どうやって土地を手に入れたのか
父が亡くなるなんて想定外だった。
いや、想定はしていた。いずれは亡くなるだろうとは思っていた。でも、今じゃなかった。
父が亡くなる前に、福岡行きの飛行機の予約をしていた。これは、母がきてくれと言ったから。助けてと言ったからだ。
父が亡くなったことで、目的が変わった。
そのことを、火葬場の待合室で、母はばらした。わたしが妹と会いたくないことを、何も知られたくないことを、理解しているのだろうか。
土地をゲットしているのだから、わたしには用はないと思うけど。怒鳴りこんで、もっとよこせというのだろうか。言われても、渡すものなんてない。わたしは何ももらっていないのだから。
母は妹に家を追い出され、父に会うために飛行機に乗る。何度も何度も。会うためにたくさんお金を使った。
おかしくないですか。土地ももらっているのに、あいつは権利を主張するだけだ。義務は行使しない。
徳島に帰ってから、弁護士無料相談に行って相談した。この間相談した人とは違う。ひょろっとした背の高い年配の男の人が担当だった。
大きなテーブルに透明の衝立があって、その前に座っている。会釈した。
父の財産の土地はすでに取り上げられている。貯金や、お父さんが亡くなったときにもらう保険金は? あれも、妹が一部もっていくのなの? もしそうなら、お母さんは生きていけない。病気したら、誰がお金を払うの。妹は請求ばかりして、母を支えたりはしない。
「わたしは母に、お父さんが亡くなる前に、貯金を全部下ろしとくように言っていたんで、大きなお金は入っていないと思います。でも、そのあとに年金は入ったと思うから、十数万は入っているんじゃないかな、と思っています。妹に一部渡さなきゃいけないんですか」
「年金なら、渡す必要ないですよ。お母様のモノです」
よかった。
「父が死亡して母に死亡保険が入るんですけど、それは渡すものなんでしょうか」
「それはお母様のモノですよ。子供は関係ありません」
「そうですよね」
ほっとする。
「妹は父が亡くなる前に土地を自分のモノにしたんです。贈与したことになっています、書類では。父しか、土地事由証明書の申請書類をみられないって、前相談した弁護士の先生から言われました。もう父はなくなったし、見られる人は誰もいないんですよね」
そう言って、手に持っていた法務局の書類を衝立の下に滑らした。弁護士が反対側から受け取る。
「父はアルツハイマーで寝たきりで、しゃべれないのに贈与しているんです」
わたしが言った。
「ひどいことしますね」
書類を見ながら弁護士が言う。
「土地は取り戻さないんですか。このまま不正を見逃すんですか」と、弁護士。
「徳島にいるので、久留米に土地があったところで住めるわけでもないし」
自分で言って恥ずかしくなった。言い訳みたいだ。
「慰留分はあります。あなたの権利ですよ。土地を取られたたとしても、お母様もあなたも、財産を請求することは出来る」
透明の衝立の下から、書類が戻ってきた。受け取る。
「いいんです。請求すると、また怒鳴られて恐喝される。疲れました」
わたしはため息をついた。
「これ以上、悪口を言われたくもないし」
また、一生恨むって言われるのもイヤだ。
「お父様は亡くなられたんですよね、開示請求はできますよ。アナタは娘さんでしょ。今は、相続人の一人ですよね」
わたしって、相続人? 小説のセリフみたいだ。
「見られるんですか」
「ただ、ハードルは高いかもしれません。こういうのは簡単に見せてくれない。でも、見せてくれるかもしれない。相当な理由があれば。アナタが相続人だという証拠を持っていって、法務局で交渉してください」
その夜、夢を見た。わたしは久留米で交通事故を起こした。わたしの車でも夫の車でもない。見たことのない車だった。でも、夢の中で「大丈夫。大したことはないよ」と誰かに言われた。そして、目を覚ました。
夫に言ったら、気を付けるようにしつこく言われた。はいはい、そうしますよ。
