道徳と良識と評判を投げ捨てれば、強くなれるかもしれないけどどうする?
思いついたら書きたくなった。
「道徳と良識と評判を投げ捨てれば、強くなれるかもしれないけどどうする?」
パーティ『不撓不屈』が贔屓にしてる居酒屋で、1人の男が呟いた。無難な皮鎧に身を包み、身軽な装備で整えた男だ。灰色の髪、ぼんやりとした鳶色の瞳、総じて『どこにでもいる』という評価になるだろう。『不撓不屈』のリーダー、フィンケルだ。その冷静な視点と、的確な指示、身軽な偵察で彼らを導いてきた。
「それで、上に行けるなら……僕は試したい」
ローブに身をくるんだ小柄な少年が、おずおずと口を開いた。黒のローブに捻じれ杖、この世の法則を捻じ曲げ、敵を攻撃する攻性魔術師。そわそわと落ち着かない様子で杖を持ち直し、それでも少年は言い切った。ここで終わりたくない、と。『不撓不屈』の火力担当、攻性魔術師のロンディ。可もなく不可もなく、そこそこの魔術と器用さで、なんとか敵を倒してきた。
「……私も、ここまで来たからには、このメンバーで上を目指してみたいです」
茶髪のそばかす少女が、水色の瞳に決意の色を込めて断言する。その瞳に迷いはなく、彼女が本気で上を目指したいと思っていることが伝わってきた。白の法衣に白の錫杖、法衣に縫われているのは『光の女神教』のエンブレム。聖女見習いのミスティエラ。教義に反することはやらないが、それでも一生懸命パーティを支えてきた、『不撓不屈』の回復担当。そして紅一点。
「おでも……気持ちは同じなんだな。まだまだ、みなと一緒にいたいだ」
南部訛りの口調で話すのは、鎖帷子を着込んで大盾を持った青年。不撓不屈の壁役であり、前線で一手に攻撃を引き受けてきた、耐久型の戦士。名をルカス。力が強いが小心者で、今も3人の注目が集まったことで縮こまってしまった。これでいて、タンクをするときはきちんと敵の前に踏みとどまるのだから大したものだ。
パーティ『不撓不屈』は、バランスのいいパーティとして知られている。剣士兼斥侯を兼ねる軽戦士のリーダーに、種々様々な攻撃魔術を器用に扱う攻性魔術師、貴重な回復魔術の使い手である光の女神教の聖女見習い、そして敵を押しとどめる壁役の大男。
ここで一発、攻撃力の高いアタッカーが入れば……というのは、パーティ内で散々話されたことだ。だがコツコツと実績を積み重ねてBランクに達した不撓不屈は、いわゆる『内輪の空気』というものができあがってしまっていた。新たなアタッカーにフレンドリーに接しても壁を感じていなくなってしまうことが数回、パーティメンバーとぶつかること十数回。ならばいっそ新人を育てようともしたのだが、不撓不屈で芽を出してくれた新人2人は、Aランクパーティに引き抜かれていった。経済的に、そこまで育成に金をかけられるわけじゃないところがネックになった。
打ち止め。頭打ち。冒険とは名ばかりの、惰性で続けるルーティーン。このまま僅かな蓄えとともに、冒険者を引退。そんな未来が見えてきてしまって、不撓不屈のメンバーたちの間には、不穏な空気が見え隠れしていた。
「みんなの意思が変わらないようで、安心したよ」
だから、リーダーであるフィンケルは、隠し通してきた自分の『特技』を使うことにしたのだ。遅かれ早かれこうなる気がしていたフィンケルは、有り金をはたいて買ってきた3つのアイテムを机の上に並べる。
1つは魔導書。様々な理由で失伝した魔術が記された書物。これは聖女見習いのミスティエラへ。
1つは魔導刻印。金属の物体にはめ込むことで様々な効力を発揮するもの。これは盾持ちのルカスへ。
最後は、招待状。『親愛なるロンディへ』と書かれた招待状は、当然魔術師のロンディのもとへ。
「いいか。これは俺の貯金全部を使って手に入れたものだ。だから、これを手に取ったら、もう戻れない。俺たちは今までの生活を捨てることになるかもしれない。それでも、この4人で上に行きたいなら……」
ごくり、と誰かが唾を飲み込んだ。
「受け取ってくれ。きっと俺たちの力になる」
ミスティエラが確固たる決意で、ルカスが恐る恐る、ロンディが迷いながらも、それぞれのアイテムを手に取った。
「これは……? 爆裂魔術の魔導書?」
