いぐらいであったため長袖を着ている子供たちがたくさん遊んでいた。

「ここの公園ですか?」

「そうだよ」

 そういうと蒼華さんは公園の入り口に向かって歩き出した。僕もその後っを追って歩き出した。

 蒼華さんが向かった先は砂場だった。子どもの頃以来に訪れた砂場に子どもの頃の景色が思い出される。そんなことを思っていると目線の先で蒼華さんが腰を下ろした。蒼華さんの前には砂でお城を作って遊んでいる二つ結びの小学校低学年ほどの女の子がいた。

「この前言ったお友達連れてきたよ」

 そん言葉を聞いた女の子はお城を作る手を止めて蒼華さんの方を見た。

 先ほどのお城を作っていた時の顔とは打って変わって満面の笑みを浮かべていた。

「あっ、その前に砂まみれの手を洗ってこようか」

 女の子は笑顔のまま頷き、水道の方へと走っていった。

「さっきの子が『もともと希望が少ない人』一人目ね」

 蒼華さんは腰を下ろしたまま僕の方を振り返り言ってきた。

 もともと希望が少ない人とはどんな人なのだろうかと疑問に思っていたがそれは小学生といえばで想像しそうな子だった。

「見た目は周りにいる他の子達とあまり変わらないですね」

「だからこそ周りにはわかってもらえなかったり、理解されなかったりするんだよね」

 蒼華さんは俯きながらそう言った。さらに今度は顔を上げて話を続けてきた。

「さっきの子、彩芽あやめちゃんって言うんだけど、生まれつき声が出せないの。数万人に一人の難病で体は元気で今もこうやって遊ぶことはできる。でも声を出して話すことはできないの。だからなかなか友達もできなくていつもさっきみたいに一人なの。周りの子達はまだ小さいから理解してあげて受け入れることができなくて。誰も仲良くしてくれないって彩芽ちゃん自身もわかってるからなのかいつの間にか自分から友達を作ろうとしなくなったの」

 僕が言葉を返すことができずに俯いているとツタツタと足音を鳴らして彩芽ちゃんが帰ってきた。濡れたままの手を見て蒼華さんがハンカチを差し出した。手を拭いた後のハンカチを返す時の顔は『ありがとう』を伝えているような気がした。

「さっき言ったお友だちね、この子だよ。咲紅君っていうの。とっても優しいからきっといいお友だちになると思うよ」

 蒼華さんは彩芽ちゃんと僕を交互に見返しながら説明していた。僕も蒼華さんのように腰を下ろして彩芽ちゃんと目線の高さをそろえた。

「よろしく。彩芽ちゃんと友だちになりたくて来ました、蒼華さんの友だちの咲紅です」

 どのようなテンションで言うのが正解かわからなかったが、彩芽ちゃんは笑顔でこちらを見てくれていた。

「まあ、あまり緊張しないで咲紅君のことは事前にとってもいい人だって伝えてあるから」

 会う前にいい人と決めつけて伝えるのはどうかと思ったが今はそれに感謝した。

 挨拶を交わしたがいつどのように希望を売るかなどこれからどうすればいいのかはまだわからないままだった。

「よし。せっかくだから彩芽ちゃんがしたいことをして遊ぼう。彩芽ちゃんは何がしたい?」

 それを聞いて彩芽ちゃんは笑顔でブランコを指さした。自分も小学生の頃は公園で何がしたいかと聞かれるとよくブランコと言っていたのを思い出した。歳を重ねて今は公園に行くこと自体減ってしまったが今でもあの風をきって空へ溶け込みそうな感覚は残っている。

 蒼華さんは彩芽ちゃんと手を繋ぎ彼女に引かれるがままブランコの方へと向かった。僕も二人の背中を見ながら歩き出した。

 ブランコに座った彩芽ちゃんを見てどうして彼女がブランコをしたいと言ったのか理由がわかった。足がギリギリ地面にとどかない彩芽ちゃんの後ろに立って背中を蒼華さんは優しく押し始めた。

