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夢殺人

作者: 水上夕日

 ――殺してしまった。

 私がその事実に気付いたのは、目の前に転がっている男が動かなくなってから、一時間も経った後であった。男の頭からは血が流れ、その付近には割れた花瓶の破片が散らばっている。

 右手に着けた腕時計を見ると、時間は十一時と表示されていた。

 あっけない出来事だった。男と言い合いになり、つい頭に血が上った私は、目の前にあった花瓶を手に取り、男の頭部を殴った。すると男の頭から噴水のように血が飛び出し、同時に男はその場に倒れた。

 先程まで私と激しく言い争いをしていた男は、一瞬のうちにただのモノになったのだ。

 人を殺してしまった。

少し落ち着きを取り戻した私は、その事実を受け入れることで、再びパニック状態に陥った。取り返しのつかないことをしてしまった。なんとかこの事実を否定したかったが、倒れている男と、部屋に充満した血のにおいがそれを許さない。

 逃げなくては。

 私は急いで部屋を飛び出した。なんということをしてしまったのだ。

 ああ、どうか、どうか夢であってほしい……!



 自室で目を覚ました私は、そのことが夢であったとは思えなかった。

 男と言い合いをしていた内容、花瓶で殴った感触、そして部屋に充満した血のにおいまで……すべての感覚があまりにもリアルだった。

 もしかしたら、あの後――部屋から逃げ出したあとの記憶だけがごっそりと抜けているだけかもしれない。そう思って今朝の新聞を手に取り、テレビをつける。

 ニュース番組の声を聞きながら新聞に目を通すが、男が頭部を殴られて殺された、という記事や報道はひとつもなかった。新聞の日付を見ると、私が夢の中で男を殺した、次の日になっている。

 何日であったかまでも覚えているなんて、なんとも気色悪い夢をみたものだ。冷静になってみれば、そもそも昨日、私は……。

 瞬間、背筋が凍るように寒くなるのを感じた。頭の中からこれ以上考えるなという信号が送られてくる。しかし、この事実に気付いてしまってからではもう遅い。額から冷や汗が流れてきた。

 ――私には、昨日の記憶が、男を殺したという他にない……!

 そんなばかげたことがあるものか。現に、ニュースやテレビが、私が昨日男を殺していないことを証明してくれている。

 しかし、それなら私は昨日他のことをしていて、その記憶が残っているべきである。

 記憶喪失……? いや、そんなことが起こるとは思えない。もっと別の可能性。

 もしや、今私がいる、ここが夢の世界なのか。

 男を殺した私が、夢であってほしいと願ったばかりに、男を殺していない日常の夢を見ているのか。

 しかしこれもおかしい。そもそもこんなに自我がしっかりとした夢なんて見たことがない。昨日男を殺した時と同じ、リアルな感覚。

 今と昨日、どちらが夢でどちらが現実なのだろうか。もしくは両方とも夢で、現実の私は悪夢にうなされて苦しんでいるだけなのだろうか。

 夢と現実がわからなくなるなんて。

夢かどうかを確かめるには頬をつねればいいとは言うが、ここまで自我がハッキリとしている地点で、試すこともばからしい。

 仮に、どちらかが夢だと確信できるならば、少しは気も楽になるだろう。しかし、どちらも現実である可能性もある。どちらにしても、今の段階でこれ以上、私に何かできることはない。結局、いつも通りに生活するしかないのだ。

 そう結論付けて、朝食の食パンとコーヒーを用意する。

 朝から頭を使ったせいか、軽く頭がズキズキしている。

 その痛みを振り払うため、用意したコーヒーに口を付けた時。私の頭にもう一つの可能性が浮かんできた。

 男が死んでいることは、まだ誰も気付いてない。

 よく考えれば、昨日の深夜に起った事件が、次の日朝刊に書かれていたり、すぐニュース番組で報道されたりとは限らない。

 しかし、そうなると私が男を殺したことが夢ではなくなってしまう。そのうち男の死亡が明らかになれば、間違いなく私は捕まるだろう。

 怖くなってきた。

どうにかしなくては。そうだ、今のうちに何とか証拠を隠さなくては。しかし、証拠とは一体何なのか。

 昨日、男を殺してからの記憶がない私には、現場にどんな証拠が残っているかもわからない。男の部屋から逃げている私の姿を、不審人物として誰かに目撃されているかもしれない。どうする。男の部屋にいってみるか。……いや、それは危険だ。もう誰かが男の死亡を確認し、警察が容疑者を捜しているかもしれない。ならばどうする。私が私であると――昨日男を殺した人間は、私であると、誰にも気付かれるわけにはいかない。