5月9日仕事を終わらせて飛行機に乗った。徳島空港、20時発。福岡空港に到着して高速バスで西鉄久留米駅についた。夜。空港のコンビニで夜ご飯のサンドウィッチを買っていた。そのまま、キャリーバックを引きながら、いつもよりちょっと遠いホテルに行く。母と一緒のときは便利なほぼ駅構内近くに泊ったが、わたしだけならそんなわけにはいかない。宿泊付き航空機代は母もちだ。少しでも安いところに泊る。
朝、西鉄駅から一番近いレンタカー屋にいった。大きな久留米の老舗のおもちゃ屋を少し過ぎたところにある。道の横にあるこのおもちゃ屋には、子どもの頃お年玉を持って父と何回も買い物をしに行った。母に送ったオルゴールを父と一緒に選んだこともある。そのオルゴールはすでに妹に捨てられている。引越しの荷物にそれはなかった。
レンタカーを借りる時間は朝9時。中に入って説明を受ける。ネットでレンタカーに保険を付けているが、マックスの金額はついていない。夫には保険をけちるなと言われている。事故なんて起こさないから、毎回保険の金額をあげることを躊躇する。保険って高いから。でも、今回は別。事故の夢を見ている。
「事故の夢を見たんですよ。だから保険は手厚くしてほしいんです。一番高いヤツで」
スタッフに言う。
「心配ですね」と、年配の女性のスタッフ。
「夢ですからね。大丈夫だと思うけど。久留米で事故って」
こんなときにイヤな内容の夢を見たものだ。でも、内容はほんわかして少しもイヤな感じはしなかった。事故なんてないだろう。でも、不安。
車は普通車。古かったがレンタル代は安いし大きすぎなくて運転しやすそう。イイ感じだった。車に乗って、団地に向かった。
いつも通る抜け道。ここを通れば、妹と車ですれ違ったりしない。コンビニの横の細い道を抜け、高速道路の上にかかった橋を通る。右を見て左を見て右。正面に設置されたミラーを見た。車はない。そろりそろりと頭を出した。正面のミラーを見た。車はない。
出ようとした瞬間、衝撃が走った。ぶつかった。黒い車。右横に強い力がかかった。そのまま、左前に引きずられるように車が動いた。体が前のめりになった。
「バカ野郎、どこ見て運転しよっとね」
運転していたのは髪が狼カットの60過ぎくらいのオヤジ。体が細くて、黒い上服に黒いスキニー。こっちに向かって歩いて、そして怒鳴ってきた。うえー。年寄りのロッカーが、これから出勤なのか?
「すみません」
謝った。まじか。車は見えなかった。
相手が走っていた道は細い。Uの逆みたいな勾配のきつい道と、高速道路の上の橋が交差している所で事故は起こった。相手側から見ると、交差している場所は道のてっぺん。左側にいるわたしに気づいていたが、止まるだろうと思っていたのか。普通に見えなかったのか。優先道路はどっちだ。一時停止線はどちらにもついていない。朝。相手は遅刻しそうで、かなり飛ばしていたのだろう。衝撃はすごかった。
車を邪魔にならない所に移動して停めた。警察に連絡して、レンタカー屋に連絡して、母にも連絡した。夫に電話したが出なかった。仕事中だろう。ロッカーが怖くて車からは下りなかった。ロッカーも近くには寄ってこない。外に出て電話している。職場に報告しているのだろう。
警察官がきてから、ぶつかった相手と、名前、電話番号、住所の交換をした。わたしの住所は徳島。あちらは久留米。自分の乗っている車はレンタカーだと言った。車を降りてぶつかった個所を見る。ぶつかっていたのは運転席前の前輪の前。タイヤの下の方は斜め内側に、めり込んでいる。もし、もっと進んでしまって、ぶつかった場所がずれていたら、わたしの座っている座席のすぐ横にぶつかっていただろう。大惨事。救急車で運ばれていたはずだ。運転を躊躇していたおかげだ。いや、躊躇していたから事故にあったのか。決断が早ければ、すでに通り過ぎていたはず、かも。
「あのクルマ、見えなかったの? 」
車検証を見せているときに、若い警察官に言われた。黒い車を指さしている。警察官の年令は息子くらい。
