4.七不思議(前)
涼はHRが終わると一言も言わずさっさと帰ってしまった。
気にしない気にしない、と桜子に連れられて図書室へ入る。七時間目の今日に当たった不幸な日直がすぐ教室を閉めたのだ。
「ちょうどいいわ。図書室で隠し部屋を探しましょう?」
図書室のある南別館にはまだまだ日の光が差し込んでいる。
壁と大きな棚にぎっしり本が詰まっているのが見えた。小説のような物語はほとんどなくて、資料置き場といった感じだ。
どこかにスイッチになる本がまぎれていてもおかしくない。
私たちは丁寧に探したけれど、残念ながら隠し部屋は見つからなかった。
「……少し座りましょうか?」
一通り見てまわった後、長いテーブルに並んで腰をおろす。
桜子はノートを取り出すと、昼休みに話した七不思議を書き出した。
・誰もいないのに鳴る講堂のオルガン
・音楽室で動く肖像画
・科学準備室で起こる放電
・忘れの川を渡る船の音
・ステンドグラスの謎
・振り返ってはいけない階段
・減っていく小動物
「聖クロスミステリーツアー、どこからご案内しましょう?」
桜子がノートを見せながらおどけてガイドのように言った。明るい雰囲気に救われて、私はずっと気になっていたことをようやく口に出せた。
「あのさ……『船の音』って病気やケガをする前に聞こえるんだよね? それってどこで聞こえるの?」
「え? そうね、どこでもなんだけど、体育館やダンス室では聞こえないわ。家庭科室や実験室でも聞こえないわね」
「じゃあ、教室だと聞こえるってこと?」
「そうね。教室が一番多いかもしれないわ。でも船の音は聞こうと思っても聞けないから、これは外しましょうか」
「……」
さっき聞いた音。船のきしむ音、と言われればそうも聞こえる音だった。
仮にさっきの変な音が船の音だったとしたら……。いきなり病気になるとは思えないので、これから大怪我するとか? まさかね。
「小動物は今の季節じゃわからないし。音楽室には授業で何度も行ってるわよねぇ。これも外して。そうね。講堂は入学式以来よね? まずは外の講堂に行って、その帰りに別館にある科学準備室、そうして本館に戻るついでにステンドグラス……あ、でもステンドグラスは明るいほうがいいから、最初にステンドグラス、そのまま科学準備室、講堂でいい?」
「うん。助かる。ありがと」
なんとか明るい声を出せた。
船の音のことを考えると、今すぐ家に帰りたくてたまらない。でも、帰る途中で何かに巻き込まれるのなら、いつ帰っても一緒だ。
それに今日はいつもならさっさと帰る桜子がわざわざ付き合ってくれているのだ。
大丈夫! 桜子が一緒なんだから。何も起こらない。怖くない。ノートをしまって立ち上がる桜子に続いて図書室を出た。
本館の周りには南・北・西に別館が三つ、東に中等部が一つあり、上から見ると大きな十字の形に見える。それぞれのつなぎ目と館内に階段がある。館の間には南西に教会、あとは小さなグラウンドになっていて、北西のグラウンドの下に講堂がある。
本館は高等部の普通教室で、別館には音楽室、美術室、科学室、お茶室、ダンス室などの特別教室があるのだ。本館や別館には本当は聖何々館、というちゃんとした名前がついているんだけど、長いし間違うと困るので、生徒は略して建っている方角をつけて呼んでいる。
噂のステンドグラスのある階段は、図書室のある南別館ではなく、西別館と本館との間らしい。
図書室から本館、そして西別館とのつなぎ目に来て、その階段をのぼり始めた。黄昏の光がステンドグラスを通り、淡く階段を照らしている。
一階から二階へのステンドグラスには見覚えがあった。三賢者が星を見つけている。生誕の物語だ。これから三賢者はプレゼントを持って祝いに行くのだ。
二階から三階では、歩いていく三賢者が描かれていた。
「桜子。ここって四階で終わりだったんじゃ?」
聖クロスの建物はすべて四階までしかなかったはずだ。それに覚えているステンドグラスの柄も、物語の最後だった。三階から四階で、賢者たちはプレゼントを渡していたはずだ。
「部屋は四階までしかないけれど、階段は続いているのよ」
足を止めない桜子に遅れないように、あわててステンドグラスから目を離した。この西別館一階は調理室、二階三階はダンス室の利用で来たことがあったけれど、四階は初めてだった。
「ここには何室があるの?」
少し上がった息を整えながら廊下に顔を出す。
「作法室。昔はお茶室としても使われていたみたいだけど、最近はまず使わない部屋ね」
扉の小窓からのぞくと、広い畳張りの部屋が見えた。洋館にある畳の部屋って妙だ。
「さ、ここからが噂の階段よ。立ち止まっても振り返ってもダメだからね」
「うん」
緊張してこけないように足元を見て一歩いっぽ落ち着いて足を上げる。夕焼けになりつつある光が、階段をカラフルに色付けていた。でもそれからは模様が想像できない。いったいどんなデザインのステンドグラスなんだろう?
