弁護士にはつながらない
徳島に帰ってきた。
休みの日の午前中、法テラスに電話した。
まず、福岡に電話した。コール音の後「ナビダイヤルです」のくり返しと、通話料の具体的な説明。そのあと、電話口に女の人が出た。思いつくこと、まず徳島に母が来たことから順を追って話そうとしたら、説明をとめられた。徳島に電話してくださいとのこと。相談内容の場所は福岡県ですって言ったが、関係ありませんと言われ、徳島支部に電話した。
「父が福岡の病院に入院しているんですが、妹が面会させてくれません」
叔父に電話で相談したときに、上手く説明ができなかった。あのとき、これからは事前に話す内容を箇条書きにするって思ったのに。忘れていた。うまい言葉が出てこない。
「面会? コロナ渦では病院で面会は無理じゃないんですか」
「福岡では面会できるんです」
「はあ」
電話の奥が戸惑っている。
「妹に家を追い出されて、福岡在住の母は徳島に来ています。妹の家に荷物を預けたままにしていて、それを返してもらいたいんです。今、荷物が人質みたいになっていて。もめないように、弁護士に立ち会ってほしいんですが」
今不安なのは、荷物を受け取るときに母が怒鳴られたり暴力を振るわれないか、ということだ。
康雄おじを怪我させた夫婦。妹夫婦に大声で怒鳴られて、突き飛ばされ頭を切った。病院で傷を縫うはめになった。頭の傷だから、血がたくさん出たのだろう。ぞっとする。わたしは絶対に修羅場には行きたくない。
「ここは、一次案内です。相談を受けることはできません。相田市に女性相談窓口があります。そこへのご案内していいですか。該当するお悩みの窓口なのかはわかりません。予約窓口かもしれませんので、すぐにお話ができるかもわかりません」
相談窓口? 弁護士じゃないの?
「教えてください」
そう言って電話を切った。
考えた。母が面会を拒絶されていることも、荷物の受け取りも、法律とは関係ないから弁護士にはつながらないってこと?
今度は教えられた場所に電話。固定電話番号だった。話はできた。
「父は命が幾ばくも無い状態で福岡で入院してます。母は妹から家を追い出され、今は徳島の家にいます」
「まあ、そうですか」
窓口の職員らしい女性が言う。
「荷物は、妹の家にあります。母に取り返すように言われています。妹に危害を加えられないように弁護士に立ち会ってもらいたいと思っています」
「そうなんですね」
「母は妹に父の面会を禁止されているんですけど、妹にばれないように会おうとしてて。ラインでは脅迫みたいなことをされて、しんどいんです。上手くいく方法を模索しています。県外にいるので、何かと大変で」
「そうですか」
女性の声。
三回目の説明。うまく言えるようになった気がする。でも、話している相手が親身になって聞いてくれている感はない。手ごたえが全くない。壁と話している感じ。
「これって、なんの電話ですか」
「あなたの気持ちを整理するお手伝いをしているんですよ」
は?
「そんなのはいりません。わたしの気持ちは決まっています。弁護士に相談したいんですけど。どうにかなりませんか。弁護士無料相談とか、ないんですか」
「じゃあ、女性なんでも相談室をご紹介しましょうか。予約制ですけど」
「予約なんて、なんぼでもします。お願いします」
場所を確認した。相談場所は相田市役所の一室だという。
十日後、行きたいと言った母を説得して、一人で相談所に向かった。手帳にはあったことを書き連ねていた。あき子から送られてきたラインもショートメールもプリントアウトした。大事な証拠だ。
バイパスを軽自動車で走った。徳島市を抜けて小松島市を通って相田市まで。立ち並んでいた大きなビルやコンビニはなくなり、山が見える。長いトンネルを抜けて、ひたすら走った。ナビをたよりにまっすぐ進む。1時間10分すぎたくらいで、目的の建物が見えてきた。
市役所は大きくてきれいだった。最近立て直したらしい、と夫に聞いていた。中に入った。予約した時間まであと、40分。一階の入り口近くにピアノが置いてある広場があった。テーブルと椅子のセットがあり、ちょっとしたカフェみたいだ。自販機がある。奥の長机には、たくさんのお弁当。販売していた。そこを通り抜けてトイレに行く。個室に入って便座に座る。トイレットペーパーカバーの上に簡単な台が設置されていて、携帯やお財布が置ける。そこには名刺大の紙が貼ってある。
『それはDVです。声をあげましょう。泣き寝入りせず、無料相談へ』
相田市は虐待を認めない市なのだ。個室を出て、他の個室も覗いたが、貼ってあった。次の個室も、その隣の個室も。全室確認した。すべての個室に名刺大の紙が貼ってあった。
目の前のエレベーターへ行った。見る。3階までしか上がらない。