白と紫の装丁が施された魔導書を片手に、ミスティエラが首を傾げる。
「そうだ。それが、ミスティエラを強くする」
フィンケルの断言に、パーティメンバー全員が首を傾げた。失伝魔術とは、様々な理由で失われた魔術のことである。
例えば、強力すぎるから封印された。
例えば、使える者がいなくなって失われた。
そして、あるいは。
使うと、使用者も看過できないダメージを負う欠陥魔術、とか。
「爆裂魔術は、掌でしか起動しない。おまけに使うと即座に爆発して、どんなに腕を伸ばしても、肘くらいまでは確実に吹っ飛ぶ。けど、攻撃力はピカイチだ」
フィンケルの言葉を聞き、声を荒げた者がいる。
「リーダー! まさかミスティエラにそれを使えって言うつもりですか!?」
声を荒げたのはロンディだ。招待状を握りしめたまま、身を乗り出してフィンケルを非難する。それは当然だ。冒険者にとって、手足は何物にも代えがたい宝。失えば失うだけ、将来が暗くなっていく。
「そうだ」
だが、フィンケルは動じずに断言する。その理由は、聖女見習いであるミスティエラなら、部位欠損……それも片腕くらいなら復元できると知っているから、だけではない。
「ミスティエラ。お前の不満はわかっている」
フィンケルの鳶色の瞳が、ミスティエラを見据える。何もかもを見透かされるようなその視線に、ミスティエラは思わず身をすくませた。
「お前はパーティの『安定』が不満なのだろう。冒険譚を好んで冒険者になったのに、毎日は地味。回復魔術もせいぜい切り傷、打撲、擦過傷程度。自分の治癒の実力はこんなものではない、そう思っている」
「それは……! そうかも、しれません、けど……」
不撓不屈はバランスのいいパーティだ。健全に機能している間は、大崩れしない。それでも回復魔術の使い手がいるというのは大切なことで、彼らは大きく挑戦することなく、安定した攻略を行っていた。
「お前は自分の実力を試したい。大怪我、それこそ片腕が失われた仲間の治癒をしたい、が、さすがに仲間に『片腕を失え』とは言えない……そうだろう?」
なら自分の腕を使え、とフィンケルは言い切った。
「大丈夫だ。お前には資質がある。必ず使いこなせるだろう」
ミスティエラは納得半分、諦め半分という表情だったが、それでも魔導書を突き返しはしなかった。使うかどうかは置いておいて、覚えておくことは無駄ではないかもしれないからだ。自分の金銭で購入したものではないし、パーティメンバーは可能な限りリーダーの言に従うべきだという考えもあった。
「おでの魔導刻印……こ、こんな高価なもの、貰ってもいいんだべ?」
手に取った魔導刻印を撫でまわすルカスに、フィンケルは鷹揚に頷いた。その理由は単純で、その魔導刻印はさほど高価なものではないからだ。
「ルカス。それはそれほど高い刻印じゃないよ……」
魔導刻印に知識のあるロンディも、おずおずと指摘する。魔導刻印は、刻印技師が魔力を込めながら金属に模様を描くことで発動する。たいていの金属鎧には、そういった魔導刻印を填めるためのスロットが作られており、発展性のある鎧、というのが今の主流。そうでもしなきゃ、バカ高い金属鎧は冒険者産業に参入できなかったという要因もあるが。
魔導刻印によって発動する魔術には種類があり、そして種類がある以上必ず流行り廃り、人気不人気が存在する。
「んだ? じゃあこりゃなんの魔術が……?」
なんといっても一番人気は、『自動修復』だ。そして『軽量化』や『硬質化』などが続く。各種属性耐性も、根強い人気がある。フィンケルの貯えでは、とてもではないが手が出ない。
「『無音化』だ」
そしてフィンケルが告げた魔術は、下から数えたほうが早い値段の魔術だった。ダントツというほどでもないが、人気はない。金属鎧というのはだいたいガシャガシャとうるさいものだが、それはことさらにデメリットというほどのものではない。敵の注意を引くために、うるさい方が良い場合もあるからだ。大きい音にはそれだけ注目が集まる。
「『無音化』!? そんな魔導刻印のためにスロットを使い切るつもりですか?」
