幕間1
「やあやあこんにちは!」
寝起きの頭で思ったのは、うるさい、ということと変わった服だなということだった。
「あれあれ?起きてる?」
黙ったままの私を不思議そうにのぞき込んでくる男は、10代後半のように見えた。ネイビーのスーツに赤の蝶ネクタイをしている。そして何より目がいくのは、大きなシルクハットだった。言葉にすると、別にたいしておかしな恰好というわけではない。ただ、圧倒的にサイズが合っていない。ダボダボの袖からは彼の肌は全く見えない。さらには老齢の紳士が似合いそうな服装をまだ若い少年がしているという違和感、そしてニヤニヤといた下品な笑みが、アンバランスに見えた。
見るからに怪しい人間だ。こんな相手に真面目に返す必要もない。ただ、私が返事をするまで絶対に目を逸らさないというその目が嫌で、渋々小さな声で呟いた。
「…起きてる」
「そっかそっか。じゃあよかった。実は君に言いたいことがあってね、優しい僕は、君が起きるのを待ってたんだ!ああ、僕の名前はハルカだよ!気軽にハルカって呼んでね!君の名前は?」
「木原…」
「うんうん。君の名前は?」
これは、下の名前を名乗れというフリだろうか。圧が怖い。
「木原…忍」
「なるほどなるほど。しのぶかあ。どんな字を書くの?」
「え、っと…忍者とかの、忍って字…」
「はあはあ、あの字ね。わかった。よろしく忍」
下品な笑みはそのままに、すうっと目を細められた表情でよろしくと声をかけられて背筋が冷たくなる。流れ落ちた汗が私の身体を冷やしていく。
そもそもここはどこなのだろう。この男は誰なのだろう。ただ明るいだけの真っ白は空間に私と男は立っていた。上も下も右も左も永遠に真っ白な空間だ。その中に、大きな椅子がふたつ並んでいる。貴族のために用意されたかのような、豪奢なデザインだ。ハルカは、その椅子に勢いをつけながら飛び乗った。椅子のクッションが大きく浮き沈みし、埃が舞ったように見えた。そうしてハルカは私にもうひとつの椅子に座るように目で指示する。私がそろりと椅子に座ると、満足したように語りだした。
「ではでは!話を始めよう。単純に言ってしまえば、僕はこれから忍をある世界に飛ばそうと思う。まあ、ちょっと最初は戸惑うかもしれないけど、別に今まで生きてきた世界と全く違う文化ってわけじゃないから楽しく過ごせるはずだよ。その世界は忍のために創った世界だからね」
「私の、為…?」
首を傾げると、ハルカは同意得たりという顔で笑った。
「そうそう。その世界は忍にとってとっても生きやすい世界になるように設定されているから」
ハルカはさっきと似たような言葉を繰り返した。
「忍のやるべきことはふたつ。①その世界で楽しく暮らすこと。②その世界では素の自分で過ごすこと。このふたつさせ守ってくれたら後は好きにしていいよ。引き際は、僕が決めるから」
「えっと、つまりどういう…」
状況を全く掴めていない私の顔を見ことなく、説明は終わりだとばかりにハルカは立ち上がる。そうしてゆっくりと私の顔に手を翳した。
「それではそれでは、いい夢を…」