 そう思った瞬間、私の部屋にインターホンの音が鳴り響いた。

 心臓がビクリと跳ねる。嫌な汗が背中を流れ、体中に寒気を感じる。

 まさか、もう私のことがバレてしまっているのか。もう、私は捕まってしまうのか。

 ドアを開けてはいけない。開けたら捕まってしまう。逃げなくては。どこから逃げればいい? ベランダから……いや、私の部屋はアパートの二階。ここから逃げるのは難しい。

「いらっしゃいますか」

 ドアの向こうから声がかけられる。男の声だ。事務的で無機質な、私の存在を縛り付けて逃がさないような、そんな声。

「一週間前から起こっている連続殺人について、調査をしております。捜査にご協力お願いします」

 ……連続殺人? 私が男を殺したことではなく?

「貴方のお知り合いの佐藤さんが、昨日同じような手口で被害に遭いました。佐藤さんのことについて、詳しい話を聞かせてもらえませんか」

 なんだって。

 その名前は、佐藤は、私が昨日殺した男の名前ではないか。連続殺人の被害者だって? 何がどうなっている。やはり、昨日のことは夢だったのか?

 想像とはかけはなれた展開に、頭の中が真っ白になる。同時に、別のベクトルでの恐怖が生まれてきた。

「いらっしゃいませんか?」

 再びかけられる声。考えることをほぼ諦めた私の脳は、その声に操られるように体を動かし、ゆっくりとドアを開かせた。

ドアを開いた所に立っていたのは、やはり男だった。どこかで見たことがある男だ。一瞬そう思ったが、誰なのかは分からなかった。

その直後、私の額に冷たい何かが触れるのを感じた。

「開けてくれてありがとうございます。ふふっ……」

 直後、何か大きな音がするのを一瞬だけ捉え、そこで私の思考はプツンと途切れた。



「大丈夫ですか? しっかりしてください」

 聞いたことのない声が聞こえる。女性の声だ。私の体は、柔らかい何かに覆われている。これは布団……?

 ゆっくりと目を開くと、真っ白な天井が見える。視線をずらすと、白衣を着た女性が、私を見つめていた。心配そうな表情をしている。看護士だろうか。……ということは、ここは病院か。

 私は生きている。これは確からしい。

 ……さっきの、家でのことは何だったのだろうか。額に感じた冷たい感触、そして一瞬だけ聞こえた音、僅かに感じた火薬のような臭い。

「よかった、お目覚めですね」

 女性の声。間違いなくあの無機質な冷たい声ではない。

 家にいたはずなのに、何故私は病院で、看護士に診られている?

 冷たい感触、音、火薬――拳銃? 私は、あの男に拳銃で撃たれたのか? そして病院へ運ばれ、今こうして布団に包まれている。

 ……待て。何故私は、額を拳銃で撃たれて生きている? 頭に包帯の感触を感じるが、軽くまいてあるだけのようだ。拳銃で額を撃ち抜かれたのに、何故これだけの処置しかされていない。

 ……私は、何故生きている!

瞬時に布団を振り払い、背中を起こす。看護士の女性が慌てたように私を抑えようとするが、それより先に女性の両肩を掴む。

「私は、何故いきているんだ!」

 そうだ。死んでいないとおかしいのだ。拳銃で額を撃ちぬかれたのだから! 