「見えませんでした。右見て左見て右見て。ミラー見て、少しして、もう一回ミラー見て」
「最後に視界で確認しないと駄目だよ。ここのミラー、映らないんだから」
まじか。映らないんだったら、このミラーいらないだろう、と思ったが言わなかった。
「この車、そのまま運転しようと思うんですけど」
「やめなさい、危ないから。走行中にタイヤが外れたらどうする。タイヤが斜めにのめり込んでるよ」
と、若い警察官。
でも、今日はいろんなところにいかなきゃいけない。高牟礼市民センターにもいく。お父さんが亡くなったあとの事務処理がある。母の今後の生活の手続きがたくさんあるはずだ。
「車がないと困るんです」
「また、事故が起こりますよ」
それはイヤだ。警察官に言われたのであきらめた。
レッカー車が来るまで待っていた。なかなか、来ない。ロッカーもその場にしばらくいたが、わたしに近づいてきて「もう仕事に行っていいですか」と言った。
「お気遣いなく。どうぞ、行ってください」って言った。
最初は怒鳴られたけど、そのあとは怒鳴られなかった。突然の事故、遅刻しそうだし頭に来たので、一瞬感情的になっただけなんだろう。すべてが終わるまで待っておこうと思ったなんて、実は優しいん人なんじゃない。
誤解されるから、狼カットとスキニーパンツはやめた方がイイし、痩せすぎ。と思ったが言わなかった。
近所に住んでいる母も事故現場まで歩いてきて一緒にレッカー車を待った。レッカー車がきて車を回収してから、近くのコンビニに移動しタクシーを呼んだ。そのまま役場に向かった。
葬儀会社で印刷物を渡されていた。配偶者が亡くなったときの、しなければならない手続きをいろいろと書いてある。親切だ。助かる。公的なサービスだけではない。死亡保険の受け取りとか、名義変更とか、土地のことも書いてあった。必要ないものにバツを付けていた。
母は本人が書かなければならないことを書いてくれ、書いてくれというから書類に母の名前、住所、電話番号を書いた。職員の人は何も言わない。娘が書いても大丈夫なのだろうか。
年金は予約がないと手続きできないらしい。わたしがいる期間は予約が取れなかったと母が言った。電話してもやはり満杯で、直近での予約は取れなかった。わたしは明後日には徳島に帰って久留米にはいないので本人にさせますって言ったら、少し待たされてキャンセルが出たから明日の四時なら大丈夫と言われた。ムリに空けてくれたのだろう。
高牟礼市民センターを出て、二人で目の前のバス停からバスに乗って西鉄久留米駅に行った。最初に借りたレンタカー屋に行って新たに車を貸してくれと言ったが、空いてる車はなかった。レンタカー代三日分の未使用分を返金されただけだ。仕方ないから駅のベンチに母を座らせ待ってもらい、周辺に点在するレンタカー屋に行きまくった。3軒目でようやくレンタルできた。車で母を迎いに行く。
父の入院していた病院にもいきたいらしい。しばらく前、父の荷物を取りに来るように芳川病院から電話があったことは聞かされていた。母は岩田屋新館に売っている高級菓子をたくさん持っていきたいという。世話になったから、だそうだ。
ウソでしょ。寒い中、玄関でパジャマのまま父を外に出そうとした病院だよ。あれは、介護タクシーのおっちゃんが阻止してくれたから、父は凍えずに済んだ。覚えていないの? クラスターで受診がなくなったことさえ、前日に連絡してくるような病院なんだよ。そんな高級なもの、渡す必要あるの。
「安物でも渡しとけばいいんじゃないの」
「なんてこと言うんだい」
母に叱られた。はいはい、どうぞ。
母はモロゾフの大きなクッキー缶セットを2点買った。わたしは荷物持ちだ。大きな紙袋を受け取って、抱えて持っていった。
体が痛い。肩と腰あたり。事故を起こしていたことを思い出した。母に言ったら「若いくせにガタガタ文句を言うんじゃないよ。こっちは毎日どこかが痛いんだ」って言われてケンカになった。痛いって言っても死ぬほどってわけではなかったから、そのままお菓子を抱えた。数日で痛みは治るだろう。
