町へ5
「ごきげんよう、レディ。恐れ入りますが、当店にお約束はございますか?」
貸し馬車屋の前に着くと、小鳥が話しかける前に先制攻撃を受けてしまった。相手からの思いがけない声掛けにあたふたしながらも、小鳥は何とか平静を装った笑みを浮かべる。
「こんにちは。約束は取り付けていませんが、こちらのお店の店主の方にお会いしたいのです。取り次いでいただけますか?」
(何とかきちんとした受け答えが出来たわ……。いきなりあんな風に話しかけられるとは想定外だったから少し驚いた)
日本で極々普通の暮らしをしていた小鳥には、ごきげんようという挨拶も、男性からレディと呼ばれる事にも慣れていない。こちらの世界ではそういった事にも慣れていかないといけないのだな、と小鳥は心の中で小さくため息を吐く。
上手に取り繕った笑みを浮かべる小鳥を、店員の男性は何かを見定めるかのような目で上から下まで見る。
「申し訳ございません。本日はもう営業時間を過ぎておりますのでご案内致しかねます。よろしければ、お約束のうえ後日またいらしてください」
上品な笑みを浮かべたまま店員はそう告げた。平凡な小鳥の服装から、取るに足りないただの平民だと思われたのだろう。立派な店構えからして、この店の客層はそこそこの階級の者たちである事は小鳥にも理解出来た。
しかし、ここで引き下がる事は出来ない。怪我をしたナターリエ達はまだあの林で待っているのだ。日が傾いてきた今、出来るだけ迅速に迎えの馬車を手配しなければならない。
「どうしてもお会いしなければならないんです。この手紙をこちらの主人の方に渡すように、と頼まれているのです」
「そうでしたか。でしたら、数日後にはなりますが面会の予約をお取り致しましょう。どなたからの手紙でしょうか?」
小鳥は折り畳まれた手紙を開き、そこに書かれた名前が見えるように前に差し出す。
「ナターリエさんという女性の方からです」
「ナターリエさん……?それはもしや、カーダリング公爵夫人ではありませんかっ!?」
先ほどまでの余裕たっぷりの優雅な雰囲気はどこかへ行ったようだ。見るからに慌て出し、店の扉を勢い良く開くと大声で他の店員を呼び止めた。
「旦那様に至急の案件があると伝えてください!!」
「そんなに慌ててどうしたんですか?旦那様はもうお帰りの支度をしていますよ」
「急いで下さい!カーダリング公爵夫人から至急のお手紙ですっ!!」
「!?」
閉店の作業をしていた店内の店員もにわかに慌て出した。どうやらナターリエはこの店の大事なお客のようだ。ナターリエが自分の名前を出せばよい、と言っていたがここまで効果があるとは思っておらず、小鳥は驚いていた。
「あの、この手紙を預けてしまっても大丈夫でしょうか?ナターリエさんが困っているので、出来るだけ早くこちらの主人の方に渡していただきたいんです」
「謹んでお預かり致します。急ぎ旦那様へ渡して参ります!」
手紙を受け取りそう言うと、くるりと踵を返し店内へと去って行くその背中に小鳥は声を掛ける。
「あの!馬車の他にも怪我の手当てが出来るように道具の準備もお願いします!」
「承知致しました!!」
早足で歩きながら他の店員に指示を出しつつ、店の階段を登って行ってしまった。きっとあの奥にこの店の主人がいるのであろう。バタバタと慌ただしくなった店内を眺めながら、ほっと安堵の息を吐く。
(これでナターリエさん達は大丈夫。もう私に出来る事はないし、リュカが待ってる宿屋に行こう)
一人ぽんつと残された小鳥は開け放ったままの扉を静かに閉めると、貸し馬車屋に背を向けて歩き出した。
コツリコツリと石畳みの道を進む。
貸し馬車屋と道を挟んで反対側にある大きな橋を渡って少し行けば宿屋だ。深い赤い色の屋根が目印で、綺麗に整えられた花壇の花が至る所で美しく咲き誇っている。