「額を拳銃で撃たれて生きている? ふざけるな、それじゃあ何だ。私は化け物とでもいいたいのか!」

 溜りに溜ってきている不満が爆発し、それを目の前の女性にぶつける。おかしい。昨日男を殺してから、私の中で何かが大きく狂っている。

「けっ……拳銃? なんのことですか? あなたは昨日車に撥ねられて、それから今までずっと意識不明だったのですよ?」

「何を言っている! 私は昨日佐藤を殺し、そして今日額を拳銃で撃たれたのだ! 交通事故? 遭った覚えもない!」

 何が何だかもう私にはわからない。この不満を、ただぶつけることしかできない。

「おっ、落ち着いてください! あなたはかなり酷くうなされていましたし、悪い夢を見ていたのでしょう」

 夢。また夢か。

 佐藤を殺したのも夢、今朝目覚めたのも、男に撃たれたのも全部夢、夢だと言うのか。

 ――ふざけるな。

 夢なものか。あんなにリアルな夢があるものか。五感のすべてを覚えているような夢など、夢ではない。

 私をばかにしているのか。夢でうなされているような、可哀想な人間だといいたいのか。本来なら、私は佐藤を殺し、そして額を拳銃で撃たれ、殺されているのだ。

 私を撃った男が言っていた、連続殺人。それは、男が私にドアを開かせるために使った工作だったのだ。つまり、あの男は私が佐藤を殺したことを知っている人間なのだ。

 そうだ。そうなんだ。唯一おかしいことは、今私が生きていることだけなのだ。

一瞬冷静さを取り戻した私は、今肩を掴んでいる女性の顔を見る。少し苦しそうな顔をしていると気付いた同時に、肩を掴んでいた手の力を抜き、その手を目の前にもってくる。

「私が轢かれたという話について、詳しく聞かせてくれませんか。私には、車に轢かれた記憶など何もないのです」

 私は男に拳銃で撃たれた。このことは確かだが、私が今生きていることも確かだ。ならば、今生きている私のことについての情報が欲しい。私が撃たれたことと、私が轢かれたこと。もしかしたら、何かしらの関連性がみつかるかもしれない。

「あなたは昨日の深夜十一時半頃、歩道を歩いている最中に、飲酒運転をしていた車に轢かれました。幸い大きな外傷はありませんでしたが、強く頭を打っていて、先ほどまでずっと意識不明だったのですよ」

 十一時半。私が佐藤を殺してから三十分後だ。早速一つ関連性が見つかった。この場合は私が撃たれたことだけがリアルな夢となり、佐藤を殺してから記憶がないことについては、その時に車に轢かれたと考えることもできる。私が生きているという事実から考えれば、この可能性が一番高い。しかし、だからといって撃たれたことを夢だと決め付けることもできない。

 あの額に感じた冷たい感触、男の声に感じた恐怖、ただの夢で感じる恐怖とはかけ離れている。今まで自分が死ぬ夢や、何かに追いかけられる恐怖を感じた夢をみたことはある。しかし、それらの夢とは明らかに次元が違っていた。

「あなたを轢いた人についてですが、あなたを轢いた際に道路の電柱に激突し、頭を強く打って死亡しました」

 私は車に轢かれた。嘘とは言い難くなってきた。しかし……。

 一度思考の整理をしよう。そう思って軽く視線を窓の方へ傾ける。そこで、私は思いがけない事実に気付いた。これは、これだけはあってほしくないと思っていた事実だ。

 ――窓の傍らについていた日めくりカレンダーの日付は、私が男に殺された、次の日になっていたのだ。

 最早何も言うまい。これで一番の可能性も消えたのだ。同時に、男に撃たれたことが夢だとは考え辛くなってきた。現在、この狂っているような感覚は三日続いていることになる。そして、それぞれの日付けで私が覚えていることは、佐藤を殺したこと、男に額を撃たれたこと、車に轢かれたらしく、病院にいる……今の記憶だけだ。つまり、私が男に撃たれて生きていたと考えるのが最良となってしまう。

この状況から推察すると、私は一昨日佐藤を殺し、翌日男に額を撃たれたが生きていた。気を失った私を、あの男が道路にでも捨てておいて、そこでたまたま車に轢かれた。そんな、なんとも信じられないような事件の連続になってしまう。しかし、元々この三日間自体が信じられないのだから、これくらいのことが起きていてもそれほど驚くこともないが。

「落ち着いてきたようですね」

 女性の声に軽く頷き、ベッドへ横になる。

「……はい。取り乱してしまい申し訳ありません。しばらくゆっくり睡眠をとりたいのですが、あと一日くらいはゆっくりできそうですか」

 二つの意味がある。一つは入院できるかどうかの問題だが、もう一つは私が捕まらないかの問題である。そうだ、私は佐藤を殺した殺人犯なのだから。

「はい。では、ゆっくりとお休みください」

 突然。

 左腕に何かが注されるような感覚を感じた。驚くまもなく頭の中が真っ黒になり、そこでまた私の思考は途切れた。



 頼む……誰か助けてくれ。助けて、くれ。

 逃げないといけない。私は何かに狙われているのだ。

 走りながら、背後を確認した。何も見えないが、確かに何かが追ってくる。頭が勝手に追手の存在を作っているのか。そうだとしても、逃げずにはいられないのだ。

 私が目を覚ました時、そこはもう病院ではなかった。辺りは一面真っ暗で、民家の一つも見当たらない。まるで何処かの山奥にでもいるような感覚だった。しかし、木々の揺れる音や虫の鳴き声などもまったく聞こえない。ただ、真っ暗な空間がずっと広がっているだけなのだ。