「ほら作君も」

 横でその光景を見ていた僕に蒼華さんがそう言ってきた。蒼華さんは横へ移動し僕に彩芽ちゃんの背中を押すように促してきた。弟も妹もいない僕にとって自分より年下の子の背中を押すことはどこか新鮮な気持ちがした。もし自分に妹がいたらこんな気持ちになるのかということを思って背中を優しく押した。誰かの背中を押すことで自分の背中も推されるような感じがした。

 その後は三人で並んでブランコに乗ったり、滑り台をしたりと妹の遊び相手をするような感じで時間が過ぎた。自分が思っていたよりも普通すぎて特別なことをすると思っていた自分にとってこの時間は不思議な気分だった。

 三人で砂場で遊んでいた時に蒼華さんが口を開いた。

「彩芽ちゃんは最近学校には行けてる?」

 蒼華さんの質問に対して彩芽ちゃんは首を一回縦に振った。

「学校楽しい?」

 その質問に対しては首を縦に振ることはなかった。

 僕自身、彩芽ちゃんに会う前に蒼華さんにそのことについては聞いていた。学校に行っているが周りの友達と仲良くできず、こうやって今も一人で公園に来て遊んでいると。僕たちと遊んでいる時の彼女の笑顔は嘘をついているようには感じなかった。心の底から楽しいと言っているように感じた。どんな人でも独りは寂しいし、誰かといると不思議と笑顔になれる。

 一言だけ喉まで登って来た言葉があった。それを言ってしまえば嘘になるが彼女は喜ぶ。



「なんであんなこと言ったの?自分の立場わかってるの?」

「すいません。つい」

「『また会いに来るって』三日後死ぬかもしれないんだよ。そんな勝手な約束しないでよ…」

 彩芽ちゃんと別れて歩いて帰っていた帰り道、蒼華さんはまるでこれから会えなくなるのは自分の方かのように顔を下に向け涙目となっていた。

「蒼華さんから聞いた今の彩芽ちゃんに友達がいないっていう状況と僕たちと話す時の彼女の笑顔が重なって、口走ってしまいました」

 蒼華さんは涙が滲んでいるその瞳を拭って顔を上げた。

「言ってしまったことはしょうがないでしょ。しっかり約束果たすんだよ」

「いやでも、僕はもう」

 その後を言いかけた時に蒼華さんは「いいから」と強引に話を切り上げた。

「とりあえず今日で君の希望は少し減ったからね」

「ああ、それについてちょうど聞きこうと思っていました」

「何?」

「蒼華さんは僕の家で希望の売り方について『一緒に時間を過ごすだけ』って言っていましたがそれだけで本当に希望を渡すことができたのですか?正直実感がなさすぎるというか」

 蒼華さんはまるで簡単な問題を解くことができない生徒を見るような目で見てきた。

「希望本体は目に見えないから分からないよね。でも気づかなかった?一緒の時間を過ごすにつれて彩芽ちゃんどんどん笑顔になっていくのが?」

 それは僕自身も感じていた事実だった。彩芽ちゃんの最初に会った時は暗かった顔も最後にはもう一度会ってみたいと思うような笑顔となっていた。

「気づきました。それが希望が渡せてることの証なんですか?」

「そうだよ。笑顔の源は希望だからね」

 蒼華さんは少しはにかんだような笑顔でそう言ってきた。

 その後、蒼華さんは「私の家こっちだから」と言って、それぞれの帰路についた。


外が暗い中一人暮らしの家に一人で帰り着いた。

最近は家に朝からずっと居たためドアを開けた先の暗闇がかなり暗く感じられた。数時間前の暖かさの消えたドアノブを力のない手で捻ってドアを閉めた。台所の電気に続いて部屋の電気をつけてそのまま椅子にもたれかかった。久しぶりの外出と久しぶりの対人にかなり疲れた。