周りを見渡した。対角線上にもう一基エレベーターがある。
フロアーは広かった。住民票や税金、奥に大きなカウンターが見える。一階は一部吹き抜けになっていて、中央に無駄だと言い切るくらい何もない空間が広がっている。そこを突き抜けて、エレベーターに進む。ここは8階まで上がっていく。よかった。乗った。
6階で降りた。その前には掲示板があった。たくさんの掲示物。その中に一枚だけ手作り感満載の紙が遠慮がちに貼ってある。その小さな紙に「女性なんでも相談室」と書いてあって、矢印があった。矢印の方向の左へ曲がる。廊下があって、突き当りにトイレがある。トイレを曲がったところに会議室1と書いてある部屋。ドアには「女性なんでも相談室」と紙に書いて貼ってある。その曲がる前の廊下にはテーブルと椅子のセットが3組。そこに座った。
「おまたせしました」
時間になったら、中年の白髪のくせ毛のおばさんがテーブルセットまで呼びに来てくれた。髪は白いが、見た目はおばあさんではない。自分より10歳くらい年上かな。ほっとした。
引き戸を開いた。中が見えた。部屋は5畳くらい。中央にドアと並行な感じでテーブルが置いてあって、真ん中に透明の飛沫防止のタテがあった。白おばさんに促され奥に行った。二つある椅子のうち、入り口近くの緑色の椅子に座った。白おばさんも反対側にある手前の定席だろう椅子に座る。
白おばさんは紙コップにお茶を入れてくれた。お礼を言って受け取る。
今までのあったことを説明した。
母が徳島に来たこと。妹夫婦に怒鳴られたこと。父の命が幾ばくも無い状態で、妹の病院に転院したこと。母の荷物を取り戻さなければなければならないこと。父の面会を拒絶されていること。妹は実家に新しい家を建てていること。思いつくこと全部。
「これ見てください」
携帯を見せた。
『お父さんがうちの病院で見るというのは無かったことにしてください。いつまでいるか分からないのでお母さんと姉ちゃんで次の病院探してください』の文章だ。
白おばさんは老眼を付けた。目を細める。
見せて思い出した。印刷したっけ。紙には大きな文字で書いてあったのに。
「ウソつきなんですよね。そもそもうちの病院でもないし。あんた、ここで働いてないでしょ、って思いません。働いてるのは妹なんだから」
鼻息が荒くなった。
「ああ、これDVですね」
白おばさんが言った。
「DV? 」
「典型的だよ、この文章。妹さん、旦那さんから怒鳴られてるって言ってたよね」
「言いました。妹も怒鳴るけど、それを超えて恐ろしいほど旦那は怒鳴るって、母が。だから、最終的に妹は黙るって」
「怒鳴られるのもDVなんだよ」
「DV? 」
「暴力だけがDVじゃないんだよ。怒鳴られるのもDV。考えてごらんよ、妹さん怒鳴られて怒鳴られて、怒鳴られてしんどくなって。どうなると思う? 従うしかないだろう。従わないと怒鳴られ続けるんだよ。本人は気が気じゃないよね」
確かに。そうかも。
「従わされて、抵抗できなくて、何も考えなくなるんだよ。その方が楽だし。言われ続けて従っていると、相手の意見が正しいって思うんだね。マインドコントロールされてんじゃないの」
「マインドコントロール」
想像もしなかった。
「親戚と縁切るって言ってるんでしょう。マインドコントロールは、まわりの縁を切っていくんだよ。そのまんまじゃない」
そうか。そうだ。確かに。
「気づかせるにはどうすればいいんですか」
「ムリだよ。こんなのは、簡単にとけたりしないの」
おばさんには驚きとかはない。普通のテンション。
「精神科の看護婦なんですよ、妹は」
「関係ないよ、そんなの」
「でも」
そうだろうか。妹は知識があるはずだ。
「アナタは、何もしなくていいの。するのは、アナタじゃなくてお母さん」
「お母さんは、もうすぐ80なんですよ、ムリです」
「アナタは手を引きなさい。関係ないじゃない。お母さんと妹のことでしょう」
「でも、母と妹はケンカしていて」
「徳島からできるわけないじゃない。物理的に無理でしょう。徳島に呼び寄せるの? 」
「本人はイヤだって言ってます」
「じゃあ、勝手にさせたらいいじゃない。アナタ関係ないんだから」
「いやいやいや。わたしは母を助けるって決めたんです」
「決めたことだって、やめたっていいんだよ。ムリしなくていいよ」
「ムリとか、思ってません」
白おばさんからポンポンと言葉が出てくる。想定していた言葉じゃなかった。わたしの中にあった選択肢はない。話が急で追いついていかない。わたしは弁護士に荷物の立ち合いをしてほしいとお願いしに来ただけだ。
「荷物を受け取るとき、弁護士に立ち会ってほしいんですけど。相場っていくらくらいですか」
「弁護士は荷物の立ち合いなんてしない」
「しないんですか」
