落語声劇「天狗裁き」
落語声劇「天狗裁き」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約30分
必要演者数:最低4名~
(0:0:4)
(4:0:0)
(3:1:0)
(2:2:0)
(1:3:0)
(0:4:0)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
熊公:話の主人公。熊五郎。
寝ているところを女房のお光に起こされ、どんな夢を見たか聞かれ
るが、見てないのでそう答えたら、これが騒ぎのもとに。
お光:熊公の女房。
熊公が寝ていてニヤニヤ笑いながらブツブツ言ってたのを見て、
どんな夢を見たのか気になる。
熊公の見た夢を知り隊その1。
辰公:熊公の隣家の住人。
いつも熊公夫婦のケンカを仲裁したりしている。
熊公の見た夢を知り隊その2。
大家:熊公夫婦や辰公の住んでいる長屋の大家。
辰公と熊公の喧嘩を仲裁する。
熊公の見た夢を知り隊その3。
奉行:南町奉行所のお奉行様と言えば大岡越前守忠相である。
…が、この噺の大岡さまはだいぶはっちゃけてらっしゃる。
熊公の見た夢を知り隊その4。
天狗:熊公をお奉行様の拷問から救った高尾の大天狗。
自分は人間じゃないから興味もないとか言ってるくせに、
熊公の見た夢を知り隊その5でもある。
奉公人:とある裕福な家の奉公人。
娘:とある裕福な家の娘。
重い病で今夜が峠、という時に、熊公に助けられる。
語り:雰囲気を大事に。
●配役例
熊公:
お光・娘:
辰公・奉行・奉公人:
大家・天狗・語り:
※枕は誰かが適宜兼ねてください。
枕:皆さんは最近、夢を見たでしょうか。
【ここで自分のエピソードを入れても良い】
睡眠てのは三大欲求の一つで、夢は脳内の情報整理の為、感情整理の
為と言われてます。
日中の出来事や感情、ストレスの解消や心身の不調の現れなど、
さまざまですな。
また、三大欲求以外にも人間には知的好奇心、つまり、知りたいとい
う気持ちがあります。
人は秘密にされると知りたいという気持ちがどうしてもわくものです
。
夢は見た人にしかその内容は分からないもの、だから寝てても夢を
見てない場合だってあります。
ところが、それは傍から見てれば分かるわけがありませんから、
こんな騒動に発展する事もありますようで。
熊公:【かすかにいびきをかいて寝ている。】
……。
お光:寝ちゃった…ほんとうにもう…お前さん?
風邪ひくようなとこで寝てたらいけないよ。
ちょっと、ねえ、お前さん?
熊公:【かすかにいびきをかいて寝ている。】
……。
お光:ニヤニヤ笑ってるよ、この人。
…面白い夢でも見てんのかね。
ちょっと起こして聞いてみようかしら。
ね、ちょいと、お前さん。
お前さん、起きとくれ。
熊公:【かすかにいびきをかいて寝ている。】
……。
お光:ねーえっ、お前さん!
起きとくれよ!
熊公:んっ、おっ、んん-ーっっ…。
いやぁすまねえ、こういうとこで寝ちまうから風邪ひくんだよな。
ダメだなほんと。
お光:いいのよ。
それでお前さん、どんな夢見てたの?
熊公:…えっ?
お光:いま夢見てたんでしょ?
なんだかニヤニヤ笑いながらブツブツブツブツ寝言言ってたよ。
どんな夢見てたんだい?
熊公:夢?いいや、見てねえよ。
お光:見てたよ。見てたよお前さん、
熊公:いや、見てねえって。
覚えてねえもの。
お光:なに言ってんだい。
お前さんがそこで夢見てんのを、あたしがここで見てたんだから。
熊公:妙な理屈だなおい。
見てないってんだよ。
お光:見てたわよ。
なんか面白い夢だったんでしょ?笑ってたよ?
教えてよ。ね、どんな夢見てたんだい?ねえ、どんな夢?ねぇえ。
熊公:だから見てねえっての。
お光:見てたんだって。
いいじゃないのさ、ちょっと教えてくれたって。
なんか面白い事があったら、夫婦で分かち合うのがあるべき形じゃ
ないのかい?