 私は、その空間で、見えない何かから逃げ続けていた。逃げるといっても、自分がどこにいるのかも分からないのだが。実際、闇雲に走り回っているだけだ。しかし、じっとしていることなどできそうにない。少しでも立ち止まれば、後ろからナイフで刺されるような、そんな異常な恐怖が私を襲っている。

 空間に少しずつ目が馴染んできた。わずかだが、地面を見ることができる。足に伝わる感覚から、私がコンクリートの上に立っていることが理解できた。同時に、それを理解できる程度の落ち着きは取り戻せてきた。

 しかし、周りの背景がまったく分からない。いや、むしろ景色がないのだ。一面の黒。ここは何処なのだ。

 考えながらも、足は止められない。何かに狙われているような感覚は、全く消えていないのだ。

 何で私がこんな目にあわなければいけないのだ。狂っている。

 いい加減にしてほしい。何かの悪戯だったとしても、性質が悪すぎる。

 ……そうだ。これは何かの悪戯なのかもしれない。誰かが私を陥れる為に、わけの分からない悪戯を仕掛けているに違いない。

 恐怖が怒りに変わってきた。

 そうだ。私がこんな目に遭わなければいけない理由など、何もないのだ。理不尽だ。非常に理不尽だ。

 私をこんな目に遭わせている誰かを、私は許せない。

 足を止めた。

 恐怖はない。目を閉じ、耳を澄まし、ただ追ってくる何かを待っているだけだ。    

 聞こえる。聞こえるではないか。自分の足音でかき消されていただけで、私以外にも足音がするではないか。この足音が、間違いなく私を追いかけて、ここまで追い詰めた犯人に違いない。

 さあ、早くこっちにこい。私の元にやってこい。まさか、私が反撃に出るなどとは思いもしないだろう。

 足音が近づいてきた。暗闇で顔ははっきりと分からないが、それが人間であることに間違いなさそうだ。体格で見ても、私が不意打ちして勝てない可能性は低いだろう。武器をもっていられると厄介かもしれないが、この暗闇だ。確実に急所を狙って刺すのは難しいだろう。私が死ぬまでの間に相手を捕らえ、先に殺してしまえばいい。

 足音の主が目の前にやってくると同時に、私は身を屈めた。そして頭から相手の腹に向かって体当たりする。鈍い音と、声が耳に入ると同時に、相手の背後に回りこむ。右腕で相手の首を締め付ける。相手は聞き取れない、唸るような声をあげているが、私は腕の力を緩めない。

 死んでしまえ。私をこんな目に遭わせた人間は死んでしまえばいいのだ。

 暫くして、相手の体がゆっくりと力を失った。死んだのだ。

 やった。ついに私の日常を狂わせた元凶を始末できた。なんてことはない、首を絞めただけで死んでしまう、ただの人間だったではないか。なんて呆気ない。手応えがない人間だったのだ。

 ……物足りない。これだけで満足できるものか。こんな簡単に死んでしまうようでは、私の復讐にならないではないか。

 そうだ、相手は一人とは限らないではないか。私を撃った男や、あの病院の女のような共犯者が、山のようにいるに違いない。

 排除しなくては。

 これは神が私に与えた使命に違いない。世の中を狂わすような人間たちは、私が責任を持ってしっかりと始末してあげなければ!

 どうやって帰ったか、全く思い出すことはできないが、気がつくと私は自室のベッドで横になっていた。

 もうこんなことは気にしない。私はあいつらによって日常の感覚を狂わされてしまったのだ。所々の記憶がとんでいるのも、恐らくそのせいだ。

 はやく、殺しにいかないと。

 ベッドから飛び降り、キッチンへ向かう。そこから包丁を二本取り出し、急いで外へと飛び出した。心が躍るような気分だ。なんともすがすがしい。

 人を殺すことが、こんなに楽しみなことだなんて。早く、あの男や女が力なく動かなくなる瞬間を見たい。どんな声で唸るのか聞いてみたい。

 ――ハヤクコロシタイ。

 あの男の居場所を調べるのは難しそうだが、女の居場所ならすぐにわかりそうだ。女は病院にいる。私が知っている全ての病院の看護士を皆殺しにすれば、その中のどれかがあの女になるはずだ。