金属鎧1つにつき、設置できるスロットは1つ。よしんば無理やり2つつけても、魔導刻印から流れる魔力や魔術が相互に干渉しあって、よくて2つとも無効、悪ければ鎧の中身ごと吹き飛ぶ。ロンディの驚きの声を無視して、フィンケルは言葉を続ける。
「ルカス。お前は気が小さい。お前に適しているのは、敵の攻撃を受け止める盾持ちではなく、相手を裏から攻撃する斥候だ」
「斥候ゥ!?」
ロンディは思わずルカスの全身を見直した。身長は大柄、体格は肩幅が広く、道行く人間の中でも非常に目立つ。大抵ルカスの頭は周囲の人間より高い位置に出るからだ。ルカスは農村の出身だが、比較的裕福な豪農のもとで育ったらしく、驚くほどよく食べる。それが彼の骨格を支えていることは間違いないが、どう見ても斥候向きには見えない。
「リーダー! 斥候っていうのは、僕や……まあ百歩譲ってリーダーのような体格の人間がやるべきです!」
ロンディの言葉は間違いではない。ダンジョンに挑む人間達は、長年の試行錯誤の果てに役割を分担するようになっていた。役割によって様々な呼び名があるが、大きく分けると6つに分けられる。
敵の注意を引き、攻撃を受け止める盾持ち。
索敵や罠の解除など、パーティを快適に進ませる斥候。
敵を攻撃し、戦闘を優位に進める魔術師。
同じように敵を攻撃し、トドメを担当する近距離攻撃の剣士。
味方を守護し、回復させ、万が一に備える治癒術士。
そして最後に、探索を計画し、パーティ全体の統括及び指示を出す指揮者。
そして同じように、長年の試行錯誤である程度役割に向いている者というものが傾向として定められている。
例えば、タンクは大柄で屈強な男が盾を持った方がいいとか。シーフはすばしこく手先が器用な人間が良いとか。ウィザードは魔力量が高く、冷静で度胸のある奴がいいとか。そういうセオリーがある。
フィンケルの言葉はその『セオリー』を全て無視している。
「3ヶ月だ。3ヶ月だけ、俺の言うとおりにしてみてくれ。3ヶ月後、ここに集まる。それで、もう一度アイツに挑む」
すでに4度討伐に失敗している相手の名前を出せば、フィンケル以外の3人の目がギラリと光る。Bランクから上に行く者に立ち塞がる、最後の関門。ダンジョン60層の番人。
〈それは石で作られた祈る者〉。
圧倒的な防御性能、疲れを知らない魔術で動く石の巨人。ここを突破できるだけの攻撃力、対応力がなければ、Aランクパーティに認められることはない。冒険者ギルドが正式に発表しているわけではないが、ここを突破することが最低条件であることはほぼ間違いないと言われている。
「……仕方ありませんね。リーダーにそこまで言われては……で、僕は誰のところに……」
招待状をくるりと裏返したロンディは、そこに書かれていた差出人の名前に、体が硬直する。
彼は油断していた。
〈それは石で作られた祈る者〉は硬い。故に、攻撃魔術の重要度は、他のメンバーの比ではない。そんな彼に渡された招待状はきっと……高名な魔術師への期間限定指導依頼みたいなものだと思っていたのだ。例えば土属性の魔術で相手を封殺する【土牢の魔術師】や、その高い攻撃力で尊敬を集める【四魂の魔術師】など、高名な魔術師に有料で指導を依頼するというのは珍しい話ではない。もっとも、成果は保証されないし、法外な金額が必要なのだが。
「アンディアラ……!?」
招待状を開くと、中に流麗な字でメッセージが書かれていた。ロンディは信じられない気持ちで内容を読み上げる。
「『まさか私の元に指導依頼が届くとは思わなかった。フィンケル殿が提示した金額は少々相場には足りなかったが、私自身、私の技術を受け継いでいく者を探していた。この技術を扱うに必要なのは、絶望的なまでの『性格の悪さ』だ。その点、フィンケル殿はロンディくん、キミを高く評価している。私は町外れの屋敷に住んでいる。準備ができたら来たまえ』」
【最低の魔術師】アンディアラ。
その戦いぶりから、街全体の観戦者から白い目で見られている魔術師。本人は一切気にしていないどころか、嬉々としてその二つ名を名乗る変人。僅か親子二代で1つの魔術体系を築きあげた傑物にして――めちゃくちゃ、性格が悪い。
「この地図……」
「どうかしたか、ロンディ?」
ロンディは目を細めて地図を見る。そこにはアンディアラの屋敷の位置が記されていたが、ロンディは気付いた。魔術師の世界は狭いのだ。