 その間に今日の出来事が頭に中を駆け巡った。蒼華さんとの出会い、彩芽ちゃんとの出会い、蒼華さんの涙、その全てが今日までの自分にとって特別で頭の中から離れなかった。

 その中でも自分の力で自分以外の人を笑顔にできたことが印象に残った。希望を売るという犠牲の上だが自分の力で人を笑顔にすることで自分自身も笑顔になる。それにより数時間前までの死にたいという気持ちが自然と浄化されていくように感じられた。そんな気持ちを振り払うかのように頭を掻き回し、自分の判断を正当化するように「間違ってない」そう言い聞かせた。


 窓から差す朝日で目が覚めた。昨日は自分が思っていたよりも疲れていたらしく気絶したように寝ていたらしい。スマホを着けると蒼華さんからメッセージが届いていた。

[今日は十一時に〇〇マンションの三○五の部屋の前に集合ね。早く着いたら待ってて]

 時計を確認すると時刻は十時半を過ぎていた。慌てて外に出ようとしたが、昨日と変わらない服装でお風呂にも入っていなかったことに気づいた。急いで今着ている服を脱ぎ捨てシャワーを浴びた。新しい服に着替えながら時計を確認した十時五十分。間に合うか間に合わないかのギリギリの時間に家を飛び出した。

 少し走った甲斐もありマンションの前には二分前に着いた。建物の回数を指を折って数え、八本目で指をとめた。改めて今度は指で刺して数えようとすると後ろから名前を呼ばれた。

「咲紅くん!ごめんお待たせ」

 振り返ると蒼華さんが慌てた様子でこちらへ向かって来た。

「僕もちょうど今着いたところですよ」

「そう?ならよかった。昨日アラームもかけないままいつの間にか寝て、起きたら十時半だったの」

 ほとんど自分と同じようなことをしていて笑いそうになった。僕も同じでしたと言おうとしたがしっかり者を演じたかったため言うのをやめた。

「とりあえず行こう。今日の子が待ってるよ」

 そう言って蒼華さんは後から来たにも関わらず先を歩き出した。マンションの入り口付近に着き僕の方を振り返って蒼華さんが聞いてきた。

「階段とエレベーターどっちがいい?」

「えっと…。どっちでも良いですよ」

「…最近の人たちは何でもかんでも“どっちでもいい“って言うよね。人生なんて全て選択なんだよ。こういうちょっとした選択も決めないで人に流されてるといつか人生ごと流されていつの間にか人生終わるよ」

 蒼華さんは呆れたような声と顔でそう言ってきた。そのことに僕は言い返す言葉がなかった。

「まあ咲紅くんあんまり運動しなさそうだし階段にしようか」

 他の人だったら皮肉に聞こえていただろうその言葉も蒼華さんが言うとそうは感じなかった。

 階段を登っていると蒼華さんが話し始めた。

「今から会う子は水無月透花とうかちゃんっていう小学二年生の子で、生まれつき目が見えにくい病気を抱えているの。そして見えにくいだけらまだしもその病気はどんどん進行して、いづれは今見ているもの全てが見えなくなってしまう。今はまだ視力が悪い程度だから私生活に支障はきたしてないけど、これから先、それを自覚した時どう思うか心配になるの」

 僕の前を歩いていたため顔は見えなかったが多分涙目となっていたことだろう。

 三○五室の前についてインターホンを鳴らした。中から「はい」と声がして母親らしき人物が出てきた。

「あら、蒼華ちゃん久しぶり。また来てくれたのね。ありがとう」

 優しい母親のような笑みを浮かべてそう言った。

「あら。そしてこっちの子はお友達?」

「そうです。私の友達でもあり今日透花ちゃんの新しい友達になる子でもあります」

 いつのまにか少し正解で少し外れているような情報を話され戸惑っていると「あいさつ」と蒼華さんに言われたので続けて「那花なばな咲紅と言います」とあいさつした。

「どうぞ、外は寒いから中に入って」

 母親は先ほどよりも扉を大きく開けて中へ入るよう促した。初対面の人の家に入るのは少し躊躇いがあったが蒼華さんは慣れているからか「お邪魔します」と言い躊躇いなく入っていった。「透花は二階の部屋にいるからどうぞあがって」と言ってきたので僕は頭を下げて階段を登り始めた。