もう所帯持って長いんだからさ、夢の内容が変だったからってそれ
で焼きもち焼いたりとか怒ったりとかさ、あたしはそんな小さな女
じゃないんだからさ。
ねえ教えて、どんな夢なんだい?ね、ねーー
熊公:【↑の語尾に食い気味に】
ばっ、うるせえな、近づいて来るなこの野郎!
俺ァ見てねえんだっての!
お光:何さ、見てたわよ!
熊公:見てねえよ!なんで見てたって分かるんだよ!
見てねえよ俺ァ!
お光:見てたでしょ!教えなさいよ!
面白い夢だったんでしょ!
熊公:見てねえ!!
お光:ッ……はん!小さい男だね!
なにそれ、見てねえ!とか言って!
見てたくせに!
見てたんでしょ!
熊公:見てねえっつってんだろ!
お光:見てたから見てねえってそう言ってんでしょ!
熊公:じゃあ見てたらなんて言ったらいいんだよこの野郎!
お光:見てたでいいじゃないか!そんでないよう教えりゃいいじゃないか
!
熊公:見てねえっての!
お光:…言いなさいよ。……言いなさいよ!
熊公:見てねえよッ…!
お光:…ッフン!どうせ、つまんない夢見てたくせに!
言えないのかい?
熊公:だったら聞かなくたっていいだろこの野郎!
つまんねえ夢だったら聞かなくったっていいんだからよ!
お光:【猫なで声】
ねえぇ~教えてよぉ~、ねぇえ~、気になる気になるのぉ~、
ねぇどんな夢見てたの~??ね、教えて、この通り、ね?
あたしがここまで折れてるんだからさ、ね?
熊公:折れなくたっていいよバカ野郎。
見てねえよバカ野郎。見てねえの。見てねえ。見てねえってんだよ
。いい加減にしろよ、オウっ。
お光:なによ、オウって。偉そうに。
フンっ、そうやって目を三角にしてオウっとか言えばさ、
女が言うこと聞くと思ってんだろ。
言いなさいよ!言わないの!?
……しみったれ…!
熊公:なんでェしみったれてな。
お光:しみったれじゃないか。
夢ぐらい話したっていいだろ。ふん、少ない稼ぎしてさ…。
熊公:…お前なんか言ったか?なんか言ったろこの野郎。
少ないなんだって…!?
お光:少ない稼ぎしてって言ったんだよ。
…甲斐性なし。
熊公:…っなんだよそれ。
少ない稼ぎって言いぐさがあるかよ!
お光:じゃあ多いってのかい!?
熊公:……少ないけども…。
っ甲斐性がっーー
お光:あるのかい!?
熊公:……ないけど…でもそれは、いま言う事じゃないと思うぞ…!
そういうこと言うとな、俺ァほんと怒るぞ…!
ッいい加減にーー!
お光:【↑の語尾に食い気味に】
なにさ拳固振り上げて!
なんだい、打とうってのかい!?女房を!?
フンっ、面白いじゃないか!
やればいいよ!やれんのかい!?ええ?
臆病者!
腰抜け!
婿養子!
熊公:【わなわな震えている】
~~~ッッッ……っ!
【軽くはたく】
お光:いたァァーーーいッッ!
顔の骨が折れたよォーーーッ!
【涙声で】
うぅぅ女房にも言えないような夢を見て女房はたいて楽しいかい!
ころしてやるッ!
熊公:るせぇこの野郎ォーー
お光:【本気でバシバシ引っぱたきながら】
ああぁぁぁぁあッッッ!!!
辰公:ッ待て待て待てっ!待てっこのっ、待てって!!
やめろっての!
どうしたってんだいおみっちゃん!
お光:【涙声で】
聞いて下さいィィィうちの人がっ、そこでっ居眠りしてでっ、
ニヤニヤ笑ってっ、ブツブツ寝言言ってでっ、なんがおもじろい夢
でも見でんのがなってっ、起こじてどんな夢見でたのってっ聞いた
らっ、夢なんが見でないって言うもんだからっぐやじくでェェェっ
!
辰公:あぁそうか、そらァ大変だな!
