表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/37

第五話 かっこよく死にたい


 平気な訳が無い。怖くない訳が無い。

 アリアはまだたった数年しか生きていない、ほんの子供だ。

 

 背中の傷はどれだけ痛むのだろう。

 それでも一縷の望みを掛けて逃げ続けた先で、自分を犠牲にして俺を逃したアリアは、どんな気持ちだっただろう。


「…………くそ、クソ、クソクソクソクソ!」


 痛い。痛い。痛いけど………立ち上がれない訳じゃない。

 濡れた木の幹に手を掛け、何とか身体を引き上げた俺は、アリアの方へと歩き出す。


「はぁ……はぁ……」


 動悸が収まらない。


 視界が安定しない。ふらついて、一歩歩くごとに吐きそうになる。

 体の痛みが引かない……多分、肋骨が何本か折れているんだろう。こんな表現をまさか、自分で使うことになるとは思ってもみなかった。


 魔物はもはや俺のことを完全に意識から外したのか、こちらを気にする素振りを見せなかった。


 ……舐めてんじゃねぇよ、と、心の中で呟いて、恐怖に怯えた心に無理矢理に小さな火を灯す。

 今まさに、アリアの小さな頭を掴み、片手でぶら下げた魔物、その背中に向けて投擲する。


「……はえらずあたうぇ」


 魔物は狙い通り、アリアを手放した。ドサリ、と無抵抗に地面に落ちたアリアの心配をしたくなったが、今は堪える。

 振り返った魔物は俺を見つけると、まだ居たのか、と意外そうな表情をした、気がした。 

 

「――――その子を放せ、化け物」


 ぬかるんだ地面に落ちていた、半ばで折れた木の枝を手に取り、枝の先を魔物に向ける。

 怪物に抗するには余りにも頼りない枝は、震えていた。当然か、掴む俺の手がぶるぶると震えているのだから。


「だたえうたうぇかいてあ」


 嗤う魔物。こいつだけは、殺さなきゃいけない。

 向けられた視線、そこに込められた悪意の量に、漏れそうになる悲鳴を喉に押し込めて、決意する。


「……ぅそ、にげてなかったの」


 魔物から解放され、その場に倒れ込んだアリアが驚いたように声を漏らしていた。

 ごめんな。文字通り命懸けで注意を引いてくれたのに、逃がしてくれた命をドブに捨てるような真似して。


 波打つ筋肉に覆われた肉体に、蝙蝠のような翼を生やした漆黒の魔物の姿は、まるで地獄の釜の蓋が開いたかのようで。

 

 怖い、逃げてしまいたいと思う自分を恥じる余裕すらない。

 でも、逃げたら死ぬんだ。

 何もしなくても死ぬ。

 今度こそ死ぬ。


「……ぅ、すぅうううう」


 焦りも緊張もほぐれることなんてありえない。だから俺は脳に酸素を送る為だけに息を深く吐いて、吸った。

 そして呟く。

 唯一の対抗手段。

 神から俺に与えられた切り札。


「――――剣神の、加護」


 枝を握った擦り傷だらけの右腕に、血だらけの左腕を添え意識を集中する。


 ……分かる、多分、これで合っている。

 心の中で、何かがカチりと嵌る。


 雨が横殴りに身体に叩きつけている。……横殴り?

 気付けば、風が吹いていた。

 衣服がめくれ上がるほどの暴風に変わる。

 雨と泥が吹き荒れぐちゃぐちゃな視界の中、俺はただ、意識を右腕に。


 突き出した右腕にいくつも浮かび上があっていく、光の筋。

 それらはゆっくりと幾何学的な模様を形作っていく。

 貴族を助けた時にも表れたこの模様が、剣神の加護の証なのだと今理解した。


「…………ッツ!!」


 一瞬崩れ落ちそうになった体を、奥歯を噛み締めて必死に支える。

 意識を集中して、加護を使おうとするこの姿勢は、一秒ごとに体中から活力をごっそりと持っていく。超常の現象に体を蝕まれる不快感。


「……ぁ、ぁぁぁあああああああああ!!!」


 生命を吸われるような不快感に必死に耐えながら、全身全霊の覚悟を込めて木の枝を握りしめる。

 変な脳内物質がドバドバ出ているのか、最早痛みは感じない。ただ頭を空にして加護の力を感じることに集中する。


 己の心臓の鼓動が聞こえてきた。

 ドクンドクンと有り得ない速度で高まっていくその音を聞きながら、俺は集中の海に更に深く、深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く潜り、