「自宅に指定されてるの……確か、魔術師ギルドの副ギルド長の家ですね……馬鹿正直に行けば笑いものになるところでした……」
招待状を握りしめ、ロンディはフィンケルを睨んだ。
「なんで僕にアンディアラなんかの指導を受けさせるんですか!」
フィンケルは肩を竦めて返す。
「3ヶ月だけだ。頑張ってこい」
「ぐっ……!」
先ほど同意したことを思い出し、ロンディは言葉に詰まる。フィンケルの口元が笑みの形に歪んだ。
「まさか、最低じゃないロンディくんは、自分の言ったことを反故にしたりしないよなぁ?」
「このクソリーダー……! Aランクに上がれなかったら、憶えとけよ!」
ロンディは自分の荷物と装備を持って、居酒屋を出て行く。どんな声をかけるべきかわからず、その場で固まるミスティエラとルカス。その2人に、フィンケルは改めて声をかけた。
「ミスティエラは爆裂魔術を練習してくれ。くれぐれも無理はしないように。ルカスは、ソロでダンジョンの……21層から29層の走破を頑張ってみてくれ。やり方は各自に任せる。では、解散!」
パン、と両手を打ち、リーダーフィンケルは解散を宣言した。
† † † †
パーティ『不撓不屈』のリーダーフィンケルが、居酒屋で3つのアイテムをパーティメンバーに渡した、3ヶ月後。観戦広場には、いつものように多くの人影があった。種々様々な人間が、食い入るようにモニターを眺めている。
「いやー、不撓不屈にはなんとかAランクに行って欲しいよな!」
頭が禿げ上がったオヤジが、快活に笑う。
「確かに。玄人好みのパーティですからな」
眼鏡をかけた初老の男性が、上品に笑った。日々屋台を営むオヤジと、やんごとなき身分である老紳士。彼らの共通点は、パーティ不撓不屈のファンであるということだけ。
「3ヶ月、ほぼ音沙汰なしでしたからな……」
「今回は注目度が高いぜ! 〈それは石で作られた祈る者〉に挑戦してるパーティは、今のところ不撓不屈だけだからな!」
〈それは石で作られた祈る者〉は、多くの冒険者の心をへし折った相手だ。そして、Aランクに上がるパーティは、たいてい〈それは石で作られた祈る者〉を一撃で粉砕して先に進む。超強力な火力は、パーティに必要不可欠。きちんと対策して、問答無用で抜けていくのだ。
「不撓不屈って、どんなパーティなんですか?」
隣に座った女性が話しかけ、オヤジはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、ハゲた頭をペチンと叩いた。
「一言で言うと、安定したパーティだな。派手さはないが、堅実な戦い方だ。それを支えているのは、器用に攻撃魔術を使うロンディ……」
「いやいや、敵の攻撃を支えるタンクのルカス……」
「いやいや、それを言うなら的確な指示を出すリーダーのフィンケル……」
「いやいや、それこそ後ろに控える聖女見習いの……」
「いやいやいやいや……」
「いやいやいやいやいやいやいや……」
「よくわからないですけど、地味な感じなんですね!」
女性が何気なく放った一言に、2人の男性は腕組みをした。地味と言われるのは何か嫌だが、否定できるだけの材料はない。地味なのは確かだ。
「……俺は、不撓不屈が〈それは石で作られた祈る者〉を超えるのは難しいと、そう思っている」
「え? ファンなんですよね?」
オヤジの言葉に女性が聞き返すが、オヤジはゆっくりと首を横に振った。
「ファンだからこそ、難しいと思う。不撓不屈のウリは、堅実さ、安定感だ。それこそ、めちゃくちゃな新要素がなければ……」
「あ、始まるみたいですよ!」
モニターに映像が映し出され、広場は歓声に包まれた。
「頼むぞ不撓不屈ー!」
「ミスティエラちゃーん!」
「お前らに賭けたぞー!」
ダンジョン攻略は一種の見世物だ。神々が与えたもうた試練迷宮。攻略されきった今、死なない立ち回りというものが存在している。資源が取れないなら観光名所にしてしまえということで、試練迷宮は残念ながら、本来の役割を果たし終えたのだ。
モニターには、巨大な扉の前に佇む4人の男女が映し出されていた。リーダーのフィンケルが何かを喋っているが、小声なのか聞き取れない。
