地獄の49日
父の四十九日は6月12日日曜日。朝10時からだ。
わたしは前日土曜日に車で徳島から久留米に来た。着いたのは夕方。その日は軽く母と明日の法事の打ち合わせをして、早めに休んだ。
当日は車に母を乗せ、位牌、遺骨、遺影も乗せた。この間指摘された冠婚葬祭用の黒バックも持ってきた。完ぺきだ。
栄明寺に集合。時間より5分前に到着した。駐車場に叔父夫婦と伯母、そしていとこのサキ、妹がいた。自分たちが一番最後の到着だった。サキは伯母さんを車で送ってきただけで、すぐに帰った。
この日は11時から、他の法事も入っていると聞いていた。だから、お坊さんとのご飯はない。
簡単に駐車場で挨拶をしてから、境内に入る。
玄関を開けると、女性が顔を出した。あいさつをする。スリッパに履き替えて、ぞろぞろと中に入っていった。左へ進んで、本堂まで歩く。本堂の中心には、金メッキの仏像。部屋は寒くて、空気が澄んでいる。仏像の前に木の椅子がずらりと並んでいる。どこに座ればいいのか。ゲームで言えば、わたしは一番端っこにいるべきザコだ。母が左横に来て座った。妹は母の一つ離れて横に来た。最前列。叔父は夫婦で後ろの席。伯母はわたしの右横に座る。
住職が現れた。位牌、遺骨、遺影を渡した。前のテーブルに置かれた。お経が始まる。
お経の本を渡され、お坊さんが説明してページを開く。お経が始まる。みんなはお経を口づさんだ。しばらくお経が音楽のようにリズミカルに流れた。
法事が終わってから、別室に案内された。長細いテーブルが中央にある部屋。大きな窓があって、そこから中庭の見えるあの場所だ。
母が奥側の長テーブルに来たので、わたしはその右横についた。すると、伯母さんがわたしの左横に座った。母と反対側の横だ。叔父夫婦は伯母さんの右側の横に来て、机を挟んで向かい側にいる妹側には誰も座らなかった。
住職が来たので、静かになった。住職は妹のいる列に座った。
「私たちも、ここで面倒をみてもらおうと思っているのですが。どうしたらいいでしょうか。檀家代を、お支払いする必要はあるのですか」
叔父が住職に聞いている。
「今払っていただいているので、特に払っていただかなくても結構ですよ。同じ椛島家ですので」
住職は言った。
父は本家。叔父は分家だ。母が檀家代を払っているので、お金はいらないという事だ。
椛島家っていっても、檀家代の振り込み自体はわたしがしている。母では振り込みが分からないだろうから、父の名前からわたしの名前に変えてもらっていた。坂東美帆様で振込用紙が来るし、京都からも八女からも定期的に会報が届く。
「ああ、そうですか」
叔父のほっとした表情。
叔父はこれから、お墓の方は自分がみると以前言っていた。墓は久留米にある。父からわたしに名前が変わっていたが、そのあと叔父に変更になった。
「次は初盆ですが、7月15日から8月15日までになります。ご希望の日時はいつでしょうか」と、住職。
「7月の平日はダメですか。お父さんの初盆はわたしが仕切るので、わたしの仕事の予定に合わせてください。接客業なのでお盆に有給を取るのは難しいです。夏休みに入るとお客さんが増えてくるので、7月の小中学校の夏休み前が理想です。土日も職場に迷惑がかかるし、平日でもいいですか」
わたしが言った。
「平日の方がこちらとしても助かりますけど」と、住職。
住職は手帳を開いて見ている。
「わたしは徳島なので、久留米にくるのに時間がかかります。前後一日は移動日になります。だから、月曜と金曜もなしで、お願いします。火曜とか、水曜とか、そこあたりがいいんですけど。空いている日はありますか? 」
「じゃあ、7月26日火曜日でいかがですか」
「そこで」と返事した。
「美帆、そこは仕事があっていけないんだけど」と、叔父。
「分かりました。伯母さん、当日は家にお迎いに行くよ。いい?」
「もちろんよ。私はいつも予定が空いているから。お願いね」
「こちらこそ、おねがいします」と、返事をした。
叔父も伯母もそれ以上、日にちについては言わなかった。
「あなたは四国ですが、今後はどうするおつもりですか。徳島にも浄土真宗はあると思いますよ」
住職が言った。
「母も、ここでお世話になってもらおうとは思っています。母は久留米で生きていくので。わたしは行事ごとにここにお世話になりに来ます。先祖代々、戦前からお世話になったお寺なので、変更しようとかは思っていません。母が亡くなったら、父と母の位牌は持っていきますが、法事はここでしようと思っています。でも、わたしは坂東家なので、わたしで最後だと思っています。子供たちに椛島家を引き継いでもらおうとは思っていません。いいですか」
「もちろん、大丈夫ですよ」
住職が言った。
「わたしがおばあちゃんになって歩けなくなる前に、お寺に両親の魂を引き取ってもらいたいと思っています。そうしたら、そうねえ。先のことはわからないけど。80になる前に檀家を宗ちゃんに引き継いでもらおうかな」
わたしは言った。
宗太郎は浩一叔父さんと智子おばさんの息子。長男だ。
「勝手なこと言うな」
叔父が怒鳴った。
「え」
わたしはびっくりした。
「勝手にそういうの決めるなよ。宗太郎はフジ姉さんにアナタは長男だから、椛島家を継ぐのはあなただねって、プレッシャーをかけ続けられていた。ずっと言われ続けて苦しんできたんだ。うちは分家だ。本家じゃない。わかっているのか。宗太郎の気持ちを考えたことがあるのか」
叔父は怒鳴った。
どういうこと。わたしは坂東だ。椛島じゃない。わたしが死んだ後も、苗字が坂東の息子たちに椛島家の檀家代を払い続けろって、今言われているの?
