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お父さんが亡くなった

 父のチューブ交換をしてから3週間過ぎた。母はチューブを交換しなくていいのかと、何度もわたしに電話をかけてくる。

「大丈夫じゃないの、新曽我の医師がそう言ったんだから。3週間は目安だって」

 予約したところで、医師は処置をしてくれるだろうか。面倒くさい親族だったことは否めない。

 医師から見ればただの患者の一人で、いつもの作業かもしれないけど、こっちはたった一人の父親なんだから。優しく説明してほしかった。

 今考えればチューブが入ったから飲めないんじゃなくて、飲めないからチューブを入れたって解釈でよかったんだろう。ネットで、死への片道切符なんて書かれていたら、どうしようって思うよ。引き返せないじゃん。

「次回は、お母さん一人で大丈夫だからね」

母が言った。

「うん、よろしく」

 ムリだろう、と思ったが言わなかった。

 受診の時、新曽我の院内で母一人でストレッチャーを動かす練習をしてみた。エレベーターも廊下もやってみてって言ったけど、上手くできなかった。レンタルしたものは、古いストレッチャーで動きにくかった。そもそも重くて動かない。タイヤをロックするのも硬くて、年寄りには難しいだろう。新しいストレッチャーがレンタルできればいいが、存在しないかも。この状態なら、そばについていなきゃダメだ。あそこの看護婦さんは優しかったから、お願いしたら、助けてくれるとは思うけど。


 それからしばらくは何もなかった。

 毎日母と電話で話した。家のこと、近所のこと、友達のこと、ヨガのこと。母はとにかく自分の言いたいことを一方的に話すので、とりあえず聞いた。へたに聞き返すと、話が長くなる。だから「へえ」とか「ふーん」というと興味がないのがバレて、「じゃあ、そういうことで」と切られる。まあ、それでいいか。

 母にはもうわたししかいない。父は入院していて会えない。兄弟は離れて暮らしているし高齢だから、会うこともままならないだろう。

 わたしも、遠いところに住んでいて、すぐに行くことは出来ない。それは、同居したくないと母が言ったのだから、それでいいのだと思う。


 4月中旬。病院から電話があったのを、仕事から帰ってきて気づいた。次の朝電話をした。栄養状態が悪いから、中心静脈栄養をしたいとのことだった。高濃度の栄養点滴だと言う。心臓の近くでするらしい。宮の里病院ではできなかった点滴。そのために、新曽我から宮の里に戻らず、芳川病院に転院した。お願いして、母に電話した。

「勝手に許可したけど、大丈夫? 」

「もちろん。お願いしてくれてありがとう。でも、お父さん苦しくないかな」

 母が心配そうに言う。

「苦しくないって言ってたよ」

 そう看護師は言ったけど、心の中でアンタその点滴したことないでしょ、痛みなんてわかるの、と思った。リスクがあるから、許可がいる。特別な点滴だから電話がきたはずだ。書類にサインをしてほしいとのことだから、母に病院に行って書いてくれ、と頼んだ。