母は機嫌が悪かった。多分、疲れている。わたしも。ストレスのはけ口にされているのだろう。ため息が出る。
病院には事前に来院を連絡していたから、イケメンの年齢不詳のソーシャルワーカーが待合室で待っていた。彼がいなければ、病院には入れないのだろう。きっと、外で待たされて、父の荷物を外に投げ渡される。お菓子も玄関渡し。たぶん、そんな感じ。病院に受診するために行ったあの寒いときのように。わたしたちはコロナにかかっているかもしれないから、中には入れない。命よりコロナだ。怖いのはクラスターだけだ。
荷物を受け取って、愛想笑いをして頭を何度も下げて帰った。やっと今日の予定は終わった。さよなら、芳川病院。もうこの病院には関わらないだろう。
家に帰って寝ころんだ。疲れた。明日は保険屋が家に来て、そのあと、年金の手続きをして、終わりだ。明後日の最終日は移動日。午前中にはやることがある。飛行機だから、遅刻厳禁。怒涛の四日間だ。
お金を半分しか渡してくれないし、三回に分けてしか渡せないって、保険屋が言っているって聞かされたときは詐欺かもしれない、と思った。そんなの、いままで聞いたことない。保険の外交員が顧客のお金を横領したって事件が、たまにニュースで流れていることがある。うちも一度、横領されたことがあった。保険の解約をしたはずなのに、入金請求はがきが来て、そのたびに相談するが外交員は大丈夫って言い張っていたらしい。おかしいと思って本部に連絡したら解約されていなかった。結局外交員が成績が落ちると困るから、解約手続きを取らなかったことが発覚。たまっていたはずの積み立て金は、解約されなかった保険代として徴収されていた。電話する前、解約から発覚するまでの三か月間は保険に入っていたことになって、戻ってくるはずだった保険金の一部は戻ってこなかった、と聞いていた。昔のことだ。
これ、怪しい。ゼッタイ、だまされていると思った。
困っているという母に言われて保険屋に電話し、不審に思っていると伝えた。それで、わたしがいる今日、担当の人が家に来てくれることになったのだが、思ったよりイイ感じの年配の女性だった。詐欺師には見えない。
母が言っていたのは勘違いだった。このまま、他の保険に切り替え減額するか、数年ごと三回分けて受け取るか、全額返してもらえるか、の選択があると言われた。80のおばあさんが不審に思うのも無理はない。この先どうなるか分からないのに、数年ごと三回って選択肢があるなんて。もちろん一回全額受け取りにした。通帳に入金してくれるという。わたしは本部の上司とも連絡していたから、前解約できなかったことと同じようにはならないないはずだ。母が絶対書かなければならないこと以外は、書類を書いて担当者に渡した。わたしは母にいつもこんな感じで振り回される。担当者にはしっかり謝った。
母は担当者が帰ってから「わたしは悪くない、説明の仕方が悪い」と言い張った。まあ、そう来るだろうな、と思っていたから気にしてはいない。あやまることもわたしの仕事だ。
「全額もらえるんだから、よかったじゃない」と、ニヤッと母は笑った。
はいはい。そうですね。
保険も終わり、お昼ご飯を食べて少しして年金事務所に行った。30分ほど早めについた。すると待ち時間もなく、すぐに対応してくれた。1時間ほどで、年金手続きも終わり、時間はすでに4時半前。
ずっと行きたいと思っていた。法務局。
「行きたいところがあるんだけど、法務局。いってもいい? 」
「いいよ」母が言う。
そのまま法務局に行った。土地の全部事由証明書。見せて受付番号の中身を見たいと言った。自分が父の娘であるという証拠と、免許証を見せた。
「裁判をされるんですか」と、職員に聞かれた。
「裁判をする予定はありません」
「じゃあ、開示は無理ですね」
ウソでしょ、こんなことってあるの。裁判しないと開示してもらえないの。