「探したらいるかもしれないけど、基本荷物の立ち合いなんかしないと思った方がいいね」
「あなたは弁護士じゃないんですか」
「弁護士じゃないよ、カウンセラー」
弁護士無料相談じゃないの、ココ。
「荷物なんか、返してもらわなくてもいいのに」
ぽつんと言った。
「お母さんと、アナタの意見が違うじゃない。別に、荷物を取り戻さなくてもいいと思っているんだろ。いいじゃないか、取り戻さなくても」
「でも、母が」
「アナタは取り返さなくてもいいと思っている」
「思ってますけど」
「じゃあ、いいでしょう」
「困ります」
「困るのはアナタじゃない。お母さんだよね」
「そうです」
「お母さんにやらせなさい」
「でも、母が」
「ここは、アナタが相談しに来たんだよね。お母さんじゃない、アナタの話をしているんだよ」
「はあ」
話は平行線だった。どうすればいいのか、教えてほしかったのに。思っていない方向に、話が流れていく。
手帳を見た。相談したいことを書いている。圧倒されている場合じゃない。時間は限られている。
「妹が、母に父を会わせないようにしているんです。健康状態は教えてくれるんですけど、面会できないように、面会に関する情報は出してくれないんです。なにか、意味あるんですかね。母と父が会えなくなった時は妹が優位になるとか」
「面会? できるの? 」
「はい。徳島では考えられないんですけど、久留米ではできるんです」
「へえ」
徳島も面会できるようになればいいのに。
「それで、なんだかんだと言って面会できないように言葉の圧力をかけてくるんです。なんでだろう、って思って。なんかあるんですかね」
「そんなの、わからないよ」
白おばさんが言う。
「なんで、会わせてくれないのか。わかりませんか」
「わからないよ。世話しているから遺産を多くもらえるとかはないよ。世話しても世話しなくても、妻は半分、子ども全員で半分。法律で決められた権利だね」
「遺産って、うちお金ないですけど。あるのは土地だけ」
「へー。そうかい。貯金はどうなの、ないの」
見せてもらってはいない。妹と同類だと思われたくないから。妹のやっていることを想像するだけで吐き気がする。
「お母さんの貯金額は知らないんですよ。お父さんのも。年金生活で年金額も少ないから、貯金は大してないと思うんですけど。妹が通帳を持ってた時は、妹がっていうか、妹の旦那が管理してたと思います」
佐賀に妹を迎えに行った時を思い出した。通帳、お姉ちゃんが管理してって言ってた。母親を自分の付属品とでも思っていたのか。そういえば、旦那が母を連れてうちに来ていた時も妹はどうしようもない女で、って言ってたから、管理されているんだろう。妹は旦那の付属品だ。
手帳にチェックを入れた。済、と。
医療費はすべて母が払っているから、世話しているのが妹ってわけでもないんだけどな。母っていうか本人の年金で。
次の質問に行く。
「妹が自殺するんじゃないかって心配しているんですけど。マインドコントロールされているのならなおさらなのかなって、やっぱり抑圧されているから、最終的には爆発して恐ろしいことするんじゃないかなって」
「なんで。自殺はしないんじゃない」
白おばさんがサラッという。
「そうですかね」
「なんで、そう思うの」
「わからないですけど」
頭ごなしに怒鳴られるって、わたしなら耐えられない。自殺するのかどうかはわからないけど、ストレスのはけ口は、逃げ道を探してどこかに向かうのだろう。それが、母とわたしに対する暴言なのか、暴力なのか。何かはあると思う。
見た目も性格も邪悪な男。DVって、飴と鞭? 妹は善悪が分かる大人だったんじゃないのか。なんで、操られている。家を建てたら、逃げられない。一生奴隷。夫婦のことだから二人の関係はわからない。けど、キレイな家に住んだら幸せなわけでもない。仕事も家事のこともカンペキを要求されて、旦那は犬の世話と、床をモップで拭くだけ。楽しい人生を送っていけるのだろうか。なんで、私だけって思わないのだろうか。二人でしゃべるのは、わたしたちの文句と悪口と非難。真っ暗な汚い言葉にまみれた生活。
「大体、妹は200万も借金して。それをお父さんとお母さんに返してもらって、感謝もしてない。それどころか、お母さんを追い出すなんて。信じられない。お父さんにも文句を言いたい。あき子がこんな人間に成長したのは、間違った成功体験させたから。破産させればよかったのに。こうなったのは、お父さんがあき子を助けたからだし」
「それはアナタが怒ることではないでしょう」
「そうでしょうか」
「何を怒っているの。アナタが怒っているのはおかしいよ。妹さんに何を期待しているの。妹さんはもともと、そういう性格だったんじゃない。それを、あなたが知らなかっただけでしょ」




