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朝霧さんの空もよう

作者: 森岸真鳴

 七月も中盤に入り、あちこちでは蝉の泣き声が聞こえてくる。私は汗をぬぐいながら、黒いビニール袋に必要の無いものを詰め込んでいく。

「おーい、恵真―。この段ボールは全部処分してよかったっけ?」

 部室の入り口のドアを段ボールで支えながら葉月が声をかけてきた。後ろを振り返って、段ボールの表面に張られているステッカーを見てみると、“平成〇〇年文化祭”と書かれていた。もう何十年も前の年のものだ。私は、頷いて葉月に返した。

「あー、文化祭の看板とかポスターとかは全部処分しちゃっていいって、茂爺が言ってたよ」

 茂爺というのは、私達県立東島高校女子バレーのコーチで、かれこれ二十年バレー部を監督している。

「そっかー、結構大掛かりな処分だねー」

 あくびしながら葉月が言った。昼休みを挟んだとはいえ、貴重な土曜日の朝九時からずっと部室の掃除なのだから、眠くなるのも分かる。

「それでも、まだ半分だもんねー。ゴミ袋足りないかも……」

 私の言葉に葉月がげんなりした。

「いーわーなーいでー」

 恨み言のように低い声で言うと、段ボールを抱えて葉月が階段を下りていく。ドスンドスンと音が鳴るのは、古くなってきている証拠だ。決して葉月がガサツなわけじゃない。

「先輩、こっちのロッカー終わりましたー」

 後輩の美夏ちゃんがジャージについたほこりを払いながら言った。

「それにしても、こんなに荷物があるとは思わなかったよねー。ただちょこっと引っ越すだけなのに」

 そうですね、と美夏ちゃんがうなずいた。この東島高校には体育館が二つある。講堂も兼ねた大きな第一体育館と、その半分くらいの大きさの第二体育館だ。私達がいるのは第二体育館で、この夏大規模な耐震工事が行われることになった。

夏といえば運動部にとっては大きな大会が開かれる時期でもあるので、工事が入ると聞いた時、私達は抗議した。

 でも、この工事はずっと前から決まっているという事と、第一体育館を使えばよいではないか、というお達しのせいで私達は何も言えなくなった。だからこうして、引っ越しの作業をしている。他の学校では部活棟があるらしいけれど、この学校にはそんなスペースがないので、体育館の中に部室がある。改修工事が入ってしまうと、もれなくこの部室も使えなくなってしまう。だから、茂爺は私達にこういった。

「この際だ、お前たちの先輩たちが置いていった“忘れ物”を整理するといいぞ。そうしなきゃ、またお前達は部室を荒らすからなぁ……。女子バスケ部の……そう、梅野先生がなぁー。俺に言ったんだわー。バレー部がまた部室を荒らしています、ってなぁ」

 梅野先生は直接部室に入れない茂爺の代わりに、部室の管理を任されている先生だ。

 だから、というわけではないけれど、今日と明日で部室を大掃除することになったのだ。掃除すると、これまた出てくる出てくる。キャンディの包み紙はまだ可愛い方で、雑誌の切り抜きにヘアゴム、果ては色々失敗した変なご当地キャラのキーホルダー。だめなドラえもんの四次元ポケットの中を見ているような気分だ。

「あれ?」

 私は視界の先、押し入れのファイルの隙間に挟まっているものを見つけた。それは色あせたピンク色の封筒だった。長年放置されてきたのか、しわやシミが目立つ。

「手紙?」

「先輩そっち終わりましたか?」

「あっ! うん、うん! おわったよ! ありがと!」

 後ろから美夏ちゃんに呼びかけられ、慌ててジャージのポケットにねじ込んだ。その後、片づけながらとっさにしまった手紙の正体が気がかりだった。


「持って帰っちゃった……」

 ベッドの上で正座しながらそれを眺めた。ほこりを払ってみても、名前は湿気や汚れで見えなかった。宛名も差出人もすべて。辛うじて、差出人の名前が私と同じ4文字であることだけが分かる。