「ん? なんか、フィンケル以外は装備が変わったな?」
「ルカス、あんなグローブ付けてたか?」
「ていうか、ミスティエラちゃんの法衣、真っ赤なんだけど……」
「いつもの白いのはどうしたんだろ」
観戦者たちの疑念は晴らされること無く、巨大な扉が開いていく。中に鎮座し、指を組んで祈りを捧げる石の巨人。〈それは石で作られた祈る者〉。
背後の壁に、デカデカと『60層ボス―〈それは石で作られた祈る者〉。FIGHT!』という文字が躍る。
観戦者達が見守るなか、堅実がウリの不撓不屈のヒーラーミスティエラが、迷うこと無く〈それは石で作られた祈る者〉に突撃した。
「ハァッ!?」
思考が止まったのは観戦者達だけだ。思考を持たない〈それは石で作られた祈る者〉の右腕が引き上げられ、轟音とともにミスティエラに迫る。
『力こそ全てと言うならば、私がその尽くを覆す』
『足を踏み入れれば、帰ることはない』
「なんだ? ミスティエラちゃんの詠唱、聞き覚えがないぞ?」
「おいおいおい待て! ロンディの野郎の詠唱聞いてみろ!」
〈それは石で作られた祈る者〉の体から響き渡る轟音に紛れた詠唱を、観戦者達は必死に聞き分ける。
『その沼は、誰も彼もを飲み込みつくし、暴かれることなき闇の沼』
ロンディの詠唱が終わった。
『〈深沼〉!』
〈それは石で作られた祈る者〉の足下に出現した漆黒の沼が、右足を沈めた。振り下ろしていた拳が大きく外れ、空中を空ぶる。九死に一生を得たミスティエラだったが、観戦者達はそれどころではない。
「あああああれ妨害魔術だぞ!?」
「ウッソだろ!? じゃあ【最低の魔術師】に弟子入りしたのかロンディ!?」
「お眼鏡に適ったことが驚きだが!」
「あのクソ魔女に人を育てることができたとは……」
「人格破綻者のアンディアラが!」
「クソ弟子の活躍を見に来たら、私の方がぼろくそ言われてて泣きそうなんだけど」
広場の端のほうでモニターを観戦していた妙齢の美女が、こっそりと目元を拭った。そしてモニターから、盛大な罵声が響き渡った。
『クソ石がァ!! てめぇなんか硬いだけの的だろうがぁ! 的が動き回ってんじゃねぇ! 一方的に殴られろ! 動くな! 殺すぞ! 動かなくても殺すが! 俺の手を煩わせるな! ゴミ!』
あらん限りの罵倒を喰らわせるロンディ。そこに一般常識を振りかざしていた青年はもういない。弟子の活躍を見たアンディアラはにっこりと笑い。
「あいつやっぱクソほど性格悪いな。罵倒しながら無詠唱で細かい妨害魔術を設置してるぞ」
自分のことを盛大に棚上げした。
観戦者達は内心、ロンディの子供のような罵声にドン引きしていたが、戦況は進んでいく。
『遮られ、虐げられ、我らは立つ』
『力のために命を捨て 我らは世界を変える』
「あっ、あの詠唱は!?」
「知ってるのかミョウル!?」
突然立ち上がった青年に注目が集まる。が、青年は注目を気にすること無く、ミスティエラが詠唱している魔術の正体を看破した。
「あれは、爆裂魔術だ! 使えば腕が吹っ飛ぶぞ!?」
モニターに映るミスティエラの顔は、満面の笑顔だった。
『〈爆裂〉!』
右手に集まっていた黄色の光が一気に収束し、轟音がモニターを揺らす。土煙が舞い上がり、一時的に画面が見えなくなった。
「おい! 腕が吹っ飛ぶってなんだよ!」
「爆裂魔術は欠陥故の失伝魔術……! 手のひらからしか出せないし、使えば必ず手が吹っ飛ぶ! どんなに最小の威力でもだ!」
「なんだその欠陥魔術は!」
「だから欠陥だって言ってるだろう!」
「ミスティエラちゃんの腕は無事なんだろうな!?」
「わ、わからん! 何かしら無効化する道具を手に入れたのかもしれん……!」
それは希望的観測だったが、そうでも思わないとやってられない。だが、やがて土煙が落ち着き、観戦者たちが見た光景は。
左足を失った〈それは石で作られた祈る者〉と、右腕を失ったミスティエラの姿だった。だくだくとこぼれ落ちる血液が床を塗らし、ミスティエラの表情は――
「さいっっっっこう!!!!」
――恍惚とした笑みを浮かべていた。左手でほのかな碧色の光を灯しながら、腕を失った右肩に治療を施す。だが右腕を失った哀しみや痛みよりも、敵が左足を失ったことを喜んでいるのは、誰の目にも明らかだった。