それで、どうした?
お光:【涙声で】
夢なんか見でないってっ、だがらぐやじぐでっっ!
辰公:あぁそうかいそうかい。
それでどうした?
お光:【涙声で】
夢見でないっでっ、夢見でないっでッ、そう言うんですッッ!
熊公:そうかい…!
それで?!
お光:【涙声で】
…ぞれだげでずっ…!
辰公:…なに?
お光:【涙声で】
ぞれでおじまいなんでず…ッ!
夢見でないって…悔しくて…っ!
辰公:……。
…ぇーどういうことかな?
夢見てたのって聞いたら、夢見てないって言われたの。
こいつが夢見てねえって、そう言ったの。
それだけ?
それでおしまい?
お光:は、はい…。
辰公:熊公、おめえも?
本当に?
熊公:あ、ああ…。
辰公:【溜息】
んだコラ、くだらねェケンカしやがってほんとによ。
仲ぁ良すぎんだよおめえ達は。
やめてくれよもう。
お光:うぅ、ぐずっ…うううぅっ…。
辰公:あぁあぁそうなの、悔しくて泣いてんの。
おみっちゃん痛かったろさっき。
俺そこでずっと見てたけどな、一発目ポンとやられて、
後はみんなおめえがやってんだもんな。
熊公、鼻血出てるもんな。
まぁまぁとりあえず隣の俺の家行ってな。
いま俺のかかあが茶ァ煎れて一服してんだよ。
こないだ越後の本場のかき餅もらったんだ。
醤油付けて食ったらまたうめえんだこれが。
おみっちゃんにも食わしてやりてえって、そう言ってたよ。
な、隣行って、かき餅食ってこい、な?
お光:【涙声で】
だってッ、夢の話っ、どうなるのォッ…!
気になってっ、気になってっ…!
辰公:いいから食ってこいって。
お光:【涙声で】
だってっ、夢っ…!
辰公:夢とかき餅、どっちがいいんだ?
お光:【涙声で】
…かき餅…っ。
辰公:そうだろ、な。
かき餅食ってこい。な。
熊公にゃ俺から言っておくから。いっぱい食べてこい。うん。
……いい加減にしろよ、おう。
熊公:…いつも、申し訳ねえ。
辰公:申し訳ねえじゃねえんだよ。
隣に住んでてよ、日がな一日夫婦ゲンカ聞かされる身
にもなれってんだ。
うるさくてかなわねえよ。
熊公:いや、本当に済まねえ。
辰公:まぁまぁ、女同士、バカっ話でもして茶ァ飲んで、すっきりして
帰ってくるだろうよ。
ま、ウチのかかあに任しとけ。
…ところで、どんな夢見たんだよ。
熊公:い、いや、見てねえんだって。
辰公:ははは、そんなわけねえって…見たよ、見たんだよ。
見たんだろ?
熊公:だから、見てねえって…。
辰公:いやいや、見たんだって。分かるんだよ。
俺も見るよ、そういうの。
たまにこう居眠りなんぞしてうわーっと目を覚ますとさ、妙な夢を
見たりする事があるよ。
脇でかかあが繕い物なんかしてて、それに俺なんか夢見てたかって
聞くと見てなかったよって言われてホッとするんだよ。
だから、そういうことはあるんだ、うん。
…見たんだろ?教えろよ、どんな夢見たんだよ?
熊公:いや、見てねえんだよ。ホントに。
ホントに見てねえからケンカになったんだ。
辰公:いいじゃねえか、俺ァ口が堅えんだから。
背中ァ鉈で叩き割られて鉛の熱湯注がれたって俺ァ言わねえよ。
やられた事ねえけどさ。例えの話だ、うん。
それくらいの心意気だってこった。
誰にも言わねえからさ、おみっちゃんだって俺の家に行っちゃって
んだから、な?
熊公:だから、ホントに見てねえんだって!
いい加減にしろよオイ!
見てねえって言ってんだろ、帰れ!
辰公:…なんでェ、帰れって。
熊公:邪魔でしょうがねえんだよ。俺にだって用があんだから、
帰ってくれよ。
辰公:んな物の言い方があるかよオイ!