「開いてもいいかな……」

 悲しいかな、この十数年と半分生きてきたというのに、ラブレターなんて書いた事ももらったこともない。昔買っていた少女雑誌の最後の方にある“これでOK! 初めてのラブレター! ”というコーナーを見ながら遊び半分で書いたっきりだ。

 けれど、間違いなくこれは正真正銘のラブレターに違いない。のり付けされていない封筒からは中身が丸見えだ。これは、読んでくれと言っているようなもの。どうせ見たって時効だ。もし、勘違いだったら罪悪感とともに一階のシュレッダーにかけに行けばいい。

「さてと、どんなことが書いてるのかな?」

 長い長い冒険の果てに宝箱を前にした冒険者の気分だ。ワクワクする心を何とかなだめながら封を開け、中身を取り出した。やっぱり、中身は無事という事はなかった。こちらはシミが多くなっていて、読むのは難しそうだ。ただ、虫の死骸が入っていない事には感謝した。

「宛名は……あれ?」

 まず、最初に書かれるべき相手の名前がなかった。表面に書けばそれでよいと思っているのだろうか。私は首をかしげながら続きを読んでいくことにした。

「先輩が体育館の工事の関係でこの第二体育館に来た時、最初は怖い人だと思いました」

 先輩は、県内でも有名な選手で、噂になっていたので、なんとなくそう思っていました。それが、先月、先輩が何気なく声をかけてきてくださったときは心臓が飛び出そうになりました。あの時、何も言わずに走って帰ってしまってごめんなさい。せっかくのチャンスだったのに、逃してしまうなんてダメですね。

 長々と書いてしまいましたが、私は先輩が好きです。もし、この手紙がうっとうしいと思ったなら、捨てて下さってかまいません。でも、もし私の事を少しでも好きだと思ってくださるなら、明後日二十七日の部活の終わりに待っていてくださいますか?


 ぱたん、と便箋を折った。

「これ、まずくない?」

 いまさら何を言うのか、と呆れられそうだ。最後に書かれた日付はもう十年以上前のものだから、引退した先輩がとりに来ることはないはず。それにしたって、今時手紙、それも手書きのものなんて、古風を通り過ぎていつの時代の話だと思ってしまう。

「おねぇ! お風呂―!」

 先にお風呂に入っていたらしい、日香里に階段下から叫ばれた。中学生になったら少しはおとなしくなるかと思ったら、逆にうるさくなった。昔から姉を尊敬しない、生意気な妹だ。それでも、それなりに仲良くしていると思う。

「はーい!」


 お風呂につかりながら、あのラブレターについて考えてみる。まるで探偵になったみたい。と言っても、卒業アルバムを引っ張り出して誰が出したまで走りたくはない。

「どんな人なんだろ」

 確か、茂爺が何かのついでに言っていた気がする。昔、第一体育館を工事したことがあり、その時は第二体育館を使ったという話だった。手紙の主はその時の生徒だとすれば、時系列が合う。ラブレターが部室にあることも、不思議じゃない。

「このラブレター、ちゃんと渡せたのかな……」

 ふと、そう思った。あんなに丁寧に書いておいて、渡せない、なんてことがあるのだろうか。下書き、ということかもしれない。怖い人、なんて普通は使わない。ましてやラブレターなんかに。

 バレー部の先輩という事でいいや。証明終了。この議題はおしまい。

「なんかもやもやする……」

 考えたって仕方のない事なのに、私はお母さんに言われるまでお風呂に浸かっていた。


 この東女バレー部には、一つの決まりがある。それが鍵番というものだ。どんな役割かというと、みんなが活動を始める少し前に職員室から鍵を取りに行く役割で、大体一ヵ月に一回くらいまわってくる。これは、先輩後輩関係ない。