 顔はよく覚えていないが、一々調べてから行くよりも、全部殺すのが一番楽で楽しそうだ。



私が知っている大型私立病院へ辿りついた。途中で何人かに包丁を持った姿を見られたが、ちゃんと私を見た人間は消してきた。何も問題はないはずだ。

病院へ入る前に体が赤く染まってしまったが、これもまた心地良い。

 とにかく、あの女を殺せると思うと楽しくてたまらない。この病院にはあの女がいないかもしれないが、それでも構わない。

 そうだ、今度は死ぬ瞬間をビデオに収めてやろう。生憎今からビデオを取りにいくことはできないから、今回はこのままでいいか。とすると、この病院にはあの女がいないほうが望ましいかもしれない。

 考えながら、病院へと入っていく。

 途端、周りが騒ぎ出す。悲鳴や怒鳴り声など、大騒ぎだ。

 何を騒ぐ必要があるんだ。私は世界の為に、悪魔のような人間を始末しにきたのだ。歓声こそ浴びても、悲鳴を上げるとは何事だ。

 そうか、ここにいる人間も私を陥れる組織の一員、あの男や女の仲間なのだな。ならば話は簡単だ。全員殺してしまえばいい。こんな簡単に悪魔を一掃できてしまうなんて、私は運がいい。いや、私は神に味方されている。それは当然なのだが。

 スキップでもしそうな気分で悲鳴の中を歩いていく。近づいてきた悪魔は、包丁で裁きを与えてやる。

 悪魔の癖に、血は赤いらしい。なんとも生意気だ。私と同じ血の色をしているなんて。

 大勢の悪魔が私を取り囲もうとしてきた。私の周りで円状に並んでいる。しかし、それも無駄なことである。そう感じていた。

 何しろ私は神に選ばれて悪魔を成敗しにやってきたのである。こんなところで負けるわけがないのだ。

 肩を軽く回し、悪魔の群れに飛び込んでいく。すると、悪魔は私に恐れをなしてすぐに道を開く。退かない悪魔は包丁で首を斬ってやる。

 病院の奥へと足を進めてく。そして診療室へ入り、中にいた悪魔を全員始末する。

 暫くすると、病院の外からサイレン音が響いてきた。病院内の緊急警報はもうずっと鳴り続けているが、音の違いはすぐに判別できた。

 どうやら、警察までもが悪魔の仲間のようだ。

 まとめて始末してしまいたいが、ここで終わるわけにはいかない。

 できるだけ多くの悪魔を始末すると、病院の窓から人気がない裏側の方へと飛び降りた。

 結局あの女は殺せなかったが、私の周りが全て悪魔、敵であることが判明した。これをまとめて始末するのは手間がかかりそうだが、遣り甲斐はある。上着を脱ぎ、それを包丁の一本で地面に突き刺すと、私は誰にも気付かれないように病院から脱出した。



 自室のベッドで目を覚ます。

思い返してみれば、昨日はよく誰にも見つからずに家まで帰れたものだ。私は顔も隠していなかったし、奴等が私を見つけるための手がかりも多く残していたというのに。

 やはり、私は神に見守られているのだろう。正義は必ず悪を滅ぼすべきである。そして、私はそのために今日も悪魔狩りに出かけるのだ。

 包丁だけでは効率が悪い。一人一人順番に殺していくのでは、時間がいくらあっても足りない。敵は数知れない程多いのだ。ならば、まとめて排除できる方法を考えなければ。

 ――そうだ。火を使おう。

 そうと決まればすぐに実行しよう。油とライター、マッチ。それにガソリンを持っていこう。悪魔を焼き殺してしまうのだ。勿論今日はビデオカメラを忘れない。

 ああ、考えるだけで体中がゾクゾクする。楽しみで仕方ない。奴等はどんな風に焼けるのだろう。どんな声を上げ、どんな顔を見せてくれるのだろう。どんな臭いで焼けていくのだろう。

 そして、どのように灰になっていくのだろう!

思わず踊りだしそうな気分だが、踊りは勝利の美酒を飲む時にとっておこう。

 準備を整えて昨日の病院へ行くと、やはり悪魔がバリケードを築いていた。私は近くの茂みに身を隠すと、ガソリン少々を茂みにかけ、マッチに火を点ける。少し茂みから離れると、茂みに向かってマッチを投げ、火が広がる前に病院の裏口へ移動する。

 計画通り注意はその炎に集まり、軽々と裏口から病院内へ入ることができた。さて、これからが本番である。一番効果があって多くの悪魔を焼ける場所に火を点けなくては。さすがに私が持ってきた油とガソリンだけで、この病院全体を焼き尽くすのには時間がかかる。それまでに消火されてしまっては意味がないのだ。

 一番いい場所……診療室? いや、敵が集まっているところでは早く消火されてしまう。ならばトイレの中? いや、これは燃やせても悪魔を始末できそうにない。いくら燃やせても建物くらいにしか被害はないだろう。