(最初はどう頼めばいいのか、と思ったけどすんなり話が通ってよかったわ。あれだけ大慌てだったんだから、きっとすぐに助けに行ってくれるよね)
重要な任務を終えた気持ちで小鳥は足取りも軽く宿屋を目指す。橋に一歩足を踏み出すと、橋を渡り切った先で何やら男達が囲んでいるのが目に付いた。大きな男達の背中の間から見えるのは、女性らしき小さな影だ。
(男二人でナンパかしら?あー、この感じは一方的で強引なやつだ……)
小鳥のいた日本でもよくあるナンパはこちらの世界でも健在のようであった。先ほどから動かない様子からして、標的となっている女性は困っているのではないか。そう考えた小鳥は男達の方へと歩みを早めた。
近付いて行くと少しずつ様子が見えてきた。男達の背中隠れて見えなかった女性は、何やら見覚えのある格好をしているではないか。
見慣れたフード付きのマントを深く被り、そのフードの隙間からは浅葱色の長い髪がさらりと流れている。
「リュカ?」
「あ、小鳥だ!もう終わったんだね。大丈夫だった?」
リュカは小鳥の声にパッと顔を上げ、目の前の男達などには目もくれずに小鳥の隣までやってくる。その存在などないかのように綺麗に無視をされた男達が苛立った様子で振り返ると、小鳥の姿を目に留めニヤリと下品な笑みを浮かべた。
「なんだ、青い髪のお嬢ちゃんの連れかい?オレ達も二人なんだよ。ちょうどいいから飯でもどうだい?可愛いお嬢ちゃん達になら奢ってやるよ」
大きく一歩前に進み出た男とリュカの間に立ちはだかるように、小鳥はその身体を動かした。魔術が使えるとはいえ、リュカは小鳥よりも年若い女の子だ。このような場面は大人の小鳥が上手く対処すべきだろう。
「いえ、結構です。私たちはこれから予定がありますので失礼します。リュカ、行こ」
「お嬢ちゃん、つれない事言うなよ。夜はまだまだ長いんだからちょっとくらい良いじゃねぇか。な?」
そう言うが早いか、素早くリュカの手首を男が掴んだ。掴まれた当の本人は涼しい顔をしているが、その行為にムッとした小鳥は咄嗟に男の手をはたき落とした。
リュカを守るように肩を抱き寄せると、小鳥は男達を強く睨み付ける。
「痛くない?大丈夫?………いきなりなんですか?女性に急に掴みかかってくるなんて失礼ですよ!」
「ボクは大丈夫だよ。ありがと、小鳥」
嬉しそうに相好崩したリュカは小鳥の腰に両手を回し抱きついて来た。密着してきたリュカの身体は思いの外しっかりとしており、その固い感触にそちらへと顔を向ければ清廉な花のような良い香りがふわりと漂ってきた。
お互いの吐息がかかりそうなほど近くに迫ったリュカの顔には、大きな金の瞳を彩る長いまつ毛がパサリと揺れ、唇は瑞々しい桜の花びらを乗せたような色をしていた。
(本当に綺麗な顔。まつ毛も長いしお肌も陶器みたいになめらか)
「ははっ。いきなり引っ叩くなんて随分酷いじゃねぇか。気の強い女も嫌いじゃあないが、じゃじゃ馬はしっかりと躾ないといけねぇよな?」
下卑た笑い声をあげながらそう言うと、もう一人の男が今度は小鳥へと手を伸ばす。小鳥は咄嗟にリュカをその手から遠ざけるように身を捻ったが、男の手が小鳥の身体に触れることはなかった。
(あれ?)
男達の方へと視線を向ければ、その顔色は悪く温度を失っていた。男達の恐怖に揺れたその目は小鳥を通り越した先のリュカへと向けられている。
頬が触れそうな程近くにあるリュカの顔を見れば、その瞳は凍えるほど冷たくなっていた。
「汚い手で小鳥に触らないで」
背筋が冷たくなるほどひんやりとした声でそう告げると、ゆっくりとしなやかな指先を男達の後ろへと向けた。
「早く消えてくれる?ボクは寛大だから今だけ見逃してあげるよ」
男達の身体は凍ったように固まり、血の気が引いた青い顔をしていたが、その言葉にはっと意識を取り戻す。走る事を思い出したかのように、お互いに押し合いながら指差された方へと駆け出して行った。