「透花ちゃん来たよ。今日はスペシャルゲストも」

 先に部屋へと入った蒼華さんからそのような声が聞こえた。その後、部屋へ入ると蒼華さんと椅子に座ってこちらへ体を向けている少女が目に入った。

「こちら、咲紅くんです」

 蒼華さんはそう言って僕の前に手を差し出してきた。

「咲紅です。よろしく」

 頭を軽く下げた後、少女の顔を少し覗いたが心から歓迎はされていないような顔をしていた。

「透花ちゃんごめんね。何も言わずに知らない人を連れてきて」

 少し渋めの顔をした蒼華さんと同時に、蒼華さんのことだから事前に僕のことは伝えているだろうと思っていた気持ちを後悔した。小学校低学年ということもあり僕たちはだいぶ大人に見えるだろうし、たとえ知っている人の友達だとしてもいきなり知らない人が部屋へ入ってくると僕でも怯えるだようと思った。

「大丈夫。お兄ちゃんはお姉ちゃんの友達なの?」

「そうだよ。私の友達なの。とっても良い人だよ」

 そう言うと、彼女は笑顔になって椅子から降りた。

「“お兄ちゃん“だって」

「やめてくださいよ…」

 蒼華さんはにやけながら僕がお兄ちゃんと呼ばれたことをいじってきた。

 蒼華さんは高頻度でここに訪れているからお姉ちゃんと呼ばれていることは事前に来ていたがまさか自分までお兄ちゃんと呼ばれるようになるとは思ってもいなかった。しかし同時に一人っ子の自分にとってその事実は嬉しいものでもあった。

「さあ今日もたくさんお話を聞かせて」

 そう言って蒼華さんは床に体育座りをしたので僕も流れるように体育座りをした。

「今日はね、透花の夢について話したいの」

 そう言うと彼女は机の引き出しから自由帳を取り出し数ページめくってその中の一ページを大きく開いて見せてきた。そこには色鮮やかな色彩が並んでいて、花のような花火のような絵があった。

「透花は今はこの世界が見えてるけどね、どんどん大きくなると見えなくなってくるんだってお医者さんが言ってた。だからそれまでの夢を考えたの。それは透花の目が見えるまでにたくさんの花火に囲まれて空を飛ぶこと、そして透花が死ぬ時、その時は目はもう見えないかもだけど、たくさんのお花に囲まれて死ぬこと。これが透花の夢だよ」

 僕と蒼華さんは唖然としていた。夢と言うことで先生になりたいなどの発言などを想像したが、返ってきた回答は斜め上のさらに上をいく回答だった。

「透花ちゃんすごいね!そんなしっかりと夢を言えるなんて。私なんてどうせ夢は叶わないって思ってすぐに諦めちゃうもん。だから本当にすごいよ!そうだよね?咲紅くん?」

「うん。本当にすごいよ。僕なんか夢の一つとして死に方すら考えたことがなかったからね」

 褒められて少し照れている彼女は広げていた自由帳を閉じて机の上に置いて俯いた。

「でもねお母さんの前でこの夢を言うといつも悲しいような顔をするの。だからお兄ちゃんとお姉ちゃんが褒めてくれて嬉しかった」

 俯きながらそう言う彼女の顔はうれしさが滲み溢れているようだった。

「お母さんからしたら透花ちゃんに死ぬことを考えさせてしまっている罪悪感があるんじゃないかな。夢って言い換えれば生きる意味でもあって生きるため希望みたいなものだよね。でも私はそんなことはないって思ってる。『ああゆうふうに生きたい』『いこういうふうに生きたい』みたいなのが大半の人が想像する夢だとしたら、私は『ああやって死にたい』『こうやって死にたい』みたいなのもまた一つの夢だと思う。でもこの世界でそれを口に出すのはまだ早いのかな」