 チューブは外しているって言っていた。チューブからの流動食は受け付けていないらしい。すぐもどしているのだそうだ。でも点滴で栄養を取れるなら、お願いするしかない。

 本当は内臓から栄養分を取る方がいい。新曽我に初めて受診したときキムタクもどきに言われた言葉を思い出した。

 それからまだ1週間も過ぎていない夜、携帯に着信履歴に気づいた。芳川病院。夜の九時前。そのまま電話した。

「面会の許可が下りています。会いに来てください」

 コロナの数が増えてきている。この時期に面会なんておかしい。

「それって、父が危ないってことですか」

「危ないってことではないんです。許可が下りたのでお知らせしているだけです」

 看護師の慌てた口調。あやしい。言葉どおりに受け取ってもいいのか。

 母に電話した。

「お父さんの面会ができるって。明日行ってきて。状況を教えて」

 そのあと、伯母さんにも電話した。

「面会の許可が出てるって。新曽我に会いに行って。もしかしたら危ないかもしれない。看護師さんは危なくないって言ってたけど」

 叔父さんにも電話して、同じことを伝えた。


 次の日。仕事に行って家に帰ってきて母に電話したら、母は上機嫌だった。

「お父さん元気だった。良かった。また面会しに行ってもいいって」

「よかったね」

 ほっとした。伯母さんにも電話した。

「会ってきたわよ。あんな状態でお父さんがかわいそうだと思わないの。胃ろうはつけたの」

「胃ろうはつけてないよ。つける予定もないよ。でも、チューブはつけるよ。死んじゃうから」

 ここは主張しないと。見た目がかわいそうだからって、医療を放棄する理由にはならない。

「お父さんがかわいそうよ」

「ソレについては、またじっくり話し合おうね。また、久留米に戻ってきたとき、おばちゃん家に寄るから」

 電話を切った。

 仕事から帰ってきている夫に母親が父に会ったことを伝えた。元気だということも。

「よかったじゃない。これからは面会できるね」

「うん。元気だし。考えすぎだった」

「物事は前向きにとらえた方がいいよ。自由に会えるから、お母さんも満足だね」

「そうだね。しばらくは大丈夫そうだね」

 居間に携帯を充電して、二階に上がった。


 朝。寝室からリビングに降りてきた。八時半。最近父のことが心配であまり眠れなかったから、爆睡していた。わたしの仕事は遅い時間から。10時半過ぎに出勤する。夫はすでに家にいなかった。彼はいつも、7時には出勤する。窓からは暖かな光が入っていた。4月後半だ。母も一人暮らしを満喫しているのだろう。もうすぐゴールデンウイーク。わたしには関係ないけど。入れられていたコーヒーを飲んだ。なんか、さわやかな朝だった。ヨーグルトを冷蔵庫から出した。母からの電話。

「もしもし、おはよう」

「アンタは今まで何していたんだよ、電話も取らないで。何度電話したと思っているんだ。お父さんが亡くなったんだよ」

「え、ウソでしょ」

 昨日、あなたがお父さんは元気だったって言ってたんですけど。

「6時半にお父さん亡くなったって。医者の死亡診断はまだだって」

 意味が分からない。どういうこと。

「今から、お母さんは病院に行くから」

「分かった。わたしも準備して久留米に行くから。遅くなると思うけど、夕方前には着くと思うから」

 電話を切って、伯母さんに電話した。つながらない。叔父さんにも電話した。やっぱりつながらない。

 自分の職場にはまだ誰もきていないから電話はしていない。夫の携帯には電話した。

「お父さん亡くなったんだって。早く帰ってきて」

 家族だけのグループラインにも連絡した。

『おじいちゃん今朝亡くなったけど、久留米には帰ってこなくていい。今、あき子ともめているから。各自でおじいちゃんのこと想ってください』

 大きなキャリーバックを二階から持ってきて、いろいろなものを詰め込んだ。化粧水、シャンプー。喪服。黒い靴、ネクタイはどこ。色って、白だっけ、黒だっけ。

 何を準備しなければならないのかわからない。頭が回らない。服を詰めて、携帯はバックの中に入れた。お金もいる。郵便局の通帳を入れて、下着とあと必要なものなんだ。足りないものがあったとしても、お金さえあれば、なんとかなるか。無意味にウロウロ歩き回る。

 母は互助会に入っていて、担当から電話がかかってきたことがある。実家をたずねていったら、母とは関係ありません、と門前払いされたと言われた。わたしの電話番号だけを教えられたらしい。それで、名前は母のままだが、わたしの住所と電話番号を変更して登録してもらっていた。

 携帯を見る。担当者の履歴があった。父が亡くなったことを説明して、葬儀用の直通の番号を教えてもらった。家族葬を希望していること、芳川病院にお父さんを迎えに行ってほしいこと、を業者に伝えた。お坊さんに確認しないと葬儀の日程はくめないという。

 宗派を聞かれた。うちの実家は戦前から代々浄土真宗で八女の寺の檀家だ。

 母と妹がこじれてから、お金の振込先も檀家名、住所、電話番号も坂東美帆に変更してもらっていた。お墓は浩一叔父がみてくれるというので、父からわたしに変更していたものを、叔父に変更していた。妹が変更しろと怒りのメールを送られてくる前にはもう終わっていた。

 夫が帰ってきた。ネクタイの場所が分からないと伝えた。寝室のクローゼットを二人で探した。あった、白。見せたら「黒だろ、それは結婚式用」って言われた。そうか、そうだった。なんで、こんなことも分からないんだろう。黒のネクタイは見つかった。