俺ァケンカの仲裁に入ったんじゃねえか!
熊公:それはいつもすまねえ、ありがとうございます。
けどね、見てもいねえ夢の話はできねえんだから。
帰ってくれ。
辰公:…ああそうかい……ほォ…。
おう、おめえに聞くけどな、五年前の大晦日の恩を忘れたか?
熊公:な、何でェ急に、五年前の大晦日ァ?
辰公:おうおう忘れたなこの野郎。
五年前の大晦日だ。
おめえが年が越せねえ、餅が買えねえ、銭がねえって俺に泣きつい
て来たろうが。
俺が銭をこさえておめえに渡してやって、それで年がようやく越せ
たんじゃねえか。
その五年前の大晦日の恩を忘れて夢の話ができねえってのかこの野
郎、ええ?恩知らず!
熊公:っ今そういう話じゃねえだろ…!
じゃあおめえに聞くけどな、四年前の大晦日の恩を忘れたか!?
辰公:何をォう!?三年前のーー
熊公:【↑の語尾に食い気味にテンポよく】
二年前のーー
辰公:【↑の語尾に食い気味にテンポよく】
去年のーー
大家:【↑の語尾に食い気味にテンポよく】
待て待て待て!大家のあたしが間に入るよ!
なんだ、どうしたんだ、辰公?
辰公:聞いて下さいよ大家さん!
こんな面白くねえ話はねえんだ!
大家:まあまあ落ち着けよ。
で、どうしたんだ。
辰公:どうしたんだじゃねえんだ!
熊公の野郎が家で居眠りしてたらしいんですよ。
そしたらそれを見てね、この家のバカかかあがねーー!
熊公:っちょっと待てよこの野郎!
なに人ん家のかみさんつかまえてバカかかあだ!
辰公:あれが利巧と言えんのかこの野郎!
熊公:…おっしゃる通りです。
辰公:そうだろ!
で、そのバカかかあがこの野郎を起こしてね、ニヤニヤ笑ってブツ
ブツ寝言言って居眠りしてたらしいんですよ。
で、どんな夢見たんだって聞いたらこの野郎に見てねえって言われ
て、さあケンカですよ。
そこをあっしが間に入ってね、この家のバカなかかあを家の利巧な
かかあのとこへやってね、かき餅食わして落ち着かせてるとこなん
ですよ。
それで今、二人っきりになったから、どんな夢を見たんだと聞いた
らね、俺にまで夢は見てねえって言いやがるんで。
どう思います?大家さん。
大家:なんだ、そんな事かい…。
辰公:そんな事かじゃねえんですよ!
どう思うんで?大家さん!
大家:どう思う、かと言われれば…、お前はバカだ。
辰公:なんであっしがバカなんですか!
大家:お前はな、店賃が六つたまってる。
辰公:今はそれどうでもいいじゃないですか!
俺の店賃は関係ないでしょう!?
大家:関係?大ありだよ!
いいか、昼間っから仕事もしねえでぼんやりして、友達が夢ェ見て
その内容を気にして、どんな夢見たんだなんて聞いてんのは、
バカのやる事なんだよ。考えろ少しは。
熊公:だからあっしはバカじゃねえ!
大家:バカなんだよ!
こんなとこで油売ってねえで、帰れバカ!
働けバカ!身を粉にして!粉骨砕身!一生懸命!奮励努力しろ!
帰れバカ!働けバカ!金を貯めろバカ!稼げバカ!
店賃入れろバカ!回れ右しろバカ!外へ出ろバカ!
振り返るなバカ!戸を閉めろバカ!バカッ!!
辰公:~~~~ッッッ!!!
大家:ったく…。
よく口を割らなかったな、熊公。
えらい。
あんなお喋りに話しちまったら、長屋じゅう、町内じゅう、江戸じ
ゅう、いや日の本じゅう津津浦浦またたく間に広がっていっちまう
よ。
そこへいくとあたしは大家だ。
大家と言や親も同様、店子と言えば子も同様、親子の間柄だ。
どんな夢を見たんだい?
熊公:また始まったよおい…!
だから見てねえんですって…!