 蒼華さんは少し寂しそうなかつ彼女の夢を聞いて少し嬉しそうな顔をしていた。

 夢を語っている時の彼女の笑顔は本物だった、目が見えなくなるという未来が迫ってきているというのに夢を語ると人はここまで笑顔になれるのだと思った。僕なんて特に将来決まった怖さもないのに死にたいと思って契約をしてしまった。これから見つかるかもしれない夢もこれから訪れるかもしれない幸せも全部捨ててしまった。再び過去の後悔が頭を駆け巡ろうとしたが今は考えてはダメだとその考えをかき消した。

「蒼華さんの夢ってあるんですか?」

 僕がそう聞くと透花ちゃんも「透花も知りたい!」と言って身を寄せた。

「ええ……私の夢…?そうだな…私の夢も透花ちゃんと一緒で綺麗な死に方を望むかな。誰か一人でも私の死に対して心から悲しんでくれる人がいてくれたらそれで幸せかも。そして私が死んだ後も私を覚えていてくれたら生きててよかったってなりそう」

 内容とは反対に蒼華さんは笑顔でそう言った。透花ちゃんは同じような夢ということだけで喜んでいた。

「お兄ちゃんは?お兄ちゃんの夢は?」

 急に聞かれて驚いた。冷静に考えると透花ちゃん、蒼華さんときて僕にくるのは当たり前だ。 何も考えていないというよりは明日には死ぬかもしれない僕には夢などなかった。

「僕にはまだ夢がないんだよね。ごめんね」

 僕は申し訳なさそうにそう言った。

「じゃあお兄ちゃん自由だね」

 透過ちゃんは僕の暗い顔を掻き消すような笑顔で言ってきた。

「自由なのかな…?」

「お兄ちゃんは自由だよ。だからまた私に会いにきて。お姉ちゃんと一緒にまた会いにきて」

 実は人に希望を売る代わりに死ぬ契約を交わしただんて言えなかった。彼女の笑顔から察するに今の彼女にとってまた僕たちに会うというのが彼女の今の希望にょうに感じた。もしかすると彩芽ちゃんの時も僕の『また会いにくる』という言葉で希望を与えてしまったのかもしれない。

「また会いにくるから」

 蒼華さんが急に口を開いた。今回は言わないように気をつけていた言葉を言われてしまった。

「また二人で来ることは約束できないけど、いつかきっと会いに来る」

 蒼華さんは目に涙を浮かべていながらも笑顔だった。

「なんで?なんでどっちかなの?」

「二人一緒には会えないだけだよ。ごめんね」

「わかった。お姉ちゃんもお兄ちゃんも約束だよ」

 頬を膨らませている透花ちゃん。僕は蒼華さんが何を考えているのかわからなかった。


「どういうことですか?『また会いにくるから』って?昨日僕が彩芽ちゃんに同じこと言ったらそんなこと言うなって怒ったじゃないですか」

 帰り道に先ほどの発言について蒼華さんに尋ねた。

「そのままの意味だよ」

「そのままの意味って蒼華さんは言ったじゃないですか三日後死ぬかもしれないからそんな勝手な約束しないでって。なのになんで…。僕はもう透花ちゃんに会えないんですよ」

 目から涙が一滴溢れた。彩芽ちゃんに言ってしまった後悔から透花ちゃんには言わないでおこうと思っていた言葉だったからこそより胸を締め付けられた。

「ごめん。咲紅くんを悲しませるつもりはなかったの」

「じゃなんで…?」

「明日の仕事の時全て話すから明日まで待ってて」

「…わかりました」

 その後お互いに顔を合わせないまま数秒の間が開いた。

「今日もありがとね。また一人君のおかげで希望をもらったよ」

「まあ、僕のためでもありますから…」

 そう言うと蒼華さんは「ありがとう」と涙の滲ませはにかんだ笑顔で言った。

「でも、今となってなんでこんなことに手を出したんだろうって思いが溢れてきてて…。彩芽ちゃん、透花ちゃんと会ってどんどん笑顔になる表情とか笑顔で将来について話す二人を見て僕もどんどん生きたって気持ちが湧いてきちゃうんです…」