立ち止まらないように注意しながら、ゆっくりと階段をのぼった。
「…………」
ようやく階段と階段の間、ステンドグラスの飾られている踊り場に着いて、顔を上げる。ステンドグラスを見上げたまま、私はしばらく声が出なかった。
「これ……聖書の物語なの?」
「わからないわ」
ステンドグラスのデザインは、他のステンドグラスとは明らかに違っていた。はっきりとしたテーマはもちろん、人物か建物か動物かすらわからない。例えるなら抽象画か複雑な模様のようだった。
かろうじて意味のありそうな形も、真ん中にある白い小さな長方形だけ。その周囲を不規則な形のカラフルなガラスが彩っている。でも見ていて嫌な感じはしない。
何かが伸びてまわりに広がっているようにも見えるし、開いた扉にもトンネルの出口にも見える。
じぃっと見つめていると、ちょっと教会にいるような気持ちになった。
ふいと視線を流した先、踊り場からさらに上に続く階段は途中で終わって、扉が閉まっていた。
「その上は屋上なのよ。さぁもういいかしら? 次に行きましょう」
桜子に促され一気に階段をおりた。
本館へ戻り、科学室のある北別館へと移動する。
科学室があるのは二階だ。
ここの階段には見慣れたステンドグラスがはまっている。でも本館に邪魔されて強い光は入ってこない。
科学室に入り、隣の準備室への扉に手をかけるけれど、あかない。準備室には薬品や高価な標本があるので施錠されているのだ。
私と桜子はトーテムポールのように扉の隙間に顔を縦に並べたけれど、暗くて何も見えなかった。準備室には窓がないのだ。
「ちょっと待っていて。確かどこかに懐中電灯があったはずよ」
桜子が扉から離れて科学室の棚をごそごそ探る。
まだ電気をつけるほどの時間じゃないけれど、北別館のこの部屋は薄暗かった。
真っ暗な隙間から目を離して扉に身体を預けた。知らない内に身体が強張っていた。肩の力を抜く。
七不思議の場所に来たからといって、いきなりその現象に遭遇するわけがない。
わかっていたはずなのに、がっかりしている自分に気づいた。
変なの。
別に私が七不思議を知りたかったわけじゃない。それなのに何を期待してるんだか。
「お待たせ」
忍び足で桜子が戻ってきた。手にはちゃんと懐中電灯がにぎられている。
「どう?」
隙間から中を照らすと、狭い光の筋ができた。
「……っ」
ちょうど光を返したのは大きな瓶だ。生き物が入っているはずだけど、はっきりとは見えない。明るいときなら平気なのに、どうして暗いだけでこんなに不気味に感じるんだろう?
「桜子。明るくしたら、放電が起こっても見えないんじゃない?」
「あ、そうね。じゃ、消すわよ」
光の後の闇はさっきよりも濃く感じる。目の錯覚だとはわかっていても不安になった。桜子の制服を握りしめた、その時……。
パチッ
小さいけれど確かに聞こえた。
私は隙間に目を凝らした。
どこ? どこに放電が?
パチパチッ
また音がした。
細い隙間からできる限り広く眺める。
「!」
隅の方に二つ、小さな火花の塊があった。
火花と言っても火じゃない。緑っぽい光がパチパチ鳴りながら輝いている。
「すごい!」
「驚いたわ」
でも見つめている間に光は小さくなっていき、すぅっと分散するように消えた。私たちはしばらくそのまま動けなかった。
「すごい! 本当に見られるなんて思わなかった!」
「私も。まさか本当なんて。でも、これが見られるってことは、他のも期待していいのかもしれないわ!」
めずらしく声を弾ませる桜子。
「うん! すっごく期待しちゃう! 次はどこだっけ?」
「講堂よ」