大家:なに言ってんだよ~、見たよお前は。
熊公:何すか変な喋り方して…見てないって言ってるじゃないですか!
大家:なァに言ってんだよ~、あたしはもうこの年だよ~?
やる事なんかもうなんにもないんだよ~。
何か面白い話を聞いたってね、もう先は見えてんだから。
棺桶の中まで持ってく覚悟はできてんだよ。
だから教えとくれよ。どんな夢見たんだい?
熊公:いやそんな格好してそんなこと言われたってね、見てないんですか
ら話できねえんですって。
大家:なに言ってんだよォ~、もうこの年になればね、生きててもそんな
面白い事なんか転がってないないない。
だから教えておくれよ~なァァ~。
熊公:すり寄るんじゃねえよ!ジジイこの野郎、帰れ!
大家:…おい、今なんつった。
ジジイこの野郎帰れとか言ったか…!?
熊公:言いましたよ。ジジイだろ?
あんたなんかこの野郎だよ。帰ってくれ、邪魔だから。
大家:あのな、あたしは大家だよ?
熊公:分かってますよ。
大家:帰れって言いぐさはないだろ。
熊公:帰ってくれよ。ここは俺の家なんだから。
大家:ハア!?俺の家とか言ったか!?
あたしは大家、お前は店子だろうが!
熊公:それがどうしたよ。
大家:お前が帰れって言ったって、あたしはこの長屋の大家だよ!
お前の住んでるここも含めて、この長屋全部があたしの家なんだよ
!
熊公:店賃なら毎月きちんきちんと払ってるだろうが!
大家:~~~……お願いだよ、ほんの、ほんの少しで良いんだから…
熊公:【↑の語尾に食い気味に】
少しでもダメなんだよ!
大家:ッ…じゃあどうしてもできないってんだな?
熊公:ああできないね。
だって見てねえんだから。
大家:…そうかい、そうかそうかい。よしわかった。良い度胸だ。
短い付き合いだったけどな、
……長屋を出てってもらおうかい!
熊公:ちょちょちょ、待ってくれよ!
いきなり乱暴だな!
大家:ふん、大家にも話せないような物騒な夢を見る奴に、この長屋に
住んでもらいたくないんだよこっちは!
出てけこの野郎!
熊公:そんなべらぼうがあるかィ!!
俺ァ出てかねえぞ!
大家:出てかねえだァ!?
ようし分かった!じゃあお奉行様に訴え出るぞ!
熊公:何をォゥ!?
訴えれるもんなら訴えてみやがれってんだこんちきしょう!
語り:なんてんで見てもないであろう夢の内容を話せと迫られ、断りゃ
出てけなんという、暗黒企業にも劣らない黒さで大家に詰め寄られる
熊公。その苦しさたるや推して知るべしでございます。
まあ、江戸の頃の商家に奉公なんてのは、現代の方が真っ青になる
内容だったりするんですが、まあどうでもいい話ですな。
そして今回の一件を願書にして奉行所へ提出と相成ったわけです。
奉行所もびっくりでしょう。
夢の内容を話してくれないから出て行けと言っても出て行かないか
ら、お奉行様なんとかしてください、なんという実にくだらない趣
の願書を出されたわけですから。
しかしまあ来たものは仕方がないというので、さっそくお白州に
熊公と大家が呼び出されます。
奉行:家主・幸兵衛ならびに、店子・熊五郎、一同の者、揃いおるか?
大家:へへーっ、揃いましてございまする。
奉行:…願書の趣によれば、店子・熊五郎が見た夢を物語らんが為、
長屋を立ち退けと申すも熊五郎これを拒否する。
奉行よりよくよく言い聞かせられたいとあるが、それに相違ないか
?
大家:ははーっ、相違ございません。
奉行:家主、もそっと前へ出い。
前へ出いッ。
よいか、家主たる者、町役である。
町役たる者、下々の鑑にならねばならん大事な役目ぞ。
しかるにその町役が、たかだか見た夢を物語らんがために長屋を
立ち退けなどと申すとは何事か。言語道断、不届至極である。
熊五郎に罪はない。
よってこの願書は願い下げと致すぞ。
良いか!一同に物申す!