 先ほどまで鮮明に見えていたアスファルトが涙で滲んで見えた。

「ごめんね。そんな思いをさせてしまって。でも大丈夫だよ。咲紅くんのその悩みは明日で全てか解決するから」

 死んだら悩みの全てが解決する。そんなことはわかっていた。



 蒼華さんと別れて家に着いた。

 今日のことで気になることなどはたくさんあったが、今は明日で死ぬと言うことが頭を支配している。

 どうしてこんな契約に手を出してしまったんだろうかそんなことを思う。声が出せなくても将来目が見えなくなったとしてもそれでも生きている人はいる。なのに僕は至って健康な毎日に悪いと決まっていない将来があると言うのに生きることを諦めてしまった。

 項垂れるようにベットに潜り込んで目を閉じた。


 毛布の中で目を開いた。その時ちょうど着信音が鳴った。ベットから出て、スマホをとって電源をつけた。蒼華さんから最後のメッセージが届いた。

[今日は十一時に一日目に行った公園の向かいにある病院ね。二階の六番の部屋にいる如月さんっていう方が今日の希望を売る人ね。如月さんには咲紅君のことを話しているから先に着いたら部屋の中に入っておいて]

 透花ちゃんのこともあり本当に僕のことを伝えているのか心配だったが[了解です]と返事を返して電源を切った。

 今日、如月さんという方に僕の最後の希望を売ったら僕は死ぬ。それは五時間後かもしれないし十時間後かもしれない、そう考えると今生きられていることすら愛おしいと思えた。最後のシャワー、最後の飲食、最後の消灯、最後の戸締り。

 昨日まで死に対して恐怖を抱いていたが今はそんな恐怖はない。改めて考えると痛みや苦しみがなく死ぬことは最初から自分が望んでいたことだし、人を助けて終わる人生なんて美しいことだ。病院までの道のりでそんなことはずっと考えていた。

 いつの間にか病院の前まで来ていた。考え事をしていたせいか道のりがいつもよりも短く感じた。自動ドアをくぐり、奥にある階段へと向かった。軽い筋肉痛の痛みを我慢しながら二階へと登った。自分から一番近い部屋には一番の番号が書いてあった。一番から番号順に並ぶ部屋の前を歩きながら番号を追って六と書かれた部屋の前で足を止めた。

「あら、如月さんのお友達?」

 後ろを通りかかった看護師に聞かれた。

「そうです」

 如月さんという方とは今から初めてあうが、話をややこしくしたくなかったため肯定した。

「如月さん今日が余命の日だからいつ体調が急変するかわからないの。だから何かあったらすぐ言ってね」

「余命?」

「そうよ。知らないの?」

 看護師は話を続けようとしたが「すみません」と遠くの人に呼ばれて足早に去ってしまった。

 今日が命日って僕が希望を売ったところで変わらないではないか。それとも僕の全ての希望を売ることで運命すら変えられるのか?様々なことを考えたが真実は如月さんと蒼華さんに聞かないとわからないということでドアを開けて中へと足を踏みれた。