「全く。自分のことしか考えていないわよね。美帆ちゃんって」
智子おばさんも言った。
わたしは何を言われているのか、理解できずにいた。
「お姉ちゃん。叔父さんは配慮が足りないって言ってるんだよ」
妹も大声でわたしを怒鳴った。
配慮? 配慮ってなんだ。そもそも、アンタに言われたくない。
「すいません」
口では謝った。謝ったけど、意味が分からない。
本家とか分家とか関係ある? わたしは一生、叔父さんたちの檀家代を払い続けるの? わたしは父と母の檀家代を払うつもりがあるだけ。そのついでに、叔父さんたちも檀家でいられるだけだ。わたしは、よその家に嫁いだ人間だ。もう、椛島家ではない。妹は本家を継いだわけではない。名字は同じだけど、義務を放棄している人間は、権利なんか有さない。父が亡くなった時点で、椛島家の本家はなくなった。
先祖代々の檀家だから引き継いだほうがいいかなって思っただけで、引き継ぐことに深い意味はない。椛島家は旧家だ。代々長男が引き継いできた。歴史があるから、途中でやめるのは違うと思っただけ。嫌なら、引き継がない。それだけだ。
分かって、逆に良かったのかもしれない。気を付けて言葉を選ぼう。
「ところで、ちょうちんはなかったけど、どうしたの。引越しの荷物にはなかったけど。初盆にお父さん、迷って家に帰ってこれないよ」
空気が悪くなったから、話題を変えた。
今回から実家に父は帰らない。あそこには知らない家があるだけだ。帰れないと言った方がいいのか。団地の母の住んでいる場所に魂は帰ってこれるだろうか。
「ちょうちんはないのよ、いいの。古くなったんだから」
母が言う。
「買えばいいのよ」と、母。
「どうしたの」
と、わたしは聞いた。
「捨てたんだよ、ねえ」
妹が言う。
妹の顔がゆがんで見える。顔がゆがんだまま、薄笑いを浮かべている。鳥肌が立った。
「捨てたの? 」と、わたしは聞いた。
「いいんだよ」と母。睨まれた。
わたしはまた、話を替えた。
「来年の十月におじいちゃんとおばあちゃんの法事もお願いしようと思っているんですけど。50回忌と33回忌の。大丈夫ですよね」
「わかりました」
お坊さんが言う。
「その、そのときに、ねえ」
叔父さんの方を見て言ったが、反応がない。
あれ? お寺に祖父母の魂をお返しするって言ってませんでしたっけ。火葬場の待合室で、叔父さん仕切るって言ってたよね。
いや、まてよ。
「でも、魂抜きしているんだよね。お返しすることってできるの」と、言葉が出てきた。
そう。
思い出した。家を壊す前に仏壇を魂抜きしたのだ。母は位牌も抜いたようなことを言っていたような。でも、妹から位牌を取り戻してからは、毎日お参りもしているし線香もたいている。
ってことは、魂は抜いていないのか。
「美帆、何を言っているんだ。意味が分からない」
叔父さんの不快な感じの言葉が出てくる。檀家代のことで、完全に叔父は怒っている。
「おとうさんとおかあさんを、お寺にお返しするって、浩一さんが」
母が叔父の方を見た。
「勝手なこと言うなよ、姉さん。やるのはあんただよ」
叔父が強い口調で言う。
ウソでしょ。この間の火葬のとき、自分が仕切るって言ったじゃない。自分の親だからって。あれは何だったの。あの後、智子おばさんと話し合ったのかもしれないけど、変更するなら変更するって言ってくれないと、こっちは分からないよ。
伯母さんの顏を見た。平気な顔をしている。そうか。伯母さんは聞いていたんだ。
「お母さん、いい加減にしてくれませんか」
妹が言う。
「位牌の魂、抜きっぱなしですよね。いい加減、入れてもらえませんか。こっちは迷惑しているんですけど」
「どういうこと、魂って」
伯母さんが言う。
叔父の顔がさっきよりもっとゆがんでいるのが見える。
迷惑って何。あんた、何もしていないじゃない。人の隙に入って仕掛けるのやめなさいよ。
アンタがお母さんのそばにいて、このことだって知っていたはずなんだよね。こっちは、母親が徳島に連れてこられる前のことは何も知らないんだよ。自分は被害者だったテイで話すのやめなよ。
モヤモヤが止まらない。
「家を壊すとき仏壇の魂は抜いたけど、位牌の魂は抜いていないよ」
母が言う。
「ウソつき。魂抜いたくせに。アンタはいつも、ウソばっかり」
妹の怒号。
「あ、確認しますよ。わかりますから」
住職が言う。
「ここでしたんじゃありませんよ、葬儀屋にしてもらったんです。互助会で。安いから」
母が言う。
「なにしてくれてるんだい」
「位牌の魂抜いたのか」
「魂なんてぬいてないよ」
「ちょうちん、捨てたんだもんね。写真は? もちろんあるわよね」
「写真は」
「あんた、遺影も捨てたんじゃないの」
「写真はどうしたのよ、捨てたの」
「あき子が捨てたんだよ。荷物に入っていなかったんだから」
「わたしのせいにしないでよ」
怒号だらけだった。誰が何を言っているのかさえも分からない。こんなことってある? 今日は父の49日なんだよ。しんみりお話するはずだったのに。
住職はいつの間にか退場していた。そうか、次の法事でいなくなっているんだ。
怒鳴り声が部屋全体に鳴り響いている。きっと、本堂までダダ洩れだ。わたしたちは11時からの誰かの法事を台無しにしている。
これでお寺での法事はおしまい? お墓に移動して、お骨を収めるだけ?
