星を落とす2
反転した視界に広がるのはどこまでも続くような満点の星空。
ひらりひらりと頭上を舞うラベンダー色のショールと、夜の空に投げ出された小鳥を月明かりが静かに照らし出す。小鳥の真夜中のような真っ黒な髪と瞳には星々がチラチラと瞬く。
はためく真っ白な寝巻きは月と星の光を浴びて、薄っすらと小鳥の身体の華奢なラインを浮かび上がらせた。
落ちてゆくなか、ジェットコースターに乗った時のようなふわりと内臓が浮いた感覚に、小鳥の思考が少しだけ現実に戻ってくる。
(ベランダの下って何があったっけ?植栽があれば大きな怪我はしないだろうけど、何もなかったらちょっとまずいかも…)
もし下がただの石畳であったならばと考えると、サッと血の気が引いたのが分かった。二階程度からの高さであっても下が硬い石畳であれば、当たり所によって最悪の場合もあるだろう。
どうにか対処したいが、今の小鳥には両手で頭を抱えて予想される衝撃に備えることくらいしか出来ない。
ぎゅっと目を瞑り身体に力を込め、その瞬間を待った。
――ぼすん!
着地の衝撃は想像と違うものであった。
強く地面に打ち付けられたはずの背中にまだその衝撃は来ず、身体のどこも痛みを訴えていない。
恐る恐る目を開けると、そこには見知らぬ美しい顔があった。吐息を感じてしまいそうなほどの距離に思わず息を呑む。
見上げた先のその瞳はどこまでも透き通るような特上のエメラルドグリーン。髪の毛は一見黒髪のようだが、明るい月明かりに照らされると深い深い森のような色が現れる。光の加減によって黒緑色にも黒色にも見えるようだ。
その美しい顔を見上げながら小鳥の思考は動きを止めた。衝撃的なことが立て続けに起き過ぎているのだ。星が落ち、自分もベランダから落下した。その上、見知らぬ綺麗な男性が目と鼻の先にいるのだから。
「大丈夫かい?」
顔が美麗なだけでなくどうやら声も美しいらしい。そんなどうでもいいことを考えながら、フリーズした思考を頑張って再起動させる。
「あ、あの……。私、ベランダから……星を見てて…………っ!?!?」
少しずつ動き出した思考が一つの事実に辿り着こうとしていた。今、小鳥の身体はどうなっているのだろうか。地面に打ち付けられいない身体は何によって支えられているのか。
(〜〜っ!!お姫様抱っこされてる!!!)
細身と言えど小鳥は立派な成人女性だ。漫画の設定のような羽のような重さではなく、現実的な数値をその身に持っている。
「すみません!!ごめんなさい!!!お、降りますっ!!!」
耳までリンゴのように真っ赤にさせながら必死に訴える。これ以上このままお姫様抱っこされるのはあまりにも申し訳ないし、何より小鳥の心がもたないのだ。
小鳥の訴えに一拍置いたあと、男性はゆっくりと地面へ下ろしてくれた。コツリと降り立った先は硬い石畳であった。
もし、彼が助けてくれなかったらと思うと小鳥はゾッとする。そんな風に肝が冷えたおかげか少しだけ思考に冷静さが戻った。
「あの、助けていただきありがとうございました」
心を落ち着けてなんとかお礼を口にし、ぺこりと頭を下げる。顔を持ち上げて男性を見ると、少しだけ不思議そうな顔をしている。もしかするとこちらの世界では日本のようなお辞儀はないのかもしれない。
「怪我はないようだね」
「はい。あなたのおかげで助かりました。本当にありがとうございます」
今度は頭を下げずに、にこりと微笑みで感謝の意を伝えてみる。この世界の作法について色々と学ばないとなと密かに考えていると、ふと目の端にきらりとした光が見えた。
(あの光は落ちて来た星?)
小鳥がその光を見ていると男性もそちらに視線を移す。じっと何かを確かめるような瞳で光を見ていたかと思うと、長い足でそちらに向かって歩き出した。
きらりとした光を拾い上げるとまたこちらへと戻ってくる。光は彼の大きな手から溢れるほどだ。シュルシュルとリボンのように尾を引き、解けるように消えてゆく。
「この星は君が?」
すっと小鳥の目の前に手のひらを差し出す。
その手に乗っているのは、宝石の原石のように不規則な形をした光を放つ石が2つ。親指くらいの大きめなのが1つ。そしてもう1つはさくらんぼほどの小さなサイズものだ。
「いえ、多分違うと思います。それはまたまたベランダから見上げてたら落ちて来たんです」
たまたま歌っていたタイミングで星が降って来ただけで、小鳥自身がどうこうしたわけではない。魔力があったのならばそうしたことが出来たのかも知れないが、残念なことに小鳥にはそういった能力はないのだ。
もし彼が欲しいと言うのならば、この星は助けてくれた彼が持つべきだろう。
「そうか。しかしこの星は君の手に渡ることを望んでいるようだよ」
「え?」
そう言うと小鳥の手を優しく持ち上げた。筋張った男性らしい手から伝わる温度に、どきりと心臓が飛び跳ねた。
急に手を取られてこれは一体どうしたらと逡巡しているうちに、ころりころりと小鳥の手のひらの上に星と呼ばれた2つの光が転がされた。
その瞬間、小鳥を包み込みように一際明るく手のひらの上で瞬いた。やがてその光は辺りに散るように消えていき、夜の静寂が戻ってきた。
小鳥の手のひらに残ったのは薄い黄色の透明な石だ。石の中心にはほのかに光る星のような光の粒がチラチラと瞬いており、なんとも美しい。
「やはりこの星は君の物のだったね。主人の手に渡って瞬きが安定した」
「それはどういうことなのでしょうか?私は本当に何もできないですし、星を落とそうと思ったりもしていないんです」
「そうであるならば、君は無意識に星を呼んでいたのかも知れない。しかし、通常無意識でそういったことを出来るとは思えないが……」
彼は片手を自身の顎に当て、何かを考え始めた。きっとこんな何の変哲もない女が星をどうこう出来るはずもない、とでも考えているのだろう。小鳥自身、魔力0の無能な自分にそんな大それた事は出来ないという自信がある。
「星が落ちて来た時、歌っていたのは君?」
こっそりと歌っていたはずなのに、どうやら彼の耳には聞こえてしまっていたらしい。小鳥は少しの羞恥を覚えながら首を縦に振る。
「はい。夜中なので小声で歌っていたつもりだったのですが、聞こえていたんですね。うるさくしてすみません」
「美しい歌声だったよ。もしかすると君の声を星たちが気に入ったのかも知れないね」
「星たちが気にいる……?そういったことがあるのですね。もし本当にそうなら、魔力のない私の歌でも気に入ってくれて嬉しいです」
「魔力がない?」
その返答を聞いて自分の発言の迂闊さに気づく。
自分の情報をどこまで出して良いのか、まだよく分かっていないのだ。それなのにどのような人物なのか分かっていない彼に、小鳥には魔力がないことをうっかり言ってしまった。
(これは失敗してしまったのでは……?)
スーッと背中を冷や汗が伝い落ちる。
今ここでどうする事が正解なのか、小鳥には分からない。綺麗なエメラルドグリーンの瞳を見つめながら、彼の出方を待つほかなかった。
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