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第14話「Species Be Once Again(2)」

 拍手がさらに大きくなる。俺は額の汗をタオルで拭いながら、会場の熱気を肌で感じていた。足の痛みも完全に忘れていた。

「次の曲にいくぞ」

 月白が振り返って俺たちに言う。シノは既にスティックを構え直している。いつもの皮肉めいた表情はなく、闘志に燃えた目をしていた。


 二曲目、三曲目と進むにつれて、会場のボルテージはどんどん上がっていく。

『Crimson Sky』が終わった時、客席の最前列で黒いTシャツの青年が汗だくになりながら飛び跳ねていた。その隣では、長い髪の女の子が頬に涙を流しながら拳を握りしめている。椎名は腕を組んで満足そうに頷いている。隣の女性も身を乗り出してステージを見つめていた。

 三曲目の『Neon Lights』では、俺のベースラインに合わせて会場全体が左右に揺れた。800人が一つの生き物のように動く光景は圧巻だった。シノのドラムが刻むビートに合わせて、観客たちが手を叩く音が会場を包んだ。


 そして四曲目。『Species Be Once Again』


 照明が一瞬消えて、会場に期待の静寂が満ちる。遠くから「Species!」というコールが聞こえてきた。

 シノが静かにハイハットを刻み始める。チッ、チッ、チッ——その単調なリズムが会場の緊張を高めていく。

 俺は深呼吸して、ベースの一弦を弾いた。低く、重い音が会場の床を這っていく。観客たちが息を呑む気配が伝わってきた。

 月白のギターが加わる。アルペジオが美しく響き、会場に静謐な空間を作り出した。


「Stand up, break the night — We’ll be once again

声は枯れても この鼓動は止まらない」



 月白のボーカルが会場の隅々まで届く。その瞬間、観客席で小さくざわめきが起こった。

 サビに向かって音楽が盛り上がっていく。俺のベースラインがうねるように響き、シノのドラムがその上で踊る。


「Stand up!」


 月白の声が天井に突き刺さる。


「Hey!」


 800人の声が一斉に返ってくる。会場が震動した。客が一斉に拳を突き上げ、地鳴りのような声が俺の背骨を揺らす。

 最前列の黒いTシャツの青年が両手を高く上げて叫んでいる。涙を流していた女の子も今度は笑顔で歌っている。後方の立ち見客も腕を振り上げ、会場全体が一つの巨大な心臓のように脈動していた。

 シノのスネアがそれを刻み、俺のベースが波を押し返す。


 We’ll be once again!——その瞬間、会場はひとつになった。


 800人の声と俺たちの音楽が融合して、これまでに感じたことのない一体感がステージを包んだ。椎名も立ち上がって手を叩いている。業界関係者たちも興奮を隠せずにいた。


 指先の感覚はとっくに死んでる。四弦を押さえる左手の指先はしびれ、右手のピックを持つ指も痛みで震えそうになる。足首は一音ごとに鈍器で殴られてるみたいに疼く。

 それでも弦を押さえる左手は止まらない。

 何千回も練習で繰り返した指の動きが、痛みより先に走る。筋肉が覚えた記憶が、意識を超越して動いている。

 月白のリフが背中を押し、シノのスネアが「落ちんな」と殴りつける。振り返ると、シノの髪が汗で顔に張り付いているのが見えた。それでもスティックワークは正確で力強い。

 俺は噛みしめた奥歯ごと、ベースの低音を会場に叩きつけた。

 二番のサビが終わると、間奏に入る。ここで俺のベースソロが待っていた。


「コバ!」


 月白が俺を指差した。スポットライトが俺を照らし出す。

 俺は一歩前に出て、マイクに向かった。会場が静まり返り、800人の視線が俺に集中する。

 息を吸って、全身全霊でベースを弾いた。

 四弦から一弦へ、低音から高音へ。指板を駆け上がるように音程が上がっていく。会場の空気が張り詰めて、俺のベースだけが響いていた。

 ソロの中盤で、俺は思い切ってスラップ奏法に切り替えた。親指で弦を叩くパーカッシブな音が会場に響く。「パン、パン」という乾いた音に、観客たちが反応する。

 最前列の青年が「うおおお!」と叫んだ。その声に触発されたように、他の観客からも声が上がった。

 ソロの終盤、俺はネックの最高音域まで駆け上がった。指が弦を震わせ、美しいハーモニクスが会場に響く。


 その瞬間、俺は確信した。


 俺たちは本物だ!


