聖女のウワサ1
「昼食は食堂へ行ってみようかと思うんだけど、小鳥ちゃんも一緒にどう?」
アンジェリカはこげ茶色の長い髪をさらりと耳に掛けながら小鳥へと向き合う。
昨日一日で好感度がぐんぐん上昇中の美人からの昼食のお誘いだ。なんと嬉しいことだろう。
小鳥は今日一番の笑顔で明るい若草色の瞳を見つめ返し、口を開く。
「はい!もちろ――」
「あら。私のことは誘ってくださらないの?小鳥さんより私と共にいた方がよろしいのではなくて?」
小鳥の返答に被せるように答えたのはレイアだ。薔薇色の赤い髪をふわりと揺らしながら小首を傾げる。髪と同じ色のうるうるとした大きな瞳は、上目遣いでアンジェリカを見つめている。
なんとも可愛らしいその容姿と行動は、多くの人の庇護欲をそそるだろう。しかし、あからさまに嫌われている小鳥にはただのぶりっ子にしか見えないのだった。
(せっかくアンジェリカさんが声を掛けてくれたのに……)
苛立った気持ちをぎゅっと心に押し込めつつ、笑顔を保ちアンジェリカの反応を待つ。
「おや?レイアさんも私たちと昼食を共にしたいのかい?それにしては先ほどの講義の時に、随分とトゲのあることを言っていたようだけど?」
アンジェリカはおかしなことを言う、とでも言うように鼻で笑いながら答える。
レイアの可愛らしい顔はここでは効果がないようだ。思い通りでないその返答にむっとした表情へと変わる。
「私、間違ったことは言っていないのですけれど?共に聖女であるアンジェリカさんと昼食をご一緒したかったのですが、とても残念です。しかし聖女たる者、下々と同じ場所で食事をするなんて良くありませんもの。私はお部屋でいただきますわ。では、ごきげんよう」
レイアはくるりと踵を返すと、側仕えを連れてあっという間に去って行った。
レイアと共に食事をするのは気が重かった小鳥はほっと胸を撫で下ろす。そして、先ほどのアンジェリカの言葉を思い出し、にこにこと笑みが溢れた。
(アンジェリカさんは明確に敬称を使い分けてる。私には“ちゃん”付けだけど、レイアさんには“さん”と言ってる。これはきっとレイアさんよりは私のことの方が好きってことだよね!)
アンジェリカの気質的は基本的には誰に対してもフレンドリーなのである。しかし、それと同時に一度気に入ったものに害なす存在を嫌う質でもある。
同じように召喚された身で、典礼聖歌や文字を勉強する勤勉家、そして素晴らしい歌声を持つ小鳥はアンジェリカの密かなお気に入りとなっている。そのため、小鳥に対して良い感情を持っていないレイアの発言と態度は見逃せなかったのだ。
「では私たちは食堂へ行こうか」
「はい!食堂へ行くのは初めてなので楽しみです。お部屋に持ってきてもらうものと同じなのでしょうか?」
「ああ、同じメニューだよ。部屋に運んでもらうのも手間だし、私は昨日の夜から食堂で食べているんだ」
その言葉を聞いて食事の支度をする手間を考える。その準備をするリサの手間を少しでも省けるのならば、食堂へ赴いて食事をするのも悪くない。食堂から部屋までは少し距離があるため、ワゴンを使うとはいえ毎日三食運んで来るのは大変なのだ。
小鳥は後ろに控えているリサを振り返る。
「これから食事は食堂で食べようと思うのですけど、どうでしょうか?もちろん、リサに不都合があればこれからもお部屋で食べますが…」
「いえ、食堂で召し上がられて問題ありません。給事として私も御伴いたします」
「食堂で食べるだけですし、給事は大丈夫です。リサはお部屋を整えたり他にも色々してくれていますよね?お手伝いが必要な時はお願いするけど、普段はリサの時間を優先してください」
小鳥は常に忙しそうにしているリサの姿を昨日からずっと目にしている。給事をしたり移動の度に御伴をしたりするより、リサにあてがわれている仕事を優先して欲しい。今はもう礼拝堂へも講義室へも小鳥一人で行ける。初めての場所以外であれば迷わないので、今の行動範囲内であれば一人で行動してももう問題はないのだ。
「小鳥様はお優しいですね。では、お言葉に甘えさせていただきます。お部屋を綺麗にしてお帰りをお待ちしています」
ふわりと笑顔を浮かべたリサは部屋へと戻って行った。
講義室を出てアンジェリカと共に食堂へと歩みを進める。小鳥にとっては初めて通る道だが、迷いなく歩いて行くアンジェリカはどうやら知っている道のようだ。彼女の隣に並んで歩きながら食堂までの道を覚える。
段々と廊下に人が増えてきたのは、食堂が近くなってきたからだろう。ざわざわと人の声も大きくなる。
すると様々な声が小鳥の耳まで届いてくる。
「あの子また他の司祭様に手を出して……」
「騎士の方がお付き合いする方をさがしてるんですって……」
「夏になったらあそこの小屋を……」
「あの聖女様方の中にハズレがいるんですって……」
そんな声が聞こえてはっと周りを見渡した。
根も葉もないような噂話が大半だろうが、今の聞こえた声は確実に小鳥のことを指したものだ。思っていたよりも無能な聖女であることが広まっていたらしい。
アンジェリカの耳にも届いたのだろう。歩きながら小鳥の手を取るとぎゅっと握ってくれた。
「気にすることはないよ。人気者にはあることないこと噂が立つものだからね。小鳥ちゃんは立派に聖歌を歌えるし、これからもっと出来ることが増えるよ」
にこりと優しい微笑みを小鳥へ向けながら、励ますように指先に少しだけ力を込めてくれた。
真実であったとしてもマイナスなことを噂されるのはやはり悲しい気持ちになる。しかし、こうして味方になってくれる人が身近にいるのだ。それだけで小鳥の心がほんのり温かくなった。
「ありがとうございます…。歌も文字も他のことも早く覚えてもっと出来ることを増やします!薬草のことを覚えれば採取だけでもお手伝いできますし!」
「いいね!その意気だよ。私は小鳥ちゃんを応援しているからね。頑張る女の子は大好きなんだ」
「アンジェリカさんに嫌われないように、もっともっと頑張らないとですね。いざという時、アンジェリカさんの護衛ができるように剣でも習いましょうか?」
「おや?母国で騎士を目指してた私を守るのかい?」
そんな他愛もない冗談を言い合いながら廊下を歩く。
小鳥たちへと向けられる視線は多いが、なるべく気にしないようにして背筋を伸ばす。無能だろうがハズレだろうが、一応は聖女という肩書きを小鳥は持っているのである。その肩書きに相応わしい立ち居振る舞いは必須なのだ。
そうこうしているうちに食堂へと辿り着いたようだ。扉を開く前から廊下にお料理の良い香りが漂ってきている。
食堂の木製の立派な扉には野菜や果物をモチーフにした彫り物が施されており、どこかあたたかみのあるデザインだ。アンジェリカは迷いなくその扉に手をかける。
「ここが神殿の食堂だよ」
そう言うと、アンジェリカはゆっくりと食堂の扉を開いた。