 いつもより三十分早く起きて、朝食もそこそこに家を出た。バスを乗り継いで約五十分。野球部がグランド横の倉庫からボールを出している傍を早足で駆け抜け、職員室に向かう。先生はまだ全然来ていない。

「お、今日は朝霧か! 相変わらず、バレー部は早起きだな!」

 早く来ていた化学の湯沢先生が新聞から顔を少し上げてこっちを見た。

「はい! 第二……じゃなかった、第一体育館の鍵を取りに来ました!」

 そう言って、鍵をかけてある棚を見ると、私は目を丸くした。

「?」

 鍵がないのだ。第一体育館というシールだけが張られているだけ。

「おかしいな」

 鍵がない、なんてことはあり得るのだろうか。疑問に思いながら、廊下に出て体育館の方を見やると、もう明かりがついていた。

「え、もう?」

 職員室の時計と自分の腕時計を交互に見やる。時間通りのはずなのに。てくてくと体育館の方に近づいていくと、ドンッという大きな音が響いた。

「え?」

 こっそりと扉から見ると、誰かがいた。こちらからでは顔は見えない。女子じゃない、男子だ。黒字に臙脂のラインが入ったユニフォームと、サポーター、そして手にしたボールで、彼もまたバレー部だということが分かった。そして、上履きのラインの色で三年生だという事も分かった。

「すご……」

 女子と男子とでは、力の差があることは解っているけれど、ボールが地面に叩きつけられる音は目が覚めるくらい力強い。びりびりと空気が震えるような気がした。そして、向こう側のコートにはいくつものボールが転がっていた。

「いつまでそこにいる?」

「え?」

 ふと、手を止めた男子部員が振り返って声をかけてきた。

「わ、わたし! 女子バレー部です!」

「そうか、今日からこっちに移るって監督が言ってたな……」

 ふと上を仰いだかと思ったら、すぐに自主練を再開させる。私は、邪魔しないように移動していく。第一体育館の更衣室には、もう荷物を運びこんでいるからあわてることはなかった。

「誰だろ……」

 上学年なら学校ですれ違うこともない。男子バレー部と練習試合をしたこともないから、ほとんどの部員とはこれが初顔合わせになる。さっき横目で見たのだが、あの三年生の背丈はいくらあるんだろうか。小柄なメンバーが泣きださないか心配だ。

 着替えが済んでも、まだメンバーが集まらない。練習までまだ時間がある。私はステージに腰かけてじっとしていた。その間も、その人はひたすらにサーブ練習をする。

「ボールくらい拾わないとだめかな」

 練習が始まる前にボールが散乱していたら、茂爺になんて言われるか。三年生のせい、と言ってもボール拾いくらいしろ、と怒られそうだ。茂爺は普段飄々としている分、怒った時には手が付けられない。

 まるで弾丸のように飛んでくるボールを避けながらボールを拾うのは、変な緊張感があった。女子同士なら、おしゃべりしながら拾えるのに。

 この先輩、ガチ勢だ。

 なんとなく、そう思った。楽しく部活をしよう、と考えている女子とは打って変わった雰囲気だ。そりゃ、私だって試合に勝てればうれしいし、負けたら悔しい。でも、そこまで本気になったことはない。元々、中学では部活に入ってなくて、バレー部に入ったのだって、友達に誘われ、なんとなくで入ったぐらいだ。それでも許される部の雰囲気だったのも幸いだ。もし、強豪校でさらにはハードな部活だったら、とっくの昔にやめている。

 ドシン!

「うわっ!」

 まるで象の行進のような音が響く。いちいち震えていたら、これからの練習の時に困る。私は心の中で慣れろ、と暗示をかけ続けた。

 メンバーがそろい始めるまで、私は黙々とボールを拾い続けた。その間、あのラブレターの文面が頭の中でぐるぐるとまわっていくのを感じた。

 この週が明けたら、夏休みが来る。


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