しかしそこにあった光景を誰が予想できたことか。


「蒼華さん……?なんで……?え?」

 僕の前にはいくつかの管に体を繋ぎ白いベットの上で体を寝かせている蒼華さんがいた。

「よかった。ちゃんと逃げずに来たんだね。ありがとう」

 この二日間たくさん聞いたその声で蒼華さんは言った。僕は近づいて改めて蒼華さん本人だと確認した。

「えっ?如月さんって…?」

「私だよ。私が如月蒼華だよ。苗字はまだ言ってなかったよね」

「余命って……」

「それも言ってなかったね」

 俯きながら蒼華さんは「もう全部話すね」と言って話し出した。

「実はね私は生まれた時から思い病気があって長くは生きられないって決まってたの。それでさ、一ヶ月前に余命が宣告されて、もう全てがどうでもよくなった。もともとそろそろ死ぬだろうって思ってたから死ぬのは怖くなかった、でもね恐怖よりも悔しさが溢れてきたの。もう少し早く余命がわかってたらやりたいことの一つや二つくらできたのかなって…。そして咲紅君、君だよ。私が一番悔しいと思ったのは。『死にたいのに死ぬことができない人。生きたいのに生きることができなかった人。世の中はそんな人ばかりで溢れている。できることなら自分が代わりに死んであげたい』そんなことを書いた君を心から憎んだよ。生きれるのに生きようとせず死を軽く見ている君が。そりゃあ人生いいことばかりじゃない、でもね、だからといって死ぬことはないでしょ。『死にたい』ってこれから生きる前提があるから言える言葉じゃん。私みたいにこれから死ぬ前提の人には痛すぎるよ…」

 蒼華さんの瞳から涙が一粒落ちた。

「本当に痛かった…」

 さらに続けて涙がこぼれ落ちた。

「なんで…なんでそんな僕に近づいたんですか…?」

 蒼華さんは手招きをしてこっちへ来るよう合図した。僕はゆっくりと蒼華さんの元へと近づいた。蒼華さんが手を下へと下ろし腰を下ろすよう合図をしたためゆっくりと腰を下ろした。その時、蒼華さんが僕に向かって力のあまり入っていない腕を広げ僕を包み込んだ。

「生きて欲しかったからただそれだけなの。だから希望を売るって言って近づいた。希望を売ることなんて魔法みたいなことはこの世界ではできない。でもねそれは嘘じゃないの。彩芽ちゃんも透花ちゃんも咲紅君と話して明るくなってたでしょ。一つ嘘だとすると希望がなくなって死ぬはずの君まで元気になってたところかな。昨日『生きたい』って言ってくれて私はうれしかった。この世界では魔法はないけど魔法みたいなことは起こるの。だから何か人生で生きる希望を見失った時は誰かに話して、そしたらきっとその人が希望を分けてくれるから。独りで生きようとしないで」

 蒼華さんは純粋な子供のように泣き始めた。

「私みたいに生きたいけど生きられない人は代わりに死んでほしいとは思わない。逆に代わりに死なれた方がよっぽど悲しいから。最初は憎んでたけど今は咲紅君、君が好きだよ。これからも一緒に生きたかった…」

 急に止まった言葉

「蒼華さん…?蒼華さん!」

 その時、体にかかる重さが深くなった。


鳴り響く甲高い音

慌ただしく鳴り響く足音

溢れ出す涙


蒼華さんの死から一週間後、僕はもう一度彩芽ちゃんと透花ちゃんの元へ会いに行った。二人とも初めてあった時よりも笑顔が多くなったような気がした。三人のおかげで僕はもう一度歩けるだけの希望を見つけることができた。二人には「ありがとう」を伝えたがもう一人には伝えることができなかった。


生きている以上いいことも起こるし悪いことも起こるそれは仕方ない。でも一番怖いことは人はちょっとしたはずみで生きようとも死のうとも思えることだ。死にたいって思ったらその時は誰かに頼ってみてほしい。迷惑なんてことはない。きっと元気になったあなたを見てその人まで元気になるから。

「僕に希望をくれてありがとう」


数年後

蒼華さんの死から○年たった

桜を見るとあの時の病室の窓から見た二分咲きの桜を思い出す。

僕は今、桜並木が立ち並ぶ交差点の歩道橋の上から春を見下ろしている。


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