 この音楽、この一体感、この熱狂——すべてが本物だった。

 ソロが終わると、会場の割れんばかりの拍手と歓声が俺を突き抜けていく。

 涙が出そうになった。いや、もう頬を伝っていた。


 四曲目の興奮が少しずつ静まってきた頃、月白がマイクに向かった。


「最後の曲です」


 会場から「えー」という惜しむ声が上がる。誰もがこの時間が終わってほしくないと思っていた。


「この曲は——『Departure』」


 照明が暖かいオレンジ色に変わった。激しいスモークも和らぎ、ステージが夕暮れのような柔らかさに包まれる。

 俺はベースのトーンを落とし、温かみのある音色に調整した。シノも大きなドラムスティックを細いものに持ち替えている。

 月白のアコースティックギターが静かに響き始めた。単純で美しいアルペジオが会場に広がっていく。

 俺のベースが低く入る。今度は激しさではなく、優しく包み込むような音色で。シノのブラシがスネアを撫でるように刻む。


「旅立ちの朝に 君の声が聞こえてくる」


 月白の歌声が、今までとは違う柔らかさで会場を満たした。バラードの『Departure』——俺たちが一番大切にしている曲の一つ。

 歌詞が進むにつれて、会場の空気が変わっていく。興奮から、静かな感動へ。

 一番のサビが終わった時、客席で小さな光が一つ、二つと灯り始めた。スマホのライトだった。


 それが伝染するように、会場中にスマホの光が広がっていく。800人が手に持つ小さな星々が、会場を天の川のように彩った。

 光の海が静かに揺れている。左右に、上下に、まるで本物の星空のように。

 俺は演奏しながら、その美しい光景に息を呑んだ。こんな景色を見られる日が来るなんて、夢にも思わなかった。

 二番に入ると、シノのドラムがより繊細になった。スネアではなく、リムショットで静かにビートを刻んでいる。俺のベースも指弾きに変えて、より温かみのある音を出した。

 月白のギターソロが始まる。激しい技巧ではなく、心に染み入るような美しいメロディー。一音一音が大切に紡がれていく。

 客席のスマホライトがそのメロディーに合わせて揺れていた。まるで音楽が見えているかのように。

 最前列を見ると、涙を流していた女の子が今度は静かに微笑んでいる。黒いTシャツの青年も腕を組んで、じっと演奏に聞き入っていた。椎名は隣の女性の手を握って、満足そうに頷いている。

 最後のサビ。月白の声が天井に向かって伸びていく。


「また会えるその日まで この歌を歌い続けよう」


 俺のベースが最後の低音を響かせ、シノのブラシが静かにフェードアウトしていく。月白のギターが最後の和音を奏でて——


 静寂。


 数秒間、会場は完全に静まり返った。スマホライトだけが静かに揺れている。


 そして——

 爆発的な拍手と歓声。

 会場は総立ちだった。800人全員が立ち上がり、割れるような拍手をして、声援を送ってくれている。


 様々な声が飛び交う中で、拍手は鳴り止まなかった。


「ありがとう!」


 月白はマイクを握り直した。


「最後に、言わせてくれ」


 会場が静かになる。800人の視線が月白に集中した。


「スピーシーズは今、ここに三人いる。でも、俺たちにとって、スピーシーズは四人なんだ」


 客席がざわめいた。俺もシノも、月白が何を言おうとしているのか分かっていた。

 月白は椎名の方を見た。


「俺たちと一緒に夢を追いかけてくれた仲間が、客席にいる。彼は家族のために、俺たちのために、自分の夢を託してくれた。椎名、ありがとう」


 スポットライトが椎名に当たった。椎名は照れながら手を振り、隣の女性と一緒に立ち上がった。彼女のお腹の膨らみが、ライトに照らされてよく見えた。

 会場が再び大きな拍手に包まれる。椎名の周りの観客たちも、彼に向かって拍手を送っていた。

椎名の顔が泣きそうになってるのが、ステージからでも見えた。


「俺たちは、みんなの夢を背負って、これからも走り続ける。今夜は本当にありがとう!」


 月白の声が会場の隅々まで響いた。

 俺たちは深々と頭を下げた。シノも、いつもの強がりを忘れて素直にお辞儀をしている。


「アンコール!アンコール!」


 客席から手拍子と共にアンコールの声が響く中、俺たちはステージを後にした。

 袖に戻ると、月白が俺とシノを見て言った。

「やったな、俺たち」

 シノが小さく頷く。

「……最高だった」

 俺も同じ気持ちだった。これ以上の夜はない。

 ステージの向こうから、まだアンコールの声が聞こえてくる。でも俺たちは、この完璧な余韻を大切にしたかった。

 椎名の笑顔、観客たちの熱狂、スマホライトの海——すべてが俺たちの心に焼き付いていた。


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