 ――――突如として、視界に青白い線が現れる。


 ぼんやりと青く光るその線はふわふわと宙を漂い、明らかに実在していなかった。

 過度な集中により時の流れが緩やかになった世界で、俺はその線をなぞるように全力で木の枝を振った。


 根本から断ち切られた魔物の右腕が地面に落ちた。


「……ぎゃ?」


 魔物は俺の姿勢が変わっていることに首を傾げ、そこで違和感を覚えたのか己の右腕のあった部分にふと目を遣った。


「――――――――ァァアア!!!!!!」


 直後に絶叫。

 ビリビリと森全体が震えているかのような振動が俺達を襲う。


「…………はっ、はっ、ぅおぇっ!」

 

 魔物を捉える視界が赤く滲むと同時、喉をせり上がってきた血を吐き出す。

 身体中でどこかの血管がぶちぶちと切れる音がしていた。

 俺は出血している右目を押さえ、ふらりと倒れそうになった身体を必死に維持する。


 剣神の加護、その力は魔物に通用しているようだが、身体への負担が大きすぎる。

 

 痛みに歯を食いしばりながら再び集中の海に潜ろうとして、魔物が叫んでないことに気付く。

 雨に打たれながら、立ち尽くす黒い魔物を見る。

 片腕を亡くした魔物は、次の瞬間――再生する。


「…………ッ!?」


 腕の付け根がぼこりと膨らんだかと思うと、そこから切り落とされたものと寸分違わぬ腕が生えて来る。

 感覚を確かめるようにピクピクと新しい腕を動かす魔物は、にたりと笑った。


 ……畜生。

 必死に手繰り寄せた細い細い希望の糸が、ぷっつりと絶たれた気がした。


「…………」


 恐らくあと一度同じことをしたら、俺は意識を維持できなくなる。

 アリアはもう動けそうにない……逃げることは出来ない。

 村から助けが来る様子もない。


 ざぁざぁと降り注ぐ雨の中、長く静かに息を吐くと、俺は一つの事実としてそのことを受け入れた。


 ……俺達は恐らくここで死ぬ。


 覚悟を決めたというと、少しかっこよすぎる。けど、死に方として俺にしては上出来な気さえした。どうせ死ぬのなら、今度は交通事故なんて締まらない終わりは嫌だという気持ちはずっとあった。

 未練が無い訳じゃない。でも、こうやって俺を助けようとしてくれた彼女を残して死ぬことは出来ない。


 俺は、現実へと、意識を戻す。


 降りしきる雨の中、魔物と向かい合う。

 何故か魔物は動かなかった。静寂に包まれた森に、葉を雨が打つ音だけが聞こえていた。

 その時間は、終わってしまえば一瞬のことだったかもしれないが。

 永遠のように、長く感じた。


「るられたえ」

 

 魔物は俺の目を見て何かを呟くと、踵を返し俺から離れるように歩き始めた。

 警戒する俺と対照的に、魔物は森の奥へと悠々と歩いていき……やがてその姿は丘を下り見えなくなった。

 降っていた雨が徐々に遠のいた頃、俺はようやくもう戻って来ないことを確信し……崩れ落ちる。


「……………っ、はぁっ、はぁっ……」


 息をするのも苦しいし、呼吸の度に身体のどこかが痛んだ。ぐったりと寝ているアリアの傍らに同様に倒れ込む。

 何故、あいつは襲ってこなかったのか。分からない。

 分からなかったが、どうやら生き残ったらしい。


「――――、ぉーい、いたぞ――――ッ!」 


 その時、遠くで草木を搔きわける音共に、人の声が聞こえた。

 どうやら村の人が来てくれたらしい、段々近付いて来るその気配を前に、俺はおせぇよ、と口の中で呟いて、そのまま意識を失った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