第2話後編:【世界調停官 ——最弱の国から「規格」を獲る】
「ぴろゆきさん。妖魔国の提示した条件は、確かに目先では魅力的なものに見えるわ」
縁子は、厚い革表紙のファイルを広げ、ぴろゆきの前に一枚の契約書を滑らせた。それは彼女がこの世界で編み出した、異世界転職エージェントとしての真の武器だ。
「でも、そこには最も重要な『思考の自由』が含まれていない。彼らは自分たちのマッチポンプ商法に異を唱える者を、いずれ必ずバグとして排除する。私が提示するのは、妖魔国をも買収し、世界のパワーバランスそのものを管理する側の条件よ」
縁子が提示したオファーは、異世界の常識を根底から覆すものだった。全勢力で共通利用可能な新通貨の発行権、完全週休三日制、そして全種族に対する不逮捕特権。それは単なる待遇ではなく、世界のルールを設計する「神の代行者」としての椅子だった。
「今のあなたの職業は、ただの壊し屋に過ぎない。でも、私があなたに用意したポストは違うわ。新たな役割は『世界調停官』よ」
縁子は魔法のペンを走らせ、彼の身分を書き換えていく。それは単に論破して終わるのではなく、相手の主張と現実の妥協点を見出し、最も合理的な解決策を強制的な合意に変える力。
「妖魔国の経済汚染、魔帝国の武力侵略、そして人間界の精神論的搾取。これら三者の矛盾を同時に突き、争うよりも共存して税を取る方が全員の利益になるという計算式を、世界に叩きつけるのがあなたの役目よ」
ぴろゆきは初めて興味深そうに眉を動かし、鼻で笑った。
「話はデカいっすけど、そもそも人間界にそんな影響力あります? 武力は魔帝国、経済は妖魔国。人間界は搾取されるだけの死に体の市場でしょう。そこを拠点にするメリットが見えないんすよ」
「人間界こそが、世界最大のハブなのよ」
縁子が机の上に指を滑らせると、光の粒子が異世界の立体地図を描き出した。
「魔帝国は資源が乏しく、妖魔国は他種族が住める環境じゃない。対してこの人間界を見て。気候は安定し、食料自給率は世界一。そして何より、全勢力の物流ルートがここを通っている。人間界は、この世界で最強の立地を持っているのよ」
縁子の言葉に、ぴろゆきの目が鋭くなる。
「もう一つの価値は、文化よ。効率を求めすぎて娯楽を切り捨てた妖魔国や、暴力にしか興味のない魔帝国のエリート層が、いま何を求めていると思う? 人間界の酒、芸術、そして快適な不動産よ。世界中の富を吸い上げた連中が、最終的に金を落としたい場所は、このルイーダの酒場のような場所なの」
戦わずして、他国の利益の半分をシステム利用料として徴収する構造。それが縁子の描く戦略だった。
「あなたがこの国をプラットフォームとして再定義すれば、魔王も妖魔宰相もあなたの決めたルールの下で踊ることになる。これ、最高にコスパがいい支配だと思わない?」
沈黙が酒場を支配した。 ぴろゆきは数回、特有の瞬きを繰り返した後、不敵に口角を上げた。
「なるほど。それなら、僕が口を出す価値もありそうっすね」
契約書にサインしようとしたペンを止め、ぴろゆきは上目遣いに縁子を見据えた。
「一つ聞き忘れてました。この世界の人間は正義だの神だの、根拠のないことしか言わない。でも、あなたのロジックは……まるで、あっち側の世界の汚いビジネスを隅々まで知っているようだ。あなた、一体何者なんすか?」
縁子は眼鏡のブリッジを押し上げ、窓の外に広がる夕闇を見つめた。 脳裏をよぎるのは、深夜のオフィス、冷え切った弁当、そして不合理な力によって全てが更地にされたあの日の記憶。
「そうね。私もかつては、あなたのような論理だけで勝てる世界にいたわ。でも、どれだけ数字を積み上げても、不合理な力によって全てが踏みにじられる絶望も見てきた」
縁子は静かに微笑み、ぴろゆきに向き直った。
「私はね、救世主になりたいわけじゃない。ただ、誰もが自分の価値を不当に奪われない仕組みを、この世界で完成させたいだけ。たとえそれが、世界を一度、裏から支配することになったとしてもね」
「なるほど。あなたも相当、性格の悪い経験を積んでるみたいっすね。いいですよ、面白そうだし」
ぴろゆきが迷いなく契約書にサインを書き込む。 その瞬間、酒場の扉が風もないのに大きく開かれた。
キャリアアドバイザーと論理の賢者。 異世界を市場として定義した二人による、史上最大のホワイト化作戦が、いま幕を開けた。