上、多用の折にこのような詰まらぬことで上の手を煩わせる事は
二度と相ならん!
分かったか!
大家&熊公:は、ははァーーーーーッッッ!!
奉行:分かれば良い。
これで調べは相すんだ!一同の者立ちませいーーーー…
あ、熊五郎はそのままおれよ。
熊公:ええぇ…!?
奉行:…、熊五郎、もそっと前で出い。
…前へ出い。
熊公:へ、へい…。
奉行:奉行このたび感服つかまつった。
はじめ家人が聞きたがり、隣家の男が聞きたがり、家主が聞きたが
った夢の話。
よくぞ口外せなんだ。あっぱれあっぱれ。
男子の誉れであるな、はっはっは。
熊公:ぇ、な、何か褒められた…?
あ、ありがとうございます、お奉行様に褒めてもらって…。
奉行:はじめ家人が聞きたがり、隣家の男が聞きたがり、家主が聞きたが
った夢の話とやら…この奉行になら聞かせてくれるであろうの?
熊公:ええぇ…!?
あ、あの、お奉行様?あっしは夢は見てないんで、
話はできねえんで…。
奉行:…なんじゃ?
熊公:ぁ、いぃえ、夢見てないんで…。
奉行:…さようか。
しばし待て。
つくばいの同心、表へ出ておれよ。
五人組一同も良いと言うまで入って来てはならんぞ、人払いじゃ。
出ておれ!
人払いじゃ!
熊公:え…え…!?
【二拍】
奉行:【はっちゃけてる】
…。
熊五郎ォォ!二人きりじゃ…!
どんな夢を見たのだ!?
熊公:えっえっ、えぇぇ…!?
え、えらい変わりようだよ…!
奉行:【はっちゃけてる】
どんな夢を見たんだァ!?
熊公:い、いやいやあの、お奉行様、あっしは夢を見てないんです。
だからお話しできないんで…
奉行:【↑の語尾に食い気味に】
いぃぃや見たであろォう!?
どのような夢を見たのだァ!?聞かせてくれェ!
熊公:い、いやですから、見てないんですって…
奉行:いやいやその方は分からんであろうがなァ、奉行という職
は大変に辛い職なのだぞォ?
上からは抑えつけられ、下からは突き上げられェ!
もうなんか面白い話でも聞かないとやっておれん!やっておれんの
だァ!
だから聞かせてくれんかァ!?どのような夢なのだァ!?
熊公:っだ、だから本当に見てなーー
奉行:【↑の語尾に食い気味に】
んんンンンン家内との折り合いも少し良くないのだァ!
なんか、なんか潤いが欲しいんじゃ!
面白い話を聞かんと、もうやっておれんのじゃァ!
聞かしてくれいこの通りィ!!
熊公:い、いやあの、ですから、本当に見てなーー
奉行:【↑の語尾に食い気味に】
んんンンンン北町奉行のあやつはなァ!遊び人の金さんとかいって
なァ!表をブラブラブラブラして楽しそうにやっとるではないかァ
!なのに南町奉行のわしはずっと、ずっとここにおるんじゃ!
つまらん!もう日々つまらんのじゃ!
悪ければお城に呼び出されて上様になんやかんやご報告せねばなら
ん!
もう胃が痛い!針のムシロ!
頼む教えてくれいこの通りィ!!
熊公:い、いやお奉行様の日常なんか知りませんけど、見てないものを
話すことはーー
奉行:【↑の語尾に食い気味に】
んんンンンン正直ぶっちゃけるとなァ!その話が目当てで、それを
聞きたくてこの裁きを開いたのだ!な、な!!?
熊公:…いや、あの、だから見てないんですって…。
奉行:……いくら出せばよい?
熊公:い、いくらって……あの、いいですお奉行様、そうペコペコしない
で…やめてくださいよ…あっしは町人ですから、その頭下げないで
、涙拭いて下さいよ…泣かないで下さいって…!
しっかりしてくださいよ…!お奉行様ってこう、もっち毅然として
るもんなんじゃないんですか…!?
あの、ですからね、見てないものはお話できませんので…!
奉行:…ぐすっ…お上から奉行の職を預かるこのわしにも話すことができ
んと申すのかァ…!
