真夏の行事。1番線ホームにて
私は18才の頃、できれば大学に進学したいと願っていた。成績は割といいほうで志望校を受ければ合格する自信はあった。だが経済的な事情で断念することになり高卒のまま就職した。
入社した先は地方の鉄道会社だった。全国的な知名度は高くないものの地元ではまあまあの優良企業で私の家族は入社を非常に喜んだ。無論、大学を出てないので出世はできないが、それは自分の中で納得しあきらめをつけていた。
――真面目にこつこつ働けば、そこそこの収入が保証される
それで十分だと考えるようにした。4月の入社研修を終え、私は小さな駅に配属された。
数年が無事に経過し仕事にも慣れたころ、駅長が人事異動で交代した。新しい駅長は本社の管理部門に長く在籍した人物で社内の出世コースを歩んだエリートだ。
そんなエリート社員が小さな駅に異動したのはあきらかな左遷と思われた。派閥抗争、パワハラ、なんらかの不正。いろんな噂がとびかうが左遷の理由ははっきりしなかった。
正直なところ、私はこの駅長が好きではなかった。言動が常に偉そうなのだ。たとえばこんな出来事が夏の暑い日におきた。
「くだらん」
駅長は一言で否定した。
「お前ら、そんなバカげたことに時間を費やすなよな。職場をなんだと考えてるんだ」
私たち駅員は反論をあきらめ引きさがった。エリート意識の抜けない駅長は一般の駅員の声などまったく受け付けない。
「ま、しょうがない」
昼飯時、ある先輩は肩をすくめて苦笑した。
「今年は中止だな」
「中止ですか…はあ」
私の返事はどこか煮え切らないものだった。
この小さな駅には、ある行事が伝統として伝わっていた。毎年8月の某日、最終電車を見送ったあと、線香とお菓子を1番線ホームに供え駅員で手を合わすのだ。
きっかけは20年前の事故である。1番線で事故が発生し不幸なことに死者をだしていた。大人と子供をふくめて数人が命を失っており、その犠牲者を慰霊するため長らく行事が継承されてきた。
だが駅長はこの催しを認めなかった。頑なな態度で中止を主張した。
「たぶん、一流大学で経営を学んだプライドだよ」
食後のお茶を飲みながら私と同じく高卒の先輩はそんなことを言いだした。駅長の心理を分析してみせたのだ。
「高学歴でプライドが高いから非科学的なものを拒絶するんだよ」
私はあまりピンとこなかったが先輩は割と本気の口調で話をした。
「あるいは、左遷先の習慣に従うことを自己否定と捉えたか。どっちかだろうな」
「はあ」
この分析の真偽はともかくとして、駅長の命令で毎年の慰霊行事は取りやめになった。
その数日後、駅長は朝から機嫌が悪かった。車が急に故障したとのことで、わざわざタクシーを呼んで出勤する羽目になったのだ。同僚たちはクスクス笑って
「祟りだな」
ひそかに溜飲をさげた。
事件はその日の夜に起きた。駅長は普段は車で帰宅するのだが、その日は電車に乗るしかないのでホームに現われた。奇しくも慰霊を中止したホームだ。私は電車を迎えるためそのホームに出ていた。
乗客のない静かな夜で、遠くの方から車両の走るガタンガタンという音が響いてきた。いつも通りの聞きなれた音だが、その音に
――?
なぜか違和感を覚えた。違和感が何に由来するのか考えながら電車が近づくのを待ちうけた。
すると私の横を数人の人影がスッと通りすぎた。
「え」
ホームには私と駅長しかいないはずだった。
「今のは?」
私は咄嗟に背後を見た。数人の人影は駅長の周りを取りまいて、まるで通せんぼをするように囲いこんでいた。人影には大人と子供が混ざっていた。
「なんだ、君たちは」
駅長はいつも通りのやや高圧的な口調で人影を問いつめた。応答はなかった。
「なんだと聞いてるんだ。ふざけてるのか」
駅長の声はやや震えを帯びていた。異変を感じ警戒したせいだろう。
「駅長」
私は声をかけた。すると
「おい。なんなんだ、こいつらは。お前、どうにかしろ」
駅長は私に命令した。そして
「あっちに行け。近づくな」
人影を追い払おうと革製の高級鞄を振りまわした。だが無駄だった。数人の人影は駅長の体をしっかり抱えこみ、その体をある方向にずるずると引っぱろうとした。
ガタンガタンという音が、まるで不吉な効果音のように段々大きくなった。この電車は快速列車で駅には停車しない。つまり高速のままホームを通過する。万が一、人が飛びこめば間違いなく即死だ。
「よせ!危ないだろ。電車が来てるんだぞ」
駅長は声を張りあげた。
「おい、離せ。やめろ」
駅長の体はじりじりと移動させられホームの端まで引きずられていった。線路にそのまま落ちそうな状態だ。
私は駅長のもとへ行こうとした。だが、足が動かなかった。足裏がアスファルトに貼りつくような感覚で、動こうとすると体が崩おれた。
「くっ」
それでもなんとか手を伸ばし緊急停止の非常ボタンを押そうとした。だがボタンは反応しなかった。壊れていた。
「まさか」
非常用の機器が壊れたことなど過去に一度もない。狼狽する私は助けを求めて周囲を見まわした。
その時だった。かすかな視線を感じた。
ふと見ると子供の人影が私のほうに目を向けていた。5才くらいの女の子だ。私ははっとした。
20年前の夏、5才の女の子が祖母の家に遊びに出かけ、帰りの電車で事故に巻きこまれて死亡した。記録にはそう残されている。
――その子なのか
たしか幼稚園の年長さんで名前は麻里ちゃん。
絵を描くのが大好きで遺体発見時も祖母にもらった『お絵描きセット』を大事に守るように抱いていたそうだ。
私のなかで何かがこみ上げてきて叫ぶように声がでた。
「ごめん!ごめんね。許して」
電車はホームに突入する寸前だった。壊れたボタンを私は何度も何度も必死に押し続けた。