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“生きる”こと

作者: 拙糸

この話を読んでいる皆さん、はじめまして。中には、僕が執筆している他の作品ライトノベルを読んでご存知の方もいるかもしれませんが…。

それでは、まず最初にお聞きします。


みなさんは、“死”について考えたことがありますか?


………この問いかけから始まるのは、ちょっとインパクトが強いかもしれませんね。もしかしたら、何を急に……と思われる方も多いかもしれません。

でも、今一度その問いを、自分自身にしてみてください。改めて思考してみると……


“死ぬ”とはどういうことだろう。


………そこまで深く考えたことがない。

という人が多いのではないでしょうか?


そうですね、それが“あたりまえ”。私達は、“生きて”いますから。

では、少し問い方を変えます。


僕たちはなぜ“生きて”いるのでしょう?


お父さんとお母さんが生んでくれたから。人間だから。それが歴史だから、あたりまえだから……などなど。


そうですね、生きることを考えると、ポジティブなことから生理現象まで様々な答えが生まれてくると思います。

では、なぜこんなに答えが出てくるのでしょう?

……勿論、僕達は生きているからですね。

それなら、死ぬことについて答えが出てこないのは?

……それは、“死んだら口をきけないから”。至極あたりまえのことですよね。


だけど、僕はそんな答えじゃ満足できませんでした。

今からもう3年も前のことです。


2018年、何気ない日のことです。僕は当時中学生でした。学校の課題で、こんなものが題材で出たのです。


「自分の将来を考えよう」


至ってシンプルで、どの学校でも出そうな課題ですね。僕も当初はそう思っていました。

帰る途中、自転車に乗りながら色々思いを馳せていました。家に帰ると、とあるニュースが流れていました。

僕の大好きだったある大喜利番組で司会をされていた方が、亡くなられたニュースです。忘れもしません。

そんなニュースを見つつ、番組のコメンテーターがこんなことを言っていました。


あの世に行っても、きっと大喜利を楽しんでいるだろう。


ふと、こんなことを思いました。


“あの世”って何?


それが、僕が“死”について考え始めたきっかけでした。


それからしばらく経ったある日、僕は近所に住むおばあさんの家に行きました。何気ない用事だったのですが……。おばあさんは僕が生まれたときからずっと良くしてくれている優しい方で、僕のことを孫のように可愛がってくれました。

おばあさんの家に上がり、お仏壇に線香を二本さし、おりんを鳴らして手を合わせる。

普段の通り、いつもの所作をしながら、その課題のことが頭に浮かび上がってきました。

仏壇に飾ってあるのは、おばあさんの旦那さん。僕が生まれる前に亡くなったらしいのですが、官公庁に勤めていらっしゃったとても凄い人です。

そして、ふと頭にあることが過ぎりました。

おじいさんは、退職した後のこと、死後を考えたことがあったのだろうか……と。

頭の中がなんとなくモヤモヤしていたので、お茶を持ってきてくれたおばあさんに、僕は思い切って聞いてみたのです。

そしたら、おばあさんはその問いに、簡単にこう答えました。


「そうだねぇ………一生懸命頑張ってきたからねぇ、ゆっくりしたいものよねぇ………と。」


ゆっくりしたい……つまり、あの世で休息したい、ということだったのでしょう。

おばあさんにとってはなんとも思わないことだったのでしょうが、僕はモヤモヤが止まりませんでした。


……死後の世界って何?


家に帰り、お風呂に浸かりながら頭を巡らします。


“死”の定義は、勿論、生命の停止、つまり心停止や、脳死のことを指すのでしょう。言葉で表せば、それらはいとも簡単なものです。

ですが、当事者はどう感じるのでしょう?

“死”について………。

僕は色々と考えてしまいました。


何も考えられない。

何も聞こえない。

何も話せない。

何も感じない。


心臓が止まる、脳が止まる。

自分自身を思い出せない。

自分の思い出を思い出せない。

大好きな人を思い出せない。


何もできない………。


怖くなりました。得体の知れない恐怖です。言葉では表せません。泣きました。

……自分の中にある思いを、吐き出して。

何事かと思った母と父は、話を聞いて慰めてくれました。

だけど、その慰めも曖昧なもの。

僕はその時初めて、なんでも知っている親にも答えられない疑問があるのだと知りました。


どのような感情でしょうか?

絶望?諦観?

すべてが入り混じりました。


そうです。“死”は、誰もが知っているのに、誰もが全てを知らないのです。いや、知ることができないのです。

この世で唯一、知ることのできない永遠の疑問でもあるでしょう。

なぜなら、当事者しか知り得ないから。

なぜなら、当事者は存在し得ないから。


そんなどこまでも続いている奈落の底のような疑問が、ずっとずっと頭から離れません。


それから3年が経ちました。つい昨年のことです。僕の大好きだった近所のおばあさんが、亡くなりました。

お葬式に出て、お別れをしました。

終わった後、僕は葬儀場の近くにある公園のベンチで、また考えていました。すると、祖母が、お客さんとのあいさつが終わったのか、僕のことを迎えにきてくれました。

僕は、亡くなったおばあさんにも聞いたことを、祖母にも聞きました。

祖母はふふふっと笑い、こんなことを言ってのけました。


「あんた、どこかのお寺の偉い坊さんみたいなこと考えるのねぇ……。」


そして…。


「そうねぇ……、何なんだろうね、私にも分からないねぇ……でも、一つだけ言えることがあるよ。」


そう言い、僕の手に小さな袋を乗せました。


「人は天寿を全うしてこそ、初めて人生に価値が見出だせる。例え、その終わりが病によるものだとしても。だから、人は生きる。それに、頑張っていれば、そんな悩みもいつの間にか消えているでしょうよ。あんたも、頑張りなよ。」


僕の肩をタンッと叩きます。

祖母は、僕が自殺を考えてそのようなことを思ってばかりいるのかと、勘違いしていたのでしょうか……。

それでも、その言葉は僕の心に刺さりました。


“人は天寿を全うしてこそ、初めて人生に価値が見出だせる。”


手に乗せてくれた、手作りの御守をギュッと握りしめて、その言葉を胸に仕舞い……。


“死ぬ”とはどういうことだろう。


今なら答えられます。


そんなもの、生きてみなきゃ、分からない。

今しかない時間を、大切にしよう。

この作品を読んでくださり、ありがとうございます。

もしも僕と同じように“死”について考えている人がいるならば、僕と同じような悩みを抱いている人がいるならば……そういう人たちに届くように、この作品を書きました。また、考えたことがない人も、これをきっかけに色々と考えてもらえると嬉しいです。

字は、伝えることができても、気持ちや思いを乗せることは非常に難しいものです。言葉では簡単に、“悲しい”と表せても、それが相手にしっかりと届くかどうかは、分かりません。

こればかりは、読者のみなさんに委ねるしかありません。

この作品を読んでどう感じたか……みなさんの思いを、感想欄にぜひ書き込んでみてください。


僕はライトノベルを書いています。その中には、やはり死について扱う内容も出てきます。執筆途中である“最弱ギルドの挑戦状”、“弱輩者の第三王子”で、話を書こうと思うと、どうしてもその時の思いが込み上げてきて、過呼吸になり、思うように書けなくなります。ですので、続きが出るのはもう少し後になってしまうかもしれませんが、お許しください。


最後になりましたが、この作品に出てくる人物、話のストーリー、そして言ってくれた文言は全てノンフィクション、事実です。悩んでいた時期に助言をしてくれたおばあさん、そして祖母に感謝します。


この作品が、より多くのみなさんに届きますように。

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