偉いんだぞ、お奉行様はえらいんだぞ…!
熊公:いや、そりゃ知ってますけど…見てないんで…。
奉行:…。
【ここから真面目に】
はっ、さては貴様、幕府転覆をくわだてておるなッ!
熊公:えぇッ!?い、いえそんなバカな事はーー!
奉行:【↑の語尾に食い気味に】
これ者ども出でい!
こやつに縄を打て!重き拷問をもって白状させるのじゃ!
引っ立てィ!!
語り:それっとばかり入って来た役人たちによって、あわれ熊公は荒縄で
ぐるぐる巻きにされた上、奉行所の松の上に吊るされてしまいます
。
熊公:【泣きながら】
こんな事なら夢見ときゃ良かったよ…!
見てりゃ話すよ俺だって…!
…えっ、な、なんだ、つむじ風が…うわあああああッッッ!?!!
【二拍】
あでっっ!!
…いててて……なんだここ……えッ!?あ、あ、あなた様はッ!?
天狗:熊ァ五ォ郎…心づいたか…!?
熊公:は、はぁぁ…天狗様!!
天狗:いかにも、高尾の大天狗じゃ…!
熊公:た、高尾!?なんであっしが、こんなところにいるんで
ございましょう!?
天狗:先ほど江戸の空を飛んでおると、南町奉行所の上にて異なことを
聞いた。
はじめ家人が聞きたがり、隣家の男が聞きたがり、家主が聞きたが
った夢の話とやらを、重き拷問をもってでも白状させてみせるなど
と…いやいや、あのような愚かな奉行に人は裁けん。
よってこのわしが貴様を助けてやったと、こういうわけだ。
熊公:そ、そうでございますか!
命を助けていただきまして、本当にありがとうございました!
天狗:いやいや礼には及ばん。はじめ家人が聞きたがり、隣家の男が聞き
たがり、家主が聞きたがり、奉行までもが聞きたがった夢の話とや
ら…ハハハ…天狗は人間ではないゆえ、そのようなつまらぬ話は
聞きとうない………が、
どうしても聞いてほしいというのであれば、聞いてやらんこともな
いがなァ…ハハハ…!
熊公:え、えぇぇぇ…!
あの、天狗様、あっしは夢なんて見てないんです。
だから本当に話はできないんです…!
天狗:わしはな、聞いてやっても良いと言っておるのだぞ…。
ここは高尾の山中、誰も聞くものはおらん。二人っきりじゃ。
のお、熊五郎。…話して楽になれ。
どのような夢を見たのだ…?
熊公:いや、あの、本当に見てないんですよ!
天狗:ほお…天狗に逆らうとどのような目にあうか知っておるか?
その身は八つに引き裂かれ、杉の小枝に吊るされてカラスの餌食と
なるのだぞ。
貴様、それでも良いと申すのかァ…?
熊公:い、いぃ嫌です!死にたくないです!
天狗:ならばどのような夢を見たか話すのだ!
熊公:いや本当に見てなーー
天狗:【↑の語尾に食い気味に】
では死にたいか!?
熊公:い、嫌です!嫌だアアア…!
【声を落としてつぶやく】
ど、どうすりゃ……ッそうだ…!
見ました。
天狗:!!見た!?
熊公:けど、なんか手に持ってないと喋りにくいんで。
落語家だって扇子持ってんでしょ?
その羽団扇でいいんで貸して下さいよ。
天狗:む、むううう……。
わかった、いいだろう。
大切に扱えよ。うっかり扇いだりすると飛んで行ってしまうぞ。
熊公:わかりましたよ。
えー…一席申し上げます。
天狗:なんだ一席とは。
ほんとに落語でもやるつもりか。
熊公:実はですな、あたしは屋根船で寝ておりました。
そこへ花火がばーーんっ、と上がりまして、船の中では三味線の音
がしました。
天狗:ふむ。
熊公:【羽団扇で扇ぎながら】
スチャラカチャン、スチャラカチャンチャン、スチャラカチャン
……
天狗:あっこれ!扇いではならんと言ったであろう!
それ以上は扇ぐでない!
降りてこい降りてこい!