 悪魔……そうだ。悪魔を燃やせばいい。悪魔を点火用の物質として利用しよう。これはいい考えだ。四体くらいの悪魔を燃やせば、後は苦しみながら悪魔が走り回り、勝手に炎を広げてくれるはずだ。

 よし、ターゲットを探そう。よく燃えて、よく走り回ってくれそうなのがいい。一人で勝手に焼け死なれるのは面白くない。患者の老人たちには走り回ることは無理だ。

 ターゲットは、元気そうな男がいいだろう。病院にいる元気な男といえば、医師だ。となると、やはり診療室か。 

 そうと決まればすぐさま実行に移す。悪魔たちに私の存在が広まる前に、急いで診察室に駆け込む。

 私が現れた瞬間に一瞬怯んだ医者にガソリンを浴びせて、あらかじめ点火しておいたマッチを投げる。

 さあ、祭りの始まりだ。

 燃える、燃えるどんどん燃える。あっという間に男が真っ赤に燃え上がり、まずは診察室の書類に炎が燃え移る。書類から更に炎が広がり、医者は期待通りに診察室から飛び出して院内を駆け回る。途中で何人もの悪魔とぶつかり、どんどん広がっていく。

 私はその様子を横目に、他の診察室でも同様に医者たちを燃やしていく。

 これは愉快だ。こんな愉快なことは、今まで経験したことがない。ここまで何でも思い通りにいくなんて、まるで夢のようではないか!

 いやいや、私が天才なのだ。これが私の力なのだ!

 炎はどんどん広がっていく。病院全体を包み込むように、全てを排除していくのだ。

 心地よい叫び声が聞こえる。ふと、目の前に赤く燃えながら黒ずんでいく悪魔の姿が目に入る。

 なるほど、このように燃えていくのか。もう顔もわからないが、これは看護士の女であろう。

 思い出して、ビデオカメラを取り出す。燃えていく病院を録画するのだ。

 これはいい画が撮れる。素晴らしい。タイトルを付けるなら、炎の宴とでも言っておこうか。

 ――素晴らしい、私はなんて素晴らしい人間なのだ。


 

 病院の悪魔たちを排除してから三日が経過した。その間も私は次々と病院を襲い、多くの悪魔たちを排除していった。

今や私の功績は新聞やテレビで大きく騒がれている。何故か私を非難している内容しかないのが気に入らないが、私の存在を悪魔どもに知らしめたという意味では許してやってもいい。

 警察は調査をしているというが、私が捕まることはない。理由など言うまでもない。

 今私は録画してきたビデオを鑑賞している。そして、次の行動を考えているのだ。病院のいくつかは完全に滅ぼしたが、あの女や私を撃った男の存在は決して忘れていない。奴らを始末しなくては、本当の意味での私の復讐は終わったとはいえないのだ。

 ビデオを見終わると、私はベッドへ横になる。次の行動を開始するのだ。

 三日の間に、私は自分が特別な能力を持っていることに気付いた。

私が何か行動しようと思った時、そのことを考えながら床に就く。すると、目が覚めた時に、すべての準備が整っているのだ。また、行動が終わった後に頭の中で戻れと念じると、次の日の朝になり、ベッドで目覚めるのだ。

 この能力のおかげで、私は完全に作戦を遂行することが可能だ。そこで、今回はターゲットをあの時の男にして、奴を殺すための作戦を考えて床に就くことにした。

 私はあの男が誰であるのか、どこにいるのかは知らないが、これは実験である。この能力がどこまで使える能力なのかを調べるのだ。

 あの男を殺す、殺害方法は銃で額を撃つ。私が今回考えた作戦はこれだけだ。

 

 目を覚ます。

 すぐに手元を確認すると、私の手元には見事に拳銃が持たれていた。そして、ここは私が知らない、どこかの空間。

 これで確信が持てた。この能力は本当に素晴らしい、夢のような力だ。

 同時に、胸がドキドキしてきた。ということは、これからここにあの男が現れるということではないか!