「父はアルツハイマーでした。寝たきりで話もできないし、生きた屍でした。その父が妹に贈与って、おかしくないですか。父が妹に渡すって、言えるわけがない。母は住んでいた家を追い出され、徳島に強制的に連れてこられた。父は死んで骨になっても住んでいた家に入れてもらえず、今は母の住んでいる県営団地にいます。これって、泣き寝入りしろってことですか」
証拠が欲しいと思って探したときに、かつて入院していた病院、宮の里病院の退院証明書を見つけた。新曽我病院に転院するときに発行したものだ。病名はアルツハイマー型認知症。これは証拠にならないのか。職員に見せた。
職員はわたしの剣幕に恐れをなしているのか。引きつっている。
「今言った、それを文章で書いてもらいませんか。なぜ、開示してほしいのか。理由を」
A4の紙を渡され書いた。妹からの仕打ち。いっしょに住むと言われて住んでいた家を壊され、久留米を追い出された。住む家もなくなり徳島に送られてきた。気が付くと土地も取られて、父の財産はなくなった。これ以上母の受け取るはずのモノをとらないで。そのために証拠が欲しいのです、と。
職員に見せたら「違います」と言われた。新たにA4の紙を渡された。
「そういう事じゃなくて。お父様は認知症だったんですよね。どうやって贈与されたのかが分からないんですよね。それを書いてください」
父が入院したころから書き始めた。新曽我病院に行って面会したが、わたしの事が分からなくて意識があるのかも疑わしかったこと。起き上ったり歩いたり、文字を書くことさえできなかったこと。もちろん話せないことも。あの状態で贈与をどうやって希望して、その意思を記すことができたのかを知りたい。そう書いた。
職員が奥に行って、すぐ戻ってきた。
「許可がでました。今準備しています。見れます。でも、コピーすることは出来ませんが、写真は撮れます。カメラのご準備は大丈夫ですか」
「大丈夫です」
携帯を見せた。
母に見るか聞いたら見るという。わたしの横についてきた。
横の部屋に通された。部屋といっても、仕切りで空間を区切っているだけのスペース。普通の来館者は入れない。職員は大きな本のようなものを手に持っている。長机に置いた。
岩波の広辞苑より大きいサイズの書類が厚紙に綴じられている。間に大きいしおりのような定規のような厚紙が二枚挟まっている。間に紙の書類が挟まっている。そこを開いてくれた。
「この間だけ見れますよ」
はじめから写真を撮り続けた。ゆっくり見る余裕なんかなかった。とにかく何枚かとって次、またとって次。わたしの視界にはなにも入らなかったし、理解もできなかった。もちろん、肉眼でも見たがピンとこない。
「わかる? 」
母に聞いたら、微妙な顔をしている。
「家に帰って見よう」
母も賛成した。
家に帰って、携帯の写真を見た。画面が小さいからよく分からない。字を大きく広げて見たが、文章は分断され、全体が見えない。わからない。画面を元に戻す。
母も老眼。眼鏡をかけたが、分からないのか、すぐに見るのをあきらめた。やっぱり、紙媒体がいい。
徳島に帰った後、写した写真を家のプリンターでプリントアウトしよう。
次の日は9時に銀行に行った。わたしは車で母がATMで引き落として帰ってくるのを駐車場で待っていた。母が父が亡くなったことを言って通帳がロックされたら困る。母は本当に何も考えずに、そのとき思ったことを遠慮なく言う。口止めなんて無駄だ。話し相手がいなかったら、何も話さないだろう。
「おろせた? 」
「大丈夫だったよ」
ラッキー。よかった。通帳は生きていた。
「全部おろしたんだよね、それはもう使えない通帳なんだよ」
「分かってるよ。ちゃんとおろせたよ」
そのまま、福岡県住宅供給公社の久留米事務所に直接行って、父が亡くなって住居者が減った手続きをした。スーパーで買い物もした。飛行機は福岡空港を18時離陸予定。母を家に送り届けて、仕事はすべて終了。
久留米の実家を14時に出た。ガソリンスタンドで満タンにガソリンを入れ、レンタカーを返却した。西鉄久留米駅に戻り、空港行き高速バスに乗った。