熊公:へへ、降りないよ!
こいつを手に入れりゃこっちのもんだ。
いただいてくぜ!
天狗:こっ、これこれこれッッ!
大事なそれを持っていってはならぬ!
それは大事な…それがないと、天狗仲間をハブられてしまうのだ!
返せッ!
熊公:へっ、返さねえよ!
もう用はねえや、あばよッ!
天狗:ど、泥棒ーーーッ!
【二拍】
熊公:へへへ、こいつはすげえや!
さてと…うん?ありゃあすげえ屋敷だ。
どんだけの財産があるんだって話だな。
…けど、なんだかやけに慌ただしいな…。
降りて聞いてみるか。
ちょいと、ものを尋ねるけどよ。
奉公人:は、はい、なんでしょう?
熊公:なんだかやけに慌ただしいけど、何かあったのかい?
奉公人:じ、実はここのお屋敷のお嬢様が重い病で、今夜が峠という事
なんです。
あんなにお優しく、美しいのに…!
熊公:へえ、そうかい…いや、実はわたしは医者なんだが、もし良ければ
お嬢様を診てもよいだろうか?
もしかすると治せるかもしれない。
奉公人:えっ、お医者様ですか!?
ど、どうぞこちらへ!
熊公:うむ、ちょいと失礼するよ。
…なるほど、ふん、ふん…。
【つぶやく】
この羽団扇なら、病だけを吹き飛ばせるかもしれねえ。
ここはひとつ…
むんッ!!
娘:あ、あら……?
さっきまで苦しかったのが、嘘のように…!
熊公:【声を落として】
しめた、うまくいった!
あー、もう大丈夫ですよ。
娘:本当になんとお礼を言って良いか…!
あの、もし良ければ、わたくしと、夫婦になっていただけませんか…
!?
熊公:そ、そうかい?
ははは…そうまで言われちゃ、断れねえなあ…!
語り:かくして熊五郎は娘と祝言をあげ、名家の養子に迎えられました。
そして、その夜。
熊公:ハハハ…いやあ、夢見てえだなァ…俺がこんな美人と一緒になれる
なんてなァ…。
娘:さ、お前さん…こちらへ…。
熊公:へへへ、こいつァ極楽だァ…!
ああ、たまんねえーー
お光:ちょいと!
ちょいとお前さん!
起きなよお前さん!
いつまで寝てんだい!?
熊公:ウワッ!!?
あ、あれ…っな、なんでェおめえは!
お光:ハア?
なんでェじゃないよ、お前さんの女房に向かって。
熊公:あぇッ!?お光!?
あ…夢か。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
春風亭一之輔
古今亭志ん生(五代目)
※用語解説
・越後
今の新潟県。
・店賃
家賃のこと。六つためてると言うのは、六か月分滞納しているという事。
・店子
長屋を借りて住んでる者の事。
・町役
この場合は町役人のこと。
江戸時代に都市の個別の町の自治や民政を担った町人身分の役職のこと
。町奉行の指揮下で、町内への命令伝達や、町民からの訴えの取次ぎ、
事件の調停など、多様な事務を扱った。
・遊び人の金さん
この桜吹雪、散らせるもんなら散らしてみな!
で有名な遠山の金さんこと、北町奉行・遠山金四郎さまである。
・南町奉行
こちらもご存知、大岡越前守忠相。
大岡越前で有名。
・祝言
結婚式。
・べらぼう
1・余りにもひどいさま。はなはだしいさま。
2・人をののしる時に言う語。ばか者。
今回は1の方。
・つくばい
和風の庭に置かれる石でつくられた手水鉢のこと。
茶庭や露地など茶室に面した庭に置かれる設備で、客人が茶事の席に入る
前に手や口を清める場所。 水で清める際に、低く設えられた手水鉢に
しゃがむ姿勢となることから、「つくばい(蹲踞)」という名称になった
。
・家内
奥さん。
・お上
この場合は幕府のこと。
・高尾
東京都八王子市に位置し、都心から約50kmの関東山地の東端の山。
元来は修験道の霊場であり、真言宗智山派大本山高尾山薬王院有喜寺の
寺域。