 この拳銃で、あの男の額を打ち抜いてやるのだ。私に遭った時、あの男はどんな顔をするのだろうか。自分が額を打った人間に、額を打ち抜かれる気分はどんなものだろうか。

 ああ、楽しみだ。楽しみで仕方がない。来い、こい。早くこっちへ来るのだ。

 手に持った拳銃のトリガー部分に手を当て、一度ゴクリと唾を呑む。最高の瞬間は、もう目の前にあるのだ。



 男の体から、真赤な血が飛び出してくる。その美しい血液は一面に広がり、男は虚しくころりと転がる。

――やった。

私は……ついにあの男を殺してやった。

 拳銃を投げ捨て、ただのモノになった男の元へと歩く。

 うつぶせに倒れている男の体を返すと、その顔をじっくりと眺める。

その瞬間、私は頭の中に電撃が走るのを感じた。

ああ、そうか、そうだったのか。

 ――この男は……この男は。

 

 

 長い夢を見ていたものだ。何日間夢を見ていたのだろう。

「目が覚めましたか」

 あの時と同じ、女性の声が聞こえる。

 私がいるのは、やはりあの時の同じ、病院の一室のような場所。

「お休みになっている間、あなたのことについて色々調べさせてもらいました。……あなたは、連続殺人事件の犯人だったのですね」

 ああ。確かに私は、大量に殺人を犯していた。

「私どもとしては、あくまで自首を勧めたいのですが……。あなたが自首をすると言うならば、こちらからあえて警察に通報するつもりはありません」

――自首。罪は軽くなると思うが、果たしてあの大量殺人を犯しておいて、死刑を免れることはできるだろうか。

いや、あれだけの事件だ。例え自首したからといって、まず死刑を免れることはできないだろう。

「殺人者がこんなことを言うのは笑われるかもしれないが、やはり人間、死にたくはないものだな……」

 私が言う言葉を、女性は黙って聞いている。

「……なんということはないな。私は自分のことを、神に選ばれた人間だと思っていた。しかし、私も所詮、ただの人間だったのだな。いっそのこと、あなたを殺して逃げる手段もあるが」

 私が言うと、女性は軽く肩を上げ、身構える。

「冗談だ。もう殺意も沸いてこない」

私は、連続殺人事件の犯人なのだろう。

一連の殺人事件は、全て私がやったことになっているのだろう。



「貴方を助ける方法が一つだけありますよ」

 しかし、突然女性が思いがけないことを言ってきた。

「何、それは本当か!」

 私は思わず目を輝かせた。

「方法は簡単です。この紙にサインしていただき、少しのお金さえいただければ……。一連の事件は全て、こちらでもみ消してさしあげます。勿論、貴方が殺人者だという事実はどこにも漏れることはないですが、いかがなさいますか……」

 女性が言葉を言い終るより早く、私は女性の手から紙を取り、サインを書き入れていた。

「頼む。私はまだ、捕まりたくないのだ。死にたくはないのだ」

 言いながら、私はキャッシュカードを取り出し、暗証番号を添えて女に手渡す。

「ええ、確かに受取りました。後はこちらに任せていただければ結構です。これで、間違いなく、貴方はこれから普通の人間。殺人者ではなくなりますよ」 

 これで……これで全部終りだ。



 全てが終り、目の前の女性は僅かに微笑んだ。その微笑を見た私は、女性に同じような微笑を返す。

 その瞬間、私は女性の腕を取り、そのまま地面に押し倒す。そして女性の手を取ると、服の中に忍ばせていた手錠を取り出し、しっかりとはめる。

「残念だったな。私はこの瞬間を待っていたんだ」

私に押さえつけられた女性は、じたばたと必死に抵抗している。しかしこの状態から逃げることはもう不可能だ。呻き声を上げている女性に向って、私はゆっくりと口を開く。

「惜しかったな……。本当にあと一歩だった。私は完全に、連続殺人を犯しているような気分になっていた」

 私が言うと、今まで抵抗していた女性は、ゆっくりと体の力を抜いていく。私はそれを確認すると、携帯電話を取り出し、仕事仲間に連絡を入れる。

「詐欺の現行犯を逮捕した」



「お疲れ様です」

紺色の制服を着た青年が、私にそう言ってから敬礼をする。

あの後すぐに事件についての調査がはじまり、私が取り押さえた女性は刑務所に連行された。

程なくして、女性の供述から、仲間の男――私の額を撃ち、そして私が夢の中で殺した男――も逮捕されることになった。

「ああ、中々面白い事件だったよ。不思議な体験もできたしな」

私は応えると、軽く肩を上げ、笑って見せる。

「しかし、恐ろしい手口を考えるものですね……。無理矢理夢を見させて金を騙し取るなんて。もし被害に遭ったのが私だったら、そのまま乗せられてしまうかもしれません」

 青年の表情は暗い。



 この事件の真相はこうだ。

……不特定な人の家に訪問し、架空の連続殺人の調査を装う。その連続殺人事件の新たな被害者は、佐藤という、誰の知り合いにもいそうな苗字だ。ドアを開けたら最後……。額に巻玉鉄砲――発砲せずに音だけがでるもの――を当て、音を慣らすと同時にスタンガンで相手を気絶させる。

