第9話「シノとバッタリ」
椎名と工事現場で別れて、俺は特に目的もなく街をぶらついていた。今日は完全にオフだ。どうせ家にいても惰眠を貪るぐらいしかやることがない。
商店街をブラブラと歩いていて、ふと目に入ったのは中古楽器店だった。「吉村楽器」という看板が出ている。以前からここを通った時に前から気になっていたが、入ったことはなかった。今日は時間もあるし、覗いてみるか。
店内に入ると、空調が俺の肌を冷ます。壁を見上げると一面ににギターやベースがぶら下がっている。古いフェンダーや、見たこともないメーカーのベースまで様々だ。店員の初老のおじさんは奥でギターの修理をしていて、俺には気づいていないようだった。
「……いいじゃんこれ」
俺は壁に掛かっている70年代製らしいプレシジョンベースを手に取った。ネックの感触が今使ってるプレベとは全然違う。
「試奏してもいいですか?」
おじさんは作業から顔を上げて、軽く笑みを作り返事をする。
「ああ、どうぞどうぞ。アンプはそこにあるから」
小さな防音室になっている試奏コーナーに行くと、ヘッドホンやアンプが転がっていた。俺はアンプに繋いで軽く弾いてみる。
70年代プレベのネックを撫でながら、ちょっとだけピックで鳴らす。
低音が腹の奥を揺らして、アンプが「これだろ?」と語りかけてくる。
握る右手が汗ばんでくるくらい、自分が喉から手が出るぐらい欲しがってるのがわかる。
タグを見る——¥318,000。
分割の小さな札もぶら下がってる。
「月々11,000円〜」の文字がやけに優しいフォントで俺を誘惑する。
「……またローン地獄か。毎日カップ麺だな」
鼻で笑って、もう一度だけE弦を鳴らす。
弦が唸る。俺も唸る。
防音室から出て、棚に戻す瞬間、指先がほんの少し離れるのが嫌がった。
他にも何本か試させてもらった後、いくつか弦を見て、新しく太めゲージのスチールラウンド弦だけ買った。割といい刺激になった。いつか、もっと良い楽器が買えるくらいの身分になりたいものだ。
そんなことを考えながら商店街をだらだら歩いていると、向こうから見慣れた小柄な影が歩いてくる。帽子を斜めにかぶって、スティックバッグを肩にかけている。
「シノ?」
俺が声をかけると、シノは顔を上げて露骨に嫌そうな表情をした。
「げ、最悪。なんであんたがここにいるのよ」
「お前こそ何してんだよ。練習?」
「一人で個人練習してた。あんたたちと違って、ちゃんと自主練してるのよ」
またこいつ、嫌味から入るのか。
「俺だって練習ぐらいしてる。つーか、なんでいちいち喧嘩腰なんだよお前」
「あんたがムカつくからでしょ。この前のスタジオでのベース、何よ。全然ダメだったじゃない。リズム感皆無」
ムカついてきた。こちらが話を聞いてやろうとしてるのに、なんで言いたい放題言われないとならないのだ。
「はあ? 何だとコノヤロー。お前のドラムだって勝手に走りすぎなんだよ」
「走ってる? 私のドラムが? 笑わせないでよ。あんたがついてこれてないだけでしょ!」
「テメー、マジでムカつく奴だな」
「そっくりそのまま返すわよ」
俺たちは路地の真ん中で睨み合いをしていた。なんでこうなるんだ、この女といると。
「で、個人練習って他にもバンド掛け持ちしてんの? あー、そうか。俺たちなんて所詮滑り止めか」
「その通りよ。いくつかオーディション受けてるし、スピーシーズなんて保険みたいなもんでしょ」
舐めてんのか、コイツ……。
「ふざけんな! だったら最初から来るなよ」
「あんたたちが必死だったから仕方なく相手してやってんのよ。感謝しなさいよ」
「感謝? 冗談じゃねー。こっちだって別にお前に頼んでねーよ」
俺たちは怒りながら同じ方向に歩き続けた。なんで一緒に並んで歩いてるんだ、こいつと。
「おい、ついてくんなよ」
「あんたこそ私の前、歩かないでよ。気持ち悪いのよ」
「誰が気持ち悪いって?」
「あんたよ、バカ」
「バカはお前だろ! 口悪い女!」
「口悪いのはお互い様でしょ! このノロマベース!」
「ノロマ? 上等だコラ!」