「怖……」
誰かが呟いた言葉が、この場で観戦している全員の総意だった。
そしてモニターから、異音が響く。硬い岩を金属で殴りつけたような重い音が響き、〈それは石で作られた祈る者〉が前のめりに傾ぐ。右足を沼に取られ、左足を爆破された〈それは石で作られた祈る者〉だが、バランスを崩したのは背後からの衝撃のせいだ。攻撃してきた者に反撃を加えるため、両腕を振るうが、攻撃は当たらない。そもそも攻撃者が見つからない。
ガン、とまた衝撃が響く。今度は腹。続いて背中。肩。腕。ぐるぐるぐるぐると叩きつけられるが、襲撃者の姿は見えない。音も聞こえない。
「ル、ルカス……」
「はぇぇ……!」
〈それは石で作られた祈る者〉は視覚と聴覚で敵を見付けている。だが無音の鎖帷子を着たルカスは、俊敏に〈それは石で作られた祈る者〉の周囲を走り回り、見つからずにいた。〈それは石で作られた祈る者〉の頭が動くたび、視線がどこに向くのかをわかっているかのように先取りして視覚に潜り込む。
『ここが一番、落ち着くべや!』
訛りを含んだ言葉で、ルカスが叫ぶ。声に反応した〈それは石で作られた祈る者〉が振り向くが、振り向いた時にはルカスはいない。無尽蔵の体力と、相手の視線の動きが予想できるからこそできる技。
「これは……新しいタンクだ!」
「なんだこれは!?」
「回避タンクとは別物か!?」
「別物だろ! 攻撃されてねぇんだぞ!」
「これは……“逃げタンク”とでも名付けるべきか!?」
「卑怯!」
「小狡い!」
「ハエみたい!」
誰も褒めない。ルカスは気が小さく、常に周囲の機嫌を伺いながら生きてきた。家の教えで、男たるもの力なき者を守れるようになれと言われてタンクをやっていたが、気質は完全にシーフ向き。フィンケルは、ルカスのそんな性格を、とっくの昔に見抜いていたのであった。
『回復した! もう1発いくわよ!』
ぐるぐると右肩を回し、治療が完了したことを吠えるミスティエラ。その表情に迷いはなく、むしろ今すぐにでも爆裂魔術を放ちそうな勢いだった。
『よし! 屈ませろルカス!』
『だべ!』
フィンケルの声が響き、ルカスのパンチが〈それは石で作られた祈る者〉の前に傾がせる。ルカスを追って腕を振り回していた〈それは石で作られた祈る者〉は、バランスを崩して地面に倒れ込みそうになり、両腕で自分を支えようとした。
床に着いた両腕が、綺麗に滑った。
『バーーーーーカ!! そこには〈滑油〉の魔術を撒いといた! おまけにコレだ! 〈黒鎖〉!』
前に投げ出された両腕をなんとか引き戻そうとする〈それは石で作られた祈る者〉だったが、空中から出現した黒の鎖が両腕を縛り上げる。立ち上がれなくなった〈それは石で作られた祈る者〉は、重要な器官である頭を、ついに地面につけた。
『石頭には難しかったかなぁ??? 魔術の察知は??? ん??? ねぇどんな気持ち??? 自分よりちっちゃい相手に膝を突かされるのどんな気持ち??? 俺にはわかんないなぁ!!!』
動けなくなって藻掻いている〈それは石で作られた祈る者〉を全力で煽るロンディ。
「性格悪ッ!!」
「あいつはゲス野郎だな!」
「絶対に結婚したくない!」
「商会出禁にしてぇ!」
「けどいいぞークソ野郎!」
「行けー【下種の魔術師】!」
ロンディの2つ名が決まった瞬間だった。
『行けミスティエラ! トドメを刺せ!』
『ひゃあっほぉ! 砕けろ石頭!』
嬉々として〈それは石で作られた祈る者〉に近づいたミスティエラの手には、すでに待機状態の爆裂魔術が光り輝いていた。自らの腕を犠牲にした爆発は、過たず〈それは石で作られた祈る者〉の頭を飲み込み――
土煙が晴れたとき、そこには巨大な石像が砕かれ、動きを止めている広場があるだけだった。
その日、パーティ不撓不屈は、従来のファンの大半を失い、新たなファンを多く獲得した。
そして、晴れて『野放しにするとギリギリアウトな奴ら』という認識を、街の住人全体から受け取ることになったのだった。
彼らの活躍はこれからだ!
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