「飛行機で帰るの? 」

 夫が聞く。

「時間がかかると思うけど、車がいい」

 こんなにわけの分からない大量の荷物を、手で持っていきたくない。

「ガソリンスタンドに行って、満タンにして、郵便局に行ってお金を降ろす。ほかに大事なことってないかな」

 わたしは手に持ったバックを見る。中にはいろいろなものが入っている。

「わからないなぁ」

 夫も慌てているのか、しっかりしてはいないように見える。

「免許証は大丈夫。お金もある。黒の革靴と喪服、着替えと、マスク。携帯の充電器も入れてる」

 バックの中をさぐった。

「じゃあ、行こう」

 二人で車に乗った。


 高速に入ってから、お寺を携帯で検索して電話した。男の人が出た。

「檀家の坂東美帆です。父椛島和之が亡くなったので、葬儀をお願いしたいんですが。久留米でお葬式をあげたいんです」

 車の中。景色が目まぐるしく変わる。時速100キロ。大きな風の音。雑音。うるさい。ブルートゥースが自動的につながり、車から音声が聞こえる。

「久留米ですか。今、予定が込み合っているんですよ。近くの八女でも大丈夫ですか」

 亡くなった人が多いのか。

「八女ですね。分かりました」

 葬儀屋に再度電話して父の葬儀場所を八女にしてくれ、と頼んだ。しばらくして母から怒りの電話がかかってきた。

「今、葬儀屋の人が病院に来たけど、葬儀を八女でするって、どういうことなのよ」

 キレてる。

「お坊さんが多忙で八女がいいって言うから。ダメなの? 」

 母の声はよく聞こえる。

「八女は空いてないって言ってたわよ。それに、八女までどうやって行けばいいのよ、車はないのよ。久留米にしなさい」

「わかった」

 もう一度栄明寺に電話した。

「すいません、葬儀場所、八女は空きはないんですって。久留米でもいいですか」

「分かりました。葬儀場の場所を教えてください」

 さっき出た、男の人の声。

「これから、確認します。何時から葬儀をしたらいいですか」

「アナタは今徳島ですよね。何時頃に久留米に着きそうですか」

 車の窓は閉め切っているのに、風の音がバタバタとうるさい。速度は時速100キロのまま。走っている場所によっては聞こえにくい。

「はい? 」

「どこ走ってるかって。何時に着くか聞いてる」

 夫が前を向いて運転しながら、言っている。

「今、高速を走っています。香川にいます。もうしばらくしたら、瀬戸大橋です。夕方には着くと思います」

「今日はあなたも大変だから、通夜は明日夕方6時にしましょう。明後日朝に葬儀です。今日の夜、仮通夜をします。気を付けて来てください。場所は後で教えていただければいいですよ。こちらに着いたら、電話をください」

「わかりました」

 母に電話した。久留米に変更したこと。通夜は明日になったこと。父は葬儀場にこれから連れていかれるらしい。葬儀場所を母に聞いてもらって携帯で検索した。病室には母と妹だけがいたが、妹はこれから家に帰るとのことだった。

「夜勤があるらしいんだよ。今日が葬儀じゃなくて助かったって」

「ふーん」

 父親が亡くなったのに、仕事が休めないんだ。父は妹の病院に入院していたから、職場は詳細だってわかっているはずなのに。

「仲良く話せたの」

「まさか。無言だよ」

 お母さん、妹に知られたらまずいこと、しゃべっていないだろうね。

 お父さんをお迎えに来た葬儀屋に明日通夜で、明後日葬儀になると伝えてもらった。

 おじさんとおばさんには電話をしたがつながらなかった。伯母さんはショートメールの存在を知らない。叔父さんにショートメールで葬儀の予定を送った。伯母さんにも伝えてください、と書いた。

 時間を見たら10時前。職場に電話した。今治さんが出た。

「父が今朝亡くなりました。今、福岡に車で帰っているところです。今日仮通夜、明日は通夜、明後日葬儀です。しばらく休みます」

「わかった。葬儀場が分かったら連絡して」

 ブルートゥースってまじで聞き取りにくい。まさか、高速道路を移動しながら葬儀の手配をするなんて思っていなかった。夫が運転してくれて助かった。

 飛行機で行かなくて正解。公衆の面前で葬式の手配なんてしたくないし、ムリだろう。飛行機に乗ったら連絡なんて不可能だ。

 相変わらず風の音が大きい。あとは誰に連絡したらいいのか。わからない。あ、洋子おばさん。亡くなった次男、父の弟の嫁だ。神戸にいる。電話したけどつながらなかった。

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[一言] 3話一気に読みました。土地騒動から今回と、怒涛の如く時が過ぎましたね。世の中の悩みの大半は人間関係って言うけれど、全人類がほんのちょっとづつでも他人の事を思いやる事ができたら悩みダメージは軽…
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