これで、額に発砲されたのに生きているという、ありえない現象が完成する。

気絶している間に例の場所へ連れて行き、そこで相手が目覚めるのを待つ。

目を覚ましたら、相手に架空の交通事故をでっちあげてやる。額を撃たれたのに生きていることよりも、交通事故で入院していることの方が、遥かに信用できるものだ。

舞台はこれで完成する。

この事件の一番恐ろしい所は、ここからなのだ。

逮捕された男の所持品から、ある薬品が押収された。男の供述によれば、それは強制的に夢を見させる薬品らしかった。

現代科学ではありえない。誰もがそう思った。しかし、だからこそ、実際にそれが存在した場合、絶対的な効果を生むのだ。

私はその薬品によって、確かに連続大量殺人の犯人となったのだから。

薬品の成分は全く分かっていない。薬品を調べている研究者たちにも、何か麻薬の一種ではないかとの推察ができているだけだった。

薬品によって強制的に夢を見せられた人は、発狂する。そして、完全に夢と現実が混同した時、目を覚ますのだ。

 ――あなたは連続殺人事件の犯人だったのですね。

 これで、完全に堕ちる。

 あとは女性による天使のような提案を呑み、ありったけの金を詐欺取られる。

 事件のことなど、誰にも言うことはできない。何しろ本人は、自分が連続殺人の犯人であると信じて疑っていないのだから。



「ははは、確かに夢は恐ろしいものだ。何しろ私は、夢の中で多くの人間を殺すのが快感だったくらいさ」

 私はそう言って、顔を俯けている青年の肩を軽く叩く。

「言わないでください……。胃が痛くなってきましたよ」

「私はかなりの幸運だったな。夢の途中、偶然あの男が何者だったかを思い出したのだ。もしもその時何も思い出していなかったら、私は今頃どうなっていたか分からない」

そう言うと、とうとううっすらと涙ぐんでしまった青年に、軽く怒った振りをして言ってやる。

……そんなことで、警察が務まるか――と。



 事件が明るみになると、一気に被害報告が殺到した。

 驚くことに、その被害総額は数億円にも及んでいたことも分かった。

相変わらず、薬の成分は分かっていない。逮捕された男に薬のことを問い詰めても、男は狂ったように「俺には神に与えられた能力がある。あれは俺にしか作れない」と繰り返すだけだった。

 皮肉にも、それは男の薬によって夢を見せられた、狂った私が言っていたことと酷似していた。

 この男は、以前から警察に指名手配されていた。どんな内容であったかまでは覚えていなかったが、あの夢の中で、偶然それを思い出すことができたのだ。

 後になって調べてみると、何のことはない、詐欺による指名手配であった。女性の方は、あの男の妻であることが分かっていた。



 テレビのニュースや新聞は、今日もあの事件を特集している。

 私は自室のソファーにもたれかかりながら、ぼんやりとテレビのニュースを眺めていた。私にとって、今日は久しぶりの休日だったのだ。

 軽く欠伸をすると、手元に置いてあった数日前の新聞を手に取る。その一面には、大きくあの詐欺事件についての記事が書かれている。

 今、マスコミは完全にこの事件の虜になっているのだ。

 そして、他に何か事件が起こっていようとも、それは殆ど誰にも知られることはない。

 なんとも面白くなってきた。

 やはり、私は運がいい。

 今となっては、私が佐藤を殺した事件など、誰も気にしてはいない。

 当時の記憶が曖昧だったのは、なんということはない。本当に記憶が飛んでいただけだった。佐藤を殺した私は、家に帰ると同時に大量に酒を飲んだ。元々酒に強くない私は、そのことで一部の記憶が飛んでしまっていたのだ。今となっては簡単に思い出せることで、佐藤を殺した翌日に感じた頭痛は、実は酒によるものだったのだ。

事件についての捜査は行われていたが、それもまもなく終了していた。

 ……犯人の自首という形によって。

 私はポケットの中から、小さなビンを取り出す。

これは、あの男が持っていた物だ。男の所持品を押収した時、こっそり奪っておいたのだ。

 後は、あの男らと全く同じ手法をとればよかった。私の代わりに自首して捕まった、名前も知らない中年男性は哀れだったな。

「夢を見させる薬品か……。確かに凄い効果だな」 


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