明度1
わが水沢家のトイレには有名なサッカー選手のポスターが貼られている。
僕がまだ幼稚園児だったころ、泥酔したお父さんが見事なヘディングで便座正面の壁を陥没させ、あわてて貼られたものらしい。(ちなみに10年以上たつ今でも天然のお母さんは気付いていない)
そのサッカー選手はイギータというキーパーで、ボールに向かってスーパーマンの様に飛んでゆき、曲げた足のかかとでボールを弾き返すという神がかり的なセーブをすることで有名だ。
そのイギータの「サソリセーブ」を友達の小西に話すと「おれ、やってみる!」と言いだした。
体育のサッカーの授業、PK戦までもつれ込んだ緊張の瞬間。
小太りで走るのが遅いからキーパーになっていた小西は鋭く撃たれたボールに文字どおり飛んでいった。
ザシュウウッ!
ゴールネットに突き刺さったボールの前に腹から着地した小西がシャチホコの様に足を反らせ、鎮座していた。
しかも揺れている。腹の肉のせいでかすかに揺れている。
その後体育教師も大爆笑の渦に巻き込んで授業を続行不能にした小西はけっこう人気者だ。サッカー部の友達がたくさんできたらしい。
「記録には残らないけど記憶に残る試合をした。とか言ってるんだぜ小西!パクりじゃねーか!」
「ふふ…」
まや姉はかすかに笑う。枕元のスタンドだけの薄明るい部屋で、僕は椅子に、まや姉はベッドに腰掛けている。
バニラのお香がふんわり漂って家の外の暗闇に逃げていった。
「まや姉飯食べてないだろ?」
「食べたよ…もう寝なあんた。11時だよ」
僕がドアに向かうとまや姉は横たわった。
気付かれないように、僕は素早く何回もまばたきを繰り返した。カメラの連続写真の要領で、まぶたのシャッターを何度も切る。
バッバッバッバッ
すると、シャッターに合わせてまや姉の体からじんわりと青白い「イロ」がにじみ出てきた。
小さい手や白い腕や、丸襟のシャツから出ている首筋。まや姉の体全体を包むその「イロ」
しかしいくらシャッターを切ってもそのイロはセロハンの膜の様にうっすらそこにあるだけで、それ以上広がらない。
水の底に沈んでいるガラスみたいなはかないイロ。
ため息をついた。
(ほんとは飯食ってないな…)
「まや姉」
「んー?」
「カメハメ波ぁっ!」
僕は両手をまや姉に突き出し、満面の笑みを浮かべた。
「ばーか。早くいきな」
笑いながら布団に包まる。
「おやすみ、さく」