事故のせいで2日目は時間がなくなって、まじで地獄だった。夢の中で「大丈夫。大したことはないよ」と誰かに言われたけど、大したことあったし。体もまだ少し痛い。いろんなことを駆け足でやった。
事故の処理。レンタカー屋をはしごして、車の確保。お菓子を買って病院にあいさつ。市民センターと年金事務所。死亡保険の受け取り手続き。そして、法務局。
なんとかやれることは全部やった。福岡空港で少し時間をつぶした。やっと帰れる。
徳島の家に帰って早速プリンターを起動した。一番に気にかかることだ。印刷物が次々に出てくる。
登記申請書。司法書士の名前は猪下幸二。事務所の電話番号。土地の金額と税金の金額。内容。登記所での交付を希望する。
登記原因証明情報。1月20日贈与。妹と父の名前が載っている。受贈者、椛島あき子。贈与者、椛島和之。印鑑証明の印。妹の字。父も文字の雰囲気は変えているけど明らかに妹の字。
署名・証明書の検証結果。
登記免許税納付用紙。収入印紙が張り付けてあった。187100円分。
登記免許情報(不動産)。
久留米の市役所の登記上の土地の広さの書類。
父の印鑑証明の紙。
司法書士、猪下が作った委任状。
妹の住民票原本。
福岡法務局久留米市局の添付情報の内訳票。
父が書いたとされる委任状。父の字ではないけど。
重複した紙を外して枚数を数えた。11枚。
これは私文書偽造書類。鳥肌が立った。今わたしはやばいものを見ている。
医師の診断書なんていらなかった。
土地の名義なんて簡単に変えられることをはじめて知った。
こんなに簡単なら、罪の意識なんて感じることなく気楽に父の名前を本人のふりをして書けたのだろう。こんなそっくりな父と妹の文字。役所は疑問に思わなかったのか? 多少変えて書いてるけど、父の字は明らかに女のまる字だ。
ネットで認知症の人は、土地の名義変更は無理って書いてあった、あれは何だった。わけの分からない本人に名前を書かせれば、簡単にできるじゃない。開示なんて簡単にしてくれないんだから、やったモノの勝ちでしょ。
この書類、裁判をしないと基本、開示されない。父が亡くなることは想定外だった。父は寝たきりでしゃべれない、自分の意思を示すこともできないから、開示請求できないだろうと分かっていた。だから、司法書士は悪事がばれないと思っていたにちがいない。父がなくなったとしても、裁判をしなければ開示されないだろうとふんでいた。
久留米の端の土地。裁判費用をまあまあ出して妹から取り上げたとして、そこまでする土地の価値はない。母の名義で取り返したところで使えない土地だ。名義の違う妹の家が上に建ってるのだから、売れることはないだろう。それも司法書士は考えたはずだ。だから、裁判はしないだろうと。マイナスになるだけ。裁判費用を捻出するほどのお金を持ってはいないことも知っているはず。
司法書士の猪下はヨゴレだ。こういう仕事をする人間には、黒い仕事ばかりしか集まってこない。そういう仕事をずっと引き受けているのだろう。依頼料は高いに違いない。
あき子の旦那が父の文面に似せて父の名前を書いていると思っていたが、そうではなかった。
妹が送ってきた書留の医療費等の請求の封筒には妹の文字で、住所や名前が書いてあった。証拠として取っている。これを比べたら父の字を偽装したのが誰なのかわかる。
わたしは父の手帳を持っている。それとはまったく異なる文字。似せることさえしなかった。
中に入っていた請求書にはパソコンで打った表のほかに、取ってつけたように、旦那の手書きのくせのある細長い文字が添えられていた。らしくない内容だった。
「お世話になりました。わたしは赤の他人ですが、あき子は妹ですからあまり感情的にならず、はなしてみてください」
請求書の最後に違和感だらけの文章。これには意味があった。
自分は犯罪に加担していないよって証拠を送っていたのだ。念のための処置。この歯の浮くような文章を。
アイツはクソだ。
すべて妹の自作自演。あき子の旦那は罪には問えないってことだ。