心温まる説法はないの? 父の生前の人となりの話とかは? 今の状況ってどうなっているの。
サイアク。
大泣きしていた。涙が次々に流れていた。この中でお父さんのことを考えている人はいるのか。ゼッタイいない。お父さんのこと、だれも考えていない。
「ごめんね、悪かったね。さっき、きつく言いすぎたわね」
智子おばさんが、大泣きしているわたしに謝ってきた。
「別に、おばさんのせいではないですから」
わたしは泣きながら言った。
見当違いだ。
智子おばさんには一生理解されないだろう。理由なんて、言いたくもなかった。
住職の奥さんが位牌みたいな形のモノを渡してくれた。仏壇がない場合は、これを置けば大丈夫、とのこと。浄土真宗は仏壇がないと駄目らしい。買うまで貸してくれるという。
そうか。仏壇を買うのか。
徳島の家には仏壇がない。義母が亡くなってから小さなタンスを買って、その上を仏壇のように使っているが、真言宗の住職には仏壇が必要だといわれたことはない。母がなくなったら、宗派の違う仏さまが同時に二つ、同じ家に存在することになる。嫁の実家の椛島家には仏壇があって、坂東家の義母には仏壇がないなんて、そんなひどい話があるのだろうか。あやまるだけじゃ収まらないくらい、わたしってひどい嫁だ。
久留米のお墓に移動して、納骨をする。
八女の寺から久留米の墓まで、車での移動。叔父さんの車に伯母さんが乗った。妹の車の横には智子おばさん。わたしの車には母。妹は智子叔母さんとずっと話していた。車の中にいて、墓に到着しても、二人はなかなか降りてこなかった。きっと、わたしと母の悪口だろう。どうぞ、どうぞ。
伯母さんと叔父さんの乗っていた車がついて、二人は下りてきた。
浩一叔父は智子おばさんと一緒に事務所にあいさつに行った。以前、墓から名義を引き継ぐ際に、納骨のついでの時に新名義者が事務所に顔を出すように、とわたしが電話したときに言われていた。父からわたしに変更したときは、顔を出すようには言われなかったのに。
父が寝たきりで今までのように義務を行使できないため、と言っていたから理由自体が原因なのか、父から娘と、姪から叔父では、直系でないからなのか。何かが、違うのだろう。
わたしは母と、墓まで一直線に歩く。墓の横にある墓標には、新たに父の戒名が刻まれている。墓は後ろにスライドしていた。墓があった場所には穴が空いている。中が見える。遺骨が入っていた。一番上の、視界に入っているこの骨は多分祖母だ。
亡くなってから三十年以上も経っているのに、形はそのままだった。
事務所から若い女性が出てきた。みんなが集まった墓の真ん中で、骨つぼから父の骨を出して、正方形の穴に入れる。その場にいるメンバーの視点が穴に集中した。祖母の骨の上に父がかぶさった感じになった。
へえ、お墓ってこんな感じになっているんだ。
「よかった。お父さんはお義母さんが大好きだったから。いっしょにいられて」
母が言う。
「骨つぼは、どうしますか。回収もできますけど」
係の女性が言う。
「お願いします」
わたしは言った。
少しふらついている伯母さんの横についた。もう、85の細身の伯母さん。背筋はまっすぐで姿勢はいいが、やっぱりおばあちゃんだ。叔父の車の側までついてきて、車に乗せた。今度は、八女の飲食店へ移動。叔父さんと伯母さんに物言いがつかないように、お寺にいくつか紹介してもらったうちの一つを選んでいた。伯母さんの家の近所だ。なにか言われたら住職のせいにできる。住職の名前を出したら、何も言えなくなるだろう。
はあ。これから食事会だ。気が重い。




